健康と青汁タイトル小
 医療と医者・療法・長寿法インデックス

医療と医者・療法・長寿法(1)
医療と医者・療法・長寿法(2)
医療と医者・療法・長寿法(3)
医療と医者・療法・長寿法(4)

医療と医者・療法・長寿法(5)
医療と医者・療法・長寿法(6)



4-1. 青汁歴16年

    石川県 K.K. 

     青汁歴16年。たしかにその効果の顕著なため、中途半端にはできない気持で、毎日2合飲むことを怠りません。
     私、来年は古希を迎えようとしておりますが、健康そのもの、衰えを感じません。
     本年3月、47年ぶりで近衛隊当時の戦友が石川県の和倉温泉に集いました。
     彼らはみな、龍宮から帰った人々のようで驚き、さっそく青汁の効用を一くさり説き明かしたところ、「君の宣伝は信用できる。髪は黒く、若々しい」という訳で、持参した「ケール」の種は品切れとなったほどでした。
     16年前までは、病気の問屋のようだった4才下の家内も、この16年間、いつが悪くて医者にかかったおぼえのないまでに健康に恵まれ、この分では「お前96まで、わしゃ百まで」達者で生きるんじゃなかろうかと笑っております。


4-2. 当世養生学(上)

     S.T. 

     いのちと医
     心配な科学一辺倒
    「つけ」は結局全国民に


    人間をみない医学
     「おまえんとこは、やぶ医者じゃろ」と近所の子供たちがわが子らに言う。
     「注射なんかしないから・・・・・・」というのがその理由らしい。
     4人の子供とヤギ一匹、それにニワトリ10羽を引き連れて、この市町村立の小さな診療所に来て4年近くになる。いまではヤギが馬にかわり、その馬が子馬を産んだ。
     14年間、大学で人並みの研究と内科の臨床、それに農村医学をやってきた。
     大学で10年を過ぎたころ、現代医学の大きな壁にぶつかった。研究も臨床もいい指導者に恵まれ、自分なりに満足のいく成果を収め、近代医学の先端を行くものの一人として多少の自負心もあった。しかし、どうしても、心のどこかに不安と割り切れない何かがあった。
     医学は進歩し、医者も増え、そして診断もよくできるようになった。
     大学を出て4年になるが、その間だけでも、私の知らない診断器機や方法が次々に開発され、病名も微に入り細に入りつけられていく。
     私の杞憂(きゆう)は、医学の進歩にともなう、経済的破綻(たん)と人間性の喪失である。
     医学や医療という大義名分の名における営利性、学問の名を借りた人体実験や人間改造、つまり、人間をみない病気の医学が暴走するのではないかということであった。

    「医原病」への恐れ
     大学は研究、教育機関であるので、その特殊性は認められるべきであろうが、そこで教育された医師たちは、それが最高で、その道しかないと確信し第一線で活躍する。
     そして、それが正統医学としてまかり通る。私もかつては、そのレールの上を走っていた。私が、自らの病でその暴走ぶりに気づくまでは、現代医学になんの疑問も抱かなかった。肝炎になり、強肝剤と点滴注射で自分の体を薬づけにし、高タンパク高カロリー食を現代栄養学の金科玉条のごとくあがめたて、そのあげく、肥満、高脂血症、アレルギー、糖尿病と次々に病が病をつくって行った。
     私もかつては、その指導者として若い医局員に現代医学の方法を施してきた。むろん、現代医学のすべてが誤りだとは決して思わない。しかし、その使い方によっては、とりかえしのつかない過ちをおかすことになる。「医原病」といわれる現代病がそれである。

    問診の時間がない
     近来はあまり多忙すぎて、問診する時間がないという。多くの検査項目に○印をつけ、聴診器もろくに当てずに検査室に回す医師も生まれつつある。エクス線写真も1枚では不安で何枚も指示する。頭が痛いだけで、すぐ脳波や血管撮影。最近ではCTというコンピューターつきのエクス線診断までも登場して来た。
     確かに便利であるし、診断の確率も高く、それで助かる人も多い。だがそれら諸々の検査の肉体的、経済的つけは患者にまわされる。経済的には保険制度や公費負担があるではないかと反論もあろう。しかも、その終局的なつけは、われわれ全国民に回されるのである。

    食に脱出口求める
     私が、あえて問診を重視したのは、必要最小限の検査と治療で患者に与える負担を少なくするだけでなく、問診そのものが治療のこともあるし、たべものや生活のひずみから来る慢性疾患や場合によっては食品、薬品、農薬その他の公害病を早期に診断し、予防することも可能になると考えたからであった。
     現代は、診断はついても、治療の出来ない難治病があまりにも多い。
     また病気以前の問題として、死産や奇形の問題がにわかにクローズアップされてきた。はたして現代医学は、それに対応できるだろうか。経済的な問題だけでなく、その医学的方法論の上で、迷路にはまり込んでいるような気がする。
     私はその脱出口を食に求めた。そして現在、その食をつくる農業を生命の視点から模索しつづけている。世の中すべて他力本願、いのちまで人まかせの時代。自ら生命を養う“養生学”なるものが今こそ必要ではなかろうか。

     たけくま・よしたか氏は、昭和9年熊本県山鹿市生まれ。熊大医学部、同大大学院卒。49年まで同大医学部講師。45年に「新しい医療を創る会を」設立、中心メンバーとなる。熊本県菊池郡泗水町・公立菊池養生園園長。

    (54・1・20 中国新聞)


4-3. 検査データにとらわれな

     医学博士 遠藤 仁郎 

     慢性の肝炎など、経過のながい病気では、どうしても神経質になる。
     そして検査データの僅かな動きに一喜一憂する。
     それはちょうどいぜん肺結核の多かったころ、毎日の検温で1分、2分の熱の動きにひどく神経をとがらせていたそれによく似ている。
     結核で、熱が少々さしひきしても、大勢には少しも影響するものではなかったように、肝炎の検査データも、たとえ少々動いたとて、食事がすすみ、気分も体調もよければ、少しも案ずることはない。
     神経をなやますことだけでも、病気の経過には、少なくともよい影響はあたえない。
     データにとらわれ、いたずらにやきもきするより、正しい養生法をまもって、のんびりしていることの方が、どれだけ回復をはやめるか知れない。

    (53・12)


4-4. 現代人は栄養過多 守りたい長寿7つの条件

     「人類の長い歴史の中でいまほど“腹”が満たされている時代はない。豊富な食生活はともすれば“過剰摂取”につながり、成人病などを生むもとになっている」――。農林水産省食品総合研究所の西丸震哉室長は、このほど岡山市内で開かれた講演会で「現代の食生活とその影響」のテーマで講演。現代人のカロリーとりすぎ、美食ぶりを指摘し、「本来の健康を取り戻すためには“腹八分”が大切である」と強調した。以下はその講演要旨。


     人々の最大の共通した願望はなんといっても“健康”であり“長寿”をまっとうしたい点にある。健康長寿を満たす条件とはいったいどんなものがあるのだろう。われわれの研究所が長寿村と短命村に共通した発生要因を調べたところ、長寿村は
     1.生物にとって基本である空気と水が良好
     2.気候はよすぎるのではなく、むしろ寒暖の差が適当にある
     3.労働は日の出とともに働き、日没とともに休むというふうにかなりきつい
     4.心理的なストレスは多くてはいけないが、ある程度の刺激がある
     5.食生活は食べ過ぎるのではなく、ほどほどのカロリー
     6.タンパク質は厚生省基準(1人当たり1日75グラム)よりも不足気味
     7.野菜はしっかり食べている―
     以上7つの条件を満たしていた。みなさんもこの7つの条件を実現するように努力すればおのずと健康・長寿が約束される。


    好ましい条件に逆行
     ところが、現代文明がもたらしたわれわれの生活環境は―。

    1. 都会ではより顕著にあらわれてくるが、空気と水の汚染はひどくなっている。
    2.  
    3. また家庭やオフィスに冷暖房が普及し、膚で感じる気温はよすぎる。
    4.  
    5. 労働は限りなくゼロに近づく“安楽追究型”で歩かずに車に乗り、エレベーターを利用するなど手段からして無労働化に拍車がかかっている。
    6.  
    7. ストレスは不必要なイライラが増大し、
    8.  
    9. “飢え”はご免とばかりに起きている限り食い続ける風潮が強まり、カロリーは過剰、
    10.  
    11. 量が満たされれば質の向上とごちそうを食べるのでタンパク質摂取は増えている。
    12.  
    13. しかも野菜は食べなくなっている。
     このように健康長寿であるための条件にまるで逆行している。


    対応出来ない肝臓
     ではこうした生き方を維持していると健康長寿にどう影響を及ぼすのか。
     人類の歴史は数百万年といわれているが、その生理機構は一朝一夕に出来たものではない。他の動物とのきびしい生存競争、外界の変化のなかで人類の諸機能、つまり消化酵素やホルモンはうまく適合出来るように作りあげられたものだ。本質的な能力は昔と変わらない。

     現実はPCB、重金属、さまざまな合成化学物質…がはんらんしている。PCBは自然界にあったといっても量はごくわずか。合成化学物質は何万種類もつくられているが自然界にはもともとなかったもの。これらの物質が人体に入ると肝臓は懸命に分解、排除に努力するが、排除機能がないのだから対応は出来ない。現代文明は新物質を体内に取り込ませ、人の生理機構のズレを増大させている。わが国の平均寿命は男子73歳、女子78歳といわれるが、これは現在のゼロ歳児にはまるで関係はない。明治、大正、昭和の初期をたくましく生き抜いてきた年配者固有のものなのだ。


    若い世代ほど短命
     環境悪化は著しいし鍛えあげた人とそうでない人では生命力も異なるはず。私は総理府の国勢調査、厚生省の人口予測などを参考に現実の食生活、環境条件が各年代の人の生命にどうかかわるかを調査した。
     その結果、

      66歳の人が半分に減るのは10.3年後(寿命76.3歳)。
             56歳の人は15.5年後(  71.5歳)、
             46歳の人は19.8年後(  65.8歳)、
             36歳の人は22.8年後(  58.8歳)、
             26歳の人は24.5年後(  50.5歳)…。

     残酷な数字かもしれないが若い世代ほど短命になっていく。


    男女寿命差は食生活
     男子73歳、女子78歳の寿命差はなぜ出てくるか。
     これは男女の食生活の違いが大きな要因となっている。男性は外でごちそうを食べる機会が多くタンパク質を取り過ぎるのに野菜ぎらいが多い。体質的にも女性は焼きイモ、カボチャ、ヒジキなど好んで食べる。

     7つの長寿条件のうちタンパク質と野菜の2つだけで5年の差が出ている。7つの条件を再点検してみると空気・水の汚染は個人の力ではどうにもならない、またストレスを減らすことも困難である。残りの5つは実行出来る。野菜についてはたっぷり食べればよい。レタスなどカサは張っているが押しつぶせば少量。少々食べたのではダメ。タンパク質過剰につながるごちそうは食べればよいがうまさは最初だけ。早めに切り上げ残りは折り詰めにして持ち帰ること。カロリーのとりすぎは暴飲暴食をやめしっかりかむこと。労働はやればよい。平素から歩いたりスポーツをしたり、身体を動かす習慣を身につけることも大切。気候はとりあえず冷暖房をやめる。夏の暑さ、冬の寒さを実感すれば春秋のありがたみがわかる。


    適正な栄養摂取を
     地球上の人口は現在、40数億人、今世紀末にはその数65億〜70億に膨張するといわれているが、人類の歩みを振り返り、いまほど満腹していた時期はかつてない。やや“飢え”を感じる状態の方が人間の生理機能をフルに働かせ得るものだ。むしろ、その方が正常な姿といえる。お互いの食生活をじっくり点検、食べ方も含め適正な栄養摂取に努めていただきたい。(54・10・16 山陽)


4-5. 断穀清腸

     「長生を得んと欲すれば、腸中まさに清かるべし。不老を得んと欲すれば、腸中まさに滓なかるべし」(抱朴子)。
     便秘すると、腸の中でいろいろな有害物ができ、血がにごりがちになる。また、便秘するような食べものは、もともと、栄養的に不完全なので(欠陥栄養)、そのためにも血はにごる。
     そして、体調をそこね、抵抗力をよわめて、病気しやすくなったり、寿命を縮めることにもなる。だから、健康であるためにも、長生きするためにも、つねに通じをよく(腸を清く)し、血をきれいにしておかなければならぬ、というのだ。
     そこで、仙法では、生の野草や野菜をうんと食べることになっているが、いまひとつ「断穀清腸」ということが行われている。
     これは、「穀類を断って、常に腸を軽くしておくもので、長生久視の条件であると同時に、高度仙行法の準備態勢とされている」(仙語録)、という大切な行法だ。
     穀類、ことに精製穀は、ミネラルやビタミンに乏しいので欠陥栄養に陥りやすいうえ、カス(繊維)が少ないので便の分量が少なく、腸管にたいする刺戟が乏しいので、便秘しがちになる。
     また、ビタミンBがなくなって、糖質(澱粉)の代謝が不完全になり、ピルビン酸という、有害な中間産物ができ、そのために、腸管の運動が悪くなることでも、便秘しやすくなる。
     それを防ぐために、仙法では、繊維やミネラル・ビタミンにとんだ野草や野菜の生食がすすめられ、なおそのうえに、とかく便秘の原因になりがちな穀食を断とう、というわけだ。

    (54・1)


4-6. 松葉仙人

     漢の成帝の時、猟者終南山中に於て、一人の衣服無く、身に黒毛を生ぜるものを見たり。猟人これを見て、遂ひ取らんと欲せしに、その人、坑を踰え、谷を越え、飛騰して遠く及ぶべからざる如きものあり。ここに於て、すなわち、密に、その所在を伺候ひ、合囲みてこれを得たり。すなわち、これ婦人なりき。
     これに問ふに、言へらく、

     われはもと、これ、秦の宮人なり。関東の賊至りて秦王出でて降り、宮室焼燔けたりと聞き、驚き走りて山に入り、飢うるも食とする所無く、餓死に垂んとす。
     一老翁あり。我に教へて、松葉松実を食はしむ。当時は苦渋かりしも、後ややこれに便ひ、ついに飢えず渇かず、冬も寒えず、夏も熱からざらしむ、と。
     この女を計るに、定めてこれ、秦王嬰の宮人ならん。成帝の世に至るまで二百許歳なり。すなわち将い帰りて、穀を以て食はしむるに、初は穀の臭を聞きて嘔吐せしが、日を累ねてすなわち安んず。
     かくの如きこと二年許。身毛すなわち脱落し、転、老いて死せり。さきに人に得為所れざらしめば、すなわち仙人となりしならん。
    (抱朴子)


4-7. 偏ってはダメ

     医学博士 遠藤 仁郎 

     養生法について抱朴子にこういういましめがある。

     「およそ生を養う者は、多く聞きて要を体し、博く見て善をえらはしめんことを欲す。ひとえに一事を修むるは、必ずしも頼むに足らざるなり。また、好生の徒は、各その長ずる所によることを患えらる。
     玄素の術を知る者は、すなわち曰く、ただ房中の術のみにて、もって世をわたるべしと。
     吐納の道を明にする者は、すなわち曰く、ただ気を行れば、もって年を延すべしと。
     屈伸の法を知る者は、すなわち曰く、ただ導引せば、もって老い難かるべしと。
     草木の方を知る者は、すなわち曰く、ただ薬餌あれば、もって窮すること無かるべしと、
     学道の成就せざるは、偏枯のかくの如きに由るなり。」
     つまり、養生法は多くのことをよく理解し、また、広くもとめるべきで、一つのことだけ修めれば足るというものではないし、自分の得手とすることだけにとらわれてはならない。
     たとえば玄素の術、陰陽(セックス)の術にくわしいものは房中の術だけでよいとするし、
     吐納(呼吸)の法に明るいものは、呼吸をととのえ気を養うことだけで長生きできるという。
     また、身体屈伸を知るものは、導引(体操)さえやれば年をとらぬ、
     薬草木の方にくわしいものは、薬があれば困ることはない、とするといったぐあい。
     その道の成就しないのは、かように、一つことだけにかたより、とらわれているからだというのだ。

     なお、陰陽の術については、
    「高きも、もって小疾を治むべく、次に、もって虚耗を免るべきのみ、その理おのずから極りあり。いずくんぞよく神仏をいたして、禍を却け福をいたさんや。人は、陰陽交らざるを以て、いながら疾患をいたすべきにあらざるも、もしすなわち、情を縦にし、欲を恣にして節宣すること能わざれば、すなわち年命を伐らん。」
     ともある。ところで、現在のわが国は、健康法時代といってもよいくらい、いろいろの健康法や、雑多な健康器具がいわれ、これさえ心得れば健康長寿まちがいなし、といった説もなされている。もちろん、それぞれ根拠はあるのだろうが、やはり一方的なものが多く、それだけで必ずしも目的をたっしえられないことは、この抱朴子のいましめのとおりだ。いかなる場合でも、心、身、食の三元の合理化・自然化を忘れてはならぬと思う。
    (54・1)


4-8. くだし上手

     医学博士 遠藤 仁郎 

     Qui bene pnrgat,bene curat.
     「くだし上手の治し上手」
     といわれ、むかしの医者は、便通にはつねに十分の注意をはらったし、潟下(くだし)は第一流の療法として、多くの、あるいはすべての病気に賞用された。
     そして、一時は、むしろ乱用され、また、強力な峻下剤が用いられたため、かえって不評をかい、非難のたねともなった。
     しかし、いまでは、便通そのものについても無関心すぎるようで、2〜3日はおろか、数日〜1週間も便秘したままにされていることも少なくない。
     病人とて、いや、病人なればこそ、毎日快通さるべきだし、ときに応じては下げることも必要であろう。
     しかし、出すぎるのは確かに不快であり、体力も消耗する。
     また、病状を悪化させることもあるから、むやみに強い薬をつかうべきではない。
     

    「夫れ、万病は大便秘するより病むと知るべし、
     何病と雖も軽く下すときは、濁血は清く、熱は解し、筋は和ぎ、気は爽になり、頭痛も愈(い)え、虫積も除き、足温く食進みて、諸の病、皆去って癒(い)ゆべし。」
    (梅花無尽蔵)


4-9. 下剤

     いろいろあるが、もっとも無難なのは硫マ(硫酸マグネシウム)とか、硫曹(硫酸ソウダ)、といった塩類下剤。
     あるいは、これらが主成分になっている人工カルルス泉塩(オーストリア・カルルス温泉の成分を人工的につくったもの)。
     そういう類の温泉水なら、なおよいだろう。
     いずれも、古くから血液浄化作用や、不老長寿の効がいわれている。
     これら塩類下剤は、ただ便を軟くして、出やすくしようというものだが、その他の多くは腸の運動をたかめて、たまっている便を出そうとするもの。
     昔から賞用されている大黄、センナなどがあり、気持よく出るが、クセになりやすい。
     近頃の新薬も同様、みなよくきくが、いずれもクセになりがち。
     時たまのむのはともかく、常用することは、なるべく避けたい。


4-10. 「健康学園」に山小屋が完成

    “完全医療”へ次は診療所 名張
     現代が置き忘れた“医療の心”を実践によって取り戻そう――と、大阪の青年医師ら3組の夫婦を軸に、三重県名張市の山あいでユニークな「健康学園」づくりが進められているが、このほど第一期工事分の山小屋が完成した。
     「今度はいよいよ最終目標の診療所の建設だ」と、若い応援者ともども張り切っている。
     健康学園は、大阪市東区「上二病院」の藤岡義孝・内科医長(34)、堺市協和町「耳原総合病院」の浦山淳・内科医(30)、病院職員の田村修市さん(27)の3人と、いずれも看護婦の奥さんたちが中心になって建設している。
     混迷する現代の医療を救うための、一つの“実験”として発想された。
     完成した山小屋は木造、三角屋根。広さ約80平方メートル。8畳2間と6畳の台所、それにテラスがある。定員は16人。建設費の250万円は、すべて“予定通り”カンパでまかなった。
     建てたのはみんな素人だが、会員の建築設計士2人が無料で青写真を描き、指導に当たってくれた。
     会員たちがこんど、現地に集まって完成祝賀会を開いた。
     出席約40人。地元の人たちも励ましにかけつけた。この席で、友の会会長の丸山博・前阪大医学部教授は、「きっと新しいスタイルの、画期的な診療所になるでしょう。この運動は医療関係者に対する大きな刺激剤になる。ぜひとも実現させよう」とあいさつした。
     医療は決してクスリだけですむものではない、と彼らはいう。
     薬物治療はもちろんだが、学園では、患者は自然農園できれいな食物を自給自足する。
     ヤギやニワトリの世話もする。医療のプロたちは、患者がより健康に生きていく方法を自分で身につけて行くように、そばでいっしょに努力する。
     回復訓練、体力増進の指導も。
     つまり、予防と治療のドッキングだ。藤岡医師らは去年、建設友の会をつくり、一般に協力を呼びかけた。
     集まった応援者は現在約150人。資金援助と労力提供。友の会ではとりあえずこの山小屋を「健康とは何か」を考えるセミナーハウスとしてオープンさせる。
     第二期工事の診療所建設は、早ければ来年夏に着工、55年春完成の予定。
     計画では、木造一部二階建て、延べ約650平方メートルで、ベッド19床の病棟をはじめ、図書室、談話室などをつくる。工費の約8千万円も、大口寄付をはじめ積極的なカンパ活動で、ほぼめどがついたという。

    (53・5 朝日)




クリック 引き続き、医療と医者・療法・長寿法(5)へ






ご意見・ご要望はこちらへクリック
階層リンク 田辺食品 青汁 健康と青汁 上の階層へ
サービスリンク 更新記録 全体構成 商品紹介 注文方法

Copyright 2011 02 田辺食品株式会社