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医療と医者・療法・長寿法インデックス | ||||||||||||
医療と医者・療法・長寿法(1) | ||||||||||||
医療と医者・療法・長寿法(2) | ||||||||||||
医療と医者・療法・長寿法(3) | ||||||||||||
医療と医者・療法・長寿法(4) | ||||||||||||
医療と医者・療法・長寿法(5) |
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5-1. 鼻のウガイとニオイ | ||||||||||||
医学博士 遠藤 仁郎
鼻のウガイは、鼻の粘膜の清掃と鍛錬をかねており、カゼや流感の予防にはたしかによいものだ。しかし、貝原さんや友成さんは、ながくつづけているうちに嗅覚がやられ、ニオイを感じなくなった、といわれている。 (55・6)
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5-2. ほっときゃぁなおる | ||||||||||||
74才の未亡人のお話。 |
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5-3. 胃弱食 | ||||||||||||
医学博士 遠藤 仁郎
胃がよわいと、とかく、やわらかい食べものになる。消化をよくして、胃の負担をかるくしようというのだから、理窟にかなっているように、一応思える。やわらかい食べものといえば、白粥や、肉類、卵、乳製品などにかたむき、野菜類、ことに繊維の多いものは敬遠される。それを、手をかけ、時間をかけて、やわらかく煮ただらかしてしまったものになる。 (55・4)
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5-4. ききすぎる薬 | ||||||||||||
医学博士 遠藤 仁郎
78才の老婦人が、 「一月ほどまえにカゼをひき、薬局で、よくきくというアメリカ製の薬をもらった。なるほど、セキはすぐとまったが、それから口がかわくやら、便秘するやら、からだの調子はかえって、よけいくるってきた。気分は悪くはない。京都まで出かけて花見をし、保津川下りもたのしんできたが、べつに疲れもしなかった。しかし相変らずセキが出る。」 といってみえた。 カゼをひいたあと、気管支が過敏になっているためで、心配はいらない。気候がよくなれば自然になおるだろう。薬をのむなら、つかいなれている緩和なもの(民間薬といった)の方がよかろう。 いまの新薬、ことに文明国の薬はききすぎる。現代人はからだが悪くなっているから、昔流の薬はききにくい。 そこで新しい強力な薬が次々に開発される。むかしの人は体質がよかったから、ききめのトロいものでも結構きいた。というより、からだにそなわっている自然の力、健康力、生命力が強かったので、よわい薬でもおし切ることができた。 いまは、強い薬の支えがなければ抵抗できなくなっており、文明が進むほどその傾向ははなはだしくなってゆくので、文明国の薬ほどよくきく。 しかし、それだけ副作用もつよい。文明人のからだの悪くなったのは、あまりにも不自然・不合理になった日常生活、ことに食のまちがい――うまいものばかり食べてナッパを食べなくなってしまったところにある。 粗食・菜食家には薬はいらないか、弱いものでもよいが、美食家、肉食化ほどきつい薬が必要になっている。 昔の川柳に、「安薬のきく木食」とあるが、いまは、「高貴薬もてこずる贅食」とでもいうか。それはともかく、新薬ことに文明国のものは、若い人にはよろこばれようが、昔人間にはききすぎる、というわけで、新薬のことはまるで知らず、昔の薬しかつかわない(いや、ようつかわない)私の薬がよいというオールドファンがあるのも、そのためだろう。 (56・4)
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5-5. 土の医者どん | ||||||||||||
「鍬(くわ)と聴診器」という本(東京都文京区千駄木、柏樹社)が読まれている。 (朝日新聞)
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5-6. クスリより『コトバ』の医者 | ||||||||||||
2歳のときに腸の一部が閉そく症状となる腸重積。それを皮切りに、肺炎、腸炎、急性胃炎、胸膜炎、黄だん、肝炎と、少年時代、病気を繰り返し、そのたびに町医者に助けられたという思い出をもつ男が医の道に入り、大学の先生になった。 (朝日新聞)
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5-7. 病気 本当に治すには 運動療法見直しを | ||||||||||||
病気といえば、すぐに思い浮かべるのは“安静”でしょう。 (56・4・17 サンケイ)
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5-8. 高齢化時代の健康と食生活 百歳までも健康で美しく | ||||||||||||
健康生活研究者 T.K.
私は、医学を専門に勉強したわけでもなければ、健康会などの主宰者でもない。ただ、自分なりに10年来自然食の生活を実践してきた経験を持つばかりである。とはいえ、体験の積み重ねは理論にまさる真実性を有することも確かであろう。健康こそは、人生における最大の重要事である。にもかかわらず、時には無視されてしまう場合が少なくないようだ。また、自分の健康に関心は持っていても、本当の知識をわきまえていない人が多いのは残念である。最近、先進国の中の成人病が増加している実態を見るにつけ、文明の進歩とかGNP(国民所得)の上昇と逆比例して不幸な人々が増えてゆくことに疑問を感じてならない。そこで、私のささやかな体験にもとずく「高齢化時代の健康と食生活」について提言を記してみたいと思う。 万病一元の原則とは、 酸性食を食べて血液、体液が酸性化したら病気になり、アルカリ性の食品を多く摂って弱アルカリ性に維持すれば健康が保てるということである。 私は、以前ひどい湿疹にかかって、非常に苦労したことがあった。これも、間違った食生活で酸性の身体になったことが悪い影響を与えたものと思われる。もっとも、西洋医学では、この万病一元の原則について、あまり賛成していないことも承知しているが、自分自身の長い体験と先進国で成人病などが多発している現状から言っても信念をもって提案したい。 このほかにも、あるガン患者が食生活を変えることによってすっかり元気になった例を知っているし、ハワイなどの2世、3世が1世に比べて寿命が短かかったことも見逃すわけにはいかない。もう一度くり返すが、酸性食の代表である肉類、白飯、白砂糖などを避けて、アルカリ食である梅干、ひじき、ワカメ、昆布それに煮干、しいたけ、豆、粟、イモ類、生野菜、果物などを多く食べるように心がけていただきたい。 自然治癒力の培養とは、 病院と薬にあまり依存してはならない、との意味である。日頃、私たちは、自分以外に自分の健康を管理してくれる者はいない、ということを忘れてはいないだろうか。 2400年前、ギリシャの医聖ヒポクラテスは「病を治すものは患者自身の自然治癒力のみである」と明言している。最近、医療保険が普及して、身体の具合がちょっとでも悪いと、多くの人が病院を訪れ、たくさんの薬を服用する傾向にあるが、あまり頼りすぎるのは考えものである。薬の使いすぎで医原病になってしまう例を引用するまでもなく、薬はできるだけ飲まないようにして、自然に身についた治癒力を生かすようにすべきだと思う。 百の治療よりも一つの予防こそ大切である。これを実践するため、私は5年前ひどいカゼにかかったが、最後まで病院に行かず、2週間後には完全に治った。 身土不二の真理とは、 歴史と気候・風土を無視した食生活は健康によくないという事である。なるべく自分の近くの土地で生産されるものを食べるべきで、ビニール・ハウスで栽培されたキュウリ、トマトなどを冬期間に食べたりするのはナンセンスであろう。 次に、肥満と宿便が万病の原因であることは、きわめて常識的なことだ。50代の頃、私の体重は87キロもあり、動作が息苦しい感じで、山登りなどは思いつくこともできない状態だったが、今は67キロで前述したとおりの身軽さである。その点、米国や日本は経済大国と呼ばれるだけあって、肥満した方々が目立つ。しかも、甘いお菓子やアイスクリームをどんどん食べている光景は、これが果して世界経済で1位や2位を誇る国民かと目を疑いたくなる。 文明国家における健康への知識がこの程度では、先きが思いやられる。宿便や便秘は身体に悪い。朝起きたら生水(ミネラル・ウォーター)を1カップ飲むと、体内の疲労と毒素をきれいにする働きがある。そして、腸内を浄化し宿便を取り去る繊維質のもの、例えば生野菜、山菜、イモ類、海藻類を多くとる方がよい。反対に肉類は繊維質が少ないので便秘や宿便の原因になりやすい。 二少、二多、三忍とは何か 二少は食事と体重を少な目にすること。食べ物をよく噛み、腹八分目にとどめるのが健康長寿の基本である。昔から健康で長生きした人は、この原則をしっかり守った。一時は肥満した人を重役タイプと言って豊かさの象徴にした時代もあった。しかし、その実態は、肥満こそ高血圧、糖尿病、心臓病、脳出血など不幸をもたらす元兇なのである。肥満と寿命は、逆比例する関係にあることを忘れないようにしたいものだ。 二多は、睡眠と運動は充分に、ということである。夜ふかしなどは絶対に避けたい。ただ、運動については、高齢者の場合なるべく過激なことはせず、朝の散歩などできるだけたくさん歩くように心がける方がよい。また、不平や不満を少なくして自律神経の調和を保つようにすることも大事だと思う。 三忍の中のその一つは、食事の時もう一口食べたいのを、またお酒を飲む時もう一杯飲みたいのをガマンすることである。その二つは、物事にこだわったり怒ることを慎しむこと。親子、夫婦、親友の間はもとより、すべての対人関係において円満な生き方を心がけることである。そして、気を若くもって希望に満ちた感謝の日々を送ることである。 長寿村の教訓 一期を3万日とすれば、これは82ヵ年と70日に当たる。 人生は生老病死、生まれて死ぬものである。仏教では「生也一片浮雲起、死也一片浮雲滅」と説法しているが、問題はいかに生きていかに死ぬかが重要である。生きている間に人を助け、社会に奉仕して無病長寿、ろうそくの日が消えるが如く静かに永眠するのが理想的な一生であろう。顔は、その人が持っている力の表現である。即ち、健康的な力、知徳的な力、物質的な力であるが、その中でも健康的な力の表現が大事だ。 健康美に輝く顔は財力よりも尊い。終戦後、賀屋興宣氏(元大蔵大臣、故人)が戦犯として巣鴨プリズンに入り、10年間を過された時の話は、まことに興味深いものがある。
自分の老醜を見せないようにすることは、老人のつとめだと思う。 長寿村として世界的に有名なコーカサス地方の村に古くから伝わっている健康10則は次の通りである。 以上の10則は、私の体験から得た健康道の精神とも一致する内容である。 先日も、訪日した際、自然食健康法の権威者お二人に会った。 その一人は89才の川島四郎先生だが、いつも ことを提唱され、自から実行して、まことに健康そのものである。 もう一人は84才の遠藤仁郎先生で、KALE(キャベツ)の青汁の世界的権威者。この方も「白米より玄米、玄米より雑穀、雑穀より豆類、豆よりイモ類がよい」と強調されていた。 イモ類には、カルシウムやビタミンCが多く、アルカリ性の食物だからだ。このような食生活で得られる健康の楽しみは、一人占めするのではなく、さらに多くの人々に広げたい。 最後に、長寿に関するおもしろい言葉をご紹介しよう。
80才の時、お連れに来たら「まだ早い」と言え。 90才の時、お連れに来たら「そんなに急がんでもよい」と言え。 100才の時、お連れに来たら「時期をみてこちらから行く」と言え。 こういう気概も時には必要ではなかろうか。(1984・3・10) 創政 | ||||||||||||
5-9. 養生談議 | ||||||||||||
神谷 H.K.
秋たけなわ、絶好の運動シーズンである。 (日本鋼管副社長)
(58・10・13 経日) | ||||||||||||
5-10. 老来痩 | ||||||||||||
元セ・ソウルロータリークラブ会長 365地区 T.K.
私は6月22日で満75歳になる。 「青春とは人生の或る期間を言うのではなく、心の様相を言うのだ。と。私は老人会にて講演するとき、次ぎのように力説している。 これから皆様には大きな二つの務めがある。 一つは、まご達にアイスクリーム、お菓子、お砂糖などのおやつを食べないように。 又、嫁には白いご飯の代りに、雑穀のご飯に、食生活を改善するよう注意させることだと。 現下、難治の成人病が急増している現状は遺憾である。 西洋医学は発達して幼児の免疫疾患と、細菌による疾患は確かに減ったが、癌、高血圧、糖尿病、脳卒中など成人病には決定的な力にならないのも事実のようである。 薬では成人病治療は難かしいようである。 平素の食生活を改善しなければならない。 昔からのご馳走といえば、肉食の如き美食をいうが、肉食は酸性食品の代表格である。 生命力が全然ない。 生命力のない食品を食べて健康になることは出来ない。 一時カロリー中心の栄養学が支配的であったが、最近に至っては、真剣な研究と多くの経験を経て、万病一元の原則が新しい学説として脚光をあびるようになった。即ち、体質が酸性に傾くといろいろの疾患が発生し、これとは反対に体質体液が弱アルカリを維持すれば、健康であるという理論である。 私自信も、食生活を改善する前には、肉食が好きであった。 白いご飯、コーヒー、白砂糖、お菓子などを飽食した。 その時は体重は増えたが、湿疹にかかり、肝臓機能、血圧も凡べて正常ではなかった。 1982年、私が米国のL.Aを訪問したとき、そこに住んでいる某医師の婦人が多発性骨髄癌にかかり、ニューヨークにある世界的に有名な癌センターで6ヶ月間治療を受けたが、病勢は悪化するのみ、仕方なくL.Aに帰った。おりよく、日ごろ玄米食を提唱し、生野菜を勧奨して来た有名な韓国人医学博士から、玄穀の雑穀のご飯と、生野菜を食べるよう忠告を受けた。 3ヶ月間継続したところ癌が好転したとの驚るべき事実を夫君より説明があり、私が主張して来た食生活改善が正しいとお褒めにあずかった事もあった。 私は中国の劉青茘の新菜根譚「無病之身 不知其楽他 病生始知 無病之楽矣」を便箋と封筒に印刷して、見る人をして注意を喚起させている。 体験から得た健康のみちしるべ(手びき)を人々に知らせようと努力している。 いろいろの健康文献を印刷して機会あるたびに親しい人に郵送している。 我等の周囲には、平素健康をなおざりにする、間違った楽天家も居り、一方関心はあっても正しい健康知識を持っていない人が多いのは遺憾である。 全国民が正しい健康知識を理解するよう国家的次元にて啓蒙すべきことを痛感している。 かようにすれば成人病も減り、家庭から患者が発生しないから、明朗で幸福な生活を営むことが出来る。 私は、今まで50回近く健康講演をやり、健康誌に投稿もした。外国に於いても寄稿と講演をやった。 このように私は知らぬ間に、本業でない健康の道にうわきしているような気がする。 テレビ、ラヂオに出演して健康を語った。 この頃も、健康に関する問い合わせの電話がたびたびかかって来る。 望而知之者神というが、私も自慢ではないが、人の顔を見るだけで、健康であるかどうかを判断出来る境地に至った。 これは上医と言えるもので、むしろ健康分野の職業に変更することが賢明ではないかと、心をうきたたせる時もあるが、これこそうわきであるから止めることにした。 私の助言にて健康を回復した友人も多い。 かくれた奉仕とも言える。 私は現在無病である。 糖尿、神経痛もない。 血圧は125−75で正常。 食慾も旺盛。快便も毎日つづいている。 睡眠も上々である。 10年近く病院と薬のお世話になっていない。 八宝粥を初めとして食生活の改善と長年ケールの青汁を愛飲したお蔭であると信じている。 顔の色とつやは一品で、ぴかぴか光っているとほめてくれる友人もいる。 私の周囲には、八宝粥の愛用者が多い。 私は八宝粥おじいさんの愛称を受けている。 日本に居る知人に八宝粥材料をあげたところ、その後もっとほしいと云うことで当惑した事もあった。 外国で発刊している月刊誌に八宝粥おじいさんの題目にて投稿したが大きい話題になったと聞いている。 ところが、私にも人に言えないなやみがある。 56歳のとき81Kg。 1971年ソウル・ロータリークラブに入会したときも、76kgの堂々たる体躯で、豊饒な印象の顔であったのが今は63kg。 標準体重(身長170cm)ではあるが、ありし日の豊饒な顔の印象は消えてしまい、やせこけて淋しい気持をいだいていたが、日本に居る88歳の老先輩から「老来痩」表題の随筆集を送っていただいた。 表題がいささか奇異であったので、さっそく内容を読んだ。 中国には「有銭難買 老来痩」という俚諺がある。 おかね(金銭)があっても老来痩は買えないと云う意味である。 年をとるに従って自然に脂肪が抜け、贅肉がとれて所謂、痩躯鶴の如くなるのが理想型で、金では買えない幸せなのである。 肥り過ぎよりは痩せ型の方が健康的であるのは言うまでもない。 私は中国の俚諺にあるように今や老来痩の境地になったから、体重が減り、顔の印象が豊饒でないと云うことを気にするのは杞憂であることを悟って愉快になった。 | ||||||||||||
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