健康と青汁タイトル小
食養生インデックス

食養生01 クリック 食養生02 クリック 食養生03 クリック 食養生04 クリック 食養生05 クリック
食養生06 クリック 食養生07 クリック 食養生08 クリック
食養生09
クリック
食養生10
10-01 251号 ハナよりナッパ(1)
10-02 254号 ハナよりナッパ(2)
10-03 255号 ハナよりナッパ(3)
10-04 257号 ハナよりナッパ(4)
10-05 258号 ハナよりナッパ(5)
10-06 272号 食料当面の間違いに対処するには(1)
10-07 273号 食料当面の間違いに対処するには(2)
10-08 274号 食料当面の間違いに対処するには(3)
10-09 275号 食料当面の間違いに対処するには(4)
10-10 276号 食料当面の間違いに対処するには(5)
10-11 277号 食料当面の間違いに対処するには(6)
10-12 278号 食料当面の間違いに対処するには(7)
10-13 279号 食料当面の間違いに対処するには(8)
10-14 280号 食料当面の間違いに対処するには(9)
10-15 281号 食料当面の間違いに対処するには(10)
10-16 282号 食料当面の間違いに対処するには(11)
10-17 283号 食料当面の間違いに対処するには(12)
10-18 284号 食料当面の間違いに対処するには(13)
10-19 285号 食料当面の間違いに対処するには(14)
10-20 286号 食料当面の間違いに対処するには(15)
10-21 290号 食料当面の間違いに対処するには(16)
10-22 288号 食料当面の間違いに対処するには(17)
10-23 289号 食料当面の間違いに対処するには(18)
10-24 290号 食料当面の間違いに対処するには(19)
食養生11
クリック
食養生12 クリック



10-01. ハナよりナッパ(1)

     友成 左近 

     かれこれ20年ほどまえから遠藤先生に見習って、狭い庭を最大限に活用して、ハナよりナッパと青野菜を作っています。はじめは、勤め先の社宅で思うようにいかなかったので、10年ほどまえ、引退後の自宅をたてたとき、日当たりのよいところを最大限につくって菜園にしました。といって、なにぶん貧しい家計であるため、宅地が40坪ほどでしたので、菜園は5坪しかとれませんでした。それも、隣家のために半日しか日の当らないところが大部分です。が、ここは青野菜専用にして、ハナはここ以外で作ることにしました。(そして菜園には、害虫などを防ぐために木枠をつくってサランをはりめぐらし、その3分の1は冬季に簡単な温室が作れるようにしました。が、数年前、この木枠がこわれたので、すべて取り払って、日光が十分あたり、風通しもよいようにしました。)

    この事由は
    ところで、ふつう世間並の住宅であり、それも家内と2人だけの引退生活であれば、ささやかながらも小庭をつくり、ハナも作って楽しむところでしょうが、あえてハナよりナッパと青野菜を作っているのは、こういうわけです。

    健康の保持増進には青野菜が必要不可欠
     人生なにより大切な健康の保持増進には、いろいろ必要な事がありますが、そのうち実状最も重要なのは、よく調和のとれた完全な栄養を、無害無毒で安全な食物ではかることです。そしてそれには、ほかにどんなに工夫して、あれやこれやと食物を取り揃えても、ただひとつ青野菜を、それも成分の優れた良質のものを、それ相当量取り入れなければなりません。これが嫌いであるとか手に入らないからといって、どんなに優れた栄養剤で代用しても、とうてい完全な栄養ははかれません。
     なお、ここで良質青野菜というのは、ふつうの青野菜であれ、家畜の飼料であれ、コマツナやダイコン葉などのように、なかのなかまで緑色の格別濃い葉菜であって、これがすなわち各種の栄養分が既知未知にわたって、すべてもれなくそろい、そのうえ各種のミネラルとビタミンが格別多いしるしなのですが、このうちホウレンソウやフダンソウなどは、この成分とりわけカルシウムが吸収しにくいので除外します。
     ところで、この良質青野菜は、ふつう人並みに健康でありふつう人並みな食べ方をしている場合、日に約500g、自分の体重の約10%取り入れたら、その他の食物は一応そのままにしていても、ほぼ完全な栄養になって、よりいっそう健康になります。というのは、人々ふつう習慣食では、これが、その他の緑黄色野菜も含めて総平均すると、日に約60gといったところであるからです。
     そしてこれ以外に、その他の野菜が約200g、果物が約180gですが、これは良質青野菜よりケタちがいに成分が劣っているので、完全栄養にそう多くは役立たず、ために、ほかにもいろいろ事由があって「一億半病人」になっているからです。そしてこの良質青野菜は、ほかのどんな食物ともちがって、安全なものであり、胃腸をいためないように青汁にして飲むのであれば、実状どんなに多量に食べても、栄養にも健康にも少しも差し障わりはなく、多ければ多いほど、よりいっそう本当に完全な栄養になり、シンソコ丈夫になって、病気にはめったにかからず、かかっても、人並はるかに順調に治って、診療した医師がびっくりするようになります。

    私には良質青野菜が日に1kg以上必要
     ところで私は、20数年まえ、大腸回省部に厄介な腫瘍ができて開腹手術をうけ、引き続きレントゲン深部治療を限度いっぱいうけました。ために、幸い腫瘍の再発は防止できましたが、右側のハラとコシにレントゲン照射によるヤケドができ、やがてそこに、現在の医療では治療至難といわれている腫瘍ができて、どうにも耐えがたく痛むようになりました。また、手術後の大腸が破れるなどして数度にわたる開腹手術をうけて、なんとも厄介なオナカになり、日々度々ひどく痛むようになりました。そして10数年間、こうした病苦にさいなまれる度毎に、セにハラはかえられず、これしかたよるものがないので、青野菜・青汁をだんだん増やし、その他の食物もあれこれ改めて、どうにか健康を保ってきたのですが、そこで体験したことは、私のような厄介な病気もちのカラダでは、今のところ、良質で安全な青野菜を日に少なくとも1kgは食べなければ、ということです。そして、毎日1.3kg以上食べておれば、平素は食べていない白米飯など、栄養上著しく不調和なものを、お付き合いその他で少々食べても、別にそう差し障りは起こらず、どうにか病苦に耐えていける、ということです。(なお家内は、一応人並健康でしたが、よりいっそう丈夫にと青汁食養正につとめていたところ、毎日5−700g以上食べたら、ということで、私宅では、良質で安全な青野菜が毎日2kg以上必要です。)

    菜園では専ら生食用を
     けれども、これだけ多量の良質青野菜は、市販ではとうてい毎日十分手に入れることができず、たとえ手に入っても、殆んどすべて危険な農薬が残留しているので、そうは多量に食べるわけにはいきません。で、どうしても自分で安全に栽培しなければならないのですが、僅か5坪の菜園ではなにほどもまかなえません。が、幸い市内の青汁仲間木村さんが、安全に栽培した、青汁用のケールをわけて下さるので、毎日1・5kg(私用1kg、家内用500g)わけてもらって青汁にして飲み、菜園では専ら生食用を作って、毎日なんとか500g以上はまかなうようにしています。が、春や秋の時候のよいときでも毎日十分まかなえないことがあり、冬には、どんな工夫しても、なにほどもまかなえないようになることがあります。で、こんな場合は、やむをえず市販の緑黄色野菜やその他の野菜でほどほどに補ない、これは主として煮食用にしています。成分は劣り、残留農薬の心配もありますが、多少とも栄養の調和に役立ち、また毎日の食物に変化をつけることもできるからです。(なお、数年まえ会社勤めをやめて引退したとき、前記の木村さんに畑を借りて、生食用や煮食用をいろいろ沢山作ろうと思いたったのですが、日々度々オナカが痛むなど、なんとも厄介なカラダであり、それに自宅から少し遠いところでもあったので、やむなく断念しました。)




10-02. ハナよりナッパ(2)

     友成 左近 

     前記のように、健康に必要不可欠な良質で安全な青野菜が、厄介な病気もちである私には毎日1.3kg以上、一応人並健康である家内には700g以上必要です。
     が、これを市販でまかなうのは、数量もさることながら安全の点で実状至難であるため、このうち最少必要量である1.5kg(私用1Kg、家内用500g)は青汁仲間の木村さんにわけていただく青汁用のケールでまかない、家庭菜園では専ら生食用を作って、毎日500g以上はまかなうようにしています。
     が、なにぶん5坪ほどであるため、時期によっては毎日十分まかなえず、冬季にはなにほどもまかなえないことがあり、こんな場合は、やむをえず市販の緑黄色野菜やその他の野菜でほどほどに補足し、これは主として煮食用にしています。

    生食用を作っているのは
     それでは、家庭菜園で専ら生食用を作っているのはどういうわけか、わけていただく青汁用のケールで毎日2kg以上まかなおうと思えばまかなえるのが実状なのですが、それは最少必要量にして、その補足に生食用を作り、それも十分には補足できない場合があるのに、あえてハナよりナッパと青野菜を作っているのはどういうわけか、というとつぎのようなしだいです。

      成分を最高度に利用するには
       まず第一に良質青野菜は、その大切な成分を既知未知にわたって最高度に利用するには、新鮮なうちに生のまま、よくかんで食べることが大切です。
       が、年間通して毎日必要なだけ十二分に食べるには、ケールなどのように、ふつうは飼料用に栽培しているものでまかなわなければならないのが実状であって、これは固いセンイの多いものばかりです。
       ために、よくかんで毎日必要なだけ十二分に食べるのは、どんなに葉の丈夫な人でも容易なことではなく、たとえよくかんで食べても胃腸をいためるおそれがあり、また、便通その他に大切なセンイも、それほど多量に食べる必要はなく、私のように毎日1.3kg以上となればなおさらです。
       そこでこれは、よくかむ代わりにジューサーなどですりつぶしたうえ、固いセンイは大部分取り除いた青汁にして飲むわけです。
       こうすれば、どんなに歯や胃腸の弱い人でも十二分に食べることができ、そしてこの青汁には、大切な成分が殆んどすべてとけこんでおり、またセンイも、胃腸をいためない程度に細かくなって、ほどよく残っているからです。

      青汁で不足しがちな分をつとめて生食で補なう
       とはいっても第二に、青汁にすれば、その形状もさることながら臭いや味が生来の習慣や好みに合わないようになり、この習慣や好みにはとかく執着するので、これだけでは必要なだけ十二分にまかないかねるわけです。
       そこで、なにより大切な健康に必要な良質青野菜であれば、どんなに習慣や好みに合わなくても、そこは辛抱して、とにかく必要最少量だけは青汁でまかない、そしてそのうえで、習慣や好みに合った食べ方で十二分に補ない、この食べ方としても、つとめて生のまま、よくかんで食べるようにしているわけです。
       それは、まえにもふれたように成分を最高度に利用するためですが、それ以外に、生食に合ったものをえらんで適切に調味すると、煮食とはまたちがった青野菜独特の味わいがおいしく味わえるので、しぜん毎日これが少ないとモノ足りなくなり、それだけ多量に食べるようになって、必要なだけ十二分に補なうのに好都合であるからです。
       また、生食では煮食よりもカサばっており、そしてよくかんで食べたら、その他の食物もしぜんよくかんで食べるため、食欲がほどよいところでみたされるので、実状とかく食べすぎやすいところかほどよく少なくなって、それだけ栄養に調和をはかるのに好都合であるからです。

      安全で成分も味わいも優れたものを作るため
       けれども第三に、ふつう市販では、生食に合ったものがなにほども手に入らず、手に入るものは、殆んどすべて程度の差こそあれ農薬が残留しているので、これで十二分に補なうのは危険です。
       そこでこれは、家庭菜園でまかなうわけであって、それはいうまでもなく、危険な農薬は使わずに安全に栽培するためです。
       が、さらに、あとでみるように市販では手に入りにくいが、成分が格別に優れ、そして生食に合い、しかも多収量の品種をえらぶことができるからです。
       また、市販のものとはちがって、有機質肥料を十分施して化学肥料は使わずに栽培して、成分も味も優れたものが作れるからであり、そして、ちょうど食べごろに成長したところで取り入れて、新鮮なうちに食べることができるからであって、実は、こうして初めて青野菜独特の味わいが生食でおいしく味わえるのです。

      ハナは市販でも十分まかなえる
       もうひとつ第四に、家庭にハナをしつらえるのは、生活にうるおいをはかるのに確かに大切なことですが、これは、人生なにより大切な健康にかかわる良質で安全な青野菜とちがって、けっこう市販で十分まかなえます。
       また、庭にハナをつくるのは、人生確かに楽しいことですが、ナッパを作るのも、また別になんとも楽しいことであり、菜園以外でハナを作ることもできるので、そう欲張らなければ、ほどほどにハナ作りを楽しむことができます。
       なおさらに、ハナを作るのもさることながらナッパを作るのは、心身ともに健やかに生活をしていくのに極めて意義深いことです。
       生活に必要なものは、つとめてみずから働いて作るのが人間本来の生き方であり、それも、自然と共に生きものを育てるのが、この生き方の根源であり、そしてナッパは人生なにより大切な健康に必要不可欠なものであるからです。
    (つづく)




10-03. ハナよりナッパ(3)

     友成 左近 

     前記のように私宅では家内と二人で、健康保持に良質で安全な青野菜が毎日2kg以上必要であって、このうち最少必要量の1.5kgは、青汁仲間の木村さんがわけて下さる青汁用のケールでまかない、これを補足する500g以上は、ハナよりナッパと狭い庭を最大限に活用してまかなっています。そして、これは専ら生食用なのですが、それは、せっかく作ったナッパを、栄養上最高度に利用するためです。従って、作っているナッパも、つぎのような要領で選定しています。

    主要青野菜の選定要領
     まず、ここ数年来作っているのは、主としてカキバダイコン、青シソ、シーオーナタネとレタスですが、いろいろ作ってみたあげく、こう選定するようになったのであって、それはつぎのようなしだいです。
     まず第一に、家庭菜園を作っているのは、世にいう趣味と実益をかねて、といったものではなく、専ら健康保持の実益をはかるためであるので、ふつう広く家庭菜園で作っているようなもの(わけてもトマト、ナス、キウリなど)ではなく、成分が最高度に優れたものであることが大切です。と共に第二に、なにぶん狭い菜園であるため、年間通した坪当たり収量が最も多く、そして連作ができ、素人でも作りやすいものであることが大切です。そして第三に、生食用であるため、生のままで刺激性や固いセンイが少なく、そして味わいもよいものであることが大切です。もうひとつ第四に、及ばずながらも接する人々に青汁食養生をすすめ、青野菜の生食がおいしいことも話しているので、ときに人に差し上げて味わってもらうため、広く人々がなじんでいるものも多少は作っておかねばなりません。だいたいこういうしだいで、今のところ主として前記のようなものを作っているのであって、その性質はつぎの通りです。

    カキバダイコン
     まずカキバダイコンは、ふつうは養鶏用などに栽培しているものですが、ふつうの大根葉と同様に、良質青野菜のうちでも成分が最も優れたものです。そして、大根葉のようなカラミもケバもなく、それに緑葉部が多く、これが若葉のうちは柔らかくて味もよいので、生食用には最適です。そのうえ、根は細長くて食べられませんが、大根葉にまさる大きな葉がつぎつぎと沢山つくので、はしからかいでいけるため、いちど植えたら長いこと多量にとれます。そして、秋の彼岸前後に種をまけば一ヶ月もすれば間引いて食べられ、残定植したものには、翌年4月下旬にトウだちするまで、つぎつぎと葉がつき、春の彼岸前後に種をまけば、一ヶ月もしないうちに間引け、6月下旬にトウだちするまで葉がつき、そして連作ができます。こういうふうにカキバダイコンは、生食向きの良質青野菜のうちで成分が最も優れ味わいもよく、年間通しての坪当たり収量も最高であるので、菜園の大部分にこれを作っています。(なお、春や秋には葉がつきすぎて生食しきれず、タケすぎて少し固くなり、味も劣ってきて、生食には不向きになることがありますが、こんな場合は、青汁にしたり、炒り菜などの煮食にしています。)が、6月下旬のトウだち後に備えて種をまいても、発芽はするが成長しないことがあり、成長しても、葉つきも味もひどく劣ってきます。また冷寒期には、味はしごく優れてきますが、葉づきが悪く、この葉が小さくなります。

    青シソ
     そこで、夏には青シソを作っているのですが、これは良質青野菜のうちで成分が最高に優れたものです。そして、4月下旬に種をまいて苗を育て、カキバダイコンがトウだちしたあとに移植するのですが、活着後は葉がつぎつぎと沢山つき、夏季の良質青野菜のうちで坪当たり収量が最高です。そして、新芽には格別の風味があり、若葉のうちは至って柔らかくて味もよいので生食用に最適です。(が、タケてくると固くなり、それに刺激性が強くなって生食にも青汁にも不向きになるのでこれはサッと湯がいて炒り菜などにしています。)なお赤シソも、成分や味わいなどほぼ同様ですが、いずれも9月下旬にはトウだちするので、ほどほどのところで抜きとって、そのあとにカキバダイコンなどを作るわけです。

    シーオーナタネ
    つぎに、冬季の収量減を多少とも補なうために作っているのがシーオーナタネですが、これはナタネを品種改良して耐寒性をつけたものあり(倉敷地方では耐寒性に大差ないようですが)、ふつうは養鶏用などに栽培しているものです。そして、成分はダイコン葉についで優れており、栽培時期や坪当たり収量も、柔らかさや味わいもカキバダイコンとほぼ同様ですが、人によっては、この味わいの方を好みます。が、これは予め苗を作って移植するので、種まきして収穫できるまでの期間がカキバダイコンより長く、またトウだちする時期も早いので、年間収量が少し劣っているため、菜園のごく一部に作っています。

    レタス
    もうひとつレタスは、江戸川レタスなどのように緑色が濃く、そして葉をかいでいける多収量のものを作っていますが、成分は良質青野菜のうちで最低でしょう。が、これを作っているのは、総入歯の家内が好むからであり、また、人さまに差し上げても来客に食べてもらっても喜んでくれるからです。が、栽培時期がカキバダイコンと重なるので、菜園のごく一部と菜園外の鉢で作っています。(なお、ふつうの良質青野菜のうちで、レタスより成分がはるかに優れ、そして柔らかくて味もよいので、生食用として、また煮食用としても青汁用としても万人向きなのはコマツナであって、これは夏以外はいつでも作れます。が、カキバダイコンのように葉をかいでいけないために坪当たり収量が少ないので、狭い菜園には不向きです。)なお、こうしたもの以外に、菜園の畝間や菜園の外に大きな素焼の鉢をところ狭しとおいて、いろいろなものを作っています。夏間に作っているのがツルムラサキ、ツルナ、レイシ、インゲン、エンサイ、バイアム、夏以外で作っているのがパセリ、シュンキク、ミツバ、セロリー、植えっぱなしにして時折肥培しているのがニラ、ローリエ、サンショなどで、主として季節の風味をたのしむためです。(つづく)




10-04. ハナよりナッパ(4)

     友成 左近 

     前記のように私宅では家内と二人で、健康保持に必要な良質で安全な青野菜が毎日2kg以上であって、このうち最少必要量の1.5kgは、青汁仲間の木村さんがわけて下さる青汁用のケールでまかない、これを補足する500g以上は、ハナよりナッパと狭い庭を最大限に活用した家庭菜園でまかなっています。
     そしてこの菜園では、専ら生食用を作っているのですが、それは、せっかく作ったナッパを栄養上最高度に利用するためです。従ってまた、作るナッパも、成分が最も優れ、しかも年間通しての坪当たり収量が最も多く、そして生食して味もよいものを選択しているのですが、その主なものは今のところ、カキバダイコンと青シソ、それにシーオーナタネとレタスです。
     ところで、青汁用のケールを、特定の人が栽培したのをわけてもらうのは、成分の優れた青汁向きの良質青野菜を市販でまかなうのは、数量もさることながら安全の点で実状至難であるからです。そしてこの点、生食用の良質青野菜についても同様ですが、これはケールとちがって、栽培や取入その他に格別手数がかかるため、特定の人に毎日必要なだけ十分わけてもらいかねるのが実状です。

    栽培上の主要留意点
     そこで、これは家庭菜園でまかなっているわけですが、そのねらいは、安全で、成分がよりいっそう優れ、また味もよくなるように栽培して、ちょうど食べごろに成長したところで取り入れて、新鮮なうちに食べることです。
     従って、この栽培でトクと留意していることは、今のところつぎの通りです。(なお、この菜園は、よそから畑土を運んで作ったもので、初めの間は育ちも味も悪く、そのうえ病虫害がひどかったので、石灰窒素で土全体を消毒して、つぎにみるように肥培したところ、2年3年とたつうちに育ち方も味もよくなり、また病虫害も軽くなってきました。)

    深耕して堆肥と石灰を十分施すこと
     まず第一に、毎年春夏秋と作付する度毎に、30cm以上に天地がえしをして、基肥に堆肥と石灰を十分施し、定植後は敷きワラをして、適宜中耕して、活性化した堆肥や油粕や鳥糞などの追肥をすることです。なお、この堆肥は、タタミヤから古タタミをもらってきて菜園の端に積み、また台所その他から出る廃棄物のうち腐るものはすべて菜園の端に積んで作っています。
     が、なにぶん菜園が狭いので本式には作れないため、天地がえしをするとき、未熟堆肥は底に入れ、成熟堆肥は石灰といっしょに土全体にまぜこんでいます。そしてこの数量は、坪当たり年間タタミ1枚少々、石灰約500gです。
     ところで、深耕して基肥に堆肥を十分施すのは、畑の底へ沈んでいった肥料分とりわけ無機質を表面に出すと共に、底に入れておいて成熟してきた堆肥や新たに施す堆肥を土全体にまぜこんで、畑を底深くやわらかくし、また空気もうまく通うようにするためです。

     もうひとつ石灰を適量施すのは、有機質肥料だけでは土が酸性化して作物が育ちにくくなるので、これを中和して酸アルカリ関係を適度にするためです。
     それはこうすれば、作物の根が深く広くはり、またミミズその他の有益微生物が盛んに繁殖して、有機質を食べて肥料化を促進するので、作物が丈夫に育って病虫害に強くなり、また成分がよりいっそう優れ、味もよくなり、そのうえ長期間にわたってとれるようになるからです。
     また、ミミズその他の有益微生物は土のなかの病害虫も食べるので、この点からも病虫害が少なくなるからです。つぎに、定植後に敷きワラをするのは、夏は防暑、冬は防寒のためであり、年間通しては乾燥を防ぐためです。
     また、土が雨にうたれて固くなり、野菜にもはねかえるのを防ぐためであり、やがては腐ってきて肥料にもなるからです。が、これだけでは土は固くなり、肥料も不足してくるので、適宜中耕して、土よせもし追肥もするわけです。
     そしてこれには、即効性のある活性化した堆肥や油粕や鳥粉などを使っていますが、なにぶん狭い菜園で、年間休みなく、しかもかなり密植しているので、坪当たり年間約10kgと、少し多いめにしています。

    (以下次号)




10-05. ハナよりナッパ(5)

     友成 左近 

    化学肥料はいっさい使わないこと
     第二に、化学肥料はいっさい使わないことです。前記のように堆肥その他の有機質肥料と石灰を十分施しているので、ことさら使うほどの必要はないからです。
     それに、使えば多少とも成長はよくなりますが、味が劣ってくるからです。
     また、これは堆肥のように手数がかからないので、いったん使うと、とかく安易に依存して堆肥が少なくなるおそれがあり、そうなると、地力が低下して丈夫なものが育たなくなって、病虫害がひどくなり、成分も味も劣ってくるので、ころばぬ先の杖で、とにかくいっさい使わないことにしているわけです。

    農薬は決して使わないこと
     第三に、前記のように肥培しても病虫害が多少とも起こりますが、これは自然のオキテと心得て、農薬とりわけ残留性のものは決して使わないことです。
     まず農薬は、病害虫を殺すだけの毒性があるわけであって、たとえ弱毒性のものでも、農薬として使う以上は毒物です。従って、これが残留している食物を食べたら、必ず毒物も食べこみ、食べこめば必ず中毒にかかるわけです。
     急性にかかるほど多量に食べこまなくても、これは体内に蓄積する性質があるので、たえず食べこんでいると慢性にかかるわけです。が、在来のニコチンや除虫菊などは、毒性が弱いうえに、しぜんに分解して無毒化するのも速く、それにただ作物の表面に付着するだけです。従って、使っても食べるときまでに無毒化している場合が多く、でなくても調理で洗い落とすことができるので、本物が手に入れば、使っても、そう危険ではないわけです。
     けれども、最近広く使われている農薬は殆んどすべて、毒性が強いうえに作物の内部に浸透し、しぜんに分解するのに長期間かかるので、使ったら、食べるときまで程度の差こそあれ内部に残留しています。
     従って、洗い落とすことも皮をむいで取り除くこともできず、また、病害虫のように生物ではないため、煮炊きしても消毒することができないので、これを使うのは、どんなに弱毒性のものでも極めて危険です。
     もうひとつ、これを使っていると、土のなかの有益微生物もだんだんと死滅してくるため、地力が低下して作物が丈夫に育たなくなるので、この点からも使うのは危険です。なお念のため、ふつう市販の手引書などでは多くの場合、化学肥料はいうまでもなく、農薬も使うのが、いわば常識であるかのように記されています。
     が、家庭菜園を作る以上は、市販では手に入らないもの、とりわけ必ず安全なものを作ることが大切であって、そこは的確に分別しなければなりません。

    病虫害防除は
     第四に、前記のように病虫害が多少とも起こるのはさけられないので、この防除には、まず間引くときや苗を移植するとき、病虫害にやられているものはすべて取り除いて、丈夫なものだけを定植しています。
     そして定植後は、コマメに見廻って、虫がついていたら手でとり、病原菌にやられていたら早めに抜きとっています。
     が、アリマキなどが手でとりきれないほどついてきたら、タバコでニコチン汁を作り、石ケン水にまぜて噴霧し、それでも除去しきれないときは抜きとっています。
     そして、どんなに虫や病原菌にやられていても、これは安全のしるしと、すべて食用にしています。(ひとまず終わり、各種野菜の作り方や食べ方はいずれ後日)




10-06. 食料当面の間違いに対処するには(1)

     友成 左近 

     例によって、倉敷の青汁教室で、遠藤先生にご指導いただいたことや、それに関連して出席者が互いに話し合ったことから、広く本紙の読者に、なんぞご参考になればと思うことをお伝えするしだいですが、この度は、標記のような主題のもとに、あれやこれやと、ひとわたり書き記してみることにしましょう。

    食料が豊富に市販されているが
     当節は、食料が多種多様にわたって、全国至るところで豊富に市販され、また広く人々の生計も向上して、どことも毎日の食物が一見まことに豊かになっています。けれども、そこには以前と様変って、いろいろ重大な間違いが伴なっているのであって、医学医療の進歩普及にもかかわらず、その効果が予防にも治療にも及びかねる、なんとも厄介な病気にかかる人々が目立って増え、また「一億半病人」ともいわれるようになっているのは、ひとつにはこのためです。
     そこで、農家もさることながら非農家では、食料はすべて市販で調達している以上、そこに対処して、めいめいなにより大切な健康を保持増進するには、要約つぎの諸点に心がけることが大切です。

    対処に必要な心がけ
     まず第一に、いかにも分かりきったことながら、当節市販の食料には、実状どんな重大な間違いが伴なっているか、成分、安全、味わい、価格、供給その他多面にわたる食料の諸要件をあげてシカと理解することです。
     そして第二に、この間違いは広く国民経済のゆがみに根ざしているので、その是正を社会的政治的な市民運動ですすめることです。が、こうした市民運動は、そうは容易なことではなく、また、少々強力にすすめても、早急には是正されないのが実情です。けれども食料は、日々調達していかねばならず、その間違いは、めいめいなにより大切な健康に深くかかわっています。
     そこで第三に大切なことは、めいめい日々の食料調達にあたって、その間違いを最少限にくいとめるように、トクと吟味して選択することです。それは、いろいろ重大な間違いが伴なった食料が市販されているのは、ひっきょう人々めいめいが、市販のまま安易に調達するからであり、従って、トクと吟味して選択すれば、それ相当に健康の保持増進に役立つだけでなく、それに応じて、間違いがだんだんと是正されてくるからです。
     また、そうして初めて、市民運動もマトモにすすめることができるのです(なお、青汁教室では、その由来から、この市民運動については、そう深くは取り上げていないので、ここではこれに、とりたててはふれないことにします)。
     と共に第四に、その前提要件として大切なことは、めいめい食料にいだいている筋違いな考え方、たとえば貴賎観や高級低級観、好き嫌い、初もの志向や季節度外視、家庭炊事の嫌厭や手作り料理の卑下、一般商品との同列視などを、食料本来の性質にてらして、シカと反省して是正することです。
     それは、いろいろ重大な間違いを伴なった食料が市販され、そして市販のままに調達するのは、そうした食料が、この筋違いな考え方にかなうからであって、そこをシカと反省して是正しなければ、食料当面の間違いを理解することも、その理解によって食料を吟味選択することもできないからです。

    (つづく)




10-07. 食料当面の間違いに対処するには(2)

     友成 左近 

     食料当面の間違いに対処して、めいめいなにより大切な健康を保持増進するには、前記のように、さしづめ日々の食料調達にあたって、その実状を、食料の諸要件をあげて吟味して、間違いを最小限にくいとめるように選択することが大切です。

     (なお、ここでは食料を、便宜上その加工段階によって類別してみることにしますが、まず原材料という場合は、収穫した自然のままのものだけでなく、たとえば小麦では、製粉のように、ふつうの家庭では実状至難な一次加工をしたものまで含めます。
     つぎに加工食品という場合は、たとえば乾メンのように、家庭の調理が簡便になるように二次加工をしたものであり、既製食品という場合は、たとえばインスタントラーメンのように、この加工が家庭の調理段階にまで及んだものです。)

    成分面について
     ところで食料の諸要件のうち、当面最も重大な要件として、まず第一に取り上げねばならないのは成分面です。
     それはいうまでもなく、食料は本来、健康を保持増進するために、そこに必要な栄養分をとりいれるためのものであって、この栄養分に利用できる成分が豊富であることが、食料の必須要件であるからです。
    (なお、もう一面、健康に障害を及ぼす有害有毒物は含まれていないことが食料の必須要件ですが、この安全面はつぎに取り上げることにします。)
     ところで、健康保持に必要な栄養分は、これまたいうまでもなく、エネルギー分や蛋白質や、これが栄養に利用されるときに必要なミネラルやビタミン、というふうに多種多様にわたっています。
     そして、こうした栄養分に利用できる成分が豊富であるのは、植物や動物だけですが、食料は、自然界の動植物のうちから、成分と安全や、味わいその他多面にわたる諸要件にかなうものを選定しているのであって、そこにはいろいろな種類があります。
     そして各種の食料には、その種類(さらにその部分)によって、成分の含有に、ほぼ共通した特色、とりわけ偏りがあります。
     従って毎日の食料には、その特色に従って、必要な栄養分がすべて十分とれるように、あれやこれやと取り揃えていくわけです。
     ところで食料は、自然界の動植物をただ採取するだけでなく、大部分は、栽培や飼育や養殖で供給をはかっています。
     そして市販にあたっては、収穫したままの原材料である場合もありますが、多くは一次二次三次と加工します。
     が、当節市販の食料には、この生産や加工によって、もともと含有していた成分が著しく低下しているものが多くなっているのです。
    (つづく)




10-08. 食料当面の間違いに対処するには(3)

     友成 左近 

    間違いの主要点
     まず材料では、収穫したままのものからして、たとえば野菜のハウス栽培や鶏のケージ飼育、あるいは化学肥料の偏重などのように、動植物の生理に副わない生産をして、本来含有しているはずの成分が多少とも低下しているもの(実際的には食品標準成分表の数値に達していないもの)が多くなっています。
     もっと重大なことは、主としてエネルギー分をとっている米や麦なども、また蛋白質をとっている魚や肉なども、殆んどすべて、米といえば白米、魚といえば切り身というふうに、高度に精製して、もともと含有していた成分、とりわけ各種のミネラルやビタミンを著しく損失しています。
     そして、米麦や魚肉などにもともと不足している各種のミネラルやビタミンを補足する野菜には、そうした成分が著しく貧弱なキャベツやハクサイなどの白色野菜が多く、それが豊富な青野菜は至って少なく、ダイコン葉やニンジン葉などは、それが格別豊富であるのに、おしげもなく切り捨てられている場合が多くなっています(ついていても家庭の調理で廃棄する場合が多いようです)。
     つぎに加工食品では、ましてや既成食品ではなおさら、より高度に精製して成分をますます損失しているものもありますが、大部分は、多かれ少なかれ、成分の著しく貧弱な代用品や、栄養分としては無効な増量剤がはいっています。
     そのうえ加工、とりわけ加工に使った薬品によって、ミネラルやビタミンを損失したもの、さらには摂食後も体内で消失するものが多くなっています。

     (なお念のため、加工に使う薬品とりわけ添加物は多くの場合、安全面や味わい面で取り上げられていますが、成分面でも重大な間違いを引き起こしている場合があるのであって、そのうち最も著しいのは重合燐酸塩です。
     これは、殆んどすべての既成食品に、主として安定剤に使われているのですが、摂食後も体内でカルシウムを消失するのです。
     そして、このカルシウムの摂取が実状著しく不足しているのです。)

    調達上の心がけ
     そこで、日々の食料調達にあたって大切なことは、食品成分表を(広く市販されている小冊子であり、また中学校や高等学校の家庭科教科書にも採択されているので)よくみて、こうした実状を詳しく理解して、めいめい生きた体に必要な栄養分が十分とれるように取捨選択することです。
     従ってそれには、加工食品とりわけ既成食品は実状できるだけさけて、つとめて原材料を、それも各種の成分、とりわけミネラルとビタミンが豊富なものを取り揃えて、調理は家庭ですることが大切です。
     そこで参考までに、そうした原材料のうち、毎日の主要食料に実状最も適切なものを(安全面も考慮にいれて)あげると、まずエネルギー分食品には、第一がジャガイモやサツマイモといった芋と玄米、第二が小麦粉や半つき米あるいは胚芽米であって、白米は極力排除することが大切です。
     つぎに蛋白質食品には、第一が大豆、第二がマルごと食べる小魚や鶏卵です。
     もうひとつ、こうした食品でも、なお不足している各種のミネラルとビタミンを補足する青野菜は、実状なにほども市販されていないので(市販されているものは殆んどすべて安全ではないので)、家庭栽培や委託栽培などに心がけて十分確保することが大切です。
     もしこれを怠って、市販のまま安易に調達していると、十分食べているつもりでも、実際にとれる栄養分は、エネルギー分や蛋白質に偏って、各種のミネラルやビタミンが著しく不足してきます。
     ために、せっかくとったエネルギー分も蛋白質も、この不足したミネラルやビタミンに見合う分しか栄養に利用されないので、実効的には栄養不足になり、そのうえ未利用分が栄養に障害を及ぼします。
     従って、体力とりわけ病気に対する抵抗力が低下して、あれこれと病気にかかりやすくなり、かかって医療をうけても、順調には治ってこないようになるのであって、日々の食料調達にあたって、ここのところをシカと理解もし自覚もすることが大切です。
    (つづく)




10-09. 食料当面の間違いに対処するには(4)

     友成 左近 

     食料当面の間違いに対処して、めいめいなにより大切な健康を保持増進するには、さしづめ日日の食料調達にあたって、その実状を、食料の諸要件をあげて吟味して、間違いを最小限にくいとめるように選択することが大切ですが、そのうち成分面については前記の通りです。

    安全面について
     つぎに、成分面と共に、当面最も重大な要件として取り上げねばならないのは安全面です。
     それはいうまでもなく、成分をよく吟味して、健康保持に必要な栄養分が十分とれるように選択しても、その食料に有害有毒物が含まれていては、とうてい健康は保てないからです。従って、まえにもふれたように、健康保持に必要な栄養分に利用できる成分を備えているのは、植物や動物といった生き物だけですが、このうち在来食料に利用しているものは、有効成分の含有以外に、味わいのよさや供給の便などもさることながら、なによりもまず、健康に障害を及ぼす有害有毒物が含まれていない(多少は含まれていても加工や調理で除去できる)安全なものだけです。そしてこれは、民族長年の経験によって選択してきたのはいうまでもありません。
     もうひとつ、在来食料に利用しているものには、こうした動植物以外に、食塩や重曹といった、ごく僅かな種類の無生物がありますが、これは、栄養分の摂取というよりも、食料の保存や調理に利用しているものです。そしてこれも、民族長年の経験によって、健康に障害を及ぼすおそれのないことが確認されているわけです。

     そして食料は、まえにもふれたように、自然界の動植物をただ採取するだけでなく、大部分は、栽培や飼育といった生産活動を営んで供給をはかり、市販にあたっては、収穫したままの原材料である場合もありますが、大部分は一次二次三次と加工をしています。ところで、こうした生産や加工は、他の動物ではみられない人類固有の知的活動であって、これによって食料は多種多様にわたって豊富になり、また(衣住その他についての知的活動とあいまって)地球上至るところで生活しているわけです。
     けれどもこの知的活動は、手ばなしで人類に幸福だけをもたらすものではないのであって、とくに最近は、この生産や加工の技術が急速に発達するにつれて、以前とは様変わった、いろいろ重大な間違いが伴なってきたのです。

    間違いの主要点
     その最も著しい点は、生産や加工に、新たに開発した多種多様の化学薬品を使い、それが食料に含有するようになったことです。そしてこれは、いずれも無生物であって、もともと食料として体内にとりいれる性質のものではなく、しかも食塩や重曹などのように、安全であることが確認されているものではなく、程度の差こそあれ有害有毒なものばかりです。従って、この使用は行政当局が監督して、許可したものだけを、所定の規準通りに使用することになっています。そして当節は、ひところのように毒性の強いものは使用できなくなっています。けれども、この許可にしても使用規準の作成にしても、「諸般の事情を勘案して」行なわれ、また使用の指導監督も不行届であるのが実情です。従って、現に許可されているものを、所定の規準通りに使用しているとしても、その食料は決して安全なものではなく、それ相当に有害有毒であることには変わりありません。

     まず農産物の栽培には、さらにその保存にも、病虫害の防除に、いわば当たり前のように新農薬があれこれと使われています。そして、これはいずれも、在来の除虫菊などとちがって、毒性が強いうえに、作物の内部に滲透して、しかも長期間、殺虫殺菌作用を及ぼすのです。ために農産物は、収穫したままの原材料からして、この農薬が多かれ少なかれ有毒なままに残留しています(そのうえ地域によっては公害物質にも汚染しています)。そしてこれは、内部に滲透しているので、洗っても皮をむいでも十分にはとれず、また生物ではないので、煮炊きで消毒することもできず、さらに病害虫を殺すだけの毒性がある以上、人体にもそれ相当の有毒作用を及ぼすことはいうまでもありません。

     つぎに畜産物の飼育には殆んどすべて、こうした農薬残留の飼料を使い、そのうえ、この飼料には、程度の差こそあれ有毒な保存料などを添加しているものが多く、さらに肥育促進や病気の治療に、これまた程度の差こそあれ有毒な薬品を使っているので、原料からして、こうした薬品が多かれ少なかれ有毒なままに残留しています。もうひとつ水産物では、外洋ものはともかく、内海ものや河川ものや養殖ものは、殆んどすべて程度の差こそあれ公害物質に汚染しています。

     さらに重大なことは、一次加工もさることながら二次加工では、ましてや家庭の調理段階にまで及んでいる三次加工ではなおさら、保存や安定に、また漂白や着色や艶つけに、さらに軟化や調味や着香に、あるいは増量に、程度の差こそあれ有毒な添加物が多種多様にわたって使われています。そのうえ加工の過程で、そこに使った有毒な薬品がまぎれこんだり残留したり、また包装用材中の有毒物がとけこんだりしている場合があります。




10-10. 食料当面の間違いに対処するには(5)

     友成 左近 

    調達上の心がけ
     そこで、日々の食料調達にあたって大切なことは、こうした間違いの実状を、新聞その他の情報を参考にして詳しく理解すること、そして、ひとつひとつの食品をよく吟味して、安全度のより高いものを取捨選択することです。
     従ってそれには、成分面と同様に、加工食品とりわけ既製食品は極力さけて、つとめて原材料を、それも安全度のより高いものを取り揃えて(そうすれば成分面の場合と同様に、芋と大豆が第一位になるのが実状ですが)、調理は家庭ですることが大切です。が、栄養摂取上必要不可欠な青野菜は、殆んどすべて危険度が高いので、家庭栽培や委託栽培に心がけて、安全なものを十分確保することが大切です。

     そして、実状やむをえず加工食品や既製食品を使う場合は、品質表示その他に注意して、実状できるだけ安全度の高いものに限ること、従って、もしそうしたものが調達できない場合は(とくに療養中は)他の安全なもので代用することが大切です。
     けれども、こう心がけても、日々それ相当量の有毒物を食べこむことはまぬがれないのが実状です。そこで大切なことは、成分面について前記のように心がけて、この有毒物の作用に抵抗できるだけの体力を養なうこと、また、食べこんだ有毒物の排泄を促進するように、線繊の多いもの(とりわけ青野菜)を沢山食べて便通をはかることです。

     もしこれを怠って、市販のまま安易に調達すると、とりわけ家庭の炊事を省略して既製食品に依存すればするほど、それだけ有毒物を多種にわたって多量に食べこむようになります。そしてこうした有毒物は、殆んどすべて体内に蓄積し、しかも相乗的に作用するものが多いのです。従って、さしあたりどうこういうことはなくても、やがては必ず中毒作用があらわれて、まっ先に冒されるのが肝臓や腎臓や神経などです。
     そして、いったん冒されると容易に治ってこない場合が多いのであって、日々の食料調達にあたって、ここのところをシカと理解もし自覚もすることが大切です。当節市販の食料には、いろいろ重大な間違いが伴なっているので、そこに対処して健康を保っていくには、さしづめ日々の食料調達にあたって、その実状を、食料の諸要件をあげて吟味して、間違いを最小限にくいとめるように選択することが大切であって、そのうち成分面と安全面については前記の通りです。

    味わい面について
     ついで第三は味わい面ですが、味わい面の間違いというのは、おいしくなくなった、まずくなったということです。が、それはひっきょう、原材料では、その持ち味が劣ってきたことであり、加工食品や既製食品では、この持ち味が、引き立てられていないこと、逆に引き倒されてもいることでしょう。
     従って、味わい面の間違いは、成分面や安全面のように、健康に直接そう深い関係はないのですが、日々の食事に、心理的に極めて重大です。
     ところで、まえにもふれたように多種にわたる動植物のうちから、ある種のものを食料に選定しているのは、成分が優れていると共に安全であるからですが、もうひとつ、それぞれ備えている味わいが賞味の欲求にかなっているからです。そして、この賞味の欲求と、食料それぞれの持ち味とその優劣を味わいわける感覚は、人々だれにも生理的生得的に共通して備わっているので、持ち味の優れたものは、だれにもおいしく、劣ったものはまずく、そして、おいしいものが食べたく、まずいものは食べたくない、という欲求が極めて根強いのです。

    好みにあっていても持ち味が劣っていると
     とはいうものの、ことはそうは一本調子でないのが実情です。人間は他の動物とちがって、味わいわける感覚が、生得的に完備しているのではなく、生後の食生活でだんだんと発達もし変化もするので、その実状によって、めいめい偏ってきて、食料それぞれの持ち味やその優劣を、正確には味わいわけることができない場合があります。
     そして賞味の欲求も同様に、生後の食生活でだんだんと発達もし変化もするのですが、その間に、めいめいその実状によって、心理的感情的に着色した好みに変容してきます。そして、生来食べなれてきたものが、好みにあっておいしく、食べなれていないものは、まずくて嫌いになるのですが、そのおいしいものが、持ち味もまた優れているとは限らないのです。
     それに食料は、栽培や飼育をして供給をはかり、さらに加工や調理をして食べるので、この好き嫌いが、人その人によって、ますます異なってきます。
     が、人間「感情の動物」であって、その好き嫌いには、成分面や安全面を、従って健康のことを度外視してまで執着します。けれども、食料それぞれの持ち味を賞味する欲求は、微弱ながらも生理的生得的に備わっているので、持ち味の著しく劣ったものばかり食べていると、それがどんなに好みにあっていても、日々の食事が、どうもシンソコ満足できず、もっとうまいものはないかと貧るようになります。
     それに、持ち味の著しく劣ったものは、実状、成分面でも劣ったものが多いので栄養分が十分とれないため、日々十分食べているのに、なおなにかもっと食べたく、生理的にも心理的にも「飽食飢餓」状態に陥るようになります。

    持ち味が劣ってきたのは
     ところで、当節市販の食料には、持ち味の劣ったものが多いのですが、その事由は要約こうでしょう。

       まず第一に、戦中戦後の食料欠乏時代に味わいなどはいっておれなかったことが緒をひいて、食料それぞれの持ち味を味わいわける感覚も、それを賞味する欲求もマトモに発達せず、世にいう味オンチになっている人々が多いことです。そしてこうした人々は、食料選択にあたって、味わいの優れたものよりも(また成分面や安全面で優れたものよりも)見た目の形や色合いのよいものや高度に精製加工したものに重点をおき、また世間の評判や流行に従う傾向が強くなっています。そして調理にあたっては、砂糖や塩などで濃厚に味つけし、また、よく味わいながら食べない傾向が強くなっています。

       そして第二に、食料が衣料その他の一般商品と同列視されて、その生産も流通も全国的な大規模になり、従って、みずから食べて賞味するもの、ひとにもおいしく食べてもらうもの(そして健康を保つもの)というよりも、専ら営利が目的になっていることです。従って農産物は、品種の選定も栽培や取入も、その持ち味などより、ひたすら量産をはかったり、見た目の形や色のよいのを作ったり、また季節はずれにハウス栽培をしたり、さらに手数をおしんで化学肥料や農薬に依存したりなど、作物それぞれの生理に副わないムリなことをしているため、原材料からして、その本来の持ち味が劣ったものが多くなっています。また畜産物でも、こうした点ほぼ同様です。




10-11. 食料当面の間違いに対処するには(6)

     友成 左近 

     つぎに加工食品では、不用不当に洗浄したり精製したり、さらにパック詰にしたりして、もともと備えていた持ち味が損失したものが多くなっています。
     さらに既製食品では、もともと持ち味の劣ったものを使ったり、なお劣った代用品や、味わいの全くない増量剤を加えたり、従ってその味わいを補強するため、あれこれと添加物を使ったものが多くなっています。が、いずれも、ごまかした味わいであって、なんとも不快なものです(そのうえ危険なものです)。
     といって、こうした味わいに慣れて、というよりも食品企業に飼い慣らされ、別にそう不快とは感じなくなっている人々もありますが、賞味の欲求がシンソコ満たされていないのは、まえにふれた通りです。

    調達上の心がけ
     そこで、日々の食料調達にあたって大切なことは、こうした事由を詳しく的確に理解もし反省もして、前記の成分面や安全面の場合と同様に、加工食品とりわけ既製食品は極力さけて、つとめて原材料を、それも見た目のよさや世間の評判や流行よりも、持ち味の優れたものを(これがよく分かっている人に相談して)選択すること、実状やむをえず既製食品を使う場合は、できるだけ持ち味の優れたものを、従ってまた添加物は使っていないものを選択することです。
     そして、その持ち味が引きたつように家庭で調理して、よくかみしめて味わいながら食べることです。そうすれば、それ相当に日にちはかかりますが、だんだんと食料それぞれの持ち味がよく分かるようになり、また賞味の欲求がマトモになって、毎日の食事がシンソコ満足できるようになります。
     が、念のため、ここで実情とくと留意することが大切なのは、栄養摂取上それ相当量に必要な青野菜は、事情が許す限り家庭栽培や委託栽培にまで心がけて、持ち味の優れたものを確得して、毎日おいしく十分食べることです。
     もうひとつ、添加物を使ったものは、それが舌にピンとくるようになるまで、極力食べないことです。なおもうひとつ、たとえば米は、玄米より白米が多くの人々の好みに合っていますが、成分面では著しく劣っています。が、この好みは、玄米をちょっとやそっと食べ続けても、容易に変わってこないのが実情です。
     そしてこうしたことは、その他の食料についても同様であって、この好みというものと、従って、それに副うように品種改良もし、精製加工もすることは、人間のゴウのようなもので、容易にまぬがれないのが実情です。であれば、そこはみずから戒しめて、そうした実情に安逸しないことが大切です。

    (つづく)




10-12. 食料当面の間違いに対処するには(7)

     友成 左近 

     当節市販の食料にはいろいろ重大な間違いが伴なっているので、そこに対処して健康を保っていくには、さしづめ日々の食料調達にあたって、その実状を、食料の諸要件をあげて吟味して、間違いを最小限にくいとめるように選択することが大切ですが、そのうち成分、安全、味わい、価格の諸面については前記の通りです。

    供給面について
     ところで、食料の要件にはこの他いろいろありますが、そのうち当面ぜひ取り上げてみなければならないのは供給面です。
     それはいうまでもなく、なにぶん食料は、生活必需品のうちで、人生なにより大切な健康に最も深くかかわっているので、前記のように、成分が優れ、そして安全で、味わいも優れたものであり、さらにそうしたものが、広く人々に、家計でそうムリせずに調達できる値段であると共に、もうひとつ、すべての人々に必要なだけ十分供給されなければならないからです。
     が、当節は、前記のようにいろいろ間違いは伴なっているものの、多種多様にわたって豊富に市販されているので、供給面には一応そう重大な問題はなく、見方によれば、しごくけっこうなことでしょう。
     けれども、その国内自給率が、いうなれば史上未曽有に、著しく低下しているのであって、これは重大な問題です。
     ところでこれは、国の政治の基調に深くかかわっているので、消費者としては、その是正に、日々の食料調達で有効な手がうてず、広く社会的政治的に運動をすすめなければなりません。
     が、こうしたことは本紙になじまないので、ここでは、いわばことの序に、その事由や、それがはらむ問題点を簡単にあげてみることにしましょう。

    自給率低下の事由
     まずその実状を、食料の基本として最も重要な穀物についていうと、飼料も含めて、米を除けばいずれも、その大半を、なかには殆んどすべてを輸入に依存して、自給率約40%で、先進工業国のうちで最低になっています。
     そして、大豆や麦などの主要穀物の生産組織は荒廃しています。
     その事由は、ひと口でいえば、敗戦以来の国政の基調が、うたい文句はいろいろあったものの、明治維新以来の「富国強兵」から強兵をはずした、富国だけの経済的繁栄になり、それが、資源小国論と国際分業論のもとに、近代工業と貿易の拡大にあることです。
     従って、そこに各種の企業が急速に増大して、その労働者を主として農村に求め、また工場用地にも農地を転用した場合が多かったため、農業従事者も農地も急減してきたわけです。
     そして食料は、その特性を考慮せず、衣料その他の一般商品と同列に扱って、国内産より安価であれば外国産を輸入し、また工業製品の輸出の見返りにも、外国産を輸出したため、農産物の生産縮減が強いられたわけです。
     ために、食管法のもとに戦時中から特別に扱われている米だけは自給率100%ですが、米と共に重要な大豆や麦は自給率数%になり、従ってその生産組織が荒廃したわけです。
     また米も、過剰米の名のもとに減反が強いられて、生産組織に衰微がきざしています。
     もうひとつ農政では、農業は工業と生産方式が著しく異なっているのに、近代工業の生産方式を模倣して、専業化、大規模化、機械化を、従ってまた化学肥料や農薬の多用を(これも見方によれば近代工業の拡大のために)推進していることです。
     ために、有畜農業がその姿を消し、従ってまた畜産では(これも専業化、大規模化、施設化を推進して)飼料の穀物依存率が高くなって、その輸入が急増して、自給率約30%と急減したわけです。
     また、厩肥の不足によって、(連作や化学肥料と農薬の多用ともあいまって)地力が著しく低下して、生産に危険信号があらわれている農地が増加しているしだいです。

    自給率低下のはらむ問題
     ところで、こうした自給率低下はいろいろ重大な問題をはらんでいるのですが、その主要点はこうです。

      まず第一に、  食料の輸入がこれまで順調であったのは、平和憲法のもとに対外的に紛争が起こらず、また外国間の紛争にも幸い輸入が妨げられなかったからです。
       そしてこうした点、食料輸入をまかなう外貨をかせぐ加工業の、原料や動力源の輸入と製品の輸出についても同様です。
       けれども、こうしたことが、わが国がどんなに希求しても、今後とも必ず長く続くという確実な保証があるわけではありません。
      また第二に、  加工業の原料も動力源も殆んどすべて輸入に依存しているのですが、そこには相手国のあることで、すでに石油で経験しているように、ものによっては、今後その輸入が、数量的にも価格的にも、これまで通り順調にいかなくなることが予想されます。
       また、工業製品の輸出がこれまで順調であったのは、その品質が優れ、そして安価であったからですが、それは、わが国の工業技術が発達し、それに広く国民が勤勉であったからであり、また公害をたれ流して生産していたからです。
       けれども、これまで通り公害をたれ流すことは、国民健康上、もはや許されないので、それだけ高価になってきます。が、もっと重大なことは、すでに繊維産業で経験しているように、輸出相手国とりわけ後進国が、技術が発達して、品質や価格や生産量で、わが国を追い越して、これまで通り順調に輸出できなくなるものがあることが予想されます。
       また、現に自動車などで兆しているように、品質が優れ、そして安価であり、さらにサービスも行き届いていても、輸出相手国が、国内産業を保護するために、輸入を抑制するものがあることが予想されます。
      さらに第三に、  食料の輸入がこれまで順調であったのは、その輸入相手国に凶作がなかったからです。が、なにぶん農業は自然相手のことで、豊作の年もあれば凶作の年もあるので、輸入相手国が今後ときに凶作にみまわれるかも知れません。
       そして、もしそうなった場合、数量や価格の点で、これまで通り輸入できなくなるものがあるのであって、これはすでに大豆で経験した通りです。
      そして第四に、  食料は、生活上必要不可欠な度合が、衣料その他の生必品とは格別に高く、これが欠乏した時の困窮は、その他の生必品の比ではなく、これはさきの戦中戦後に経験した通りです。
       そのうえ食料は、衣料などとちがって、保管にどんなに注意しても、品質が低下して食料に使えなくなる度合が高く、それに年間必要量が莫大であるため、凶作に備えて十分蓄えておくことが至難です。
       従って、もし凶作になった場合、必然自国民の食料が不足してくるのですが、そうなったとき、それをギセイにして輸出するようなことは、決してしないのが食料というものです。
      そこで第五に、  もし必要なだけ十分輸入できないときは、必然国内で生産しなければなりませんが、それには農地、種子、人員、技術その他多面にわたる生産組織を良好な状態で保持していなければ、とうてい間に合いません。
       そして、もしこれを怠ると間もなく荒廃し、いったん荒廃すると、再建には相当の年数がかかるのですが、大豆や麦などの主要食料の生産組織はもうすでに荒廃し、米にも衰微が兆しています。
      そして第六に、  もし主要食料が欠乏してくると、いうなればナリフリかまわず他国に依存するようになりますが、もしそうなった場合、当面の国際関係では食料が政略に利用されて、経済的にも政治的にも、ときには軍事的にも、その国に従属して支配されるようになるおそれがあるのであって、これは人間どうにもガマンできないことです。
     ところで、この他いろいろ問題をはらんでいるのですが、こうみてくると、いささか杞憂にすぎるかも知れません。が、食料の供給確保には、その特性上、万全の策が必要なのです。
     従って国政の基調に、当面まず第一に肝要なことは、平和の維持と共に、どんな事態が起こっても、国民ひとしく最低限の栄養はまかなえるだけの基本食料は、国内でほぼ自給できるように、その生産組織を再建して、良好な状態で保持することです。そしてこれは、これまでの実績から、その研究や指導その他の施策に必要な予算と人員を、これまで米に、また近代工業にそそいできた通りにそそげば、決して不可能ではありません。
    (つづく)




10-13. 食料当面の間違いに対処するには(8)

     友成 左近 

     当節は、食料が多種多様にわたって大量に市販され、また広く人々の生計も向上して、どことも食事が豊かになっています。
     が、そこにはいろいろ重大な問題が伴ない、それがひとつの重大な原因になって、医療の進歩普及にもかかわらず、その効果が予防にも治療にも及びがたい厄介な病気にかかる人々が増え、また1億半病人ともいわれるようになっています。
     そこで、人生なにより大切な健康をはかるには、さしづめ日々の食料調達にあたって、前記のように、その実状を、成分、安全、味わい、価格、供給といった食料の諸要条件をあげて吟味して、間違いを最小限にくいとめるように選択することが大切です。

    吟味選択が容易でないのは
     けれども、こうした吟味選択が実情そうは容易でないのであって、その事由は要約こうでしょう。
     まず第一に、こうした吟味選択は、食料市販という経済の流れに抗していくわけであるため、その流れに即して、そこにはこういう間違いが伴なっているので、という適切な情報が必要ですが、これが新聞その他で広く行き届いて提供されていないことです。
     そして第二に、この経済の流れが強力であって、いろいろ間違いが伴なっていても、おかまいなしに流れていき、それに抗するよな情報が、ちょっとやそっと提供されても、推し流してしまうことです。
     さらに第三に、人々だれしも、ほかならぬ人間であれば、食料に多少とも筋違いな考え方をいだいているのですが、それが最近の社会・経済の変様につれて、広く人々に増幅もし露呈もしてきたことです。
     従って、食品企業が、そこに迎合もし刺激もして、あれこれと目先を変えた食品を、光明に宣伝して売りこんでいるのですが、それにはいっこうに抵抗せず、けっこうなご時勢と、市販のままに調達していく場合が多いのです。
     また、それに抵抗する吟味選択に必要な情報が提供されても、とかく自分のいだいている考え方が先立って、マトモに受けいれない場合が多いのです。
     そこで、日々の食料調達で前記のように吟味するには、その前提として、この筋違いな考え方を確かと反省して是正することが大切であって、そのうち実情とくに大切なのはつぎの通りでしょう。

    高級低級観について
     まず第一に、貴賎感や高級低級観についてです。
     人間生活には社会的な慣習があるのですが、こと食料については、高貴な方は高級品を、下賎の身は低級品を、といった慣習があって、食料に貴賎感や高級低級観といった社会的な評価が付随しています。
     そして、人々だれしも内心、高貴な方のように高級品を、と志向しているのですが、以前は人々に平等意識がうすく、また社会の民主化もすすんでいなかったため、志向通りにはいかなかったのです。
     が、とくに戦後は社会の民主化がすすんで、「貧乏人は麦飯をくえ」といって大臣の地位が云々されたように、広く人々に平等意識がたかまり、また賃金その他の収入の格差も緩和してきたので、かねての志向通り高級品を食べる人々が急増してきました。
     そして、それに答えもし刺激もして、高級品が多種多様にわたって大量に市販され、低級品はなにほども市販されないようになっています。

    是正が必要なのは
     ところで、この高級品というのは、たとえば精白米と粗搗米、白砂糖と黒砂糖、ハマチとイワシ、大根のネッコとハッパ、見た目の立派なものと粗末なもの、あるいは料理店の料理と家庭の料理などで分かるように、要するに人手が余計にかかっているものです。
     そして、味わいや消化の点はともかく、もともと備えていた成分が著しく損失したものや、もともと備えている成分が著しく劣ったものや、成分には大差のないものであり、そして総じて、より高価なものです。
     けれども、そこを確かと理解もせず反省もしないまま、けっこうなご時勢と、専ら高級品ばかり調達する人々が多くなっています。
     また、そこを多少とも理解している人々は、たとえば白米飯を食べてビタミン剤をと、それで不足する成分は栄養剤で補なうのが(十分補なえないことは理解せずに)、高級で文化的な食べ方と考えて、しごく安易に栄養剤を使い、従って、それに迎合もし刺激もして、各種各様の栄養剤が大量に市販されています。
     けれども、生きた体に必要な栄養には、自分の貴賎とは無関係な自然の厳然とした法則があるのであって、高級品ばかり調達していては栄養は十分まかなえず、あれこれと病気にかかる素地になります。
     そこで日々の食料調達で大切なことは、そこを確かと理解もし反省もして、世にいう貴賎観や高級低級観にわざわいされることなく、本当に成分の優れたものを選択して、味わいも消化もよくなるように調理や食べ方を工夫することです。

    (つづく)




10-14. 食料当面の間違いに対処するには(9)

     友成 左近 

    是正が当面とくに重要な野菜と米について
     なお念のため、こうした是正が当面とくに重要なのは野菜と米についてです。
     まず野菜は、栄養上必要不可欠なのですが、このうち成分が最も優れているのは、たとえばコマツナなどのように、なかのなかまで緑色の濃い青野菜です。そして、栄養を十分まかなうには、この青野菜を毎日それ相当量食べなければならないのであって、その他の野菜ではとうてい間に合わないのです。
     が、野菜といえば当節、キャベツやハクサイ、レタスやトマトなど、成分の著しく劣ったものを高級品として好んで食べ、青野菜は低級品として嫌って、なにほども食べていないのが実情です。わけてもダイコン葉やニンジン葉などは、青野菜のうちでも成分が格別優れているのに、下賎の食べる低級品として見向きもされないのです。

     従って、これでは栄養は十分まかなえないのであって、こうした考え方はぜひ是正して、野菜には、まず第一に青野菜を選び、大根などを調達するときは、必ずハッパが沢山ついたものにすることが大切です。もうひとつ、形のいびつなものやムシのくったものなどは、とくに低級品として気嫌いされ、従って市販品は見た目の立派なものばかりです。けれども野菜は、危険な農薬を使わずに栽培すれば、どんなに注意しても、多少ともムシがつき、また特別に手数をかけなければ、なかには形のいびつなものができるのです。
     従って、見た目の立派なものは、別に成分が優れているわけではないばかりか、農薬を使っているので、程度の差こそあれ有毒化し、また栽培や選別に特別な手数をかけているので、それだけ高価になっているのであって、これを高級品として選ぶ考え方は早急に是正して、見た目よりも安全で安価なものを選択することが大切です。

     つぎに米は、副食が豊かになったため、ひところよりは少なくなっていますが、殆んどすべての家庭で、やはり主食として最も多量に使われています。そして、これは白米ですが、それを別に高級品とは考えず、米といえば白米、ということになっています。が、それは大正末、いな戦後のことで、それまでは高貴な方の食べる高級品であって、広く人々のあこがれであったのです。けれども白米は、成分が著しく偏っているため、広く人々が白米を食べるようになるにつれて、カッケその他のビタミン欠乏症が蔓延してきたのであって、白米を主食として多量に食べる限り、このビタミン欠乏症はまぬがれないのです。そこで大切なことは、米といえば白米、という考え方はぜひ是正して、早急に玄米にすること、精米にするとしても半つき米か胚芽米までにすることです。




10-15. 食料当面の間違いに対処するには(10)

     友成 左近 

     当節市販の食料にはいろいろ重大な間違いが伴なっているので、そこに対処して健康を保っていくには、さしづめ日々の食料調達にあたって、その実状を、食料の諸要件をあげて吟味して、間違いを最少限にくいとめるように選択することが大切ですが、そのうち成分と安全と味わいの三面については前記の通りです。

    価格面について
     ついで第4は価格面についてですが、価格面の間違いというのは、高価であるということです。が、これは前記の三面と意味あいがちがって、食料それ自体の性質よりも、人間の側の経済的な側面にかかわることであって、その高い安いは、ひっきょう人その人の家計の貧富や、食費支出についての考え方にかかわることです。
     ところで食料は、人々めいめいなにより大切な健康に直接深くかかわるものであり、また、おいしいものを食べることは、人々だれにも人生最大の楽しみであって、生活必需品のうちで最も重要なものです。従って食料は、成分が優れ、また安全で、さらに味わいも優れていると共に、もうひとつ、そうしたものが広く人々に、家計でそうムリせずに買える値段でなければなりません。けれども当節、そうではないのであって、高くて困るというのが広く人々の実感です。

    高価な事由
     それにはいろいろ事由があるわけですが、要約すれば食料は、生産も流通も、衣料などのように専ら営利を目的にした一般商品には、その性質上なじみにくいところがあるのですが、当節の社会経済では実情不可避的とはいえ、一般商品と全く同列視され、従って、食品大企業があらわれて、全国的大規模で取り扱われているからであり、そして人々も、それに安易に依存しているからでしょう。
     従って、加工食品とりわけ既製食品がますますもって多種多様にわたって大量に市販されています。そしてそれが、広く人々の好みに(これにはいろいろ間違いが伴なっているのですがそれは度外視して)迎合もし刺激もして不安不当なまでに加工もし包装もし、また盛んに宣伝されています。ために、家庭の炊事に手数はは省けるでしょうが、それだけ(原材料に比べてはるかに)高価になっています。
     それに殆んどすべて、生産原価を引き下げるために、粗悪材料を使ったり、代用品や増量剤を加えたり、従って見た目のよさや味わいを補ない、また保存をはかるため、あれこれと添加物を使っているので、それだけ成分や味わいに比べて高価になっており、そのうえ危険なものにもなっています。
     また原材料も、まず水産物では、人々の高級品志向に迎合して、たとえばハマチなどのように、イワシやサバなどの大衆魚を飼料にした養殖ものが多くなっていますが、それだけ高価になっているだけでなく、ために大衆魚が少なくもなり高価にもなっています。
     また畜産物では、ただひたすら増産をはかるため、あたかも工場のような大規模施設で、その生理にそわないムリな飼育をしているため、多量に市販されてはいますが、成分や味わいに比べて高価になり、そのうえ危険なものにもなっています。
     さらに農産物では、人々の初もの志向や季節度外視に迎合して、たとえば冬場のキウリなどのように、特別の施設や燃料や手数をかけて栽培し、それだけ高価になっているものが多くなっています。また広く野菜では、人々の見た目のよさ好みに迎合して、成分や安全や味わいよりも、ただひたすら見た目がよくなるように、特別に手数をかけ、また危険な農薬も使って栽培し、さらに選別して、それだけ高価になり、また危険なものにもなっているのが多くなっています。そのうえ不要不当な洗浄その他の処理までして、それだけ高価になり、しかも成分も持ち味も著しく損失したものが多くなっています。従って、在来通り季節にあわせて栽培した、安価で、成分も持ち味も優れ、また農薬は使わない安全なものが、なにほども市販されないようになっています。
     そしてこうした点、果物についても、さらに広く農産物についても同様です。もうひとつ、冷凍その他の保存技術と、輸送機関や物流システムの発達に伴なって、全国的大規模で流通するようになっています。従って、供給はよほど安定してはいますが、そこには実状不要な経路が多く、また企業が高値操作もするため、それだけ高価になっています。そして当節、多種多様にわたって豊富に市販されているのに、なんとも高価であるのは、実は主としてこうした流通に基因しているのであって、生産者価格はそう高くはないものが多いのが実状です。

    調達上の心がけ
     そこで消費者としては、こうした間違いを是正するため、生協や産直その他広く社会的政治的な活動を推進しなければなりませんが、さしづめ日々の食料調達にあたっては、要約つぎのように心がけることが大切です。
     まず基本的な心がけとしては、ただ安易に市販のままに調達することなく、本当に成分が優れ、また安全で、さらに味わいも優れたもの、そしてそのわりに安価なものをと、よく吟味して選択することです。
     そして、こうした食料への支出はおしむことなく、代わりに、その他の食料には、さらに広く生活各面でも、心身ともに健やかに生活していくのに、そう必要でないもの、ましてや不要有害なものへの支出をひかえることが大切です。
     従って、加工食品とりわけ既製食品や、世にいう高級品や初ものや季節はずれのものは極力さけて、余計な人手のかかっていない季節の原材料を調達して、調理は家庭ですること、そして、その手数はおしまないことが大切です。そして、食料それぞれの栄養上のねらいを考えて、たとえば主として蛋白質をねらっている牛肉が高くなったときには、不平をいいながらも調達することなく、そこは適宜、豚肉や鶏肉や鶏卵に、さらには大豆にというふうに、栄養円価の安いものに切り替えること、そして、それで食事がけっこう楽しめるように調理を工夫し、また好みに幅をつけることが大切です。
     その他いろいろありますが、念のためもうひとつ、良質で安全な青野菜は(人々の好みに合わないためか、物流システムに乗りにくい軟弱野菜であるためか)、なにほども市販されていないのですが、栄養上それ相当量に必要不可欠であるので、事情が許す限り家庭栽培に、あるいは少々高価についても委託栽培に心がけて、必要なだけ十分調達することが大切です。もしこれを怠ると、せっかく家計に工面して調達した食料が、栄養には十分利用されないため、それだけムダになり、そのうえ未利用分が健康に障害を及ぼすからです。




10-16. 食料当面の間違いに対処するには(11)

     友成 左近 

     当節市販の食料にはいろいろ重大な間違いが伴なっているので、そこに対処して健康を保っていくには、さしづめ日々の食料調達にあたって、その実状をよく吟味して、間違いを最少限にくいとめるように選択することが大切ですが、その要領は最初の六稿でみた通りです。
     そして、その前提要件として大切なことは、めいめい食料にいだいている筋違いな考え方を反省し是正することであって、そのうち貴賎観や高級低級観については前稿でみた通りです。

    好嫌感について
     ついで第二は好嫌感についてです。人間「習慣の束」であると共に「感情の動物」であって、こと食料については、めいめい生来食べ慣れてきたものを好み、そうでないものは嫌う、といった好嫌感をいだいています。
     従ってこれは、人その人によって異なり、また前記の高級低級観のような社会的評価とは意味あいがちがっています。
     が、人間「社会的動物」であって、人々だれしも社会的に模倣もし同化もされ、また高貴を志向するので、めいめい好き嫌いなものが、世にいう高級低級なものと共通する場合が多く、また人々の間でもかなり似通っています。
     が、それはともかく、以前は市販の食料に種類が少なく、また広く人々の生計も豊かでなかったため、食料の選択範囲が限られ、従ってまた、好き嫌いをいわず、なんでも食べるようにという外的規制や自戒が強かったので、好嫌感のままに選択するような人々は少なかったのです。
     けれども、とくに戦後は国民経済が発達するにつれて、市販の食料が多種多様にわたって豊富になり、また広く人々の生計も向上し、さらに社会の民主化自由化が進んで外的規制も自戒もゆるんできました。
     従って、好きなものを食べて楽しむのが人生であるとか、それで不足する成分は栄養剤で補なえばよいとか、あるいは好きなものが身につくとかいって、好嫌感のままに食料を選択する人々が増え、それにつれて市販の食料が、広く人々の好むようなものばかりになり、そうでないものはなにほども市販されないようになってきました。

    是正が必要なのは
     ところで、広く人々が好んで食べているのは、主要食品としては、高度に精製した米麦や切り身の魚や肉などであり、嗜好食品としては、甘い菓子や飲み物や酒、あるいは果物であって、果物以外はいずれも、成分がエネルギー分や蛋白質にひどく偏っています。
     が、こうした成分が栄養に利用されるには、各種のミネラルやビタミンが必要なのですが、これが多い野菜、とりわけ格別豊富な青野菜は、とかく嫌って、なにほども食べず、食べているのは、そうした成分が貧弱なキャベツやハクサイなどであり、それも、つけあわせ程度に少量である場合が多いのが実状です。
     けれども、生きた体に必要な栄養分には、そうした好嫌感とは無関係な、自然の厳然とした法則があるのであって、好嫌感のままに食料を選択していては、とうてい必要な栄養分は十分まかなえません。
     従って、好きなものが身につくといっても、食欲や消化の促進に多少の心理的な効果はあっても、もともと成分がひどく偏っている以上、とうてい必要な栄養分が十分まかなえないのはいうまでもありません。
     また、好きなものを食べて、それで不足する成分は栄養剤で補なうといっても、その栄養剤は既知の成分のごく一部分であり、不足している成分は既知未知にわたって数多いので、それがたとえ有効なものであっても(実際はそれほど有効でないのですが)、とうてい必要な栄養分は十分まかなえないのです。

    (つづく)




10-17. 食料当面の間違いに対処するには(12)

     友成 左近 

     従って、好きなものを食べて人生を楽しもうとしても、食欲はもともと、生きた体に必要な栄養分をとるための生理的・心理的な欲求です。
     ために、好きなものばかり食べていては、必要な栄養分が十分まかなえない以上、食欲はシンソコみたされず、「飽食飢餓状態」に陥って、なにかもっとうまいものはないかと、たえず言い知れぬ不満をいだくようになります。
     もっと重大なことは、必要な栄養分が十分まかなえなければ、必然あれこれと病気にかかる素地ができ、やがては病気にかかります。
     そして、そうした素地がある以上、医療をうけても容易に治らず、治っても、またかかるので、人生をたのしむどころではなくなってしまいます。
     そこで日々の食料調達で大切なことは、好嫌感のままに選択していては、とうてい健康は保てないことを確かと理解もし反省もすること、そして、めいめい生きた体に必要な栄養分を十分まかなうには、どんな食料をどう取り揃えなければならないか、好嫌感は一応タナあげして、すなおに理解して、極力その通りに選択することです。
     そしてこうした理解には、中学校や高等学校の教科書でけっこう用が足りるのです。

    是正で当面最も重要な青野菜について
     なお念のため、この是正で当面最も重要なのは青野菜についてです。
     生きた体に必要な栄養分は、大別すると、エネルギー分と蛋白質と、これが栄養に利用されるのに必要な各種のミネラルとビタミンです。
     が、このうちエネルギー分や蛋白質の多い食料は、米、麦、芋、豆や、魚、肉、卵、大豆などと種類が多いので、そこに好き嫌いが多少はあっても、(日々の食料調達や人々との会食などで少し不自由はあるものの)貧困その他特別な事情がない限り、そうした成分が不足するようなことはないのが実状です。
     けれども、こうした食品には各種のミネラルやビタミンがあれこれと不足し、それも、いろいろ取り合わせても、なお不足するのであって、それを補なうには、それが多い野菜や果物がぜひ必要なのです。
     といって、このミネラルやビタミンが、各種にわたって、すべてもれなく豊富なのは、コマツナやダイコン葉などのように、なかのなかまで緑色の濃い青野菜です(ただしホウレンソウの類はカルシウムの吸収が劣るので除外)。
     そして、これを毎日それ相当量食べなければ、必要なだけ十分補なえないのであって、その他の野菜、わけてもキャベツやハクサイやキウリなどでは、成分が貧弱であるため、実状どんなに沢山食べても十分補なえず、果物ではなおさらです。
     ところで、この、その他の野菜もさることながら、とくに青野菜は、多くの人々が嫌って(1日あたり50g以下と)なにほども食べていないのであって、ために、あれやこれやのビタミンあるいはミネラル欠乏症にかかっている人々が多いのが実状です。
     そこで、人生なにより大切な健康をはかるには、まずもって青野菜(それも安全なもの)を、たとえどんなに嫌いでも、とにかく毎日必要なだけ十分(実状めいめい体重の1%以上、従って青汁にして)食べることが大切です。
     そうすれば、ただそれだけで必要な栄養分がほぼ十分まかなえて、それまで味わったことのない健康感をおぼえ、また食欲もシンソコみたされるようになります。
     そして、やがてはこの青野菜がそう嫌いではなくなり、また好きにもなり、とにかく毎日それ相当量食べなければモノ足りなくなるのであって、これが食料についての好嫌感というものです。

    (つづく)




10-18. 食料当面の間違いに対処するには(13)

     友成 左近 

     当節市販の食料にはいろいろ重大な間違いが伴なっているので、そこに対処して健康を保っていくには、さしづめ日々の食料調達にあたって、その実状をよく吟味して、間違いを最小限にくいとめるように選択することが大切であって、その要領は最初の六稿でみた通りです。
     そして、その前提要件として大切なのは、めいめい食料にいだいている筋違いな考え方を反省し是正することですが、当面とくに重要なもののうち、貴賎観や高級低級感と好嫌感については前二稿の通りです。

    季節度外視について
     ついで第三は、季節の度外視ですが、これは水産物もさることながら、主として農産物とりわけ野菜についてです。
     いうまでもないことながら、農産物はそれぞれその生理に適合した季節に栽培して収穫するので、四季によって気温その他の時候の差が大きく、それがだんだんと移り変わっていくわが国では、いろいろ多種にわたって作られています。
     そしてこのうち、とくに野菜や果物は四季折々にいろいろなものが作られて、それが、とりわけその旬の持ち味が季節の食味のシンボルになっており、また、ミネラル・ビタミン食品に年中そうこと欠がないようになっています。
     が、これは穀物や豆や芋などとちがって保存がきかないため、季節の変わり目に端境が起こりやすく、とくに野菜は、冬の間は育ちにくいために端境が長くなりがちであり、従ってまた体に変調が起こることもあるので、春先にはひとしお初ものが待たれ、古くから「初もの食べて75日寿命がのびた」などといって、初ものを志向する風習がありました。
     従って、野菜が広く市販されるようになるにつれて、都市近郊の農家で目先のきいた人々が、春先に初ものを早期に出荷して利益をあげようと、栽培法を工夫して、少量ながらも促成栽培をしていました。
     が、戦中戦後の食糧難時代を経て、食料が豊富に市販されるようになって、広く人々の食事が、洋風化もして豊かになるにつれて、初もの志向がだんだんと高じてきました。
     そこへ、ビニールその他の温室材料や燃料の石油が安価に大量に出回わるようになって、ハウス栽培が広く普及して、春先に初ものが早期に多量に市販されるようになり、やがてはキウリやトマトやナスなどの夏野菜が、冬の間も栽培されて多量に市販されるようになって、かつての初もの志向が季節の度外視に変様してきました。
     と共に、輸送機関が発達して、野菜が全国的大規模に流通するようになり、また夏の間に、高冷地その他でレタスやキャベツやハクサイなどの抑制栽培も普及してきました。
     従って、わが国では南北によって時候の移り変わりに時期差が大きいため、どこでも、季節にかかわりなく、各種の野菜が多量に市販されるようになって、野菜に季節がますます度外視されるようになりました。

    季節度外視に伴なう間違
     ところで、こういうふうに市販の野菜に季節が度外視されていることは、日々の食物の取り合わせにしごく好都合ですが、実状そこにいろいろ重大な間違いが伴なっているのであって、その主要点はこうです。

       第一に、四季折々の野菜の味わいを、待って楽しむことが少なくなりました。
       といって、これはあるいは昔人間だけのことであるかも知れません。
       が、食膳の野菜が、見た目の色合いといい食べた味わいといい、季節と共に変わっていき、それを待って楽しむのは、やはり心ゆかしいことではないでしょうか。
       第二に、抑制栽培はともかくハウス栽培では、味わいが淡白になるので、これに食べ慣れると、味わいの濃いもの、とりわけクセのあるものは嫌いになってきます。
       が、野菜にはそれぞれクセがあって、それがその持ち味であり、それを味わうのが食味の楽しみであって、これが嫌いになっては、それだけ食味の楽しみが少なくなります。
       そのうえ、成分の優れた青野菜は持ち味にクセが強いので、この青野菜が格別嫌いになって、なにほども食べなくなるので、栄養摂取上重大な間違いが起こってきます。
       第三に、ハウス栽培では設備や燃料その他で経費がかさむため、ハウス野菜はそれだけ高価になっています。
       従って、家計の都合もあるため、付け合わせ程度に少ししか使わないようになり、そして、それが習慣化して、野菜が多量に出回わる季節になっても、やはり少ししか使わないようになります。
       第四に、ハウス栽培では実状営利第一であるため、世にいう高級品や広く人々の好みに合ったものを作るわけです。
      が、そうしたものには成分が著しく劣ったものが多いので、それを付け合わせ程度に使っては、野菜を食べる栄養上の意味がなくなってしまいます。
       第五に、ハウス栽培が広く普及するにつれて、季節に従った路地栽培が軽視されるようになっています。
       それは主として、路地栽培に手がまわりかねるからであり、また前記のように広く人々が、季節の野菜が多量に出回わっても、別にそう多量には使わないため、売れ残りもし、値くずれもして、働き損になることがあるからです。
       が、季節に従って路地栽培したものこそ、味わいが優れ、また安価であり、それに成分もが優れているのです。
       第六に、市販の野菜に季節が度外視されるようになったのは、ひとつには全国的大規模に流通するようになったからですが、そのため成分の優れた青野菜はなにほども市販されなくなっています。
       それは、青野菜にはそうした流通になじまない軟弱野菜が多いからであって、この青野菜は、世にいう朝市などのように、農家が直接販売するところでなければ手に入りにくくなっています。
       なお第七に、抑制栽培もさることながらハウス栽培は、広く普及するにつれて、営利上その妙味が少なくなって経費倒れになったり、ハウス内で使う農薬で慢性中毒症にかかったり、その他いろいろ重大な問題が農家に起こっています。
       また広く国民経済上、寒冷深雪地方以外では年中あれこれと路地野菜が作れる(そしてそれを乾燥野菜や漬け物にして保存もできる)わが国で、前記のように間違いを伴なったハウス栽培を、至るところで大規模にするのは、石油その他の資源のムダ使いです。

    是正上の心がけ
     そこで消費者としては、毎日の食膳に野菜が、季節にかかわりなく、思いのままに取り合わせることができるからといって、市販のまま安易に調達することなく、まずみずから季節の度外視を是正しなければなりませんが、それには要約つぎのように心がけることが大切です。
       まず第一に、季節を度外視して、市販のまま安易に調達していると、食味の楽しみの点からも栄養摂取の点からも、前記のように間違いが伴なってくることをシカと理解もし反省もすることです。
       そして第二に、季節に従って路地栽培した野菜を、それも旬の間に、その持ち味が引き立つように調理もし、また他の食物と取り合わせもして、よく味わいながら食べて、そのおいしさを体験することです。
       そしてこの野菜には、つとめて成分の優れた青野菜を選んで、それ相当量食べて、これまでにない健康感を体験することです。
       さらに第三に、市販にはこうした青野菜(それもその持ち味が優れるように、また危険な農薬は使わずに栽培して、丁度食べごろに取り入れたもの)が、種類の点からも数量の点からも至って少ないので、事情が許す限り家庭菜園で作り、また特定の農家に作ってもらって、必要なだけ十分調達することです。
       (なお、この青野菜とその作り方や食べ方については、いずれまたお伝えしましょう)
    (つづく)




10-19. 食料当面の間違いに対処するには(14)

     友成 左近 

     当節市販の食料にはいろいろ重大な間違いが伴なっているので、そこに対処して健康を保っていくには、さしづめ日々の食料調達にあたって、その実状をよく吟味して、間違いを最小限にくいとめるように選択することが大切であって、その要領は最初の6稿でみた通りです。そして、その前提要件として大切なことは、そうした間違いが伴なってきた事由、とりわけめいめい食料にいだいている筋違いな考え方を反省し是正することですが、当面とくに重大なもののうち、高級低級観や好嫌感や季節の度外視については前3稿の通りです。

    炊事の嫌厭について
     つぎに第4は、家庭の炊事の嫌厭についてです。
     以前でも食料は、農家はともかく非農家では、すべて市販で調達していましたが、それは主として原材料であり、そして加工食品は、ふつうの過程では設備などで加工が至難なものだけであって、その他の加工や調理などの炊事は専ら家庭でしていました。そしてこれは、とくに一家の主婦には大きな負担であったが、それを主婦は当然の務めと心得ていました。が、ほかならぬ人間であれば、この務めを多少は嫌いもし厭いもする場合がありました。
     また広く人々の間に、家庭の手作りは粗末で不味く、市販のものは高級で美味しい、といった考え方がありました。そこへ戦後、社会の民主化がすすんで男女の平等意識がたかまるにつれて、一家の主婦に、家事とりわけ炊事を嫌厭して、その手数を省こうとする傾向が強まってきました。そして広く産業が発達するにつれて、そこへ就職する主婦が増えてきましたが、そうした主婦には、家事の軽減が必要になったため、とくに炊事の嫌厭がますます高じて、日々の食料は、その手数が省ける既製食品に大きく依存するようになりました。
     そしてそこへ、食品企業が発達して、以前はどことも家庭でしていた加工をした加工食品や、それが家庭の調理段階にまで及んでいる既製食品が、多種多様にわたって豊富に市販されるようになりました。そして、それが炊事の嫌厭と互いに因となり果となって、食品企業がますます増加もし大規模にもなって、その製品が全国的規模で流通するようになりました。そして当節、一家の主婦の間に(婦人の社会的進出をうたい文句にして)、家庭外に就職して(それができかねる場合は内職をして)、炊事は極力省略して精一杯カネをかせぎ、そのカネで(かねて高級で美味しいと思っていた)市販の既製食品を買って食事をする度合が増え、そして、それが近代的で合理的と考える傾向が強くなっています。

    市販の既製食品には重大な間違いが伴なう
     ところで、この加工食品もさることながら、とくに既製食品には、いろいろ重大な間違いが伴なっているのですが、それは既製食品が、衣料などとちがって、市販の一般商品、とりわけ営利企業の全国的大規模に流通する商品には、その性質上なじみにくいところが多いからであって、それはつぎのようなしだいです。
     まず、第一に、既製食品はカビもはえればクサリもして、とにかくいたみやすい性質のものですが、いたんでは商品になりません。従って市販の、とりわけ全国的大規模に流通する既製食品は、長期間保存がきくように加工もし包装もします。そして第二に、営利企業である以上、より多くの売上をはかるため、広く人々の購買欲をそそるように、世にいう高級品や広く人々の好みにあったものを、それも、いかにも高級で、見るからに美味しそうであり、また栄養も豊富であるかのように、さらに炊事の手数が省けるように加工もし包装もします。(つづく)




10-20. 食料当面の間違いに対処するには(15)

     友成 左近 

      さらに第三に、営利企業である以上、より多くの利益をあげるために、こうした加工や包装に、また原料に極力原価の引き下げをはかります。従って、その企業の経営方針や技術水準によって相異はありますが、実状殆んどすべての場合、そこにいろいろ重大な間違いが伴なってくるのです。
     まず原料に、安価な、従って成分や安全や味わいの劣ったものを使い、また、より安価な代用品や増量剤を加える場合があります。そして加工には、前記のように保存をはかり、また購買意欲をそそるため(当面の技術水準では至難であるからか、ただ原価の引き下げのためか、殆んどすべてといってよいほど)、保存料をはじめ各種各様の添加物を使い、原料が前記のようであれば、なおさらであり、さらに包装用材にも粗悪品を使います。
     が、こうした添加物はいずれも、程度の差こそあれ有毒な薬品であって、それが食品に有毒なまま含まれているのです。そのうえ、加工の過程で使った有毒な薬品が、完全に除去されずに多少とも残留している場合や、作業上のミスで混入している場合や、包装用材中の有毒分が溶けこんでいる場合もあります。
     従って市販の既製食品は(こと保存については在来通りにビンカン詰にしたもの以外)、殆んどすべて程度の差こそあれ有毒化しており、また成分も味わいも著しく劣ったものが多いのですが、それで別にそう安価ではありません。というと、成分などはともかく、こと安全については、行政当局が取り締っているので、そう危険ではあるまいと思う向きがあるかも知れません。が、実状は決してそうではないのであって、食品の是正運動で、当節まず第一に取り上げているのが、危険な食品の排除と安全な食品の確保であるのは、このためです。
     けれども市販の既製食品には、前記のようなしだいで、実状いわば不可避的に重大な間違いが伴なっているので、家庭の炊事を嫌厭省略して、これに安易に依存する限り、ちょっとやそっとの是正運動では、とうてい首尾よく是正することはできず、また是正運動をマトモにすすめることもできません。

    炊事を嫌厭省略すると
     従って、家庭の炊事を嫌厭省略して、市販の既製食品に依存すればするほど、それだけ日々の食料に重大な間違いが伴なったものが多くなるので、とうてい健康は保っていけず、また食味の欲求もみたされず、せっかく精出してカネをかせいだのが、実はアダになる場合が少なくないのです。
     なお、家庭の炊事を嫌厭省略すると、この他いろいろ間違いを招くのですが、そのうち最も重大なことは栄養上それ相当量に必要な野菜とりわけ青野菜は、なにぶん手数がかかるので、ついなにほども食べず、ために健康がうまく保っていけなくなることです。
     もうひとつ、家族めいめい最大の関心をよせているのは、美味しいものを食べることと愛情がよせられることです。そしてこの愛情は、みずから手を労して、あれこれ必要なことをみたしてあげて、初めて内心深く通じるのです。
     従って、みずから手を労して作った本当に美味しいものが、日日の食物に欠けていると、家族めいめい内心なんともものたりなくなり、ために生活の本拠である家庭に、それだけ親和と安定がうすれてきます。そこで大切なことは、職業その他で家事時間が少なくても、炊事の簡素化に心がけても、決して安易に市販の既製食品には依存せず、つとめて原材料を調達して、家庭で調理すること、実状やむをえず既製食品を使う場合は、できるだけ安全で成分も優れたものを選択して、家族めいめいの食味にかなうように調理し直すことです。(つづく)




10-21. 食料当面の間違いに対処するには(16)

     友成 左近 

     当節市販の食料にはいろいろ重大な間違いが伴なっているので、そこに対処して健康を保っていくには、さしづめ日々の食料調達にあたって、その実状を、食料の諸要件をあげて吟味して、間違いを最少限にくいとめるように選択することが大切であって、その要領は最初の6稿の通りです。

     そして、その前提要件として大切なことは、そうした間違いが伴なってきた事由、とりわけめいめい食料にいだいている筋違いな考え方を反省し是正することですが、そのうち当面これがとくに重要である、高級低級観や好嫌感や季節の度外視、それから家庭の炊事の嫌厭については前4稿の通りです。

    洋風化志向について
     が、もうひとつ実情シカと反省し是正しなければならないのは、主として高級低級観から派生している洋風化志向についてです。明治維新以来わが国の文物には、欧化志向と伝統尊重が錯綜していましたが、さきの戦時中は伝統尊重が圧倒しました。
     そして敗戦後は、その反動もあり、また外的圧力もあって、欧米化志向が異常なまでに著しくなりました。従って、各種の生活物資のうちで、実情最も変わりにくい日々の食料にも、洋風化志向が急速にたかまって、人その人によって様子は異なりますが、パンや肉、牛乳やバターその他の乳製品、洋菜や洋風の調味料や香辛料や嗜好品を多量に使うようになりました。
     が、このうち洋風化として最も著しい特徴は、パンもさることながら、肉わけても牛肉の多食でしょう。そして、こうした洋風化が急速にすすんだのは、ひとつには、自称文化人たちが、パンや肉や牛乳やバターなどを食べるのが、高級で文化的であると吹聴して、広く人々の高級品志向を刺激したからです。
     また栄養学者の多くが、欧米で発達した栄養学を後追いして、肉その他の動物性食品が栄養上最も優れているとか、必要不可欠であると力説したからです。
     そして国の行政においても、蛋白質やエネルギー分の摂取で、動物性食品による割合が高くなることが、栄養水準の向上に重要であると指導推進したからです。

    洋風化に間違いが伴なってきたのは
     ところで、日々の食料には、その区に個有の風土に根ざした伝統があって、これはいうまでもなく、民族長年にわたる経験によって打ちたてられたものです。
     そして、ほかならぬ人間のすることであれば、食料の供給と栄養摂取や食味の満足に、いろいろ不備なところはあるにしても、それによって民族が存続繁栄してきたのであって、その国の風土条件に適合して、とにもかくにも全体的に筋道だって整備したものです。
     が、不備なところがある以上、これまでも長年そうしてきたように、新たに際会した事態に対応して変え改めていくこと、そしてそれには、在来の伝統の筋道と風土条件に副って、その不備なところを漸次補足していくことが大切であるのはいうまでもありません。
     ところが、最近の洋風化は前記のようなしだいであったため、つい在来の伝統を忘却もし蔑視もして、その筋道にはずれてすすめられ、また欧米の伝統も筋道たてて理解しないまま、しごく安易に外見的断片的に模倣したのであって、ためにいろいろ重大な間違いが伴なってきたわけです。

    主として牛肉の多食に間違いが伴なったのは
     そこでこれを、その最も著しい特徴である、肉とりわけ牛肉の多食についてみると、要約こうです。欧風の食構成では、確かに肉とりわけ牛肉が多く、また最も重要視されていますが、それは、欧州では牧畜が風土に最も適合しているからであり、そして牛肉は、各種の食料のうちで、栄養分わけても蛋白質の摂取で優れ、それに味わいもよいからです。
     といって、牛肉やその他の肉で、(わが国の米麦のように)国民栄養の大半がまかなえるほど収量をあげることが出来ず、また成分にも、(わが国で最近広く主食にしている白米ほどではないが)あれこれと欠けています。
     そこで、この肉に、牛乳や卵や魚、麦や芋や豆、それから野菜や果物などを、(これらも風土上そう多量には収穫できないので)あれこれと多種にわたって、それ相当量取り合わせているのであって、これが欧風の食構成の伝統です。
     従って、巷間「西洋は肉食」といわれていますが、実状は、わが国の、とりわけ江戸時代に肉食が禁止されていた伝統からみれば、(欧米人からみた、わが国の米のように)肉とりわけ牛肉が目立って多く、また最も重要視されているだけのことです。
     ところが最近の洋風化、とりわけ肉の多食は自称文化人の吹聴はもとより、栄養学者や国の指導でも、こうした食構成の伝統を筋道たてて理解しないまま、またわが国の風土条件と食構成の伝統を筋道たてて反省しないまま、急速にすすめられたため、市販の肉に、また食構成と栄養摂取にいろいろ重大な間違いが伴なってきたのです。――なお念のため、最近の洋風化モデルは主として北米であり、北米の食料収穫事情は欧州と風土上かなりちがっていますが、建国が英国人をはじめとする欧州人であったので、その食構成は欧風の伝統をうけついたものです。
     もうひとつ、欧風の伝統的な食構成では、牛肉と同様に、いなそれ以上に牛乳とその加工品が重要視されていますが、それは、牛肉より成分も生産効率もはるかに優れているからです。従って、牛肉はもともと酪農の副産物であったのですが、畜産技術や生活水準の向上につれて、牛肉の方がより主要な食料になったのです。
     ためにか、栄養指導で「蛋白質を十分に」という場合、それは、牛肉ではなく牛乳でとることになっているそうです。

    (つづく)




10-22. 食料当面の間違いに対処するには(17)

     友成 左近 

    洋風化が市販の牛肉に招いた間違い
     それでは、こうした洋風化とりわけ牛肉の多食が、市販の牛肉にどんな間違いを招いたか、というと要約こうでしょう。

       まず第一に価格が、欧米に比べて、はるかに高くなり、従ってまた、栄養円価が他の食品より著しく高くなっています。
       わが国では在来、牛肉は主として農耕その他の役牛を利用していたので、それではとうてい供給が追いつかず、そこへ農耕その他の機械化がすすんで、役牛がなにほども飼育されなくなったため、肉牛の飼育が急速に拡大しました。
       けれども、わが国には放牧地も牧草栽培の適地も少ないため、飼料は穀物に大きく依存し、また主として畜舎で飼育する場合が多くなりました。が、この飼料用穀物の栽培組織が貧弱であったため、(その他にもいろいろ事情があって)この穀物は輸入に大きく依存しました。
       それに、畜舎飼育には放牧に比べて多大の経費がかかるので、生産原価が欧米よりはるかに高くなったわけです。
       そのうえ、牛肉の流通組織がいっこうに改善整備されなかったため、それだけ市販価格が高くなり、また安価に輸入したものも、市販価格はそれほど安くはなってこないのです。
       ために牛肉の多食は、多くの人々の食費や生計にゆがみを引き起こし、この負担が不如意である場合は、心理的に欲求不満が起こって、日々の食事が楽しめなくなっているわけです。
       もうひとつ、飼料が輸入に大きく依存していることは、国民経済とりわけ食糧の確保上、極めて重大な間違いであり、それも栄養円価の高い牛肉のためであるので、なおさらです。

       第二に、穀物を主要飼料にし、また主として畜舎で飼育している場合が多いため、脂肪分が欧米よりはるかに多い牛肉になっています。
       そして、これが好みにあっているため、牛肉の多食が意外と急速に普及したわけです。
       ために、多食といっても欧米よりはるかに少ないのですが、これがひとつの主要原因になって、心筋梗塞など(欧米では多いのですが、わが国では少なかった病気)にかかる人が急速に増えてきました。
       なお、わが国で脂肪分の多い牛肉が好みにあっているのは、ひとつには在来、牛肉は主要食料というよりも、むしろダシ料に使っていたからでしょう。
       従って、使用量が少なかったため、その弊害が別にそう起こらなかったわけです。
    (つづく)




10-23. 食料当面の間違いに対処するには(18)

     友成 左近 

     当節は、食料が多種多様にわたって大量に市販され、また広く人々の生計も向上して、どことも食事が豊かになっています。
     が、そこにはいろいろ重大な問題が伴ない、それがひとつの重大な原因になって、医療の進歩普及にもかかわらず、その効果が予防にも治療にも及びがたい厄介な病気にかかる人々が増え、また1億半病人ともいわれるようになっています。
     そこで、人生なにより大切な健康をはかるには、さしづめ日々の食料調達にあたって、前記のように、その実状を、成分、安全、味わい、価格、供給といった食料の諸要条件をあげて吟味して、間違いを最小限にくいとめるように選択することが大切です。

    吟味選択が容易でないのは
     けれども、こうした吟味選択が実情そうは容易でないのであって、その事由は要約こうでしょう。
     まず第一に、こうした吟味選択は、食料市販という経済の流れに抗していくわけであるため、その流れに即して、そこにはこういう間違いが伴なっているので、という適切な情報が必要ですが、これが新聞その他で広く行き届いて提供されていないことです。
     そして第二に、この経済の流れが強力であって、いろいろ間違いが伴なっていても、おかまいなしに流れていき、それに抗するよな情報が、ちょっとやそっと提供されても、推し流してしまうことです。
     さらに第三に、人々だれしも、ほかならぬ人間であれば、食料に多少とも筋違いな考え方をいだいているのですが、それが最近の社会・経済の変様につれて、広く人々に増幅もし露呈もしてきたことです。
     従って、食品企業が、そこに迎合もし刺激もして、あれこれと目先を変えた食品を、光明に宣伝して売りこんでいるのですが、それにはいっこうに抵抗せず、けっこうなご時勢と、市販のままに調達していく場合が多いのです。
     また、それに抵抗する吟味選択に必要な情報が提供されても、とかく自分のいだいている考え方が先立って、マトモに受けいれない場合が多いのです。
     そこで、日々の食料調達で前記のように吟味するには、その前提として、この筋違いな考え方を確かと反省して是正することが大切であって、そのうち実情とくに大切なのはつぎの通りでしょう。

    高級低級観について
     まず第一に、貴賎感や高級低級観についてです。
     人間生活には社会的な慣習があるのですが、こと食料については、高貴な方は高級品を、下賎の身は低級品を、といった慣習があって、食料に貴賎感や高級低級観といった社会的な評価が付随しています。
     そして、人々だれしも内心、高貴な方のように高級品を、と志向しているのですが、以前は人々に平等意識がうすく、また社会の民主化もすすんでいなかったため、志向通りにはいかなかったのです。
     が、とくに戦後は社会の民主化がすすんで、「貧乏人は麦飯をくえ」といって大臣の地位が云々されたように、広く人々に平等意識がたかまり、また賃金その他の収入の格差も緩和してきたので、かねての志向通り高級品を食べる人々が急増してきました。
     そして、それに答えもし刺激もして、高級品が多種多様にわたって大量に市販され、低級品はなにほども市販されないようになっています。

    是正が必要なのは
     ところで、この高級品というのは、たとえば精白米と粗搗米、白砂糖と黒砂糖、ハマチとイワシ、大根のネッコとハッパ、見た目の立派なものと粗末なもの、あるいは料理店の料理と家庭の料理などで分かるように、要するに人手が余計にかかっているものです。
     そして、味わいや消化の点はともかく、もともと備えていた成分が著しく損失したものや、もともと備えている成分が著しく劣ったものや、成分には大差のないものであり、そして総じて、より高価なものです。
     けれども、そこを確かと理解もせず反省もしないまま、けっこうなご時勢と、専ら高級品ばかり調達する人々が多くなっています。
     また、そこを多少とも理解している人々は、たとえば白米飯を食べてビタミン剤をと、それで不足する成分は栄養剤で補なうのが(十分補なえないことは理解せずに)、高級で文化的な食べ方と考えて、しごく安易に栄養剤を使い、従って、それに迎合もし刺激もして、各種各様の栄養剤が大量に市販されています。
     けれども、生きた体に必要な栄養には、自分の貴賎とは無関係な自然の厳然とした法則があるのであって、高級品ばかり調達していては栄養は十分まかなえず、あれこれと病気にかかる素地になります。
     そこで日々の食料調達で大切なことは、そこを確かと理解もし反省もして、世にいう貴賎観や高級低級観にわざわいされることなく、本当に成分の優れたものを選択して、味わいも消化もよくなるように調理や食べ方を工夫することです。

    (つづく)




10-24. 食料当面の間違いに対処するには(19)

     友成 左近 

    洋風化の是正には

     そこで、こうした肉の多食をはじめとする洋風化は早急に是正しなければならず、その要領は、これまでみてきたことでよく分かるでしょうが、念のため要約すると、こうです。

     まず第一に、いわずもがなのことながら、洋風食が高級で文化的であると考えて、日々の食物を洋風化して、肉やバターなどを多食しても、それで別に文化的に向上するわけではないことを、シカと反省することが大切です。

     そして第二に、肉をはじめ広く動物性食品の多食といっても、人によって事情はかなり異なりますが、別にそう多食はしていない場合はともかく、実状人並以上に多食している場合は、それ相当量減らすことが大切です。

       それは一つには、牛肉その他の動物性食品の生産は、わが国の風土条件や農業の実状から、その飼料が輸入穀物に大きく依存しているので、これは食料の確保上、極めて重大な間違いであるからです。(なお参考まで、この道専門家の見解によれば、肉の消費量は最近1人1日当たり平均約70gであるが、これを25g程度に減らすのが適切であるとのことです。それは、この程度の肉であれば、わが国の風土条件から、飼料も含めて、ほぼ自給可能であり、また国民栄養上、これで実状十分であるからです。)

       もうひとつは、健康上からであって、それはこういうしだいです。牛乳や牛肉をはじめとする動物性食品の多食につれて、世にいう栄養水準(すなわちエネルギー分と蛋白質の摂取量と、そのうち動物性食品による摂取の割合)が向上して、確かに身長や体重といった見た目の体格が著しく向上してきました。(その他にも食事全般をはじめ生活各面にいろいろ事由がありますが。)
       けれども、この向上は、日本人の体質からみて(とくに臓器の発達上)一応限度に達しているのではないか、従って、栄養水準をこれ以上に引き上げると(その他にも栄養不調和や運動不足などいろいろ事由があって)、かえって健康に障害を招くのではないか、むしろ少し引き下げるくらいが適切なのではないか、そして、もっと栄養の調和に重点をおくことが大切である、というのが、この道専門家の最近の見解です。

     ところで第三に、動物性食品を減らすといっても、その種類によって勘案することが大切であって、牛乳と鶏卵は減らすことなく、むしろ増やすほうが適切であり、動物性食品をそう多食はしていない場合は、とくにそうです。そして、その代わり最も多量に減らすことが大切なのが牛肉であり、これにつぐのが豚肉や鶏肉です。
     というのは、牛乳と鶏卵は、これで主としてねらっている蛋白質の、アミノ酸組成と消化吸収の点で最も優れているからです。そのうえ、その他の成分、それも栄養摂取で実状著しく不足している各種のビタミンとミネラルが最も多く、それに栄養円価が最も安いからです。
     もう一面、生産効率も、飼料からみた栄養効率も最も高いからです。そして、こうした点で最も劣っているのが牛肉であるからです。なお念のため、ハムやソーセージその他の加工品は、殆んどすべて、成分や味わいが劣っていることもさることながら、添加物などで程度の差こそあれ有害有毒化しているので、極力食べないこと、食べるにしても、よく吟味して、実状できるだけ安全度の高いものに限ることが大切です。

     もうひとつ、主として蛋白質をねらっている食品には、こうした動物性食品以外に、魚や大豆などがあり、その蛋白質のアミノ酸組成の優劣は肉とほぼ同等であるので、この魚や大豆を、肉代わりに大いに活用することが大切です。とくに大豆は、これ以外に(消化吸収の点で少し劣っていますが)、各種のビタミンとミネラルが鶏卵についで多く、肉や魚よりはるかに多いのです。また、その脂肪が、動物性脂肪とは逆に、動脈硬化などの主要原因のひとつとみられている、コレステロールの沈着を防ぎます。そのうえ、動物性食品に比べて、栄養円価がはるかに安く、また生産効率がはるかに高いのです。それに、わが国では在来、これを主な蛋白質食品にしていたのであり、従って、この優れた利用法が数多く、また嗜好にも合っているので、成長期はともかく、とくに中年以後は、この大豆を主な蛋白質食品にすることが大切です。

     ところで、洋風化の是正には、この他いろいろ大切なことがありますが、最後にもうひとつあげると、実はこれが、この是正で実情最も大切なのであって、それは、牛乳や鶏卵も(また大豆も)、ましてや肉(や魚)は、必ずそれ相当量の野菜とりわけ青野菜を添えて食べることです。それは、これまで度々みてきたことですが、重ねてくりかえすとこうです。

     肉やその他の動物性食品の主成分は蛋白質と脂肪であって、これが体内で栄養に利用されるには各種のビタミンやミネラルが必要なのです。が、これが、牛乳や鶏卵はそれほどではないのですが、とくに肉には著しく少ないのです。そして、これを補なうには、そうした成分が格別豊富である青野菜が、それ相当量に必要不可欠なのです。たとえば、肉(や魚)100gには、コマツナやダイコン葉といった青野菜で約200g(鶏卵では50g、大豆では100g)必要なのであって、キャベツやハクサイといった白色野菜では、そうした成分が貧弱であるため、実状どんなに沢山食べても、とうてい十分補なえないのです。
     従って、もし青野菜を必要なだけ十分添えて食べないと、せっかく肉などで摂った蛋白質も脂肪も、不十分な青野菜に見合う分しか栄養に利用されないので、それだけムダになり、そのうえ未利用分が栄養に障害を招くのです。
     そこで、洋風化して肉などを多食する場合は、必ず青野菜を、それに見合うだけ十分添えなければならないのです。(と共に、その他の食物をほどよくひかえることも大切なのです。)そしてこうしたことは、欧風の伝統的な食構成について、まえにみたことからでもほぼ分かることです。

     「西洋は肉食」といわれていますが、この肉と同様に重視しているのが牛乳であり、その食膳には、各種の野菜を、わが国の洋食の献立よりはるかに多量に添えています。そして、この肉などと共に主要食料にしているのが、わが国で広く主食にしている白米より、各種のビタミンやミネラルがはるかに多いジャガイモや小麦粉(それも精度を制限したもの)です。ところが洋風化にあたって、多くの場合こうした点を見落として、主として肉だけを多食して、その他の食物はいっこうに変え改めなかったのです。とくに野菜とりわけ青野菜は、下賎の食べる低級なものとして、なにほども食べなかったのであって、ここはトクと反省是正しなければならないことです。(おわり)




引き続き、食養生11へ 






ご意見・ご要望はこちらへ
階層リンク 田辺食品 青汁 健康と青汁 上の階層へ
サービスリンク 更新記録 全体構成 商品紹介 注文方法

Copyright 2011 03 田辺食品株式会社