<1979年8月15日発行 第276号>
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目次
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1. 養殖ハマチ
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医学博士 遠藤 仁郎
さきごろ、NHKテレビで、ハマチの養殖について放映され、斃死魚の多いこと。それが、これまでなかったバイ菌(レンサ菌)の感染による敗血症であること。そして、予防薬も効果がないこと。しかも、もともとの原因はエサのやりすぎにある、と聞いて、まったくあきれかえってしまった。
ハマチは大変な貧食魚でエサさえ十分なら、天然もののブリが6年かかるところを4年で成長する。それだけ利潤が大きいわけで、生産者は安いイワシをどんどん食わせる。しかし、イケスの中で、いつも飽食し、運動不足に陥っているハマチは、自然、弱体化してくる。そこへ、食い残りのエサの腐敗で水質はよごれ酸素が不足する(夏に多い赤潮の影響もあろう)という環境の変化も加わり、それだけで死ぬものもあれば、感染をうけやすくもなる。
抵抗力(自衛能・自癒能=生命力)のおとろえたハマチには、有力な予防薬もはかばかしくきかないのも当然であり、たびたびあたえる薬剤にたいしバイ菌がしだいに強くなり耐性となってくるのも、また、しごく当然のこと。対策としては、エサをへらし、環境をよくし、運動をさかんにやらせる。つまり痩せさせる、しかないのだが、それではソロバンが合わぬ。せめて、生き残ったやつだけでも、はやくそだてあげてと、いっそうエサを多くし、肥り薬もあたえる。そして、弱体化はいよいよつのり、斃死魚はますますふえる、といった悪循環で、いまでは、もうどうにも処置なし、お手あげという状態においこまれてしまっている。
これほど手を焼き、苦労をかさねてそだてたダブブクレのハマチ。なるほど見かけだけはいかにも立派だし、値も張るだろうから、生産者にとってはとてもの魅力、大きなバクチもやってみたくもなるのだろう。しかし、われわれ消費者にとっては、少しもありがたくはない。だいいち、味からしていただけない。こどもの頃、正月にはいつも大きな寒ブリが来、お節料理にしたり、粕づけにし、沖スキにもしたが、あのキリッとしまった肉をかみしめる味のよかったこと、いまだに忘れられない。で、季節になると、思い出しては買って来させるが、何にしてみても、いやにふやけてしまりのない肉で、どうしても昔の味がない。不思議に思っていたが、これも、いまどきわれわれの口にはいる「ブリ」は、みなこの養殖ハマチだとわかってみると、なるほどと合点もゆく。栄養的にも劣っている。
| 養殖ハマチ | イワシ | |
熱量 | 163 | 130 | カロリー |
蛋白質 | 21.0 | 17.5 | グラム |
脂肪 | 8.0 | 6.0 | 〃 |
カルシウム | 8 | 80 | ミリグラム |
リン | 220 | 240 | 〃 |
鉄 | 1 | 3 | 〃 |
ビタミンA | 40 | 60 | 国際単位 |
B1 | 0.14 | 0.02 | ミリグラム |
B2 | 0.10 | 0.15 | 〃 |
C | − | 1 | 〃 |
ハマチとイワシの栄養価をくらべてみると、表のように、蛋白質・脂肪はハマチがやや多いが大差はない。もっともめだったちがいはカルシウムで、イワシはハマチの10倍も多いことは、とくに注目すべきだ。
エサの浪費
しかも、エサのイワシの量は、ハマチの肉の数倍にもなるというのだから、海洋資源のしだいに窮屈になってきている折から、まことに浪費も甚しい贅沢そのものというほかない。だから、ハマチを養殖するよりはイワシのそのままを食べるほうが、どれだけ有利であるか知れない。見かけだけの高級魚にあこがれ、多大の労力と資源とをムダにしていることの、いかにむなしく愚かしいことであるか、もう、このあたりで猛反省すべきではあるまいか。そして、折角めぐまれており、味でも栄養的にもすぐれているイワシを、エサにしたり肥料にするなど、もったいないことをせず、もっともっとすなおにいただこうではないか。(54・4)
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2. 食料当面の間違いに対処するには(5)
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前回参照 |
友成 左近
調達上の心がけ
そこで、日々の食料調達にあたって大切なことは、こうした間違いの実状を、新聞その他の情報を参考にして詳しく理解すること、そして、ひとつひとつの食品をよく吟味して、安全度のより高いものを取捨選択することです。
従ってそれには、成分面と同様に、加工食品とりわけ既製食品は極力さけて、つとめて原材料を、それも安全度のより高いものを取り揃えて(そうすれば成分面の場合と同様に、芋と大豆が第一位になるのが実状ですが)、調理は家庭ですることが大切です。が、栄養摂取上必要不可欠な青野菜は、殆んどすべて危険度が高いので、家庭栽培や委託栽培に心がけて、安全なものを十分確保することが大切です。
そして、実状やむをえず加工食品や既製食品を使う場合は、品質表示その他に注意して、実状できるだけ安全度の高いものに限ること、従って、もしそうしたものが調達できない場合は(とくに療養中は)他の安全なもので代用することが大切です。
けれども、こう心がけても、日々それ相当量の有毒物を食べこむことはまぬがれないのが実状です。そこで大切なことは、成分面について前記のように心がけて、この有毒物の作用に抵抗できるだけの体力を養なうこと、また、食べこんだ有毒物の排泄を促進するように、線繊の多いもの(とりわけ青野菜)を沢山食べて便通をはかることです。
もしこれを怠って、市販のまま安易に調達すると、とりわけ家庭の炊事を省略して既製食品に依存すればするほど、それだけ有毒物を多種にわたって多量に食べこむようになります。そしてこうした有毒物は、殆んどすべて体内に蓄積し、しかも相乗的に作用するものが多いのです。従って、さしあたりどうこういうことはなくても、やがては必ず中毒作用があらわれて、まっ先に冒されるのが肝臓や腎臓や神経などです。
そして、いったん冒されると容易に治ってこない場合が多いのであって、日々の食料調達にあたって、ここのところをシカと理解もし自覚もすることが大切です。当節市販の食料には、いろいろ重大な間違いが伴なっているので、そこに対処して健康を保っていくには、さしづめ日々の食料調達にあたって、その実状を、食料の諸要件をあげて吟味して、間違いを最小限にくいとめるように選択することが大切であって、そのうち成分面と安全面については前記の通りです。
味わい面について
ついで第三は味わい面ですが、味わい面の間違いというのは、おいしくなくなった、まずくなったということです。が、それはひっきょう、原材料では、その持ち味が劣ってきたことであり、加工食品や既製食品では、この持ち味が、引き立てられていないこと、逆に引き倒されてもいることでしょう。
従って、味わい面の間違いは、成分面や安全面のように、健康に直接そう深い関係はないのですが、日々の食事に、心理的に極めて重大です。
ところで、まえにもふれたように多種にわたる動植物のうちから、ある種のものを食料に選定しているのは、成分が優れていると共に安全であるからですが、もうひとつ、それぞれ備えている味わいが賞味の欲求にかなっているからです。そして、この賞味の欲求と、食料それぞれの持ち味とその優劣を味わいわける感覚は、人々だれにも生理的生得的に共通して備わっているので、持ち味の優れたものは、だれにもおいしく、劣ったものはまずく、そして、おいしいものが食べたく、まずいものは食べたくない、という欲求が極めて根強いのです。
好みにあっていても持ち味が劣っていると
とはいうものの、ことはそうは一本調子でないのが実情です。人間は他の動物とちがって、味わいわける感覚が、生得的に完備しているのではなく、生後の食生活でだんだんと発達もし変化もするので、その実状によって、めいめい偏ってきて、食料それぞれの持ち味やその優劣を、正確には味わいわけることができない場合があります。
そして賞味の欲求も同様に、生後の食生活でだんだんと発達もし変化もするのですが、その間に、めいめいその実状によって、心理的感情的に着色した好みに変容してきます。そして、生来食べなれてきたものが、好みにあっておいしく、食べなれていないものは、まずくて嫌いになるのですが、そのおいしいものが、持ち味もまた優れているとは限らないのです。
それに食料は、栽培や飼育をして供給をはかり、さらに加工や調理をして食べるので、この好き嫌いが、人その人によって、ますます異なってきます。
が、人間「感情の動物」であって、その好き嫌いには、成分面や安全面を、従って健康のことを度外視してまで執着します。けれども、食料それぞれの持ち味を賞味する欲求は、微弱ながらも生理的生得的に備わっているので、持ち味の著しく劣ったものばかり食べていると、それがどんなに好みにあっていても、日々の食事が、どうもシンソコ満足できず、もっとうまいものはないかと貧るようになります。
それに、持ち味の著しく劣ったものは、実状、成分面でも劣ったものが多いので栄養分が十分とれないため、日々十分食べているのに、なおなにかもっと食べたく、生理的にも心理的にも「飽食飢餓」状態に陥るようになります。
持ち味が劣ってきたのは
ところで、当節市販の食料には、持ち味の劣ったものが多いのですが、その事由は要約こうでしょう。
まず第一に、戦中戦後の食料欠乏時代に味わいなどはいっておれなかったことが緒をひいて、食料それぞれの持ち味を味わいわける感覚も、それを賞味する欲求もマトモに発達せず、世にいう味オンチになっている人々が多いことです。そしてこうした人々は、食料選択にあたって、味わいの優れたものよりも(また成分面や安全面で優れたものよりも)見た目の形や色合いのよいものや高度に精製加工したものに重点をおき、また世間の評判や流行に従う傾向が強くなっています。そして調理にあたっては、砂糖や塩などで濃厚に味つけし、また、よく味わいながら食べない傾向が強くなっています。
そして第二に、食料が衣料その他の一般商品と同列視されて、その生産も流通も全国的な大規模になり、従って、みずから食べて賞味するもの、ひとにもおいしく食べてもらうもの(そして健康を保つもの)というよりも、専ら営利が目的になっていることです。従って農産物は、品種の選定も栽培や取入も、その持ち味などより、ひたすら量産をはかったり、見た目の形や色のよいのを作ったり、また季節はずれにハウス栽培をしたり、さらに手数をおしんで化学肥料や農薬に依存したりなど、作物それぞれの生理に副わないムリなことをしているため、原材料からして、その本来の持ち味が劣ったものが多くなっています。また畜産物でも、こうした点ほぼ同様です。
(つづく)
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次回参照 |
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3. のぞき見記(七)
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前回参照 |
友成 左近
ハイデルベルグ
南ドイツの小さな町、人口はせいぜい4〜5万というところだろう。
山の麓にそびえる古城、ネッカー川にかかる古橋も、アルトハイデルベルクの町なみも、みな、あたたかみとやすらぎを感じさせる淡紅色。
そこに古い大学の一部が残っており、(近代的の新しい大学はべつのところにある。)、学生にしたしまれた古いカフェ「赤の雄牛」もある。
そこの壁には、色あせた写真がいっぱい貼り付けてあったが、ゆっくり探せば、明治・大正の時代、新しい日本を背負って立つべく、ここに学んだ
数多くの留学生たちの若い姿が、きっとみつかるだろう。
川向こうの山のブナの森には、先輩達もたどったであろう「哲学者の道」(それはちょうど、京都の東山の遊歩道を思わせる、)がある。
静かで、落ち着いた町のたたずまいには、はじめておとずれた私どもにも、何かしたしみとと懐かしさを感じさせるものがある。
(つづく)
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次回参照 |
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4. 起立性調節障害(O・D)
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小中学生の5〜20%もが、これに悩んでいるという。
メマイ、タチクラミ、卒倒(脳貧血)、動悸がおきやすいのは、末梢血管の収縮反射が不完全で、起立時、下半身に血液があつまり、循環血量がへり、血圧が下がるから。
頭痛や腹痛が発作性におきたり、疲れやすかったり、朝おきがよくないのは、神経がよわくて感じやすいため。安定剤や鎮静剤がもちいられているが、青汁でよくなることは、青汁を学校給食に、いちはやくとりいれられた貝原先生が、その著「子供のからだとグリーンジュース」に記されているとおりだ。栄養のバランスがとれて、健康状態がよくなるとともに、神経の興奮性がしずまり、安定してくるからであろう。
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5. クサイチゴ
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山の畑に行くみちに、クサイチゴがいっぱいある。
5月ごろ、白い花がさいて、真夏には紅いおいしい実が鈴なりになる。こどもの頃、友だちとせり合うて食べた思い出があるが、この頃の子供はテンデ見むきもしない。おそらく、食べられることさえ知らないのだろう。勿体ないので、刈りとって来てジャムにつくることにしている。真紅の色といい、野趣にとんだ味といい、まことに捨てがたい。
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6. 虫食い菜っ葉
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八尾市 E.N.
虫食いの穴だらけの青菜を、鼻歌まじりに何度も洗っている自分の姿に、20年前の自分の像を重ねてみた。どうしても一つにはならない。20年の歳月の流れが、私を変えてしまったのでしょう。
主人のもとへ嫁いだころ、虫の食った菜っ葉を見ると、身ぶるいをし、市場できれいな野菜を買ってきた。屋敷内に小さな畑があったのに、土いじりなんてイヤだと見向きもしませんでした。やがてその畑に離れを建てました。つぎつぎと3人のこどもが生まれ、成長してゆく姿を楽しみながら、この子たちの健康管理は私がやるのだと自覚したとき、食物の添加物、農薬などの害が急に気になりだしたのです。
虫の食べた青菜が貴重品となり、土壌が欲しくなって、フラワーボックスを数個並べ、レタス、パセリ、三ツ葉を一列に植えて、家庭菜園に精を出しています。もっと早く、今の心境になっていさえすれば、小さな畑も最大限に活用できただろうにと悔やまれ、18歳と12歳になった娘たちに、主婦の任務の重大性をさとしている私です。
(54・5・30 サンケイ)
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7. 糖尿病の療養に
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8. 強大な組織づくりを
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佐世保市 N.S.
私は、84才の農業技術者の成れの果であります。
“農”は人間の栄養を生産する職業なりの建前に立ち、最高の経済的健康的“食”の研究と、その実践をつづけている内に、遠藤先生の緑葉の効果、「青汁」論に教えられ20年来これを信奉しつづけ、昨年までは毎日2〜3合ずつ飲用していましたが昨年10月、老人性白内障と慢性結膜炎を宣告され、じらい、この白内障進行の食止めのためイモ・マメ・ナッパ・青汁食に徹し、青汁は毎日6合以上飲用しています。
本日は、その経過報告をかねて出席させていただきました。これまでも、本総会には再参出席いたしましたが、発言は今回が初めてであり、かつ、最後の機会ではないかと思い、あえて発言させていただきます。
先生の長きにわたるご研究の成果であります
- 人類、特に文明人と称する人種は、あらためて、植物性食糧、とくに緑葉の効果を再認識して、その完全食の研究を実践に努力すべきである。
- 現代の市民大衆は、次の先哲の言葉を、あらためて反省すべきである。「商業は文明の初期には貢献するが、その文明を亡ぼすものは商業なり」いまや、市民大衆は商人に飼い馴され、「殺人食時代」をつくり出しつつある、との先生の貴重なるご警告を聞き流しているところに危機がある。
とくに、国民の指導的立場にある当局者たちが、この重大な警告を、研究を、馬耳東風に聞き流しているところに大きな危機が迫っている、と思います。
私は、この際、長い間、遠藤先生のご研究成果を信奉され、数多くの実績を積み重ねていられます皆様が、さらに結束を固められ、先生を総師として、青汁と緑粉の効果を知らしめ、その普及を実践する強大なる組織づくりに推進されることを熱望します。現代は組織の時代であります。さらに、その具体的推進策にたいする私の考えは、先生およびその側近の方々に重ねて申し入れます。なお、この後「健康と青汁」を通じて皆様にも訴えたいと希望しています。よろしく願い上げます。
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9. 病の問屋といわれていたが
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堺市 K.S.
夏になりますと、全身倦怠や足のむくみ、けいれんに加えて頭痛と、女性特有の更年期障害を思わせる症状になやまされ(若いとき、学生時代からの頭痛もち)、心臓脚気といわれたこともあり、肋膜もわずらいました。
結婚してからは、妊娠のたびにツワリで、出産までゲーゲー。そのたびに流産すること数回。どうにか二児はもうけましたものの、その後は上記の症状が一年中つづくありさまでした。そのうえ肥満。病の問屋といわれるくらい。
こどもの塾の先生におそわり、青汁を愛用しはじめて3年。ほとんどの症状がなくなり、夏期中のあの苦しみはウソのようですし、生理前後の頭痛と肩こりはまだ残ってますが、ウエストはこの2〜3年前にくらべ、80〜85センチメートルから69〜72センチメートル、友人におどろかれています。着る服がない、スカートが合わないと嬉しいヒメイをあげています。
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10. ベランダの青ジソ
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和仁 政子
ベランダの青ジソが、畑の青ジソに比較して、アクが少なく、やわらかく、たいへん味がよいことに気づきました。せまい畠で、手入れはしましても、やはり大地。限られた土には及ばないのでしょうか。
ベランダでは、休ませた土に糠をまぜ、その中に煮干や青汁のしぼりかすをまぜ、植替えの時には入れかえし、また、折々追加します。黄色かった山地が、今はすっかり黒い畠土になっています。
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11 今年もつづけたい
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鹿児島県 M.H.
ケールの種子、早速まいたところ、沢山の苗ができ、あちこちと、皆さんにもわけました。
名前を聞くのも、また、どんな物になるのかも、はじめてでしたので、毎日がたのしみで、大事にそだてました。ケールができだしてから、毎日、家族のものと、青汁をのむことができ、とてもうれしく思っています。
今年も、昨年の経験をいかし、よい苗をつくり、愛用したいものです。
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12. 落花生のトーフの作り方
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倉敷市 S.Y.
材料
- 豆 1カップ
- 水 4〜5カップ
- メリケン粉(片栗粉でもよい) 1カップ(100グラム)
作り方
- 豆を一晩水に浸し、しぶ皮を取る。
- 分量の水を利用し、豆をミキサーで撹拌し、濾し袋又は拭布にて濾す。(絞り粕は俗にオカラで別に料理する)
- メリケン粉は、出来れば篩にかけ、鍋に入れ、2の豆の入った分量の水にて、少量づつ注ぎながら撹拌し、強火にて炊き始める。
- 沸湯まで強火。後は弱火にて炊き続ける。
ポコポコと煮え立ち出し、その後、10〜15分にて鍋の底が焦げつき感がする。 火を止め、出来上る。(炊き始めて約25〜30分間) 注意 最初から最後まで、絶えず鍋の底を適当の強さで撹拌し続ける
- 流し箱へ水を通し、その中に出来上りのものを入れ、冷して食す。
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13. 質問箱 アブラムシの退治法
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問
アブラムシの退治法をおしえて下さい
答
農薬にはニコチンものがありますが、タバコの吹いがらを、濃い番茶くらいに煎じ粉石ケンを少しとかして、ぬるのも同じ理窟です。しかし、もっとも安全であり確実なのは、指でつぶすこと。
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コラム紹介
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