健康と青汁タイトル小
食養生インデックス

食養生01 クリック 食養生02 クリック 食養生03 クリック 食養生04 クリック 食養生05 クリック
食養生06 クリック 食養生07 クリック
食養生08
クリック
食養生09
09-01 222号 米は重宝したいのですが(1)―青汁食養生というのは
09-02 223号 米は重宝したいのですが(2)―重宝しかねるのは
09-03 230号 ここまで徹底できます 食卓革命の3年有余
09-04 230号 青汁食養生に精出すには 世の風習や流行に抵抗して
09-05 231号 青汁食養生に精出すには 栄養の理法にはすなおに従って
09-06 232号 青汁食養生に精出すには―科学のマトモな活用に心がけて
09-07 236号 青汁食養生に精出すには 真摯な心と安易な心について
09-08 237号 青汁食養生に精出すには(1) 生活と食事に実効的な配慮を
09-09 238号 青汁食養生に精出すには(2) 生活と食事に実効的な配慮を
09-10 239号 青汁食養生に精出すには(3) 生活と食事に実効的な配慮を
09-11 240号 ナッパ・青汁といい出して33年 まったく、阿呆の一つおぼえもいいところ
09-12 240号 青汁食養生に精出すには(4) 生活と食事に実効的な配慮を
食養生10
クリック
食養生11 クリック 食養生12 クリック



09-01. 米は重宝したいのですが(1)―青汁食養生というのは

     友成 左近 

     遠藤先生の教えに従って青汁食養生に精出している私どもは、今のところ「イモ・マメ・ナッパ」を合言葉にして、長年重宝してきた米は、毎日毎度の主要食品からはずしています。が、それは必ずしも米本来(その昔通りに栽培保存して、籾すりしたままの玄米)の性質からではありません。
     米は本来、確かに栄養成分が優れ、また食べて味がよいうえに常食してもアキがこず、さらに長期間の保存がきき、それにわが国では、風土によくあっているうえに栽培技術も栽培施設も高度に発達しているので、主要食品としてはまことに重宝なものです。
     けれどもこのところ、その昔通りに栽培保存した玄米が手に入るのであればともかく、ふつう市販のものは、まず白米であって、これは成分が著しく劣り、そのうえ多少とも(玄米であれば、より以上に)有害有毒化しているので、主要食品としては不適格です。
     そこで、こうした点が是正されたら、また改めて主要食品として重宝したいのですが(というよりも、米がわが国農業と食糧の歴史的現実的な根幹である以上、主要食品として重宝できるように、ぜひ早急に是正されなければならないのですが)、それは概要つぎのようなしだいです。

    青汁食養生というのは
     まず、青汁食養生というのは、健康の保持増進に、従ってまた病気の予防にも治療にも、その最も重要な土台は、よく調和した完全栄養なのですが、まさにそれをねらったものです。
     そこで、まず第一に青野菜を、必要なだけ十分食べること、その最も有効適切な食べ方として、生のまますりつぶして汁だけしぼりとって、青汁にして飲むことを、その最大要件にしています。
     と共に、その他の食物には、実状できるだけ、栄養に調和をとりやすいものを使って、とりにくいものは極力ひかえるようにしています。
     これは、中学校や高校の家庭科教科書でも、よくみれば分かることですが、その要点はこうです。

    完全栄養に青野菜が必要不可欠なのは
     毎日の食物には多種多様の食品が使われていますが、そのうち青野菜、それも小松菜や大根葉やシソ葉、あるいは青汁に広く使われているケールなどのように、緑色の濃ゆくて成分が優れ、その成分とくにカルシウムの吸収しやすい(従ってホウレンソウの類は除いた)良質のもの以外は、いずれも栄養成分(とくに各種のミネラルとビタミン)があれこれと不足しています。
     従って、ただ一種だけでは、どんなに優れたものを、どんなに沢山食べても、また、どんなに工夫して、あれこれとり合わせても、栄養に障害こそ起これ、とうていよく調和した完全栄養はとれません。
     けれども青野菜だけは、たとえば野生の草食動物や放牧中の牛馬をみれば分かるように、ただ一種で必要な成分がすべて十二分にそろった完全栄養食です。
     従って青野菜は、他のどんな食品とも異なって、胃腸が許す限り、どんなに沢山食べても、その食べ方さえ間違いなければ、栄養上ますます有効でこそあれ、障害は少しも起こりません。
     事実、毎日1kg2kg以上と食べ続けて(青汁にして4合8合以上と飲み続けたわけですが)、当面の医療では治療至難の病気でも、だんだんと治ってきた人があるほどです。
     とはいっても人間は、胃腸その他が草食動物と異なっているので、ただ青野菜だけで栄養が十分まかなえるほど、そうは多量に食べることができません。
     従って、ただ青野菜だけでは、どんなに沢山食べても熱量や蛋白質が不足してくるので、そうした成分の多いものを、なおあれこれと食べなければなりません。(実状は、その逆になっているわけですが)
     ところが青野菜には、そうした食品に不足している成分(それはすなわち各種のミネラルとビタミン)を補なうほど、それが豊富なのです。従って、どんなに優れた食品を、どんなに工夫して取り合わせても、それ相当量の青野菜を加えなければ、よく調和した完全栄養にはならず、またかりに、どんなに劣った食品を取り合わせても、それ相当量の青野菜を加えたら、それでどうにか完全栄養がはかれるのです。

    その他の食物に配慮が必要なのは
     それでは実際、毎日の食物に青野菜をどれくらい加えたらよいか、というと、お互い日本人の食構成と栄養摂取の実状を総平均したところでいえば、少なくとも、めいめい体重の1%以上(できれば、ふつうの成人で750g以上、青汁にして3合以上)です。
     そこで、食構成も栄養摂取も、また健康状態も各人各様であるため、青野菜の加え方と、その他の食物の取り合わせ方に、それ相応の配慮が必要なわけです。
     まず、毎日の食物に、あれこれと成分が著しく不足して栄養に調和をとりにくいものが多く、従って栄養摂取がひどく偏っている人や、(従ってまた)健康状態の劣っている人は、これ以上に多量の青野菜を加えなければなりません。が、栄養に調和をとりやすいものが多い人は、これ以下でもすむわけです。
     ところで青野菜は、こうした必要量以上に、多量に加えれば加えるほど、その他の食物でとった栄養がムダなく利用されるようになるので、それだけその他の食物が少なくてすみ、従って胃腸その他の負担が軽くなって、健康によりいっそう役立ちます。
     そのうえ、未知の成分も十分とれて、本当に完全な栄養になって、難病でも治ってくるほど体力が強化します。というのは、栄養には未知の成分が数限りないのですが、それが最も多いのが青野菜であるからです。
     とはいっても青野菜・青汁を、必要量だけでもさることながら、それ以上に多量に食べるのは、習慣や好みや、また入手の上から、実状そう容易なことではありません。
     そこで大切なことは、青野菜をそう多量に食べなくても、よく調和した完全栄養になるように、その他の食物に、できるだけ調和をとりやすいものを使い、とりにくいものは極力ひかえることです。

    食物は安全なもので
     ところで、この青野菜も、その他の食物も、有害有毒化していては、一方で完全栄養はとれても、他方で厄介な障害を引き起こします。が、困ったことに、このごろふつう市販のものは殆んどすべて、多少とも有害有毒化しています。
     そこで青汁食養生では、その最大要件にしている青野菜・青汁には必ず、無害無毒の品種を選び、農薬その他で有害有毒化していない安全なものを使うことにしています。そしてその他の食物には、実状できうる限り安全度の高いものを使うように心がけています。
     こういうわけで青汁食養生では、青野菜以外は、栄養に調和をとりやすく、しかも安全度の高いものとして、今のところ芋と大豆(あるいはこれに準ずるもの)を主要食品にして、普通市販の米麦や肉魚などは(その加工品はなおさら)毎日毎度の主要食品からはずしているのですが、そこを主として米について、もう少し詳しくいうと、つぎの通りです。

    (つづく)




09-02. 米は重宝したいのですが(2)―重宝しかねるのは

     友成 左近 

     遠藤先生の教えに従って青汁食養生に精出している私どもは、前稿でみたように、健康の最も重要な土台である完全栄養をねらって、良質で、必ず安全な青野菜を必要なだけ十分(少なくとも毎日めいめい体重の1%、できれば750g以上)食べること、それもその最も有効適切な食べ方として、それを青汁にして(2合3合と)飲むことを最大要件にしています。
     と共に、その他の食物には、この青汁が完全栄養によりいっそう役立つようにと、栄養に調和をとりやすく、そして安全度の高いものとして、芋と大豆などを主要食品にして、長年重宝してきた米は、特別に栽培した玄米が手に入るのであればともかく、ふつう市販のものは、栄養と安全の点から毎日の主要食品からはずしていますが、そこを少し立ち入っていうと、つぎのようなしだいです。

    栄養上著しく不調和
     まず栄養の点から、ふつう主要食品に使われている市販の白米は、いわば熱量分の澱粉質ばかりであって、蛋白質も各種のミネラルもビタミンもひどく損失して著しく不調和です。
     それは別表の通り、その100g(飯にして約2杯)に、青野菜(その目安として小松菜)を250ないし300gと、約3倍量も加えなければ、ほぼ完全な栄養として調和がとれないほどです。
     そこで、これで1000カロリー(約300g、2合少々)とるとすれば、ただこれだけに青野菜が約900gも必要です。

    こういう手がかりで不調和の程度をはかるのは
     ところで、こういう手がかりで各種の食品の栄養不調和の程度をはかって、その優劣の一面をきめるのは、前稿でもふれたことですが、こういうわけです。
     毎日の食物には、よく調和した完全栄養がとれるように、いろいろ食品を取り合わせることが肝要です。が、良質の青野菜以外はいずれも、成分(わけても各種のミネラルとビタミン)が不足しています。
     けれども青野菜だけは、すべての成分が十二分にそろっているうえに、どんな食品でも、この青野菜をそれ相当量加えたら、それでその不足分を補なって完全な栄養として調和がとれるほど、各種のミネラルとビタミンが豊富なのです。
     そこで青汁食養生では、この青野菜を青汁にして、必要なだけ十分食べることを最大要件にすると共に、その他の食品には、この青野菜をどれだけ加えたら、完全な栄養として調和がとれるか、という手がかりで栄養不調和の程度をはかって、できるだけ少量の青野菜で調和がとれるものを使うようにしているわけです。

    栄養摂取の工夫から
     ところで、この表で摂取目安量というのは、厚生省の栄養基準と異なって、食品成分表の(調理前の)数値で計算して、ふつうの成人で、いわば最高度の健康をねらった完全栄養をはかるためのものです。が、このうちカルシウムとビタミンは、ふつうの食物、それも良質の青野菜でとる限り、これ以上にどんなに多くなっても、栄養にますます有効でこそあれ障害は少しも起こりません。
     けれども熱量と蛋白質は、必要量だけ(あるいはそれ以上に)とっても、それが体内で栄養として利用されるのに必要不可欠な、カルシウムをはじめ各種のミネラルと各種のビタミンが、それに見合って不足していると、その不足分相当量は利用されないためにムダになります。
     それだけではなく、未利用のものが体内にたまって栄養に障害を引き起こします。ところで栄養摂取の実状は、熱量や蛋白質が不足している人は例外的で、殆んどだれでも必要なだけは十分(人によっては必要以上に)とっているが、おしなべて不足しているのがカルシウムとビタミンです。
     そこで実際上の工夫としては、まずもってカルシウムとビタミンを十二分にとって、熱量や蛋白質はひかえめにすることが大切です。そうすれば、熱量も蛋白質も完全に利用されるようになって、栄養と健康状態がよくなり、そして実状、とくに熱量は、この目安量以下にひかえたほうが健康状態がよくなるのです。
     従ってこの表では、白米100gに小松菜を何g加えたら、目安量に対するカルシウムとビタミンの寄与率が、熱量や蛋白質の寄与率をこえてくるか、というあたりの数量や倍率を、白米の栄養不調和の程度はかる手がかりにすると共に、それで約1000カロリーとるのに必要な小松菜の数量も加味しているわけです。

    とかく食べすぎもして栄養障害の重大原因に
      こういうふうに白米は、栄養上著しく不調和であるため、これを毎日の主要食品にしていると、それに必要な青野菜が、どうしても不足してくるので、結果的には栄養不足になり、しぜんカラダも要求してきて沢山食べるようになります。
     そのうえ白米飯は、実状おいしくもあり、あっさりもしているので、つい荒がみして食べすぎ、ためにその他の食物が少なくなる場合も多くなって、ますます栄養に不調和を招きます。
     また実状、漬け物その他塩からいものとよくあうので、つい食塩をとりすぎるようになります。

    (つづく)




09-03. ここまで徹底できます 食卓革命の3年有余 食事以外にも波及して

     有吉佐和子さんの小説「複合汚染」を読んで「食べ物を考え直そう」と一念発起した人もいるかもしれない。堺市善提町4丁に住む藤岡さん一家は、すでに3年以上も「悪いといわれているものは食べない」食生活を実行している。しかし、便利さとぜいたくに慣れた私たち。これも徹底してやろうと思えば、なかなか大変なのだ。ちょっと藤岡家の台所をのぞいてみよう。

    パン焼きに豆乳づくり
     義孝さん(32)・加代子さん(32)夫婦と和佳ちゃん(4)、義英くん(3)、孝文くん(2)、おじいちゃん、おばあちゃんの7人家族。
     2日に一度のパン焼き。3日に一度の豆乳づくり。大豆を水につけてふやかし、煮こんでこす。1時間はかかるが「なにがはいっているかわからない牛乳より安心だから」という。こどもたちのおやつはサツマイモの焼いたのや、いった大豆、ピーナッツ、クルミなど、自然のもの。たまにはクッキーやアイスクリームを、砂糖のかわりにハチミツを使って手作りする。料理の甘みは、黒砂糖と味を整えるミリンで。どうしても黒砂糖ではできないもの、たとえばすき焼きやおすしは、三温糖を使う。塩は赤穂の天然塩。お米は5分づき、季節になれば梅やラッキョウをつけこみ、ミソも2種類しこむ。

     藤岡家の食卓革命は3年半前。ある民間病院の内科医をしている義孝さんのもとへ、次々とやってくる子どもの患者が、小学校へも行かないうちから、まるでおとなの成人病のような病気にかかっている。抵抗力がない。ムシ歯の子もやたらに多い。どうやら食べものに関係がありそうだ。おとなはともかく、こどもの健康はおとなたちが守ってやらねばならない。ちょうど和佳ちゃんがかわいいさかりだった。ある日、義孝さんは宣言した。「悪い、といわれているものは食べないことにしよう」。食品公害の恐ろしさを訴えた本が、かたっぱしから家へ持ちこまれた。

    • バランスよく、多種類を少量ずつ食べる
    • 白米でもよいが、なるべく3分〜7分づきを
    • 野菜を毎日、量と種類を多く
    • 味つけは薄く、煮すぎないよう
    • 動物性たんぱく質、または大豆、大豆製品を毎日
    • 海草類を毎日

     など4項目10条にわたる藤岡家の食事憲法をつくり、台所へはり出した。

    白砂糖追放お菓子ダメ
     白砂糖を、まっ先に追放した。この3年半の間、一度も買ったことがない。アクをすくう手間がかかるが、煮ものは黒砂糖でも味はあまり変らない。藤岡家の砂糖消費量は、一家7人で1ヶ月に黒砂糖1キロと、三温糖1キロ程度。こどもたちには、甘いお菓子は与えない。たまにチョコレートやキャンディーをもらうと「せっけんよ」「これおクスリ」などといって、かくしてしまう。外出したとき、お菓子屋さんの前でだだをこねられて、閉口したことがある。それでも心をオニにしてがんばった。なぜなら、にがい経験がある。和佳ちゃんは、少しは甘いものを知っている。そのせいか、てきめんにムシ歯ができてしまい、てこずった。男の子2人はチョコレートの味をしらない。そのかわり真珠のような歯がある。

    無農薬野菜青虫ポロリ
     いま、家の小さな畑にはトマト、ピーマン、キュウリ、ナス、三度豆、サツマイモ、ジャガイモ、カボチャなどが実を結んでいる。つくっていない野菜は、露天で売っているおじいさんから、無農薬のを買ってくる。流しで洗っていると、青虫がポロポロ出てきたりして気持ちが悪いようだが、考えてみれば 〃虫もつけない〃野菜の方が、どれほど恐ろしいか。

    弁当持ちで外食やめる
     野菜中心の献立で、1日の食費は3千円。大きな魚の切り身を買うより、小魚を丸ごと食べるよう心がけている。外食はいっさいしない。どこへ行くのもお弁当持ち。この間、2泊3日で家族旅行をした。家の味つけに慣れたこどもたち、旅館の料理を食べるかしら。気になって、コブとシイタケと小魚のつくだ煮を持っていった案の定、こどもたちはそれらをおかずに、ご飯を食べた。たまに喫茶店にはいっても、恥ずかしいのをがまんして、こども2人にジュースが一つ。甘すぎるから、それを3等分して、水て薄めて飲ませる。おかげで一家中、健康そのもの。「はじめはめんどくさくって。でも、空気も水もよごれる一方だし、私たちのまわりには生命をおびやかすものがいっぱいでしょ。せめて毎日の食事くらい気をつかいたい」と、加代子さん。無医村へ行って、農業しながら暮らすのが夢という義孝さんは、近所の奥さんたちを集めて、食べものの研究会も開くという熱のいれようだ。      (50・7・17 朝日)




09-04. 青汁食養生に精出すには 世の風習や流行に抵抗して

     友成 左近 

     生きる魚は
      流れに抗して
       生きていく

     死ぬる魚は
      流れに流されて
       死んでしまう

     だれがいったのか思い出せませんが、青汁食養生に精出する心がけに、まことに好個なことばです。
     人々だれでも生活各面にわたって、広く人々の提供するモノやサービスにあずかっていますが、それにはよしあし種々様々なものが流通しているので、無事仕合わせに生活していくには、そこをみずから分別して取捨選択しなければならないからです。わけても食養生は、なにより大切な健康の最大要件であって、もし分別をあやまると、とりかえしのつかぬことも起こるからです。そして青汁食養生は、その最も適確なものですが、世の風習や流行とかけはなれているところが多いので、ついそれに流されて精出しかねるのが実情であるからです。


    まずもって青野菜をそれも青汁にして

     青汁食養生では、広く食物全般にわたってあれこれと改めるのもさることながら、まずもって良質青野菜を、日に自分の体重の1%以上は青汁にして飲むことを最大要件にして、なおそのうえ、煮炊きしてもよし、生であればさらによし、とにかくできるだけ沢山食べるようにしています。
     それは、健康の最も重要な土台である完全栄養をはかるのに、こうする以外に妙手はないからです。というのは、数多い食品のうちで、良質青野菜以外のものはいずれも、成分がいろいろ不足しているが、良質青野菜だけは、すべての成分がもれなくそろっているうえに、その他の食品で不足している成分が格別多いので、これをそれ相当量加えたら、どんな食品でも成分がうまくそろってくるからであり、これを加えずに、どんな食品をどう取り合わせても成分はうまくそろってこないからです。
     そしてこれは、お互い日本人が食べている食品の成分と、栄養摂取の実状や栄養所要量などについて、すでに公表されている調査を、それも中学校や高等学校の家庭科教科書に出ている手近なものでも、そのまま心を開いて活用して、綜合的に判断すれば、だれにでも納得できることです。
     ところが、人々ふつうの食事では青野菜は、粗末なもの、まずいものとして、なにほども食べていない場合が多く、栄養上大切なものと理解していても、なお十分には食べず、厚生省の調査によれば、黄野菜も含めて国民総平均で、日に50gにも達していないのが実状であり、ために厚生省の食構成規準でも、同様70ないし100gてす。
     けれども、青汁食養生では青野菜だけで少なくとも日に500g以上、それも、ふつうの青野菜(といえば、まずホウレンソウやレタスなど)よりも、ケールやカキバダイコンといった養鶏用飼料の方をというのです(成分がはるかに優れた良質のものであり、反当年間収量も多いので)。そして、その成分を最高度に活用し、また胃腸をいためないようにと、まずくなるのを承知のうえで、青汁にして飲むのです。
     ために世の風習からみれば、なんとも風変わりなことで、よく人から、モノずき、ヘソまがり、青汁キチガイといわれるので、あえてこの青汁食養生に精出すには、これこそ本当に健康が保持できる人間のマトモな食べ方と、自分の体験に基づいた適確な理解と堅い信念をもって、世の風習や風評に抵抗していかなければならないわけです。


    無農薬栽培の安全な青野菜で

     それにもうひとつ、当節この青野菜その他作物の栽培に農薬を使って、見た目にキレイなものを作るのが、いわば当然なことになっており、市場に出まわってくるもの、そして人々が好んで買い求めるものは、そうしたものばかりです。
     けれども、青汁食養生では、とくに青汁材料には必ず、農薬などに汚染しないように安全に栽培したものを使うので、それ相当に苦労して自家栽培をするか、それ相当に支出して委託栽培をしなければならず、そうして手当したものは、虫くいのあとのあるもの、虫までついているものばかりです。(配達の青汁や乾燥青汁を利用すれば、支出はさらに多くなります)。
     ために、こうした点からも人々に風変わりヘソまがりといわれるので、虫もくわない青野菜では、いうなれば毒まぶしで、とうてい健康は保っていけないと、世の風習や風評に抵抗しなければなりません。


    食物全般についても

     ところで、こういうふうに青汁を飲み青野菜を食べて完全栄養をはかっても、これ以外の食物に成分不足の著しいものが多いと、その妨げになり、成分がよりよくそろっているものを多くすれば、よりいっそう有効になります。もうひとつ、農薬などに汚染したものや添加物のはいっているものが多いと、せっかく完全栄養をはかっても、この慢性中毒症にかかります。
     そこで青汁食養生では、成分がよりよくそろっていると共に実状最も安全なものとして、今のところ大豆や芋などを主要食品にして、その他は、成分の調和度と安全度を吟味して、あれやこれやをほどほどに、というようにしています。そしていずれも、できるだけ原材料を手当して家庭で調理するように、それも、その成分を最高度に活用するために必要最小限にとどめ、塩気も甘味も極力ひかえるようにしています。
     ところが、人々ふつうの食事では、白米飯や白パンを毎日の主食にするのが、いわば当然のことになっており、副食には切り身の魚や肉を加えることになっています。そして、ご馳走とか栄養食といえば、肉や魚を沢山にすること、それも濃厚に味つけすることになっています。また、おいしい間食といえば、とかく甘い菓子になっています。そしてこうした食物には、市販既製の加工食品を使うのが、あたかも文化的であるかのよう考えられており、食品店に出ているものもマスコミの宣伝食品も、こうしたものばかりです。
     けれども、白米飯や白パンも肉や魚も成分不足の著しいものであり、また肉や魚が栄養上必要不可欠というのは、栄養学についての誤解ないしは迷信です。それに精白米麦も肉も魚も農薬その他で多少とも有害化しているのが実状です。また砂糖も菓子も栄養上は有害無益です。そして市販の加工食品は、殆んどすべて成分不足が著しいうえに添加物で有害有毒化しています。
     そこで青汁食養生に精出すには、こうしたことを適確に理解して、世の風習や流行に抵抗していかなければなりません。


    栄養剤についても

     なおもうひとつ、青汁食養生に精出していると、よく人から、まずいものに手数やカネまでかけなくても栄養剤を使えば、といわれ、食事は自分の好みにまかせて、それで不足する成分は栄養剤で補足するのが、あたかも文化的であるかのように、このごろの流行・風習になっています。
     けれども、どんなに優れた(と製薬会社が宣伝している)綜合栄養剤でも、それでこと足りると考えたら大間違いが起こります。というのはこれには、習慣食で不足している成分、それも既知の成分のうち、ほんの僅かなものを配合しているだけであって、不足している成分は、それ以外に既知未知にわたって数限りないからです。それに栄養剤には、はたして有効なのか疑わしいもの、使い方によっては副作用さえ引き起こすものが多いからです。
     そこで青汁食養生に精出すには、まずもって青野菜を、それも青汁にして必要なだけ十二分に食べなければ、健康の最も重要な土台である完全栄養ははかれないのだと、こうした宣伝・流行に抵抗していかなければなりません。




09-05. 青汁食養生に精出すには 栄養の理法にはすなおに従って

     友成 左近 

    ――神よ、変えることのできるものと、変えることのできないものとを分別する心がけをお導き下さい。そして、変えることのできるものは、いさぎよく変え改め、変えることのできないものは、すなおに副い従う心がけをお導き下さい――
     これはキリスト教界で古くからとなえられている祈りのひとふしですが、その祈り求める心がけは、キリスト教信仰の有無にかかわりなく、人々だれでも生活各面に大切であって、そこを食事についていえば、つぎのようなしだいです。

    食事は専ら習慣に従っているが、
     人間は「習慣の束」といわれているように、こと食事も、というよりも、とくに食事は、めいめい生来身につけてきた習慣に従い、そして、これには格別強く執着します。が、まず食事は、いうまでもなく生きた体の栄養をまかなって健康をはかる食養生であって、この栄養には任意に変えることのできない理法があります。そしてこの食事は、めいめい生得的に備えている生理的な食欲に基づいていますが、この食欲には本来、栄養の理法に副って食物を分別する本能が備わっているので、いうなれば「うまいものが身につく」ようになっているのであって、これは他の動物と同様です。
     けれども人間では、他の動物とちがって、この本能が極めて微弱であって、その代わり、人間は「理知の動物」といわれているように、知能が高度に発達しているので、栄養の理法についての経験的・科学的な知識によって補強され、この知識が本能にとって代わるほどになっています。
     そして人々めいめい、生来養育され教育されて食事をしていく間に、そうした知識を学習して常識や習慣を身につけて、食事は専らこうした常識や習慣に従って営むようになっています。また人間は、「感情の動物」といわれているように感情が高度に発達しているので、こうして常識や習慣を身につけながら食事をしていく間に、食欲が感情的に着色して、そこに好き嫌いが派生して、常識も習慣もこの好き嫌いに色濃く迷彩されてくるので、食事はとかく好き嫌いに従って営むようになっています。

    習慣食のままでは健康は保てないが
     ところで、こうして身につけてきた習慣には、そこは神ならぬ人間のことであれば、人それぞれ程度の差こそあれ、栄養の理法に副っていないところがあります。けれども栄養の理法は、自然の厳然とした法則であって、そうした人間の習慣には左右されません。ために、「うまいものが身につく」といって習慣のままに食事をしていては、とうてい栄養は十分まかなえず、そして栄養は健康の最も重要な土台であるので、やがては病気にかかり、かかって治療をうけても、順調には治ってこないようになります。
     ところが、生来身につけてきた習慣は、それで一応ことなくすごしてきているので、とかく無意識になって、栄養の理法に副っていない間違いには無反省になりがちです。わけでも好き嫌いは、生得的・生理的な食欲に根ざしているので、あたかも自分自身のナマミであるかのように錯覚して、栄養の理法などは分別せずに執着しがちです。
     多少とも分別して、そこに間違いがあり、それはこう改めなければと分かっていても、なお執着して、そして体具合が悪くなれば、とかく安易にクスリにたよって一時を糊塗するのが実情です。けれどもこれは、栄養の理法とちがって、生来学習して身につけてきたものであり、たえず多少とも変わってきているものであって、その気になれば、変え改めることができます。

    青汁食養生は栄養の理法に忠実に副い従ったもの
     そこで、こうした人々ふつうの常識や習慣や好き嫌いは一応タナあげして、栄養の理法に実情できるだけ忠実に副い従っているのが青汁食養生です。従って(その註細は省略しますが)その最大要件は、ふつう人々が、とかく粗末なもの嫌いなものとして、なにほども食べていない青野菜を、それも、ふつう人々が食べているもの(といえば、まずホウレンソウやレタスなど)よりも、殆んど全く食べていないキャベツの外葉やダイコン葉などを、いっそ養鶏用飼料のカキバダイコンやケールなどを(成分が優れ、反当年間収量も多いので)、そして虫くいのあとのあるものや虫までついているものを(危険な農薬はいっさい使わないので)、人並ケタちがいに、少なくとも毎日自分の体重の1%以上と、できるだけ沢山食べること、そして、その成分を最高度に活用し、また胃腸をいためないようにと、生のまますりつぶして、固いセンイを取り除いた青汁にして飲むことです。
     そしてこの青汁は、生のまま、あるいは煮炊きして調味したものとはちがって、初めて飲むときは殆んどすべての人々に、臭いといい、味といい、なんともまずくて飲みずらく、長年飲み続け飲み慣れても、別にそうおいしいものにはならないのですが、そこは承知のうえで飲むのです。ために、この体験者にすすめられても、とかくケギライの感情が先立って、マトモに理解しようとしない場合が多く、多少は理解してきても、とかく自分の習慣にひかれて、ゆがめて理解している場合が多く、ましてや実行となると、なおさらです。
     けれども、これは栄養の理法に忠実に副い従っているので、その意義がよく分からず、効果に不審さえいだいていても、とにかく質・量ともに必要なだけ十分飲み始め飲み続けていると、事実しだいに効果があらわれてきます。と共に、この事実に学んで自分の常識や習慣や好き嫌いを変え改めるようになります。

    習慣に執着する心はしぶといので
     けれども習慣、とりわけ好き嫌いに執着する心はしぶといので、こうは一本調子にいくものではなく、たえず好き嫌いにひかれて逆もどりします。そこで青汁食養生に精出していくには、これこそ栄養の理法に忠実に副い従ったものであって、これに精出して初めて本当に健康がはかれるのだ、好き嫌いにひかれていては健康はえられないと、そこを筋道たてて分別するように、そして、変えることのできない栄養の理法には、すなおに副い従うように、変えることのできる好き嫌いは、いさぎよく変え改めるように心がけることが大切です。とはいっても実情、まずその発心がむずかしく、発心しても、初心を忘れずに継続強化することは、なおさらむずかしく、自分ひとりだけでは至難です。そこで大切なことは、同心同行、互いに相いましめ励ましあうと共に、自分自身としては、神に祈り求めるような心がけで自省自戒することです。




09-06. 青汁食養生に精出すには―科学のマトモな活用に心がけて

     友成 左近 

     お互い縁あって青汁食養生に精出して、その効果を体験してくると、しぜん人にもすすめるようになります。が、多くの場合、かつて自分もそうであったように、容易に聴き入れてはくれないのが実情です。
     人によっては、科学的根拠を云々してナンクセまでつけてくることがあります。
     そしてその多くは、うまいものを食べたいのが人の心であり、うまいものが身につくので、まずい青汁などムリして飲まなくても、自分の好きなうまいものを食べたらよいのであって、それで不足する栄養分は栄養剤で補えばよい、これが科学的・文化的な食事である、ということです。
     が、それは科学技術のトンだ誤解誤用です。といって、こうしたことには、人々だれでもとかく陥りやすく、せっかく青汁に精出していたのに、つい怠ってしまうことがあるので、およそつぎのようなことをわきまえて、この科学のマトモな活用に心がけたいものです。

    栄養剤依存が科学の誤解誤用というのは
     まず、うまいものが身につくというのは、栄養の心理的効果としては確かにそうした一面はありましょう。けれども、うまいものという好みは、野生の動物とちがって、生来本有の(栄養の理法にかなっている)食欲のままではなく、それが生後の生活で社会心理的に文化変質したものであって、栄養の理法にはかなっていないところが多くなっています。
     ために、好みのままに、うまいものばかり食べていては、栄養はとうてい十分まかなえません(栄養の理法は、食欲のように社会心理的に変わるものではなく、自然の厳然とした法則であるので)。そして栄養学の研究は、実は多くの場合、このため招いた健康障害から着手しているわけです。
     が、この研究は、(その方法にきびしい限界があるので)その全面に行き渡るのではなく、その方法にかなった、ごく一面についてです。
     そして、すでに究明されているのは、そのまたごく一面であり、市販されている栄養剤は、(その製造技術や企業経営にきびしい制約があるので)さらにそのごく一部だけについてです。
     従って、うまいものが身につくといって、好みのままに食べて、それで不足する栄養分は栄養剤で補足しても、栄養はとうてい十分まかなえません。
     それに、このごろ発売されている栄養剤は殆んどすべて、自然の食物から抽出したものではなく、化学的に合成したものです。
     従って、その構造式は本体の栄養分と同様であっても、それは一定の限界をもった科学で分析してみたところであって、本当に同様であるとはいいかねるわけです。
     そして実状、その効能のあやしいものが多く、たとえば最近のビタミンB1剤と、かつては米糠から抽出していたB1剤(オリザニン)を比べたら、よく分かる通りです。
     それだけではなく、効果があがらないからと多量に連用していると、副作用を引き起こすものも少なくないのです。

    科学的研究を手がかりに民族長年の知恵に学んで
     従って栄養剤は、科学的研究を活用したものであるからといって、(その効能が、企業の宣伝ではなく、本当に確実で副作用を伴なわないものを、病気その他で必要やむをえず一時利用するのであればともかく)食事の改善をさしおいて利用するものではありません。
     そして、この改善にこそ科学的研究を活用することが肝要なのです。
     そして、この活用というのは、研究のいきさつを手がかりにして、民族長年の知恵に学んで、食物をできるだけ自然なすがたに引きもどすことです。それは、たとえばビタミンB1は、その昔「江戸わずらい」といわれていた脚気にかかるものが明治時代に多くなったのは、白米飯の普及ではないかと考えて、米糠の研究をしているうちに発見され、ビタミンCは、遠洋航海をする船員が壊血病にかかるのは、生野菜を食べないからではないかと考えて、その研究で発見されたしだいです。
     そこでこの研究の活用は、習慣通りに好きな白米飯を食べて、それで不足するビタミンB1の補足にB1剤を利用するのではなく、白米飯をやめて、民族長年にわたって食べ続けてきた玄米飯に改めることです。
     そうすれば、白米飯に不足している成分を、B1だけでなく、さらに広く既知未知にわたって補足できるわけです。と共に、しだいに好みが変わって、玄米飯の方がおいしくなってきます。
     この点、C剤の利用ではなく生野菜を食用することについても同様です。

    良質青野菜だけが本当に完全な栄養食
     ところで、この生野菜、わけても緑色の濃い良質青野菜(従ってホウレンソウの類は除く)は、すでに究明されている成分についても(まだ、まだ究明されていない成分も)、その他の食品はいずれも成分があれこれと不足しているのと異なって、すべてもれなく、うまくそろった本当に完全な栄養食品です。
     そのうえ、どんな食品でも、これをそれ相当量そえたら、その不足分を補足して完全な栄養になるほど、そうした成分が豊富なのです。
     そして、こうした重宝な食品は、良質青野菜だけであって、これを除いて、他の食品をどんなに工夫して取り合わせても完全な栄養にはならないのです。
     それは事実、各民族長年の食物は、いろいろ異なってはいますが、どんな民族でも、青野菜だけは必ずそれ相当量食べ続けている通りです。
     そして、どんな動物でも、直接的にか間接的にか(ライオンなどの肉食動物が食べるのは草食動物であり、まっさきに食べるのが、その胃腸のなかで半ば消化している青草であるように)必ず青草を食べています。
     そこで食事に肝要なことは、まずもって良質青野菜をそれ相当量(習慣食では、めいめい体重の1%以上)食べること(実状その最も有効適切な食べ方として青汁にして飲むこと)であり、そのうえでその他の食物を、民族長年にわたって食べ続けているよう(すなわち必要最少限に手を加えた自然のままのものに)に引きもどすことです。
     これが青汁食養生の要領であり、これこそ栄養学の研究をマトモに活用したものであって、こうして初めて既知未知すべての成分がうまくそろった本当に完全な栄養がはかれるのです。




09-07. 青汁食養生に精出すには 真摯な心と安易な心について

     友成 左近 

     お互い縁あって、遠藤先生に師事して青汁食養生に精出していますが、始めて間もない人でも長年続けている人でも、それは並大抵の努力ではありません。というのはひとつには、その意義や方法をマトモに理解して、その通りに実行しようという真摯な心は確かにあるのですが、それでいて、とかく安易に自分の常識や習慣や好みや世間の風習や流行に引き流され、そこに間違いがあることが分かっていても、なお安逸もし執着もする心が根強いからです。そこでお互い、幸い青汁食養生に心がけたので、それにこれは、どんな病気の治療にも予防にも健康のよりいっそうの増進にも、最も有効適切な決め手であるので、できる限り真摯な心を守り立てて、安易な心に引き流されないようにしたく、そして自分の常識や習慣や好みも改善したいものですが、それには、しごく平凡なことながら、こう努力してはどうでしょうか。

    青汁食養生というのは
     まず念のため青汁食養生というのは、健康保持の最も重要な土台である完全栄養をねらったもので、まず第一に、ほかにどんな食物をどんなに工夫しても、そこに必要不可欠である良質青野菜を、それも必ず安全なものを、必要なだけ十二分に(習慣食では日に自分の体重の1%以上)食べること、その最も有効適切な食べ方として、それを青汁にして(500gを2カップにして)飲むことを最大要件にしています。
     そしてつぎに、その他の食物には、この青野菜が完全栄養によりいっそう有効になるように、成分がよりよくそろっていると共に、実状できるだけ安全なもの、たとえば大豆や芋などを重用して、そうでないもの、たとえば精白した米麦や筋肉部だけの肉魚や砂糖など、あるいは市販の加工・既製食品は極力ひかえることにしています。
     従ってこれは、人々ふつうの常識や習慣や好みや世間の風習や流行とはかけはなれているので、体験者に親身にすすめられても、この意義をマトモに理解することがむずかしく、多少は理解しても容易に実行しがたく、実行し始めても長続きしがたく、それ相当に長続きしていても、いつの間にかやめてしまうこともあるのが実情です。

    体験を重ね見聞を広めそのあとを総括して
     そこで、まず第一に肝要なことは、お互い多少とも理解して心がけたことを、これ幸いと、この最大要件である青汁を、毎日1カップといわず2カップ以上は飲み続けることです。そうすれば、どんなに飲みずらくても、またこの意義がまだよく分かっていなくても、これは、そうしたことには係わりのない生きた体の栄養理法に、最も的確に副い従っているので、やがては必ず、その効果が体にあらわれてきます。
     そこで、この体験をさらに積み重ねていくと、やがてはおのずと体が青汁を要求してくるようになります。が、ここで大切なことは、心を新たに、その意義の理解につとめて、この体験を知的に裏づけながら、その他の食物も改善していくことです。
     と共に大切なことは、この体験や理解を友人知人に伝えもし、すすめもすることです。そうすれば、そうした人々からも体験や理解を聞くことができるので、それに深く耳を傾けて見聞を広めることです。そして、こう努力していくとき、もうひとつ大切なことは、新たに体験もし理解もし見聞もしたことを総括して、よりいっそう精出していく足がかり手がかりを確かめもし把えもすることです。それまで自分の食事にどんな不行届や間違いがあり、ために体具合がどうであったが、それをどう改めたら体具合がどうなったか反省して、それではこれから、どこをどう改めようかと当面の努力目標をたてることです。

    しつこい安易な心を自他共に認容して
     ところが、こう努力していくとき人々だれでも、たえず安易な心がしつこくつきまとってくるので、とうてい真摯ひと筋にはいきません。が、「隣りの柿は赤い」といわれているように、とかく他の人はしごく真摯ひと筋に思われます。ために、どうして自分はこうだらしないのかと、心が内にこもって悲観もし苦悩もして、精出していく気力がめいってくることがあり、どうせロクに実行できないのであれば、「毒くわば皿まで」と投げ出して、かつての間違った習慣や好み通りに逆もどりすることもあります。
     そこで大切なことは、安易な心がしつこいのは、自分だけのことではなく人々だれにも共通しているのだ、打ち消してしまおうとしても、それはムリというものだと、人の心の実情を認めもし容しもすることです。そしてそのうえで、まえに体験したことを思い起こして、真摯な心も確かにあることを認めて守り立てて、安易な心に引き流されてしまわないように工夫することです。
     たとえば、つい青汁を飲み怠ったら、つぎにはその埋め合わせをしようと沢山飲むこと、ひかえようとしていた菓子などを沢山食べたら、毒を食べすぎた、その毒消しをしなければと、それだけ沢山青汁を飲むこと、あるいは、毒を食べすぎることがあるので、その予防にと、平素から必要以上に沢山飲むことです。
     なお念のため、これは人に青汁食養生をすすめるときにも同様であって、すすめた通りに実行してくれないからといって、ヤタラとせめたてたり、ダラシのない人だと投げ出したりしないことが大切です。また、人に見聞するとき、安易な心にどう対処して精出してきたか、その工夫に留意することが大切です。

    定期に集談会を開いて
     なおもうひとつ、倉敷その他で毎月定期に開いている青汁教室や年一度の青汁総会などの経験から言い添えたいのは、地域(支部)毎に青汁仲間が、できれば定期に集談会を開いては、ということです。青汁食養生に精出すには前記のように、その体験や理解を人に伝えたり聞いたりすることが大切ですが、ごく限られた人々の間で、たまたま出会ったときにだけしていては、どうしても不行届になり、モッタイなくもあるからです。そこで地域毎に、だれか世話人になって集談会を開いて、互いに精出してきた工夫や体験を話しあい、それを「健康と青汁」紙や遠藤先生の書物で読みとった理解で裏づけあうと共に、青汁と「イモ・マメ・ナッパ」で会食もして、青汁食養生の基本を実習しては、というわけです。




09-08. 青汁食養生に精出すには(1) 生活と食事に実効的な配慮を

     友成 左近 

     青汁食養生は、幸い縁あって始めても、それ相当期間続けていても、なにか余計なカネやテマがかかるように思って、不十分なままに足ふみしている場合が少なくないようです。
     それは、ひとつには自分の習慣や好みや、世間の風習や流行に副っていないからであり、従ってまた、この意義や方法をみずから体験して的確に理解していないからですが、もうひとつには広く生活と家計全般にわたり、また狭く食事と食費について、そこでカンジンカナメなことはなにかと、よく考えた実効的な配慮が足りないからでしょう。

     そこで、この実効的な配慮に心がけて、みずから体験していくと、この意義や方法がだんだんよく分かってきて、よりいっそう精出すようになり、しだいに習慣も好みも改善され、世間の風習や流行にもそう安易に従わないようになります。

    生活と家計全般では食事と食費に最大配慮を
     まず生活と家計全般にわたって実効的に配慮するには、食事と食費に最大の配慮を払うことが大切です。

    食は命なり
     生活には多種多様の側面がありますが、各側面に通じて真実カンジンカナメなことは、「イノチあってのモノダネ」といわれているようにめいめいかけがえのない生命を大切にして健康を保持増進することであって、もし健康でなかったら、どんな側面の生活も、とうてい無事首尾よく成し遂げることはできません。
     そして、この健康の保持増進には、生活各面にわたって配慮しなければなりませんが、そのうち肝要なことは、「食は命なり」といわれているように、毎日の食事で栄養を十分に、それも安全な食品でまかなうことです。
     従って、もし食事と食費に最大の配慮を怠っていると、たとえ一時は無事仕合わせに生活しているようであっても、やがては健康が損なわれて、生活各面にわたってニッチもサッチもいかなくなり、ついにはモトもコもなくなってしまうこともあります。

    いかにも分かりきったことながら実情は
     といえば、いかにも分かりきったことですが、実情そうは配慮していない場合が多いようです。とくに最近は、わが国経済が高度に成長して生活水準が向上するにつれて、生活上の欲求や関心が多面にわたって拡大し、それもとかく世間の流行、とりわけ最近20年間に移り変わった「三種の神器」などのように、健康の保持増進と食事にはそう意味のないことに押し流されて、つい食事と食費に最大の配慮を怠る場合が多くなっています。
     そして、この経済が貨幣主義的になっているので、「地獄のサタもカネしだい」と、「食うものも食わずに」「カラダをはって」、まずカネをかせぐこと、ためることに最大の関心を払い、そして生活上の欲求も必要もすべて、みずからテマをかけるよりもカネでまかなうようになっています。
     ために、日々最もテマのかかる食事は、とかく手ッ取り早く市販の既製食品で(その栄養や安全のことなど、そう深くは考えずに)すます場合が多くなっています。
     それに食事は、実情そう人目にはつかないことであり、そして食欲は(一応量的には)ほどほどで満足するので、つい(質的にも)そう深くは配慮しないようになりがちです。
     そのうえ実情、食事について、わけてもその栄養と安全についての的確な教育やしつけが、家庭においても学校や社会においても、そう重視されていないので、人々だれしも、程度の差こそあれ間違った習慣や好みを身につけています。
     そしてこの習慣や好みは、いったん身についてくると、そこに間違いがあることが分かっていても、なお執着するのが実情です。ためにか、市販の食品とりわけ加工・既製食品は、この間違った習慣や好みにつけこむようなもの、ますます助長さえするようなもの、そして栄養にも安全にも(巧妙に宣伝はしていても実際)そう配慮はしていないものばかりです。

    生活水準は向上したが病気にかかりやすく
     こういうしだいで最近、生活水準が向上して、いわゆる文化的な生活ができるようにはなってきたのですが、つい食事と食費に最大の配慮を怠る場合が多くなっています。ために、病気にかかることが多くなっていますが、かかれば、医療が進歩普及していることを、これ幸い、これまた文化的にと、とかく安易に医療にばかりたよって、(この医療が実情、養生わけても食養生の的確な指導に不行届であることもあって)みずから食養生につとめることを忘れもし怠りもして、一応は治ってきたようでも、本当には治ってこない場合が多くなっています。
     ときには、自分や家族の医療費に追われて、ムリまでしてカネをかせがなければならなくなっている場合もあります。そこで、こうした実情をみきわめて、本当に無事仕合わせに生活していけるようにと実効的な配慮をすれば、生活と家計全般にわたって、「食は命なり」と、健康の保持増進に最大の関心をよせて食事と食費に最大の配慮を払い、そこに必要なカネもテマもそう余計なこととは思わないようになります。
     そしてつぎにみるように、その最も的確で有効適切な青汁食養生には、なおさらであって、それ相当のカネもテマもかけて精出すようになります。

    (つづく)




09-09. 青汁食養生に精出すには(2) 生活と食事に実効的な配慮を

     友成 左近 

     青汁食養生は、幸い縁あって始めても、それ相当期間続けていても、なにか余計なカネやテマがかかるように思って、不十分なままに足ふみしている場合が少なくないようです。
     それは、ひとつには自分の習慣や好みや、世間の風習や流行に副っていないからであり、従ってまた、この意義や方法をみずから体験して的確に理解していないからですが、もうひとつには広く生活と家計全般にわたり、また狭く食事と食費について、そこでカンジンカナメなことはなにかと、よく考えた実効的な配慮が足りないからでしょう。

     そこで、この実効的な配慮に心がけて、みずから体験していくと、この意義や方法がだんだんよく分かってきて、よりいっそう精出すようになり、しだいに習慣も好みも改善され、世間の風習や流行にもそう安易に従わないようになります。

    生活と家計全般では食事と食費に最大配慮を
     まず生活と家計全般にわたって実効的に配慮するには、食事と食費に最大の配慮を払うことが大切です。

    食は命なり
     生活には多種多様の側面がありますが、各側面に通じて真実カンジンカナメなことは、「イノチあってのモノダネ」といわれているようにめいめいかけがえのない生命を大切にして健康を保持増進することであって、もし健康でなかったら、どんな側面の生活も、とうてい無事首尾よく成し遂げることはできません。
     そして、この健康の保持増進には、生活各面にわたって配慮しなければなりませんが、そのうち肝要なことは、「食は命なり」といわれているように、毎日の食事で栄養を十分に、それも安全な食品でまかなうことです。
     従って、もし食事と食費に最大の配慮を怠っていると、たとえ一時は無事仕合わせに生活しているようであっても、やがては健康が損なわれて、生活各面にわたってニッチもサッチもいかなくなり、ついにはモトもコもなくなってしまうこともあります。

    いかにも分かりきったことながら実情は
     といえば、いかにも分かりきったことですが、実情そうは配慮していない場合が多いようです。とくに最近は、わが国経済が高度に成長して生活水準が向上するにつれて、生活上の欲求や関心が多面にわたって拡大し、それもとかく世間の流行、とりわけ最近20年間に移り変わった「三種の神器」などのように、健康の保持増進と食事にはそう意味のないことに押し流されて、つい食事と食費に最大の配慮を怠る場合が多くなっています。
     そして、この経済が貨幣主義的になっているので、「地獄のサタもカネしだい」と、「食うものも食わずに」「カラダをはって」、まずカネをかせぐこと、ためることに最大の関心を払い、そして生活上の欲求も必要もすべて、みずからテマをかけるよりもカネでまかなうようになっています。
     ために、日々最もテマのかかる食事は、とかく手ッ取り早く市販の既製食品で(その栄養や安全のことなど、そう深くは考えずに)すます場合が多くなっています。
     それに食事は、実情そう人目にはつかないことであり、そして食欲は(一応量的には)ほどほどで満足するので、つい(質的にも)そう深くは配慮しないようになりがちです。
     そのうえ実情、食事について、わけてもその栄養と安全についての的確な教育やしつけが、家庭においても学校や社会においても、そう重視されていないので、人々だれしも、程度の差こそあれ間違った習慣や好みを身につけています。
     そしてこの習慣や好みは、いったん身についてくると、そこに間違いがあることが分かっていても、なお執着するのが実情です。ためにか、市販の食品とりわけ加工・既製食品は、この間違った習慣や好みにつけこむようなもの、ますます助長さえするようなもの、そして栄養にも安全にも(巧妙に宣伝はしていても実際)そう配慮はしていないものばかりです。

    生活水準は向上したが病気にかかりやすく
     こういうしだいで最近、生活水準が向上して、いわゆる文化的な生活ができるようにはなってきたのですが、つい食事と食費に最大の配慮を怠る場合が多くなっています。ために、病気にかかることが多くなっていますが、かかれば、医療が進歩普及していることを、これ幸い、これまた文化的にと、とかく安易に医療にばかりたよって、(この医療が実情、養生わけても食養生の的確な指導に不行届であることもあって)みずから食養生につとめることを忘れもし怠りもして、一応は治ってきたようでも、本当には治ってこない場合が多くなっています。
     ときには、自分や家族の医療費に追われて、ムリまでしてカネをかせがなければならなくなっている場合もあります。そこで、こうした実情をみきわめて、本当に無事仕合わせに生活していけるようにと実効的な配慮をすれば、生活と家計全般にわたって、「食は命なり」と、健康の保持増進に最大の関心をよせて食事と食費に最大の配慮を払い、そこに必要なカネもテマもそう余計なこととは思わないようになります。
     そしてつぎにみるように、その最も的確で有効適切な青汁食養生には、なおさらであって、それ相当のカネもテマもかけて精出すようになります。

    (つづく)




09-10. 青汁食養生に精出すには(3) 生活と食事に実効的な配慮を

     友成 左近 

     青汁食養生に精出しかねるのは、ひとつにはなにか余計なカネやテマがかかるように思うからでしょう。
     が、ものは思いようで前二稿でみたように、まず広く生活と家計全般にわたって、そこでカンジンカナメなことはなにかと、よく考えた実効的な配慮をすれば、「イノチあってのモノダネ」と、生命を大切にして健康の保持増進に最大の関心をよせ、「食は命なり」と、食事と食費に最大の配慮を払うようになります。
     そしてこの食事と食費について、そこで肝要なことはなにかと、よく考えて実効的に配慮すれば、「生命の源泉は緑葉」と、良質青野菜を(それも必ず安全なものを)十二分に食べて完全栄養をはかることに最大の配慮を払い、そこに必要なカネもテマもそうおしまないようになります。

    良質青野菜の最も実効的な食べ方が青汁
     ところで、良質青野菜を十二分に食べるには、人々ふつうの食習慣では、コマツナ程度のもので日に少なくとも500g(めいめい体重の1%)と、その10倍以上になります。
     従って、これだけ多量のものを年間通して手に入れ、その成分が最高度に消化吸収するように、また胃腸をいためないように食べるには、それ相当の工夫が必要であって、実情その最も実効的な食べ方が、青汁にして飲むことです。
     そしてこれは、人々ふつうの習慣や好みや世間の風習や流行とは少々かけはなれていますが、この意味をよく理解すれば、習慣や好みなどはタナあげして、それ相当にカネもテマもかけて飲むようになります。

    良質青野菜でも生のままよくかむことが大切だが
     広く野菜果物もさることながら良質青野菜でも(その大部分はゴワゴワもしアクッぽくもありますが)、口ざわりや味わいはともかく、成分を最高度に消化吸収し、また胃腸をいためないようにと、実効的に食べるには、生のまま(固いジクは取り除いて)よくかんで食べることが大切です。
     といって、ふつうの大根葉や人参葉などのように刺激性が強いものやセンイが固いものは、それ相当に湯がいたり煮たきしなければなりません。
     が、そうでないものまで、そんなことをすると、成分によっては、多少とも分解して無効になり、ゆで汁にとけ出て捨てたり煮汁にとけ出て食べ残したり、あるいは化学的に変質して消化吸収や吸収後の利用が劣ってきます。
     また、よくかんで食べないと、大切な栄養分は固いセンイ組織のなかにあるので消化吸収が劣り、そのうえ胃腸をいためます。
     なお、湯がいたり煮たきした場合(成分の損失防止のため、つとめて軽くするので)かえってシワくなって、生のままより(かみつぶしやすいように、ほどよく冷やしてピンとさせておくので)、口ざわりはよいようでも実は十分かみつぶせないことが多く、この点、漬け物はなおさらです。けれども、どんなに丈夫な歯で、時間も十分かけても、実情とうてい毎日必要量だけ十分食べることはできず、歯の悪い人や総入歯の人や、胃腸の弱い人では、なおさらです、私どもの経験では、丈夫な歯で一度に30分間以上かけても、コマツナ程度のもので、せいぜい100gか150gで、それ以上となると多少とも胃腸にこたえるようです。
     そして、成分の優れているものほど、センイが固くて、かみつぶしにくいのが実状です。

    青汁にすれば
     そこで工夫されたのが青汁であって、ジューサー、ミキサー、ミンチ、スリバチなどで、よくすりつぶした後、汁だけしぼりとって、固いセンイは取り除いて飲むわけです。
     こうすれば、250gの青野菜が1合、180gの青汁になります。
     そしてこれには、もとの青野菜の栄養分が殆んどすべて(即刻利用できる生きた性状で)含まれており、また、栄養分ではないが便通その他に必要なセンイも相当量、胃腸をいためる心配はないほど、よくすりつぶされて残っています。
     そしてこれなら、日に2合以上飲むのは、(少々まずいことさえ辛抱すれば)別にそうむずかしいことではないので、どんなに歯の悪い人でも、胃腸をいためることなく青野菜を必要なだけ十分食べることができます。
     それだけではなく、どんなにセンイの固いものでも、さらに広く家畜の飼料でも使えるようになります。
     従って、ふつうの青野菜だけでは年間通して必要量を確保するのは実状至難なのですが、家畜の飼料まで使えば、これには年間通して栽培もしやすく、坪あたり収量も多く、そのうえ成分も優れ味もよいものが多いので、年間通して必要量を確保するのに好都合です。
     なおこのごろ、青汁といえばケール、というふうになっていますが、それは、もともと家畜の飼料であったケールが、こうした条件を最もよく備えているうえに、青汁を作るときのテマも少なくてすむので、これを使うようになって青汁が普及し始めたからです。
     従って、青汁にケールだけを使う必要はなく、広くどんな青野菜でも飼料でも、良質であれば(そして刺激性がなければ)使ってけっこうであり、そうした方が実状より好都合です。
     また、乾燥青汁にも今のところ主としてケールを使っているようですが、これも青汁にケールを使うようになってからです。
     夏も冬も年間通して必要量を確保しようとすれば、春と秋には多量にできすぎてムダになるので、それを活用して良質で安全な青野菜が手に入りにくい人々、とりわけ寒冷積雪地方の人々に供給しようとしたわけです。

    青汁食養上の第一要件
     そこで青汁食養生では、まず第一に、良質青野菜を毎日必要量だけは青汁にして(ふつう人並の健康状態では500g・2合以上、なんぞ厄介な病気にかかっている場合は、それ以上に飲めるだけ沢山)飲むことを最大要件にしています。
     それは、他のどんな食物ともちがって、実情どんなに沢山飲んでも(これまでの最高レコードは16合)別に差し障わりはなく、多ければ多いほど、よりいっそう本当に完全な栄養がはかれ、それだけ治癒力が強化するからです。
     なお、この青汁には必ず安全なものを使うことにしています。
     なにぶん人々ふつうの10倍以上も食べるので、農薬その他に汚染していると、その中毒症が起こるからです。
     そしてそのうえで、安全な青野菜が手に入る

    (つづく)




09-11. ナッパ・青汁といい出して33年 まったく、阿呆の一つおぼえもいいところ

     医学博士 遠藤 仁郎 

    緑葉食・青汁
     はじめ、緑葉食・青汁といった。ともかく、ナッパをうんと食べよう(緑葉食)。それも、なるべく生で。食べにくければすりつぶして汁にして飲もう(青汁)、というのだ。目的は栄養のバランスをとるため。当時(戦時中から戦後にかけて)の邦食は、熱量・蛋白質も十分ではなかったが、ミネラル・ビタミンの不足はいっそう甚だしかった。ナッパには、すべての栄養素がそろっている(すぐれた蛋白質もある)うえ、ほかの食品に欠乏するか不足しているミネラル・ビタミンにもとんでいるので、これさえ十分にとれば、簡単に、かつ容易に完全食にすることができる、とかんがえられるからだ。こうして、バランスがよくとれた完全食にすれば、代謝が完全におこなわれ、血がきれいになり、からだ中の、すべての細胞・組織・臓器のはたらきが正しくなり、さかんになるから、健康状態はよくなり、体力・抵抗力は旺盛。病気にはかかりにくく、治りはよくなる。また、栄養素の利用がよくなり、熱量・蛋白質を節約する効果があるので、当時の食糧不足の対策としての意味もあった。量は、厚生省発表の全国平均食から割り出すと、良質ナッパ(ビタミンにとみ利用しやすいカルシウムにとむ)400〜500グラム。青汁にして約2合だが、多ければ多いほどよい(病気のばあいはなおさら)。材料には、緑色が濃くて、ホウレンソウ・フダンソウ以外の野菜であれば、なんでもよい。条件さえそろえば野生草木の葉も利用できる。しかし、質がよく、年中あり、しかも収量の大きいという利点があるケールを主体にして来た。なお、当時はまだ農薬乱用以前のことであったから、下肥をつかってない清浄栽培物であればよかった。

    殺人食時代
     そのうち、工業の発展とともに、環境はしだいに汚染されて来た。栽培法も変って来て、浅耕、化学肥料依存農法となり、強力な農薬が乱用され土壌は荒廃して来た。ために、農作物の質が落ち(ミネラル・ビタミンが乏しくなっただけか、蛋白質も劣質化した)、あまつさえ、有害有毒にさえなった。蓄・水産物また同様。さらに、食品加工がさかんになるにつれ、添加物汚染の危険が加わり、既成食品・貯蔵食品・インスタントものの氾濫とともに、安心して食べられるものは殆んどなくなってしまった(殺人食時代)。

    イモ・マメ・ナッパ・青汁食
     そこで、食品については、ただ栄養の点(完全性)だけでなく、同時に、安全性についても吟味しなければならなくなり、緑葉食・青汁から、イモ・マメ・ナッパ・青汁食ということになった。すなわち、主食には、栄養的(完全性)にも安全性からも問題のある米・麦よりは、ずっと無難なイモ(雑穀、豆)を、蛋白食には、同様問題の少なくない肉・魚よりは、大豆ものを主体にしよう。そして、安全良質のナッパをうんとそえ、なるべく多くを生で食べ、青汁にしても飲もう、というわけだ。たとえば、イモ600、大豆100〜150、ナッパ1000グラムにすれば、栄養素は完全にそろい、ミネラル・ビタミンには十分余裕のある食となる。そして、これは、すべての食品が安全良質であってほしいが、それの、にわかには望みがたい現時点で可能な、もっとも安全かつ完全な食とかんがえられるからだ(食の合理化・自然化)。また、必ずしも供給の容易でないナッパの量も少なくてすむ。厚生省発表の全国平均食の米・麦をイモに、肉類を大豆にかえてみると、ナッパ200〜250グラム、青汁にして約1合で、うすくバランスがとれる。

    もっと多い方がよい
     ところが、経験を重ねているうちに、青汁はもっと多い方がよい――緑葉食・青汁はもとより、ナッパの少なくてすむイモ・マメ・ナッパ・青汁食でも――2合、3合といわず(それでは効果がなく)、4合、5合、6合(もとの材料ケール1〜1.5キロ)以上もの大量にして、はじめて、しかも奇蹟ともいいたいほどの効果が、時に、あるということがわかってきた。

    何によるのか
     この事実は、これまでの常識。栄養のバランスということだけでは説明がつかない。どうしても、何か、極めて微量にしかないが、健康上なくてはならないものが、ナッパの中にあるため、としかかんがえられない。それは、あるいは、さいきん注目されている痕跡ミネラルかも知れない。が、おそらく、ほかにもまだ十分科学されていないもの、たとえば、酵素系に強力な作用をもつといわれているフラボン体といったものなど、未知成分があるに相違あるまい。

    生活の自然化
     それはともかく、環境はよごれ、大気にも、水にも、大地にも、食物にも、公害いっぱい。運動・鍛錬は不足。人間性喪失、ストレスいっぱいのいらだちたった毎日。そして、はなはだしく欧米化し、栄養的にはひどく不完全な、肉・脂肪・糖・精製穀にかたより、高度に加工され、繊維に乏しくなった贅美食の飽食。タバコ・酒・菓子・コーヒー。また、医薬品その他薬品放射線の乱用。という、あまりにも不自然不合理な日常生活。これでは、いきていられるのが、病気しないのが、不思議とさえ感じられ、じじつまた、成人病はじめ、各種の難病・奇病がふえつづけている現在、もっとも必要なことは、このあやまった日常生活の建直し(自然化・合理化)であり、その手はじめは、まず、こうした素朴な自然食からではないだろうか。また、こういう不良の環境の影響をもっともうけやすい幼児の健康をまもるためには、なるべく早くから――妊娠中(理想的には両親の日常から)、あるいは乳幼児期、おそくとも幼稚園〜小学校時代から、こうした自然食になじみ、せめて青汁だけでも飲む習慣をつけてやるべきだろう。なお、緑葉食・青汁、イモ・マメ・ナッパ・青汁食とはいっても、決して、それ以外には何も食べてはならぬ、という窮屈なことを主張しているのではない。要は、できるだけ安全な完全食にしよう、というのであり、これに徹して、ナッパ・青汁に十分の余裕があれば、安全性と分量に気をつければ、何(肉・魚・卵・米飯・パン・菓子・酒などにしても)を食べても差支ないわけだから、食事は、むしろ、反対にずっと自由になる(融通無礙食)。

    安全食品の供給
     残る問題は安全食品の十分な供給だが、農産物は自然農法――深耕し、堆肥・鶏糞・油粕・魚粉・石灰・木灰などによる健康農法により、この健康作物を飼料とする蓄・水産法にすれば、決して困難でも不可能でもない。もっとも、根本的には、行政なり企業なりの姿勢が健康優先に切りかえられなければならないことはいうまでもない。(51・1)(遠藤)




09-12. 青汁食養生に精出すには(4) 生活と食事に実効的な配慮を

     友成 左近 

     青汁食養生は、幸い縁あって始めても、それ相当期間続けていても、なにか余計なカネやテマがかかるように思って、不行届なままに足ふみしている場合が少なくないようです。が、前3稿でみたように、ものは思いようです。まず広く生活と家計全般にわたって、そこでカンジンカナメなことはなにかと、よく考えて実効的に配慮すれば、「イノチあってのモノダネ」と、かけがえのない生命を大切にして健康の保持増進に最大の関心をよせ、「食は命なり」と、食事と食費に最大の配慮を払うようになります。そしてこの食事と食費について、そこで肝要なことはなにかと、よく考えて実効的に配慮すれば、「生命の源泉は緑葉」といわれているように、健康の最も重要な土台である完全栄養をはかるのに必要不可欠で、しかも至って重宝である良質青野菜を、それも必ず安全なものを十二分に食べることに最大の配慮を払うようになります。そこで、この良質青野菜の十二分な食べ方として、実情最も実効的なのが青汁であれば、そこをみずから体験して的確に理解すれば、自分の習慣や好みや世間の風習や流行などは一応タナあげして、必要なだけは十分、それ相当にカネもテマもかけて飲まねばと思うようになります。

    安全な良質青野菜は市販では入手至難
     ところで、それ相当に金もテマもかけて、というのは、良質青野菜、それも農薬その他に汚染していない安全なものが、ふつう市販では(また自由にとれる野草や木の葉でも)入手至難であるからです。ために、少量ながらも市販されているものも、その安全性が確認できない限り安易に使ってはならず、必要なだけ十分確保するには、それ相当のカネやテマをかけて委託栽培か自家栽培をしなければなりません。それができないときは、遠藤青汁友の会が(ごく限られた地域ながら)製造分配している青汁か、あるいは乾燥青汁を利用することはできますが、これには、材料確保や青汁作りのテマは省けるが、より多くのカネがかかります。

    食事全般にわたって実効的な配慮が必要
     そこで(といって、ただそれだけではなく)大切なことは、青汁をそう沢山飲まなくても完全栄養がはかれるように、食事全般にわたって改めることです。毎日の食事に、成分がよりよくそろっているもの(熱量食品としては未精白の米麦や雑穀や雑豆や芋、蛋白食品としては全体食の小魚や卵や牛乳や大豆など)を取り合わせると共に、成分が著しく偏っているもの(精白した米麦や筋肉部だけの肉魚や砂糖など)は極力ひかえること、そして、つとめて薄味にして、すべてよくかんで食べることです。こうすれば、成分がよりよくそろっているものには比較的安価なものが多く、そのうえ比較的少量でこと足り、また実情、食欲が本当にみたされて、ほどよく少食にもなってくるので、胃腸その他の負担が軽くなって健康の保持増進に、また食費の軽減にも好都合になります。また、青汁を必要量、あるいはそれ以上に飲んでいるうえに、なおこうすれば、よりいっそう本当に完全な栄養になって、これまで味わったことがないほどシンから丈夫になり、あるいは現在の医療では治癒至難といわれている病気でも、多少とも軽快し治ってもくるようになります。もうひとつ、もしこうしないと、ときについ食べすぎて、胃腸に余計な負担をかけ、また肥満体にもなって、(たとえ青汁を必要量以上にと沢山飲んでいても)健康に差し障るようになるおそれがあります。(なお、とくに食欲旺盛な人は、こう改めても、やはり同様に、少しひかえめに食べることが大切です)ところで、こうした食品も青野菜と同様に、ふつう市販品は、殆んどすべて程度の差こそあれ、原材料からして危険な農薬その他に汚染しており、加工・既製食品になると、そのうえ危険な薬品まで添加されています。が、そこを知らずか知っていてもか、そう深くは吟味選択せずに毎日使っている場合が少なくないのが実情です。そしてこれが、不完全な栄養と相乗的に作用して、病気にかかりやすく、かかって治療しても本当には治りきれない主要原因になっています。

    青汁食養生の第2要件
     そこで青汁食養生では、安全な良質青野菜につぐ主要食品には、成分がよりよくそろっていると共に実情最も安全なものとして、大豆と芋あるいはこれに準ずるものを取り合わせ、それも、つとめて原材料を手に入れて家庭で安全に実効的に調理することにしているのであって、これが青汁食養生の第2要件です。「イモ・マメ・ナッパ」というのは、ここから生まれた合言葉です。が、念のため、第1要件について、まえにもふれたように、良質青野菜を生のまま、あるいは煮たきして沢山食べているからといって、青汁は決して減らさないように心がけるのと同様に、第2要件に心がけているからといって、第1要件は決しておろそかにしないように、とくと心がけることが大切です。実情、第1要件に必要なカネやテマにかまけて、とかくつい本来・軽重をあやまることがあるからです。

    実情確かにそれ相当のカネやテマはかかるが
     ところで、これまでみてきたように青汁食養生には、第1要件にも第2要件にも、当節確かにそれ相当のカネやテマがかかるのが実情です。といって、これが自分の習慣や好みにあい、世間の風習や流行にもかなっておれば、人の心の常として、このカネもテマもそうおしまず、あれこれと工夫もし努力もします。が、青汁食養生はそうしたものとは少々かけはなれ、とりわけ最大要件である青汁は、長年飲み続け飲み慣れて、その効果をシカと体験し、この意義もよく理解していても、ギリにもそうおいしいものではないので、このカネやテマがとかく余計な負担に思われるわけです。けれども、これまでみてきたように広く生活と家計全般にわたり、また狭く食事と食費について、そこで本当に肝要なことはなにかと、一本シカと筋を通して実効的に配慮すれば、そうした思いにつきまとわれながらも、どうにか対処して精出していけるのではないでしょうか。(おわり)




引き続き、食養生10へ 






ご意見・ご要望はこちらへ
階層リンク 田辺食品 青汁 健康と青汁 上の階層へ
サービスリンク 更新記録 全体構成 商品紹介 注文方法

Copyright 2008 06 田辺食品株式会社