健康と青汁タイトル小
 医療と医者・療法・長寿法インデックス

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医療と医者・療法・長寿法(5)




5-1. 鼻のウガイとニオイ

     医学博士 遠藤 仁郎 

     鼻のウガイは、鼻の粘膜の清掃と鍛錬をかねており、カゼや流感の予防にはたしかによいものだ。しかし、貝原さんや友成さんは、ながくつづけているうちに嗅覚がやられ、ニオイを感じなくなった、といわれている。
     ところが、さきほどの青汁教室で、板谷さんは、なが年なかった嗅覚が鼻のウガイで完全にもとにもどった、と報告された。私は、その中間で、よくもならねば、とくに悪くなったようにも感じない。ものごとの反応というものは、まったく百人百色。体質にもよるものだろう。
     けれども、このごろの水道のように、塩素分の強い水そのままを吸いこむことには、どうやら問題がありそうだから、きれいな井戸水やわき水、あるいは、一度わかした水道水か、くみおいて塩素分のなくなった水でやるのが無難だろう。

    (55・6)


5-2. ほっときゃぁなおる

     74才の未亡人のお話。
     主人は内科医でしたが85才で他界しました。
     薬がきらいで、口ぐせのように、
     「たいていの病気は自然になおる。薬なんてきくもんじゃない。それに近ごろの新薬は、おそろしい副作用があるので、うっかりはつかえない。」
     といっていました。
     しかし、私ども家族のものが、どこか悪いといっても、「ほっときぁなおる」と、ちっともかまってくれないのには困りました。
     いつもの話から、わからないではないんですが、よく腹をたてたものです。


5-3. 胃弱食

     医学博士 遠藤 仁郎 

     胃がよわいと、とかく、やわらかい食べものになる。消化をよくして、胃の負担をかるくしようというのだから、理窟にかなっているように、一応思える。やわらかい食べものといえば、白粥や、肉類、卵、乳製品などにかたむき、野菜類、ことに繊維の多いものは敬遠される。それを、手をかけ、時間をかけて、やわらかく煮ただらかしてしまったものになる。
     そこでおこることは、まず、栄養のバランスのみだれ。カロリー、蛋白質は多いだろうが、ミネラルやビタミンは不足しがちだ、ということ。さらに、調理に手がこむだけそれらのロスが大きくなり、バランスのみだれはいっそう甚しく、その結果、血のにごりをまねくこととなり、そのためにも胃をよわくする。
     そのうえ、繊維が乏しくなり、便秘しやすくなる。また、味つけが濃厚となり、雑多な調味料、とくに糖分が多くなると、そのためにも便秘する(菓子やジュース類がすぎても同じ)。便秘すると、腸内でいろいろ有害な分解物ができ(肉・卵など動物食ではとくに)、肝臓の疲労をまねき、血のにごりを増すことにもなる。
     したがって、こういう消極的なやり方ばかりに終始していると、直接、胃への負担はかるくなるかも知れないが、不完全栄養、便秘などによる血のにごりで、全身的に体調をそこなうことになり、これでは、いつまでたってもよくなることは望めそうもないわけだ。

    対策
     そこで、すすめたいことは、むしろ、積極的に、繊維をふくめて栄養的にバランスのよくとれた完全食とし、これを粥(いやオモユ)のようになるまで、できるだけよくかみ、かみきれない粗硬繊維だけ出す(いわゆるカミ出シ)ことだ。
     そうすれば、栄養的のみだれによる害がなくなるだけでなく、かむことによって胃の運動や消化液の分泌がさかんになり、消化も吸収もよくなる。また、繊維によって、便秘の心配がなくなるだけでなく、ある程度、腸内の有害物がとりのぞかれ、腸管内細菌の健常化によって、大切なビタミンも供給される。
     もし、歯がないか悪くてよくかめないか、それだけの体力がないばあいは、スリバチですりつぶすか(スリ餌)、ミキサーにかけてドロドロにし(ミキサー粥)、それをよくかんで食べることだ。もっとも、ミキサー粥では、ビタミンCなどいくぶんのロスはまぬかれないが、それでも、煮くたすよりはずっとマシだ。
     また、繊維はきついが栄養バランスをとるのに必要な良質ナッパ類は、青汁にすればよい。こうして、ただ、胃の負担を少なくするだけでなく、栄養のバランスを完全にし、便通をよくするよう心がけていれば、体調はしだいにととのい、体力・抵抗力をますとともに、胃も強くなってゆくだろう。

    (55・4)


5-4. ききすぎる薬

     医学博士 遠藤 仁郎 

     78才の老婦人が、

     「一月ほどまえにカゼをひき、薬局で、よくきくというアメリカ製の薬をもらった。なるほど、セキはすぐとまったが、それから口がかわくやら、便秘するやら、からだの調子はかえって、よけいくるってきた。気分は悪くはない。京都まで出かけて花見をし、保津川下りもたのしんできたが、べつに疲れもしなかった。しかし相変らずセキが出る。」

     といってみえた。  カゼをひいたあと、気管支が過敏になっているためで、心配はいらない。気候がよくなれば自然になおるだろう。薬をのむなら、つかいなれている緩和なもの(民間薬といった)の方がよかろう。
     いまの新薬、ことに文明国の薬はききすぎる。現代人はからだが悪くなっているから、昔流の薬はききにくい。
     そこで新しい強力な薬が次々に開発される。むかしの人は体質がよかったから、ききめのトロいものでも結構きいた。というより、からだにそなわっている自然の力、健康力、生命力が強かったので、よわい薬でもおし切ることができた。
     いまは、強い薬の支えがなければ抵抗できなくなっており、文明が進むほどその傾向ははなはだしくなってゆくので、文明国の薬ほどよくきく。
     しかし、それだけ副作用もつよい。文明人のからだの悪くなったのは、あまりにも不自然・不合理になった日常生活、ことに食のまちがい――うまいものばかり食べてナッパを食べなくなってしまったところにある。
     粗食・菜食家には薬はいらないか、弱いものでもよいが、美食家、肉食化ほどきつい薬が必要になっている。
     昔の川柳に、「安薬のきく木食」とあるが、いまは、「高貴薬もてこずる贅食」とでもいうか。それはともかく、新薬ことに文明国のものは、若い人にはよろこばれようが、昔人間にはききすぎる、というわけで、新薬のことはまるで知らず、昔の薬しかつかわない(いや、ようつかわない)私の薬がよいというオールドファンがあるのも、そのためだろう。
    (56・4)


5-5. 土の医者どん

     「鍬(くわ)と聴診器」という本(東京都文京区千駄木、柏樹社)が読まれている。
     爆発的な、というのでなく、むしろ静かなブームとでも言おうか。
     熊本県菊池郡泗水町の、自治体共立病院「菊池養生園」の竹熊宣孝医師の著書である。
     竹熊さんは先に「土からの医療」を書き、薬づけ治療の医学を痛烈に批判した。
     こんどの本も、その延長線上にあるが、さらに「いのちの根源は食にある」ことを多くの例を引いて説き、医・食・農の三本柱による「病気にならない医療」を語っている。

     養生園は馬、ニワトリ、アヒル、ウサギなどを飼い、広い農園で無農薬野菜を作り、ゲートボールのコートを持つ。
     診療のほか食養生指導、養生講座をひらく。
     農園でとれた野菜を使って、患者に食の医療を教えている。
     実際に効果があるから、訪園者が絶えない。
     遠足をかねて、小学生が団体で話を聞きにくるほどだ。

    竹熊先生の指導ぶりを、この本から拾ってみると
     中学3年の女子=慢性カゼひき。受験勉強で食事は不規則、コーヒー、ケーキに夜食。
     中年の女性=気管支ぜんそく。太りたいため、胃腸薬を飲みながら甘いものを多く食べる。
     この二人に、先生は砂糖分を一切禁じ、果物を減らし、夜食禁止、ふろ上がりに水を5杯ほどかぶることを命じた。
     それで治るのだという。子供にカゼの兆候があれば飯を減らす。
     食べすぎていたら、ノドに指を突っこんで戻させる。代わりに葛(くず)粉による葛根湯(かっこんとう)を飲ませ、ふとんの中で汗をかかせる。
     せきが出たら辛子湿布をする。これで卒業、という。
     熊本大学で内科、血液学を専攻した医博だが、いや、だからこそかも知れないが「土に返れ」という主張に説得力がある。
     大みそかから元日をはさんで二日まで3日間「食わぬ養生会」を開くが、これも恒例になってしまった。
     正月に食べすぎ、飲みすぎるかわりに断食し、座禅していのちを考えるのである。
     軽い病気だと、この会でよくなるそうだ。
     行政改革に取り組む土光敏夫氏が「私もまったく同じ考え」と、竹熊先生を支持しているのも面白い。
     直接患者に接する医療現場の荒廃と、肥大化し、甘い補助金をばらまく行政機構の病弊には、共通するものがあるのだろうか。
     現地の人たちは、方言で「医者どん」と呼ぶ。
     薬ばなれし、人間本然の姿に戻ることを教える医師に対する敬愛の「殿」であろう。
     病気をしない身体をつくる。考えてみれば、それが忘れ、軽視されている。

    (朝日新聞)


5-6. クスリより『コトバ』の医者

     2歳のときに腸の一部が閉そく症状となる腸重積。それを皮切りに、肺炎、腸炎、急性胃炎、胸膜炎、黄だん、肝炎と、少年時代、病気を繰り返し、そのたびに町医者に助けられたという思い出をもつ男が医の道に入り、大学の先生になった。
     人生も半ばにさしかかって、やはり、医の本道は町医者」と、学者生活をやめた。額賀厚徳(ぬかが・あつのり)さん。4月まで15年間母校の東京慈恵医大にいて、内科医長などを勤めたが、折あるごとに思い出されたのは、かかりつけだった医師の姿。
     「先生は感冒大流行のとき、当時数本しか手に入れられなかったペニシリンを患者のために全部使い果たし、ご自分は肺炎にかかって、ペニシリンのないまま、亡くなったのです」
     額賀さんはこの夏、埼玉県川口市に医院を開いた。「なるべく薬を与えない」を原則とする。「糖尿病の人でも、多くは食事を制限し、運動を適度に行えば大丈夫なのです」。それが、診察の帰りに、薬をうんとこさもらわないと、どうも不安気な患者が多い。「病気を治すのは、自然の力と患者本人の努力。医師なんて、それをほんの少し、手助けするだけです」
     「病気とは、生活態度がもとなのです。患者さんの生活を変えないと、本当には治らない。薬より言葉ですが、これがなかなか…」だいいち、薬に比べ、言葉は金にならない。「でも大事なのは言葉」と、額賀さんはその考えを1冊の本にまとめた(自分でできる健康管理・日本労働協会刊)。「もう読んでくれた人から手紙をもらったりします」と、先生ははじめて、うれしそうな顔をした。45歳。

    (朝日新聞)


5-7. 病気 本当に治すには 運動療法見直しを

     病気といえば、すぐに思い浮かべるのは“安静”でしょう。
     「でも、安静が万能ではありません。むしろ体を動かした方が、効果的な場合が多いのです。運動療法を見直してみませんか」とアドバイスするのは、大阪府立病院精神科部長、亀田英明先生です。

     眠っている活力を呼びさましましょう

    ◇安静は体力を衰えさせます
     「病気は医者やクスリが治してくれるもの。だから病人はただじっと、待っていればいい」
     はたして、そうでしょうか?
     病気を本当に治すのは、医者やクスリではなく、本人の回復力、つまりそれは体力なのです。
     適切なクスリを飲む以外に、この体力作り(運動療法)を忘れている人が意外と多いのには、驚かされてしまいます。
     ここで、病気を二つの時期に分けて、考えてみましょう。
     病気が活発に活動し、発熱や激しい痛みがともなう時期(これを急性期といいます)には、ふつう安静療法をとって、体力の消もうを防ぎます。
     ところが容体が落ち着き、病気の活動が固定する慢性期に入ると、安静はかえって体力の衰えをもたらします。
     「病人は安静に」を守っているのは、かえって逆効果にもなりかねません。
     この時期にはむしろ、どんどん体を動かすことが必要です。
     人間の体というものは、使わなければそれだけ弱っていくものです。
     運動によって眠っている活力を呼びさます、とでもいえましょうか。
     ごく当たり前のことですが、これが病気にうちかつコツなのです。

    (56・4・17 サンケイ)


5-8. 高齢化時代の健康と食生活 百歳までも健康で美しく

    健康生活研究者 T.K. 

     私は、医学を専門に勉強したわけでもなければ、健康会などの主宰者でもない。ただ、自分なりに10年来自然食の生活を実践してきた経験を持つばかりである。とはいえ、体験の積み重ねは理論にまさる真実性を有することも確かであろう。健康こそは、人生における最大の重要事である。にもかかわらず、時には無視されてしまう場合が少なくないようだ。また、自分の健康に関心は持っていても、本当の知識をわきまえていない人が多いのは残念である。最近、先進国の中の成人病が増加している実態を見るにつけ、文明の進歩とかGNP(国民所得)の上昇と逆比例して不幸な人々が増えてゆくことに疑問を感じてならない。そこで、私のささやかな体験にもとずく「高齢化時代の健康と食生活」について提言を記してみたいと思う。


    健康5原則
     私は61歳の時、外国の著名な健康専門家が書かれた「百歳まで若く美しく」という本を読んで感ずるところがあった。そこで、思い切って食生活を改善することにした。従来、私は肉類、お菓子、清涼飲料水はじめ白砂糖や化学調味料などを好んで食べていた。
     特に肉食は身体を酸性にするので害が多い。新しい献立では、朝食は白いご飯の代わりに玄米、黒ゴマ、黒豆、はと麦、小麦、ヒエ、粟など8種類の玄穀をひいてお粥にしたものにした。これに生野菜、KALE(キャベツ)を青汁にして飲んだ。次に、夕食は玄穀のご飯やイモ類を中心にワカメのスープ、豆類、煮干、乾白魚、山菜などをおかずにした。このような食生活を続けるうち、私の身体は日を追って健康になり、74歳になった今日もなお病気とは縁がなく、1日1万歩以上を歩き、月に2回は登山を楽しむほどである。勿論、高齢者にありがちな神経痛などもなく、血圧は125−80で正常、歯も丈夫で快眠、快通の爽快な毎日を送っている。

     この健康生活を通じて、私は次の5つの原則を学んだ。

      1. 万病一元の原則
      2. 自然治癒力の培養
      3. 身土不二の真理
      4. 肥満と宿便は万病のもと
      5. 二少、二多、三忍

      万病一元の原則とは、
       酸性食を食べて血液、体液が酸性化したら病気になり、アルカリ性の食品を多く摂って弱アルカリ性に維持すれば健康が保てるということである。
       私は、以前ひどい湿疹にかかって、非常に苦労したことがあった。これも、間違った食生活で酸性の身体になったことが悪い影響を与えたものと思われる。もっとも、西洋医学では、この万病一元の原則について、あまり賛成していないことも承知しているが、自分自身の長い体験と先進国で成人病などが多発している現状から言っても信念をもって提案したい。
       このほかにも、あるガン患者が食生活を変えることによってすっかり元気になった例を知っているし、ハワイなどの2世、3世が1世に比べて寿命が短かかったことも見逃すわけにはいかない。もう一度くり返すが、酸性食の代表である肉類、白飯、白砂糖などを避けて、アルカリ食である梅干、ひじき、ワカメ、昆布それに煮干、しいたけ、豆、粟、イモ類、生野菜、果物などを多く食べるように心がけていただきたい。

      自然治癒力の培養とは、
       病院と薬にあまり依存してはならない、との意味である。日頃、私たちは、自分以外に自分の健康を管理してくれる者はいない、ということを忘れてはいないだろうか。
       2400年前、ギリシャの医聖ヒポクラテスは「病を治すものは患者自身の自然治癒力のみである」と明言している。最近、医療保険が普及して、身体の具合がちょっとでも悪いと、多くの人が病院を訪れ、たくさんの薬を服用する傾向にあるが、あまり頼りすぎるのは考えものである。薬の使いすぎで医原病になってしまう例を引用するまでもなく、薬はできるだけ飲まないようにして、自然に身についた治癒力を生かすようにすべきだと思う。
       百の治療よりも一つの予防こそ大切である。これを実践するため、私は5年前ひどいカゼにかかったが、最後まで病院に行かず、2週間後には完全に治った。

      身土不二の真理とは、
       歴史と気候・風土を無視した食生活は健康によくないという事である。なるべく自分の近くの土地で生産されるものを食べるべきで、ビニール・ハウスで栽培されたキュウリ、トマトなどを冬期間に食べたりするのはナンセンスであろう。

       次に、肥満と宿便が万病の原因であることは、きわめて常識的なことだ。50代の頃、私の体重は87キロもあり、動作が息苦しい感じで、山登りなどは思いつくこともできない状態だったが、今は67キロで前述したとおりの身軽さである。その点、米国や日本は経済大国と呼ばれるだけあって、肥満した方々が目立つ。しかも、甘いお菓子やアイスクリームをどんどん食べている光景は、これが果して世界経済で1位や2位を誇る国民かと目を疑いたくなる。
       文明国家における健康への知識がこの程度では、先きが思いやられる。宿便や便秘は身体に悪い。朝起きたら生水(ミネラル・ウォーター)を1カップ飲むと、体内の疲労と毒素をきれいにする働きがある。そして、腸内を浄化し宿便を取り去る繊維質のもの、例えば生野菜、山菜、イモ類、海藻類を多くとる方がよい。反対に肉類は繊維質が少ないので便秘や宿便の原因になりやすい。

      二少、二多、三忍とは何か
       二少は食事と体重を少な目にすること。食べ物をよく噛み、腹八分目にとどめるのが健康長寿の基本である。昔から健康で長生きした人は、この原則をしっかり守った。一時は肥満した人を重役タイプと言って豊かさの象徴にした時代もあった。しかし、その実態は、肥満こそ高血圧、糖尿病、心臓病、脳出血など不幸をもたらす元兇なのである。肥満と寿命は、逆比例する関係にあることを忘れないようにしたいものだ。
       二多は、睡眠と運動は充分に、ということである。夜ふかしなどは絶対に避けたい。ただ、運動については、高齢者の場合なるべく過激なことはせず、朝の散歩などできるだけたくさん歩くように心がける方がよい。また、不平や不満を少なくして自律神経の調和を保つようにすることも大事だと思う。
       三忍の中のその一つは、食事の時もう一口食べたいのを、またお酒を飲む時もう一杯飲みたいのをガマンすることである。その二つは、物事にこだわったり怒ることを慎しむこと。親子、夫婦、親友の間はもとより、すべての対人関係において円満な生き方を心がけることである。そして、気を若くもって希望に満ちた感謝の日々を送ることである。


    長寿村の教訓
     一期を3万日とすれば、これは82ヵ年と70日に当たる。
     人生は生老病死、生まれて死ぬものである。仏教では「生也一片浮雲起、死也一片浮雲滅」と説法しているが、問題はいかに生きていかに死ぬかが重要である。生きている間に人を助け、社会に奉仕して無病長寿、ろうそくの日が消えるが如く静かに永眠するのが理想的な一生であろう。顔は、その人が持っている力の表現である。即ち、健康的な力、知徳的な力、物質的な力であるが、その中でも健康的な力の表現が大事だ。
     健康美に輝く顔は財力よりも尊い。終戦後、賀屋興宣氏(元大蔵大臣、故人)が戦犯として巣鴨プリズンに入り、10年間を過された時の話は、まことに興味深いものがある。

       長い間の入所生活で多くの戦犯は、生気を失ない昔日の思影もない有様だったという。そこで賀屋氏は、このような老醜を他人に見せてはいけないと考え、自から顔面マッサージやこめかみを叩く方法を開発して、出所後再び政界で活躍され88才まで永生きされたのである。

    自分の老醜を見せないようにすることは、老人のつとめだと思う。


     長寿村として世界的に有名なコーカサス地方の村に古くから伝わっている健康10則は次の通りである。

      1.  少肉多菜(肉類を少なく野菜を多く)
      2.  少塩多酢(塩を少なく酢を多く)
      3.  少糖多果(砂糖を少なく果物を多く)
      4.  少食多齟(少し食べてよく噛む)
      5.  少煩多眠(心配せずよく眠る)
      6.  少怒多笑(怒ることを慎しみよく笑う)
      7.  少衣多浴(薄着をして体を清潔にする)
      8.  少欲多施(欲を捨てて思いやりを持つ)
      9.  少言多行(言落は少なく実行する)
      10.  少車多歩(なるべく車に乗らず歩く)

     以上の10則は、私の体験から得た健康道の精神とも一致する内容である。


     先日も、訪日した際、自然食健康法の権威者お二人に会った。
     その一人は89才の川島四郎先生だが、いつも

      1.  頭で食べる
      2.  少食する
      3.  腹がへらなければ食べない
      4.  海藻類と生野菜、果物を多く食べる
      5.  煮干をよく食べる
      6.  雑穀(特にヒエがよい)
      7.  熱いものはさまして食べる
      8.  肉類などのコゲは避ける
      9.  食事中に水を飲まない
      10.  梅干を愛用する

     ことを提唱され、自から実行して、まことに健康そのものである。


     もう一人は84才の遠藤仁郎先生で、KALE(キャベツ)の青汁の世界的権威者。この方も「白米より玄米、玄米より雑穀、雑穀より豆類、豆よりイモ類がよい」と強調されていた。
     イモ類には、カルシウムやビタミンCが多く、アルカリ性の食物だからだ。このような食生活で得られる健康の楽しみは、一人占めするのではなく、さらに多くの人々に広げたい。


     最後に、長寿に関するおもしろい言葉をご紹介しよう。

          70才の時、お連れに来たら「外出中」と言え。
          80才の時、お連れに来たら「まだ早い」と言え。
          90才の時、お連れに来たら「そんなに急がんでもよい」と言え。
         100才の時、お連れに来たら「時期をみてこちらから行く」と言え。

     こういう気概も時には必要ではなかろうか。(1984・3・10) 創政


5-9. 養生談議

    神谷 H.K. 

     秋たけなわ、絶好の運動シーズンである。
     「運動」という言葉は、吉田松陰が初めて使った言葉だそうだが、その由来は、知識人は座業が多く、健康のためには、あちこちの学塾に通って「運動」しなければならないということのようだ。松陰は禁酒禁煙主義者でもあって、近代日本における模範的な健康主義者の第一号だったといことである。(加藤秀俊氏)
     この松陰が亡くなったのが1859年だから、いまの健康ブームは没後120年たってやってきたということになる。まちには健康雑誌、健康機器があふれ、皇居のまわりをジョギングの人たちが走り、会社の廊下にまでブラ下がり器具がおかれ、話のあいまにビタミンE談議が出る。
     ストレスや疲労に悩む現代人にとって、「頼りになるのは自分だけ」の気持ちが、健康づくりに走らせるのだろう。健康法なんて特別なことは何もない、したいことをし、食べたいものを食べ、寝たいときに寝る、これが何よりの健康法だという人もいるが、こういう人は、根っからの健康人か、多少なりとも天の邪鬼(あまのじゃく)の人であって、少数派のようである。
     大多数の人は、それぞれ何らかの健康法をもっていて、その方法たるや、千差万別多種多様である。禁酒禁煙、減塩節脂といった我慢哲学めいた節制法をはじめ、竹ふみ、タワシこすり、ブラ下がり、自然食、朝ぶろ、はては金冷法まで、発想といい用具といいあまりにも東洋的なものもあり、さてまた、アルカリ水、イオン水、ハブ茶熊笹茶のたぐい、指圧温灸(きゅう)など和漢両様の養生法もおとろえていない。
     運動もゴルフを筆頭に、庭球、ジョギング、真向法、導引術、最近になってはエアロビクスまで登場し、古今東西とりまぜてにぎやかである。いずれの方法をとるにしても、やっている本人にとっては、自分の方法が自分の身体には一番いいと信じていて、「鰯(いわし)の頭も信心から」という諺(ことわざ)がぴったり当たっているようだが、何よりも肝心なことは、長続きすることであるらしい。
     ところで私自身の健康法であるが、他人様におすすめできるような気の利いた方法はもちあわせていないものの、長続きしているということだけで「よし」としているのが二つある。青汁とゴルフである。前者は、ある製薬会社の社長(故人)さんが、「これが普及すると、胃腸薬が売れなくなる」と、ひそかに知人に教えたといういわく付きのもの。20年来愛飲していて、その効用のほどを盲信している。最近は、手段方法にこだわらず、「長寿よりも不老を心がけよ」という言葉を、何かにつけて生かすように、生活全般に留意している。

    (日本鋼管副社長)
    (58・10・13 経日)


5-10. 老来痩

    元セ・ソウルロータリークラブ会長 365地区 T.K. 

     私は6月22日で満75歳になる。
     韓国の平均寿命は69歳、世界第1位の長寿国、日本は77歳。
     時代はうつりかわって古稀も使いふるした言葉で、いらなくなった。
     私はひざもとにむすこ、むすめ7名とまご13名をかかえているから、昔なら腰は曲がり、大きな咳をする家長として、のんびりと暮らしていることであろう。
     ところが本業の規模はちぢまり小さくなったが、ロータリークラブ活動、同窓会々長職、健康に関する寄稿と講演、その他の会合に参席。長寿道の揮毫、登山、国内外の知己よりの書状の回答など、希望に充ち、規則的な日々を送っているので、まさしく今昔の感がある。
     某日刊新聞に掲載されている「80代が語る、私の人生、私の健康」の主人公達が、健康な姿で生活しているのを読んで、私の年令がまだ80歳にもならないのに、年令のことを繰り返して話すことは、ぐちをこぼすも同様である。
     70歳を超えた私の友人の一人が、自分はおまけに生をうけているとうそぶくのを聞くが、私にはそのこころもちが理解出来ない。人生はマラソン競技と同じだ。
     途中脱落してはいけない。
     健康で長生きせねばならない。
     私は故マッカーサー元帥が、生前に常に心にいだいて自分の人生を築いた言葉を記憶している。

     「青春とは人生の或る期間を言うのではなく、心の様相を言うのだ。
     理想を失う時に初めて老いがくる。
     人間は信念と共に若く、疑惑と共に老ゆる。
     人間は自信と共に若く、恐怖と共に老ゆる。
     希望ある限り若く、失望と共に老い朽ちる」
     と。私は老人会にて講演するとき、次ぎのように力説している。
     これから皆様には大きな二つの務めがある。
     一つは、まご達にアイスクリーム、お菓子、お砂糖などのおやつを食べないように。
     又、嫁には白いご飯の代りに、雑穀のご飯に、食生活を改善するよう注意させることだと。
     現下、難治の成人病が急増している現状は遺憾である。
     西洋医学は発達して幼児の免疫疾患と、細菌による疾患は確かに減ったが、癌、高血圧、糖尿病、脳卒中など成人病には決定的な力にならないのも事実のようである。
     薬では成人病治療は難かしいようである。
     平素の食生活を改善しなければならない。
     昔からのご馳走といえば、肉食の如き美食をいうが、肉食は酸性食品の代表格である。
     生命力が全然ない。
     生命力のない食品を食べて健康になることは出来ない。
     一時カロリー中心の栄養学が支配的であったが、最近に至っては、真剣な研究と多くの経験を経て、万病一元の原則が新しい学説として脚光をあびるようになった。即ち、体質が酸性に傾くといろいろの疾患が発生し、これとは反対に体質体液が弱アルカリを維持すれば、健康であるという理論である。
     私自信も、食生活を改善する前には、肉食が好きであった。
     白いご飯、コーヒー、白砂糖、お菓子などを飽食した。
     その時は体重は増えたが、湿疹にかかり、肝臓機能、血圧も凡べて正常ではなかった。
     1982年、私が米国のL.Aを訪問したとき、そこに住んでいる某医師の婦人が多発性骨髄癌にかかり、ニューヨークにある世界的に有名な癌センターで6ヶ月間治療を受けたが、病勢は悪化するのみ、仕方なくL.Aに帰った。おりよく、日ごろ玄米食を提唱し、生野菜を勧奨して来た有名な韓国人医学博士から、玄穀の雑穀のご飯と、生野菜を食べるよう忠告を受けた。
     3ヶ月間継続したところ癌が好転したとの驚るべき事実を夫君より説明があり、私が主張して来た食生活改善が正しいとお褒めにあずかった事もあった。
     私は中国の劉青茘の新菜根譚「無病之身 不知其楽他 病生始知 無病之楽矣」を便箋と封筒に印刷して、見る人をして注意を喚起させている。
     体験から得た健康のみちしるべ(手びき)を人々に知らせようと努力している。
     いろいろの健康文献を印刷して機会あるたびに親しい人に郵送している。
       我等の周囲には、平素健康をなおざりにする、間違った楽天家も居り、一方関心はあっても正しい健康知識を持っていない人が多いのは遺憾である。
     全国民が正しい健康知識を理解するよう国家的次元にて啓蒙すべきことを痛感している。
     かようにすれば成人病も減り、家庭から患者が発生しないから、明朗で幸福な生活を営むことが出来る。
     私は、今まで50回近く健康講演をやり、健康誌に投稿もした。外国に於いても寄稿と講演をやった。
     このように私は知らぬ間に、本業でない健康の道にうわきしているような気がする。
     テレビ、ラヂオに出演して健康を語った。
     この頃も、健康に関する問い合わせの電話がたびたびかかって来る。
     望而知之者神というが、私も自慢ではないが、人の顔を見るだけで、健康であるかどうかを判断出来る境地に至った。
     これは上医と言えるもので、むしろ健康分野の職業に変更することが賢明ではないかと、心をうきたたせる時もあるが、これこそうわきであるから止めることにした。
     私の助言にて健康を回復した友人も多い。
     かくれた奉仕とも言える。
     私は現在無病である。
     糖尿、神経痛もない。
     血圧は125−75で正常。
     食慾も旺盛。快便も毎日つづいている。
     睡眠も上々である。
     10年近く病院と薬のお世話になっていない。
     八宝粥を初めとして食生活の改善と長年ケールの青汁を愛飲したお蔭であると信じている。
     顔の色とつやは一品で、ぴかぴか光っているとほめてくれる友人もいる。
     私の周囲には、八宝粥の愛用者が多い。
     私は八宝粥おじいさんの愛称を受けている。
     日本に居る知人に八宝粥材料をあげたところ、その後もっとほしいと云うことで当惑した事もあった。
     外国で発刊している月刊誌に八宝粥おじいさんの題目にて投稿したが大きい話題になったと聞いている。
     ところが、私にも人に言えないなやみがある。
     56歳のとき81Kg。
     1971年ソウル・ロータリークラブに入会したときも、76kgの堂々たる体躯で、豊饒な印象の顔であったのが今は63kg。
     標準体重(身長170cm)ではあるが、ありし日の豊饒な顔の印象は消えてしまい、やせこけて淋しい気持をいだいていたが、日本に居る88歳の老先輩から「老来痩」表題の随筆集を送っていただいた。
     表題がいささか奇異であったので、さっそく内容を読んだ。
     中国には「有銭難買 老来痩」という俚諺がある。
     おかね(金銭)があっても老来痩は買えないと云う意味である。
     年をとるに従って自然に脂肪が抜け、贅肉がとれて所謂、痩躯鶴の如くなるのが理想型で、金では買えない幸せなのである。
     肥り過ぎよりは痩せ型の方が健康的であるのは言うまでもない。
     私は中国の俚諺にあるように今や老来痩の境地になったから、体重が減り、顔の印象が豊饒でないと云うことを気にするのは杞憂であることを悟って愉快になった。




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