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エリテマトーデス・膠原病:掲載紙面選択 |
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1. 著効に驚く | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
岐阜県 S.T.
ここ2、3年来、「血栓性静脈炎および膠原病」で苦しんでまいり、岐阜、名古屋、東京の各地で入院加療いたしましたが、一向はかばかしくなく困っておりました。この六月末より青汁をこころみたところ、メキメキと食欲がつき、手足の冷えの感じも減り、重かった足どりも次第に軽くなり、またリューマチ的な痛もなくなり、大層よろこんでおります。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
2. 見放された難病が | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
梁瀬 義亮
私、微力をつくして無農薬有機農法の普及に努力いたしています。 (医師)
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3. 頭をまっ黒にするんや | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
泉大津 S.
関節リウマチの年配の方。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
4. 青汁のおかげ | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
宮崎県 S.H.
青汁のおかげを持ちまして、薬をのむことなく忙しい毎日を過しております。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
5. 膠原病よくなる | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
北海道 K.A.
50年8月、1週間九度の熱。 (57・12)
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6. エリテマトーデス | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
福井県 S.S.
青汁を一年余り殆んど休まず飲んでいます。お蔭で最近は貧血も少しよくなり、人生に自身のようなものも出て来ました。膠原病の中の「全身性エリテマトーデスとレウマチ」をわずらっていますが、大分元気になり痛みも少なくなり、体もしっかりして来たように思えてよろこんでいます。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
7. 原因不明の貧血 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
東 S.U.
私は原因不明の貧血、母親は膠原病で39度以上の熱が何回も出て、2回も入院していましたが、お蔭様で母も私もとても元気になりました。ケールのお世話になって1年でございます。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
8. 現代の奇病“膠原病”は食品添加物による毒作用 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
51才女。若くして夫に死別した彼女は、残された二人の男の子のために日夜働きつづけた。 (本文は去る6月14日、大阪府谷町福祉センターにおいて開催された、ケール健人の会の「青汁による治病体験報告集会」において、慈光会理事長 奈良県五条市の医師簗瀬義亮先生の記念講演の一部を転載させて頂きました。)
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9. 悩みぬいた慢性関節リウマチ | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
府中市 S.O.
陽春も間近くなりました。体調わるく病院通いに日を送り、誠に不如意のあけくれを過ごしていました。この間青汁乾燥顆粒と粉末を飲用しましたが、仲々のみにくく手こずりました。慢性関節リウマチでひざ、両肩、両ひじ、手首、手指まで痛みなんぎいたし、極力理学療法でこれ以上の悪化を防ぎたく念願治療につとめました。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
10. 膠原病に著効 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
岡山県 A.H.
(福嶋さんのご主人=37才、会社員=は、膠原病で2年前から入退院をくりかえしていられたが、青汁の大量飲用で急速に回復された。その間の詳しい手記をいただいたので、大要を紹介したい。) (遠藤)
経過
そのいきさつ 「3月に入院した時、里の母より、近所の方が自家製の青汁で心臓病を治されたことを聞き、話に聞いた事のある先生の青汁を、失礼ながら半信半疑で飲み始めました。飲みにくく、1本がやっとでしたし、そんなに沢山飲まなければならないとは思っていませんでした。 ところが、偶然立ち寄った古本屋で、貝原先生の『青汁とともに36年』を発見。 この本と出会わなければ、一日1本だけで終わっていたでしょう。そして、青汁配達の橋本さんから新聞を頂き、総会に出席しましたお蔭で大量飲用に踏み切ることが出来ました。」 その後の経過
とあったが、9月7日、退院の挨拶にみえた(ご主人自ら車を運転して来られた)時の話では、「今は毎日21本のんでいる。シビレ感がいくらか残っているだけで、あとはすこぶる快調だ」とのことだった。 福嶋さんご自身の体験 普段から便秘がちで、気がついたら4、5日なかったなどということはざらでした。それが、入院の主人と共に、最初1本、現在4本飲用するようになってから、一日2回の快便。出産後痔で苦労しており、3人目を出産してからは脱肛から痔瘻に移行、一週間ほどで膿がたまり難儀しておりました。 それが、青汁を始めて一ヶ月ほど経った頃より膿がたまらなくなり、現在まで、全く痛みを感じることがなくなりました。 また、歯みがきの際、いつも少しの出血があったのですが、いつの頃からかそれもなくなりました。さらに、小学校6年の頃から近視になり、乱視を伴い、0.01あるかないかという状態だったのが、2週間ほど前メガネが合わない気がしてメガネ店に行ったところ、乱視が治り、視力も0.1まで回復しているとのこと。こんなに早く青汁の効果が着実に現われるなんて驚きと喜びの毎日でございます。 先生のご本や食養に関する本を読んで、つくづく食生活のまちがいを痛感致しました。 日頃、肉食に傾いてはいけないと思っていても、ついつい好物の肉、魚を主にした食事になっておりました。 この第一内科は肝臓病の方が殆んどですが、聞いてみると、やはり肉が大好き、甘いもの大好きの方が多い様です。美食の時代、飽食の時代と言われ、世の中全体がグルメグルメと騒いでいる中での食事療法には、確固たる信念と弛みない努力が必要であると思います。 と同時に、家族の理解と協力も継続していく上での必要条件だと思います。 先生のご著書の中に“生命をかけて飲む”というお言葉がございますが、まさにその通りだと、中途半端な気持ちでは継続できないと思います。“食は命なり““食は薬なり”ということに現代の医師は全く無関心。いつまでたっても対症療法の繰り返えし、患者は入退院をくり返えし、最後は、病室で淋しい死を遂げる。 本当にこの3ヶ月の間に何人見送ったことでしょう。中には青汁を飲み始め、すぐ主治医から取りあげられた方もありました。 「そんなモノを飲むんだったら、僕はもう責任を持ちませんよ!!」 と叱られたそうです。これから益々こんな医者がふえ続けるのでしょうか。もっと早く食のまちがいに気がついていればと悔やまれますが、人間勝手なもので、大病をしてみて初めて気づき、改めることが出来るのかも知れません。食欲があるうちに、まだ気力・体力が残っているうちに、先生とまた青汁と出会えたことに感謝する毎日でございます。 (7・7)
本当に健康に勝るものはありません。健康でなければ明るい生活は望めないと思います。家族のうちのだれが病んでも家庭の中は暗く、沈んでしまいます。健康をあずかる主婦として責任を感じ、深く反省している次第でございます。 重病人をかかえる大学病院の宿命でしょうが、ここのところ次々と親しくしていた方が亡くなりました。そのお一人は肝臓ガンでした。一生懸命青汁を飲もうとされていたのですが、すでに末期で食欲がなく、飲み続けることが出来ませんでした。 付添いの奥さんから“福嶋さんは私達の夢だから、必らず元気になって主人の分まで生きて下さい”と言われました。ここにいて愛する者を失う悲しみ、辛さ、嘆きをいやというほど見せられました。そして現代の医学の無力さ。一ヶ月前まで元気で歩いていた人が、日増しに弱っていき、最後には死を覚悟することも出来ず、無念さと絶望感、孤独と恐怖の中で息をひきとる。 家族もただ死を待つしか手はない。確かに医学技術は進み、精密機械で体内の細部まで検査が可能になりました。でも、治療法は相変わらず薬に頼るのみですから、薬害はさらに広がるでしょう。 もっと本当の意味の栄養。西洋から入ってきた栄養学ではなく、日本人の体質に合った日本人の為の栄養学を学ぶべきではないでしょうか。 大変、生意気なことを書きましたが、最近、切実に感ずるところを述べさせて頂きました。 幸いにも、我が主治医は理解があり、私達の訴えに耳を傾けて下さり、青汁の大量飲用を許可して頂いてます。この上は迷うことなく、一心にこの道をめざし、先生のお教えを実践して行きたいと思います。 そして、今後は、家族は元より友人知人にも「食養」の大切さを話し、食のまちがいを少しでも多くの方々に知ってもらいたいと思います。 (7・24)
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11. 膠原病に著効 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
お蔭様で10月31日無事鳥取の実家へ戻りました。 (62・11・30)
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12. 腎炎のある膠原病 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
医学博士 遠藤 仁郎
「膠原病の娘さんですが肝臓も腎臓もよくないんだそうです。青汁はどうでしょうか?」 (63・9)
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13. 多発性筋炎 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
医学博士 遠藤 仁郎
「多発性筋炎といわれています。青汁はどうでしょうか?」との電話。 (平成元・11)
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14. 難病体験記 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
岡山市 K.I.
ながい間、いろいろ厄介な症状――ネフローゼ、はげしい冷えとベトベト汗、カゼひき、白髪、肝臓、甲状腺、膠原病(おそらくすべて、膠原病によるものと思われますが)――に悩まされていたのが、イモ・マメ・ナッパ・青汁食でよくなった、という貴重な体験記です。 12月耳が痛いほど顔がむくんで、ネフローゼの再発かと思って病院へ行ったが、ネフローゼではなく甲状腺炎(橋本病)との事。 抗体が6,000、白血球が5,000。又、朝夕コップ半杯ずつ小松菜の青汁飲みはじめる。 検査のたび抗体は8,000 12,500 25,000と増えてゆき、白血球はだんだんと減って3,000になる。 1989年(平1)10月抗体は10万となって、血液も注射針をさしても、なかなか出てこなくて、顔色も青黒く、お風呂に入っても疲れから、のどが痛くなって、熱を出し、3日ほど寝込むようになり、医者からは、膠原病の値も少しだけどあるとの事。 思いあまって東京の田辺先生に相談。 1989年(平1)11月23日からケール6袋、小松菜コップ半杯とイモ・マメ・ナッパ食始める。 12月26日の検査で、抗体は25,000に減り、白血球は3,500になったが、機能は低下しているとの事。 いろいろの症状が出て、失禁も増々ひどくなるばかり。 不安で、何度もケールやめようと思いましたが、田辺さんや主人にはげまされて、頑張っているうち、1990年(平2)の1月7日、ほとんど真白だった髪の毛が半分くらい黒く変っているのと爪の3ヶ月の白い所の線も、入道雲のようにデコボコになっていたのが、1本だけきれいな曲線に戻っているのに気がつき、不安も少し薄らいで、これでやってみようと思うようになりました。 いつのまにか尿失禁も治ってしまいました。 2月に入って主人のインフルエンザがうつり、下痢や、胸も重苦しくなり、又長い間寝込むのかとゆううつになったのですが、ちょっと微熱が出ただけで、動きながら治ってしまいました。 今までの私だと、軽いカゼをひいただけで延々と治らず、37℃ちょっとの熱がいつまでも続いて、クスリを飲んでも効かず、のどと気管が痛く、食欲も段々となくなって、やっと治っても今度はベトベト汗と、異状と思えるほどの冷えとで、1週間もしないうち、又、カゼをひき、気管に入ってくるのを、くり返しでいつも温布して、寝ているしかなかったのですが・・・・・・。 この頃では、冷えが少し軽くなってきたのもあるかも知れませんが、あまりカゼもひかず、のどが痛くなったり、多少寒気があっても、動きながら治ってくれるので、前に比べて信じられない出来ごとです。 3月29日の病院の検査で、前回と平行線との事で、ちょっとがっかりしたのですが、頑張ります。 5月7日現在カゼもほとんどひかなくなったのですが、不安な事も多く、一喜一憂しながら過ごしています。 髪の毛もゆっくりですが黒い毛が増えていって、ピンク色だった頭皮も、ところどころ白く変ってきているのですが、ここ1ヶ月ぐらい、抜毛がひどくて心配になったり、バカみたいに、手足がだるく辛くて、ごろごろしている時があったりします。 顔も前のようにはむくみませんが、時々アゴの下から耳の下あたり、つるような感じでハレているように思います。 お風呂にも思い切って入ってみましたが、大丈夫でした。 今では3日に1回くらい入っています。 顔色もたまに茶色のときもありますが、明るい色の日が多くなりました。 食事は今迄どおり、イモ・マメ・ナッパに青汁(小松菜)コップ1杯弱とドライ顆粒ケール6袋続けています。 おかゆは週に2回だけ。あまり冷えなくなったと云っても、普通の冷え症はずっと重症です。 冷え症が治って、抗体とかが無くなるまで頑張りたいと思っています。 (平成2・5)
さいきん(平成2年9月)の電話によると、其の後、不思議な程、冷え症は全くなくなって、動き廻れるようになりました。 主人や近所の人も、病人ではないように元気そうだと言われますが、まだ、手のだるいのがとれません。 甲状腺のためでしょうかと思います。 其の外はとてもよくなっている、とのことです。 (田辺氏より)
おしらせありがとうございました。 ご快方にむかわれおめでとうございます。 ちかごろ、こういうわけのわからない病気がふえて来ているようです。 医学の進歩で、くわしい検査はされますが、診断がなかなかつきません。 原因や本態がはっきりしないので、適確な治療もなく、あてずっぽというのではないでしょうが、いろいろ新薬がつかわれ、時には、そのため、かえって、いっそうややこしくなることもあるようです。 その多くは、膠原病といったたぐいのように感じられますが、こんな病気のばあい、ともかく熱心に青汁中心の正しい食養生をやってみるべきだ、とつくづく思います。 (平成2・10)(遠藤)
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