健康と青汁タイトル小
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2-1. 164歳の秘けつ

     「長生きするには澄んだ空気、美しい自然の水、新鮮な食物、そして暖かい家庭が必要」――164歳で、世界一のお年寄りといわれるソ連のシラリ・ミスリモフさんから、こんな便りが大阪府・四条畷町長の三牧信知さん(72)のもとにこのほど届いた。手紙にはミスリモフさんの日ごろの生活が細かに書かれてあり、長寿の秘けつがはっきりわかる。日本では望むことのできない条件も少なくないが、“ミスリモフ方式”を実践してみては――

    毎日2、3キロ散歩
    冬でも冷水浴

     ミスリモフさんが生れたのは1805年(江戸時代の文化2年)の5月20日。ナポレオンが皇帝になった翌年にあたる。子、孫、ひ孫など195人の家族持ちだ。イランの国境に近いアゼルバイジャン共和国の山村で農業をしている。ことしの誕生日にはタス通信の記者の「長寿の秘けつは」という質問に「毎日、戸外に出て新鮮な空気をうんと吸うこと。酒も飲まず、タバコも吸わず、スポーツとして乗馬をやっていることが役立っているかも知れない」と答えた、という。まだ元気に果樹園で働くおじいさんだ。

     三牧さんは大阪市内の小学校教師や校長生活を40年間続け、その間、同市教委の学校保健研究部長もやった人で、実践的な長寿法を研究している。
     164歳の誕生日を迎えたミスリモフさんのことを新聞で読み、どんな生活を送っているかを知りたくなり、7月初め、タス通信を通じて長寿のお祝いと12項目の質問を書いて送った。三牧さんは富士山の絵葉書や写真といっしょに送ったが、返事がくるかどうかが心配だった。2ヵ月後、封書がひょっこりと舞込んだ。中から英文の白い便せん2枚とひ孫に囲まれて楽しそうなミスリモフさんの写真が出てきた。ミスリモフさんは「字がかけないので、ひ孫が代筆している」とあり、三牧さんの質問にていねいに答えてきた。
     それによると、ミスリモフさんの一日はこうだ。起床は朝6時。近くの泉で顔を洗い、1−2時間の散歩。澄んだ空気を腹いっぱい吸う。朝食はパンとミルク。午前中は毎日、果樹園で働き、冬にはマキ割りもする。昼食は生野菜をバリバリ食べ、乳酸飲料を飲む。午後は「歩く時間」。毎日、2、3キロをひ孫たちと散歩する、というから恐れ入る。そのうえ、夏でも冬でも冷水浴する。むした鳥肉、乳酸飲料の夕食をたべて、午後10時就寝。いちばんの楽しみは植樹をすることと夕食のあと、ひ孫さんたちにおとぎ話などをすることだという。

    (44・9・16 朝日)


2-2. 下痢健康法

     医学博士 遠藤 仁郎 

     「長生を得んと欲すれば腸中まさに清かるべし。不老を得んと欲すれば腸中滓(かす)なかるべし。」
     屠蘇をはじめ、諸書の長生不老薬は、すべて、整腸薬が主剤になっている。
     ローランドの健康法には
     「毎日便通あらしめ、1週1回は緩下剤にて腸内を清掃せよ」
     とある。下剤をのむと、腸の中に停滞している渣をすっかり出してしまうから、腸の負担がなくなり、疲労が回復する。腸内での異常分解産物がなくなるので、そうした分解物の処理にあたっている肝臓の負担も軽くなり、疲労がとれ働きが活溌になる。

     また、腸からの水分の分泌がたかまり、それとともに、血液や組織の中に停滞している老廃物がとり去られ、からだ中が掃除され、血液が浄化される。
     そこで、腸や肝臓だけでなく、すべての働きがよくなるので、健康状態も、病気の治りもよくなり、長生きも出来ようというもの。

     中でも、小児は、とかく過剰栄養になりがちなので、昔から下剤と吐剤が適当といわれている。
     たとえば、初生児の病気を、古くは、胎便の異常刺戟によるとして、下剤や浣腸で治療した。
     小児の熱病や食欲不振、また、強情でしつけのむつかしい子にも、浣腸や下剤が処方された。

     「大黄なくは小児の療治を如何せん」(雨森宗真松蔭医談)
     ドイツ医学で小児に好んで用いられた小児散も、大黄が主剤。
     日曜に教会に行くには、からだを潔めなければならぬ、というので、子供の時から、金曜日にヒマシ油をのむことになっているところもあるそうだ。
     通じ薬を習慣的に毎日のむことは、つとめて避けねばならぬことだが、ここで用いられているのがヒマシ油だということは注目すべきだ。
     というのは、さいきんの通じ薬は小さい錠剤になっていて、便利なのと、飲みよい、いや飲みよすぎるために、つい癖になりがちだが、ヒマシ油にはそうした心配がないからだ。
     ヒマシ油は、以前はよくつかわれた。食あたりや、赤痢、疫痢には欠かせぬものだったし、外科手術の準備の下剤もヒマシ油だった。
     しかし、いやな匂いのする、ドロっとした油で、扱いも面倒だし、味はまことによろしくない。
     飲みよくする工夫もいろいろされてはいたようだが、とても、度々飲もうといった気をおこす物好きは、おそらく無かろうという代物で、くせになる気づかいのないところがヒマシ油のとりえ、というものでもあるわけだ。
     同じように、飲みにくいが工合のよい通じ薬に硫苦(硫酸マグネシウム)がある。
     ふつう水薬になっているから、持ちはこびに不便だし、あの苦がさは、塩酸や単舎を入れてみても、どうもなずめない。たまにのむのはともかく、毎日は、とてもやりきれぬ。

     さらによいのは、薬でなく食物で、つまりうんとナッパを食い、青汁をのむことだ。
     これでも、かなり下げることがある。もっともナッパの場合、かみ方が足らぬと、本当に胃腸をいためる恐れがあるから、むしろ青汁の方が無難だ。3合でも4合5合でものんでみる。すると、青汁そのままのような便が出る。
     それでも、必要なだけの栄養分は吸収されているから、下剤でただ下げるよりは「分」がよいというもの。
     こうした時折の下痢(下痢というより腸の大掃除だ)は、誰れにもよいことなのだが、とくに大切なのは、ご馳走(白米飯・肉・卵・糖・菓子・酒といった)をいつも腹一杯食い、運動は不足。とかく便秘気味になっているもの。
     中でも、血色がよく、人一倍元気で、よくふとった、あるいはふとりすぎ傾向のあるもの、また、いわゆる成人病(高血圧・動脉硬化・糖尿病)・痛風・リウマチ・神経痛・コリ。
     あまい菓子を食べすぎている子供たち。ことに肥りすぎてやせるのに困っている子供たち。
     つとめて運動するとともに、毎日の便通に注意し、時々、少くとも週1回くらいはうんと青汁をのむか、ヒマシ油、硫苦といった通じ薬をのんで腸を掃除することだ。
     そうすることは、また、ただそれによって、血を浄め、、からだの働きをよくして健康に役立つだけでなく、そういう嫌なことをしないでも済むような、日常生活の改善ということへの覚悟をかためるためにも役立つだろう。


2-3. へど健康法

     医学博士 遠藤 仁郎 

     吐くということは、まことにいやなことではあるが、旧方では、有力な治療法として多くの病気に応用されたし、健康法としても古代(エジプト・ギリシヤ・ローマ時代)から賞用されていたようだ。
     ピポクラテスは、
     「冬嘔吐をなさしむ。湿性体質の人は月に三度、乾性質の人は月に二度。色々の食物を摂った後吐かしめ、嘔吐後三日以後に、徐々に通常食にかえる。牛肉・豚肉または乾酪等を食べた後に吐くとよい。泥酔後に吐け。」
     とか、
     「春初二日毎、後、永き間隔をおいて。夏、嘔吐は避くべし。」
     「肥った人、日中速に走り、または歩いた後、空腹時に吐け。痩せた人は食後に吐け。」
     「月二回吐く習慣なれば、15日毎に行ふよりは、二回つづけて吐け」。
     などといっている。
     全盛時代のローマ貴族の間では、連日連夜の豪華な饗宴が催おされたが、それによく堪えられたのは、吐剤によって適宜に吐いたからであった、という。
     それは、ただ胃の負担を軽くするだけでなく、過剰栄養の害を防ぐことにも役立ったのだろう。南方先生によれば、

     「ダウエルニエーの紀行に、カブル辺のアフガン人は、毎朝、或る植物の根で舌をけづり、多く吐く。ペルシヤとインドの境の人も、そんなにすれど、多く吐かず。食ふ時、先づ、二三口食へば必ず吐く。扨、快く食事する。かくせざれば、30になるや成らずに死なさんすそうだ。南米のヘベロス人は、毎朝、グワユサの葉の浸液を服し、夜前からの不消化分を吐き尽くし、空腹で狩に出る。」
    (南方熊楠全集七)
     とあるが、これも健康法として吐いている。
     現在は、ローマ貴族の豪華さには及ばないまでも。白米飯、純白パン、肉、魚、卵、砂糖、菓子、酒と、うまいものがいくらでも食い飲みできる。
     そして肥りすぎになり、成人病の原因にもなっているのだから、食べすぎ飲みすぎの折はもとより、平素にも、時にはへどつくことは歓迎さるべきだろう。
     ことに子供。なかでも乳幼児はもともと吐きやすい。しかも、とかく過食になりやすいのだから、吐いたとて、多くの場合、驚くにはあたらぬ。むしろ、吐かした方がよい。若い母親たちは、子供の吐くのをひどく恐れるが、吐くことは、古人のいうように、確かに一つの自然良能のあらわれでもある。
     特別の病気でない限り、少々へどついても、少しも気にする必要はない。いや、それどころか、この頃の子供たちは、肥りすぎの傾向になり、しかもそれは、原因のわからぬ突然死や、後の成人病ともつながっているのだから、やせるためにも、ねばり強い健康をあたえるためにも、子供の頃から吐くくせをつけておくのもよいでのはなかろうか。
     へどをつくには、指や羽毛で「のど」をくすぐるのもよし、吐剤をのむのもよい。味や匂いのよくない青汁や、薬を飲んで吐くのもよかろう。
     また、飲みすぎ食べすぎの時は、いわゆる「向えて奪う」のもよかろう。
     刀圭閑話に、隠逸の医、加茂茂斎、向って奪ふ法、としてこんな話が出ている。
     ある時、城主、蕎麦切を大食し、その上飲食されたるため、胸に膨満、心下に遍り、呼吸短息、腹痛両脇に迫り、既に危く見えた。
     扶持医、城下府内の医者共、大勢集り、蕎麦切を急に消す薬やある、と案じわづらふ所に、茂斎が招かれた。
     彼は、殿の召上った蕎麦切を持来らしめ、今一膳召上れ、と強い、之を召上らねば療治の法なし。是非一口と、おして抱き起す。
     殿、苦しげに、一口、口に向はせらるるととも、エッと吐出し、その儘治った。


2-4. (ちとり)の術

     医学博士 遠藤 仁郎 

     潟血=ちとりは、歴史のおよぶ限りの古代からあった。
     出血すると、気分がよくなり、疲れないし疲れがとれる、頭痛その他の痛が軽くなり、なくなる。腫れがひく。熱がとれる。などといった経験から生れたもの。
     血をとるためには、皮膚を乱切したり、吸角をかけたり、蛭をつけ、あるいは血管を切開したり刺したりすることは、未開人の間にも広く行われているし、最古の民族にも知られていた。

    乱切
     植物のとげ、魚の骨、鋭利な石片、または硝子片、小刀、剃刀で切ったり、三稜針を打って、皮膚を傷つけ出血させる。

    吸角
     陰圧によって血を吸い出すもの。吸角は、名の示すようにもとは角製。後に金属製のや硝子製のも出来た。
     本邦では、古く角嗽と称した。
     医心方には「ちとるかめ」と訓んでいる。形が瓢に似ているので「すいふくべ」ともいった。
     角製は、広い口を皮膚にあて、細い口から吸って、蝋で閉じた。金属製や硝子製は釣鐘状をしており、中で綿を燃やし皮膚にあてる。
     私が知っているのもそれで、アルコールをしませた綿を入れ、火をつけて肌におしつける。火が消えると陰圧になって強く吸いつき、うっ血し皮下に出血する。(乾吸角)。
     あらかじめ傷をつけておくと、ドス黒い血が吸い出される(湿吸角)。
     母がよく肩をこらしていたので、三稜針をうち吸玉をかけるのを度々見たこともあるし、実際やらしてもらったこともある。
     これらは、「ちとり」とはいっても出る血の量はごく僅かなものにすぎず、むしろ按摩や灸や鍼と同じく、局所の血行やリンパの流れをよくして、老廃物をのぞき、滲出物の吸収をすすめるもので、主として局所の炎症、腫れ、こり、痛みなどに応用された。
     また、反射的の効果をねらった応用法もあった。
     ヒポクラテスは、「月経をとめるために乳房に大きな吸角を施す」といっているし、奇魂という本には、越前に、卒倒したものの舌尖に針して黒血を出して蘇生さす術を伝へている、と書いてある。
     グリムの童話の忠臣ヨハネスに、卒倒した妃の乳房から3滴の血を吸出すと忽ち蘇生する、という条があり、史記、扁鵠篇に、卒死した太子の外三陽、五会を刺して蘇せたこと、など。


     これも古くから行われた。欧州では、紀元前130〜140年頃のニカンドロスの書に出ているそうだ。
     19世紀の初め、フランスで大流行し、1829〜36年の間にパリの病院で使われた水蛭の数は、毎年、実に5〜6百万匹に上ったという。
     支那では、隋の宗侠の書経心方に、「水蛭を以て悪血を食去る」とあるが、わが国でも上古神代の時代からあったらしい。
     蛭飼(ひるかい)、蛭食、蛭針などとよばれた。
     鎌倉、室町時代にさかんだったが、江戸中期から衰え、西欧医術の輸入で再び行われた。
     私どもが若い頃、大学病院でも、まだ使われていた。
     処方すると、薬局から、痩せた真黒い元気のよい蛭ーシマビル(縞蛭)だが、痩せていると黒くみえるーが届けられた。
     それを、清潔にして砂糖水を塗った所へ吸いつかせる。少々気味は悪いが、十分血を吸うと、コロリと自然に落ちる。
     それに要する時間は約1〜1.5時間。もし途中で止めたければ食塩をふりかける、といった具合。
     1匹の吸う血の分量は、精々10〜15ccだから、小潟血に適しており、老人や小児、衰弱者にも応用出来るし、蛭の数を多くすれば相当量の潟血にもなるので、血管を刺したり切開しての潟血になれぬ時代には、かなり重宝がられた。
     この蛭は、乱切や吸角と同じ局所刺戟と潟血を兼ねたもので、場所をえらばず、どこにでも応用出来る消炎法として、各種の炎症、疔、癰、?疽、あるいは筋・関節・骨の化膿、耳下腺炎、扁桃炎、甲状腺炎、肺炎、脳膜炎などに好んで用いられた。

    潟血
     血管を切開したり穿刺して潟血することも、すでに古代のエジプト、バビロン、インド、中国で行われていた。
     バビロンでは青銅製の刺絡針があったそうだし、漢方の鍼にも披鍼というのがあって潟血に用いられた。
     欧州中世では、すべての病気は炎症によるとされ、衰弱法で防ぎうるというわけで、消炎的の潟血が大いに行われた。
     甚しくは、数日の間に30〜50回も潟血するという調子で、31年間に1309回という記録を持った婦人があったそうだ。
     わが国でも、?(ちとり)の術として古くからあった。
     古事記や書記に釣鈎の説話がある程だから、治療用に鍼の無かった筈がない。
     素問(中国の古医書)に、「?石は東方より来る」とあるのはわが国のことだ、と主張している学者もある。
     しかし、おそらく鍼や灸と同じく中国から伝来したものであろう。
     けれども、真の潟血が始ったのは江戸中期、蘭学以来のこと。私どもが大学を出た頃は、まだ熱心にすすめる学者もあり、かなり広い範囲に応用されていたが、今では極く限られた僅かの適応だけしか行われなくなった。

    潟血量
     ケルズスの如きは、「失神するまでとれ」といっているし、最少有効量は150ccだともいわれているが、もとより、その人の体格、体力、栄養状態、病状によることで、30〜50〜100ccのこともあれば、500〜1000ccとってもよい場合もあった。
     適量のばあい、潟血の直後、全身が軽くなり、いかにも爽快に感じられ、活気づき、食欲が出、快く眠れるようになる。
     しかし量がすぎると、失神したりショックをおこすことがあり、衰弱感、倦怠感、違和感、めまいなどがあらわれる。
     したがって適応や潟血量には十分慎重でなければならぬ。古方では実証のもの、いわゆる邪気の実したもの、つまり、美食の飽食や運動不足で、はち切れんばかりよくふとり、外見上にはいかにも健康そうだが、その実、内には?血がいっぱい。
     そういうものには、潟血して血を浄めることが、保健上にも治療上にも、何より大切だとされ、高血圧、動脉硬化、糖尿病、通風、リウマチ、結石症、喘息、肺気腫、脳出血、外傷その他の出血、妊娠、産褥の合併症予防、更年期障碍、肺炎その他急性感染、癲癇、ヒステリーなどと、ひろく応用され、健康法としても賞用された。
     ただし、反対の、いわゆる虚証のもの、精気に乏しい、虚弱者、衰弱者には、うっかりやってはならない。戦時中のことだが、外傷をうけた友人を救うため血液を提供し、まもなく、肺結核になった中学生があった。

    強健法
     古の武士は、臂力を強くし疲労を防ぐために、潟血した。紀国の和佐氏は、「通矢(とおしや)といふものを射んとせん人の手を刺して、たちまち、健に射了る」と、その道の書に記しているし、楠正成の楠氏軍法には、「征前に手足より?る」とある。
     牛馬鳥魚でも、時々、血をとらぬと病気する、という。
    「土生玄碩曰く、馬、時に刺絡せざれば、則ち病む。けだし、その多血を以てなり」(師談録)。
    「牛馬の療治に、針刺して血を出すこと甚多し、即効あることにて、刺さざれば忽ち死するなり」(山脇東門)。
     これは、ともに?血ゆえであろう。人間はいうまでもない。動物でも、自然界の正しい自然の生活をやっているものには、あり得ないことであろうが、人間に飼養されると、鳥獣魚類も、不自然な飼料をあたえられ、運動不十分となる結果、血液の変調をおこして来るに相違あるまいからだ。
     中神琴渓は、「乱世には兵刄に触れ、屡々出血するを以て、疾患尠(すくな)く、昇平の世には、出血なきに依り、雑病多し」といっているが、これまた、ただ出血だけによるものではなく、戦時中の食糧難、したがって粗食雑食の少食に甘んずるの結果、かえって栄養のバランスがとれやすく、また、からだを動かす機会も多いこと。
     ために血液状態が、より正常化されているためであろう。
     フーフエランドはもう百年も前に、潟血について、「以前は乱用され、生命および健康に有害であったが、今日では、廃止が、また不利の結果をもたらしている」といい、ドイツのアシユネルは50年前に「栄養過剰、運動不足し、血液濃縮の傾向の著しい時代には、潟血は保健上極めて必要なことだ」と警告し、その体質療法の第一に潟血をあげているが、それは、そのまま、今のわが国にあてはめることが出来よう。
     いや、今日こそ、さらにその度は甚しい、といってもよいであろう。
     折から、輸血用の血液の不足に悩んでいる時だ。元気のよい人は、時々、たとえば、古人の推賞している通り、春秋2回くらい潟血し、自らの健康をまもるとともに、献血、あるいは預血しておくのはどうだろう。これこそ、まさに一石二鳥の妙案というものではなかろうか。


2-5. 冷やすのと温めるのと

     冷やすのと温めるのとは、まるで正反対の処置なので、その応用も、全然ちがうもののように、ふつう考えられる。そして、初めの医者は「冷やせ」といったのに、次の医者は「温めよ」というと、患者も家人も、全く戸惑いしてしまうのも、もっとものことだし、それで、もし変ったことでもおこると、反対の指示をしたものはひどく恨まれる、といったことにもなりかねない。

     ごく大雑把にいって、症状がはげしいときは冷やし、軽いものは温める、というのが原則だ。たとえばどこかに炎症があるばあい、腫れや痛みがきつければ冷やし、さほどでもなければ温める。
     冷やすと、その部の血行をゆるめて腫れをおさえるので、炎症が幾分やわらげられ、痛みも楽になる。
     温めると、その部の血行をすすめ、腫れの吸収をすすめるので、軽い炎症はそれだけで散って消えてしまうからだ。

     虫垂炎(俗にいう盲腸炎)でも同様、炎症が強ければ冷やす。軽いものや慢性のものは温める。胆石の疝痛は胆嚢の痙攣のためだが、はげしい痛は冷やすと気持がよい。冷やすことで胆嚢の興奮性がおさえられ、痙攣が鎮められる。軽い痛は、多くの場合、温めるとぐあいがよい。反射的に胆嚢の興奮性がやわらげられるからだ。
     胃潰瘍や胃炎の痛も、同様。痙攣によるものだが、比較的軽いので、温めることが好まれる。なお、温めることで胃の血行をよくし、潰瘍の治りを促がすというので、以前は、懐炉や蒸しタオル・コンニャクなどで、火傷するくらい温めたものだ。
     もちろん出血があれば冷やす。心臓の痛、狭心症や心筋梗塞など、きついものはまず冷やすのがふつう。胸くるしいとか軽い動悸といった程度のものにはぬる湯の湿布が快いようだ。といった調子で、多くの場合、この原則があてはまる。

     しかし、からだの反応というものは、体質、病状、その他の条件で、それぞれみなちがっているので、いつもこの原則通りにゆくとは限らない。軽い虫垂炎は、1週間もたつと、ふつう、冷やすのはやめて温めるのだが、氷嚢を懐炉にかえたその日から、また症状が強くなり(熱が出、痛もひどくなるなど)、あわててまた冷やし、やっとおさまる、といったこともある。

     また、熱が出て頭が痛むとき、大抵は氷嚢氷枕で気持がよいのだが、時には、反対に温めるほうが凌ぎよいばあいもある。終戦の翌年のこと、私は発疹チフスらしい熱病にかかった。脳症をおこし、半ば夢うつつの状態だったが、頭痛にはかなり悩まされた。この痛は氷嚢氷枕では少しもよくならなかったが、熱湯を入れた枕にし、湯に浸した手拭を頭にのせて、はじめてやっと我慢できるようになった。

     だから、冷やすのがよいか、温めるのがよいかは、そうやかましく考えないで、ためしてみて気持のよい方にすればよいわけで、ふつう冷やすところでも、冷やしてぐあいが悪く、温めてよければ、温める。逆に、ふつう温めるべきところでも、温めて気持が悪く、冷やしてよければ、冷やすという風に、その場合場合に応じて適宜にすればよい。
     なお、冷やすには、ふつう冷水、氷が用いられるが、冷えた石や金物でもよし、手でもよい。温めるにも、懐炉、湯たんぽ、温湿布のほか、炒り塩、炒り糠でもよし、太陽にやけた石や砂、屋根の瓦でもよい。いよいよ何もなければ、肌のぬくみ、手のぬくみ、息のぬくみ(嘘気熱)も応用できる。
     また、氷よりも水のほうが、懐炉や湯たんぽよりも手のぬくみとか、ぬる湯の方が気持がよいといったこともあるから、それぞれ試してみて、ぐあいのよい方をとるべきだ。


2-6. 鼻のうがい

     カゼやインフルエンザのビールスはノドやハナからはいって来る。で、外出から帰って来たらすぐウガイをせよ、といわれている。しかし、これでは口腔やノドはきれいになろうが、ハナにくっついているビールスはどうすることも出来ぬ。
     それに対して昔の人は鼻飲法といううまい方法を考えている。ぬる湯でも冷水でもよい。ハナの孔から吸いこんでは流し出す。つまり、ハナのうがいだ。


2-7. 脊柱の矯正

     医学博士 遠藤 仁郎 

     オステオパシイ、カイロプラクチク、スポンジロセラピー、ナチュロパシイ、ラジカルテクニク、などいろいろの流派がある。これらの流派に共通したところは、すべての病気の源が脊柱の異常にあり、これを矯正することで治すことができる、というにある。
     脊柱は、30数箇の椎骨がたてに重なって出来ており、その間のすき間の孔(椎間孔)から、神経、血管、リンパ管などが出入りしている。それらが正しい条件のもとにあれば、からだ中の機能は、すべて順調に行われ、健康でいられるが、何か少しでも異常が起こると、機能に変調が出て来る。
     脊柱の骨は、元来、四足獣のように、横にならび、梁(はり)として出来ていたのだが、人間は直立したため、たてに重なり合ってならぶ柱となった。そこに、まず無理が出来た。
     そして、職業や習慣上の不自然不合理な生活、年令による変化、あるいは外傷や疾病による異常などによって、椎骨の位置に狂い(亜脱臼)があらわれる。
     椎骨が亜脱臼を起こすと、椎間孔をせばめて神経、血管、リンパ管などを圧迫する。
     神経の組織は、構造がきわめて繊細であり、機能はきわめて精徴なので、僅かの圧迫でも、その機能がおかされる。
     ところで、諸臓器の正しい機能は、それを支配している神経のはたらきの正常であることが前提だから、こうした椎骨の異常による神経の変調は、必然的に支配下の臓器の機能に影響する。
     また逆に、ある臓器に病変があれば、直ちに、一定の椎骨に変化(亜脱臼)をおこす。
     こうして、「疾病あるところ亜脱臼なきことなく、亜脱臼あるところ疾病なきことなし」(もちろん、すべての疾患が脊柱の異常に原理するとはいわないが、大多数、90〜95%の原因はここにある)というのが、これらの流派の根本原理になっている。
     そして、亜脱臼には、後弯、前弯、側弯、前転、後転、左右転、下転、前下転、後下転、左右下転などがあり、その症候としては、

      椎骨列が不整になる
       筋・靱(じん)帯が収縮し、肥厚する
       運動が制限される
       疼痛があり、圧えて痛む
       などのことがある。そこで、これらの異常を矯正し、神経、したがって諸臓器の機能を整復すれば、病気も治る。しかも、その矯正は次のような手技で容易にやれる。すなわち、
      1、  睡眠中の筋・靱帯の弛緩。自然に生ずるほどの軽度のものは、これで矯正される。
      2、  脊骨を動かす運動
      3、  矯正手技
      (イ)  転位した椎骨に手をあて、その転位の状により、一定の方向に、適当の衝撃(圧迫、震動など)をあたえる。
      (ロ)  緊張した筋や靱帯に衝撃をあたえて、これが緩和をはかる。灸、温罨法でもよい。
     というのである。
     確かに、何か外傷によって、急に生じた亜脱臼のばあいには、この矯正手技によって、まさに、奇績的ともいうべき効果をしめす。しかし、あらゆる病気が、あるいは多くの病気が、はたして、こういう脊柱の変化だけで生ずるとか、また、多くの病気で脊柱に変化を生ずるということ。
     つまり、脊柱の異常に、そうした病因的の意義があるかどうか。そしてまた、そうした矯正手技だけで、多くの病気を治すことができるかどうか。すこぶる疑なき能わず、ではある。

     もっとも、その症候、また、矯正手技の点からも明かであるように いわれているところの変化には、脊椎骨の転位そのものも、もちろん、あろうが、多くは、むしろ、骨膜や筋・靱帯の興奮異常であり、治療法そのものも、この興奮異常の緩和にあるように感じられる。灸や温罨法によっても同一の効果をあげるといわれている点など、殊に、それを暗示するもののようだ。

     さて、そうした筋・靱帯の収縮、つまり「コリ」をもみやわらげたり、灸や温罨法でときほごす処置は、いずれも無難なものだから、どんな場合に応用しても差支あるまいが、強い衝撃をあたえて脱臼を整復する、本来の矯正手技となると、よほど適応に慎重でなければならない。適応をあやまると、とんでもない事故のもとになりかねないからだ。現に、脊椎カリエスによる脊椎の変形を亜脱臼とまちがえて施術し、脆くなった骨をつぶしてしまい、下半身の麻痺をおこした、などという事例もある。むやみに素人治療をやってはならない。

     なお、無難なだけでなく、脊椎骨の病変の予防にも役立うというものは脊柱の運動だろう。頚や躯幹の、あらゆる方向への運動――前後への屈伸、左右へ傾けたり、回転する。また、それらを組み合わせた回旋運動など。健康な動物や子供の脊柱は、まことにしなやかだ。しかし、われわれの日常生活では、脊柱はとかく運動不足に陥りがちで、それを取り巻く筋や靱帯はかたくなり気味だ。

     また、相当の年配になると脊椎骨の病気も少なくない。年のせいもあろうが、日常生活における悪い習慣、姿勢の不自然なことや、脊柱の運動の不足のためでもあろう。アクロバットとは行かなくとも、バレーや体操選手のしなやかさをみてもわかるように、要は練習だ。
     脊柱の運動を励行することで、内臓病変に良効が期待できるかどうかはともかくとしても、脊柱の病変の予防、あるいは早期発見には、少なくとも役立つだろう。
     この脊柱の矯正法は、すでに3000年もまえ、エジプトでも行われ、ギリシア時代にも盛んだった。
     インジアン、ゲルマン、ボヘミア、スカンジナビアにもあり、また、武道の脊療法、背活方、灸法のいわゆる「毒背につく」ということなどともにその規を一にするものと思われる。


2-8. 踏み療治

     毎年、夏になると、母は足がだるくて、ほてる、といって、うつ伏せになり、子供たちに、足の裏を踏ませていた。
     千金方に、

      「人、有事無事を問ふ無く、
       恒(つね)に、須(すべから)く、
       日別一度、人をして、
       背および四肢、頚、項(うなじ)を踏ましむ。」

     とあるのが、それだろう。
     つまり、事あるなしにかかわらず、1日1回、背中や手足、頚などを踏ませろ。
     というのだ。足力(そくりき)といって、手と足とともに使う按摩もあるそうだが、大の男の強い足で踏まれては、とても、たまるまいから、おそらくは、子供や女の子に踏ませたのだろう。
     プルターク英雄伝には、(あしのおやゆび)に病気を治す霊力のある王が、ギリシアにあったと記されているが、そういう人に踏んでもらえば、なおききめがあろう。


2-9. 長寿村アブハジアの食生活

     ソビエト連邦内のアブハジア地方のタミシユ村は、百歳以上の長寿者が多いことで有名であるが、New York Hunter College の文化人類学のS.Benet(New York Times.Dec.26,1971.)教授は、ソ連邦の科学アカデミーの招待でこの地を訪れ、80歳から119歳の老人について、その生活習慣を調査した。
     これらの老人達は、灰色の髪と顔面のしわで、通常老人らしくはみえるが、いずれも立派な口髭を貯え、70歳以上にはとてもみえない。
     大多数の人が十分な視力と自分の歯を保持しており、40%以上の者は聴力も衰えていない。
     アブハジアの首都スフミの老人病研究所のDr.Sichinavaが1960年に行なった調査では、百歳以上の123人中、9年間に精神病や癌の患者の発生は全く報告されていない。
     彼らは肥満を嫌い、誰もが肥満を病気と考えている。
     その一つの理由は肥満だと騎乗が困難になるからである。
     アブハジアの人々は、貧富に関係なく誰もが生涯を通じて、決まった食生活をしている。
     ほとんどが農夫だが、カロリー摂取量は、産業労働者より約23%低く、一方ビタミンC摂取量は2倍である。
     面白いことに食事には数時間を費す。
     食物はなまぬるく、少量ずつ指でとり長い時間かけて噛む。
     肉は週に一度か二度しかとらず魚は食べない。
     主食はAbistaで、これは塩なしで煮たコーンミールマッシュで、パンに代わるものである。
     同時に羊乳性のチーズと、コップ2杯のバターミルクを必ずとる。
     卵は頻繁には食べない。ぶどう、ざくろなどの新鮮な果物、新鮮な野菜、各種のピクルス、豆類もよく食べる。
     ピッパーも使うが、特ににんにくの消費量が多い。
     砂糖は全くとらず、甘味として蜂蜜を用いる。ソ連の医学者は、彼らのバターミルクやピクルスやワインなどが細菌を抑制し、不飽和性の油脂や野菜の消費量の多いことが、動脈硬化の予防や聴力保持に役立っているのではないかと考えている。

    (臨床栄養 第40巻第3号 昭和47年3月より)


2-10. 鼻水に鼻飲法

     カゼのひきがけに鼻水が出る。
     カゼは本当にひきこんでしまうと、どうでも1週間はかかるものだが、この鼻水だけの早い時期だと、割と簡単になおる。
     この頃のカゼ薬に抗ヒスタミン剤が配合されているものが多いのも、そのためのようだ。が、私は、ともかく、まず鼻飲(鼻のうがい)をやってみる。

     水を、鼻から、のどにとどくくらいに勢いよく、吸いこんでは流し出す。少々は口にも出る。これを15〜20回もくりかえすと、たいてい鼻水はとまり、いかにもすがすがしい気持になるものだ。


2-11. 医者の子

     医者の寿命は、一般の人たちと少しもちがわぬそうだ。また、医者の子どもにはからだの弱いものが少なくない。これは、いわゆる医者の不養生の結果で、養生をまもらぬか、まもっても、それがまちがっているか、だろう。医者の子は病で死なず薬で死ぬ、ともいう。よわいからとて、正しい健康法をまもらせようとはせず、ただ、薬だけにたより、病気すれば、なおさら薬・薬・薬と、薬づけにし、お手のものだけに、きつい薬もつかわれよう。そうして、薬なしにはすまぬからだにし、ついには薬で命をとられてしまう、ことにもなるというのだろう。今では、これは、素人の薬マニアにも、そっくりあてはまりそうだ。


2-12. やけどの妙薬

    川越市 M.I. 

     10月号にアイについて書かれてますが、アイは「やけど」の妙薬です。私の子供の頃、近くに紺屋があって、土の中に大きい丸いカメをうめて、そんなものが10ヶ位あって、その中にアイ汁がいっぱい入ってました。白木綿を紺に染めてもらう時なぞ、もって行ったものです。ある日、末弟が足に大やけどをした時すぐ紺屋へつれていって、アイ汁の中へ足をつけて、そんなことを2〜3日か数日かつづけてすっかり元通りきれいになりました。やけどというと、紺屋へとんでいってアイ汁の中に浸したものです。こんなことを書いていると、紺のかおりがただよってくるような感じがいたします。


2-13. 膿とり

     医学博士 遠藤 仁郎 

     皮膚に傷をつけ、膿をとることは、悪血(血の濁り)が万病のもとと考えられた旧方では、悪液をのぞく有力な療法として、古くから行われた(打膿法、呼膿法)。
     灸瘡の膿とりもその一つ(打膿灸)。
     打膿灸というのは、ただ灸を焼くだけでなく、そのヤケド(灸瘡)に打膿膏をはって膿をとるもの。

    「灸瘡発せざれば、その病癒えがたし」
    (養生訓)とか、
    「凡そ、灸後の灸傷漬(つ)ゆれば、病すなはち癒ゆ。
     若し、潰へざれば、その病癒えず」
    (資生経)
     などともあって、灸瘡ができ、それがつぶれて膿が出るのがよい。
     そうしてはじめて本当に灸の効も期待できる。
     というわけは、灸の適応する状態が、いわゆる「実証」、つまり毒気のさかんな、血の濁りのはなはだしい場合なのだが、この毒気、血の濁りをとりのぞくには、ただ、灸をするだけでなく、むしろ、灸瘡から分泌物をとることの方がより有効だ。そしてその目的のためには、ヤケドからしっかり膿をとるべきだ、というのだ。

     これについて、面白い経験がある。
     高血圧が持病だった母が、ながい間、全身の?痒症に悩み、困りはてて、私のところ(当時京都の大学につとめていた)へやって来た。
     現代医学を勉強している面子(メンツ)にかけてもと、あれこれ知恵をしぼってやってみた。
     しかし、どれも一時的の効果にすぎず、一向によくならぬ。
     いささかもて余していたある日、母は知人に誘われて、こっそり、京都郊外小栗栖(オグルス)の弘法灸へ出かけた。
     ここの灸は大きいので有名で、一銭銅貨大(今の十円貨よりも一まわり大きい)のを二つすえてもらってきた。
     そして、毎日、膿とり膏をはりかえ、はりかえしていたが、なんと、血圧はしだいに下り、肩のコリも軽くなる。さらに驚いたことには、さしもの痒みがすっかりとれてしまった。
     「血圧が高いのに、無茶な」と、けなしつけていた手前、この敗北ほど、面目なさをしみじみ感じさせられたことはない。
     その他膿とりには、切傷、刺傷、発泡膏による瘡などにも応用されている。
     また串絲法といって、傷の中に異物――馬の毛、絹や羊毛絲の紐、麻布、麦わら、豆(エンドウや大豆)など――をはさんで、傷の治りを妨げ、膿をとるという方法も行われた。
     これについて、平野重誠の一夕医話に、
    「我邦二百余年前の古写本に便毒の膿を誘ふに、
     三稜鍼を以て深く刺したる後、
     細き竹の劉の長さ二分ばかりに切りたるを、鍼口へ挟み、
       膏を以て之を覆ふて膿を呼ぶことを記したりしは、
     大豆呼膿法と暗号せしものなり。」
     という記事がある。
     第一次大戦の当時にも、抵抗力をつよめるため、自ら傷をつくって、化膿させた兵士もいたという。
     ずいぶん野蛮なことではあるが、たしかに有力な浄血、刺戟療法であり、美贅食を飽食し、運動の不足している、したがって、血の濁りのはなはだしい現代人にとっては必要なものに相違なかろう。
     そして、最新医学の治療にも反応しない、多くの難治病には、ぜひ試みてみるべきものではないかという気がしてならない。
     少なくとも、ほんのわずかな怪我にも、薬よ医者よと大さわぎしている、今時のゆき方は、まったくどうかと思う。


2-14. 断食

     医学博士 遠藤 仁郎 

     断食の経験も、知識も、私にはない。
     その効果について、宗教家は「浄化」といい、自然療法家は「脱渣」といっているが、食摂取を止めることにより、諸臓器(消化、血行、代謝、排泄をはじめ、すべての臓器)の負担がかるくなること。

    酸性代謝――
     絶食中は、すべての動物が肉食動物(クロード・ベルナール)−による非特異性の刺戟のため、諸機能ことに排泄機能がたかめられること。
     免疫体の産生が刺戟され、酵素作用もたかめられて、抵抗力が強められることなど、すべての体機能がさかんになる、といわれる。
     ところで、こうした効果をあげるためには、少なくとも1週間。たいていは10日〜2週間の断食が必要なので、本人には、これをやりぬく強固な覚悟と忍耐力が必要であり、指導者には、豊富な知識と経験をもって、適応の選択や、実施期間にたいする正しい認識がなければならぬ。
     適応としては、一般的にいって古方のいわゆる実証。
     すなわち、栄養状態よく、食欲は旺盛。とかく過食ことに美贅食の過食にかたむき、しかも、運動不足がちなもの。
     つまり、肥満症、高血圧、動脉硬化、糖尿病、結石症(胆石や腎石)、痛風など、代謝異常(血のにごり)が根本の原因とかんがえられる病気で、体力充実している人のばあいがもっとも適応とされている。
     これに反し、栄養不良、無力質、虚弱質、胃腸のアトニーや下垂、神経質なもの、などには、よほど慎重でなければならぬ。
     要するに、正しい指導のもとに、正しい適応症に実施すれば、すばらしい効果も期待されるのであろうが、ともかく、どんな病気も過食からだ、と無差別に断食を強行すべきではない。
     また、断食後の復食もなかなかむつかしい。はなはだしい飢餓状態のものが、急に普通食をとると、たちまち胃腸をこわし、中には急死することもあることは、よく知られている。
     釈迦が菩提樹下に断食苦行の後、二商人の供えた酪蜜を食べたが、「世尊食(じき)後、往昔(じゃく)の業(ごう)力にて、忽然、腹を患(うれ)へて、消化(け)せず」で、たちまち下痢してしまった、とある。
     今次大戦で、ヒリッピンやビルマのジャングルに逃げこんだ兵隊が、終戦後、収容所でむさぼり食って、多数の死者を出したことも、まだ記憶に新しい。
     断食のばあいも同様。初めには、果汁、野菜汁やおも湯、次いで粥、しだいに飯にする、という風に、漸次にならし、1〜2週間で正常食にもどすので、これが厳重にまもられないと、かえって害があることもある。
     また、普通食になってからでも、食欲にまかせて暴飲暴食すれば、ながい間の苦労も水の泡。
     むだになってしまう。そこで、むしろ、日曜断食といった、1週に1度か10日に1度の絶食のほうが実行しやすくもあり、無難でもあろう。
     むかしから健康法としてすすめられてもいるし、一般に過食によって健康を害している当今のこと、こういう短期の絶食でも、たしかによいにちがいない。


2-15. 長生きのコツ

     D.Cebotarev教授によると、ソ連には、現在、100才以上の老人が21000人以上おり、そのうち、女性が約16000人。
     このような長寿の理由の一つとして遺伝の問題があるが、もう一つの要因は絶えず肉体を活動させること。
     グルジヤ、アゼルバイジャン、およびウクライナには長寿のものが多いが、これらの地方の住民は、農業などの重労働を生涯つづけている。
     最高齢記録165才を樹立したChirali Mislimovさんは、最後の日まで畑仕事を続けていた。
     長く生きるコツはなんといっても、長期間創造的な生活を送ること、働き続けることだ。

    (メジカル、トリビューン 昭49・2・28日号より)


2-16. 青汁飲んで八十八

    小諸市 S.O. 

     今年1月7日を以て、私は満88才を迎えるに至った。
     日本の男子平均寿命が70才とすれば、既に18年も生延びたことになるのであるが、自分は、それ程の高齢者とも感ぜられない。
     然し、考えて見れば、私の小学校同級生中、現存者は80名中わづか2、3名に過ぎなくなり、又、師範の同級卒業生も、106名中、生存者は10名内外となってしまった。
     斯くの如く、同級同年輩の諸兄に比し、私が比較的に長寿を保ち得られたことは,或は、環境状況に恵まれおった事や,日常の生活条件が保健に適合しておった事などにも因ることだろうが、その第一の原因とも見るべき事は、何と申しても青汁を熱心に飲用して来たお蔭である事を思わずには得られないのである。
     回顧すれば、13年前、即ち私が齢75才の春、偶々、風邪に犯されるや、それが慢性化し、容易に快癒せず、困って医師の診察を受けた処、それが老化現象から来る高血圧症と診断されたのであった。
     そして、医師は、血圧が少し高いが心配する程の事はないと慰めてくれたので、すっかり安心し、兎角治療も怠り勝ちになった天罰が、終に、私の病気を長引かしめるに至ったのであった。
     ここに於てか、私は始めて自分の老齢を覚ると共に、後悔やらあせりやら、いらだちなどで心を痛め悩むに至り、そのあげくには、終に、ウツ病かノイローゼか、その上不眠症も加わり、心身ともに衰弱し、容易に快癒の望みも乏しくなって来たのであった。

     斯かる際、幸にも一縷の光明を私に与えてくれたのが、日本経済新聞紙上に於ける大阪某銀行支店長たる飯村氏の闘病体験記であった。
     飯村氏は、青汁飲用により多年の高血圧を克服全治し得た事、並に遠藤青汁会を紹介してくれたのである。
     私は早速その青汁会に入会し、遠藤先生の御指導の下に熱心に青汁を飲んだ処、約一ヶ年にして完全に元の健康体に戻ることが出来たのであった。
     一時は生命の絶望をも覚悟せねばならぬ程の私も、再び蘇生の望みを得た事、恰かも、神の加護にあづかった思いで、衷心感謝感激に咽んだのであった。

     爾来、13年の今日まで、私は専心青汁を飲み続けて来たのであるが、其間、再発もなく完全に健康復帰が出来たのである。
     更に又、わが家の家内も、かねてより心臓疾患や高血圧症で、長らく医師の診療を受けておったが、はかばかしくなく、困って私が青汁を飲用するに及び、私は毎日約3合程青汁を作り、その半分程を家内にも飲用せしめて来た処、矢張りその効果は覿面、いつの間にやら病気は快癒し、今年2月を以て満84才を迎えるに至ったのである。

     斯くの如くにして、吾等夫婦は青汁飲用によって健康長寿を勝ち得たのであるが、青汁飲用につき医療上の効果を早くより説勧めて来られたる遠藤先生の御功績に対しては、衷心感謝せざるを得ない次第である。
     終りにのぞみ、私は青汁飲用から種々の教訓を思出されるのである。
     例えば、無病短命、一病長寿の諺の真実なる事や、禍も転じて幸福となるの教訓の如き、或は又、医師の存する処には必ず途ありの名言の如き等である。
     私は是等の青汁飲用から得た幾多の教訓を活かし、残る余生を生き抜き天寿を全うせん事を念願してやまない次第である。


2-17. 水疱の効用

     医学博士 遠藤 仁郎 

     水疱をつくって病気の治りをよくしようということも行われた(発疱法)。
     なかでも強力なのはカンタリス膏。ほかに、キンポウゲ・センニンソウの汁による発疱など。
     いずれも、皮膚の直接刺戟による誘導効果と、破壊される組織からの分解産物(組織ホルモン)によって、局所的には、血行がよくなり、炎症をやわらげ、痛を鎮め、滲出物の吸収をうながす。
     また、全身的には、一般機能をたかめ、抵抗力をまし、神経の興奮性を調整するといった作用があり、思いがけぬ効果をしめすことがある。

    カンタリス 漢名斑猫。
     ミチオシエという昆虫をすりつぶしてつくった膏薬(発疱膏)をはりつけると、やがてヒリヒリ痛みだし、水疱ができる。西欧の旧方では、リウマチ、神経痛、神経マヒ、歯痛、胆のう炎や胆石の痛、肋膜炎の痛や?出液の吸収をすすめるなどのほか、眼や耳の難治症(緑内障、虹彩炎、中耳炎、耳鳴、難聴など)にも驚異的効果がいわれていた。

    キンポウゲ
     黄色い、光沢のある五弁花がさき、金米糖のような実のできる(で金米糖花ともいう)、よく知られた毒草。
     食べると、胃がただれて血を吐く、というやつ。この汁を塗る。貝原益軒先生の大和本草「毛莨」(キンポウゲ)の項に、

      「医学六要に曰く、山人瘧(オコリ=マラリア)を截(き)るに采して、寸口(手の脉どころ)に貼ること一夜、泡を作して火燎(火でやく)の如し」
      「葉及び子、気味辛温、毒あり、服食するに堪へず。ただ用ひて瘧に捷つ。此の瘧をきる法、今、本邦民俗にもしる者あり、草おとしていふ」

     と出ている。

    センニンソウ(仙人草)
     よく見かける蔓草。秋、白い花がつく。
    別名 ウシノハコボシ。
     牛が食べると、口があれて、歯がこぼれるというのだ。
     この汁でもよい。痛いこと、いやなことを我慢するのは、はやらぬ当世、わざわざこういう野蛮なことをやろうという物好きなご人もあるまいが、
     リウマチ、神経痛その他、慢性の難治病で、現代医学の最新治療でも、どうにもならぬといったもの(それがまた存外と少なくないんだが)には、一応、試してみてもよいのではなかろうか。


2-18. 緑葉巴布

     医学博士 遠藤 仁郎 

     巴布といえば、今ではいろいろ便利なものができていて、それを布にのばして貼るようになっているが、いぜん用いていた材料のうちにも、なかなか捨てがたいものもある。

    鉱物性の材料
     粘土(陶土)のほか、各種の泥――池・沼の泥、温泉泥(湯の花)など。
     水または湯でねり、そのまま、あるいは他の材料とまぜて使用する。

    動物性のもの  肉類(獣鳥魚介)すべて利用できる。適宜の厚さに切り、あるいはすりつぶして、そのまま、または、他の材料とまぜて。きたないものでは、家畜や人間の糞をつかうところもある。黄金巴布というところか。

    植物性のもの
     米飯、小麦粉、ソバ粉、糠、酒のかす、豆腐、ミソ。山芋、サツマイモ、ジャガイモ。里芋(煮たもの、生はかぶれやすい)。大根、カブ、ユリ。南瓜、瓜、ナス、果物、葉菜類など、すべて利用できる。温巴布には煮、または蒸して。冷巴布には、水にねり、またはすりつぶして、そのままか適宜他の材料とねり合わして。また、大根葉、カラシナ、生姜、ネギ、玉ネギ、ニンニク、カラシ、トウガラシなどを加えたり、塩、醤油、酢、あるいは油または含脂子実(亜麻仁、ケシの子、ゴマ、南京豆)をすりこむのもよい。
     これらの巴布は、それぞれの特効がいわれているが、肉類や野菜、果物の巴布には「生」の力の利用という意味もあろう。
     昔からよく知られている山芋巴布については、大和本草に次のような記事がある。

    「腫れて硬き瘡に、生にてすりくだきて付くれば消散す、と丹渓云へり。今試むるに效あり。婦人乳腫痛忍ぶべからざるに、生なる薯蕷を研りくだき付るに、甚験あり。痛を忍ぶべし。」
     しかし、私は緑葉のおどろくべき効果から、緑葉巴布がもっとも有効ではないかと思うが、これについても、実は、すでに先人の記載がある。
     小泉栄次郎氏著和漢薬考に、「牛蒡葉塩巴布」としてこう出ている。
    「先人、梧陰襖記と言へる古書に、島原候の侍臣、佐久間文次と云ふ人ありて、其僕某が、不図、手指を腫しけるが、何事やあらんと、其儘放棄て置きけるに、次第に腫脹は腕に及び、且つ疼痛甚し。
     佐久間氏も大に驚きて、直に藩医に治を乞はしめたり。藩医の診断は、脱疽ならんとの事にて、治法を施したれども更に効力見えず。
     此僕、その後、偶々主命を帯びて某家に到りけるに、同家の老婆、僕の手指腫れたるを観て同情し、且つ曰く、生牛蒡葉と食塩を混ぜて、すり、米糊を和して、局部に貼ずれば不日に癒ゆべしと。
     僕大に歓び、帰邸するや直に牛蒡を購め、老婆の言の如く試みしに、疼痛漸く去り、腫も減じ、三日にして全癒したりと。
    (城西隠士顕秘録)」
     事実、緑葉巴布は、傷の痛みや腫れだけでなく、火傷や湯傷にもよいし、丹毒や水虫、その他の皮膚病に試みてよいし、一般巴布に用いて良効をみる。
     材料には、無刺戟性、無毒性であれば、野菜その他の栽培物の葉でも、野草、木の葉でもよい。使用にあたり、油をまぜると、より効果的のようだ。
     なお古書に、蛇咬その他に、「汁を飲みカスをつける」とあるように、すりつぶした葉の汁は青汁として飲み、しぼりかすを巴布とすれば、なおよいであろう。


2-19. シャクリ

     医学博士 遠藤 仁郎 

     シャクリがしつこく出るとき、拇指と人指し指とで、ノド笛の両端の上の部を、うしろうえの方へおしつけ、1〜2分間つづけていると、うまく止まることがある。


2-20. カブレの効用

     医学博士 遠藤 仁郎 

     虫にさされたり、ウルシにさわってかぶれるなど、まことに嫌なものだが、これにもそれなりの効用がある。
     西洋の民間でも、蟻を縫いこんだ帯(蟻帯)をしめてかましたり、蟻を袋に入れて、つぶし、風呂に入れたり、皮膚に塗りつけてかぶれさす、というのがあったし、わざわざ蜜蜂に刺さすというのもある。
     リウマチなどには、特によいらしく、蜂の毒からは注射薬もできている。
     今では、もう殆んどやる人もなく、若いドクターの中には知っている人痙もないかも知れないが、以前は、肺炎にカラシの湿布(幼児ではカラシ浴)をよくやった。
     カラシにかぶれてまっ赤になるわけだが、危いと思はれた病人が、それで救われることも少なくなかった。
     イラクサも好んでつかわれたようだ。もう200年ちかく前のフーフェランド誌という雑誌に、

      「イラクサ療法は、古くは非常に推賞されていたが、今では忘れられてしまった。極めてすぐれた療法で、リウマチや麻痺にたいして、ほかのどんな療法にもまさっている」

     とあり、猩紅熱が内攻して急変した患者に、施したところ、初めは全然反応しないほどの重態であったが、熱心につづけているうち、再び発疹があらわれ、ついに治癒した、という報告が出ている。
     また、水戸烈公の食薬には、

      「乾血(婦人の病気らしいが未詳)にて腹痛し、如何様療治しても、治し兼ねるに、漆または櫨の芽をヒタシモノにして食するときは、惣(そう)身かせてふきものするをよしとす。治し兼ぬるには、度々用ゆる時は毒発して腹痛やむなり。」

     とあるが、これは、漆かぶれの効用というわけだ。これらは、いずれも、古くから民間に伝えられている療法だが、その効果については、強力な誘導作用によって、局所的には鎮痛・鎮痙的にはたらき、全身的には、一般的活力をたかめ、免疫体の産生をうながし、抵抗力をつよくするのだと説明されている。


2-21. 歩いてやせるには

     やせるために、毎日歩くことを1年以上つづけた11名の婦人について観察したGwinup氏によると、歩行だけでやせるためには、少なくとも、毎日30分以上あるかなければならない。
     体重の減少は歩行時間に並行し、歩行時間を一定にすると、体重は下ったレベルにとまっている。
     そして、歩行時間をふやすと、体重はまたへる。なお、はじめ34(女29、男5)名が参加したが、多くの人は、それだけの時間が取れないので脱落、ついに11名になってしまった(A.Jnt.Med.135:676,1975)。という。
     どうやら、運動だけでやせようというのは、なかなかむつかしいとみえる。


2-22. 主治医に気兼ね

     病気している人に青汁をすすめて、よく耳にすることは、本人なり家族なりが、その実行を、主治医にたいしてひどく気兼ねしていることだ。青汁をよく理解している主治医のばあいは、むろん、問題はない。が、理解しようとしないか、テンから毛嫌いしているドクターにかかっては、全く始末がわるい。
     それを敢てやって(どうしてもコッソリになる)、もしもバレると後がこわい、というわけだ。それも、わからぬではない。
     けれども、これは、少々おかしいのでないか。主治医は、なるほど、病人にたいして全責任をもってくれてはいるのだろう。
     しかし、病気しているのは、そして、一生懸命なおろうと努力しているのは、その本人だ。そして、手当てについての全権は当の本人にある筈だ。
     この本人が、そして家人が望んでいるのに、主治医に気兼ねせねばならぬとはどういうことか。それも、医学が万能なら知らず、決してそうとはいえない現在。
     その医学がもてあましているような病気のばあい、もし、ほかによいという方法があれば、本人はもとより、家人も、ためしてみたいのは人情だろう。
     また、主治医にしても、能力の限界を心得るなら、そして、少なくとも有害という確証のないかぎり、とり入れるだけの雅量はもっていて然るべきではあるまいか。
     医学は、あくまで病人のためにあるのであって、医者のためにあるのではない。
     病人を治すのがその目的であるかぎり、あらゆる可能な手をうつべき責任が医者にはある。それを、おのが好悪によってほしいままにするのは、貴い人命をもてあそぶというものではないだろうか。

    (50・9)


2-23. 虫歯と歯科医不足

     医学博士 遠藤 仁郎 

     子供の虫歯がものすごく多い。
     先日の保健所運営協議会での報告だと、3才児検診で85%にみられるという。学童では90何%、いや殆んど100%にもちかいことだろう。
     ところが、歯科医はひどく少ない。どこも予約でしか受付けず、急患など、よほどのことでなければ診てもらえない。
     予約にしても、2〜3週間はおろか、時には何週〜何ヶ月もさきでなければダメで、夏休など、まさに歯科医の門前は市(いち)をなしている、という有様。
     席上、一委員から、市民の声だとして、円滑な歯科受診の指導を要望する発言があって保健所長を困らせる一幕もあった。
     だが、もともとこの問題は、ただ歯科医や歯科衛生士をふやすだけで解決するというものではない。
     要は虫歯をへらすこと、それしかない。
     それも、不可能なことならともかく、食を中心とする日常生活の合理化・自然化で簡単に実現できることだ。
     だのに、その努力はまるで棚に上げて、虫歯が多いのに歯科医が足らんのは、当局の責任だ、といわぬばかりなのは、いま一般の世の風潮とはいえ、なんともおかしな話ではないか。

    (50・2)


2-24. 咳どめ

     咳は、ふつう、気管や気管支に痰がたまり、それが刺戟になって出る。
     つまり、痰をとり除くための自然のはたらきで、痰がとれれば、それで止む筈のものだ。
     しかし、痰がねばって取れにくいと、気持が悪いので強くせく。
     その咳がさらに刺戟になって、いっそうひどく咳く、といったことになる。
     そういう時には、痰をうすめて出やすくすれば、咳もらくになる。
     昔からよくつかわれた咳どめ薬の多くはそれだ。
     また、痰はないのに出る咳もある(から咳き)。
     これは、気管や気管支が感じやすくなっているためで、カゼの初めや、カゼの治ったあとなどに、冷たい空気や乾燥した空気、タバコの煙やその他刺戟性のガスを吸ったり、酒をのんで充血するなので、咳が出る。
     その咳が咳をよんで、とめどもなく出る。
     そして、時には、血管がやぶれて出血したり、頭部がうっ血して、メマイ、嘔吐、はては意識をなくする、といったことにもなる。
     これには、ふつうの痰とり薬は無効で、興奮している神経を鎮めるために麻薬をつかうこともある。
     しかし、程度にもよるが、気を落つけて、我慢していると、存外おさまって来るものだ。
     そのさい、マジナイとして、眼玉をおさえたり、喉仏の両側を強く圧へつけるのもよい。
     また、頚に手をおいたり、頚や胸に温湿布をするのも効果的だ。




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