健康と青汁タイトル小
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7-01 234号 訪台記(2) クリック
7-02 236号 訪台記(4) クリック
7-03 236号 台湾あれこれ(1) クリック
7-04 236号 台湾に青汁を クリック
7-05 237号 台湾あれこれ(2) クリック
7-06 238号 台湾あれこれ(3) クリック
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7-08 264号 青汁に感謝 クリック
7-09 264号 韓国だより クリック
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7-01. 訪台記(2)

     医学博士 遠藤 仁郎 

     淡水 
     19日。曇。小雨模様。8時半出発。淡水河にそい北上。右に北投、陽明山。左に釈迦の寝顔に見えるという観音山。
     河口に近い淡水は、いかにも西洋人好みの別荘地といったところ。
     有名なゴルフ場、Oxford Collegeという由緒あり気な赤煉瓦の学校、スペイン時代の砦跡、紅毛館。大きなつややかな葉をつけた珍らしい木パチル。
     昔この葉で凧をつくったと隠明寺先生。実は強壮剤になることも聞いた。

    野柳
     淡水から海岸ぞいのコース。石門、建設中の原子発電所をすぎ、野柳で小休止。
     キノコ岩の奇勝を見物。車中で配給されたポンカンの味、バナナの味、さすが本場。

    基隆
     雨の基隆、といわれるほど雨量の多いところだそうだが、着いてから出発するまでずっと降りどおし。
     林・張氏らのご配慮で港内見学。
     終って大観音像の立つ中正公園。
     すばらしい展望。王氏は毎朝ここに上っていられる由。

    青汁教室
     公園下のホテル(遠東大飯店)で、5時から教室。
     青汁中心のよもやま話と健康相談。出席者20名。

    基隆の裏山
     20日早朝、雨中の出発、東の山をのぼりきると、そこにはかなりの平坦地がつづいている。
     王氏から、基隆の悩みの種は、山に囲まれた港町のため、野菜をつくる場所がないことだ、と聞いていたが、ここが利用できないものか。
     この様子では、周辺の山の背後地には、おそらくまだ、こういう所が、ほかにもあるにちがいない。
     もしそうなら、そして、それらが利用できるなら、野菜つくり、ケールの供給も決して困難ではないのではないか、と思われるが、どんなものであろうか。



7-02. 訪台記(4)

     医学博士 遠藤 仁郎 

    利生医院
     五結では林崑智先生(内科医院)を紹介された。病人はカゼ引き、腹いたといったものばかり、と謙遜されていたが、癌はやはり多い、とのことであった。

    鰻養殖池
     このあたりの海岸では、鰻の稚魚がよくとれる。大小の養鰻池が見かけられた。以前は日本の企業がずいぶん進出していたそうだ。

    ケール栽培予定地
     近くの丘陵地を指して、陳氏は、ここにケールを栽培するつもり、と語られた。あたり一面甘藷畑。日当りはもとより、水はけもよさそう。ケール栽培には条件がそろっている。あとで、仝氏には、台北で青汁スタンドを、との意向のあることを知ったが、なるほど、ここなら、鉄道の便もトラックの便もあり、輸送の面でも有利だろう。

    蘇澳
     雨中の蘇澳。旅館(金華大旅社)は呂氏宅のすぐ前。冷泉場のちかく。隠明寺先生夫妻と私共とは陳氏宅へ。陳氏は大理石砿山会社の社長。さすが、大理石づくめの邸宅。夕食には、陳夫人手づくりの豪華な福建料理を満喫。陳氏のご両親の健康相談後、呂氏宅訪問。
     おそくまで青汁の話。呂氏は、上記のように、肝硬変で見放されていたのが、夫人の献身的な協力を得て青汁食に精進。肝臓はすっかりよくなっている。しかし、今だに困っているのは、幼時にうけた左大腿の外傷のあとが、時々、ことに冷える時にひどく痛み出すこと。食事は、緑葉食の原則を忠実にまもっているが、青汁は、材料の都合で、精々一日2合程度しかのめないとのことなので、もっと大量。できれば3合以上、5合でも6合でものんでみてほしい。また下肢の静脈瘤で難義していられる夫人には、適度の運動、マッサージ、足を高くして臥ること、などのほか、糖分の制限、そして、ご主人同様、緑葉食・青汁への徹底をすすめておいた。

    蘇花臨海公路
     21日、小雨。今日のコース、蘇花臨海公路は、蘇澳から花連への唯一の交通路。海につき出た険岨な断崖をきりひらいた難路。一方通行で、途中2ヶ所で行きちがいの待ち合わせをするので、通行時間がきまっており、1日2〜3回しか通行できないうえ、土砂くずれがよくあり、昨日も交通は杜絶していた。早朝出発。もうバスやトラックが数珠つなぎになって出発をまっている。運転手の李君は、慎重を期して最後尾から行くといってくれる。雨のため展望はきかないが、かなり高い絶壁の上を走っているらしい。時折、恐る恐るのぞいてみたが、山裾は見えない。
     約2時間、跣しの子供(高砂族)の目立つ小部落につく。行き違いの車がならんでいる。再び断崖の道。約2時間、かなり大きい部落で小休止。そして、なにしおう清水断崖(清水山2407Mの山裾にあり400Mもあるという)にかかる。いくたびか肝を冷したが最後のあたりはトンネルになっており、ようやく安堵する。

    太魯閣
     平坦地にくだって走ることしばし、橋を渡って右折。丹塗りの門をくぐり、渓谷(立霧峡)そいに行けば、やがて太魯閣の絶景。細い渓流をはさんで両岸にそそり立つ断崖。雄大な天工の奇観。ただ唖然として見上げ見おろすばかり。その昔、総督が年に一度やって来たという天祥で昼食。

    崇徳国小
     ひきかえし、丹塗りの門より蘇花公路をすこし後戻りしたところにある。高砂族の小学校。物珍らしげに集って来る子供たち。いくらか栄養不良気味だが、顔だちはきりりとして目つきが鋭い。高砂族の特長だそうだ。

    阿美文化村
     3時すぎ花連着。やはり雨。大新大旅社に落つく。夕食(丸八という日本料理)後、阿美文化村の阿美族の踊り観賞。その土産店で、日本ではもう見られなくなった、二宮金次郎の薪を背負い本を読んでいる木彫りの像を見かけ、妙な気持になる。

    南まわり高雄まで
     22日、曇。蘇澳にひきかえし台北へ直行の予定であったが、夜来の雨で蘇花公路も、花連から台中への横貫公路もともに不通。空路は僅か1時間だが、天候不良で難色あり、南まわりで高雄に行き、明日台北へと、コースを変更、12時出発。東の海岸山脈と中央山脈との間をはしる鉄道(花連〜台東線)にそう農村地帯を一路南下。

    光復
     行くこと1時間ばかり。人・車道に共用している鉄道の鉄橋(台風で公路の橋が流れたためで、台東までに4ヶ所あった)の一つを渡ったところに徐氏の砕石工場がある。小休止。

    台風の爪あと
     南下するにつれ、台風の被害はしだいに甚しく、枝葉をもぎとられた並木、河原化してしまった農地、水の流れこんでいる公路など、いたるところに見かけられる。

    瑞陽
     駅前で小休止。このあたり、北回帰線が通っているわけだが、標識らしいものもない(西には嘉義ちかくにあった)。

    台東
     夕暮ちかく、並木の美しい台東着。夕食。6時出発。

    峠の小休止
     台東からは海岸を通っている筈だが、日が暮れて何も見えない。中央山脈をこえる峠の、くらがりの霧のたちこめた中で小休止。虫の声。夜鳥の声。ホタルもいる。

    西海岸
     くだり切った楓港から西海岸を北上。雨はあがり、かすかに水平線らしいものが見えかくれする。屏東あたり、東洋一のヤシ並木だそうだが、立ちならぶミキが通りすぎるだけ。夜半ちかく高雄着。訪台後はじめて中天の月を仰ぐ。六国大飯店宿泊。

    高雄〜台北
     23日、晴。7時出発。澄清湖公園。美しい塔、静かな湖。北上するにつれ工場がふえ、車がふえ、空気の濁りも感じられて来る(それほどに、東海岸はきれいだった)。台南、鄭成功廟と砦跡(赤嵌楼)。嘉義、回帰線標識。マンゴーの並木。彰化で昼食。八卦山の大仏。

    台中
     同行五十嵐氏、旧友と市政府前で感激の対面。新竹で小休止。台北着9時すぎ。

    感謝パーティー
     10時すぎから、華江川菜餐庁の四川料理で、滞台中お世話になった方々を囲んでの感謝パーティー。

    帰途
     24日、晴。午前中、植物園、国父紀念館、故宮博物院をかけ足見学。

    昼食
     日本料理車屋でお別れパーティー。王・徐・陳・林・張・李氏ら多数の見送りをうけ、6時松山空港発、帰途につく。(遠藤)



7-03. 台湾あれこれ(1)

     医学博士 遠藤 仁郎 

    田舎の家
     淡水からの北岸、基隆からの東海岸にかけての田舎には、頑丈なレンガつくりで、窓の少ない、低い家が多かった。暑くて雨の多い、うっとうしい気候の所には似つかわしくないこの造りは、風のためだろうか。南下して、高砂族の居住地区になると、しだいに、竹の多い家がめだつ。

    停止脚
     町では、どの家も、一階の通路に面した部分、つまり玄関まえが、三米ばかりあけてあり(2階はその上にある)、それがつづいて通路になっている。停止脚というんだそうだが、雨よけにも陽よけにもまことに都合よくできている。日光がつよくて雨の多い土地がら。生活の知恵というものであろう。

    道路
     台北には、自慢の三線道路がある。100米もあろうという立派なもの。人道車道をわかつ緑化帯も広々としている。郊外の道も、殆んど舗装されており、雨中のバス旅行もいたって快適だった。

    清潔な街路
     おどろいたのは街路も公園も清潔なこと。台北その他の大都市や観光地はもとより、観光客のめったに行きそうもない田舎の辺鄙なところでも、紙切れや果物の皮、タバコの吸殻が落ちてない。いたるところに、「消除葬乱人々(戸々ともある)有責」というポスターが貼ってあったり、台北のど真中の歩道橋には、大きな字で、「随地吐痰、抛棄紙屑果皮及煙テイ、毎次罰600元」(痰を吐いたり、紙屑・果物の皮・タバコ吸殻を捨てたものは罰金600元=日貨6000円)。と朱書してはあった。それにしても、いかに清潔をよびかけても、いつも馬耳東風。サッパリ実績はあがらず、どこへ行ってもゴミだらけの、どこやらの国とは大変なちがいだ。さすが、孔子の教の活きている国ということか。


     季節のせいか花は少ないようだった。それでも、仏桑花(ハイビスカス)はいたるところの庭や籬に美しい真紅の花をほこっていたし、それによく似た、しかしつぼんだままの紅い花やヒルガオに似たうす紫の花、南部では、純白のジンジャーが見うけられた。大きな莢果のついたネムノキの大木が並木になっていたが、どんな花がつくのだろうか。

    農村風景
     東海岸の中南部の大部分は、稲田、甘藷・甘蔗・パイン・落花生・トウモロコシなどの畑のつづくひなびた農村。ところどころには、草をはこんでいたり、子供を背にのせて荷車をひいている水牛がいる。水溜りのあちこちには、数百〜数千羽ものアヒルの群。時には、車の横をあるいて集る大集団もある、といったいかにものどかな田園風景。しかし、ひらけた西海岸は、広々とした農地だが、工場や車のふえて来たためとみえ、なんとなううすよごれている。

    街頭風景
     街には活気があふれ、人々の表情はあかるい。自動車もずいぶん走っている。が、バイク・自転車がめだち、歩行者も多い。服装は一般に質素のようだが、かなりカラフルな若い女性もある。蒋総統の存命中にくらべると、ずっとはでになっているんだそうだ。いたるところ、大書された、「反共復国 建設台湾」、「愛国必須反共、反共必須団結」「節約儲蓄 富家強国」などの標語が掲げられている。

    学校
     雙渓という田舎でみた中学校の校門まえには、大きな掲示板があって、中央に至聖先師の像、右に教育宗旨、左に教育目標がかかれてある。

    教育宗旨
     中華民国の教育は、三民主義に根拠し、以て、人民生活を充実し、社会生存を扶植し、国民生計を発展し、民族生命を延続するを目的と為す。務めて民族独立、民権普遍・民生発展、以て世界大同を促進するを期す。

    教育目標
     国民中学校の教育目標は、国民小学の基本教育を継続し、青年の身心を発展し、公民道徳を陶融し、民族文化を濯輸し、科学精神を培育し、職業陶冶を実施し、生活知能を充実し、以て、その学習・専業技能を奠定し、或いは、升学の基礎を継続し、並びに忠勇愛国の健全国民を養成するに在り。また、校庭には、礼明、義高、雪恥、国護、性養、身強、の標語板がたててあった。このほか、都鄙、小・中学、規模の大小(台北には児童数一万何千というマンモス小学校がある)の別なく、こういう標語が掲示されており、いかに当局が、心身ともに健全な次代の養成に力を注いでいるかをうかがうことができた。そして、知育のみにはしり、いや、ただ進学のためのつめこみ教育に終始してこと足れりとし、体育も、また、ことに徳育をもおろそかにし、人間形成の確乎とした目標をなくしてしまっている、現在のわが国の教育のむなしさを、しみじみ感じさせられたのは、私ひとりだけではあるまい。


7-04. 台湾に青汁を

    長崎県 N.S. 

     「人は“食”の方法によって決する」とのマルクスの言葉は哲理ありと信じます。先生の長期に亘る「完全食」のご研究と、その実践を通じてのご指導に全く貴重なり、と敬慕しているのであります。この貴重な理論と実際を国政に反映させ、国民の心身の健康増進に供すべきであると、常に痛感しているのであります。
     然るに、資本主義社会の矛盾と申しましょうか、貨幣尊重経済社会の中毒症社会と申しましょうか、商業魔術にかきまわされている現代社会は、容易に改善されるようにも思われぬのであります。ところが、中共の共産社会と、自由資本主義社会の谷間におかれている台湾の現状において、自力更生の道を発見するとすれば、自由資本主義社会の“自由”と共産主義社会の“平等”を併有した、自由・平等の理想社会の建設にむかって努力することなりと、千年渡台の際、強調したのでありました。
     
     私は、このような意味から、台湾において、先ずもって、最高の経済的・健康的“食”の研究と実践を希望したいのであります。その具体的一つの実物見本として、台湾において四季豊産できうる桑葉・コンフリー、その他各種の緑粉原料を活用して、安価な緑粉の生産を、公営的形態におかれている製糖事業等に兼営させ、わが国より数歩前進している各種粉食に混用し、経済的・健康的“食”の改善の見本とする等々。
     あるいはまた、台湾に豊産するタピオカ粉を小麦粉代用とし、前記緑粉と生産性高き家鴨卵を原料とし、先生の賞揚されるグリーンマカロニーの研究など、価値高き適地適産の優良食品なりと思います。このように展開、開発するには、今回のご渡台を起点としていただき、さらに渡台旅行を反復していただき、緑葉の効果とともに、完全食の理論をご指導いただくことと思います。
     たとえば、青汁紙上に連載していただいています「こうしたら癌も防げるのでないか」とか、9月号の「精力をもたすには」などを資料としたり、その他数多くの事実と理論を資料として、官民をご指導いただくばあい、日本内地より一歩前進する可能性ありと、私は夢をいだいているのであります。

    日本より台湾に可能性高しと信ずる理由
     日本民族より漢民族が、一般大衆の“食”にたいする常識はすぐれている。このことは、各種の飲食料や菓子類などの実情をみても明かである。したがって、日本の指導層より、台湾の指導層が、実質主義であり、かつまた、学閥等の弊害・損失が少ないこと等々。孫文の言葉に、「知るは難く行うは易し」とあります。青汁や緑粉の効果を真に知るということは、実行以外にはないのでありましょう。日本の官僚指導で、青汁の効果を知り得ているものは殆んどありますまい。知識人をもって自認するインテリー官僚指導者たちは、読書を通して何でも知っていると錯覚しているが、実は何にも知らぬ、苦労知らずの3代目のボンボンたちである。とくに日本農業の混迷の禍根はここにあると、私は訴えつづけているのであります。

    (50・11・5)

    コンフリーについてのご注意



7-05. 台湾あれこれ(2)

     医学博士 遠藤 仁郎 

    食べもの
     台湾の中華料理は南方系が多いそうで、台北では浙江料理、基隆では北京料理(これは北方系だが)、蘇澳では陳夫人手づくりの福建料理、彰化の昼食は広東料理、帰りの台北は四川料理と、いろいろ変った料理を食べたが、その道にくらい私には、まったく区別はつかず、どれもこれもおいしいばかりで、いつも満喫した。
     ひどく油こいと聞いていたが、さして気にならず、別に障りもせず、味が一般に薄めなのと、きつい香辛料が使われてないのも、うれしかった。

    朝食屋
     台湾独特という朝食専門の店。早朝から11時までの営業で、あとは閉店するんだそうだ。台北で案内されたのは、かなり有名な店らしい。
     そう大きくはない。うすきたない構え。店さきの停止脚は雑然としており、半シャツ姿のオッさんが、粉をねり、団子をつくり、油であげている。
     いかにも不衛生そうに見える。で、ここに案内することには、かなり反対があったのだそうだ。が、ハエ一匹おらず、料理はつくりたてをすぐに出すのだから、決して、不潔でも、不衛生的でもなさそう。
     テーブルにはいっぱいの客。威勢のいいアンちゃんが何やら大声にわめきながら注文の品を配っている。なんとも愉快な光景だ。
     この日は豆乳(豆漿)食。豆漿には、生(味つけなし)、甜(砂糖入り)、鹹(醤油入り)の三種がある。試食してみたが、鹹がいちばんうまかった。
     ほかに油条と肉まん。

    油条
     小麦粉をねり(少し黄色っぽかったから卵がはいっているのだろう)、油であげ、24〜5センチほどの棒状になったもの。香ばしくてうまい。

    肉まん
     これもあげてある。なお、食べ残すと、それだけ差引いてくれる。いかにも実直な中国商法。基隆のホテルでは粥食、白粥一杯。ほかに落花生、塩卵(鹹蛋)、油条。

    鹹蛋
     食塩1、粘土3の割にねり合せて卵を包み、2〜3週間おいたものだそうで、皮蛋のような変な臭がなく、塩加減がよくて、うまい。花連では露店でビーフン(米粉でつくった素麺ようのもの。モヤシ、野菜、揚豆腐などといためてある)。と味噌汁(エンサイが少しはいっていた)。

    駅弁
     基隆から蘇澳までのバスの中の昼食は駅弁(福隆駅)だった。
     箱はうすい経木製、外に紙が張ってある粗末なもので、受とった時はもうつぶれかかっていた。しかし、内容は豊富。米飯のうえに、豚肉、塩卵、筍が無造作にのせてあり、味はなかなかいい。おおい紙には、「経済飯盒、衛生高尚、栄養豊富、美味可口」、また、反共復国、建設台湾」と書いてある。無駄をはぶいて実質を、という心意気がにくい。


7-06. 台湾あれこれ(3)

     医学博士 遠藤 仁郎 

     大料理店の食事はともかく、庶民の常食の一つと思われる朝食店の食事についてみても、米は存外少なくて、小麦もの、大豆もの、落花生、肉類、卵など、蛋白食品にとんでいるのは確かによい。
     しかし、野菜は一般に少なく、しかも無色菜が主で、青味はほとんどない。
     あげものが多く、生食は少ない(環境上やむを得ないのだろうが)。
     ために、果物でかなり補われているにしても、やはり、ミネラルやビタミンの不足はまぬかれないであろう。
     したがって、緑葉食・青汁は、ここでも必要なものにちがいあるまい。
     なお、油がふんだんに使われていながら、少しも胃にもたれないのは、油の質にもよるのであろうが、調理法にも、なにかコツがあるのだろう。


       大きな料理店のも、路傍の露店のも、家庭のも、ただ、まるい竹の棒を直(ちょく)に切っただけのもの。全体同じ太さで、先も元もない。なんと不細工な、と一瞬思ったが、いや、まてよ。中国の人が器用なのは、おさない時からこういう箸をつかっているからかも知れないぞ。

      爪楊子
       こいつは両端がとがらせてある。片方だけでは勿体ないからだろう。

      くだもの
       バスの中で、時折配給されたポンカンの新鮮味。熟しきったバナナの甘さと香り。ともに、さすがは本場。ただし、パパイア(木瓜、枕ほどもある)は大味。楊桃はまあまあ。水瓜はまずかった。あてにしていたマンゴーは時節はずれでガッカリ。

      檳榔(ビンロウ)子
       めずらしいのは花連で味わった檳榔子。紅色をつけた石灰をはさみ、ツタに似た緑の葉(キンマ)でくるんである。赤い唾を吐くので、喀血とまちがえることがあるとか、習慣になってやめられなくなる、愛好家には口腔癌が多いなど、思いうかべながらしがんでみた。大してうまいものではない。

      飲みもの
       水、ことに生水は絶対飲んではいけない、と注意されていた。硬水のため下痢する。また、バイキンや寄生虫の心配がないではない(昔のことだが、渓川の水を飲んでヒルが咽についたという話を聞いたことがある)からであろう。
       しかし、ホテルで飲んだ水は、どれもおいしかったし、何のこともなかった。多分、あらかじめ煮沸して冷蔵してあるのだろう。
       サイダー(汽水)、シトロン(沙工)、コーラ(香楽、口楽)類も多いようだ。
       酒は、ビールと絽興酒だけしか飲まなかったが、どれも結構だった。

     最後にこのたびの旅行中、格別のご配慮を賜わった会員皆様にたいし、心からご厚礼申しあげるとともに、台湾における青汁の普及に、いっそうご協力くださるようお願い申しあげたい。
     (50・11・28)


7-07. 神様に感謝

    シアトル M.S. 

     ことしのクリスマスくらい、いそがしい思いをしたことはありませんでした。孫がふえるし、私は血圧がたかく、目がまい出したので、医者へつれてゆかれましたところ、危険なまで高くなっていました。
     その上、子宮から出血しだしましたが、婦人科専門医は、血圧が高すぎて、どうすることもできないとて、血圧専門へ送られました。ところが、下の出血はハナ血と同じようなわけで、血圧が下りさえしたら止まる、というのです。
     そして、1200カロリーの食事をするよう、米もウドンもパンもイモも食べてはいけない。醤油も塩もいけないというので、それではドクター食べるものがない、というと、ゲラゲラ笑って、時たまケタはずれをしてもよいが、大食しないこと、という。先生の青汁の本から、えらんで食べ、血圧は下りました。
     毎朝、青汁一杯と、トーストを、バタかピーナツバタで、何年も食べています。
     年をとったので、肉はあまりほしくないので、一口か二口です。
     血圧の上ったのは、塩昆布や塩サモンのお茶づけが好きで、毎日食べたのがよくなかったらしいです。先生の青汁のおかげで、75才となりましたが、元気である毎日を神様に感謝しております。


7-08. 青汁に感謝

    台湾 K.T. 

     人類の救星遠藤先生、隠明寺先生を始め、青汁の会の皆様今日は。
     私は、只今、遠藤先生のご紹介にあずかりました、中華民国台湾の陳錦坤と申す者でございます。
     どうぞよろしくお願い申し上げます。
     私は、5月14日から16日まで3日間、東京で開催されます、ロータリークラブ世界大会を後にいたしまして、盛大なる本総会に皆様方とお会い出来得ました光栄、且又、年来の宿願をはたした私の嬉しさは何よりの幸福だと思います。
     このたび、青汁の会創立廿周年を迎え、まことに同慶の至りに存じます。
     衷心より敬意を表する次第でございます。
     これは皆、偉大なる遠藤先生、隠明寺先生を始め、皆様方の御貢献によるたまものだと感謝致してやみません。
     このように、ただで成果を得ました私、今後、何か皆様方に役立つ事がありましたら御用命下さいますようお願いいたします。
     生存競争のはげしい世の間で多忙を重ねる私は、青汁で無理した身体を健康にしました。
     本当に青汁に感謝いたしております。
     それでは、青汁と私の体験を報告させていただきます。
     青汁と私の縁故は、数年前、遠藤先生、隠明寺先生のご訪台に始まり、この間こつこつ継続いたしました。
     青汁は私を助け、私の事業を思うがままに発展させていただきました。
     又、私一家9名の世帯を青汁で病気なしの健康家庭にしてもらいました。
     私の体験を報告させて頂きます。

    1. 青汁は良質なる催眠剤であると私は信じました。不眠症に青汁を飲みますとすっかりねむれます。
    2. 過労に尿があかくなった時、青汁第一でございました。
    3. お酒の暴飲回復に非常によろしゅうございました。
    4. 青汁を大量飲んでねあせがなおりました。
    5. 青汁を継続的に飲みまして、おなかがへっこんでしまいました。
    6. 青汁でめがねをすてました。
    7. 5年前にかかった父親(76才)の高血圧がなおり元気になりました。

     尚、疑問の点でございますが、ケールに何か特殊成分があるじゃないかと思われます。
     最後に私は、このケールの青汁が中華民国台湾に普及できますよう、皆様方にご協力とご指導をお願い申し上げます。
     では遠藤先生、隠明寺先生を始め皆様方のご健康をお祈りいたしますと共に、皆様方のご訪台を楽しみにお待ちいたします。


7-09. 韓国だより

    京畿道 T.K. 

     小生の住家(ソウル)は、再開発地域に指定され、市場に建設されることになり、鄙農芸苑に移居することになりました。
     有機農法によるケールの栽培を試みております。
     従前も、16年間、1回も農薬をつかったことはありませんが、化学肥料は追肥として点播または、クモも死なない濃度の0.25〜0.5%の尿素の葉面散布をして来ました。
     今年からは化学肥料もつかわないでやってゆこうと思っております。
     堆肥は、日本有機農業研究会出版の「有機農法」(J.I.Rodale著PAYDIRTの訳本)にあるSir A.Howardのインドール法によって作ったものをつかい、一方、韓国の姜泰奉(タイホウ)牧師が16年来つかっている(下肥と農薬は一切つかわずに)「有機液肥」のタンクをこしらえ、大小便、米のとぎ汁、洗面・風呂の廃水、厨房のゴミは勿論、軟い若葉(とくにヨモギ、大根の葉、コンフリの葉が良い)を刈りとって、タンクの中で腐熟させる。
     タンクの中は三区劃に仕切り、腐熟した底面の液が第二のタンクに、次にまた第三のタンクに移る仕組みにして、人糞尿が少なくとも6ヶ月以上、1年くらい腐熟し、蛆を入れたら死ぬ由ですから、寄生虫も死ぬものと思われます。
     これを、今年、私も建造使用し、よかったら、改めてご報告申し上げるつもりです。

    (78・4)


7-10. のぞき見記(1)

     医学博士 遠藤 仁郎 

     去年8月、南ドイツのハイデルベルグにいる娘のところに行き、その近郊と、スイス、オーストリをのぞき、帰途、ロンドンにもちょっとたちよってきた。

    樹木と葉の色
     まず目についたのは、大きな樹木が多いことと、その葉の色のよいことだった。
     公園その他、いたるところ、ボダイジュ、プラタナス、カスタニエン(マロニエ)、カシワなどの巨木がそびえたっている。
     ロンドンの公園にはクリの大木もあった。
     山はもとより、平原や丘陵にも森があり、モミ、マツ、カラマツ、ブナなどがうっそうと茂っている。
     木の葉、草の葉は大型でやや部厚い。
     スイス、レマン湖畔のシヨン城の壁をはいのぼっていたツタ、オーストリー・ザルツブルグのモーツァルトの家の裏庭にあったヤブガラシの葉は、ともに、倉敷で見なれたものの倍はあったろう。
     ボダイジュの葉も、私の山の畑のものより、ずっと大きい。
     ロンドンのハイドパークにあった呂桑に似たクワの葉も、はじめ、ボダイジュかと思ったほどで、部厚くてかたそうに見えた。
     そして、もっと目をひいたのは、それらの葉の色。
     黒々とした深緑色をしており、艶が、また、実によい。
     ドイツの南部に、黒い森(Schwarzwald)というところがあるのも、なるほどとうなづけたしだいだ。
     これらは、地味にもより、また、緯度のせいでもあろう。

    老人が多い
     つぎに目をひいたのは、老人の多いこと。
     たいてい夫婦づれだったが、みな、よくふとっており(とくに女性)、杖をもっているもの、ビッコをひいているものも多かった。
     中には、肩にすがってようやく歩いているもの、坂道や階段で難渋しているものも少なくなかった。

    ノッポの若もの
     かれらの多くは、バランスのよくとれた頑丈な体格をしており、背をのばし胸をはって堂々とあるいている。
     そして、頭は比較的大きくみえる。
     ところが、10〜20代の若いところとなると、いやにノッポが多く(日本でもそうなりつつあるが)、きゃしゃで、なで肩の、いかにもひ弱わそうなからだつきだ。
     そして、頭は、比較的小さく、体の中心はももの上部にあり、肩・胸よりは腰〜腿部がよく発達しており、なかには、まるで恐龍を思わせるような超ノッポもいる。
     恐龍といえば、もと、小型で敏捷だったらしいが、ああしたとてつもないドンガラになり、運動が鈍ってくるとともに、急速に滅亡したといわれているが、この若ものたちの姿こそ、まさにそれでないか、と、人類の将来を暗示する不吉な兆しかといった気さえした。

    食料品店
     西欧先進国の一般食が、肉食に偏っていることは、いまさらいうまでもないが、ともかく、その実際を見たいものと、百貨店の食料品売場へつれていってもらった。
     なるほど、生鮮品の大部分(60%くらいか)を占めているのは動物性食品。
     ことに肉類。
     なかでも牛肉ものが主で、つぎに豚・鶏もの。
     魚はごく少ない。
     卵・牛乳(大きなパック入り)もうんとある。
     30%くらいがパン・コーナー。
     さすがパンの国、ずいぶんいろいろならんでいる。
     あと10%くらいのところに野菜と果物。
     トマト、ピーマン、キウリ、ナス、インゲン、レタス、キャベツ、カリフラワー、ブロッコリー、パセリ、ニンジン、ダイコン(日本のと同じもの)、赤カブ、タマネギ、ジャガイモ、などなど。
     種類はかなり多いが、青ナッパは少ないし、ダイコンも葉っぱは切りとってあった。
     果物には、リンゴ、ナシ、モモ、ネクタクン、スモモ、アンズ、バナナ、メロン、スイカなど。
     なお、教会や市庁舎の前庭にも野菜・果物市場があったが、内容はだいたい同じ。
     その他、肉類・卵・乳製品やインスタント食品、コーヒー・紅茶類、菓子・酒・ジュース類と、加工食品・貯蔵食品のはんらんしていることは、あるいはわが国以上であろう。

    Reformhaus
     その反動としてだろうかレホルムハウスという、さしづめわが国の自然食品の店といったものがあった。
     健康によいと思われる食べもの、飲みものなんでもある。
     全穀パンの類、小麦胚芽、碾割り麦製品、ビール酵母、ヨーグルト、玄米、大豆、落花生やナッツ類、薬酒など。
     高麗人参もあった。
     むかし、健康食品としてすすめられていた扁桃乳(マンデル・ミルヒ)(扁桃からつくった豆乳ようのもの)のことを聞いてみたが、今はないらしい。
     代りに、マンデル・ムスという、ピーナッツ・バターようのものを見せてくれた。こうした大雑把な観察からだけでも、一般に、肉・乳(蛋白質・脂肪)・糖にかたむき、野菜が不足していることや、加工・貯蔵食品の多いことがうかがえるわけだし、年配のものに肥満体や心臓・足の悪いものの多いこと、若ものにノッポの多いことも、そうした不完全食の結果であることも、よく理解できる(もちろん、運動の不足、その他、あまりにも不自然・不合理化した日常生活の影響があづかっているにちがいなかろうが)。
     そして、これを防ぐためには、肉・脂肪・糖の過食をさけ、野菜・果物、ことに良質ナッパを十分にとるべきだが、ハイデルベルグにものすごく大盛りのサラダを食わせる店があったのは、こうした意味で、興味がふかかった。

    大盛りサラダ
     それは、古くからよく知られている学生カフェ「赤い雄牛」にすぐとなっているSud.Pfanneという店。
     よほど繁昌しているとみえ、なかなか急には席がとれぬところだという。
     私どもが行ったときも、超満員の盛況で、ようやく、いちばん奥まった、調理場のカマド(炭火がたいてある)のわきに陣どることができた。
     目のまえで、注文に応じて、次々に調理してゆく。
     名だいの大盛りサラダは、径30センチもの大皿に、生野菜や、軽く味つけしたサラダの数種類(7〜8種あったろう)を、径7〜8センチの杓子に山もり1杯づつ盛りつけた、祐に1キロはあろうという凄いやつ。
     外人客は、さすが、からだが大きいだけに、平気で平らげていたが、私などようよう半分ちょっとしか食べられなかった。

    気になること
     これにつけても気になるのは、いま、わが国で、あまりにも無批判に西欧風をまね、やたらに肉や脂肪(バター、牛豚脂)や砂糖づくめのご馳走を食って得々としていることだ。
     この状態がこのままつづけば、おそらく、遠からず、わが国も西欧と同じ運命をたどること必定であろう。
     しかも、当の西欧人自身、そのあやまりを反省し、もっと菜食――肉の代りには大豆・ナッツ類、バター・牛豚脂は植物油にするなど――しようとしているほどだのに。
     かれらの二の舞を演じないためには、わが国伝統食のよさはあくまで守り、さらに、十分の良質ナッパをとり、バランスのよくとれた完全食にすること。
     そして、運動の奨励その他、日常生活の自然化・合理化をはからなければならぬ、とつくづく私は思った。

    (つづく)


7-11. 青汁の素がほしい

    西宮市 A.I. 

     娘がアメリカで親しくしていただいているご一家が、ずっと「青汁の素」をおのみになっていらっしゃって、お子様方もとてもご健康とのことで、娘たちも、ぜひ何とかいただきたいと申してまいりました。どこへお願いすればよろしいのでしょうか。


     大阪市福島区海老江3−15−15の大阪センター(田辺食品研究所)へ直接お申込み下さい。



7-12. 韓国だより

    京畿道 T.K. 

     当地トップクラスの中央日報社の月刊「女性中央」誌6月号の附録には、トップに、「主婦の友」誌上の、青汁の先生の記事を中心として、緑汁(長寿と無病の自然食品、ケール)に関する小生の寄稿をのせていますが、電話、手紙、来訪で、忙がしい毎日をおくっています。
     こうして、青汁はだんだん知られてきてはいますが、一般の、青汁の効用にたいする信念と実践は程遠い実状であります。道は遠くとも、われわれが死ぬまで青汁普及=弘益人間運動を続けるだけであります。

    (79・5・19)



7-13. のぞき見記・米国編(1)

     高知センター 野村嘉彦

     今年3月下旬、「米国青汁紀行」とも言うべきショートツリップを、岡山の田辺氏と二人で行った。
     わずか10日ばかりのもので、ちょっとのぞき見もいいところではあったが、我々の渡米の目的が青汁に関するものであったため、通常の観光と異った視点もあったのではないかと思い、拙ないペンを取るようになった次第です。

     私が青汁の件で初めて米国の会社とコンタクトしたのは2年程前でした。
     シカゴの会社より、ジューサーとしては最もすぐれているといわれていたシュレッダージュースマシーンをサンプル輸入し、同時にその社に対し、日本における青汁の諸説明、遠藤青汁の会の存在と、その活動等書き送り、そして、青汁に関する交流をしたい旨、遠藤先生の英文著「ザ・ミラクルグリーンジュース」とともに申し入れたが、それに対しては、ただ「アメリカにおけるジュースセラピイは、最近特に、近年にないくらい高く認識されるようになり云々。当社の製品は云々。」という簡単なものでいささか失望した。

     ただ、その時入手したアーサーシドニー博士著「健康の為の自然療法」というジュース療法の小冊子を入手したが、内容的には、米国で著明なるN・Wウオーカー博士やジョンラスト博士の理論と大差なく、特筆すべきものはなかったが、栄養学的な野菜または野菜汁に関する15くらいの文献が掲げてあり、中にはケールの分析でおなじみのシャーマンの「食品と栄養素の化学」や、1930年代にアメリカ農務省より発行されたものもあった。

     それはさておき、その後、田辺氏とたびたび行き来し、色々語りあった。
     そのなかで特にミンチ方式による青汁の製造、及びその他各機器の完全自動化方式は理想であり、また必要にも迫られている問題であったため、再度解決の道を、食品諸器具の発達しているであろう米国に目を向けて取り組むことになったのでした。
     そのきっかけとなったのは、その昔、私が勤務していた社の関係先で、米国のX社のコンサルタントをしているM氏に会ったことである。
     X社は米国のあらゆる調理器具を扱っており、世界にも多くのネットワークを持つ優秀な商社である。
     M氏のお世話でこのX社に、M氏が渡米した際、青汁に関する諸資料を持って行ってもらって検討していただけることになった。
     その後、半年以上もたった頃、最終案ができあがり「青汁製造に関しては最高のプラントであろう。」とX社の技術者は豪語していた。

    (つづく)



7-14. ケールでガス

    ロ H.H. 

     知人の、よく肥った黒人牧師さんのことですが、「ツリーケールを食べると腹にガスがたまるから」と、あるドクターからとめられたそうです。
     黒人は、あの大きな葉を常食にしているのですが、なぜいけないのでしょうか。

     悪い筈はありません。ケール(ほかの野菜でも同じ)でガスがふえるのは、便秘のせいです。野菜類を食べて、通じがうまくつくと(野菜食でふつうは快通するものです)、ガスは出ません。
     しかし、それでも便秘しているようなばあいは、野菜の繊維が腸内細菌で分解されてガスができるからです。通じさえうまくついて、腸がからっぽになっていれば、白人であろうが、黒人であろうが、われわれ黄人であろうが、ケールを食べて、ガスがとくにふえるということはありません。
     黒人の体質が白人にまさっているのは、ほかにも理由がありましょうが、ひとつにはケールなど質のよいナッパを食べているからだ、と私は思います。少しもかまわず、しっかり食べてもらって下さい。(遠藤)



7-15. アメリカでも食品公害

    在米 H.H. 

     早いもので、私ども先生の青汁をはじめて、今年で10年になります。
     病弱だった私はじめ、元気な主人、子供二人ともに、青汁・野菜食で、今日まで、神より生かされる力をあたえていただいて、ほんとうに青汁様々で健康で、よろこびと感謝の生活をおくっております。
     今頃はアメリカでも、食品公害など、いろいろ注意しており、学校などでも、ジャンクフード(悪い食品)といって、キャンデー、クッキー、ソーダケーキなど食べないよう、学校で売る、売らないと、問題になっています。
     また、家庭の主婦達でも、しっかりした人はジャンクフードを買わない運動をおこしており、私も心から嬉しくよろこんでいます。
     私どもは、出来上った加工品は買わず、娘と二人で、つくれるものは家でつくり、店では材料だけ買って、つくりたてのおいしいものを、皆で食べています。
     おいしそうに見える食品を食べて毒になると思うとゾーっとして、買う気も、食べる気もしなくなります。
     私たちは、肉類、菓子、加工品など見むきもせず素通りして、すぐに、野菜・果物のところに行き、季節の新鮮なものを1週間分えらんで買います。
     みなさまが、からだに悪い品物を、山ほど買っておられるのを見ると、気の毒になります。





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