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6-1. 楽天寿(天寿を楽しむ)

    元・セ・ソウルロータリークラブ会長 K.T. 

     日本の友人から、国際電話がかかって来た。日本経済新聞“あすへの話題”欄にあった無病長寿のことにつき揮毫の依頼があった。
     調べてみると、翁 久次郎先生(厚生年金基金連合会理事長)が、去る3月25日の、あすへの話題欄に無病長寿の表題にて私の手紙の概要を紹介されていた。もともと、私の長寿道揮毫の筆数は未だ円熟の境地にはほど遠いものであるが、その内容には幾多の首肯すべきものがあると自負している。
     私は、この長寿道の揮毫を、生前に万幅達成することを夙(ツト)に念願して来たが、現在迄749幅しか書いていない。
     将来、事業界の第一線を退いたあかつきには、この念願を完成することを、今から楽しみにしている。人を褒めることは生やさしいことではない。並みの人にはなかなかできないことがある。
     翁 先生が、一面識もない、しかも外国人の意見を、有力紙に紹介していただいたことについては、衷心より感謝に堪えない。健康十則はり、搗かない玄穀を常食としていたから、この両者を入れていなかったものと思われる。それゆえ、我等は、白いご飯をやめ、生水を飲み、葷菜を常食とすべきである。これらを健康十則に追加すれば、かの医聖と称されるヒポクラテス(約2300余年前)といえども反論の余地がないほどの完璧な健康の道になると、信じている。
     如何に立派な健康道があっても、それを実践しなければ何んにもならない。実践には克己心が必要なことは言うまでもあるまい。いまや、世界をあげての高血圧、心臓病、癌などの成人病の増加は、大きな社会問題となっている。人間は、無病長寿でなければ人生を有意義に全うしたとは言えないであろう。この拙稿が、翁 先生のご厚情にこたえる微衷として、おくみ取りいただければこの上もない幸せである。


6-2. 無病長寿

    翁 K.O. 

     1月28日の本欄に「寝たきり老人」と題し、
     「自戒をこめていえば、先のことは分からないにしても、生きている限り人の世話にならないよう、物心両面で自らのことは自らで始末する努力を続ける覚悟で、老後を考えることが必要であろう」
     と書いたところ、韓国のソウルにおられる金時必氏(75)からお便りがあった。私の考えに賛意を表されるとともに、「老後の問題点は孤独、健康、財政にあり、これらすべてを人の世話にならない生き方が必要である」との信念を述べられていた。
     そのために老夫婦の生活費は子供に頼らず、健康維持のための食生活については、体液を酸性にして病気にかかりやすくする酸性食品(肉類、白米、砂糖等)を避け、アルカリ性の梅干し、ひじき、わかめ、豆、いも、小魚の煮干し類を主とし、それも身近な土地にできる自然食品をとり、ビニールハウスで栽培したトマト、キュウリなどを避け、日常生活も少食を旨とし、睡眠と運動を多くすることに心がけている、という。
     その上、世界的に有名な長寿村の多いコーカサス地方に、古くから伝わる健康十則を参考として紹介された。それは次のとおりである。

    1. 少肉多菜 (肉類を少なく野菜を多く)
    2. 少塩多酢 (塩を少なく酢を多く)
    3. 少食多咀 (少しのものをよくかむ)
    4. 少糖多果 (砂糖を少なく果物を多く)
    5. 少怒多笑 (怒りを慎みよく笑う)
    6. 少衣多浴 (薄着にして体を清潔に)
    7. 少煩多眠 (心配しないでよく眠る)
    8. 少欲多施 (欲をすて思いやりを多く)
    9. 少言多行 (いわゆる不言実行)
    10. 少車多歩 (なるべく車に乗らずに歩く)

     いずれも実践したいことばかりである。私の周囲にも運動不足やアルコールのとりすぎで血圧が高くなったり、肥満体質となってその克服に苦労している人が少なくない。
     なかでも、思わぬけがや重い病気の後遺症で不自由になった身体を、少しでも元に戻すべく血のにじむ努力でリハビリテーションをしている人のことを思えば、幸い五体健全である間に、できる限り努力しなければならないと思った。お礼の返事を差し上げたところ、折り返し立派な毛筆で無病長寿の道と題する一書を送ってこられた。

      海藻山蔬豆麦梁(山蔬は野菜山菜など、麦梁はきび)
      虚心細嚼不過量(無心によくかんでゆっくり少食)
      長寿妙道君知否(長寿の妙道を知っていますか)
      生水葷菜万歩行(生水は自然の飲み水、葷菜はにんにく)
                  (厚生年金基金連合会理事長)
    (60・3・25 日本経済)


6-3. 高齢者に運動は“特効薬”

     (ワシントン)高齢者では、他の年齢層以上に運動による恩恵が大きいという。
     これは米農務省のR.Evans博士が、先ごろボストンで開かれた「栄養と加齢」に関するシンポジウムで述べたもの。
     博士の説明によると、運動は加齢に伴って起こるいろいろな障害のリスクを少なくするようだ。博士は、加齢の自然な影響の一つとして筋肉の損失を挙げており、「原因は不確かだが、65歳から70歳の人と25歳から30歳の人を比べると、明らかに高齢者のほうが筋肉は有意に少なく脂肪は多い」と述べている。中年のマラソン選手を調べたところ、年齢からくる筋肉の損失はマラソン選手であっても免れないことを示しており、運動によって筋肉の損失を完全に防ぐことはできないことがわかった。
     しかし、運動の恩恵が非常に大きいこともわかっている。現在進めている研究で、Evans博士は、座りがちな高齢者、特に婦人は機能的な能力が著しく低下しており、これは運動によって実質上増すことを見出している。
     ところで高齢者にとって、どんな運動が最適なのだろうか。Evans博士によると、センターの研究所で特に効果の上がっているものは、耐久力や強力のトレーニングである。「Nautilusマシンに似た器具を使って膝の屈伸運動を行なっているが、実質上、筋力は強くなり筋肉量は増加している」と博士は説明している。一つの運動で総合的な効果を上げようとすれば、散歩を勧めると博士はいう。散歩はタダでしかも恩恵は多い。筋肉を増し脂肪を減らすのに役立つだけでなく、腰椎の骨の損失を少なくするのにも役立つというのがその理由である。
     無制限に重いものを使用することに対しては、博士は反対している。高齢者の関節は弱くなっており危険なことがあるからだ。博士はまた、どんな運動でもゆっくりと始めるようアドバイスしている。他の方法としては「歩け運動」のようなプログラムに参加することだろう。Evans博士はマサチューセッツ州の「歩け運動」の医療主任であり、こうしたプログラムは、多くの州の加齢委員会の援助で行なわれているという。

    (Medical Tribune86.1.23)


6-4. むかし話(初期の旧稿から) わらわれている青汁先生

     医学博士 遠藤 仁郎 

     青葉だ青汁だと、雑誌にもかき、専門医会や地方の学会でもしゃべったが、医者仲間には一向に反響がない。このあたりの開業の先生は勿論、同じ病院でもほかには誰れ一人同調してくれる人はなし、病院給食にしても、厚生省の指示があるためでもあろうが、私の主張などまったく歯牙にだにかけてはもらえない。それどころか、私が大まじめなだけに、相当わらわれものになっているらしい。
     「例のまだやってられますか」
     などとからかわれるのはまだしもだ。
     先達もある所で、主治医の先生患家の人に向って曰く、
     「病院の先生がひとにわらわれるほど熱心にいってられることなんだからやんなさい。」
     今でこそ殆んどなくなったが、患者は患者ではじめから馬鹿にしてかかる。喘息で苦しんで入院して来た一女性が回診の折、
     「ナッパは食ってますよ!」
     といった態度がいやにムシにさわって短気にも(思い出しても汗顔の至りだが)すぐさま退院させてしまったこともある。
     またあるとき、農家の娘が腹膜炎で入院したが、じきに帰ってしまった。
     何でもおやじさんが、「入院はさせたが注射一つ打ってくれるではなし、草ばかり食えという。うちの娘は兎じゃない」とひどく憤慨してつれてかえったのだった。この娘は結局死んだと聞いた。
     しかし、それもまあ無理からぬことかも知れぬ。実は私のところにいる若い医員諸君でさえ、はじめはどうも納得できかねるようだ。それでもやむを得ず、毎日病人に説明させられているうち、何かしらいいような気がして来る、と述懐していたのもあるほどだ。

     こういう点では、まるっきり栄養知識のないズブの素人の方がまだましだ。少なくともすなおに受入れてくれる。それがなまじっか聞きかじって、熱量・蛋白質にこりかたまっている連中と来ては、とても始末がわるい。まして、医者ともなると全く手におえぬ。縁なき衆生と慨きたくなる。理窟はいいにきまっているんだがといいながら、実行は勿論、患者にすすめる人はめったにない。それどころか、折角その気になっている病人に大儀がらすような言辞を弄する御仁さえある。
     学会などだとみなまことにいやな顔付をするし、大学の先生などはねむってしまわれる。率直にいって、お医者さんたちにはどうもお気に召さぬものとみえる。が、それもなるほどと苦笑せずにはいられぬ話がある。
     私の郷里の村に金さんという帰化鮮人がいる。その妻君とても働きものなんだが近頃よく病気する。たびたび相談をうけ遂には入院までもしてもらったが、そのたびに、いつでも「菜っ葉を食え、青汁を飲め」だもんだから、妻君とうとう「日本の医者も朝鮮の医者も同じだ」といい出した。朝鮮でも随分草の汁(煎じ汁らしいが)をのまされたんだ相だ。この妻君、故郷なつかしさにこんなことをいったんだろうが、日本の偉い先生がたがきかれたなら、さぞかしきついお腹立ちのことだろう。ごもっとも千万とつくづく恐れ入ったしだいだ。(25・7)


6-5. むかし話(初期の旧稿から) 裏街道をゆく

     医学博士 遠藤 仁郎 

     さびれた野みち山みちをひとりトボトボとゆくのが大好きだった。
     そこには邪魔になる車もなければ人家もまばら。路ばたにひっそり咲く小さな花。かすかな虫の羽音。鳥の声。木にも草にも石ころにも、枯葉のつもる谷川のかすかなせせらぎ、苔むした岩、文字もさだかならぬ石ぶみ。その一つ一つに捨てがたい興趣はつきない。
     今でこそあるけなくなったが、いぜんは暇さえあれば、いや、わざわざサボってまでもよく出かけたものだ。その、同じくせが専門の仕事にもやはり出るとみえ、これという当てどもない古方をたづね、失われた訓えをもとめて遍歴をはじめた。
     そこには、先人の貴い多くの経験や苦心のあとがうかがわれ、また、輝かしい独創や、鋭い予見のひらめきに、おのずから襟を正すこともある。これこそ医学の裏街道というものでもあろうか。今更のように驚くことは、新しい科学の恩恵からこぼれ落ち、あるいは見放されて、ここにあつまっている人々の少なくないことだ。
     彼らは近代医学にあこがれ、たより、しかも、それに失望して、ここにさまよいつづけ、希望をつないでいる。いや、そこにはじめて光明を見出しているばかりか、しばしば驚異的な効果さえあげている。科学医学がこれほどまでに進んでいるというのに、これはまた何としたことだろう。
     現代科学のあまりにもめざましい進歩に眩惑されがちなわれわれは、とかく新しい学説にのみとらわれ、新しい高価な薬剤・機器・技術にあこがれ、ふりまわされがちだが、それはちょうど、舶来の高級車にふんぞりかえり、外国タバコをくゆらしながらハイウエイをぶっとばして、いい気になっている姿ではないだろうか。
     たしかにこの医学の表街道はすばらしい。けれどもそれは、学者のひとりよがりではないにしても、一般大衆からはあまりにも縁遠い存在にしかすぎないのではないだろうか。新薬が出たとあれば、有無をいわずとびつき、いい塩梅に実験動物にされているきらいはないか。
     薬屋は先を争って高い特許料もいとわず売り出す。そして、何年か後には、それが有害だったとわかったりする。新しい技術また同じ。しかも、それを利用しうるものはごく一部限られた人たちだけ。多くのものは、やはりトボトボと山坂をたどり渓流をかちわたっている。
     だがしかし、雑多な機器にわずらわされることもなく、まったくの素手で、あるいは、わずかな簡単な道具だけで、かえって、むつかしい現代式医療よりも、よりよい結果がえられることもある。路銀さえあれば、誰れしも今時、昔ながらのお籠で道中するものはあるまい。
     経済的の面は、保険や社会保障制度のおかげで問題にはならぬとしても、そうしたハイウエイはどこにでもついているわけではないし、そうした高級車がどこにでも備えつけられているわけでもない。また、何もかもが文明の利器にたよりすぎると、便利は便利そうだが、それだけに、“鶏を割くに牛刀を用いる”ことにもなりかねない。歩けば5分もかからぬところへ行くのに、わざわざ高級車をひき出し、広いハイウエイを遠廻りしてゆく。すごい金と時間のロスといったコッケイきわまることにならぬものでもない。
     そのうえ、つかいなれた設備がなければ、機器や薬がなければ、手も足も出ぬ片輪の医者になってしまわぬがものでもない。それにひきかえ昔ながらのトボトボ医者は、道があろうが無かろうが、いつでもどこでも行こうと思えば行けぬところはない。しかも無事故うけあい、というもの。兎と亀ではないが、スピードこそのろいが、結局は早く行きつくこともあろう。さりとて、この新しい恩恵を排斥したり捨てようというつもりは毛頭ない。ただ、この、静かなさびしい裏街道を、ゆっくり、おっちりあるくことも忘れてはなるまい、というまでだ。

    (29・1)


6-6. むかし話(初期の旧稿から) いつからでも遅くない

     医学博士 遠藤 仁郎 

     84才という元気のよいお爺さんがみえて、まだ生きられるだろうか。どういう養生法をしたらよいか――これはむしろこちらからお伺いしたいことなのだが――ときかれた。
     お爺さんの話では、商売をやっていたので若い時はずいぶん道楽をした。ご馳走も食ったし、煙草も酒もよく飲んだ。居つづけでもせんことにはよいおかげも受けられんので、夜通しやることも度々だった。
     が、50才頃になって血圧がたかいと注意され、それっきり道楽はやめ、酒も煙草もよした。食事は今でもとてもおいしいが軽く2杯。おさいは野菜ばかりで、なま物をよく食べ、肉や魚は一切やらぬ。
     頑丈なつくりで、血色よく、艶々とした顔色はとても80いくつとは見えない。
     血圧は220あまりあったが、これはもうかなりながいことだそうだ。「若い時分にゃ飲めるくらいでなけりゃあ」とお爺さんのいわれる通り。
     もともと頑健だったればこそ、この年までこの元気で生きられたのでもあろう。
     けれど、一旦故障があらわれたと気づくや、翻然としてその生活態度をあらためた強固な意志と、それをあくまで守りぬいた不断の努力こそ、その実あらしめた最大因でなければならぬ。
     大いに以て範としなければならぬことがらである。
     養生ははやく始めるにこしたことはないであろう。しかし、若いものがいやに年寄くさく振舞うのも味気ない話だ。飲めるときにはのむもよし。あそべる時には遊ぶもよかろう。
     ただ度をわきまえ、時を失うな。あやまちを知り誤りとさとったならば、躊躇なく改めさえすればよい、ということをこのお爺さんはおしえてくれる。
     お互に健康でいたい、長生きもしたいと願わぬものはなかろうが、果してそれだけの精進がなされているか。「見てもろうたお医者さんは次々に死なれた」というお爺さんの言葉はまことに痛い。
     そして84まで生きた今日も、なお新しきをもとめてやまぬ態度には、全く頭が下がるではないか。養生はいつからはじめても決しておそすぎはしない。
     今からすぐ、知った時からすぐさま実行しよう。そして、すこしでも多くこのお爺さんにあやかりたいものである。

    (25・7)


6-7. むかし話(初期の旧稿から) 九十三才翁にきく

     医学博士 遠藤 仁郎 

     K君の祖父さんはあけて93才。
     柄は小さいが見るからに頑丈なつくり。
     西南戦争に従軍したというのだからさもあろう。
     耳が少し遠いだけで至って壮健。
     数年前赤痢にかかったが軽く経過、今だに朝早くから手なれた細工物に精が出ている

    食べものについて
     「大工のことなのでよそでよばれることが多かった。おかずに好き嫌いはいえぬ。何でも食べた。どちらかといえば野菜が多かった。職人のおきてとして、棟梁よりおくれて箸をとり、はやくおかねばならぬことになっているのであるが、若い時分からゆっくり食べる癖だったので、勢い少食になった。」
     「魚はすきで今でもよく食べる。しかし一きれの魚でもいちどに食べてしまうことはなく、度々に分けて少しづつ味わう。ご飯もすぎると思えば少しだけになっていても必ず残し、決して無理には食べない。」

    また村人の食べ方について
     「この村は水田ばかりで米しかとれぬ。昔の百姓は米俵をかついで一里余の隣村へ行き、麦と交換して来て食べた。それは、米は炊いて植え方が少ないので、腹ごたえがわるく、勿体ないからだった。
     ところが、今はみんな白米ばかりたべるから、大食になり病気をする。」

    また曰く
     「この頃の若いものはからだをいといすぎる。わし等の若い頃は随分とよくあるいた。
     それも五里や六里ではない。1日二十里は普通だった。十里余はなれた町の道場へ剣術仕合によく行ったが、朝出かけ撃ち合うてまた戻った。」
     一世紀ちかくを生きて来た老の言葉の正しさ、きびしさ。
     これをこそ経験の科学とでもいうのであろう。

    (24・3)


6-8. 慢性肝炎の新薬

     医学博士 遠藤 仁郎 

     「慢性肝炎で肝硬変になりかけている。これまで、ずいぶんいろいろの薬をのみ、漢方もやってみたが、どうも香しくない。さいきん、ドクターから、絶対効くという特効薬が出たからためしてみないか、といわれているのだが…」との相談。

     「副作用は?」
     「動物実験では大丈夫なんだそうだが、ヒョットするとさわるかも……とのこと。」
     「昔から、病気はまず食べもので治せ、それがダメなら薬りせよ、といわれているんだが、今は、何でも彼でも薬、薬といきなり薬で治そうとする。それで、絶対安全ないい薬ができれば、たしかにありがたい福音にそういない。しかし、それには動物実験だけでは十分でないから人体実験ということになる。これも、止むをえぬ段階なんだが、その材料にされるのにはいささか抵抗を感じる。肝臓のばあい、とくにそうだ。肝臓はからだの中の毒消し工場。からだの中でできるものも、外からはいってくるものも、有害なものはすべてここで始末される。それだけに、毒にあたるおそれが大きく、やられる度合も、ほかのところよりきつい。もともと丈夫な肝臓なら何とか始末してくれるかも知れないが、抵抗力の弱っている病肝のうける影響はそれだけ大きい。うっかり試験されてはたまったものでない。そういう意味から、なるべくならば、もっと安全性が確立されてからにする方が無難だろう。ことに“ひょっとしたら”という但し書がついているような実験は私ならマッピラ、いやだねェ。医学の進歩のためとはいえ、あまりにもことが重大すぎる。ほかのところのものならまだしも、こと肝臓に関するかぎり慎重の上にも慎重でありたいと思う。(61・10)


6-9. かまわずに飲みなさい

     医学博士 遠藤 仁郎 

     「30才の息子のことですが」と青汁フアンの母御が相談にみえた。
     「肝硬変で入院しています。2ヶ月まえ痔出血があり、大腸にポリープが見つかりました。悪性ではなさそうだが、念のためにと手術をうけました。それから毎日38度もの熱が出るようになり、今だにつづいています。また、レントゲン検査で食道に静脈瘤があり、胃には潰瘍があり、CT検査では肝臓に小さいカゲがあるとのことです。熱の原因はわからないそうで、いろいろ抗生剤をつかっていられるようです。熱はどうして出るのでしょう?」
     「さあ、それはわかりませんが、肝硬変からも、ポリープからも、潰瘍からも熱は出ません。手術後からということですから、その時にバイキンがはいって、どこかに巣喰っているのではないでしょうか。抗生剤がつかわれているのは、そのためでしょう。」
     「つづけていいんでしょうか?」
     「出来ることならやめたいですなぁ。肝臓にもかなり負担になりますから。しかし、効くようなら、やるべきです こんなことをいうと、ドクターのご機嫌をそこねかねませんが、一度ためしにやめてみてもらったら、どうでしょう。やめて熱が高くなるようなら、効いているんですから、つづける。やめても変らないならやめればよろしい。また、時にはやめて却って熱が下るようなこともあります。それは反応熱だったわけですから、もちろんやめるべきです。そして、からだの抵抗力をつけるために、青汁中心の正しい食事に徹底すべきです。」
     「その青汁なんですが、私はすすめていますし、子供も熱心に飲んでいます。しかし病院では、潰瘍によくないからととめられてしまいました。かねがね先生(私のこと)から潰瘍にはよいと承っていますので、どうしたものかと、実は、その相談に上ったんです。」
     「そうですか。この前にも潰瘍で青汁をとめたドクターがありました。近頃の学説ではそうなっているんですかねぇ。とんでもないことだと私は思いますが。肝硬変には勿論ですし、ポリープにもよろしい。かまわずに飲ますことです。薬はドクターの指図にしたがうべきでしょうが、これとて決して絶対的のものではありません(抗生剤についての考えもそれです)。食べものはなおさらです。(61・11)」

     それから約1ヶ月後のこと。
     「おかげさまで熱が下りました。そして肝臓にあったカゲが消えました。」
     「それはよかった。痔の辺の血は肝臓を通るので、手術のときはいったバイキンが肝臓にひっかかり、膿がたまっていたのでしょう。悪性のものでなくて何よりでした。ところで今日の用件は?」
     「こんどは、青汁には銅が多いから肝臓によくないと、またとめられました。」
     「一難去ってまた一難ですか。よっぽどその先生青汁がお嫌いとみえますなぁ。銅が肝臓によくないことは以前からわかっています。動物で実験すると肝硬変ができるんです。しかし問題はその分量です。ポルドウ液(硫酸銅が主剤)といった農薬のたっぷりかかったものならともかく、一般のもの、つまり普通の土壌から吸い上げているだけの銅は、ほんの僅かなものにしか過ぎず、全然問題になりません。それに、銅だけをおそれてナッパ・青汁をやめ、栄養を不完全にし、血のにごりを強め、肝臓をよわめることは絶対さけなければなりません。また、利尿作用の強いナッパ・青汁は、からだにたまった銅を排泄するためにも大いに役立っています。いずれの点からみても、無農薬の良質ナッパ・青汁が悪い筈はありません。前にも申した通り、かまわずにお飲みなさい。医者のいうこと必ずしも正しくはありません。生命はひとつ。しかもそれは、あくまで自分で守るべきものです(61・12)


6-10. つめたいからなんて芸のない

     医学博士 遠藤 仁郎 

     東京から電話。
     「ガンでねています。少しでも元気になって、一日でもながくもたせてやりたいと青汁をすすめていますが、冷いから、からだを冷やすからよくないという医者――漢方の方ですが――があります。口の中でぬくめて飲めばいい、と私は思うんですが……。」
     「その通りです。熱い牛乳や白湯をさしてもよろしい。つめたいから、冷やすからよくないなんて芸のない話。全くナンセンスですよ。青汁をのむと血のめぐりがよくなって、からだはあたたかくなります。中にはホカホカするという人もあるほどです。しっかり、できるだけ沢山飲んでもらってください。時には思いもよらぬ効果をみることがあります。」(61・12)


6-11. 燃料切れ

     医学博士 遠藤 仁郎 

     10月の初め、いたずらをしていて耳をいため、急に聴力がおちた。
     これにも効くかも、と2日つづけて、朝食にイモナ汁と青汁2合。
     昼・夕食に青汁2合づつ。と完全ではないが青汁絶食にちかいことをやってみた。
     その間、平常通り畑作業をやり、病院への往復約4キロ(うち1キロはかなりの坂道)を歩いたが、もちろん何のことはなかった。
     3日目は完全絶食してやろうと意気こんでいたのだが、朝起きぬけから、どうもおかしい。
     からだのシンの方でまるで力がぬけてしまったような無力感があり、とんと気力がない。
     体重をしらべてみると46キロ少々になっている。
     もっとも、以前にも、これ位になったことがある。
     それは、戦後やった1ヶ月の減食実験の時だったが、当時55キロ前後の体重が47になった。
     そこでこんども、さまで驚きもしないし、ほかにどこがどうということもないので、ただカロリーの不足のためだろうとかんがえた。
     というのは、実は昨(昭60)年2月末ドック入りし、前立腺肥大を指摘され、手術をすすめられたが、私流のやり方で何とかなりそうなものと、1年余り試行錯誤をくりかえして、どうやら夕食を簡単なものの少量にすると調子がよいようなので、大筋はイモ・マメ・ナッパ・青汁食だが、その大部分を朝・昼食にとり、夕食は米飯の少量(100〜150g)をミソや梅干でとる、といったことをやっていた。
     しかし、今までの習慣で、朝食はどうしても軽くなり、結局、全体としていささか栄養不足気味になっていた。
     われながら、かなり痩せたなと思っていたし、事実、これまで52〜3キロだったのが、この夏には50をいくらか割っていた。
     つまり、必要最低限すれすれのカロリーをとって、自分のからだを少しづつ食っていたわけだ。
     そこへ絶食したのだから。
     それでも、2日間は何とかもちこたえられたものの、3日目には、ついに燃料切れ。
     ダウンしかかった、ということだろう。
     何分にも、もういい年だ。
     無理をして妙なことになってはわらわれものだ、と絶食の強行はよし、つとめて朝食を多くし、しかも、平素あまり食べない米飯にしてみた。
     そしたら、たちまち元気が出、体重も2〜3日後には50ちかくにもどった。

    (61・10)


6-12. 体験から得た健康道(1)

     自然食実践家
     元セ・ソウルロータリークラブ会長
      鶴坡 金 時 必(数え78歳)

     私は56歳の時、身長170センチメートルに対し体重87キログラムの超重量級で、外観の威容は上々であった。
     しかし臓器の機能はすべて非正常であった。血圧は160/110、糖尿あり、肝臓の機能は低下。息が苦しくて、山登りはとてもおぼつかなかった。それから5年位、悟るところあって真剣に食生活の改善に取り組んだ。
     肥満した時の食事内容を反省すると、白いご飯の過食、肉が大好きで毎日鱈腹食べた。白いお砂糖の入ったお菓子、アイスクリームが大好き。白い砂糖をたっぷり入れてコーヒを飲んだ。

     このような食事を180度転換して、次の通り改善した。
     朝の白いご飯の代りに精製してない玄穀の玄米、黒豆、黒胡麻、はとむぎ、大麦、小麦、きび、ひえの8種類を粉末にして粥を作って少量食べた。(私はこれを八宝粥と言う)
     夕飯は圧力鍋を利用、純雑穀のご飯とさつまいも、じゃがいもを食べた。海藻類、昆布、若布は勿論である。
     このように食事を徹底的に改善、約17年間継続して今日に至っている。
     数え78歳の老体にも不拘、体重は標準の63キログラムの減量に成功。血圧は125/75の正常値。糖尿なし。神経痛、関節炎もない。肝臓機能GOT15、GPT18。無病の境地である。
     快食、快眠、快便は私の自慢でもある。私はこの間5つの健康の原則を体験した。

     即ち

    1. 万病一元の原則
    2. 自然良能力の培養
    3. 身土不二の真理
    4. 肥満と宿便は万病のもと
    5. 二少、二多、三忍の哲学

     以上の内容を説明する。

    1.万病一元の原則

       肉類、鶏卵、白砂糖、動物性脂肪、白いご飯、菓子等は酸性食品の代表である。これらの酸性食品を多食して血液・体質が酸性に傾いたとき病気になる。反対に、血液・体質が弱アルカリ性に維持すれば健康が保たれる、という原則である。
       今迄の栄養学は、一日3000カロリー以上が必要だと長い間認識されて来たが、今はもはや古い学説となってしまった。酸性食でもカロリーさえあれば結構だという事は納得出来ない。私が体験した56歳の時の肥満の症状が酸性食に基因したのであったことからしても明らかである。因にアルカリ食品は海藻類(昆布、若布、ひじき、のり等)、雑穀、いも類、梅干、いわし(全体食)、しいたけ、栗、貝類、生野菜等である。
       約2300年前、医聖ヒポクラテスが「食物にて治せぬ病気は薬でも治せぬ」と喝破したのは有名である。これは医食同源の心理を的確に表現している。現下、難治の成人病が世界的に急増しているのは遺憾である。西洋医学の発達は細菌性疾患には大いに役に立ったが、癌、高血圧、脳卒中、糖尿などの所謂成人病には全く手が出せない実情である。
       健康は精神、運動、食生活により増進されるのであるが、前二者は30%、後の食生活が70%を占めていると体験的に私は信じている。
       成人病の原因は何はともあれ、食物衛生(正常食生活)の荒廃に基因するものである。日常生活の食習慣の適否に左右される病気である。
       数年前世界に広く報道された米国の上院栄養医学問題特別委員会の報告書に指摘されている通り、美国でさえ肉類と動物性脂肪の過食を是正せねばならぬと結論している位である。一般が、医食同源の心理を理解すればこの世の中から病人を半減する事可能であろう。


    2.自然良能力の培養

       各自の身体の中には生命力、抗病力、治癒力を備えている。薬と病院にあまり依存することはよくない。
       医療保険制度が普及した今日ではちょっとしたことでも病院を訪づれるか、薬を無暗に飲むが、この悪い習慣を改善しなければならない。


    3.身土不二の真理

       歴史と気候、風土を無視した食生活は健康に良くない。季節のものを食べるべきである。
       ビニールハウスで栽培した水瓜、トマト等を冬に食べることは確かにナンセンスと言える。美国の文化が流入してコーヒが珍重されているのは現実であるが、美国をまねて矢鱈に飲むべきものではない。私がコーヒを飲まないのは言う迄もない。


    4.肥満と宿便は万病のもと

       一般に常識化されているも、尚理解が不足して苦しんでいる人が多いのはもどかしい限りである。肥満が良くないことは、前述の私の場合ではっきりする。繊維質の多い、低カロリーのものを好んで食べるべきである。肉類には繊維素がないので宿便になり易い。
       生野菜、いも類、昆布などの海藻類には繊維素が多い。朝起きて直ぐに生水を飲むことは宿便の除去に役に立つ。


    5.二少、二多、三忍の哲学

      (a)二少
         これは食事と体重である。少食が健康に良いことは絶対的である。体重を減らすこと。当地ソウル・ロータリークラブの長老会員 海史李之惇翁は数えの99歳でありながら矍鑠として第一線にて活動し、老益壮の気概を誇示しているが、“健康の鉄則は少食のみである”とほこらしく語っている。

      (b)二多
         睡眠と運動である。夜ふかしすることは良くない。なるべく長く睡眠をとることである。運動の中で歩くことは健康の基本条件である。歩くこと、一日万歩以上歩くことをすすめる。老衰は足から来る。人間歩けなかったら赤信号として注意せねばならない。

      (c)三忍の哲学
         (イ)食事の時、もう少し食べたい、又、酒を飲む時もう一杯飲みたい時、辛抱することである。
         (ロ)神経をとがらしてはならない。如何なる問題でも相手と口論してはならない。
         (ハ)人間万事運がある。思う通り行かぬ時も挫折することなく、焦らず、ゆうゆうとかまえ、将来の再起を期すべきである。修養を積むことである。


    (つづく)


6-13. ひどい栄養指導

     医学博士 遠藤 仁郎 

     いまでは、大きい病院にはどこでも、栄養指導室とか食餌指導室といったのがあり、専門の栄養士がそれにあたっている。
     結構なことに相違ないがどうも私には、あまり好ましくない指導がなされ、病気のためにならぬことがあるのではないか、という気がしてならない。
     たまたまこんなことがあった。

    「74才の主人、20年まえから青汁をのみ、野菜(生でも)をよく食べ、主食にはイモをいただくようにして、からだの調子はいたってよく、元気にしていたのですが、さいきん腹痛がおこり、ある病院で調べていただきました。
     その結果、特別なことはないとのことでしたが、栄養指導をうけましたところ、“ほかはどうというところはないが血液のカリウムが少し高いから、青汁はおやめなさい。野菜・くだものも生はいけない。
     炊いて煮汁をすてておあがりなさい。
     おイモもよくありません”と、まるで、先生からうかがっていることと正反対のことをいわれ、どうしたものかとお電話しましたしだいです」
     とのこと。
     「ヘエ?そうですかナア。
     で、いまはどうなんです?
     痛みは?
     元気とか体調、食欲、便通、ねむりなど?」

    「痛みはもうありません。
     からだもどうもありません。
     食事、便、眠りもよろしい。」
     「蛋白でも出ていたんですか?尿に。」
    「いや、なんともないとおっしゃいました。」
    「それでもカリウムが問題になるんですかナア?
     腎炎があって、蛋白でも出ていると、いつもそういうことがいわれるんですが、ただカリウムが少したかいだけでネエ?
     いつも野菜をよく食べ、青汁をしっかり飲んでいると、血液カリウムはふつう平均よりは少し高くなるようです。
     私自身もそうです。
     が、それは当りまえのことで、少しも問題にはならん筈のものです。
     腎炎のばあいにしたところが、問題になるのは、ごく末期。
     腎臓からのカリウムの排泄が悪くなった時だけなんですがナア。
     そういう新しい学説でも出たんでしょうか?
     私は知りませんが。
     新説が出ると、学説に敏感な勉強家の先生方は、すぐにそれをとり上げられますからネエ。
     一流の病院だと特にそうなりがちです。
     それでも私はどうしても納得しかねます。
     もし、栄養士だけの独断でしたら、もっての外のことです。
     われわれ年輩のものにはことにカリウムは大切なんで、不足すると老化しやすく、血圧が上ったり、脳卒中などもおきやすい。
     日本人は大体とり方が少なすぎるなど、ともいわれているほどなんですがナア。
     どうして、そうおそれるんでしょう?
     腎炎もないのに。
     いや、腎炎のばあいでも、カリウムだけをおそれてナッパを禁じ、食べもの全体のバランスをくずすことがよい筈はありません。
     また、煮て、煮汁を捨てることにしてもです。
     そうすればカリウムは確かに減るでしょうが、それとともに、ほかの大切な成分(中には未知のものもありましょう)もぬけてしまいます。
     それら全部があるナッパが大切なんですから。
     大出タラメもいいところ、と私はかんがえますがネエ。
     ともかく、従来どおり、青汁をのみ、生野菜を食べ、イモもおあがり下さい。
     それで、もし、体調がくずれたり、何か故障でも出れば、潔よく降参します。
     白旗をかかげます。
     どうもなければ――ないにきまっていますが――大威張りです。
     私自身もカリウムは少々高いのですが、自説通りつづけていてもどうもありませんし、これからも、ずっとつづけてゆくつもりです。
     世の中には妙なことをいい出す人があり、しばらくすると、いつの間にやら消えてしまう、といったことがよくあります。
     多くは売名のためのようですが、学説よりは実際。
     事実の方が正しいと私は考えます。
     迷わずにまいりましょうや。」
    (元・4)


6-14. 高齢者「薬漬け」 10種超す処方1割も

     70歳以上の高齢の外来患者に病院の窓口で1度に渡される薬の数は、4‐6種類が最も多いが、10種類以上も全体の1割近くを占め、中には28種類もの薬を渡されたケースもあることが、5日までに厚生省の研究班が行った国立病院・療養所への実態調査で分かった。
     調査は、全国252の国立病院・療養所のうち約6割の144施設を対象に実施。昨年3月14日から19日の6日間に、各病院を訪れた70歳以上の外来患者6310人に出された処方せんを調べた。<患者は70代が約8割と大半だが90代も64人おり最高齢は98歳の女性。
     調査結果によると、一度に渡された薬の数は5種類が最も多く、続いて6種類、4種類の順。4−6種で全体の41%となっている。45−54歳の成人の一回投薬数は2−3種類がピークであることから、高齢者はほぼ倍の薬を渡されている計算。一方、高齢者の場合、10種類以上の大量投薬も9.4%を占め、20種類が二例、25種類が一例(呼吸器と循環器疾患合併の70代男性)、28種類も一例(同)など両手いっぱいの薬を渡された人もいた。
     大量投薬の中には、同様のビタミン剤が重複していたり、複数の睡眠薬の同時服用や一日3回睡眠薬を飲むよう処方されているなど無駄と思われる事例もあった。また、健胃薬、睡眠薬、下剤の3種や腰痛、肩こりなどの張り薬が投薬の中に必ずといっていいほど含まれていたが、こうした薬も必要な分だけ適切に処方すれば薬の量はもっと減らせるのではないか、と同班はみている。
     大量投薬が続くと、薬剤の相互作用による副作用の恐れもあり、研究班は調査結果を基に来年3月までに高齢者に対する適正で合理的な薬物治療指針と医師・薬剤師へ向けた服薬指導指針を作成する方針だ。

    (元・11・6 サンケイ)




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