健康と青汁タイトル小
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05-01 160号 食養生についての断想(26) 情報化時代に対処するには
05-02 161号 食養生についての断想(27) 病気の今昔その1
05-03 162号 食養生についての断想(28) 病気の今昔その2
05-04 163号 食養生についての断想(29) 病気の今昔その3
05-05 164号 食養生についての断想(30) 病気の今昔その4
05-06 165号 食養生についての断想(31) 主として湿疹について
05-07 166号 食養生についての断想(32) 主として脚気・疲労について
05-08 167号 食養生についての断想(33) 主として胃腸病について
05-09 172号 食養生についての断想(34) 主として慢性胃腸病の治療について
05-10 176号 食養生についての断想(35) 主として肝臓病について
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05-01. 食養生についての断想(26) 情報化時代に対処するには

     友成 左近 

     この頃は、まさに情報化時代であり、強迫情報の時代である。こと食品や食べ方についても例会ではなく、その広告や紹介や解説が、テレビ・ラジオ・新聞・雑誌・パンフレットなどを通じて、いやというほど目や耳にたたきこまれる。また、市場や街頭でも、あれこれと宣伝され、その上、いわゆる口コミ屋を通じて問わず語りに耳に流しこまれる。さらに、お互い平素の交際の間にも、いろいろと聞かされる。
     だが食べ方は、健康と生命にかかわる重大事である。よほどよく気をつけで賢明に対処しないと、取り返しのつかぬ大間違いを引き起こすことがある。テレビで「うつぶせ育児法」を半かじりして、ちっ息死させたように。

     食品メーカーの宣伝文句をマにうけては、大間違いを引き起こすことが多いのは、いうまでもない。
     従って、芸能界・スポーツ界における有名タレントが言っていることを、そのままマにうけても同様である。メーカーからカネをもらって、心にもないことを言っている場合が極めて多いからだ。そうでなくても、別にこの道の専門家ではなく、また自分で体験したこと、そしてそれを科学的に評価してはいないことが多いのだ。
     また、政界・官界・財界などにおける有力者が言っていることも、それがすべて間違いないものと受け入れては、大間違いを引き起こすことがある。別に企業からカネをもらって宣伝しているわけではなかろうが、有名タレントの場合とほぼ同様である。
     さらに、医学者・栄養学者その他この道の専門家が言っていることでも、そこはみずから賢明に分別して受け入れないと、とんだ失敗を招くことがある。必ずしも常に科学的に究明されていることばかり言っているわけではなく、ときに、いな度々、自分の常識や好みでものを言っている場合があり、そこは素人と同様であるからだ。たまには、いろんな事情で、まだ科学的に究明されていないことを、心ならずも言っている場合もあるのだ。

     ましてや、平素つきあっているお互いから耳にはいってくることを、そのままマにうけては、大間違いを引き起こすことが多い。とかくその場限りに無責任なことを言っている場合が多く、それも半かじりのことや、人から人に言い伝えられて途方もなく間違えられていることが多いのだ。
     この道の専門家が、しかも科学的に究明されていることを言っていても、そこは賢明に見きわめて受け入れないと、とんだ間違いを引き起こすことがある。
     その科学的な知識は、それ自体としては別にそう間違いではないわけであるが、極めて複雑多岐な食べ方の、ほんのごく一部分についてであり、そこには必ず一定の条件がついているからだ。そして、それが自分の条件とは著しくちがっている場合が多く、また毎日の食べ方、わけても改善を要する点とは無関係である場合もあるのだ。ために、木に竹をつぎ、火に油をそそぐような結果を招き易いわけだ。

     情報化時代に対処するために肝要なことは、およそ人生各面についてと同様に、食べ方についても、科学的に実証されている大筋を1本しっかり通しておくことである。これだけは必ず毎日これくらい食べるというふうに、毎日の食べ方に大黒柱を1本どっしり立てておくことだ。
     だが、なにぶん食べ方は複雑多岐にわたっており、それに好みという厄介なものがつきまとうので、この大黒柱も、ただ1本では引き倒される恐れがある。
     そこで、なお必要なことは、この大黒柱につっかえ棒をそえて、かっしりとしたわくぐみをつくっておくことだ。食べ方の条件にはいろいろあるが、常に必ずねらっていなければならないことは、完全栄養である。各種の栄養を必要なだけ十分とること、その間にうまく調和をはかることだ。

     そこで、お互い日本人についての科学的な調査研究によって、ごく大筋だけについていえばこうだ。熱量は日に約2300Cal、蛋白質は日に約75g(内動物性を30%以上)必要である。だがこの知識は、国の食糧政策や生活保護対策や刑務所の給食計画などには必要であるが、ほどほどに生活している人には、さして関係のないことである。習慣と好みに従って、必要なだけは十分とっており、必要以上にとりすぎ易いのが実状であるからだ。
     その上、この数量は、それが体内で利用されるために必要不可欠な、各種のビタミンやミネラルがかなり不足している実状の場合である。従って、これを必要なだけ十分とればもっと少なくてもよいのだ。
     そして、熱量や蛋白質は、必要以上にとりすぎ、しかも各種のビタミンとミネラルを、それにつりあって、十分とっていないと、栄養・健康に障害が起こる。けれども、各種のビタミンやミネラルは、薬剤ではなく自然の食物でとる限り、必要以上に少々多量にとっても、別に障害は起らないのだ。その上、熱量も蛋白質も、それだけ完全に利用されるので、比較的少なくてもすみ、体もおのずからそう多量に要求しなくなるのだ。

     毎日の食べ方に1本通しておく大筋、そのわくぐみの大黒柱は、緑色の濃い、しかも良質の青野菜を、ふつうの成人で、日に約500g 以上、体重の1%以上食べることである。それも必ず、農薬その他の有害有毒物が汚染していない安全なものであること、そして、これを効率よ利用するため、つとめて新鮮なうちに生のまま食べること、従って、胃腸の負担を軽くするため、青汁にして日にカップ2杯以上飲むことだ。
     この大黒柱のつっかえ棒は、大豆を日に100g ほど、消化し易いように調理して食べることである。  すなわち、ナッパにマメ・イモで毎日の食べ方のわくぐみをつくればよいのだ。が、なお心配であれば、さらに牛乳・煮干・卵などをほどほどに食べて、つっかえ棒を強化したらよい。
     こうした筋道・わくぐみをしっかりと立てた上で、その他の食物を習慣に従って食べ、それもハラ八分にし、なおつとめて、既製の加工食品を食べないようにしたら、しつこく目や耳にたたきこまれる情報に、そうふりまわされることはない。少々ふりまわされても、そう大間違いは起こらない。

     緑色の濃い青野菜、それもホウレンソウなどを除いた、良質の青野菜を大黒柱にすえるのは、必要不可欠であるのに、実状著しく不足している。各種のビタミンとミネラルを十二分にとりいれるためである。
     日本人が昔から好んで食べている米・麦にしても、ふつう栄養食としてすすめられている肉・魚にしても、ましてや嗜好品である菓子・砂糖・酒にしても、なるほど熱量や蛋白質は豊富であるが、各種のビタミンやミネラルが著しく貧少であるため、どうしても青野菜を加えなければならないのだ。そして、青野菜をそれ相当量加えたら、ただそれだけで、どんな食物もほぼ完全栄養となるのであって、青野菜以外に、これに代わるものは他に一つもないのだ。

     この青野菜と、とかく取り違えられ易い、その他の野菜や果物では、どんなに多量に加えても、とうてい青野菜には及ばず、及ぶだけ多量にとったら、胃腸もカネもかなわないのだ。
     大豆、それから牛乳・煮干・卵などをつっかえ棒にするのは、他の食物に比べて、蛋白質も熱量も良質であり豊富である上に、各種のビタミンやミネラルも豊富であるため、比較的少量の青野菜で栄養に調和がとれるからである。その上、ハラもちもよいからだ。
     芋をつっかえ棒にするのは、蛋白質も熱量も他の食物ほど豊富ではないが、食べてハラこたえがするため、とかく食べすぎ易い食物をほどほどにするのに好都合であるからだ。その上、比較的少量の青野菜で栄養に調和がとれるからだ。
     それに、大豆も芋も、今のところ、比較的安価に手に入れ易く、農薬その他にあまり汚染されていないのだ。
     毎日こぅしたわくぐみで食べておれば、常に心身ともに健やかに仕事ができ、めったに病気にかかることなく、かかっても軽くてすむ。厄介な病気にかかり、医者の手ではどうにもならないようになっても、意外とうまく軽快する場合か多い。




05-02. 食養生についての断想(27) 病気の今昔その1
  主として天然痘・チフス・赤痢について

     友成 左近 

     お互い日本人は、このところ平均寿命がずいぶんのびてきて、まことに喜ばしいことである。だが、あれこれと病気にかかる人は、老若を問わず、いっこうに少なくならず、むしろ多くなっているようで、手ばなしには喜べないのだ。平均寿命がのびてきたのは、そこにいろいろな事情があるが、ひとつには、数多い病気、それも生命にかかわる病気のうち、昔はずいぶん多かったが、今は全くなくなったものもあれば、目立って少なくなったものもあるからだ。それはいうまでもなく、医学・医療の急速な発達・普及や生活水準の向上や気候のよい島国という立地条件の賜物である。わけても病原菌とその伝染経路の発見と、それに基づくワクチンその他の予防薬や抗生物質その他の治療薬や外科手術の開発・普及と、環境衛生の向上や検疫の徹底などの賜物である。

     だが、医学の発達といっても、極めて複雑微妙な生きた体のごく一部についてであり、その上、病因のうち、病原菌は生きものであるため、その効能にはきびしい限界がある。また、生活水準の向上といっても、極めて複雑多岐な社会生活を営んでいる人間のことであるため、途方もなく誤った方向にむかっていることもあり、生活環境も生活様式も、よしあしにつけ、たえず変わっていく。さらに、島国といっても、この頃は国外との往来が極めて頻繁になっている。ために、昔も今も相変わらず少なくない病気や、この頃急に目立って多くなった病気がいろいろあり、さらに、新たに発生したような病気もあって、平均寿命はのびたものの、病気にかかる人は、いっこうにへってこず、むしろふえてきているわけだ。であれば、なにより大切な健康をはかって毎日仕事にせいだし、かけがえのない生命を守って天寿をまっとうするには、こうした病気の今昔をよく心得て、みずから賢明に対処する必要がある。

     天然痘といえば、今では子供の種痘でその名に思いつく程度であって、もう何十年来わが国では、ほとんど全くすがたを消している。だが、その昔はかなり流行していたのであり、南方の低開発国では今なおかなり流行している。この点、コレラなども同様である。こうした病気は、それそれ一定の病原菌で起こる、まことに危険な急性伝染病であるが、極めて有効なワクチンが開発されて予防接種が普及し、また患者の隔離や伝染経路の消毒が徹底して、だんだん発生が少なくなり、さらに国外からの侵入を防いでいる間に、この病原菌が国内に全くなくなったのである。そして今では、時たま国外から保菌者が入国することがあるが、その処置に、臨床経験をもった医師にことかぐほどなのだ。

     チフスといえば、このほど、定期の予防接種が中止されたほど、極めてまれに発生する病気になっているが、以前はかなり流行したものであり、南方の低開発国では今なおかなり流行している。これも、天然痘などと同様に、一定の病原菌で起こる危険な急性伝染病であるが、予防接種の普及その他でだんだん少なくなったのだ。けれども、肝臓内に保菌することがあるので、天然痘などのようには、まだ根絶されていないが、やがては根絶されるであろう。

     赤痢といえば、チフスと同様に、夏よく流行した危険な急性伝染病であるが、チフスのようにはいかず、南方の低開発国のようではないが、今もって時おり集団的に、それも、季節を問わず冬でも発生している。これも一定の病原菌で起こるのであるが、免疫性が極めて弱いため、まだ有効なワクチンが開発されていないので、それだけ予防が困難なのである。
     けれども、患者の隔離や伝染経路の消毒などが徹底しているので、昔のようにはげしく流行することはなくなっている。また、抗生物質その他の有効な治療薬が開発・普及しているため、これで死亡する人は極めて少なくなっている。この点、子供の疫痢もほぼ同様である。
     だが、この治療薬が、だれでも容易に手に入るので、ありがた迷惑にもなっている。すなわち、赤痢らしい病気にかかると、伝染病院に入るのをきらって、これを薬店で買って素人治療をする人があるのだ。そして、中途半端な治療をして、まだ腸内に菌がいるうちから出歩き、これを大便や手指や手拭でまきちらし、さらに、なにかの事情で体力が衰えて再発すると、また同様に素人治療をくりかえす場合があるのだ。

     ところが、こうした健康保菌者がまきちらす菌は、度々の治療薬に耐えぬいて、極めて強力になっている。ために、季節を問わず年中たえず伝染し易くなっており、また、これまで以上に長期間、しかも多量に治療薬を使わないと、容易に完治しないのだ。これを素人治療でもすると、いよいよ強力な赤痢菌をまきちらかす健康保菌者となる。それに、環境衛生が向上したといっても、水洗便所はまだなにほども普及しておらず、完備した水道もまだ十分普及していないため、健康保菌者のまきちらす菌の消毒が行き届かず、飲料水その他を汚染することがある。また、用便後の手洗いの不徹底と手拭の共用といった習慣もあるので、健康保菌者が使った手拭はかなり汚染されている。

     この頃ときおり赤痢が集団発生する源泉は、主としてこの二点にあるようだ。また、生活水準の向上に伴なって、栄養もまた向上したといっても、白米・砂糖・魚・肉といったものが多くなり、野菜・果物わけても緑色の濃い青野菜が極めて少なくなり、実は至って不調和・不完全な栄養の過剰であって、体力とくに病原菌に対する一般抵抗力が逆に低下している人が極めて多いのだ。その上、新農薬の乱用や加工食品のはんらんによって、昔は思いもよらなかった有害有毒物を意外と多量に食べこんで、さらに体力を弱めている人が極めて多いのだ。このため、赤痢菌としては感染力の弱くなる冬でも、だらしもなく感染し発病するようになっているわけだ。

    (付記――この食養断想は、毎月第三金曜日の夜7時から2時間、倉敷中央病院の古久賀会舘で開かれている青汁教室で、遠藤先生がくりかえし強調されていること、これを学んで参会者がみずから体験し見聞して話し出したことを、主題にそって整理したものであり、文責は友成にある。)




05-03. 食養生についての断想(28) 病気の今昔その2
  主として回虫・結核について

     友成 左近 

     回虫といえば、この間まで極めて多かった腸内寄生虫病であり、今でも定期健康診断の要目となっているが、この頃は目立って少なくなっている。
     これがこれまで極めて多かったのは、ひとつには生命に直接かかわるほど危険な病気ではないからであろう。だがこれは、栄養不良や貧血を引き起こして、危険な病気にかかる素地をつくるのだ。
     そこでこれまで、定期健康診断の一要目として、この駆除がはかられたわけであるが、この頃これが目立って少なくなったのは、昔からよく効く薬があり、また早期の発見も容易であるため、生活水準の向上と衛生思想の普及に伴なって、早期の発見と治療が行き届いたからである。
     また改良便所その他の普及で虫卵を死滅させた下肥を使うようになり、さらに市場に出荷する野菜の栽培には、ほとんど全く下肥は使わなくなったからである。
     この点、十二指腸虫もほぼ同様である。だが、蟯虫は、健康にそれほど深い関係がなく、また治療も厄介であるため、今も昔と同様に、これにかかっている人が少なくないようだ。
     また、フィラリヤ病・エヒノコックス病・日本住血吸虫病といった寄生虫病は、健康と生命にかかわるものではあるが、ごく一地方だけに限られているためか、その対策がいっこうにすすめられず、その地方では、これにかかっている人が今も昔と同様に少なくないようであり、まことに気の毒なことである。
     他の寄生虫病はさておき、回虫がこの頃目立って少なくなったからといって、まだ手ばなしに安心するわけにはいかず、それ相応の注意が必要であることはいうまでもない。

     ところで、回虫がわくのは、現に腸内にいる回虫の生んだ卵や、野菜などにくっついている卵や、あるいは、ほこりなどによごれた手指にくっついている卵が、腸壁を通って体内にはいり、ここで幼虫になって、肺からノドを経て再び腸内に帰って成虫となるのだ。
     そこで、これを予防するには、現に腸内に回虫がいるのであれば完全に駆除すること、そして、下肥は、わけても完全に腐熟していないものは、決して使わない野菜を、それも念のためよく洗って食べること、また手をよく洗って清潔にすることが大切である。
     なおこの場合、水道の水を流しながら洗うだけでけっこうである。というのは、洗剤を使えば、なるほど虫卵はうまく洗い落とせるが、新たに洗剤がしみこみ、これが体内にはいって有毒作用をするからだ。
     もうひとつ大切なこと、そして最も根本的なことは、腸壁を丈夫にして虫卵が通らないようにすることである。それには、野菜・果物わけても緑色の濃い青野菜を十二分に食べ、砂糖・菓子・白米飯などを思いきりひかえて、栄養に調和をはかることだ。
     度々駆除しても、また間もなくわく人、そして現に回虫がいることがはっきりしていた人でも、毎日青汁をカップ1杯2杯と飲んでいると、別に駆虫剤は飲まないのに、いつの間にか完全に駆除されることもあるのだ。その他の寄生虫病の予防や治療にも、ほぼこうした工夫をすれば、それ相応の効果があろう。

     結核とくに肺結核といえば、ついこの間まで、死亡原因の第一位・亡国病・青年病とさわがれたものであり、今でも定期健康診断の重要項目になっているが、この頃は、ひと頃に比べて、これにかかる人、これで死亡する人が目立って少なくなっている。
     これは、チフスなどのように、一定の病原菌の感染で発病するものではあるが、極めて慢性に経過し、初期では自覚症状がほとんどないのだ。けれども、いったん発病すると、極めて長期にわたる療養が必要であり、生命にもかかわる、まことに厄介・危険な病気である。しかも、青年期に発病する場合が極めて多かったのだ。
     これがこのごろ目立って少なくなったのは、BCG接種の普及、早期の発見治療に徹底的な対策が全国的に行き届いて行なわれ、またようやく有効な治療薬や外科手術が開発されたからだ。とはいっても、チフスなどとちがって免疫性が弱く、また始末に手をやく性質の結核菌が相手であるため、この予防薬も治療薬もまだそれほど有効ではないのだ。従って、これだけでは、とうてい十分な予防はできず、いったん発病すると、全治するまでには、やはり長期の療養が必要なのである。
     また、全治していなくても、自覚症状が極めて少なく、社会生活もそう不自由ではないので、自由に社会生活をしている保菌者、しかも、たえずタン・ツバで菌をばらまいている人が、実状そう少なくはなっていないのだ。ために、人々だれでも常に、これに感染する危険にさらされているわけである。
     このためこの頃は、体力・抵抗力の強い青年は、ひと頃のようには多数かからなくなったが、抵抗力の衰える老人や、栄養が低下し易い貧困者は意外と多数かかっている。
     その上この頃は、食物の間違いその他で栄養・体力が早期にひどく衰える人が多くなっているので、かつての青年病は、今では老人病・成人病のひとつになっているのだ。
     結核は、その性質上、まずもって発病を防止することが肝要である。それには、ツ反応で未感染であればBCGの予防接種をすることが大切である。だが、未感染・既感染を問わず、また老若を問わず、なによりもまず必要なことは、栄養の向上と体力とくに病気に対する抵抗力の強化である。といって、それは決して白米飯・菓子・砂糖・油や、肉・魚・卵といった熱量や蛋白質の多い、いわゆるごちそうばかり沢山食べればよい、というわけではない。
     肝要なことは、これは必要なだけほどほどに食べ、さらにこれが体内で完全に利用されるように、野菜・果物わけても緑色の濃い青野菜を体重の1%以上は必ず食べて、各種のミネラルとビタミンを十二分にとり入れ、栄養に調和をはかることである。
     さらに結核は、その性質上、必ず定期に健康診断をうけて早期に発見し、早期にしっかりと治療することが肝要である。それには、それ相応に医薬の使用と、ときに外科手術も必要であるが、同時に安静療養が必要不可欠であることはいうまでもない。
     そして、この場合とくに改めて気をつけねばならないことは食養生である。というのは、結核患者の食養生といえば、ふつう高熱量・高蛋白食が強調されて、とかくミネラルとビタミンが忘れられているが、これではかえって療養が長引き、また糖尿病その他厄介な余病を併発することがあるからだ。
     そこで肝要なことは、青野菜を、予防のための食養生以上に、できれば体重の2%以上は食べて、栄養に完全な調和をはかることである。糖尿病を併発した結核患者が、こうして療養したところ、意外に早く両病とも軽快して、ふつうに社会生活ができるようになった実例もあるのだ。
     なお、この予防にも治療にも、食料をよく吟味して、農薬に汚染されたものや添加物がはいっているものは極力排除すること。とくに青野菜・青汁には必ず、危険な新農薬はいっさい使わない安全なものを使うことが肝要である。ふつう食べている量の20倍以上も食べるので、それだけ多量の有毒物も同時に食べこむようになるからだ。

    (友成)




05-04. 食養生についての断想(29) 病気の今昔その3
  主としてかぜ・肺炎について

     かぜといえば、今も昔と相変わらず、これにかかる人が極めて多い。
     ひとくちにかぜといっても、ただのハナッかぜのように、主として寒さや温度の急降下などでハナ・ノド・気管支などが冒された寒冒や、これがさらに、そうタチの悪くないビールスなどにも冒された場合と、こうしたこととは必ずしも直接的な関係はなく、とくにインフルエンザというタチの悪いビールスに冒された場合の流行性感冒がある。

     そして、冒した病原菌の性質によって、発熱・頭痛・せき・たん・腰痛・下痢などの症状を引き起こすが、それ相応に休養その他に気をつけておれば、日にちがたつにつれて、しぜんと治り、肺炎その他の余病を併発しなければ、生命にどうこうということはない。
     また、この病原菌は、インフルエンザでも、そう強力・悪性のものではないので、人その人の体力、わけても広く病気に対する一般抵抗力の強弱によって、かかる・かからない、早く治る・治らないの差が著しい。
     ところで、かぜとくに流行性感冒は、かつては、大正時代のスペインかぜや戦後のアジヤかぜのように、はげしく流行し、またかなりの死亡者も出したが、この頃は、そうはげしくは流行せず、まためったに死亡者を出さないようになっている。
     それは、このビールスには免疫性がかなり強く、従って有効なワクチンが開発・普及したからであり、また併発し易い危険な肺炎が、抗生物質その他の有効な治療薬で防止できるようになったからである。

     だが、この流感のビールスにはいくつかの種類と型があり、その免疫は4年か5年位しかつづかないので、毎年のように、あれこれの種類や型の感冒が流行するわけである。
     その上、10年もたてば型がすっかり変わってくるので、ワクチンの製造がまにあわない場合があり、またこのワクチンもまだそれほど強力ではないのだ。

     それにこの頃は、栄養その他で体力・抵抗力の弱い人が極めて多いのだ。このため、感冒にかかる人が、今も昔と比べていっこうに少なくならないわけである。

     * 

     ところで「かぜは万病のもと」といわれているが、これはひとつには、数多い病気のうち、最初はかぜに似た症状のものが多いので、タカがかぜだと無分別に片づけてはいけないぞ、という意味であり、いまひとつには、タカがかぜだとバカにして養生を怠ると、あれこれと余病を併発するぞ、という意味である。
     だが、もっと重大な意味は、タカがかぜにかかるようでは、そして、これがサッサと治らないようでは、体力・抵抗力がダラシがないぞ、万病にかかる素地があるぞ、といういましめである。
     そこで重要なことは、かぜが流行してきても、ちょっとやそっとではかからず、かかっても、すぐ治るような体力・抵抗力を養なうことだ。それには、流行前に予防注射をうけることも大切であるが、決してこれで安心することなく、平素からハナ・ノド・気管支の粘膜その他全身の皮膚を寒さにきたえることが大切である。
     と共に、もっと大切なこと、そして根本的なことは、毎日の食物を改めて完全な栄養をはかることだ。
     それには、まずはさておき緑色の濃い良質の青野菜を、毎日体重の1%以上と、しっかり食べること、その最も有効な方便として青汁にして飲むことが肝要である。と共に、菓子・砂糖・白米飯などを極力ひかえることが大切である。
     そして、この青野菜はいうまでもなく、その他の食物もすべて、農薬に汚染されていないもの、着色剤・漂白剤・甘味剤・防腐剤その他の添加物のはいっていないものでまかなうこと、極力そうつとめることが肝要である。
     というのは、お互い見比べて深く反省すれば、よく分かる通りだ。
     かぜひきの名人・冷え性・さむがりやは、ほとんど例外なく、青野菜が大嫌いであり、そうでなくても、実際なにほども食べていない。そうでなければ、いな、その上、甘い菓子や飲み物が大好きであるか、白米飯の大食家である。
     そして、さすがのかぜひきの名人でも、青汁を毎日カップ1杯2杯と飲み、さらに菓子・砂糖・白米飯などをひかえていると、めっそうかぜはひかなくなる。ひいても、すぐ治る。

     * 

     なお、かぜをひいたかと気づいたときは、こうした食養生に、よりいっそうつとめると共に、夜は早く床について休養を十分とることが大切である。
     この場合、アスピリンその他のかぜぐすりを適量のむことはムダではないが、安易にこれにたより、これを乱用しないことが大切である。
     というのは、かぜのビールスに効く薬は、まだひとつも開発されていないのであり、かぜを治すのは体力・抵抗力の強化だけがたよりであるからだ。そして、数多いかぜぐすりは、ほとんどすべて、ただその症状をやわらげるだけであり、乱用すると、あれこれと副作用を引き起こすからだ。

     * 

     肺炎といえば、かぜに併発し易い余病の代表格であり、生命にかかる危険な病気である。そして、かつては、かぜを少しこじらすと、とかく併発して、ときに死亡の原因となったり、意外と長引いて治療に手をやいたものである。
     だがこの頃は、かぜにかかって肺炎を併発することが極めて少なくなっている。たとえ併発しても、死亡したり長引いたりすることが目立って少なくなっている。
     それはいうまでもなく、抗生物質その他極めて有効な治療薬が開発・普及したからだ。
     ところがこの頃は、この治療薬では防止にも治療にも手をやく場合が起こっている。
     それは、肺炎の病原菌が、この薬に耐性がついて、意外と強力になったからだ。それだけではなく、こうした治療薬では、どうにも防止も治療もできない肺炎が新たに起こってきたからである。
     すなわち、これまで肺炎の主な原因であった、いわゆる肺炎菌ではなく、まだよくえたいの知れないビールスによる肺炎が起こってきたのだ。そしてこれには、まだ有効な治療薬が開発されていないのだ。

     * 

     そこで、もしかぜがこじれた場合は、それ相応に医薬にたよらねばならないが、決して怠らずに、安静による休養と食物による栄養に十分気をつけることが肝要である。
     というのは、これまでの肺炎もさることながら、新しいビールス性の肺炎にかかるのは、そこにいろいろな原因があるが、ひとつには、体力とくに広く病原菌に対する一般抵抗力が著しく弱くなっているからである。
     そして、この強化には、それ相応の休養と共に完全な栄養が必要不可欠であるからだ。
     従って、肺炎を予防するには、かぜの場合と同様に、平素から、まずもって青野菜・青汁を十二分にとり、菓子・砂糖・白米飯などを極力ひかえ完全栄養をはかること、そして食物すべてをできるだけ安全なものでまかなうことが肝要である。
     こうすれば、かぜにかかることも、たとえかかっても、こじらして肺炎を併発することはなくなり、たとえ併発しても長引くようなことはなくなる。




05-05. 食養生についての断想(30) 病気の今昔その4
  主として化膿・水虫について

     ニキビがでたり、オデキができたり、その他あちこち化膿する人は、昔に比べて今も、そう少なくなっていないようであるが、その治療は容易である場合が多く、手術後の化膿は極めてまれになっているようだ。
     こうした点、チクノウ・中耳炎・扁桃炎・モノモライなどについても、ほぼ同様である。
     この治療が容易になったのは、いうまでもなく、化膿するのは、いろいろな性質の化膿菌に感染するからであり、この化膿菌によく効く治療薬が開発され普及したからである。
     だがこの頃、この治療薬だけでなく、消毒薬も普及し、また衛生思想もかなり向上しているのに、ちょっとしたことでも、とかく化膿する人がいっこうに少なくなっていないのだ。

     * 


     化膿するのは、もとより化膿菌に感染するからではあるが、この化膿菌は、われわれの生活環境至るところにあり、とうてい消毒し尽くすことはできず、だれでも常に、これにさらされているわけである。
     しかも、これには免疫性がほとんどないのだ。
     にもかかわらず、お互い見比べれば分かる通り、人によって、化膿し易い・しにくい、治り易い・治りにくい、という差が著しい。
     それは、ひとつには化膿菌の性質や汚染の程度や汚染物の処置にもよるが、いまひとつには、この化膿菌に対する人その人の抵抗力に、強弱が著しいからである。
     そしてこの強弱は、ひっきょう人その人の平素の食物・栄養の良否によって決定するのだ。
     すなわち、これまたお互い見比べれば分かる通り、化膿し易い人、治りにくい人は、ほとんど例外なく、毎日の食物にひどい偏りがある。
     まずもって、野菜や果物わけても青野菜が大嫌いである。でなければ事実なにほども食べていない。
     そして、菓子や砂糖が大好きであり、でなければ、白米飯の大食家か、筋肉部だけの魚や肉の大食家である。
     ために、熱量や蛋白質は十分に、いな必要以上にとっているが、これが体内で栄養として役立つのに必要不可欠な各種のミネラルとビタミンがひどく不足して、栄養が著しく不調和・不完全となっているのだ。
     だが、こんな人でも、青汁を毎日せっせと飲んで、青野菜を必要なだけ十二分にとれば、そう化膿しなくなり、化膿しても早く治るようになる。
     さらに菓子や砂糖を極力つつしみ、白米飯をひかえていくと、ちょっとぐらい傷をしても、別にそう消毒しなくても、めったに化膿しないようになる。
     お互い青汁仲間は、みなそうだ。

     * 


     従って、いったん化膿した場合は、その場所や程度によって、それ相応に外科的処置や治療薬の利用は必要であるが、同時に決して怠ってならないことは、毎日の食物をよりいっそう改善することだ。
     でないと、この頃の化膿菌は、度重なる治療薬に耐えぬいて強力になっているので、少々の治療薬では容易に効果があがらず、病気によっては慢性化して、医療のほどこしようがなくなることもあるからだ。

     * 


     ところで、こうなった場合でも、毎日の食物を思いきり改善すれば、ただそれだけで、だんだん軽快していく。
     チクノウが極度に悪化・慢性化して、医者からもみはなされ、毎日の不快・苦痛に耐えかねていた人が、こうして全快した実例もある通りだ。
     すなわち、安全で良質な青野菜を青汁にして、毎日カップ4杯5杯と飲み、菓子も砂糖をほとんど厳禁し、白米飯と筋肉部だけの魚や肉をひかえて芋と大豆にかえ、加工食品は、よく吟味して、できるだけ添加物のはいっていないものを使うようにしたのだ。

     * 


     なお念のため一言。たとえ化膿し易い人でも、治療の場合はともかく、予防のためにと、抗生物質その他の治療薬は決して乱用しないことだ。
     思わぬ栄養障害を招いたり、たまには過敏な体質になってショック死したり、いろいろ厄介な副作用を引き起こすからだ。

     * 


     水虫にかかっている人、これが治らなくて困っている人は、昔に比べてこの頃、かなり多くなっているようである。
     それも、夏だけでなく年中かかり通し、度々医者通いまでしている人も少なくないようだ。
     ひと口に水虫といっても、ただの湿疹程度のものもあれば、特定のカビに冒された本当の水虫もあり、その上そこが化膿までしている場合もあるが、厄介なのはカビによる水虫である。

     * 


     この水虫にかかるのは、化膿と同様に、そのカビに感染するからであるが、このカビは、現に水虫にかかっている人が、お互いの生活環境にまきちらしており、これが容易に消毒し尽くせないからだ。
     そしてこの頃、水虫にかかる人が多くなったのは、通気性も吸湿性も少ない靴下と靴の生活で、いつも足がむれているため、容易に感染する人が多くなったからである。
     と共に、毎日の食物にひどい偏りがあって栄養が著しく不調・不良となり、この感染に対する抵抗力が弱くなっている人が多くなったからだ。
     ところで、この水虫が、化膿とちがって、容易に治らない場合が多いのは、まだ有効な治療薬が開発されていないからであり、数多い治療法も、根気よく長期間つづける必要があるからだ。

     * 

     そこで水虫の予防であるが、それには、実状そのカビが生活環境にちらかっている以上、それが皮下にはいって繁殖しないように、靴下や靴の通気性と吸湿性をはかったり、その清潔につとめたり、足を冷水や消毒液で洗ったりして、とにかく足を清潔にすることが大切であり、これはよくいわれているところだ。
     けれども意外にかえりみられていないのは、毎日の食物を改善して感染に対する抵抗力を養なうことである。
     ところが、これは極めて重要なことであって、こうつとめたら、ことさら足の清潔につとめなくても、けっこう予防できるのだ。
     たとえかかっても、そう困ることなく、秋ともなれば、しぜんと治ってくる。
     これは、青汁食養家がひとしく体験しているところだ。
     それだけでなく、長年、冬でも年中かかり通していて、もう治らないものとあきらめていた人も、他の病気のため、毎日の食物を思いきり改善したところ、別に治療はしなかったのに、しかも夏の間に、すっかり治ってしまったという実例も沢山あるのだ。
     この食物の改善要領は、化膿その他の予防・治療の場合と全く同様である。
    (友成)




05-06. 食養生についての断想(31) 主として湿疹について

     友成 左近 

     夏になるとアセボがでたり、春秋の時候の変わり目にはカイカイがでたり、その他ちょっとしたことで体にひどく湿疹がでる人は、今も昔に比べて、いっこうに少なくないようである。
     だが昔は、医者も患者も、この治療にはずいぶん手をやいたものであるが、この頃は、そう手をやくことも、また、これで化膿することも少なくなっている。それはいうまでもなく、抗ヒスタミンやステロイド、抗生物質などよく効く治療薬が開発・普及したからである。けれども、衛生思想はかなり向上してきているのに、湿疹のでる人は、いっこうに少なくなっていないのだ。
     いうまでもないことながら、湿疹がでるのは、生きている限り体内には必ずできる老廃物の始末が、うまくつかないからであり、化膿や水虫などのように、なにか特定の病原菌に直接的な関係があるわけではないのだ。
     従って、湿疹のでやすい人は、生活環境わけても温度の変化や、ごみその他の刺激物や、あるいはなれない食物などに、人並以上にひどく感じ易く、従ってまた体内に老廃物が異常にでき、しかもその始末が人並にうまくつかない体質の人なのである。
     といって、こうした体質は、別に決して生まれつきのものではなく、平素の生活でだんだんとつくりあげられたのだ。すなわち、体を本当の意味で清潔にしないこともさることながら、全身をマサツしたり、暑さ寒さにきたえたり、運動をしたりして、十分タンレンしないからであり、もっと重大なことは、食物にひどい偏りがあって、栄養か著しく不調であるからだ。
     従って、たとえひどい湿疹のできやすい人、しかも、それが治りにくい人でも、積極的にタンレンし、さらに毎日の食物を改善すれば、それ相応に月日はかかるが、必ずそうめったにでなくなり、でても早く治るようになる。
     この食物の改善は、いうまでもなく、どこまでも栄養の調和・完全をねらったものであり、しかもこれを、できるだけ安全な食品でまかなうことだ。
     というのは、この頃ほとんどすべての人も、程度の差こそあれ同様であるが、とくに湿疹のでやすい人は、主食としては白米、副食としては筋肉部だけの魚や肉、おいしいものとしては菓子や甘い飲み物を重宝し、野菜や果物は色のうすいものばかり食べ、緑色や黄色の濃いものはなにほども食べていないからだ。ために、熱量や蛋白質は十分に、いな必要以上にとっているが、これが体内で栄養として役立つときに必要な各種のミネラルとビタミンがひどく不足して、栄養全体が著しく不調和・不完全になっているからだ。
     その上、食品の安全性をよく吟味せず、炊事が軽便だからか、見た目が美しいからか、有害有毒な添加物のはいった加工食品や、有害な農薬に汚染されたものを重宝しているからだ。
     これはあたかも、カマドにマキは十分つっこんでいるが、同時に燃えにくいものまで沢山つっこみ、しかも空気がうまく通じるようにしていないため、うまく燃えず、ひどくくすぶり、要臭も出し、カマドもエントツもススだらけにしているようなものである。ために、体内に老廃物が異常にでき、しかもその始末がうまくつかず、従ってまた、ちょっとした環境の変化にも、ひどく感じ易くなっているのだ。
     従って、ひどく湿疹のでやすい人も、決して困った体質だとあきらめることなく、また安易に医療にたよって治療することばかり考えることなく、まずもっと、こうした食物を改めることが大切である。
     それには、なにはさておき緑色の濃い良質の青野菜を、毎日体重の1%以上と、できるだけ沢山食べること、それも、その成分を最高度に、しかも胃腸の負担も軽く活用するため、その大部分を青汁にして、毎日カップ2杯以上飲むことが肝要である。(ただしホウレンソウの類や刺激の強いものは除くこと)。こうする以外に、これにまさって、栄養に調和をはかる方法はないのだ。
     そしてその上、菓子や砂糖は極力つつしむこと、白米もできるだけひかえて芋や雑穀で補なうこと、筋肉部だけの魚や肉もひかえて、大豆や小魚や内臓で補なうことが大切である。こうすれば、栄養によりいっそうの調和がはかれるからだ。
     と同時に、この青汁には必ず、危険な農薬はいっさい使わずに栽培した安全な青野菜を使うこと、その他の食物にも、つとめて加工食品をさけて原材料を使い、それもよく吟味して、できるだけ農薬その他で汚染されていないものを使うこと、やむをえず加工食品を使うときは、とくによく吟味して、できるだけ添加物のはいっていないものを使うことが肝要である。
     こうすれば必ず湿疹はでなくなり、でても治療が容易になる。長年、毎年春秋には必ずといってよいくらい、ひどい湿疹がでて、しかも長いこと医者通いをつづけていた人も、全くでなくなり、また、ひどい汗かきで、毎年夏にはアセボで困っていた人も、そうひどく汗もかかず、かいてもアセボはそうでなくなった、という数多くの実例が示している通りだ。
     なお念のため一言。湿疹がでかかったからといって、ただのシッカロール位であれば、けっこうであるが、抗ヒスタミンやステロイド、抗生物質といった治療薬は決して乱用しないことが肝要である。せっかく体内にできはじめた抵抗力をおさえたり、その他思わぬ副作用を引き起こす恐れがあるからだ。




05-07. 食養生についての断想(32) 主として脚気・疲労について

     友成 左近 

     脚気にかかる人は、大正末から昭和初期にかけては、ずいぶん多かったが、この頃はその名を知らない人が多いくらい、これにかかる人は極めてまれである。
     ところで、その昔々、高級武士が参勤交代で江戸に出てかかった「江戸わずらい」は、実は主に脚気であったのだが、これにかかる人が広く急に多くなったのは大正後半期からである。それは、ちょうどその頃から、精米機の発達・普及によって、広く人々が白米飯を食べるようになり、その上、菓子や砂糖も広く行きわたって、ビタミンをとくにB1が著しく欠乏するようになったからだ。

     けれどもその後、脚気にかかる人が少なくなったのは、B1剤が開発され普及したからであり、今では、これが大衆保健薬として普及しているため、これにかかる人は極めてまれになっているわけだ。こうした点、主としてビタミンAの欠乏で起こる夜盲症その他のビタミン欠乏症についても、ほぼ同様である。
     ところでこの頃は、B1だけでなく、各種のビタミンやミネラルやアミノ酸やホルモンなどが、あるいはそれらを綜合・配合したものが栄養剤・保健薬として普及し、製薬会社のドル箱になっている。そして、これが、直接的にか間接的にか健康保険赤字の一大原因ともなっているようだ。それは、その昔の脚気ほどではないが、なんとなく足腰だるく、肩がこり、頭が重く、眼がつかれ、居眠りがつき、おなかももたれ、動悸もして、毎日の生活が不快となり、仕事に精の出ない人、すなわち慢性的な疲労に陥っている人が極めて多いからである。製薬会社の宣伝で、そう思いこんでいる人も極めて多いのだ。そして、栄養剤をのめば、ほんとに疲労が快復するのか、ただそう思うだけなのか、とにかく、しょっちゅうのまねば気がすまなくなっているわけである。

     だが、こうした疲労は、他に原因となる病気がないのであれば、人その人の平素の生活、わけても睡眠不足や過度労働の連続や、対人関係のつまづきなどにも深い関係はあるが、毎日の食物にひどい間違いがあって、栄養が著しく不調和になっているからだ。事実お互い見比べて分かる通り、疲労に陥っている人は例外なく、野菜・果物わけても青野菜はなにほども食べず、「疲れたときには甘いもの」といって菓子や砂糖を好んで食べ、精力をつけようと白米飯や肉・魚(それも筋肉部だけ)を沢山食べている。
     ために、熱量や蛋白質は十分、いな必要以上にとっているが、これが体内で利用されるのに必要不可欠な各種のミネラルとビタミンがひどく不足して、栄養全体が著しく不調和になっているのだ。これはあたかも、カマドにマキはやたらとつっこんでいるが、空気が十分通うようにしていないため、うまくもえず、カマドもエントツもススだらけにしてるようなものである。毎日の生活が不快となり、仕事に精出す力がつかず、あちこち体に故障が起こるのは当然の成り行きである。どんなに有効な(と宣伝されている)栄養剤をのんだところで、たいして役には立たないのだ。

     ところで、こうした慢性的な疲労に陥っていると、毎日の生活が不快となるだけでなく、あれこれ厄介な病気にかかり易いのは、いうまでもない。であれば、これはぜひ快復し、また予防することが肝要である。だがこの頃は、とくと深く考えなおして、賢明に対処する必要がある。

    第一に、  あれこれと数多く発売されている栄養剤は、事実はっきりと栄養欠乏症にかかっているとき、これを快方に向けるため、一時、それも専門医の指導によって活用し、決して製薬会社の宣伝や人聞きによる素人判断で常用し乱用しないことである。全くムダなことになる場合が多いだけでなく、思わぬ副作用を引き起こすこともあるからだ。
    第二に、  毎日の食物を間違った習慣のまま好みにまかせておいて、不足する栄養は栄養剤にたよる、というようなことは堅く戒しめ、もし疲労を感じたら、まずもって生活の節制につとめると共に、決して怠らずに毎日の食物を改めることが肝要である。製薬会社がどう宣伝していようと、栄養剤はそれほど有効なものではなく、ましてや自然の食物にははるかに遠く及ばないからだ。
     というのは、どんな綜合栄養剤でも、すでに究明されている栄養のごく一部分であり、まだ究明されていない栄養は数限りなく、疲労の主たる原因である栄養の不足は、栄養剤中の成分だけでなく、広く既知未知にわたっているからだ。そして栄養はすべて、毎日の食物に自然の動植物を正しく上手に活用してとるのが、人間、いな生きものすべての本来の生き方であり、これに代わり、これにまさる方法はないのだ。
    第三に、  この毎日の食物には、野菜・果物を十二分に、わけても緑色の濃い良質の青野菜を毎日体重の1%以上とることである。ふつう広く人々が、疲労の快復・予防のために、しっかり食べようとしている砂糖・白米や魚・肉などは、なるほど熱量や蛋白質は多いが、各種のミネラルやビタミンが著しく少なく、これを十二分に補なって栄養に調和をはかるには、それ相当量の青野菜が必要不可欠なのであるからだ。たとえ嫌いでも、これに代わるものは、他になにひとつないのだ。しかもこれは、他の食物とちがって、どんなに多量に食べても、そこは上手に活用すれば、別に決して副作用は引き起こさないのだ。
    だが第四に、  この青野菜は、つとめて生のまま、よくかんで食べることが大切であり、青汁はその方便であるが、これには、ホウレンソウのようにカルシウムの吸収の悪いものではなく、良質のものであることが大切である。もっと大切なことは、危険な農薬はいっさい使わずに栽培した安全なものであることだ。同時に多量の有毒物を食べこむようになるので、栄養に調和ははかれても、慢性中毒を引き起こす恐れがあるからだ。従ってまた、その他の食物も、よく吟味して、農薬に汚染されたものや添加物のはいっている加工食品は極力排除することだ。




05-08. 食養生についての断想(33) 主として胃腸病について

     友成 左近 

     ハラ具合が悪いとか、オナカが痛むという人は、今も昔と同様に極めて多いようである。ところでこの場合、胃腸以外に異状があることもあれば、胃腸に病気があることもあり、そしてこれにもいろいろなものがあって、原因は種々様々である。
     胃腸の病気としては、まず、赤痢のような伝染病や、有害物を食べこんで起こる食中毒や、食べすぎ飲みすぎ、あるいは慣れないものを食べて起こるムネヤケやアゲサゲや、なにかのキッカケで起こる胃ケイレンといったものがある。
     こうしたものは、みな急性のものであり、生命にかかることもあるが、ふつうの健康体であり、それ相応に適切な処置をとれば、間もなく治り、後に尾を引くことは少ない。そしてこの頃は、この医療処置が発達し普及しているので、だいたいそういっているようである。またこれは、胃腸がそれ相応に丈夫であり、毎度の食物の衛生によく気をつけておれば、だいたい予防できる性質のものである。
     だが、この衛生心得はよほど普及しているこの頃、こうした胃腸病にかかる人は、昔に比べて別にそう少なくなっていないようだ。

       それは、まず第一に、この頃の食物は昔に比べて著しく市場化しているため、自給はおろか自家調理までも著しく手をはぶいて、安易に市販食品を乱用している人が多いからである。だがこれには、ふつう人並の衛生常識では、有害化しているかどうか、容易に見分けがつきにくい場合が多いのだ。
       第二に、人々だれでも、衛生によく気をつけてはいるが、反面、ズボラで不注意なところや、ケチで物おしみするところがあるからである。ために、つい食べすぎたり飲みすぎたり、有害化したものの見分けを怠ることもあるのだ。
       第三に、これが最も重大なことであるが、胃腸が丈夫でない人、慢性的な胃腸病にかかっている人が、昔に比べてかなり多くなっているからである。

     慢性的な胃腸病といえば、その最も厄介で危険なものは、主として胃や直腸にでき易いガンであり、これがこの頃、かなり多くなっているようである。といって、その早期発見はだんだん発達し、また、早期に治療すれば、だいたい成功する程度に、外科的・放射線的治療も発達している。
     けれども、結核の場合のようには、まだ発達し普及していないし、有効な治療薬も開発されていないため、これが進行し死亡する人は、いっこうに少なくなっていないのだ。それに、この根本的な原因も予防法も、まだなにほども究明・開発されていないため、これにかかる人はいっこうに少なくならず、逆に多くなっているのだ。

     ところで、こうしたガンにかかるのは、そこにいろいろな原因が推定されているが、赤痢などのように、それでいきなりガンができるわけではなく、多くの場合、他に慢性的な胃腸病の素地があってできるようであり、それも、慢性的に経過してできるのだ。この慢性的な胃腸病には、胃炎・胃潰瘍・腸炎・下痢・便秘といったものがあり、これにかかっている人は、今も昔と同様に少なくないようであり、むしろ多くなっているようである。
     ところでふつう、病気といえばバイキンが、体の調子が悪いといえばビタミン不足が連想されるようであるが、それは、かがやかしい成果をあげた近代医学が、病原菌とその伝染経路を発見して、その予防薬や治療薬を開発し、またさらに、平素の食物に不足しているビタミンその他の栄養を発見して、それを補なう栄養剤を開発し、これが広く普及したからであろう。
     だが慢性的な胃腸病は、別に特定の病原菌で起こるものではなく、いろいろな原因で機能が低下して、たるんでできたものである。この原因のうち最も重大なものは、平素の食物の誤りであり、それも、これこれのビタミン不足といったことでは片づかない、食物全体の誤りである。
     これについで重大なものは、不安・悩みその他の気苦労であり、生活全体におちつきのないことである。また、胃腸が弱いからといって、胃腸はもちろん全身までもきたえないことだ。ところで、人々だれでも全知全能でないため、ものごとに誤りはつきものであり、それにこの頃は、食物が極めて複雑に社会化しているため、この誤りが昔に比べて著しくなっている人が極めて多いのだ。

     また、人々だれでも社会生活を営んでいる以上、気苦労はたえないものであり、それにこの頃は、社会生活が極めてきびしくなっているため、この気苦労が昔に比べて著しくなっている人が極めて多いのだ。
     さらに、人々だれでも自分をとかくあまやかす傾向があり、とくにこの頃は、この風潮が強いため、自分の体をいっこうにきたえない人が極めて多いのだ。けれども、こうしたことは、この頃すばらしく発達した医学も、容易に手のとどかない性質のものであるため、その予防には、病原菌による病気のように有効な決め手が、まだなにほども開発されていないわけである。
     そして、もしかかった場合、病状を一時やわらげる治療薬を開発したり、患部によては外科的に取り除く手術を開発する程度にとどまっているのだ。
     このため、こうした病気にかかる人は、いっこうに少なくならず、逆に多くなっているわけである。そして、おいそれと生命にかかわることもないためか、安易に治療薬にたよって症状を一時やわらげるだけで、不快な毎日をなかばあきらめている場合が多いのだ。
     また、悪化すれば、病気によっては手術をうけて痛い目にあい、その上その後の生活に不自由をしのんでいる場合もあるのだ。そして、あれこれ厄介な病気にかかる素地をつくっているのだ。ために、健康保険をはじめ、個人的にも社会的にもいろいろ厄介困難な問題が起こっているわけで、考えてみれば、まことに知恵のあるようでないムダなことをしている次第である。だがこうした病気は、もっとちがった面から治療し予防することができるのであって、それについては次号で。




05-09 食養断想(34) 主として慢性胃腸病の治療について

     友成 左近 

     胃下垂・胃弱・胃炎・胃潰瘍・腸炎・消化不良・下痢・便秘といった慢性胃腸病は、なにか特定の病原菌に冒されたわけでもなければ、また生まれつきのものでもない。
     平素の生活、わけても食物の誤りが主な原因でかかるものであって、これを改めれば、それ相応に治ってくるのだ。であれば、もう長年の持病であり、これまでどうにか辛抱してきたのだから、いまさらもうと、あきらめることなく、毎日の生活を改めて、しっかりと治療することが大切である。
     これはだれでも、その気になれば必ずできることであり、これを怠れば、毎日の生活が不快であり、仕事にも精が出ないだけでなく、あれこれ厄介な病気にかかる素地ともなるからだ。
     また、こうした病気は、ただ治療薬にたよるだけでは、とうていすっきりと治るものではない。どんなに有効と宣伝されていても、ただ症状を一時やわらげるだけで、とうてい根治するものではないからだ。従ってまた、ついには常用し乱用するようになり、これがまた、あれこれ厄介な病気を引き起こす原因ともなるからだ。

     そこで、こうした病気は、まずもって毎日の生活を改めて根本的に治療することが大切なのであるが、別に決して医療・医薬が不要なのではない。病気の種類や程度によって、そこは専門医の診療をうけ、治療薬を活用すること、とくに悪化した胃潰瘍は手術をうけることが、あわせて大切である。
     せっかく専門家が苦心して開発したものであり、これは正しく上手に活用すれば、それだけ早く治ってくるからだ。それは旅行するのに、なにも徒歩や馬やかごだけにたよる必要はなく、ことと次第によっては自動車でも電車でも飛行機でも利用すればよいようなものだ。
     ところでこの根本的な治療は、治療薬による対症的な治療とちがって、それ相応に日にちがかかり、その間みずから辛抱強く、正しく上手に工夫し努力する必要がある。といって、これはだれでも、する気になれば必ずでき、する気はまた、だれでも必ずもてるはずである。
     そして、すれば必ず確実に、それ相応に効果があらわれ、再発することもなくなるのだ。
     またこれは、病気の種類や程度その他によって、細かい点では異なってくるが、大筋はほぼ同様である。そしてこの大筋は、予防の場合もほぼ同様であって、その主な筋道はこうだ。

     まず第一に肝要なことは平素の食物を思いきり改めることである。
     「食は命なり」で、この平素の食物によって生きた体の栄養をはかり、これが健康の根本であるからだ。
     そしてこの頃、殆んどすべての人々も程度の差こそあれ同様であるが、とくに慢性胃腸病にかかっている人は、毎日の食物にひどい誤りがあって、栄養が著しく不調和・不完全になっており、その上、有害有毒なものまでかなり多量に食べているからだ。
     すなわち、嫌いなのか、胃腸にさわると思っているのか、各種のミネラルとビタミンの最高に多い、緑色の濃い良質の青野菜を、それも生では、殆んど全く食べていない。そして、こうした栄養成分の少ない、色の薄い野菜や果物をほんの少し食べているにすぎず、とくに野菜は、ひどく煮たきをして、さらに栄養分を少なくしている。
     また、好きなのか、これで栄養は十分と考えているのか、菓子や甘い飲み物を沢山とったり、濃厚に味つけしたり、白米飯を大食したり、あるいは、魚や肉といえば筋肉部だけを好んで食べている。
     だが、こうしたものは、栄養の多量成分として必要である熱量や蛋白質は確かに豊富であるが、これが栄養として役立つために、微量ながら必要不可欠である各種のミネラルとビタミンが著しく貧弱なのだ。
     そして、これを十二分に補なって栄養に調和と完全をはかるには、たとえ嫌いでも、野菜や果物、わけても青野菜をそれ相当量、それも、できるだけ生でとらねば、他に打つ手はないのだ。

     この頃いよいよ多量に発売されている栄養剤も、どう宣伝されていようと、生の青野菜にははるかに遠く及ばないのだ。さらに、イライラなのか、胃にも歯があると思っているのか、とかく荒がみしている。ために、胃腸に意外な負担をかけ、栄養分の消化吸収も妨げているのだ。
     野菜や果物は、とくにそうなのだ。その上、調理に手をぬくためか無知なのか、食品の安全性を深く吟味せず、有毒物まで意外と多量に食べこんでいる。というのは、この頃の食品は、原材料からして殆んどすべて、多かれ少なかれ有毒な農薬がしみこんでおり、これはどうにも始末のつけようがないからだ。

     また、いよいよ多量に市販されている加工食品には、さらに同様、有毒な添加物がはいっているからだ。こうした食べ方は、たとえば無分別な親方が忠実な手下を、マトモに食べさせもせずに、無理な仕事にコキ使っているようなものである。
     だが胃腸は、ほかならぬ身内であり、栄養の消化吸収にはかけがえのない働き手である以上、正しく上手に、しっかりと食べさせて、つねに丈夫にしておかねばならないのだ。それには、なにはさておき、まずもって緑色の濃い青野菜(それも、ホウレンソウなどのようにカルシウムの吸収しにくいものや、ふつうのダイコン葉などのように刺戟の強いものを除いた良質のもの)を、できるだけ生のまま、毎日体重の1%以上とできるだけ沢山、よくかんで食べることが肝要である。
     だがこれは、歯や胃腸が丈夫な人でも、実状そうは食べきれず、たとえよくかんで食べても、胃腸をいためる恐れがある。そこで、これは青汁にして(成人であれば毎日カップ2杯以上とできるだけ沢山)飲むことが大切である。
     こうすれば、歯や胃腸の弱い人でも別に少しも胃腸をいためず、各種のミネラルとビタミンを十分にとりいれて栄養に調和をはかることができる。たとえ嫌いでも、こうする以外に、これにまさる方法はないのであって、慣れてくれば、けっこう楽しく飲めるようになり、そのうち体が要求して、飲まねばものたりなくなる。
     また、慣れないうちは、人によってアゲサゲすることがあるが、別に心配する必要は無く、少量ずつ多少うすめて、つづけていけばよい。そのうち慣れ、胃腸も丈夫になって、うまくおさまるようになる。なおこれ以外に、ふつうのダイコン葉でもコマツナでも広く青野菜やその他の野菜や果物を、生のままで、やわらかく、おいしく食べられるものは生のまま、かたいものは煮て、できるだけ沢山、よくかんで食べることが大切である。毎度の食物に変化もつき、それだけ栄養の調和に役立ち、また便通もひときわよくなるからだ。

     つぎに大切なことは、熱量や蛋白質の多い食物も、ミネラルやビタミンが少なく、栄養に調和をとりにくいものはひかえて、その逆にすることである。すなわち、菓子や砂糖や酒は極力ひかえること、白米も極力ひかえて芋や雑穀粉にかえること、魚や肉は、つとめてマルごと食べる小魚や内臓や大豆や卵にかえること。そして、できるだけ薄味にして、よくかんで食べ、ハラ八分にとどめることだ。といって若いものは、ときにドカぐいして胃腸をきたえることもムダではない。
     もうひとつ肝要なことは、食物はすべて、よく吟味して、できるだけ安全なものでまかなうことである。とくに青汁材料には必ず、いっさい農薬を使わずに栽培した安全なものを使うことが肝要である。栄養に調和ははかれても、意外に多量に有毒物を食べこんで慢性中毒を引き起こす恐れがあるからだ。その他の食物も、つとめて加工食品はさけて原材料を使うこと。それもよく吟味して、農薬その他で有毒化していない安全なものを使うことが大切である。
     芋や雑穀粉や大豆を重視するのは、栄養に調和をとり易い上に、いまのところ最も安全なものであるからだ。とはいっても実状、あれこれと加工食品は必要である。であれば、これはとくによく吟味して、防腐剤・着色剤・漂白剤・甘味剤・香辛剤その他の添加物のはいっていない、いうなれば昔ながらの純正食品を使うように心がけることが大切である。この添加物は、業者や役人たちがなんと言おうとも、程度の差こそあれ、すべて有害有毒であるからだ。その上、栄養価も低下させているからだ。
     こうした食改善につとめながら、胃腸や全身を正しく上手にきたえたら、胃腸はよりいっそう丈夫になる。だが食改善を怠って、ただ胃腸や全身だけをきたえては、なにほどの効果もなく、ときにますます弱くなることもある。また、こうして胃腸を丈夫にすれば、おのずから気苦労も少なくなり、少なくする工夫もうまくすすむ。だがその逆をしては、それほどの効果はなく、ときに気苦労を少なくするため、ますます気苦労をするようになることもある。




05-10. 食養生についての断想(35) 主として肝臓病について

     友成 左近 

     肝臓病患者が、この頃急に目立って多くなっているが、昔は少なかったものである。それも昔は、主として中年期以後の人であったが、この頃は、青年期の人も少なくない。これはお互い、なにより大切な健康をはかるのに、深く留意しなければならないことがらである。広くものごとで、格別に重要なことを肝要といっているように、肝臓は、健康と生命にかかわる臓器のうちで、格別重要なものである。

       第一に、胃腸で消化吸収された栄養素は殆んどすべて、肝臓に送りこまれるのであるが、肝臓は、これを生きた体に役立つ固有の栄養分につくりかえると共に、必要な分量だけ血液に送り出し、余分は一時貯えておく。

       第二に、腸内で食物が消化されるときに役立つ胆汁をつくって、十二指腸に送り出す。

       第三に、飲食物などから体内にはいってきた有毒物を解毒する働きをもっている。

       第四に、熱量として使われた蛋白質から、体内で生成する有害物を尿素につくりかえて、腎臓で排泄しやすいようにする。

     その他、病原菌に感染すると、これにたいする免疫体をつくって防衛するなど、生命と健康のために数限りない機能をはたしているのであって、生きた体の化学工場であり、また倉庫もかねているわけだ。

     肝臓は、右上腹部の肋骨に囲まれたところにあって、ふつうは、外から手にふれないが、その重量は1キロ半というふうに、各種の臓器のうちで最も大きなものである。またこれは、ツイではなく、ひとつであるが、少々傷ついても間もなく再生するというふうに、最も強い臓器である。さらにこれは、それを組織している細胞が、二週間ぐらいですっかり入れかわってしまうというふうに、わが身をけずって働くこと最大の臓器であり、かつ、最も誠実な働きものの臓器である。

     肝臓は、少々やられても、みずからは殆んど症状をあらわさない沈黙の臓器であるが、十分働けないと、からだ全体に各種各様の症状があらわれる。ために、肝臓が病気にかかっているのに、その手当をせずに、他の病気の手当ばかりして、悪化させることがある。肝臓病には、その原因や病状によって、つぎのようなものがある。

       第一は流行性肝炎だ。これは、患者が大便と共に排出した肝炎ビールスが、口からはいってきて感染した場合である。

       第二は血清肝炎だ。これは、流行性肝炎と同様にビールス性であるが、肝炎にかかったことのある人の血液を、輸血して感染した場合である。

       第三は慢性肝炎だ。これは、ビールス性肝炎が慢性化して、容易に治らなくなった場合である。

     なお、血清肝炎は、流行性肝炎より数倍もはやく慢性化しやすいということだ。

       第四は、中毒性肝炎だ。これは、飲食物や医薬や工業薬品などにふくまれている有毒物が体内にはいって、肝細胞が損傷した場合であって、有毒物の性質や量などによって、急性にくる場合もあれば慢性にくる場合もある。

       第五は肝硬変症だ。これは、ビールス性であれ中毒性であれ、やられた肝臓が、硬くちぢかんでしまった場合である。

       第六は肝臓ガンだ。これには、胃などにできたガンが転移した場合と、肝臓に原発した場合がある。

     肝臓病は、急性であれば、ただそれだけで生命にかかわることがある。慢性であれば、からだのあちこちに不調が起こって、あれこれと病気にかかる原因となる。硬変やガンがすすめば生命にかかわることは、いうまでもない。

     肝臓病にかかるのは、ひとつには、体外から肝炎ビールスや有毒物がはいってくるからであるが、もうひとつには、こうした病原にたいする抵抗力が劣っているからであり、従ってまた、体内に有害物が著しく多量に生成するからである。それを考えれば、このごろ目立って肝臓病患者が多くなったことが、よく分かる。

       第一に、体力のもとである毎日の飲食物が、栄養上著しく不調和・不完全であるため、病原に対する抵抗力が劣っている人が著しく多くなったからである。すなわち、米・麦・砂糖や肉・魚といった熱量原や蛋白原の多い食物は、よほどの例外でない限り、必要なだけ、いな必要以上に食べているが、これが体内で栄養として利用されるのに必要不可欠な、各種のビタミンや、カルシウムその他のミネラルの多い野菜・果物、わけても青野菜はなにほども食べていないからだ。わが身をけずって働くこと最大の肝臓としては、この栄養が著しく不調和不完全であっては、とうてい十分に働けず、またやられやすいわけだ。

       第二に、こういうふうに栄養が著しく不調和であると、熱量原や蛋白原が不完全に利用されて、あたかも煙突にススがたまるように、体内に有害物が多量に生成するからである。

       第三に、毎日の飲食物や生活環境に有毒物が急に多くなったからである。すなわち、この頃の飲食物は、植物性であれ動物性であれ、原材料からして殆んどすべて、多かれ少なかれ、有毒な農薬や医薬や工場排出物に汚染されている。その上、いよいよ多量に使用されている既製の加工食品には、殆んどすべて、多かれ少なかれ、有毒な添加物がはいっている。さらに、空気や水が、工場や自動車の有毒な排出物で汚染されているので、それが不可抗的に体内にはいってくる。

       第四に、こういうふうに肝臓は、マトモに食わせもせずにコキ使われているため、もともと強い臓器であっても、しだいに抵抗力をよわめられるからであり、もともと感染力はそう強くない肝炎ビールスにも、やられてしまうのだ。

       第五に、ケガや病気で輸血する人が多くなったからであり、この血液に肝炎ビールスがひそんでいるかどうか、今の医学では確実には検査できないからである。しかも、別に肝炎にかかったおぼえのない人にも、このビールスがひそんでいることがある。

       第六に、病気の治療や予防で注射をうける人が著しく多くなったからである。すなわち、肝炎ビールスは、ふつうに行なう注射器の消毒では容易に死滅しないので、肝炎ビールスがひそんでいる人に使った注射器で注射をすると、その度毎によく消毒していても、ただそれだけで感染することもあるという。

       第七に、肝臓病にかかるのは、こうした数々の原因が重なりあってのことであるが、正しい予防法・治療法を怠って、安易に医薬にたよる人が著しく多くなったからである。すなわち、あれこれと数多くの肝臓薬が宣伝されているが、今のところ、有効な予防薬も治療薬もまず皆無といってよく、中にはそのうえ副作用のあるものもあるのだ。

     肝臓病を予防して、よりいっそうの健康をはかるには、これにかかる筋道を裏がえしにする以外に、これといった方法はない。

       第一に、完全栄養をはかることである。それには、良質の青野菜を、毎日体重の1%以上と、できるだけ多量に(それも、つとめて生のままに、また青汁にして)食べて、各種のビタミンとミネラルと十二分にとりいれると共に、米・麦・砂糖や肉・魚といった熱量食と蛋白食を、できるだけ芋と大豆に切りかえる以外に、これといった妙手はない。

       第二に、飲食物はすべて、よく吟味して、できるだけ安全なもの、それも、つとめて既製の加工食品をさけて、原材料でまかなうことである。とくに多量に食べる青野菜・青汁には、必ず、農薬その他の有毒物に汚染されていない安全なものを使うことが肝要である。

       第三に、できうる限り清潔な環境で生活すると共に、ムリな労働はひかえることである。

       第四に、輸血しなくてもすむように、ケガや病気にかからないことである。

     もし肝臓がやられたときには、決して安易に医薬にたよることなく、こうした予防法をさらに強化して、早期に根治することが肝要である。




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