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 医療と医者・療法・長寿法インデックス

医療と医者・療法・長寿法(1)

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医療と医者・療法・長寿法(6)



1. 皆様におうかがい

    三田尻 H.H. 

     自分のしておることをいかにも正しいよいことのように申し上げるのは失礼でもあり実は恐縮でありますが、会からのおすすめもあり、又原案として、私のモルモット生活を御批判御指導仰ぐことも無意義であるまいと、これも自分の一人ぎめで……。

     私は7年前に45年間苦楽を共にした妻を亡くしまして今は全くの独身独房自炊生活であります。
     昔支那の伏義神農は百草をなめて初めて医薬あり、と習ったことがあるように思います。
     不肖の私もいろいろと我身に試みて、お役に立ちたいと念願いたしております。
     食事につきましては異議を申し立てる人もいませんので、これはよいと信じたことは断然敢行いたしております。
     私はもう何十年も朝食ヌキ二食主義でやっております。これはたしかによいと人さまにも極力おすすめしております。リクツもありますが、おこがましくもあり、すべてヌキにいたしとう存じます。
     人間は神(お日さま)の5つの恩恵によって生きておるものと思います。私共が毎日おいしく感謝でいただいております飲食物は其一番身近なものでありましょう。で私の天与の正食を申し上げてみます……。天(主食)地(副食)空(調味)水(飲みもの)生(補食)に分けて申し上げます。

    「天」  主食は
       玄米、玄麦(小麦、時に麦飯にする麦)とうもろこしを製粉したもの。大豆粉(黄な粉、おもちにつけていただくもの)にぼし粉(煮出しに使う煮干を製粉したもの)以上五品各等分量(大サジ各1パイ位宛)合計約1合。
       これに・コンブ茶に用いるコンブ粉(中サジ1パイ)。・ゴマの油3グラム‐5グラム。・鶏卵1個。・更に新鮮野菜(溌刺大根の屑もの葉など)スープ約1合を加えてよく交ぜ、菓子でも製造するかのように丹念に練り直径12センチ深さ7センチ位の可成土鍋に入れて電気釜で15分ばかり蒸し煮にいたします。

     まことに香ばしい風味の良いやわらかい饅頭のようなポーッとふくらんだいかにも栄養豊富の何と云えぬ味覚をそそる一種の高尚な食物が出来上ります。
     真の天与の正食品と信じております。時にこれに別項述べます日子調味(ひこみ)を加え、又おさつ、おジャガ其他の芋類を添えることもあります。(以上私一人一食分)
     この時の副食は生野菜であります。私の生野菜食は別に書きます。
    「水」  飲みものは清水か青汁か生牛乳であります。
     補食は今頃はリンゴ、トマト、ミカンの何れかの一つを摂ります。
    「空」  さて私工夫製造の日子調味(ひこみ)でありますがこれは特に念入りに御批判をお願い申上げとう存じます。

     2ヶ月分(私一人の)材料(真夏でも決して腐敗いたしません)
    • 大豆で醸造した山口みそ(百グラム位)を基礎として、これに・純粋蜂蜜百円位・コンブ茶のコンブ粉百円位・煮干粉30グラム位・黄な粉20円位・純粋ゴマの油30円位。
     を入れて丹念に練ります。

     (注意)水は一滴も入れてはなりません。3時間位電気釜で蒸し煮にいたしまして、取り出してよくよくさまして陽の当らぬ風通しのよい処へフタをよくして貯えます。

    • パンにつけるバタ変わりに(バタ以上と信じています)
    • みそしるの味出し、みそ代りに、
    • すべての煮物の味出しに味の素代りに、
    • 醤油砂糖代りに、
    • お弁当のご飯の隅に小さい入れものに入れておかず代りに、
       (いそがしい時におかずをこしらえの必要がありません。)

     マネーと時間と労力と気使いとの大経済になります。しかも栄養はそんなものの何十倍でしょう。私は醤油を買ったことはありません。魚も肉も買ったことはありません。そんなものはこの一つの「ひこみ」でまかなって余りがあると我身でモルモットしています。
     次ぎに私の副食を申上げましょう。
    「地」  副食
       私はこの副食はわりに大食いです。
       勿論、生青緑菜が主体です。
       煮たものといえば竹の子、蓮、芋、カボチャ、コンニャク、茸、豆等です。相成るべく生の青緑菜を摂るようにしています。一度でもこの生青緑菜か青汁かをいただかないと食事をしたような気がいたしません。
       実際よく噛みしめて味うと煮たものより生のものがはるかにおいしうございます。クワズギライではおはなしになりませぬ。
       今日此頃の私の一例を申上げますれば、キャベツをできるだけ細かに針のように刻んだものを、ガラス鉢に盛ってこれに大根と人参とを大根ツキでついて、そうめんのようにして添えまして(なるべく3種以上)これにミカンを横に切って汁もミもしぼり出してかけます。更にコンブ粉、純蜂蜜を加えてあっさり交ぜていただきます(塩や醤油を使ってはなりません。リクツを申してすみませんが一体人間は醤油やソースを使いすぎます)。
    「水」  飲みもの
       これは青汁か清水か牛乳です。
       私はコーヒー、紅茶、お茶などほとんど飲みません。
       (勿論アルコール系統のものは一切不要です。)
    「生」  補食
       季節の新鮮な果物一色と申してよいほどです。
       時に青緑野菜のコマギリに蜂蜜かけて果物代用。
       時に白砂糖の入ってない程度のお菓子類は少々いただきます。
       食後たいてい何か一ついただきます。なお、日は神の象徴、人間は神の子、日の子であります。人造のものはなるべく避けて作られたそのままを感謝鑑食いたしたいものであります。
       つまり大自然を敬愛して其お恵みにそむかぬ生活をいたしたいものであります。
       要するに私は左の飲食物を避けております。
      • 白米(玄米は粉にして毎日大サジ2ハイ(五勺に足りますまい)いただいております)、
      • 白砂糖、菓子類、酒類、たばこ、コーヒー、紅茶、氷類、魚・鳥・獣肉(ニボシは粉にして相当多量いただいております。)
      • 市販の醤油、ソース、市販の酢(みかん類すいものを好んでいただいております。果物の酢で代用)
      • にわとりは食へませんが鶏卵は毎日2個いただいております。
      • 牛肉はいただきませんが、牛乳は毎日2合(2本)いただいております。
       あついもの、塩からいもの、濃厚なものは一切いただきません。ヘンなことを申しますが普通のおフロにもめったに入りません。毎朝毎夕シボリタオルで全身をアッサリこすります。こういったことは次回に申上げてみましょう。

    自戒
     度外れたことをしなければ、度外れたことは出来ない。
     人なみ(多数決)の白米をタラフク食っていては人なみ(並)の70才も生きれば上の部だ。
     お釈迦さまは人生120、80、100は下寿中寿と仰せられたが、今日の科学を以ってしてはキット150とか200とか仰せられたにちがいない。
     神の子日の子、万物の霊長人間は、70、100で終るチッポケなものではない筈だ。
     90や100はまさに青年。
     いざ我は……裸で行こう
     青いもの食おう
     みどりを飲もう

    昭和34年10月29日快晴。朝6時45分、
    只今日の出を拝して帰室。80才 ひこしろう。



2. 私の健康法

    東京都 M.E. 

     明治7年陰暦6月12日生れ、戸籍面は12月2日ですが、出生届を怠ったのでしょう。
     兄弟五人。姉は82才で死亡。私が長男で、弟二人とも徴兵検査は皆甲種合格。私は籤外れ。
     弟二人は現役を勤めましたが、二人共早死30才未満末弟も60才にならずして逝き、妹は健在。77才で、少しは農事の手伝をして居ます。
     私は弟二人より貧弱な体躯ながら、医師の診療を受けましたことは、大阪に居住中不幸チブスに襲われ、入院3週間ばかりで全快しました。
     大正13年事業失敗のため東京に移住。友人の事業を手伝い中、昭和23年春感冒にて医薬2日分頂きましただけで、同26年5月まで欠勤なく通勤しました。
     78才以后隠居生活を送って、過去を顧みますと、祖先和田系には結核中風など難症の罹病者ありませんで、母方の祖母80才、母83才の長命と言われた方で、父方の遠藤家は祖先70才以内、父も酒すきで57才で往生しました。
     真に心細い思がいたします。私は酒も煙草も少しはのみますがすきではありません。
     日日の食事は80余年来、子供の折から今日まで米麦飯に味噌汁、野菜、たくあん、魚類などで、食卓に出るものは何でも頂きますが、腹八分目は固く守って、間食はなるべく軽く頂きます。朝洗顔の時、生水をカップ1ぱいに少し食塩を入れ呑むことと、朝飯に大根おろしを食べますことは30余年つづけて居ます。
     次に日常朝か午后、二三時間散歩しますと、躯の調子が大変良く感じます。夜は8時になりますと臥床すぐ寝入り、よく休まれる方です。
     健康保持は、第一に家族の者が協力なくては不可能で、精神的苦痛なく気楽な生活を得て居ます。私は真に有難い幸福と感謝して春秋を迎えている次第です。

      附記
       遠藤博士の著書緑葉食青汁の話、青汁読本、青汁体験集は全部熟読しまして効果の偉大なるこ能く知悉致しました。又健康と青汁月刊毎月頂いて居りますので、私拝読すみ次第、友人知己に回読勧誘して大変悦ばれています。私の孫は孫の母が自宅で造り2年余飲み続けて居ります。茲に感謝申上げます。



3. 医者と弁護士が一番悪い

     大阪市 山田守之亮

     1、大分前のことですが、某有名全国新聞記事の某氏の話のなかに、他の記事にことよせて、それとなく喘息が大阪の名医によって治った、との報告がのせられてあり、私も関心のある事故、新聞社で、其病院を聞き出し、訪問しました処、有名外科病院(主とし整形外科)の院長博士自身説明に出て来られ当の記事をのせられた方も同席して、葉書や手紙による聞き合せ何十通を見せ、又其特殊注射薬の神秘的発見経過など、多忙な時間をさいて30分程説明。私の職業、支払能力なども探った上、何月何日、本院で患者を集めて同時に施術するから御出なさいとの事。そこで、かんじんの治療費を聞くと、1回6千円、十数回で全治を引受けるとの事。そして、施術の2日前には再び案内状が来ると云う親切さです。色々な点で、何だか「サクラ」を使ったニオイがしましたから、私は行くのを止めました。

     2、数日前、路上で、かって大阪の医師会長をしていた先生にあった所、喘息はどうですか、治りましたかとの事。この前も良い注射がある、健康保険があるから金はいらんと云いながら、結局多額の負担をさせられた方。こんどは、お灸の点に注射をしたら非常に良く効くから来てみなさいとの勧誘。行ったら、何や彼やと又巻き上げられる事必定。お灸と注射は目的がちがい、注射はどこへしても血液と共に全身へ廻るものではないのでしょうか。兎に角、高い学問を修め、先生と呼ばれる人々が、其信用と地位を利用し、弱身につけこんでまで、無智な貧しい大衆をだましお金を捲き上げるのに狂奔するとは腹がたつ。我々は教養と理性を以て正しい判断をし、自分自身を守って行かねばなりますまい。
     金のいらない青汁、誰でも出来る青汁万歳!!



4. 大豆 野菜を多く

    東北大 K. 

    長寿の秘法を発表

     米の大食を避け、大豆、野菜を多くとれば長寿を保てると東北大名誉教授、近藤正二博士は、11月12日京都会館で開かれた老人医学会で発表した。
     日本人は欧米に比べて長寿者が非常に少なく、満70歳以上の長寿者の総人口に対する割合は3%と欧米諸国の約半分。しかし日本でも局地的にかなりの差があるので、近藤博士はとくに長寿者の多い村、少ない村約700村を選んで気候、地理的条件、生活事情、食習慣労働状況の実態調査を行ない比較検討した。
     同博士の報告の要旨は次の通り。

    1. 米の偏食、大食村は例外なく長寿者が少なく、早く老い込み、若い人の脳卒中死亡が多い。東北地方の米作村にはとくにこの例が多く、秋田県では70歳以上が1%にすぎず、20歳以上の死亡者の49%が脳卒中だった。この原因は農繁期などに一日1.4キログラム(一升)以上の大食とつけものばかりで塩の摂取量が全国平均の3倍にもなっているためだ。
    2. 長寿村では必ず魚か大豆を常食にしている。とくに腹わたや小魚を丸ごと食べる村は長寿者が多い(伊豆大島の野増村)
      魚や肉が全然手にはいらない山村でも大豆を常食するところは長寿者が多い。(山梨県鳴沢村)
    3. 長寿村は必ず野菜を多くとっている。野菜不足で魚を偏食、大食する村は必ず短命である。野菜不足の村では心臓疾患による中年期の死亡が多い。畑を持たない漁民部落は一般にこの傾向が強く、北海道の漁場はこの好例である。
    4. 海草常食の村には脳出血がきわめて少なく長寿者がとくに多い。(秋田県男鹿半島の戸賀町)
    5. 労働過重は短命の原因にはならない。。

    東大医学部田坂定孝教授の話
     この具体的な資料と結論は老人医学の研究者すべてにとって非常に参考となる。20年前には老人医学の研究者はほとんどいなく、そのころからの長年の労苦の結晶で頭の下がる思いがする。
    35・11・13 山陽新聞



5. 長寿と食習慣について(1)

    東北大学教授 S.K. 

    大豊作と米食

     昭和35年度の米作は空前の大豊作だったと言われています。
     沢山の外貨を使ってお米を輸入している我が国の現状から考えて、甚だよろこばしいことではありますが。又一面心して食べなければならないのも米食ではあります。

     昨夏私が上京した際、ブリヂストン美術舘で頂きましたパンフレット、東北大学近藤正二教授(現在は退官され名誉教授)「長寿と食習慣について」の中から皆様の御参考に供したいと思って、その一部を転載させて頂きました。(貝原記)




    (1)長寿村では食生活に必ず魚か大豆かが豊富である。大体から見て大豆の特産地は、長生き村であります。此れは動かすべからざる事実で、前述の隠岐島は魚と大豆と両方とも多い。
    (2)長寿村では目立って野菜が豊富に食べられている。例えば富士山の北、海抜1,000米の所、富士五湖の真中の西湖(サイコ)の近くに鳴沢村があります。此処は昔から壮丁検査に秀れていて、即ち甲種合格が揃っていましたので戦時中有名になりました。
     処が此の村が玉蜀黍を主食にしている変った所であります。
     そこで玉蜀黍が主食だから健康であると世間では評判されました。
     長寿率を調べると長生きが多いのであります。
     即ち健康でそして長生きの村である事が判りました。食生活を調べて見ますと、此所は魚もない(あっても煮干位で、客があれば出す程度)、しかし甲州きっての大豆の名産地で良質しかも多いので、自然味噌を多く食べる。
     そして味噌汁の中に野菜をたくさん入れている。
     普通吾々の家庭では、味噌汁は煮てしまうと中味は水面より低くなるが、此の村の味噌汁は煮ても野菜が水面の上に頭を出している。
     しかも一回に6杯も食べるのが伝統です。
     大人の味噌の食べ方は1日に50匁で恐らく日本一でしょう。
     此れが先祖代々の八升鍋という鉄鍋で煮る。即ち大豆と同時に野菜を沢山食べている。
     更に野菜の種類に就て見ますと、長寿村に共通しているのは次の3つが豊富に食べられているという点であります。
      (1)にんじん、
      (2)かぼちゃ、
      (3)長芋。
     之等が長寿村に目立っている代表的な野菜である。
     トマト、ホウレン草になると事実としては殆ど見当らない。
     尚一例に過ぎないが、岩手県で稗を主食にしている村で有名な有芸村(ウゲムラ)がある。
     釜石の近くの山の中で、大して高くないが交通が不便で、世間の人はよくよくの用事がないと行かない。
     曽て小泉軍医中将が稗食の研究に行かれた事がある。
     此の村が稗を食べ、しかも壮丁の体格が良いので評判が高かった。
     長寿率を見ると岩手県で一流の長寿である。
     此の村では大根の葉を他の生野菜と同じように食べている。
     栄養学上良い筈である。大根葉は貯蔵野菜として食べる地方はあるが生野菜と同じ様に食べるのは未だ見た事がない。
     此の村は又豆腐を豊富に食べるのが実に目立っている、固い豆腐で(繩で縛れる)、昔からの云い伝えで「山の魚」だと云っている。
     自分の家で作るので、嫁入する時には作り方の練習をしてゆく程である、野菜の中でも之等のものが長寿村で共通に食べられている事実は忘れてならない。



6. 長寿と食習慣について(2)

    東北大学教授 S.K. 

    (3)米の偏食、大食の食習慣のある村は必ず例外なく短命である。
     例えば、秋田県、山形県の米単作地方にゆくと米以外は何ものも不足である。
     故に米を大食する、魚もない、大豆も作らないとなると、蛋白質は米一品からとるのは止むを得ない事で、米を大食しなければならない。
     現在の家庭の食生活の事態調査をやって見ると、

       子供を除いた大人の平均は普通で6合6勺、しかも真白い米を食べる、一番少い家庭でも5合は食べる、農繁期は一升以上も食べる、一般に米単作地帯はかかる食生活をやっている、青森県の東部「旧津軽領」の米作地や、山形県の庄内地方の米作地は殆んどこういう食生活である。
       山形県の北の端「即ち奥羽本線の山形県の一番北にある駅」に及位村(ノゾキムラ)がある。
       此所は県下第一の短命村で、長寿率は女1.1%(全国平均3.2%)である、此の地は山地が多く而かも米も不足である、かかる所は普通短命でない筈なのに県下一の短命村であるというのは不思議だと思って何回も行って調べて見ると、此所の食生活は米の偏食、大食の代表的な所であることが判りました。
       此所は林業に力を入れて食糧生産の方には力を入れない、直ぐ隣が米産県であるので、米は外部から入れて沢山食べるが、野菜は作りもせず又買いもしない、米以外はすべて極端に不足しているので米を実に大食している、大人は平均7合も食べる。成程短命な訳だと了解出来る。

    (4)主食に就ては一定した結論が見出せなかった、世間では雑穀を食べているところは長命だと云われているが、所謂主食と云うものに就ては一定した結論が見出せなかった、要するに主食は何でもよいということになる。

    (5)海藻、個々の種類は一先ず置いて、要するに此れを常食する習慣の所は之を食べない所より長寿者が一段と多い、至る所で此の事実が見られる。
     内容を見ると海藻を常食する地方は脳溢血が著しく少い、若しあっても若い中に起らない高齢になってから起る。
     秋田県は反対で、此所では短命の直接の原因、即ち70歳以上まで生きるのを減らした直接の原因は主として脳溢血である、40歳代から之が俄然多くなる。
     此の発病の年齢は着眼すべき大切な事である。
     今迄、脳溢血死亡/総死亡、指数が一般に使われているが此れは脳溢血の年齢を考慮に入れていないので、此れだけでは不充分である。
     忘れてならないのは発病の年齢期である、秋田県では之れが40代から続々起っている、秋田県の人は、40の声を聞くと脳溢血で倒れる事を連想する位で、40歳になると脳溢血が多発するのが常識である。
     多い例を云うと、秋田県の米作地帯である大曲町附近の村々では総死亡でなく大人だけの死亡を見ると、之れは私の見方ですが、20歳以上で死亡したものに対する脳溢血即ち、脳溢血の死亡/20歳以上の死亡が驚く勿れ49%である。
     即ち大人になって死亡する者はその半分が脳溢血死である。
     兎に角脳溢血に就ては単に数だけでなく、若い中か高齢になって起るかは注意すべきもので、此の点で秋田県の脳溢血は非常に悪性である。
     鳥取県、島根県は長寿だが、全国的に見て脳溢血が多い、然し此れは単に総死亡に対する率に就て見たのであって、此の両県は高齢者が多いから老人病である脳溢血が多いので言わば有資格者が多いからである。
     ですから御目出度い脳溢血だとも云える。
     此れに反し、秋田県は若い中に脳溢血で死亡する者が多いから其の結果として70歳以上生きる人が少いのである。
     即ち悪性の脳溢血だと云うべきである。
     以上は私が過去10年余り各地を歩いて調査し得た事実から主観を加えずに引き出したもので、之れだけは動かし得ない事実として自信を以て紹介出来るものであります。



7. 火傷の氷水療法

     8年前に、Los AngelsのDr.Alex G.Schulmanは、煮立ったグリースに彼の手を突っこんだ。彼はその火傷した手を傍にあった氷水の中に浸したところ、痛みがとまり、治癒もはやいことを見出した。それ以来、150人の患者を、この氷水療法によって治療して、これが、全身の20%までの火傷には、もっとも良い応急処置であるとして推賞している。痛みは速やかに去り、火傷につづいておこる炎症に対しても、この氷水の阻止効果は大であると彼は述べた。

    (メジカルダイジェスト No.54.1961)



8. 長生き食

     医学博士 遠藤 仁郎 

     長生きできるかどうかということは、たしかに、一つには生れつきによるようです。
     けれども、たとえ、頑健そのものといった生れでも、扱い方がよくなければ、はやくダメになるし、たとえ、生れつきはひ弱くても、扱い方しだいでは、結構、ながもちさすことができます。
     この「扱い方」には、もとより、人生諸般の、あらゆることがらが関係するわけですが、中でも、おそらくもっとも大きい影響をもっているものは、毎日の食べもの飲みものでしょう。


     栄養学では、健康で長生きするには、ビタミンやミネラルが多いのがよい、といわれています。このビタミンやミネラルは、力や体温のもとである熱量源や、血や肉のもとである蛋白質などの体内処理(代謝)をよくする成分ですから、多ければ多いほど代謝はうまく行われ、それだけに食物も節約される結果ともなります。
     また、それだけに、からだのうける負担はかるく、消耗は少く、したがって長もちするというわけです。これを機械にたとえてみると、ビタミンやミネラルは、動力源である燃料をもやすために必要な空気。あるいは機械をうまく動かすために必要な潤滑油といったものです。
     空気が十分にあれば、燃料は完全にもえるので、燃料は少くてすみ、ススも出来ません。そして、潤滑油が十分であれば、摩擦なく、うまく運転するから、機械の調子はいつもよく、磨り粍りも少い。したがって長くもつ、ということになります。人間の栄養も全くこれと同じ道理です。


     ですから、健康で長生きするためには、なるべくビタミンやミネラルのそろって多いものを摂り、それらの少いものは、なるべく控えるようにすべきです。
     ところで、食べもののうちで、ビタミンやミネラルのそろって多いものの随一は、質のよい緑のナッパ類です。
     ありふれたダイコン葉(飼料用のカキバダイコンの方が食べよい)、カブの葉、コマツナ、ミズナ、アブラナ(飼料用のレープ、CO)、ケール(飼料用のものでよい)、キャベツやハナヤサイの外葉、パセリ、シソ、ニンジン葉など、特によいものです。
     しかし、多くの果物や白い野菜はもとより、ミカンや黄色菜にしても、ビタミンやミネラルはさほどよくそろってはいません。そして、もっとも少いものは、精製された糖類、油類、アルコール、澱粉などで、穀物や肉類もだいたい乏しいものです。
     白米にはとくに少く、玄米や麦、雑穀、豆、芋などは、ややよろしい。蛋白食品では、肉類にはとくに少いのですが、全体食べられる小魚類とか、内臓や卵、乳などにはやや多く、大豆も仲々よい食物です。

     
     米単作地帯に長寿者が少く、雑穀、大豆、有色菜の多い山間部落や、小魚、海草を多く食べている漁村に長寿者が多いという近藤博士の調査成績も、白米飯に肉や魚ばかりそえ、味は濃厚、菓子も酒も多い、といった贅沢三昧の、文化生活家庭には病人が絶えず、長生きするものも少いという経験上の事実(美食飽食多病短命のもと)も、ともに、ビタミンやミネラルに乏しい食で短命者が多く、ビタミンやミネラルにとむ食で長生きが多いことを物語っているといってよいでしょう。

     そこで、主食はなるべく少くし、しかも白米よりは玄米、せめて粗搗米、むしろ麦、雑穀、豆、芋を食べること。蛋白食には、肉だけよりは小魚、内臓、卵、乳、大豆。そして、出来るだけ多くの良質ナッパをそえ、それも、なるべく多くをナマで食べる=緑葉食、食卓の緑化(食べにくければ、すりつぶしてしぼり汁にしてでも飲む=青汁)とよい−程度は、大便の色が青味をおびるくらい=くその緑化−ということになります。
     なお、調理は咀嚼能、消化能に応すべきですが、なるべく簡単に。自然のまま、または、なるべく自然にちかいかたちで食べること。味はつとめてうすくし、よくかむこと。菓子や酒やタバコはひかえめ。またすべての食品は純正であること。いろいろの薬品や色素のはいっている加工食品や貯蔵食品はつとめて避け、果物や野菜は下肥や農薬の心配のないものでなければならぬことはいうまでもありません。
     これは、一口にいって、自然食にかえることであり、昔から、健康長寿法としていわれている「粗食少食」と全く相一致するものであります。
     そして、その中心になっているものは緑葉の生食(青汁)、というわけですが、問題は、こうした良質材料を、いかにして、年中切らさぬように供給するか、ということです。
     これこそ、長生き食のもっとも大切な課題であり、また秘訣だ、といってもよいのではないでしょうか。




9. 変った原料の乳酸菌

    鏡野町 J.W. 

     大分昔の話ですが、私の親戚に一人の老人がありました。
     普通の農村の食事を食べ、出来るだけの仕事をし、黙々として暮して居ましたが、非常に高令迄、病気一つしないで生存しました。多分85才迄生きたでしょうか。死する前3ヶ月程は、山羊の乳だけで生命を保ち、遂に溘焉として死にました。

     別に変った食事はしなかったですが、唯一つ変ったものを食べて居りました。それは、囲炉裡(今はありませんが、昔の農家には大概あったものです。台所に四角な大きな炉を切り、其処で焚火をして、物を煮たり、暖を取ったり、夜なべ仕事し燈火にも代用したものです)の火所の傍に壷を置いて、其中に水を入れ、毎日の残飯をぶちこんで置くのです。それが醗酵して、多分酸味のあるものになって居たことと思いますが、其れを毎日食べて居ました。之れが此老人の無病長命の原因であった様に思われます。

     近頃乳酸菌と云うことが頻りに云われて居ますが、私が今から考えますと、其壷の中にぶち込んだ麦飯は乳酸醗酵して居たのではないかと思います。
     乳酸菌は名の示す通り乳から出来るのが普通でしょうが澱粉や葡萄糖からも出来るのではないでしょうか。今の市販の乳酸菌には色々味付が行われて甘くなって居る様です。此調味料も衛生上差支えないものなら良ろしいがと思います。

    ◎ご説の通り、これはとてもよい乳酸菌の食べ物で、現在市販の乳酸菌飲料よりは、ずっとすぐれたものといってよいでしょう。




10. 私の健康法

    平戸市 T.N. 

     私は多年、煙草がきらいなので、休憩中は、知らず知らずのうち木や、草の葉を口に入れては噛み居るうちに、自然に色々の葉の味を知り、近頃、仕事中、かわくと葉をよく噛みしめ汁をのみこみカスを吐き出す、ということをやっていましたが先生の、著書によって、多年、お医者様にもご厄介にならず、風邪一つかかりませず、元気で、余り疲れませんのも、うなづかれました。

    (36・10・30)




11. 医療と薬

     お医者さんの会合で、日本人は薬を乱用しすぎる、ということが話題になり、つぎのような批判や意見が出た。病気をなおすのは自然の力であり、医師は回復を助けるのである。
     薬は医師がそのために用いる手段にすぎない。
     ところが、薬が病気を治す、と思い込んでいる患者がたくさんいる。
     新しい薬の品目を実によく知っていて、医師にそれを要求する。
     ちょっと眠れないと睡眠薬をくれという。
     それでもきかないと、もっと量をふやしてほしいと注文する。
     中毒の恐ろしさなど全く念頭にないし、気持を平静に保つとか、寝室のくふうをするといった薬以外の大事な事を忘れている。
     患者が薬を盲信しているだけではない。
     いまのわが国の保険医療費のしくみが、まことにおかしい。
     この患者にはある薬を1g与えるのがちょうどいい、ということを判断するのが、実は医師の技能なのである。
     ところが、この技能が保険で評価されていない。
     1gでいいのに、3g与えて副作用を起こし、病気が長びくと、逆に医療収入がふえる。
     つまり、診断能力が劣っているほどもうかるというわけである。
     薬がいつの間にか医療の主役になり、医師が薬に使われているような気がするという次第。
     医療保険における薬のあつかい、お医者さんの技能と薬の関係、一般国民の薬に対する態度、薬の売り方など、問題は少なくない。良心的なお医者さんが、個々の目先の利害を越えて、国民の健康増進という高い立場から、その欠陥にメスを入れることを期待したい。

    (F)(毎日 38・10・1より)




12. 咳の妙薬 フユイチゴ

    須磨 K.N. 

     山野に自生する冬苺(フユイチゴ)が咳一切の妙薬であることは、全くおどろくべきものがあります。
     その咳が病因の如何にかかわらず、喘息、かぜ、咽喉の疾患、百日ぜきなどあらゆる咳に、百発百中の偉効を発揮いたします。
     田舎ですぐ入手出来る向は青汁で、都合ならば乾燥したものを煎じて服用いたします。
     茶の代りに飲めばよろしく、副作用絶無。しかも極めて美味です。




13. 肝臓マッサージ

     肝臓のはたらきをよくするのに、肝臓マッサージとでもいいますか、こんな方法もあります。

      一、肝臓の圧しもみ運動
       肝臓を上、下から圧しもんで、血行や胆汁の流れをよくしようというもの。

        呼吸にあわせて
         腹式呼吸で息を吸うとともに、肝臓を強く下へおす気持で、気ばり。息を吐くとともに、肝臓を上におし上げるつもりで、力を入れて腹をへこます。胸式呼吸で、息を吸うとき、肝臓をおし上げるつもりで、力を入れて腹をへこまし、息を吐くとき、肝臓をおし下げるように、腹に力を入れる。

        呼吸と無関係に
         また、同様のおし下げ、おし上げる運動を、呼吸と関係なくやる。いずれも、一度に10回〜20回。いつやってもよし、何度やってもよろしい。暇なとき、思い出した時、何回でもやっておく。肝臓だけでなく、胆嚢や冒腸のはたらきもよくなるし、腎臓や脾臓にも多少の影響はあるでしょう。肝臓や胆嚢の病気には、便通のよいこと、尿利のよいことも大切ですから、その点でも無駄ではないわけです。

      二、肝臓部の震動
       その他、肝臓部を叩いたり、ゆさぶったり、震動をあたえるのもよろしい。

        肝臓部を叩く
         肝臓部というと右胸下部です。この部を前、横、後から、握り拳でもよし、平手でもよし、指先だけでもよろしい、トントンと軽くたたく。肝臓部をゆさぶる、肝臓部にあてた手でおしゆさぶる。肝臓をゆさぶるつもりで横隔膜を上下へ動かす=腹の皮を走らすように、はやく動かす。震動器(バイブレーター)かける。



14. 養生の方

     養生の方、

      唾するも遠きに及ばず、
      行くも疾く歩せず、
      耳は聴を極めず、
      目は久しく視ず、
      坐するも久しきに至らず、
      臥するも疲るるに及ばず。

     寒に先だちて衣、
     熱に先だちて解き、
     飢を極めて食ふことを欲せず、
     食ふも過飽せず。
     渇を極めて飲むことを欲せず、
     飲むも過多ならず。・・・・・・・・・

     ああ甚だ労し甚だ逸するを欲せず。
     起ること早く、起ること晩きを欲せず。
     汗の流るるを欲せず。
     多く睡ることを欲せず。
     車を奔らし馬を走らすことを欲せず。
     目を極めて遠く望むことを欲せず。
     多く生冷なるものを啖ふことを欲せず。
     飲酒して風に当ることを欲せず。
     数々沐浴することを欲せず。・・・・・・・・・

     冬に温を極めんことを欲せず、
     夏に凉を窮めんことを欲せず。

     星下に露臥せず、
     眠中に肩を見さず。

    大寒、大熱、大風、大露、皆之を冒すことを欲せず。
    五味口に入るに偏に多きことを欲せず。・・・・・・・・・(抱朴子)
    ×


    養生の害ニあり。元気をへらす一なり。
    飲食、色慾、労働を過せば元気やぶれてへる。
    飲食、安逸、睡眠を過せば滞りてふさがる。
    耗ると滞ると皆元気をそこなふ。
    養生の術は、先づ我が身をそこなふ物を去るべし。
    身をそこなふ物は内慾と外邪となり。
     内慾とは飲食の慾、好色の慾、睡の慾、言語をほしいままにするの慾、喜怒憂思悲恐驚の七情の慾をいふ。
     内慾をこらへて少くし、外邪をおそれて防ぐ。
     是を以て、元気を損はず、病なくして、天年を永くたもつべし。
    養生訓     



15. 笑い

    わらい運動
    深い強い息をすい
    腹の皮をおどらせ
    大きな声を出す。
    深呼吸と、腹筋の断続的の運動の連続。
    ガス交換はさかんになり老廃物は追い出されるから、血はきれいになる。

     「笑いはよい血をつくる」(伊 俚諺)

     腹腔内にうっ滞している血が駆り出され、心臓の活動は活発になって、からだ中をきれいな血がかけめぐる。
     腹筋と横隔膜の強い動揺で、胃腸、肝臓、腎臓など内臓の機能はたかめられる。
     腹がへって食がすすむ。便通もよくなる。そして気分は明るく朗らか。
     そこで 「笑えばふとる」(英俚) わけだし、「笑う門には福が来る」 わけだ。



16. 制度病

    水野 H.M. 

     先年、アメリカのロックフェラー研究所のデュボス博士をたずねたさい博士は開口一番こういった。

       「ガンのワクチンができ、脳卒中をなおす薬ができても病気は決して減らない。いま、世界中の医学者や生物学者は、あまりにも局限された範囲の研究に没頭して、ウイルスや病原菌にこだわりすぎている。もっと広い視野で人間の病気を診断していかないと、医学はやがて病人をつくるために存在するようなことになろう」

     デュボス博士の考え方は、一見いまの医学をややぼうとく?したかのような感さえある。だが、よく考えてみると、たしかに一理あるようにも思える。人間の寿命は戦後日本では20歳近くものびた。だが、病気は一向に減る傾向はなくむしろふえている。疫痢、肺炎などで死ぬ人は減り、結核は不治の病ではなくなった。しかし、がん固な老人性結核や、耐性を持った赤痢の健康保菌者や、症状のでない淋病というようなものがかわりに生まれている。
     それだけではない。自殺はいぜんとして多いし国民の1割はノイローゼで、1割は胃腸の不快を訴えている。40すぎになって極端に太る肥満病は各国ともなやみのタネである。交通事故によるケガ人はふえる一方である。このようにみて来ると生活が豊かになり、バカンスをおう歌するほど、別の病気がやって来るようにさえ思える。
     スウェーデンであれだけ社会保障が行き届いて何一つ将来への不安がないのに、自殺とアルコール中毒と精神病の増加に困りはてている。“胎児から墓場までの保障”が逆に不幸を生んでいるというのはなんと不幸なことか。アメリカでは自動車の台数の増加と肥満病の増加のカーブが一致していて、しかも一方ではゴルフ族はそのカーブに比例してふえているという。こうなると、文明が病気をつくっていくとさえいえそうである。
     デュボス博士の話はつづく―。

       「いまや、病気を局限の段階でみてはダメだ。からだ全体のなかの病気という見方が大切であると同時に、社会のなかの病気にメスを入れなければ、人類は幸福から遠ざかって行く。いまの医学は病気そのものをやっつけることができても、人間のからだ全体から見ると、よくない場合もある」

     かっては顕微鏡の世界のなかにいた医学は、現代では、いやでも社会と密接な関係をもたざるを得なくなってきたようだ。「制度病」とよばれる一連の重症をどう救うかは、これからの大きな課題である。
    (医事評論家)


17. 疾病治療偏向医学からの脱皮の必要性

    小田原女子短期大教授 N.H. 

     抗生物質をはじめ諸種近代医薬の開発、衛生知識の普及、衛生行政の徹底化等に支えられ、結核死亡率・乳幼児死亡率は著減し、平均寿命は著しく延長してきた。かつては不治と諦められた結核患者も、今では一応の社会復帰をすることが当り前のようになり、諸種法定伝染病発生数も激減し、青少年の体位も大変向上してきた。
     反面、感染性疾患罹患数は減少せず、成人病やノイローゼの患者数は増加し青少年の近視・ムシ歯・非行は増加の一途をたどり、体力は体位向上に殆ど伴なわず、自殺が国民一般、とくに60〜80才代で甚だ多い。
     また、近代での医学、社会政策、あるいは倫理では、如何に心身の条件が劣る者でも、どんな家庭的・社会的・国家的犠牲を払っても、その生命を温存させるべきだ、とされているようである。
     往時ならば、生物界の敗残者として消え去って行かざるを得なかった人びとが、かような庇護で生命を保つときは、長く社会で十分には働き得ないまでも精神的な面で家庭や社会に相応に寄与し得るならば、その生命温存の意義は感じられる。しかし特定疾患に対する温存後も、周囲の人びとに何等かの面で潤いと光を与え得ぬような存在であるなら、全く何のための生命の温存であるのか、との疑問も生じよう。

     さらに、ここで頭に浮かぶのは劣性遺伝病遺伝子を持った人間の増加という問題である。近代医学は近年、次ぎ次ぎと酵素の欠損(遺伝子異常のため)による先天代謝異常を発見してきた。
     阪大医学部・佐野勇助教授によると、アミノ酸・糖質・脂質・金属での既知の先天代謝異常は百指に及ぶという。ところがたとえば、そのうちの一つであるフェニルケトン尿症(必須アミノ酸フェニルアラニンの代謝障害で精薄をもきたす劣性遺伝病)では、同型接合体(ホモ)は米国では4万人に1人、異型接合体(ヘテロ)の頻度は百人に1人であり、全人口の6%がヘテロだと判っている疾病もあるとのこと。
     かくして、何等かの劣性遺伝病の遺伝子を持たぬ個体などの存在は考え難いという。しかも「健康」である筈と考えられていたへテロでも、何等かの代謝異常が証明される場合が、最近、かなり出てきている。
     かつては、劣性遺伝病患者の多くのものは成年期に達せず死亡したり、あるいは子孫を残さないで一生を終ったであろうのに、現在では、「進歩した分析的」疾病治療〜征服(近代医学の特徴)医学や社会的庇護により生命を永らえ、結婚し、子孫を残すものが増加し、かくては劣性遺伝病遺伝子を持つ人間の増加の因となりつつあるかも知れぬ。
     要するに、個人において、ある疾病の進展や発生が近代医学により、ある程度阻止されたとしても、その他種々の疾病の進展・発生予防や、個体としての一般的抵抗力増強にまでつながらず、単に疾病状態の模様変えに留まったり、かえって医原病をきたしたり、また、劣性遺伝病遺伝子を持つ人間の増加、ひいては人類全体の劣悪化を推進することになるかも知れなかったりして、個人または社会全体にとって、眼先だけでない健康、幸福の増進にあまり役立たぬとしたら、われわれはその温存的・対症的・分析的医学の限界を痛感させられよう。というよりは、もしもそうならば、個人〜人類の福祉のためと思って一心に努力してきた医学者〜医師、あるいは社会にとって、それは、まさに悲惨というべきか。
     かように考えてくると、「医学(〜社会学)が個人あるいは人類全体の無畏の健康や幸福増進に役立つためには、今後どうあるべきか」の哲学をまず探究するとともに、(個々の)疾病治療へ偏向した在米医学の脱皮のあり方を根本的に検討することは、今やわれわれ人間の緊急の要務のように思われる。


18. 89才岩滝さんの健康長寿法

     倉敷の青汁教室には時折珍しい来客がある。
     5月の教室には、ロスアンゼルス在住の、近く満89才になる岩滝さんが出席され、遠藤先生の指導に従えば、これこの通りと、心身ともに健康そのものの見本を示して、約50分間、健康長寿の秘訣を語られた。まことに貴重な体験と、参会者一同、感銘深く拝聴したので、その概要を広く本紙の読者にも伝えたい。(文責在友成)

    65才で隠居、そのうち病気にかかったが、
     生まれたのは、1879年(明治12年)、千葉県の佐倉である。24才のとき移民として渡米したが、排日運動がはげしく、まともな職に安定することができず、あれこれと雑役をして、まことに苦しい労働に明け暮れした。
     が、幸い、生来頑丈な体であったので、これに耐えてきた。40才のとき、考えるところがあって、日本人のために、生命保険の代理店を始めた。それというのは、日系移民中、主人を亡くした後、引き続き在住するには生計の道がなく、帰国しようにも旅費がない、といった、まことに気の毒な遺族が多かったので、生命保険にはいっておれば、主人が健在であれば貯金ができ、もし万一亡くなって帰国しなければならないときは、その旅費に困らないように、と考えたからである。

     この仕事を約25年間つづけて65才となり、また戦後は対日感情も好転したので、隠居生活にはいった。そして、食べたいものを食べ、したいことをして、安楽な生活を始めた。ところが、それまで病気をしたことのなかった体が、だんだんおかしくなり、69才になったとき、とみに息苦しくなった。
     医者にみてもらったら、心臓肥大という厄介な病気であり、さすがにガクンときた。これを治すには、まずもって、やせることが大切であり、それには、さしあたり食量、わけても肉・砂糖・塩などを思いきりへらし、野菜・果物をうんとふやすと共に、もっと運動をしなければ、とのことである。
     なるほど、155cmほどの身長なのに、体重は68kg以上もあったし、肉や砂糖その他、うまいものを、くいたいほうだいに食べており、また、以前のように体を動かしていなかったのだ。そこで、気を取りなおして、早速そう努力したところ、どうにか健康を取りもどすことができた。

    80才で再発し弱気になったが
     ところが、そのうち、そうした努力をだんだん怠るようになり、80才になった頃、再発して、またまた息苦しくなった。ために、つい弱気になり、日本には妹がおり、家内には姉がいるので、生まれ故郷に帰って、すきな魚つりでもして余生を楽しもうと、家内と共に日本に帰ってきた。
     つもる四方山話をしている間に、兄嫁が中風にかかったとき、二木先生の指導する食養生で、丈夫になったことを耳にしたので、早速、先生を訪ねて玄米菜食の小食主義をきいた。考えてみれば、米国で受けた指導も二木先生の指導も、その原則は同様であり、再発したのは、かつての美食にもどり、運動も怠っていたからである。そこで早速、玄米菜食の小食主義に従って養生につとめたところ、だんだん健康を回復してきた。

    玄米菜食に青汁を取りいれて
     こうつとめている間に、「主婦の友」で遠藤先生のすすめている青汁のことを知り、玄米菜食といっても、この菜食には青野菜が大切であること、それも、青汁にして、思いきり沢山とらねばならないことが、よく分かった。そこで早速、玄米菜食に青汁を取りいれることにした。そのうち、先生の「青汁の効用」を読み、さらに、昭和36年でしたが、東京で先生の講演をきき、直接お目にかかって詳しく指導をうけた。そこで、いよいよ毎日しっかり青汁を飲み、玄米菜食の食養生につとめたところ、すっかり健康を回復した。

    食養生の普及につとめ老いてますます元気
     そこで、元気百倍して米国に帰り、みずからそうした食養生に徹底すると共に、これを広く在米日系人、とりわけ老人に普及し始めた。それはいうまでもなく、かつての私と同様に、美食に走り運動を怠って、高血圧や糖尿病その他厄介な病気で苦しんでいるものが多いからである。
     こうして、大いに張りきっていたのであるが、83才のとき脱腸を患った。けれども、正しい食養生で体力がしっかりしていたので、手術して間もなく元通り丈夫になった。また、その後、大腸に傷ができて出血するようになったが、これも手術して元通り健康な体となった。
     このときは、輸血しながらの大手術であったので、息子たちが心配して全治の見込みをきいたところ、若い人でも3ヶ月以上はかかるとのことであった。けれども、平素の正しい食養生で体力が人一倍しっかりしていたので、2ヶ月で全治した。この度は、観光をかね、これまで指導していただいた先生方に、健康な体を見せて、お礼を申し上げ、さらに深く指導をうけようと考え、かたがた広く日本人にも、食養生の大切なことを語りかけようと思って、日本にやってきた。
     また、在米日系老人には、子どもたちとしっくりいかず、その上、英語が不自由なため、物的生活には何不自由はないが、なんとも孤独に苦しんでいるものがいるので、日本の養老院に入れてもらい、老後を故国で心安らかに暮せるようにできないかと、厚生省に相談するためでもある。

    96才の矢野さんと10年後の再会を約す
     本日は、遠藤先生に案内されて、矢野さんを訪ねた。私と同様に80才をすぎ、二度も大病をしたが、先生の指導した食養生で丈夫になった96才の方である。ともに先生に感謝すると共に、その食養生に徹底して丈夫で長生きをし、大いに人に役立つ仕事をしようと話しあった。そして、10年後、お互い丈夫な体で再会しようと約束してきた。なお、家内も、77才であるが、私と同様な食養生につとめている。ために、若いときは、そう丈夫ではなかったが、老いてますます丈夫になっている。その上、気分がよいので、至って愛想もよくなっている。

    食養生の概要
     こういうふうに、丈夫で長生きしているのは、まずもって、二木・遠藤両先生が指導している正しい食養生につとめているからであり、その概要はこうだ。

       朝は、黒パン一切れ半(約50g)、マジュリン(各種の植物油をまぜあわせたもの)とチーズ少々、コーヒー(うすめにし、ハチミツまたは黒砂糖を少し入れて)1−2杯。
       昼は、青汁4合、クラッカーまたはチーズ少々。夕は、玄米飯4分の1杯、トウフと各種の野菜をどっさり入れた、うすいミソ汁2杯。こうした食物が、ドロドロになって自然にノドに流れこむまで、自分のペースで、ゆっくりと、しっかりとかむのである。
       もし、そこまでかみきれずに、形のあるものが残れば、口から出して、のみこまないのだ。それは、ひとつには、総入れ歯であるからだ。30年ほど前から歯が悪くなり、20年ほど前に総入れ歯にした。なお、酒は、いっさい口にしないことにしている。父が大酒家で家族を困らせたので、若いときから、みずからそう誓ってきているのだ。タバコは、ナマイキ盛りの青年の頃から、すっていた。その後、度々やめようと、いろいろ努力したが、どうしても、やめきれなかった。が、35才のとき、結婚するため日本に帰ったとき、兄も弟もやめていたので、みずから深く恥じ入って、堅く禁煙を決心し、それ以後は、いっさい口にしていない。

    運動の概要
     こうした食養生と共に、ほどほどの運動につとめている。朝起きて、まず冷水マサツをする。それから1時間か1時間半、散歩をする。そして朝食をとるのだ。こうした日課のほか、つとめて用事をつくって外出する。そして、ぜひ必要でない限り、テクテク歩くことにしている。

    同胞に対する奉仕
     こうして健康をはかっているのは、ほかでもない。まずもって、自分自身、心身ともに快適であることを楽しむためである。また、病気をして家族や友人に迷惑をかけないためである。さらに重要なことは、健康な体で、人々に何か役立つ仕事をするためである。生来頑丈な体でありながら、65才をすぎて、だんだんあやしくなったのは、美食と運動不足に陥ったからではあるが、それまで精出していた仕事をはなれたからでもある。生計上働く必要がなくなったからといって、なんぞ人に役立つ仕事までも怠ったので、生きていく張り合いを失なったからである。
     そこで、80才をすぎ、再度健康を回復してからは、これを深く感謝すると共に、仁木先生の「健康への道」と、遠藤先生の「健康と青汁」や青汁キカイなどを在米日系人に宣伝販売して、同胞の健康長寿に奉仕し、大いに生きがいを味わっている。

    もう年だからといって決して養生を怠らない
     ところで、人々だれでも、病気をすれば、とかく医療ばかりにたよって、みずからつとめなければならない養生を怠り易い。とくに老人となれば、「もう年だから」といって、まともな養生を怠り、「もう長くはないから」といって、すきなことをすきな通りにして横着になり易い。
     ときには必要な医療さえも怠ることがある。だが、養生の仕方には、年令のことを考えねばならないが、養生そのものには年令の制限はない。何才になっても、それ相応の養生をすれば、必ず丈夫になるのだ。神様のお召しがあるまでは、丈夫に生きていけるのだ。お召しがあるまでは、正しい養生につとめて、丈夫に生きていかねばならないのだ。

     80才をすぎ、正しい養生の指導をうけてからは、堅くそう決心するようになった。二度も大きな手術をしたのに、意外に早く回復したのは、正しい養生で体力がしっかりしていたからであり、また、必ず治る、という堅い信念があり、どうしても治さねばならない、という堅い決心があり、生きていく気力がしっかりしていたからである。そして、この気力によって、ますます正しい養生につとめたからである。

     ところで、正しい養生には、まずもって平素の食物を改めばならない。だが、これまで食べてきた通りに食べたく、たとえ健康によくないからといって、とかくおいしいものばかり食べたいのが、人情である。けれども、健康長寿に深く責任を感じ、それをはたそうと堅く決心すれば、そうした人情に打ちかつことができる、玄米菜食といい青汁といい、また小麦といい、最初は、まずくもあり、辛くもあるが、これが健康と生命のもとであると、正しく理解し、堅く決心して努力すれば、それほどでもなくなる。やがては、体がしんから丈夫になって、かつておいしいと思っていたものより、なおいっそうおいしいものとなる。これが人の心と体の真実である。


19. マスク

     カゼが流行りだすとマスクをかけるが、大抵の人は、寒い風のふいている屋外ではかけ、あたたかい人混みのところでははずしている。マスクをかけるのは、カゼの病原ビールスの侵入を防ぐためなのだが、このビールスをもっているのは人間だ。そして、人混みのところには、ビールスはいっぱいいるが、寒い風のふく外気の中には、たとえいても、うんとうすめられているわけだ。
     だから、マスクは人混みのところでかけるべきで、寒い外ではかける必要はないし、そうして、いつも冷たい空気を吸っていれば、しだいに寒さに慣れ、たんれんされ、カゼに強くもなる、といったものだ。


20. 鼻のうがい

     カゼの予防法の一つに「うがい」がある。いつも冷たい水でやっていれば、確かに抵抗力ができる。流行期には咽や口の中についているビールスを除く役にもなる。
     ところが、カゼのビールスは鼻からもはいる。これを除くには鼻飲法がある。鼻から水を吸いこむのだが、べつにそのまま飲みこむわけではない。鼻から吸いこんでは流し出して、鼻を洗うわけだ。まずは、鼻のうがい、といったところ。冷水で、いつもやっていれば、これも、よい鍛錬法だし、まことに気持ちのよいものだ。ぜひ毎日(朝の洗面時がよい)やって、カゼにつよい鼻になりたいものだ。




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