健康と青汁タイトル小 <1971年10月15日発行 第182号>
 目次




1. 妊婦の病気

     医学博士 遠藤 仁郎 

     お互い、だれでも、いつなら病気してよい、という時のあろう筈もないが、妊娠の時だけは、とくに健康でありたい。それは、病気そのもの、あるいはその診断や治療上の処などが、たとえ母体には全然問題にならぬほどのことであっても、胎児には重大な影響をおよぼすかも知れないからだ。
     ひとつ、流感と「つわり」について考えてみよう。
     流感が流行すると、流産したり、早産したり、死産することもあれば、奇形児が生れることもある。また、それほどのことはなくても、どこかの組織や臓器に、なにがしかの変化をあたえ、機能や抵抗力のよわい箇所となり、後の発病の原因となる、といったことがあるかも知れない。
     こうした変化は、病原ビールス直接の影響によることもあろうが、むしろ、診断のための検査(レントゲンその他)や、治療に用いられる薬剤によるところが少くないようだ。この際のレントゲン検査は、ふつう胸部だけだから、下腹部にあたる線量はごく少いが、それでも、妊娠の初期だとなにがしかの影響がないともいえない。よくつかわれる下熱剤アスピリンその他のサリチル酸剤は、動物実験では奇形を原因するという。
     もっとも、用量が少いからべつに問題はないといわれているが。また、抗ヒスタミン剤やキニーネ剤にも催奇形(奇形をつくる)性がある。肺炎の疑いでもあれば、抗生剤、サルファ剤、ステロイド(副腎皮質)剤などがつかわれるが、これらにも催奇形性のあるものがある。
     なお、ステロイド剤には胎児の副腎機能を悪くし、未熟児や胎児を原因することもあるそうだ。
     予防のためにはワクチン接種だが、これも妊娠中はうかつにはやれない。というのは、接種によって、胎児に免疫学的耐性といって、抗原にたいして反応する能力がなくなる。つまり、後でワクチンをやっても、それに対する免疫が出来ない、という状態になることがある。また、奇形を原因せぬとも限らぬので、胎生4ヶ月までは接種すべきでない、ともいわれている。

      つわり
       妊婦のもっとも多く悩まされるのは「つわり」。
       おそらく、殆んど100%がこれに苦しむ。
       そして、いろいろの薬をのむ。
       昔は伏龍肝(ふるいかまどの焼土)などだったので問題はなかったが、最近では、鎮吐剤、鎮痛・鎮静剤、精神安定剤など、有力な薬が使われるが、いずれにも催奇形性がある。その有名なのがサリドマイド。
       この薬は母体には何の影響もない。胎児にも、妊娠後半には大した影響はないが、初めの2〜3ヶ月、ちょうど「つわり」の強い頃は、胎児の体の出来上る時期で、たまたまその頃のむと、時には、ただの1回だけでも「アザラシ児」になっているという。
       他の「つわり」薬では、これほどの大事にはならぬにしても、大なり、小なりの影響はあると思わねばならぬだろう。
       なお、精神安定剤は、動物実験によると、仔獣の知能水準が下るというから、あるいは、ひどくおっとりした子供が生れるかも知れない。
       ともかく、この頃の薬はよくきく。それだけに、ともするとはげしい副作用もある。しかも、母体には無害でも、胎児には有害でありうるから、妊娠中の薬には余程慎重でなければならぬ。したがって、真にやむを得ぬ場合以外、無暗にのむべきではない。
       かといって無暗に恐れてばかりいるべきでもないから、必ず信頼できる医師の指示にしたがうべきだ。いや、治療薬だけではない。診断用の薬品や処置にも危険なものがある。

       「つわり」の初めは、多くのばあい、まだ本人も妊娠に気づかず、ただ、からだの不調をうったえて、多くは内科医を訪ねる。医者も、はっきりせぬままに、肺や胃や肝臓・腎臓・心臓・甲状腺と、新しい検査法を駆使して精密に検査する。血液を少々多くとられる位はまだよい。
       レントゲンをジャンジャンかけたり、いろいろの薬品を注射するとなると、たとえ母体には何でもなくても、胎児にはひどくこたえるかも知れない。
       そして、たとえ外に現われるほどの変化はなくても、どこかに変化を生じ、それが後のわずらいのもとにならぬとも限らぬ。
       さいきん、世の中が落ついて来、生活にゆとりが出来たにかかわらず、妊娠障害や流・早・死産は決して少くないし、未熟児、身障児、精薄児もふえて来たという。それには、こうしたことがらも関係しているのではなかろうか(栄養のあやまり、危険な食品の氾らんその他も、もちろんあずかっているに相違ないが)。
       このように、病気自体は、勿論、予防接種や治療薬、診断検査もうっかりは出来ぬから、ともかく、妊娠中だけは本当に健康でなければならぬ。

     むかしの人は科学的知識が無かっただけに、妊娠中は出来るだけ病気せぬよう、一般注意にこまかく気をくばった。そして、妊娠の守らねばならぬ禁制も多かった。いずれも、ながい経験から生れた貴重な訓えで、多くのものは今日もそのまま通用するばかりか、むしろ、今日の科学医学による新しい(したがって経験の短い)ものよりも正しく、またすぐれたものが少くない。
     もっとも、こうした注意も、妊娠と気づいてからでは、もう遅すぎる。最も大切なのは妊娠初期の1〜2ヶ月だが、その頃は、まだそれと気づかぬことが多いので、妊娠の可能性のある時は、つねに健康状態に注意し、一般抵抗力をたかめ、病気をさけるべきだし、そういう条件のもとで、はじめて妊娠は計画すべきだ。
     何としても、まず正しい自然的な日常生活。適度の運動。平和な家庭。そして、正しい食養――危険な農薬や添加物のおそれのない安全食品による緑葉食・青汁を中心とした完全食――に徹底することだ。



2. 真事の伝え

    東京都 G.A. 

     二宮尊徳翁 仁義礼法こそ人道なり・・・・・・の教訓のこと
       翁曰く、山畑に粟・稗・実法る時は猪・鹿・小鳥まで出で来りて、是を取り食ふ。礼なく、法もなく、仁義もなし。己れ己れの腹を養ふのみ。
       粟を育てんとて肥料を施す猪、鹿もなく、稗を実法らせんとして草を取る鳥もなし。
       人にして礼法なきは、何ぞ是れと異らむ。
       予の戯れに詠める歌に、
         秋来れば山田の稲を猪と猿と、人と夜昼争ひにけり。
       夫、検見に来る地方官は米を取らんが為めなり。検見を受ける田主も作徳を取らんが為なり。作主は元よりなり。
       若し此の三人の内、一人にても仁義礼法を忘れて私欲を押し張らば忽ち乱るべし。世界は礼法こそ尊けれ。
     宗忠神 心の神を大事にせよ・・・・・・との教訓のこと
       是より少々申上げ候。誠に道は、むづかしきことは少しもござなく、かねがね申上候通り。直ちに天照大神なり。さすれば生き通しなり。昼夜のわかちなく、生きさえすれば、みな大神の道なり。
       ただ少しの間も、ゆるみなく、けがれぬやうに致し候へば、何事もありがたきばかり・・・・・・時に一首。
         有がたきことのみ思へ人はただけふのとふとき今の心の
       かねがね申上候通り、我本心は天照大神の分しんなれば、心の神を大事に仕り候へば、是ぞまことの心なり。心一つにて自由自在とおもへば、此上もたのもしき御事なり。
      (御書簡中より)



3. 藍

     藍染めのアイ。タデ科。いろいろの効能がいわれている。

      解毒  本草綱目には、「あらゆる薬毒を殺す」(別録)とあって、鳥頭、斑猫(カンタリス)、水銀、砒素、その他があげてある。
      食中毒  民間薬には、「スッポン毒に藍の葉しぼり汁のむべし」(経験千方)、「銀杏に中るに藍汁のみてよし」(済急方)
       また、本草には、「傷寒の発狂に主效」とある。
       肺炎やチフスの脳症によいというのだろう。
      出血  吐血、衂血、下血、血尿など、すべての出血に搗汁。
      感染  ひょう疽に汁(経験千方)。痢や赤痢に汁をのんだり甘草と煎じてのむ。
      嘔吐  「汁をしきりに飲めば噎膈を治す」とあるが、噎膈とは食道や幽門がせまくなって嘔吐のあるもののことだ。
      喘息  「上気咳嗽、息に咽ぶごとき声あるに汁をのみ、杏仁粥を食ふとよい」とあるのは、喘息(気管支性ある心臓性の)のことか。
     はては、
     「縊死に藍汁をそそぐ」といったぐあいであり、毒虫にさされたり、馬の咬傷、毒矢の負傷には藍染めの布や糸を浸けた汁をのんでもよい、とある。

     忍者の衣類が藍染めになっているのは、闇にまぎれるカムフラージュの意味は勿論だが、手負いのときの血止めや、中毒や急病にたいする備えでもあったようだ。
     タデ科だが、特別の味はない。生食も出来る。青汁党の菜園にあってもよいものの一つだが、藍染めのすたった今日では、本場の阿波でも、もう殆んど作っていないそうだ。
     子供のころ、私の村には紺屋もあったし、藍畑もあった。写真は、徳島の木村氏が私のためにようやく見つけ出して下さったもの。



4. 妊娠と潟血

     古方では、妊娠中は多液質・中毒にかたむくものとして、潟血の適応とされた。で、妊婦の種々の病症にたいし、また重篤な合併症の予防のために、少くとも2回潟血した。
     第1回は妊娠中期、流産予防のために。
     第2回は妊娠末期、安産のために。



5 .食養断想 病気の今昔(下)
  主として糖尿病について
前回参照

     糖尿病を予防する最も手近な工夫としては、肥満しないように標準体重に調整して、心身ともにさわやかに仕事に精が出るようになることが大切である。
     それには、美食・過食をつつしんで、人間しぜんの正しい食物をとって、体内の代謝が正常化するように、完全栄養をはかることが、その土台として肝要である。そしてその上で、適度の運動と睡眠と精神的安定に心がけることが大切である。

     完全栄養をはかるには、お互い日本人の実状からみて、まず第一に肝要なことは、緑色の濃い青野菜を、日に体重の1%以上、青汁にして飲み、また生のまま、あるいは煮たきして、よくかんで食べることだ。
     これ以外に、これに代わり、これに勝る決め手はない。他のどんな食物でも、健康に生きていくのに必要不可欠な熱量源や蛋白質はそれ相当量あるが、その代謝・利用に必要不可欠な各種のビタミンと、カルシウムその他ある種のミネラルが不足しているからであり、これがありあまるほどの豊富なのが青野菜であり、青野菜だけであるからだ。ために、他に食物をどんなに工夫しても、青野菜をそれ相当量食べなければ代謝の正常化ははかれないのだ。
     これは、栄養・食物のごく初歩的な理論からしてもそうなのであり、あれこれと病気にかかる人、わけても糖尿病などの成人病にかかる人は、必ずといってよいくらい、青野菜をなにほども食べていないことからでも、よく分かることだ。

     いったい、人間もその一種である動物は、例外なくすべて、緑色の植物をそれ相当量食べなければならないのだ。ライオンやトラなどの肉食動物も、野生の状態では、まず最初に食べるのが、とらえた動物の胃腸の中の青草であり、動物園の肉食動物は、とかく病気にかかりやすいが、エサに青汁をまぜて(草のままでは習性上食べないので)与えると丈夫になる通りだ。
     だが、この青野菜が有毒な農薬その他に汚染されていると、栄養上はともかく、その有毒作用で代謝異常が起こるので、この点よく注意しなければならない。
     なお念のため。ひと口に野菜果物といっても、なかのなかまで緑色の濃い青野菜以外は、ビタミンやミネラルがケタちがいに少ないので、これをあれこれと沢山食べても、なおその上、青野菜をそれ相当量食べなければ完全栄養ははかれない。
     また、青野菜ではあっても、ホウレンソウの類は不適格である。ゆがいて、ほどほどに食べるのはよいが、毎日多量に、それも青汁にしたり、また生のまま食べてはならない。なるほどビタミンは多いが、とくに生のままではシュウ酸が多いので、カルシウムの吸収と体内における利用を妨げ、ときに腎臓結石をつくることもあるからだ。

     青野菜を日に体重の1%以上食べると、ふつう世間並に食べておれば、栄養がよく調和して一応完全になる。だが、なおつとめて、主として熱量源や蛋白質をとる食物についても、砂糖や精白した米麦や、魚や肉の筋肉部だけの切り身はひかえて、それを芋や雑豆や未精白の米麦や、大豆や小魚や乳などにきりかえること、と共に、調味に塩分をひかえることが大切である。

     前者は、ふつう美食とされ、また、これで大いに栄養がつくと考えている向きもあるが、代謝に必要なビタミンやミネラルが著しく不足しているからであり、ために、栄養が不調和不完全になり、おのずから体も要求して沢山食べるようになるからだ。
     とくに砂糖と塩分は、好みや味つけとしてはともかく、栄養上は不必要であり、すぎては有害となる。後者は、ふつう粗食とされているが、代謝に必要なビタミンとミネラルが、前者に比べると、はるかに多いからだ。ために、青野菜を日に体重の1%以上と沢山食べる効果がよりいっそうあらわれて、栄養が十二分に調和して完全になり、おのずから体も過食を求めないようになって、しぜんと標準体重になる。
     また、だんだん好みが変わってきて、こうしたものがおいしくなり、ふつう美食とされているものが、食べておいしくはあっても、そう食べたくはなくなる。なお、こうした食物もすべて、青野菜と同様に、よく吟味して、できるだけ安全なものを使うこと、また、つとめて原材を使い、既製の加工食品はできるだけ使わないこと、使うにしても、有害な添加物のはいっていない純正なものを使うことが大切である。

     とはいっても、この頃の食料事情からしても食習慣からしても、これは容易なことではない。そこで大切なことは、成長期をすぎ、さらに30歳以上ともなれば、肥満してきたときはいうまでもなく、別に肥満してこなくても、なんらかの症状に気づいたら、念のため尿・血液検査をうけてみることだ。
     とくに血縁者に糖尿病がある人には、これが大切である。
     こんな人は、それが主として素質の遺伝のためか、胎児のうちからの生育条件のためか、とにかくかかりやすいという統計があるからだ。
     いったい病気というものはすべて、早期に発見して必要な手当をすることが大切であるが、とくに糖尿病では、これが重要である。いったん発病したら全治せず、終生つきまとう病気ではあるが、早期に発見して、前記のように食物を改め、なおその上、適度の運動や睡眠などに気をつければ、ただそれだけで、軽症のうちに進行をくいとめ、そうした手当をつづけていけば、ふつう人並の生活ができ長生きもできる。

     糖尿病は、早期に発見して、それ相応の手当をつづけていかないと、だんだん進行して重症になる。けれども、ある程度まで進行しても、その症状に応じた手当をすれば、少々厄介ではあるが、そこでくいとめることができる。
     だが、これを怠ると、加速度を加えて進行し、あれこれと生命にかかわる合併症を引き起こす。この手当は、常に必ず医師の指導に忠実に従わねばならないが、その土台は食養生である。そしてその上で、適度の運動と休養と精神的安定をはかり、さらにクスリを活用するのだ。
     だが、クスリで調子がよくなったからといって、クスリにたよって、その他の手当を怠ってはならない。もともと糖尿病は、毎日の生活、わけても食物に間違いがあって、全身の代謝が異常になって発病したわけであるからだ。そしてこのクスリは、ただ血液の糖分濃度を下げるだけのものであるからだ。
     ために、クスリの適量活用はやめてはならないが、クスリだけにたよると、たとえ糖尿は出なくなっても、全身の代謝異常はそのままつづいているので、あれこれと厄介な病気が起こる。それにクスリの副作用もあるので、なおさらだ。
     だが実状、とかく安易にクスリだけにたよって、さらに厄介な病気を併発する人が多い。ために、このクスリを開発した学者は、はたして人々の真の健康に貢献しえたのかと、ひとり考えこんでいるそうだ。
     ある程度まですすんだ糖尿病の食養生としては、前記の予防法を徹底的に行なえばよい。たとえ自覚症状がなくなっても、これを怠ってはならない。この徹底の仕方として、とくに大切なことは、

    • まず第一に、青汁を日に4合以上のみ、さらに青野菜を、煮てもよし、生であればなおよし、できるだけ沢山食べて、日に青野菜を少なくとも1キログラムにすることだ。そして、体重が標準以下でなければ、なおつとめて、週に1日か10日に1日か、こうしたものだけ食べて、他になにも食べないようにすることだ。
    • 第二に、野菜果物以外の食物は、できるだけ芋と大豆と小魚や牛乳にして、総熱量を体重1キログラムあたり30カロリー以下にすることだ。

     こうすれば、摂取した熱量源も蛋白質も完全に利用されて代謝が正常になり、体重も標準になって心身ともさわやかに、食事もまた楽しく、けっこう人並に生活できる。



6. リンゴ

     果物の王様といわれ、その香りは神の息ぶきにたとえられている。
     しかし、栄養的には、そう大してすぐれたものではなく、肝腎のミネラルもビタミンも僅かばかりにすぎない。したがってリンゴをうんと食べたからとて、それで、穀物・肉・卵・糖・酒などに偏った栄養のアンバランスを直すことは、ちょっと無理だ。
     けれども、血液コレステロールを下げる作用のあるペクチンに富んでいるので、動脈硬化の予防の効があるという。リンゴ地方に高血圧が少いということ。北欧神話で、永遠の若さと美を象徴する女神イヅナは、若がえりの力のあるリンゴを持っている、といわれているのも、そのためだろうか。とすると、間食か食後の菓子に代えたり、酢のものその他の味つけに、砂糖代りにつかうのは大いによいわけだ。

    • ねがけのリンゴで医者あがったり(英諺)
    • 毎日のリンゴ医者に用なし(同)

     ギリシャ神話では、豊饒のシンボルであり、美と愛欲の女神ビーナスにささげられた。そして、乙女の美頬や乳房にたとえ、愛のしるしとして歯がたをつけたリンゴを愛人におくる習慣もある。
     また、男根を意味し(ラテン語のリンゴがマーラであるのも、似通っていて面白い)、かわいいリンゴ(the love apple)とは「玉」のことだし、バイエル地方で「リンゴが食える」とは、する能力があること、だそうな。いずれにしてもセックスとかなりつながりが深いわけだが、それについて愉快な体験がある。

     実は、これまで私はリンゴをいささか軽べつしていた。それは、栄養的にはつまらぬし、その上あまりうまくもない。肉はふやけているし、汁気も少い。
     香りこそはまあまあだが、味はまるで気のぬけたサイダーのようで、全くいただけない。ところが昨年、山形県葉山のナメコ狩にまねかれた時、車の中でいただいた、もぎたての「蜜入りリンゴ」の味のすばらしさ。香りはたかい。水気はたっぷり。肉はしまってシャキシャキしている。芯を中心に、コハク色に透いた「蜜」の部分はとりわけ甘みが強い。これが本当のリンゴの味かと感嘆の声をあげ、むさぼり食った。

     そして帰宅後も、どっさり送っていただいたので、毎日5〜6個以上も平らげた。ところが妙。しきりともよおして来た。もっとも、間もなく味が落ち、食べ方もへったので、それとともに、やがて元通りに静まったので、その期間は精々10日くらいではあったが。
     してみると、いきのよいリンゴには、どうやら、そうした効能があるらしい。そして、パラダイスのリンゴが、なぜ禁断の木の実であったか、のいわれもうなづけようというものか、と感じ入ったしだい(なんですか、本場の皆さんはどうお考えでしょうか。もしや、リンゴが出だすと何とかといった諺めいたものでもあれば、お報らせねがいます)。
     本草綱目には
      気味 酸く甘し。温にして毒なし。
      主治 気を下し、痰を消し、霍乱(急性吐潟)肚痛(腹痛)を治す(大明)。消渇のものはこれを食ふが宜し(蘇頌)。水穀痢、洩精を療ず。
     とあり、セックスと関係のあるのは洩精(精液を洩す)によいということだけだが、これは、むしろ沈静(気を下す)効果であろう。

     なお、注意せねばならぬことの一つは農薬。かなりきつい農薬がつかわれているようだから、たとえリンゴに有難いご利やくがあるとしても、無鉄砲な大食は慎まねばならぬこと。
     もう一つは、ビタミンCをこわす成分があるので、ナッパと一緒にすりつぶすのは(その間にCがへって行くので)勿体ないということ。



7. 総会と農園と(3)
前回参照

    山形市 K.K. 

     倉敷中央病院
       倉敷駅に14時6分着、まだお客も少い様だったので院長の遠藤先生に、自ら病院を案内していただく。
       驚いた。昨年の総会に来たときもこの病院に一番早く来て先生にお目にかかったのだが、大きいことは大きいが、いささか古びて、施設として観るべきものなどなかろうぐらいに思って、参観を申出なかったのである。
       ところで今回先ず驚いたのは温室。バナナ、ビロウなど色々の熱帯植物がのびのびと茂っていて屋根までつき破り、その種類もいくらあるかわからない位。これが二つあったが、一つには椅子や腰掛けがあって患者は悠々座ったり、寝ころんだりしていた。
       こんな病院なら一度ぐらい入院してみたい様な気が湧く。常時二人係員がいて、この温室ばかりでなく院内の緑を管理している様であった。
       次に経営である。わが山形県下の病院などは、患者はわんさかと居るが殆んど赤字だと聴く。ところが先生のところは赤字でない。それは70人ほどのドクターをはじめ思う存分働ける様な雰囲気づくりをして居られる為の様であった。
       事務長も2−3年で代る様では絶対だめ。少くも10年居らねば何も出来なかろうと云われる。病棟も大したもので、古いものばかりではなかった。ベットは900位。精神科もあった。
       青汁は約3分の1位の各層の人々に普及しているもよう。立派な病院の隣りにある先生のお家に帰ると、対照的なお宅がまた印象的であった。お宅の10坪程の農園、手入れがまことによく行届いていて、容易に我々はまねすら出来かねると思った。
     前夜祭
       新庄支部からは隠明寺先生夫妻を団長とし、カップル4組、それに荒川氏、カメラの三条氏等4人、総勢12人が大挙来会される。
       遠く長崎県からは島田昇氏、三重県の朝倉六蔵氏、東京・大阪・岡山から田辺三兄弟が見えられ、それに地元の幹部の方々が参加されて総勢20人位の前夜祭が始まる。
       会場は病院敷地内にあって、毎月青汁教室が催されるというゆかりの古久賀会館。気品のある建物で、窓際に一丈もあろうかと思われるビロウ、其他が生い茂っていて、そのムードが柔かく、何ともいえないものがあった。
       新庄支部の方々が持参された山菜の数々、先生の農園のナッパ、シソ葉、カキ葉大根、CO、小松菜。それに島田さん御持参の玄麦青汁パン等々。文字通りイモ・豆・ナッパの豪華版。
       それに話はいつまでもつきず、いつものことながら、台所をあづかる遠藤先生の奥さん、それに地元の方々のご尽力には頭が下がるおもいであった。
       宿は、標高百米もあろうかと思われる見晴しの佳い高台、八光台にあるデラックスな八光苑。
     遠藤農園
       遠く近く鴬の鳴声が聞え、中備平野を眼下に展望出来る、晴れた朝の八光苑の眺望は、素晴らしいものであった。
       朝日が出て間もないこの高台で、筆者は持参の尺八を吹く。
       自分乍ら気持のよい音色が出る。
       6時過ぎ遠藤先生が迎えに来られる。愈々遠藤農園の見学とあって、つつじが見事に咲いている玄関先に勢揃い。途中放牧の仔牛10頭近くが眼前に現われ、奥さん達は恐わそうな顔をして居ったが、牛の方から悠々と牧舎の方へ退いて行った。
       先生の農園はこの山つづきにあった。略々長方形の土地で、入口には5坪位の近代風の小屋がある。昨年5月の開設というのに、空地とてなく見事に次の様なものが植えてあった。
       玉ねぎ、枝豆、茄子、ゴボウ、ケール、トウモロコシ、イチゴ、トマト、そら豆、ニンニク、ニラ、胡瓜、大豆、ひまわり、豌豆、キャベツ、フキ、アスパラ、南瓜、馬鈴薯、そら豆、水瓜。
       尚このほか畑の奥には柿、すもも。入口近くには椿、ボケ、ネコヤナギ、ライラック、バラ、エニシダ等の観賞植物もあった。
       新庄支部から持込んだ、コゴミ、アヅキナ、アイコ、シオデ、ウルイ等も移植せられ愈々多彩な農園となる。
       日曜毎にここに働く71才の遠藤先生と奥さん二人を想像する。大抵の人なら、今までやっていた仕事もやめて悠々自適の生活を送りたいというお年頃なのに、人生はこれからの様、新に土地を求めてそれも200坪という小さくない面積の農地と取り組まれる先生の真のお気持は、一体奈辺にあるのか。
       ただこよなく土を愛するとばかりは受とれないものがあった。
       「疲れませんか」と奥さんに聞けば、「楽しいですよ」と答えられる。
       その奥さんの手をそっと見たら幾分荒れておられた。
         鋤持って働く
         見れば百才に近き翁と誰か知らまし
       これは八丈島の歌(作者如林)というが、年こそ違え先生のこの農園でのお姿でなかろうか。若いエンドウのさややケールの新葉をナマで食べるのも、うまいものであった。
       毛虫も見付ける。農薬を使っていない証拠だ。イチゴも赤く熟んでいた。肥料についての説明は聴き洩らしたが、堆肥は沢山あった。
     ミニ友成菜園
       4坪位畑の土を買入れ、8寸位盛土して排水と通気をよくし、角材を用いてフレームを造り、金網を四方に完全に張って虫類の侵入を防いである。
       それに、ところ狭しと、マルハ小松菜、カキハ大根、CO、シソ、バイアム、エンサイ等が栽培されていた。
       肥料として、又泥除けとして、稲作に水銀剤使用以前の古畳を裁断して、いやというほど使用されていた。
       この外、1尺程の鉢を10ヶ程並べてピーマン等が作られ、これで自家用として不足しない程野菜の自給が出来ているとの事であった。
       鉢には水蓮等もあったが、清浄な野菜は生命につながるとの信念から、先ず「花よりも野菜」という主張を奥さんと二人で実行されているのであった。
       土地がない、ヒマがないといって、野菜を自ら作ることを怠っている我々であるが、その充実したミニ農園を見てタメ息の出る思いであった。
     総会
       西小学校の図書室が会場。
       いつもより参加会員が多く総勢約90名。
       歯切のよい口調で友成左近氏が司会者として、会議の進行に当られる。先ず予算決算案が提出され、貝原邦夫氏が朗読説明される。
       今回は、年会費を今迄200円だったのを500円にするという、重要案件もある。小包料金の値上げ、それにやがて実施されようとしている郵便料金が値上げ、その他諸物価の高騰が主なる理由であった。
       筆者は支部が青汁新聞の配布を受持つ場合の会費や、実施の時期などについて質問する。それに対し何れ常任理事会に諮ってそれ等の点を回答するという。会費倍額以上値上げというさしもの重要案件も一人の反対者もなく満場一致で成立する。
       会の運営そのものが、ただ遠藤先生をはじめとする幹部の純粋な奉仕的精神でなされて居るためなのであろう。
       然し、この実施については、尚多くの難関があるだろうが、何とかみんなで協力すべきでなかろうかと、私は祈る様な気持で一杯であった。
       次に、遠藤先生の短い講和があった。何が効くのか解らないが、青汁を余計に飲むと、思いがけぬ効果があること。
       おそらくそれは青汁の中にある微量成分いわゆる痕跡ミネラル分の働きではないかと思われるという要旨であった。
       つまりは、1合、2合で効果がない時は、4合も5合も飲んでみよというのである。
       全会員の自己紹介と短い体験発表が次々となされる。中には、青汁の効用は内科的にばかりいわれるが、外科的にも効果があったことの発表もあった。
       また、大阪の山田守之亮氏は胃を全部取ったが、青汁のお蔭で全国の老人マラソン大会にも出ていると写真を見せられた。
       昼食は例によって当地青汁教室の方々の御尽力と、新庄支部から持参の山菜によって、仲々豪華なものであり、何品も何品も出た。新庄支部の小郷さんの新庄節なども出て和気藹々のうちに午後3時に閉会した。


次回参照

8. インフルエンザ・ワクチン

     今年もまた流感シーズンが来た。
     流行によって重さがちがい、大したことなしに済むこともある。
     けれども、流行の翌年には出産異常や先天異常がふえるといわれ、しかも、それは、ビールスの直接の作用ではなく、発熱、解熱剤や診断のためのレントゲンなどの影響と考えられている。
     だから、せめて妊娠中だけでも罹からせたくない。で、ワクチンだが、今一般に行われているのは不活化ワクチンの皮下接種。
     少々の副作用は我慢するとしても、困ったことに、効果必ずしも十分とはいえないし、ビールスの型がちがっていては、まるで効果がない。
     また、ワクチンは鶏卵にうえて作るので、その成分がいくらか混じるので、卵アレルギーの人には用いられない。
     防腐剤(チメロサール)に反応する人もある。
     というわけで、もっとも必要な乳幼児や虚弱児、老人には安心してつかえないし、妊婦では奇形を原因しないとも限らないので、胎生4ヶ月までは接種すべきでない、とされている。
     また、流感予防には局所の抵抗が大切だが、この局所抵抗には、血中の免疫抗体だけでなく、局所で出来る免疫体がある。これには生ワクチンがもっとも有効なわけだが、安全なものはまだ開発されてない。
     だから、やはり、ワクチンだけにたよらず、一般的抵抗力の増進をはかることが大切なわけだ。。



9. 手をあてる

     手をあてるだけでも、なかなか効果が出ることが少くない。
     「人は痛むところに手を当てる」。
     これが、治療のことを手当てという語源だそうだが、たしかに、痛むところに手を当てていると、なくならないまでも、かなり凌ぎよくなる。
     頭痛でも、歯痛でも、腹痛にも、腫れものの痛みにも。カゼのひきはじめ、のどがちょっと痛む、といったような場合、あごの下に手をあてていると、それだけで、ずっと楽になる。
     痛みではないが、気管が過敏になって、いらいらし、咳が出そうな時にも、喉笛のあたりを中心に、前からつつむように手をあてていると、これも奇妙におさまって来る。主には手の温みの効だろうが、暗示もあろう。あるいは、苦手といった霊妙な力があずかっているのかも知れない。



10. ケチのついた牛乳

     もっともすぐれた食べものと考えられていた牛乳にも、近頃、少々ケチがついた。それは、一つには、純粋なものが少くなり(いや、殆んど無くなった、という方が本当だろう)、補充乳だの、模造乳だのという人工乳が出まわるようになったことにもよる。

     補充乳は、脱脂乳と植物油からつくられる。
     もとはヤシ油をつかったが、今は、大豆油、綿実油が主だから、不飽和脂肪酸が多くなっている。
     これはまだよい。模造乳ともなると、乳製品を含まず、水、砂糖、植物脂肪、蛋白を混ぜ合したもの。蛋白源にはカゼインか大豆蛋白。
     脂肪にはヤシ油が主で、大豆油、綿実油、トウモロコシ油が用いられる。
     だから、こういう人工乳の混入しだいで、何円牛乳でも注文どおりに業者はつくってくれるわけだ。

     また一つには、危険な農薬DDTやBHCなどが検出されたことで、まことにショッキングなニュースであった。
     もちろん飼料の稲わらや牧草に残っていたのが、乳に出て来ているわけだ。その他、飼料から来るものにカビ毒がある。
     カビ毒のうちには、肝臓や腎臓をおかすものや、発癌性をもつものもあるが、カビのついた穀物や豆は、とかく家畜用にまわされがちなので、これらの毒による乳汁の汚染の可能性もある。

     また、乳牛の病気の予防あるいは治療につかわれる薬剤(ペニシリンその他の抗生物質)の乳汁への移行もありうる。
     そういう牛乳を飲んでいた幼児が、たまたまペニシリンの注射をうけてショックを起したという事例もあるし、チーズの製造に差支えるものも少くない、などのことがらも、その故だ。
     このように、牛乳が有害〜有毒であるかも知れないものになっているということは、牛乳が老人や健康をもとめている人々の大切な食品であること、また、人工栄養にたよる乳児の多くなっているだけに、ことはまことに重大であるといわねばなるまい。



11. 痛風の妙薬

     R.S. 

    ケールの青汁と小松清
     いまプロ野球の首位を行く巨人の川上監督にも悩みはある。
     それは痛風だ、
     と日刊スポーツが伝えていた。そして最近になって、中尾ヘッドコーチも痛風にやられ、病気にまで両首脳の呼吸はぴったり、とも同紙は記事に書いていた。
     ご両人にまつまでもなく、近ごろ痛風に悩む中年の男性は多い。
     とくに都市生活者にいちじるしくふえている。かく申す私もその一人である。いや、その一人だった、という方が正しい。ケールの青汁を毎日かかさず飲みはじめてから、全くといわないまでもほとんど、あのやり切れぬ痛みに苦しむことがなくなったからだ。そのうえもう一つの悩みだった高血圧からも解放された。おかげで酒、肉、さしみ、ゴルフおかまいなしである。
     宣伝するみたいだが、私だけでなく、ケールの青汁を教えてあげた人はみんな、よくきくといっている。そこで、別にたのまれたわけでないが、痛風に苦しむわれら中年すぎの男性のためにと、ここにペンをとることにした。
     ほかにもう一つわけがある。
     私にケールの青汁を教えたフランス文学者の小松清が、バンコクで客死した10周忌をこの6月5日に迎えるので、彼の追憶を書きたいのである。
     前置きはこのくらいにして、ケールの青汁を紹介すると、それはケールというキャベツに似た野菜をジューサーにかけて、しぼりとった汁のことである。その名のごとく青色の汁をコップに一杯、毎日かかさず飲みつづける。ただそれだけでよいのである。
     小松君がケールの青汁を知ったのは、故郷の神戸で講演したときである。一婦人が、彼の講演に痛風のことが出てくるのを聞いて、あとで毎日届けてくれたのを飲んだら大変きいたという。
     それが昭和31年だから、もう15年も前になるが、行動派文化人の彼は、さっそくこれを広めようとパンフレットを自費で作り、東京、大阪の美術館に配布をたのんで東南アジアへ旅立って行った。
     そして異土で客死したが私はそのパンフレットをブリヂストン美術館からもらい、パリ時代からの友人の教えに従った。痛風は昔から欧米に多かったが、日本では戦後に急増した病気である。食生活の欧風化が一番の原因だ、と説明されている。とすれば、小松君の痛風もフランス生活が長かったためであろうか。
     なにしろ彼がパリに渡ったのは大正10年である。私は昭和12年にパリへ行き、小松君とアパルトマンにとなり合わせに暮らし、やはり独軍進駐までがんばっていた。いわばよき相棒だった。
     当時は今と違って、日本人の評判は悪かった。日独伊同盟のためだが、キャフェへ行っても「ふん、ジャポネ、きたねえ野郎だ」―といったぐあいで、てんで相手にもされないありさまだった。
     そんな中で、パリ通の小松君はいつも元気づけてくれた。ケールの青汁を飲むたびにそれを思う。

    (東洋美術学校教授・独立美術会員)
    (新潟日報 46・6・4)



12. 健康相談会

    徳島市 T.K. 

     6月6日、雨。徳島市自治会館において遠藤先生の健康相談会を開催。雨降りのため心配していましたが、20名位になり、ほっといたしました。雨の中をいとわず出席下さっただけあって、非常に熱心に、遠藤先生と対話をかわし、いつもながらの先生の人なつこい慈悲あふれるご指導を受け、先生のいわれる通り実行した人より、6月20日、だいぶん良いとの連絡をきかされ、支部としてこんな嬉しいことはありません。
     夜おそく、また車中までも押掛けて相談を懇切に教えてもらって、ただただ感謝とのことでした。観光案内もいたしませず、遠方よりお越下さった先生ご夫妻に対しまして、紙上より厚くお礼申し上げます。
     ここ徳島の地も、今、ようやく農薬、人工着色、人工甘味等の食品にも目ざめ、婦人団体を中心に、遅れてはならずと、運動が進められています。
     一方では、野菜の青空市場も日々盛んになりつつありますが、農薬を使用しない野菜を、一日も早く出荷できるような農業者の出現を待つものであります。
     私も、無薬でケールを作っているので、出来ないことはないと思います。少し手がかかる(虫取り)位です。要は有機物を多量に施し、石灰を入れて、野菜を堅く作れば、病気、虫に強くなります。
     虫取りの手を省く為に、天敵駆除という面で、動物性蛋白質を必要とする夜行的な「すず虫」を百匹位飼育しています。これが成長する8月頃、放飼して、9月頃から出没する夜盗虫の駆除研究を進めています。



13. きのこ

     きのこの類には癌を防ぐ(抗腫瘍性)作用があり、シイタケ、ナメコ、エノキタケ、ヒラタケ、マッタケなど、なかなか有力なものらしい。
     キクラゲ(ミミタケ)にも僅かにあり、クロカワやヤマブシタケなどにもいわれている。おそらく、そのほかのきのこ類にもあるのではなかろうか。
     また、コレステロールを下げる作用もあるらしい。年によっては、掃きすてるほどに出来る雑茸類も、粗末にしては勿体ない。乾燥してたくわえておき常時利用したいものだ。



14. 希望を托して

    東京都 G.E. 

     昭和36年春、ある手術で輸血し、以来血清肝炎の疑で、あらゆる療法を試みました。
     書店で先生の「青汁の効用」を目にとめ、実行いたし、その効果の大なることを身をもって体得し、材料不足で何度か途切れましたが、約10年にわたって続行いたしております。
     材料は主として小松菜、パセリ、コンフリーの葉でしたが、勤務多忙につき、野菜の栽培も容易でなく、毎日欠かさず飲むには、どうしても材料のよいものが必要となります。
     慢性の肝炎は、やがて肝硬変に移行することははっきりしておりますので、何とかしてその進行を食い止めなければなりません。そして、もっとも信頼をおき、かつ実行しているのが先生の「青汁の効用」であり、いつも感謝いたしながら大コップ2杯を、毎朝欠かさず、知人にも広く宣伝し、多数の人々が実行いたしておりますので、ケールの種子をお願いいたしたく存じます。青汁のお蔭で体調よくなることを実証し、将来に大いなる希望を托している心境です。



15. 韓国だより

    ソウル J.K. 

     青汁を知ってから足掛け10年目を迎えましたが、青汁を飲み出してからは、一切の薬を服用しなかったが、高血圧症による苦痛、危険からも解放されたのみならず、数十年来の痔疾、水虫、化膿疾患、かぜも1回もかからずに、健康にくらさしていただいております。
     この自然の効用を普及することが微力な小生がなし得る唯一の「公益人間」であると信じ、家族知友をはじめ、皆に普及さすべく努めておりますが、この原理を体得しない人々には仲々容易でありません。
     去年の早春、都合によって約2ヶ月青汁を飲めなかったところ、はげしい歯痛と項に出来物が出来て、非常に困りました。
     ところが青汁を毎日5合宛のみましたところ(小生の二男は歯科医でありますが、実験のため、ワザと見てもらわずに)、3日目に治り、出来物用普通の膏薬を貼っただけでしたが、15日間にキレイに治って再発もしませんでした。
     今更ながら、小生は、一生涯青汁を止める訳にはいかない、と痛感したしだいであります。青汁の普及がどんなに難かしくとも、61才の余生を青汁の普及、食生活の改善につくしたいと願うのであります。
     先生が本職ご多忙中にも拘らず、私財も、あらゆる時間も、これにささげていられるご心情が察せられるような気がします。



16. 10年越しのアレルギー

    愛媛県 Y.I. 

     「青汁の効用」を読み、さっそく実行いたしましたところ、10年越し悩んでおりましたアレルギーが、うそのように、きれいに治り、この喜び何にたとえようもございません。



17. 文明三病

     アメリカでは、成人男子が病院をおとずれるとき、忘れてならぬものは、心臓疾患、糖尿病、前立腺疾患の3つだといわれているそうだが、どうやら日本でも、しだいにその傾向が強くなって来たようだ。



18. 青汁のうがい薬

     渡辺 忠夫 

     火傷等の民間薬としてよく用いられる、アロエの青汁を水で薄めて、うがい薬に使いました。
     風邪を引いて、ノドを痛めたのが、咳もすぐおさまり、熱は全然出ないままに、1週間もたたぬ間に忘れた様に、治りましたので、皆さんにもお試し頂き度いと、お奨めする次第です。
     ケールやサボテンの青汁も、うがい薬に如何かと試す心算でしたが、早く治り過ぎて、試験の機会を失しました。うがい薬代用とは、もったいないと、お考えの方もあるかと存じますが、青汁を充分飲んだ上、うがいにも用いれば一層有効かと考えます。

    (日南市 サボテン公園技師長)



19. 質問箱

    岡山県 G.T. 

     問
     コンフリーについて詳しく教えて下さい。

     答
     栄養価の点ではなかなかよいもののようです。ただネバリが強いため、こればかりの青汁だと胃に石が出来ることがあるといいます。コンフリーだけでなく、ほかの葉と混ぜてつかうのが無難でしょう。また、癌が出来るともいわれているそうですが、これは私には理解できません。なお、私どもはケールがありますから、コンフリーは使っていません。



 コラム紹介

    スパルタでは、処女にも競争、角力、転輪、投槍を行はしめ、
    時に、少青年男子と同じく、裸体で戸外に現はれしめ、
    殊に、若干の祭典には、青年男子の前にて歌い、かつ踊らしめた。

    プルターク英雄伝 



    人工的に暖めた空気の中に患者を閉じこめることは、
    彼等を火力の弱いオーブンの中で焼いているようなものだ
    ナイチンゲール 



    上士は道を聞けば勤めて之を行ひ、
    中士は道を聞くも存するがごとく亡するがごとく、
    下士は道を聞けば大として之を笑ふ。
    笑はれざれば以て道となすに足らざるなり
    老子 



    生き生きした天分を恵まれながら、
    実際的な意図をもって手近なことを忘れぬ人は、
    この世の最もひいでた人である
    ゲーテ



    人生の助言
    深山 旅愁
    罪を後悔し更生しようとする人には、
    特に温い心で接したいものです



    真事の伝え
    東京都 青木 五郎
     人は誰れでも処世に当って物・心両面が完成されてないと、
     厳しい社会の荒波を乗り切る事はむつかしい。
     このために人々は競って勉強をする。
     幼年の頃は父兄親近者の保護下に安泰であるが、
     中年以降は夫々の環境、力量範囲に左右されるので
     夫々生活に有為転変が起る。
     油断大敵は人生の航路である
     人々はその幼年期の努力如何によって
     大体にその人の一生の目標は定まる。
     父兄たる者は、常に心得置くべきは、
     この幼年期の教育指導である。
     即ち家庭はその子供を育てる苗床であり
     子供はその苗木である
     神国日本の精華は、
     わが大和民族が代々受け伝え護り継がれて来た家族国家である。
     (即ち、家庭を単位として国家を形成して行く大和の精神である。)
     二宮尊徳翁の遺訓に在る
     身体の根源は父母の生育に在り
     子孫の相続は夫婦の丹精に在り
     吾身の富貴は祖先の勤功に在り
     子孫の富貴は自己の勤労に在り
     それ学問の要点は物・心両面を修徳するに在り。
     然るに終戦以来我国の学校教育は
     物質主観の利害得失重点の偏向教育が行われている。
     これは大いなる誤りといふべきである。
     父兄たる者はよくこの理を弁えて、
     学校教育では行なわれていない精神面の教育に全力を注ぎ
     立派な子弟の養成をして頂き度いと念願致します。
    (今この精神教育の家庭教育を怠れば一家を失う事は容易である。)


    心身柔軟なれば善心生ず(仏説)








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