健康と青汁タイトル小
エリテマトーデス・膠原病:掲載紙面選択



1. 著効に驚く

    岐阜県 S.T. 

     ここ2、3年来、「血栓性静脈炎および膠原病」で苦しんでまいり、岐阜、名古屋、東京の各地で入院加療いたしましたが、一向はかばかしくなく困っておりました。この六月末より青汁をこころみたところ、メキメキと食欲がつき、手足の冷えの感じも減り、重かった足どりも次第に軽くなり、またリューマチ的な痛もなくなり、大層よろこんでおります。


2. 見放された難病が

     梁瀬 義亮 

     私、微力をつくして無農薬有機農法の普及に努力いたしています。
     財団法人慈光会も健全に進ませていただいています。
     先生のご研究により、私も臨床に応用し、大勢の人々が助かってくれました。
     とくに印象に残っているのは、絶望として大病院で見放された膠原病、全身リウマチ、慢性腎炎の患者です。
     その他、この15年間、ほんとうに大勢の人が元気になってくれました。
     心から御礼申し上げます。

    (医師)


3. 頭をまっ黒にするんや

    泉大津 S. 

     関節リウマチの年配の方。
     青汁をのみはじめて、まもなく膝関節のハレがとれ、半年もすると痛くもなくなり、白髪の頭に黒い毛がはえた。
     「頭をまっ黒にするんや」と奥さんと2人で毎日1升5合のんでいられる。
    (泉大津 新羅さんのお話)


4. 青汁のおかげ

    宮崎県 S.H. 

     青汁のおかげを持ちまして、薬をのむことなく忙しい毎日を過しております。
     のみはじめて7年程になりますが、関節リウマチといわれて水を2、3回取りましたスネも今はよくなりました。
     病院の先生が、「よくもそんなに病気をさがし出して来るものだね」といって笑って下さったほどの血圧、かぜ、腹も、今は快くなり、亡くなられた先生がなつかしくなります。
     朝から夜の10時まで立ち通しの毎日ですが、元気に働くことの出来るのも、みな青汁のおかげと本当に有難く思っております。
     何といっても、根気よくのむことが大切と思います。
     人々にすすめても続かない、残念に思います。


5. 膠原病よくなる

    北海道 K.A. 

     50年8月、1週間九度の熱。
     入院1ヶ月。貧血があり、いろいろ検査したが原因不明で退院。微熱はつづいていた。12月、ほかの病院でリウマチといわれ、通院。
     51年2月発熱、入院。検査の結果札幌の病院を紹介され、入院。
     5月はじめ膠原病とのことで治療開始。
     9月まで通院。玄米菜食をしている東京の娘に誘われて10月上京。
     これを機会に医薬は一切飲まず、ローヤルゼリー、サメエキス、クロレラ等で53年まで寝たり起きたりの生活。
     その後快的にすごしていたが、56年4月から過労がつづき、8月13日また発熱(38.5度)。入院。1週間で下熱、9月14日退院。9月30日より顆粒を1日6袋のみ始める。
     小松菜、馬鈴薯、豆腐、納豆、果物を中心に、魚類も時々食す。
     その後好調だったが、57年4月過労のためか22日から39度の発熱がつづき中々下らず。
     29日から西瓜とケールだけにし5月2日やっと下熱。
     9日から毎日散歩し疲れぬ程度の台所仕事もできるようになり、尓来ずっと調子がよい。

    (57・12)


6. エリテマトーデス

    福井県 S.S. 

     青汁を一年余り殆んど休まず飲んでいます。お蔭で最近は貧血も少しよくなり、人生に自身のようなものも出て来ました。膠原病の中の「全身性エリテマトーデスとレウマチ」をわずらっていますが、大分元気になり痛みも少なくなり、体もしっかりして来たように思えてよろこんでいます。


7. 原因不明の貧血

    東 S.U. 

     私は原因不明の貧血、母親は膠原病で39度以上の熱が何回も出て、2回も入院していましたが、お蔭様で母も私もとても元気になりました。ケールのお世話になって1年でございます。


8. 現代の奇病“膠原病”は食品添加物による毒作用

     51才女。若くして夫に死別した彼女は、残された二人の男の子のために日夜働きつづけた。
     そしてついに二人を立派に大学を卒業させ就職させたのである。しかし忙しさのあまり、永い間食事はインスタント食品が主であった。二人の息子を育て上げて気のゆるんだ彼女を襲ったのは、現代の奇病、膠原病であった。方々の大病院へ入院して治療をうけたが、病は悪くなる一方で、高熱は約4週間つづき、全身の関節は腫れていたみ皮膚はどす黒くなり、その上に気味悪い発疹が出来ていた。そしてついに全身に浮腫が現われ出した。ようやく死期の近いことを悟った彼女は事故退院して郷里の五条へ帰って来た。
     往診した私の前で、彼女は身の不幸をかこってさめざめ泣いた。
     「現代医学では不治といわれるかも知れません。しかし生命の医学によれば、まだまだ治る可能性があります。勇気を出しなさい。まず心から神仏を拝みなさい」
     永い間インスタント食品ばかりをたべていたための恐ろしい欠乏と食品添加物による毒作用がこの病気の最大原因と考えて、私は詳しく食事の注意を与えた。又、青汁療法を教えて青汁を一日に3〜4合(546〜726ミリリットル)飲むように指示した。勿論現代医学による対症療法も行なった。彼女は必死になって実行し、その友人である私の会の会員らは、まめまめしく彼女のために完全無農薬有機栽培の野菜を届けつづけた。
     2ヶ月間は熱をはじめその他の症状は一進一退であったが、どこか元気が出てきて、発疹も少なくなってきた。4ヶ月すると熱が出なくなった。そして1年くらいで彼女はついに略治したのである(勿論、疲れやすいとか、その他多少の後遺症は残っているようである)或る日彼女は、かつて入院していた病院の主任看護婦と町でばったり出会った。「あら貴方、生きていたの」看護婦は思わず叫んだ。彼女はその足で私の家へ来て涙を流して感謝した。
     私も遠藤先生のお徳を感謝し讃えた。とにかく遠藤先生の青汁療法は、すばらしい効果をもたらすことが多い。


    (本文は去る6月14日、大阪府谷町福祉センターにおいて開催された、ケール健人の会の「青汁による治病体験報告集会」において、慈光会理事長 奈良県五条市の医師簗瀬義亮先生の記念講演の一部を転載させて頂きました。)


9. 悩みぬいた慢性関節リウマチ

    府中市 S.O. 

     陽春も間近くなりました。体調わるく病院通いに日を送り、誠に不如意のあけくれを過ごしていました。この間青汁乾燥顆粒と粉末を飲用しましたが、仲々のみにくく手こずりました。慢性関節リウマチでひざ、両肩、両ひじ、手首、手指まで痛みなんぎいたし、極力理学療法でこれ以上の悪化を防ぎたく念願治療につとめました。
     もとから足首が悪かったのですが進行いたし、目下は500メーター位は歩けますようになりました。手は、とにかく、日常生活を、やっと工夫してつかっております。座ることは出来ません。肩も手が頭にやっと届くようになりました。腰のいたみはとまりました。不順な天候に左右されますので、今後も注意を怠らず、病気と上手につき合い乍ら、気落ちせず努力しております。よろしく御指導下さいませ。


10. 膠原病に著効

    岡山県 A.H. 

    (福嶋さんのご主人=37才、会社員=は、膠原病で2年前から入退院をくりかえしていられたが、青汁の大量飲用で急速に回復された。その間の詳しい手記をいただいたので、大要を紹介したい。)

    (遠藤)

    経過
    昭和51年10月定期健診で高血圧(150〜160/90〜100)を指摘され、要注意といわれたが、これという症状もないので、あまり心配しなかった。
    54年02月ごろからアレルギー性鼻炎。
    58年11月カゼをこじらせ咳がつづく。
    59年02月から喘息として漢方薬服用。ただし効果がないので3ヶ月で中止。
    60年05月胸苦しく、息切れ、動悸。
    10月下肢に紫斑を生じ水泡となる。同時に、右眼球マヒと左下股のシビレを来す。会社病院に入院、ステロイド剤服用開始。
    12月再び紫斑。ついでステロイドの副作用による胃潰瘍。月末退院。
    61年02月ステロイドのおそろしさに、2.5錠を一気に中止し、喘息増悪(心臓喘息)。
    05月にはレイノー症状あらわれ、
    06月岡大内科入院。アレルギー性肉芽腫性血管炎として、ステロイド再開(8錠より漸減)。
    8月14日夜トイレで意識不明発作(脳梗塞)。意識は3〜4日で回復したが、言語障害約一ヶ月つづき、後遺症として右手感覚の異常がいまだに残っている。
    62年02月ステロイド2錠で症状安定し退院、自宅療養。
    3月24日会社復帰二日目、転換様痙攣発作あり入院。検査の結果、心臓はかなり肥大し、いつ心不全が起るか知れない状態、脳の血管もどこが詰ってもおかしくない状態だ、といわれ、
    27日大学へ転院、膠原病。
     つまり、10年来高血圧があり、2年前からは膠原病の諸症状が出没、入退院をくりかえし、治療をうけていたが、目立った効果は見られなかった。
     そして、4月9日から青汁をのみ始めた。一日1本5勺瓶)。
    5月にはいって4本、ついで5本。
    5月17日総会出席後12本にし、
      29日からは毎日17本。

    そのいきさつ
     「3月に入院した時、里の母より、近所の方が自家製の青汁で心臓病を治されたことを聞き、話に聞いた事のある先生の青汁を、失礼ながら半信半疑で飲み始めました。飲みにくく、1本がやっとでしたし、そんなに沢山飲まなければならないとは思っていませんでした。
     ところが、偶然立ち寄った古本屋で、貝原先生の『青汁とともに36年』を発見。
     この本と出会わなければ、一日1本だけで終わっていたでしょう。そして、青汁配達の橋本さんから新聞を頂き、総会に出席しましたお蔭で大量飲用に踏み切ることが出来ました。」


    その後の経過
    痙攣発作 これは61年8月にできた脳のキズがまわりを刺激しておこるものだそうだが、4月12日に10分程度の軽いもの。5月12日かなり激しいものがあったが6月30日5分程度の軽いのを最後に、それいらい全然なし。
    心臓 7月7日の検査では、不整脈はまだ一日数回あるが、心電図は健康人より少し動きが悪い程度。同24日には、諸検査成績(心エコー、24時間ホルダー定期的心電図)すべて好調。不整脈殆んどなくなり、脈50前後(平素60)。自覚的にも、「今までは、いつも心臓の存在を意識し、僅かなことにも動悸がしていたが、この頃は少々のことでは動じなくなり、とても楽になったそうです。私の目から見ても、ずいぶん人が変ったように見えます。」
     「現在服用している薬は、ステロイド3錠(15ミリ)、脳循環2種類、不整脈をおさえる薬2種類、抗けいれん剤2種類、喘息4種類、血圧(降圧剤)2種類、胃薬2種類ですが、喘息、血圧、胃の薬は現在のんでいません。
    血圧 12年間降圧剤をずっとのみ続けていましたが、下がらなかった血圧(相変らず150〜160/100〜110)が、6月中旬から140〜150/100〜110になり、7月に入ってから120〜140/70〜90と、約2ヶ月の青汁服用で、着実に平常値に戻りましたのでお薬はやめました。
    現在の症状 現在(7月下旬)残っている症状は、左手左足末端のシビレと離人症状(自分の体としての一体感がない)。両眼の視野の一部がずれて見える。喘息(朝方痰が少しからむ)というようなことがあります。大量飲用し始めてから、まだ2ヶ月ほどですから、欲を出してはいけないと思います。2ヶ月でここまで回復したのですから、本当に有難い限りです。これからも気を抜かず、先生の教えを守り頑張ります。

     とあったが、9月7日、退院の挨拶にみえた(ご主人自ら車を運転して来られた)時の話では、「今は毎日21本のんでいる。シビレ感がいくらか残っているだけで、あとはすこぶる快調だ」とのことだった。

    福嶋さんご自身の体験
     普段から便秘がちで、気がついたら4、5日なかったなどということはざらでした。それが、入院の主人と共に、最初1本、現在4本飲用するようになってから、一日2回の快便。出産後痔で苦労しており、3人目を出産してからは脱肛から痔瘻に移行、一週間ほどで膿がたまり難儀しておりました。
     それが、青汁を始めて一ヶ月ほど経った頃より膿がたまらなくなり、現在まで、全く痛みを感じることがなくなりました。
     また、歯みがきの際、いつも少しの出血があったのですが、いつの頃からかそれもなくなりました。さらに、小学校6年の頃から近視になり、乱視を伴い、0.01あるかないかという状態だったのが、2週間ほど前メガネが合わない気がしてメガネ店に行ったところ、乱視が治り、視力も0.1まで回復しているとのこと。こんなに早く青汁の効果が着実に現われるなんて驚きと喜びの毎日でございます。

     先生のご本や食養に関する本を読んで、つくづく食生活のまちがいを痛感致しました。
     日頃、肉食に傾いてはいけないと思っていても、ついつい好物の肉、魚を主にした食事になっておりました。
     この第一内科は肝臓病の方が殆んどですが、聞いてみると、やはり肉が大好き、甘いもの大好きの方が多い様です。美食の時代、飽食の時代と言われ、世の中全体がグルメグルメと騒いでいる中での食事療法には、確固たる信念と弛みない努力が必要であると思います。
     と同時に、家族の理解と協力も継続していく上での必要条件だと思います。
     先生のご著書の中に“生命をかけて飲む”というお言葉がございますが、まさにその通りだと、中途半端な気持ちでは継続できないと思います。“食は命なり““食は薬なり”ということに現代の医師は全く無関心。いつまでたっても対症療法の繰り返えし、患者は入退院をくり返えし、最後は、病室で淋しい死を遂げる。
     本当にこの3ヶ月の間に何人見送ったことでしょう。中には青汁を飲み始め、すぐ主治医から取りあげられた方もありました。
     「そんなモノを飲むんだったら、僕はもう責任を持ちませんよ!!」
     と叱られたそうです。これから益々こんな医者がふえ続けるのでしょうか。もっと早く食のまちがいに気がついていればと悔やまれますが、人間勝手なもので、大病をしてみて初めて気づき、改めることが出来るのかも知れません。食欲があるうちに、まだ気力・体力が残っているうちに、先生とまた青汁と出会えたことに感謝する毎日でございます。
    (7・7)


     本当に健康に勝るものはありません。健康でなければ明るい生活は望めないと思います。家族のうちのだれが病んでも家庭の中は暗く、沈んでしまいます。健康をあずかる主婦として責任を感じ、深く反省している次第でございます。
     重病人をかかえる大学病院の宿命でしょうが、ここのところ次々と親しくしていた方が亡くなりました。そのお一人は肝臓ガンでした。一生懸命青汁を飲もうとされていたのですが、すでに末期で食欲がなく、飲み続けることが出来ませんでした。

     付添いの奥さんから“福嶋さんは私達の夢だから、必らず元気になって主人の分まで生きて下さい”と言われました。ここにいて愛する者を失う悲しみ、辛さ、嘆きをいやというほど見せられました。そして現代の医学の無力さ。一ヶ月前まで元気で歩いていた人が、日増しに弱っていき、最後には死を覚悟することも出来ず、無念さと絶望感、孤独と恐怖の中で息をひきとる。

     家族もただ死を待つしか手はない。確かに医学技術は進み、精密機械で体内の細部まで検査が可能になりました。でも、治療法は相変わらず薬に頼るのみですから、薬害はさらに広がるでしょう。
     もっと本当の意味の栄養。西洋から入ってきた栄養学ではなく、日本人の体質に合った日本人の為の栄養学を学ぶべきではないでしょうか。
     大変、生意気なことを書きましたが、最近、切実に感ずるところを述べさせて頂きました。

     幸いにも、我が主治医は理解があり、私達の訴えに耳を傾けて下さり、青汁の大量飲用を許可して頂いてます。この上は迷うことなく、一心にこの道をめざし、先生のお教えを実践して行きたいと思います。
     そして、今後は、家族は元より友人知人にも「食養」の大切さを話し、食のまちがいを少しでも多くの方々に知ってもらいたいと思います。
    (7・24)


11. 膠原病に著効

     お蔭様で10月31日無事鳥取の実家へ戻りました。
     8月に退院し無事に3ヶ月を迎えました。
     退院してから今日まで、ゆっくり落ち着く間もなく、バタバタと忙しく暮しておりますが、疲れも出ず、鳥取での病院の検査結果も異常なく、体調はすこぶる快調でございます。
     青汁は田辺さんから毎週10リットル送って頂いております。
     今年の4月から飲み始め、今、8ヶ月が過ぎるところです。
     現在の状態は、血圧もさがり、喘息も出ず、けいれんの発作も今のところ起きておりません。
     長いこと気になっておりました手足のしびれも殆んどとれ、少しずつ体に自信もついてまいりました。
     この調子で回復すれば、4月からの社会復帰も夢ではないと思います。

    (62・11・30)


12. 腎炎のある膠原病

     医学博士 遠藤 仁郎 

     「膠原病の娘さんですが肝臓も腎臓もよくないんだそうです。青汁はどうでしょうか?」
     「膠原病にも肝臓・腎臓にもよろしい。大いにのむべきです。ただし、腎炎があるとちょっと問題になるかも知れません。腎炎でも、ごく末期以外少しも差支ない、と私は思っていますが、一般にはナッパ・青汁はひどく恐れられ嫌われているんです。
     それは、ナッパ・青汁にはカリウムが多いので、腎炎でその排泄が十分でないばあい、血の中にたまり(高カリウム血症)、急に心臓をいためる恐れがあるから。というのです。
     しかし、そういう状態は末期の尿毒症だけで、どの腎炎でもというわけではありません。
     しかも、青汁にするような良質ナッパには、カリウムの中毒を防ぐ成分(カルシウムその他)もありますから、むやみに心臓がやられることはありません。
     現に、透析中の体調障害さえ青汁でよくなるという事実もあるほどなんです。
     けれども、何分にも学会の大御所の先生がたが一斉にカリウム恐怖症にかかっていられるので、無力な私ごとき田舎医者のいい分など、とても通用いたしません。
     そこで、要は主治医の先生の料見しだい、ということになります。
     さいわいにその諒解がえられれば、安心して大いに飲む、もし不幸にしてとめられるならやむをえません。
     コッソリとでも飲む。ご存じでしょうが、膠原病はいまの医学では治りにくい、いや治せない難病です。
     好んでつかわれるステロイド剤(プレドニン)にしても、症状をおさえてくれることはたしかですが、あれだけで完治するきめてにはなりかねています。
     一流の病院や大学で何年ものながい間もて余していたのが、青汁の大量で2〜3ヶ月で好転、数ヶ月で完治しているんですから(本紙377号参照)、迷うことなく、おそれられている高カリウム血症に注意しながら、ともかく熱心にやってみるべきだ、と思います。

    (63・9)


13. 多発性筋炎

     医学博士 遠藤 仁郎 

    「多発性筋炎といわれています。青汁はどうでしょうか?」との電話。
    「原因のわからない病気の一つです。膠原病ににたものと思いますが・・・・・・。」
    「先生もそういっていられました。」
    「その一つに皮膚筋炎というのがありますが、それで長くわずらっていた青年が、熱心に青汁中心の食事をやり(イモ・マメ・ナッパ・青汁食)、完全に治ったのがあります。しっかりやってみられてはいかがです・・・・・・。」
    「それに、ふとって困っています。」
    「それは、多分、プレドニンがつかわれているからでしょう。」
    「お医者さんもそういわれていますが、もともとふとりだちなんです。」
    「それにもその食事がよいでしょう。」
    「そのイモ・マメ・ナッパ食といいますと?」
    「お米のご飯の代りにおイモ(ジャガイモ・サツマイモなど)、肉や魚の切り身の代りに豆(大豆や胡麻、小魚類)。それに良質の青ナッパ中心の野菜・海藻類をうんと添え(簡単な調理、うす味)、青汁をうんと、少なくとも1日4〜5合(もとのナッパ1キロ)以上飲む。

     その他気をつけなければならないことは、タバコ、酒類はもとより糖分をすごさないこと。また、食べものはすべて自然の安全なものとし、農薬その他生産用の薬品や、加工品の各種添加物などに汚染されたもの、そのおそれのあるものは、極力さけること。
    青汁は、量が多いだけに安全・良質、農薬はもとより化学肥料もつかわず、昔ながらの堆肥を主とした自然農法によったものでなければなりません。したがって、市販のナッパ類は絶対ダメです。

    (平成元・11)


14. 難病体験記

    岡山市 K.I. 

     ながい間、いろいろ厄介な症状――ネフローゼ、はげしい冷えとベトベト汗、カゼひき、白髪、肝臓、甲状腺、膠原病(おそらくすべて、膠原病によるものと思われますが)――に悩まされていたのが、イモ・マメ・ナッパ・青汁食でよくなった、という貴重な体験記です。

     1977年(昭53)春先軽いカゼをこじらせる。12月ネフローゼ。入院。プレドニン8錠からはじめ、1週間で蛋白尿消失。
     プレドニンを少しずつ減らし、完全にやめると、1週間ほどで再発。
     1ヶ月くらいして、又、プレドニンをはじめ、1978年(昭54)の12月1年振りに完治。
     退院したが、1ヶ月ぐらいで、又、再発。
     お医者さんもあきらめ気味で、気をつけながらひかえめに生活していくしかないとの事。
     体はむくんで重く、このままでは生きていけないと思い、1979年(昭55)の3月遠藤先生の「青汁と健康」の本何回も読みかえし、それでも信じられないまま、小松菜を朝夕コップ1杯ずつ、飲んでみる。
     2週間くらいで蛋白尿(−)になる。
     病院ではかると、いつも(+2)とか(+3)くらい出て、お医者さんからも動いたら出るのは仕方ない事、これ以上に治すのは無理。上手にコントロールして、生きていくよう云われました。
     それでも青汁を信じて、続けているうち、6ヶ月くらいで、動いても蛋白尿(−)となる。
     ネフローゼは治ったものの、プレドニンを飲みだした頃からはじまった異状な冷えと、全身のベトベト汗。
     そのためカゼばかりひき、カゼが治っても、冷えと汗とで体がつめたく寒気がして、外にも出られず、2年くらいほとんど動けず、退院して3年目くらいから、汗もやっと治り、冷えは残ったものの、普通に動けるようになる。

     青汁は1年くらい毎日のんだのですが、長い時間水を使うのがつらくて、時々飲んでは止めてのくり返しで、3年くらいで止めてしまいました。
     その後今日までネフローゼの再発はなし。蛋白尿も(−)です。
     普通に動けるようになってから4年くらいは、冷えは前よりは少し楽で、カゼもあまりひかず、元気に過ごしていましたが、ネフローゼになった頃から白髪が急に増えはじめ、段々と白くなっていきましたが、動ける事が嬉しくて、真白になった髪も気にならなかったのですが、冷えだけは真夏でもホカロンなしではいられない。つらくてニンニクエキスとか朝鮮人参とか、人参のジュース(人参、セロリ、リンゴ)など飲んでいました。(どうやっても冷えは治らないようでした。ネフローゼになるまでは、冬でも素足で冷えるなんで事知らなかったのですが・・・・・・。)
     1986年(昭62)春先から体がだるく、海辺などに行くと、息が苦しくなったり、夏頃には洗たく干すのも嫌なくらい。
     病院へ行ったのですが、どこも悪い所はないとの事。(あとでわかったのですが、この時血沈がとても悪かったそうです。)
     12月のはじめ微熱が出て、のどや胸が痛くなり、風邪との事で、抗生物質のみましたが、いつまでたっても治らず、食欲もなく、体もつらくて、3ヶ月間服薬をつづけてのみ、また入院の話が出たので病院をかえてみる。
     1987年(63)4月こんどの病院ではカゼではないとの事で、薬は中止。
     ただし肝機能が少し悪くなっているとの事でしたが、薬をとると、やがて体も楽になり、肝機能も治ってくる。
     でも、又ベトベト汗がはじまり、冷えも昔のようになり、カゼをひいては熱のくり返しなので漢方薬を飲む。

     〃 

     12月耳が痛いほど顔がむくんで、ネフローゼの再発かと思って病院へ行ったが、ネフローゼではなく甲状腺炎(橋本病)との事。
     抗体が6,000、白血球が5,000。又、朝夕コップ半杯ずつ小松菜の青汁飲みはじめる。
     検査のたび抗体は8,000 12,500 25,000と増えてゆき、白血球はだんだんと減って3,000になる。
     1989年(平1)10月抗体は10万となって、血液も注射針をさしても、なかなか出てこなくて、顔色も青黒く、お風呂に入っても疲れから、のどが痛くなって、熱を出し、3日ほど寝込むようになり、医者からは、膠原病の値も少しだけどあるとの事。
     思いあまって東京の田辺先生に相談。
     1989年(平1)11月23日からケール6袋、小松菜コップ半杯とイモ・マメ・ナッパ食始める。
     〃 

     12月26日の検査で、抗体は25,000に減り、白血球は3,500になったが、機能は低下しているとの事。
     いろいろの症状が出て、失禁も増々ひどくなるばかり。
     不安で、何度もケールやめようと思いましたが、田辺さんや主人にはげまされて、頑張っているうち、1990年(平2)の1月7日、ほとんど真白だった髪の毛が半分くらい黒く変っているのと爪の3ヶ月の白い所の線も、入道雲のようにデコボコになっていたのが、1本だけきれいな曲線に戻っているのに気がつき、不安も少し薄らいで、これでやってみようと思うようになりました。
     いつのまにか尿失禁も治ってしまいました。
     2月に入って主人のインフルエンザがうつり、下痢や、胸も重苦しくなり、又長い間寝込むのかとゆううつになったのですが、ちょっと微熱が出ただけで、動きながら治ってしまいました。
     今までの私だと、軽いカゼをひいただけで延々と治らず、37℃ちょっとの熱がいつまでも続いて、クスリを飲んでも効かず、のどと気管が痛く、食欲も段々となくなって、やっと治っても今度はベトベト汗と、異状と思えるほどの冷えとで、1週間もしないうち、又、カゼをひき、気管に入ってくるのを、くり返しでいつも温布して、寝ているしかなかったのですが・・・・・・。
     この頃では、冷えが少し軽くなってきたのもあるかも知れませんが、あまりカゼもひかず、のどが痛くなったり、多少寒気があっても、動きながら治ってくれるので、前に比べて信じられない出来ごとです。
     3月29日の病院の検査で、前回と平行線との事で、ちょっとがっかりしたのですが、頑張ります。
     5月7日現在カゼもほとんどひかなくなったのですが、不安な事も多く、一喜一憂しながら過ごしています。
     髪の毛もゆっくりですが黒い毛が増えていって、ピンク色だった頭皮も、ところどころ白く変ってきているのですが、ここ1ヶ月ぐらい、抜毛がひどくて心配になったり、バカみたいに、手足がだるく辛くて、ごろごろしている時があったりします。
     顔も前のようにはむくみませんが、時々アゴの下から耳の下あたり、つるような感じでハレているように思います。
     お風呂にも思い切って入ってみましたが、大丈夫でした。
     今では3日に1回くらい入っています。
     顔色もたまに茶色のときもありますが、明るい色の日が多くなりました。
     食事は今迄どおり、イモ・マメ・ナッパに青汁(小松菜)コップ1杯弱とドライ顆粒ケール6袋続けています。
     おかゆは週に2回だけ。あまり冷えなくなったと云っても、普通の冷え症はずっと重症です。
     冷え症が治って、抗体とかが無くなるまで頑張りたいと思っています。
    (平成2・5)

     さいきん(平成2年9月)の電話によると、其の後、不思議な程、冷え症は全くなくなって、動き廻れるようになりました。
     主人や近所の人も、病人ではないように元気そうだと言われますが、まだ、手のだるいのがとれません。
     甲状腺のためでしょうかと思います。
     其の外はとてもよくなっている、とのことです。
    (田辺氏より)


     おしらせありがとうございました。
     ご快方にむかわれおめでとうございます。
     ちかごろ、こういうわけのわからない病気がふえて来ているようです。
     医学の進歩で、くわしい検査はされますが、診断がなかなかつきません。
     原因や本態がはっきりしないので、適確な治療もなく、あてずっぽというのではないでしょうが、いろいろ新薬がつかわれ、時には、そのため、かえって、いっそうややこしくなることもあるようです。
     その多くは、膠原病といったたぐいのように感じられますが、こんな病気のばあい、ともかく熱心に青汁中心の正しい食養生をやってみるべきだ、とつくづく思います。
    (平成2・10)(遠藤)




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