健康と青汁タイトル小 <1977年2月15日発行 第246号>
 目次




1. リウマチ

     医学博士 遠藤 仁郎 

     リウマチには、急性のもの、それが慢性になったもの、初めから慢性に経過するもの、からだ中の関節が次々にやられ、ついには形が変ったり動かなくなるもの、関節や筋肉、腱などに痛みがあるだけのものなど、いろいろあるが、いずれも、再発をくりかえしやすく、心臓をわるくすることもある、といった難治病の一つ。
    本態はアレルギー
     アレルギー性の病気で、関節や筋肉、腱、靭帯などが感じやすく、炎症をおこしやすくなっており、天候や気象の変化(寒さ、湿気、気圧の変動など)や感染、外傷(手術)などによって、発病したり悪化する。そして、これらの外因(抗原・アレルゲン)で感作されて、それにたいする反応物質(抗体・特殊の免疫物質)ができ、同じ刺激が加わると、そこに強い反応(抗原抗体反応)がおこるのだ、と説明されている。

    リウマチ素質
     しかし、そういう外因にさらされても、すべての人がかかるわけではないから、リウマチになるには、それになりやすい素質(リウマチ素質)がなければならない。この素質は、おそらく、生れつきでもあろう。けれども、それが進行して、ついに発病するようになるには、その後の日常生活のあいだにうける諸因子、すなわち、食のあやまり、運動・鍛錬の不足、精神的ストレス、環境の異常、感染、外傷(手術)など、いろいろ不利な条件によって影響されるところが少なくないだろう。

    リウマチ家の食
     リウマチ家の多くは美食家であり、精製穀(白米飯、白パン)、肉(獣鳥魚介)、卵の濃厚味食を飽食し、菓子、酒を好み、野菜・果物を嫌う傾向がある。この、熱量・蛋白質にはとんでいるが、ビタミン・ミネラル不足の甚しい不完全食(欠陥栄養)では、代謝は不完全。ひいて血のにごり(悪血)を生じ、ために、すべての組織・臓器のはたらきを害し、抵抗力をよわめ、感じやすく、炎症をおこしやすいからだ(炎症体質)にもなる。そして、素質のあるものではとくに、わずかな、ふつうにはなんらの影響もないほどの刺戟にたいしても、ひどく反応するよう、つまり、アレルギー性にもなるのだろう。
     なお、これには、氾濫する有害有毒食品(農・畜・水産用薬剤や、産業廃棄物、各種の添加物などに汚染された食品、また加工・貯蔵食品、インスタント食品など)、その他薬品類の乱用、タバコ、運動不足、精神的ストレスもあずかっていよう。いずれにしても、現在の、あまりにも不自然不合理な日常生活に、根本の原因があるのでないか。

    新しい病気
     このことは、リウマチが西欧では1800年ごろ初めて現われた、すなわち、近代文明とともに発生した新しい病気らしい、といわれていることからもわかるような気がする。(わが国でも、少なくとも、江戸時代にはなかったという)

    対策
     そこで、リウマチにたいしては、住居や衣類に注意して、直接の誘発因子である外界の刺激をさけることや感染予防はもとよりだが、それとともに、あるいは、より一層大切なことは、からだの感受性、反応性を低めよわめ、アレルギー体質をなおすこと。そして、そのためには、食の完全化・安全化(自然化)を中心とする、日常生活諸般の合理化をはかることではないだろうか。

    食の合理化
     有害有毒食品はつとめて避け、なるべく安全な自然食品をえらび、バランスのよくとれた、そして、ミネラル・ビタミンはむしろ多すぎるくらい十分余猶のある、完全食とすること。すなわち、穀・肉・糖・アルコールに偏らないよう。
     また、十分の野菜類を配すること。主食は、ひかえめ。米ならば玄米。パンは黒パン、全穀パン。むしろ雑穀や豆。さらによいのはイモ類。蛋白食、肉(獣鳥魚介とも)、卵類はすぎないよう。大豆・ナッツ類の活用。副食には、良質(ビタミンにとみ、吸収しやすいかたちのカルシウムにとむ)ナッパを主とする野菜・山菜・海藻・果物などを十分(主食・蛋白食にたいし少なくとも2〜3倍の)そえ、なるべく多くを生食すること。調理はなるべく簡単に。調味はうすく、濃厚味ことに糖分のすぎないよう。つまり、菜食にかたむいた完全食。緑葉食・青汁、イモ・マメ・ナッパ・青汁食に徹底すること。あるいは、せめて、青汁だけでも十分。少なくとも一日3合(もとのナッパ750グラム)以上、5合でも6合でも(多いほどよい)。

    嗜好品にも注意

      菓子(パン・饅頭・餅・オカキをふくめ)
       なるべく避ける。糖分がすぎるだけでも痛みが出たり強くなる。添加物の害もあろう。


       なるべくやめる、精々純良品の少量。

      タバコ
       禁煙。せめて節煙。

    その他

      便通
       毎日の快通をはかること。それも、薬によってではなく、食べものと運動とで。

      精神的安静。睡眠
       十分に。

      運動
       てきぎ。

       痛みにたいしては、患部の安静、温保(青汁しぼりカスの温湿布、温浴など)なお、強い痛みには、2〜3日の青汁絶食(青汁だけのみほかには何も食べない)

    薬治
     薬もいろいろできてはいる。けれども根治薬はまだない。ふつうのは、ただの痛み止め。特効薬のようにいわれているコーチソンやアクスその他の新薬にしても、結局、一時しのぎの対症薬にすぎず、これだけで治りきるのではないし、おそろしい副作用もある。
     ほかの療法が無効のばあいだけに限るべきで、なるべくつかいたくない。ともかく、これというきめ手はまだないのだから、やはり、食を中心とする日常生活の合理化・自然化による体質の改善をはかるのが、まわり遠いようでも、いちばん確実な方法ではなかろうか。早急な効果は、もちろんのぞめないが、熱心につづけていれば、やがて好転してくるであろうし、再発も防ぐことができよう。(51・8)



2. 食物はつとめて家庭の手作りで(3)
前回参照

     友成 左近 

    愛情がより深く培われ生活に喜びが増し加わる
     毎日の食物はつとめて家庭の手作りでまかなうのは前稿でみたように、一家の主婦をはじめ家族一同、互いに健康を念願して、その最も重要な土台である栄養を十分に、それも安全にはかるためです。が、日々こうつとめていくには、それ相当に手数がかかり、ために、それだけ他にしたいことができなくなります。
     けれども、この意義をよく理解して、あえてこうつとめていると、念願通りに家族一同よりいっそう健康になるだけでなく、その派生効果として、この健康と共に人生なにより大切な愛情がより深く培われて、日々の生活に喜びが増し加わってきます。
     とはいっても、ほかならぬ人間のこと、とかく市販の既製食品の便利にかまけて、ついこれを厭い、ために、他になにか愛情が培われもし、生活に喜びが起こりもすることはないかと、あれこれ空しく探し求めることがあるのが実情です。であれば、そこはおよそつぎのように分別して、この厭う心にうちかちたいものです。

    愛情が培われるのは
     人々だれでも家庭生活を営んでいる限り、互いに仕合わせを念願していますが、(この心情は、家族のきずなとして家庭生活の最も重要な基盤であって、身体面の健康と共に人生なにより大切な愛情です。が、この愛情は、ナマミの健康と同様に、常なきヒトのココロであれば、もろいところがあるので、だれしも、ことある毎に強かれ深かれと願い求めています。
     けれども、ただ願い求めるだけでは詮なきことであり、また、愛情とはどんなものか、より深く培うには、どうしたらよいかと、アタマでよく理解しても、ただそれだけではどうにもなりません。そこに肝要なことは、もともと互いに仕合わせを念願する愛情をいだいているので、その仕合わせには真実どんなものごとが必要なのか分別して、みずから実際にかなえていくことであって、そうしていく間に、タマゴとニワトリのように互いに因となり果となって、しだいにより深く培われてくるのです。
     そこで、家族互いに健康を念願して毎日の食物はつとめて家庭の手作りでまかなっていると、他のなにごとにもまして愛情がより深く培われてくるのです。というのは、仕合わせに他のなにごとにもまして重要なのが健康であり、この健康の最も重要な土台である栄養をまかなうのが毎日の食物であるからです。そして前稿でみたように、時流に従って市販の加工食品、とりわけ最終の調理段階にまで及んでいる既製食品に依存すればするほど、この栄養を十分に、それも安全にまかなうことがますます困難になるからです。
     なお、このほか毎日の食物には、栄養もさることながら、味わいなどの好みに個人差が著しく、この好みには格別執着するのが実情であって、この点も、市販の既製食品は画一であるため、これに依存していては、どんなにカネをかけても、とうていうまくみたすことができず、家庭で心をこめた手作りの味、いうなれば「女房の味」「おふくろの味」であることが大切です。
     また、愛情は本来高度に人格的なものであって、たとえば手紙や電話よりも直接会って話し合う方がはるかに深く親愛の情が通じるように、毎日の食物も、市販の既製食品に依存していては、どんなにご馳走でも、家庭で心をこめた手作りのようには親愛の情が通じ合いません。家族のきずなとしては、古来「同じカマのメシを食って」といわれているように、日々家庭の手作りの食物を共にいただくことが肝要なのです。
     というと、あるいは人によっては、栄養はともかく、好みや親愛の点ではと疑義をいだくかも知れません。が、それはあえていえば、日々心をこめて手作りしていないからであり、従ってまた手作りがヘタであるからであって、この手作りを怠って、はたして家族めいめいの好みをみたし、また深く親愛の情が通じ合っているのでしょうか。他にどんなことに心がけたら、これ以上にと、みずから体験しているのでしょうか。

    毎日の生活に喜びが増し加わってくるのは
     もうひとつ、こうつとめていると、実情とくに手作りに精出す主婦には、毎日の生活に喜びと生きがいが増し加わってきますが、それは、家族一同よりいっそう健康になり、より深く愛情が培われてくるので、それが手作りの労にはねかえってくるからです。
     が、もう一面、人間生活の最大基源は手を広く自由に使うことであって、心の底からの喜びと生きがいは、この手を存分に使って初めて起こってくるからであり、そして毎日の食物が生活の根幹であるからです。
     とはいっても、人によっては、とかくこれを束縛と感じ、あるいは空しく感じて厭い、他に人生の喜びと生きがいを求めている場合があります。そして多くの場合、日々の炊事を極度に省略してカネをかせいで、食物は専ら市販の既製食品に依存し、余暇は「レジャー」に使い、また「三種の神器」などを買いこんでいるようです。が、それはいうなれば、ひとつには前記のような手作りの意義をシカと理解もし体験もしていないからであり、もうひとつには食品その他の企業が、販売拡張や労働者募集のために「文化的な生活」とか「消費は美徳」などといって、巧妙に宣伝していることに迷わされているからです。
     従って、それではたして心の底から喜びと生きがいが増し加わっているかというと、そうとはいいかねる場合が多く、とりわけ人生なにより大切な健康が損なわれ、愛情もまた枯渇している場合や、かせいでもかせいでもカネに追われて貧乏をかこっている場合が少なくないようです。
     そこで、心身ともに健やかに生活していくには、まず第一に毎日の食物は、つとめて家庭の手作りで、心をこめてまかなうことが大切なのであって、これは心身ともに成長期の子どもには格別重要です。子どもの心身に新たに厄介な問題がいろいろ起こっているのは、ひとつにはこの手作りがおろそかにされているからです。(51・5・17)


次回参照

3. 素朴な自然食運動

    東京都 initial 

     さいきんは自然食という言葉が、そう不自然に感じなくなった。これは逆に世の中が、おかしくなった証拠と思う。自分のこどもの頃は、それとはちがう。
     自然は本来の姿のままに清らかで美しかった。空気は澄み切って排ガスのニオイなどどこにもなかった。そしてなま水のうまさは格別だった。生きたやわらかい黒土から堆肥の香りがし、農作物は自然の恵みそのものだった。当時の住まいは海に近かったので、とれたての跳ねる魚を運んで来てくれた。そしてほとんど、母親の手づくりのものを食べて育った。自然食というコトバがないのが、当たり前であった。
     私の求める自然食とは、このような素朴でありふれたものであるのに、今の日本の中で、これらを手に入れることは、もはや至難となった。といって政治や企業に腹を立てているばかりでは、子や孫は育たないので、やむなく、カアチャン族は重い腰をあげた。
     私もその一人で、最初は少しでも良いものが欲しいと、自分の家族中心のエゴから出発したにすぎない。やがてそれは私の家の周辺にひろがった。南大泉みのり会をつくり、心のかよいあう仲間がふえた。
     今では、どうやら日常のものは整ってきた。汚染されていない有精卵、豚鳥肉、牛乳、野菜、くだもの、茶、ミソ、ショウユなど。自然破壊の進んだ現状で、まったく無公害なものはあり得ないかもしれない。
     しかし心をこめて作ってくれる生産者とつながりを深め、お互いの信頼関係の上に立つ流通を、自分たちの手でもち得たことは大きな喜びである。
     いま一つ、もっとも大事な主食である米についても、私たちは生産者と手を結んでいる。私たち消費者は誰もが率直に無農薬栽培米を切望している。一方、私たちの会と提携した秋田県大曲市の農民たちは、自らの体を農薬でひどくおかされ、自発的に無農薬栽培に切り替えた。
     私のいう自然食運動とは、金持ちがじっとしていてたしなむためのものではなくて、くらしの中で生活の重点をどこに置くかを考え直し、飾りのない素朴で簡素な生き方を求めるなら、誰にでも出来るはずである。そして自然食から端を発して、今の社会の姿をみるとき、そのウラにある経済万能主義の仕組みにたいして、私たちは反発する。

    (51・10・1 サンケイ)



4. どっちも理窟

     もういい年だ。毒を食ってもタカが知れていよう。いまさらなんの安全食・完全食だ、も理窟だ。
     が、もういい年だ、出来るだけ安全なものを食べ、バランスをよくとって、せめて残った年だけでもマメでいたい、もまた理窟だ。



5. リウマチとカルシウム

     リウマチでは、骨からカルシウムがぬけてゆくので、カルシウムに富んだ食べものを十分とる必要がある。



6. 安全野菜即売会

     東備支部の青木虎市氏は、毎週木曜、倉敷中央病院内の古久賀会館で、安全野菜(無農薬無化学肥料栽培)の即売会を開催、好評を博している。



7. ピロサンの主要栄養素

     大阪センターの日南工場の製品ピロサン(乾燥青汁)の主要栄養素は表(A)のようであった。(昭和50年12月9日製造のものを、仝19日、日本食品分析センターに提出し、分析してもらったデータ)その16.6グラム(生の青汁1合)と、牛乳1合を比較したのがBとC。


    約100g
    青汁6合

    約16.6g
    青汁1合

    約100g
    牛乳1合
    熱量30550.8106.2カロリー
    蛋白質23.313.885.4グラム
    脂肪1.050.1775.8
    糖質50.808.478.1
    カルシウム3140523.3180ミリグラム
    リン46577.5162
    33.45.570.18
    ビタミンA268004466.6180国際単位
        B10.700.1170.054ミリグラム
        B21.510.2530.270
    ナイアシン11.91.980.36
        C717119.50.9



8. 青汁との出会い

    京都市 initial 

     大学にはいって6年目。医学というものが少しはわかりかけた気がしますが、現状を知れば知るほど、臨床医の無力さを感じさせられます。公衆衛生の統計を見るにつけても、「結核は結核菌がおこす病気である」というよりは、むしろ、「結核は貧困がおこす病気である」といった方が、よほど正しいのではないでしょうか。
     便利さや、合理性とひき換えに、大変な危険をかかえこんで生活することを余儀なくされている現代。医師が治療のみならず、いやむしろ、予防に関心を注ぎ、遺伝的にある程度運命づけられた体に対して、発病を迫る種々の因子――その中でも、とりわけ、水、空気、食品といったものを正して、健康を維持しようという考えをとることは、極めて大切なことであると思います。先生が今までやってこられたことの意味を、私は私なりに、このように理解しているわけなのですが…。とにかく、青汁のと出会いは大変有意義でした。



9. 体質がかわった

    岡山県 initial 

     はじめてお話を承りましたのは、つい先頃のように思われますが、8年目を迎えようとしています。今では、ケールつくりにもなれ、一年中たやすことなく、次々につくっております。
     主人は朝・昼・晩と、殆んどかがすようなことはございません。一年の360日はのんでおります。いくら少ない日でも3合以上。多い日は5合あまりと、ながい間つづけましたので、体質がかわったのでしょう、カゼ一つひいたことはございません。



10. 益々好調

    長崎県 initial 

     「健康と青汁」を毎月読ませていただき、青汁を毎日飲ませていただいております。おかげで、食生活が改善され、今までになかった健康感を味わい、益々好調となっております。



11. まっ先に休んでいた子

    福岡市 initial 

     「青汁と健康」を拝読、現在、庭のパセリ少々、ブロッコリーの外葉、野草(ハコベ)等を利用しておりますが、材料が少ないので、主に子供たちにのませております。カゼの流行期には、まっ先に学校を休んでおりました子が、この冬は、うれしいことに無欠席です。みんなで飲みたいと思います。ケールの種をお世話下さい。



12. 甲状腺の異常に

    京都府 initial 

     5才の子供。甲状腺機能低下で発育がわるく、身長は満3才くらい(体重も低い)ですが、病院の薬に合せて青汁をのみ、約3ヶ月たった現在、顔色がよくなり、身長が2ヶ月で2センチのび、今までにない経過をたどっています。甲状腺機能亢進の妻も、心悸亢進がなくなり、目の方も、頚の腫れも、よくなっています。子供たちも、青汁をのむのを楽しみにしていて、一日欠かすと不足そうにしています。


参考:遠藤語録『甲状腺癌と青汁』

13. 飲まぬとよくない

    北海道 initial 

     昨年はケールの種子ありがとうございました。一生懸命つくって飲みました。冬はのみませんでしたので、やっぱし体の調子があまりよくありません。



14. 柑皮症

     ミカンやカボチャ、ニンジンなどの黄色菜をうんと食べると、からだ、ことに手のひらや足のうら、顔などが黄色くなることがある。ふつうの黄疸とちがって尿にも血液にも、肝臓のわるい症候は全然ない。
     これは柑皮症といって、ミカンやカボチャ、ニンジンなどに多いカロチンが血の中に増して皮膚につき、黄色に見えるもの。このカロチンはナッパにも多いので、ナッパを食べ青汁をのんで、同じように黄色味をおびて来ることもある。誰にも出るというものではない(いわば体質的なもので)、少しも心配はない。



15. 質問箱

    大阪府 initial 


     質のよい材料ということはどういうことですか。


     ビタミンがそろって多く、吸収されやすいかたちのカルシウムにとんだもの、と定義しています。野菜では、緑色が濃くてホウレンソウ、フダンソウ以外のもの、ということになります。



 コラム紹介

    いかなる人も存在する限り何かに必要あり

    エマーソン

    生ある限り生かしめよ
    古諺

    死を思考すべからず生を思考すべしこれ真の信仰
    ヂスレーリ



    老人の病気なる人なれば、
    養生の為に、少し酒を飲み、
    又は肉の類を、折々用ひてもくるしからず
    町人嚢



    甚しく寒き時は風邪にもおかされぬものなり。
    寒さのゆるみたる時に邪気に感冒する
    柳沢淇園 雲萍雑誌








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