健康と青汁タイトル小 <1969年5月15日発行 第153号>
 目次



1. サラダの油

     医学博士 遠藤 仁郎 

     生野菜を食べるのに、慣れれば、何もいりません。
     私など、庭の畑からとって来て、水道で洗い、そのままバリバリ食っていますが、それで、結構おいしいと思います。
     食塩や味噌(純正な手製)を、ほんの少し添えても、それは、確かにずっとうまくなります。酢味噌はさらによいが、面倒なので、来客の時以外、めったにつくりません。

     マヨネーズは、いっそう好まれるようですが、市販のものは、果して純正、安全かどうか、気がかりで食べる気がしません。
     さりとて、手製はとても手がかかるし、仲々うまくもゆかぬので、つくろうともしません。都合のよいのは、サラダ油をたっぷりかけ、少しの食塩、そして、酢を適宜に加える、いわゆるフレンチ・ドレッシング。
     これが、いちばん美味しく、また食べよいようです。
     安全性からみて、食塩はもとより無難。酢には多少問題があるようですが(いま、市販されている酢の多くは合成品で、味も、色も人工的。純粋の醸造酢は殆んどない。)果物(ダイダイ、柚、スダチ、レモンなど)なら、まず安全でしょう(農薬の心配さえなければ)。

     が、肝腎のサラダ油はどうでしょうか。原料はオリーブ油、大豆油、ゴマ油などですから、これもよい筈。ただし、市販のサラダ油は、余りにきれいすぎます。
     色もよし変な臭もありません。どういう製法でしょうか。そして、どのようにしてあれだけ美しくされるのでしょうか。そこに、なにがしかの問題があるように思えてならんのです。
     なんでも、今では、昔のように圧力をかけて絞りとるという製法でなく、科学的に抽出するのだということです。
     揮発油のような油をとかす溶媒をつかって抜き出し、揮発させて、油だけを残すという製法です。
     だとすると、溶媒に何かつかわれているか、そして、それが、完全にとり除かれているかどうか。もちろん、もともと無害安全なものであれば問題はありませんが、果してどうでしょうか。
     その際、当然、溶け込むであろうと思われる不純物や色や臭は、どのようにして除かれているでしょうか。
     あつかわれている脱色剤や漂白剤、脱臭剤その他に危険な有毒物はないでしょうか。

     またどんな方法がとられているでしょうか。(昨年おきた米糠油事件を思い出して下さい)私どもには何もわかりません。
     こういう意味で、市販のきれいな油は、必ずしも100%信頼してよいかどうか、いささか不安にならざるを得ません。そこで、これらの油の原料そのものを利用するほうが、むしろ、より無難というものでしょう。
     またそうすれば、ただ脂肪だけでなく、同時にある他の栄養分(蛋白質、ビタミン、ミネラルなど)も利用することも出来ます。
     ゴマ、大豆、落花生、クルミ、松の実、その他のナッツ類。そのままか、炒って、よくすりつぶし、これをたっぷりふりかけ、酢、食塩をかきまぜる。
     つまり、昔ながらの和えものですが、やはり、それがいちばん安全ではないでしょうか。



2. 食養生についての断想(21)―主として食事の自主性について
前回参照

     この頃は、極めて高度に分業化した時代であり、貨幣経済の社会である。
     こと食料についても同様、その生産も流通も、数限りない業者によって行なわれ、農家においても、自給する食料はごく僅かである。
     ために、食料はいろとりどりと豊かに提供されて、食事はまことに便利であり、カネさえ十分あれば、何不自由はない。
     だが、それに万事まかせきって、はたしてことはすむものであろうか。
     食欲はしんそこ十二分にみたされ、栄養と健康に間違いは起こらないであろうか。
     断じてそうはいかない。なにを、どう食べるか、めいめい自主的に、全体的総合的に判断して対処し、ことを誤らないようにしなければならないのだ。

     この頃は、カネがものをいう経済至上の世の中であり、企業が優先する利潤追求の社会である。こと食料についても同様、ただもう儲けようとのみ考えて、これを作り、これを売っており、これを買い、これを消費して生活する人々の栄養と健康については、まんざら考えないことはないのであろうが、二のつぎだ。
     いかにも、人々の栄養と健康に役立つように、うまいことをいっていても、まんざらうそばかりではあるまいが、まずもっと売るため、いな買わせて儲けるための方便である。
     よっぽどマユにツバつけて、自主的に対処しないと、それを消費して生活する一人一人の栄養と健康には、全責任をもたない業者にふりまわされてしまい、その利潤のギセイとなる。
     この頃の食料生産は、原材料にしろ、また、いよいよ多様化し、増加している加工食品にしろ、量産と、見た目のよさや口先のうまさと、日もちや輸送の便が第一義とされ、そうした食料ばかりが生産され、また化学肥料と農薬が多量に使われ、さらに不必要な加工までされている。
     ために、栄養価の劣ったものばかりが出まわり、また、その本来の味も低下し、さらに、多かれ少なかれ有害有毒化さえしている。
     この頃、人々は、まるで食料業者に飼いならされた家畜のようなものだ。
     けれども動物は、栄養成分に優れたものや有害有毒物を、うまく判別する強力な本能・好みを備えており、少々飼いならしても、これは、そうは容易に無力化もせず、変わりもしない。
     だが、あわれなことに人間は、この本能が極めて微力であり、その好みは飼育によって容易に変わってくるので、巧みに業者に飼いならされる。
     けれども、人体の生理と栄養は、自然の事実であって、そうはうまく変わってこないので、必然的に病弱を招く。
     個々の業者が提供する食料の一つ一つは、それ相応に、人々の栄養に必要なものである。といって、なかには、巧みに飼いならされた好みにはそっていても、栄養上およそ無意味なものもある。
     だが、一個の人間が健康に生きていくためには、各種各様の食料が必要であり、どんなものを、どう取り合わせて食べるかは、当人が自主的に、全体的綜合的に判断し対処しなければならないのだ。
     業者としては、そこまで責任はもっていない。料理店とりわけ定食業者にしても、そうなのだ。やはり売らんがために、人々の栄養よりも好みに重点をおいている。
     この頃の食料は殆んどすべて、原材料にしろ加工品にしろ、多かれ少なかれ有害有毒化している。といって、一つ一つについては、国の定めた安全規準もあって、それほど危険ではなく、一応は安全である。
     なかには、業者の無知か不注意か、なにかの事故で、ときに著しく有害有毒化しているものもある。
     だが、人々はめいめい、各種各様の食料を取り合わせて食べるので、一つ一つの食料に、一応は安全である程度に、ごく微量ふくまれている有害有毒物が集積してくるため、毎日食べこむ総量は相当な量となり、その上、これが相乗的に作用して、健康を損なうようになるのだ。
     であれば、自分の生命を健康に保っていくには、一つ一つの食料の安全度を確かめ、全体的綜合的に判断して、できるだけの安全食につとめなければならない。
     市販されている食料については、その栄養性や安全性について、国は一定の規準を作って指導と取り締まりを行なっている。
     だが、これは極めて消極的なものだ。とくに安全性については、安全であるという証拠がなければ許可しない、というのではなく、危険であるという明確な証拠がなければ禁止しない、といったいかにもへっぴり腰である。
     そして、国民一人一人のかけがえのない生命と健康に重大問題が起こり、社会的にはげしい突き上げがなければ、まともな取り締まりもせず、規準の改正も行なわないのだ。
     この頃の食料が殆んどすべて、栄養価が低下し、その上、多かれ少なかれ危険なものになっているからといって、業者はけしからん、行政当局はだらしがない、政治が貧困であると、ただ非難したところで、それで問題がうまく解決するものではない。
     われわれ一人一人がしゃんとして、自分の生命と健康に全責任をもち、自主的に判断し対処しなければならないのだ。
     こうした生活態度に突き動かされて初めて、政治も姿勢が正され、業者も誠実となるのだ。
     いつの時代でも、世間は多少とも狂っている。
     この頃は、とみに狂っており、こと食事についても全くそうだ。
     だが、狂った世間に調子を合わせていては、とうてい健康は保てない。
     であれば、狂った世間にさおさして流されることなく、流れに抗して生きている魚に学んで、この世間に抗して生きていかねばならないのだ。
     社会的に提供される食料、それも盛んに宜伝して売りこまれているものは格別、よく吟味して取捨選択することが肝要である。
     また、これまで飼いならされた好み・習慣のままに食べていくことなく、「食は命なり」と心得て、これに打ちかち、生命と健康に本当に必要で安全なものを食べていくことが肝要である。
     食事の習慣といい好みといい、この頃は、全くもってひんまがっている。
     であれば、たとえ世の人々から、へそまがり・ものずきといわれようとも、自分自身、自主的に、まともな食事をしていくように、正しい知識を学んで賢明に工夫し、堅い信念をもって、たゆまず努力しなければならない。
     そうして初めて、世の人々の味わい知らぬ真の健康を喜ぶことができ、へそまがりの食事が、この上もなくたのしく、またおいしくなるのだ。



3. 六年来のファン

    阿南市 H.M. 

     もう六年来青汁の大ファンです。
     主人が十二指腸潰瘍を患いまして、その上また、精密検査の結果、胃ポリープもあるとのこと。
     その当時は、本当に暗い毎日でした。
     それが、母から青汁のよさを教えられ、半信半疑で飲み始めましたのが、そもそもの病みつきで、今では、1日も離すことが出来なくなりました。

     とにかく、これを飲んでおりますと、不思議に、自分の体というものに自信がもてる。その代り、飲むのを少しでも怠っていると、悪くなくても、どこか悪くなっているようで、不安で仕方ないというのです。
     そこまで青汁の効目を、誰よりも深く味っているものでございます。
     私宅では商売をやっております関係上、忙がしくて青野菜を作るひまがないのです。
    それで、里の母が、一年中かがさず、ケール、CO、コマツナ、カキハ大根等を作ってくれています。
     それはそれは見事なものです。近所の人も感心いたしてくれます。
     よくまあ、一年中たやさず、あれだけ熱心に青菜が作れるものだなあーって言われます。
     それを毎日送り届けて下さり、ここ六年間、一日とて青汁をかかしたことはございません。

     おかげで、主人もすこぶる元気、私も子供達もみな元気です。
     主人など、先日のレントゲン検査(年1回は徳大で精密検査をうけています)でも、胃カメラでも、すっかりよくなって、潰瘍など後かたもない、といってくれました。
     これも、みな青汁をいただいております賜とふかく感謝いたしております。

     里の母は私以上の青汁ファンで、「健康と青汁」の新聞は月々かがさず愛読させていただいておりますし、青汁読本も熱心に読ませていただいております。(私もずっと読んでおります)
     5年ほど前には岡山まで行って、先生にも直接お合いして、色々のお話をお伺いし、本当によかったと申しております。



4. ノゲシ

     苦菜。一名ケシアザミ。
     ノゲシというのは、葉のかたちがケシに似ているからの名。
     ケシアザミは、葉がアザミに似ているからだが、刺がなくて、やわらかい。
     葉からも、茎からも、傷つけると白い乳液が出る。

       「苗葉をとり、煤し熟し、
       水に浸し苦味を淘去り、
       油塩に調へ食ふ。
       生にて揉みても、亦食ふべし」
      (救荒本草)

     やや苦味があるといわれているが、私のうちの庭のものは(写真)土がよく肥えているせいか、少しも苦味はなく、サラダにしてもいたって食べよい。
     本草書には、いろいろの効能があげてあるが、一般的なものとして、

       「久服すれば、心を安んじ、気を益し、
       聰察にし、臥すことを少くし、
       身を軽くし、老に耐へる」
      (本経)
     とか、
       「餓寒に耐へ、気を豪にし、老いず」(別録)。
       「力を強くし、冷ではあるが甚だ人を益する」(嘉祐)

     などとあるから、なかなか大したものだ。
     なお、南方全集には、次のような愉快な話がのっている。

       「ノゲシは、今の人食ふことを知らず。煮て苦汁を去り食ふべし、と貝原先生は言った。兎の好く物だ。
       露国の伝説に、魔が上帝に、何かくれ、と望むと、麦も稷もやれぬ。烏麦をやらう、と云った。大悦びで、烏麦、烏麦と呼びながら去った。
       上帝、烏麦を惜しくなり取返したいといふに、ポール尊者、承知の助、と駆け抜て、橋の下で待つと、烏麦と唱へ続けてやって来た。ポール尊者、突然、ワッと驚かすと、何だお前か。上帝がよい物を呉れた。その名を、今のびっくりで忘れたといふ。
       ライで無かったか、大麦でなかったか、と問ふに、否々と答ふ。ノゲシで有たか、と問ふと、其だ、其だ、ノゲシ、ノゲシ、と大切に覚えて行った。以来、魔は後生大事と、この雑草を守っておるといふ」。

    (南方熊楠全集七)



5. 本当に有難い

    千葉県 K.N. 

     ケール、自宅の庭でやっておりましたところ、一向に、うまくゆきませんでした。
     現在は、土つくりに2〜3年かかることを知ってから、気ながに、台所のごもく、鶏糞など埋めたりして、少しはよくなり、ケールも元気よく(まだ小さいですが)なって来ました。
     昨年の11月ごろ、主人の血圧の高いことがわかり、食生活の改善をしているのに、と思いましたが、あらためて「青汁の効用」を、何度も読みかえしました。
     そして、往復2時間かかるのですが、ケールを5キロくらい、まとめて買いに行き、朝夕、ミキサーにかけ、一人400グラムづついただいておりましたら、主人の血圧も平常にもどりました。
     野菜きらいの主人も、青汁なら、進んでいただきますので、私もサボるわけにはゆきません。
     あらためて、ケールのききめに驚いています。鶏にも、たえず与えていましたら、卵の黄味が濃いようです。本当にありがとうございました。


6. 散歩も出来る

    群馬県 Y.O. 

     肝臓病で、2年6ヶ月入院していても、一向によくならず、先生も、快くなって働けることは出来ない、というし、死のことばかり考える毎日でした。
     その頃、同病の友人が、ケールによる体質改善以外に方法はないから、というので、今までの高カロリー・高蛋白、動物性蛋白の酸性食品ばかりでは、絶対なおらないと思い、事故退院し、農薬の心配のないケールの葉を、高崎から運んでもらい、毎日2回食後の療法としてやっているうち、少しづつよくなって来ました。
     絶対安静の2年半の生活でしたが、散歩できるようにもなりました。



7. 台湾へ紹介したい

    長崎県 S.S. 

     あれから、久保農場を引揚げ、帰郷いたしました。
     郷里におきましても、ボチ、ボチ、青汁ならびに緑粉の普及に努力していますが、相変らず、極めて鈍感で、もどかしく感ずることのみでございます。

       第一、これまで、識者または識者らしき指導者から指導されて、受益した実例がほとんどなく、常に、商業的魔術に飜弄され続けていますため、徒らに猜疑心だけ強く、物の価値判断力に乏しく、さればとて、一方的に信用の押売も出来ず、満身創痍の農村対策は、忍耐強き長期戦のほかなし、との思いを新たにさせられる程度でございます。

       次に、私の弟二の郷土台湾に渡航し、青汁と緑粉問題を同志達と研究懇談し、緑粉産業を示唆し、同時に、台湾政府の要人達に、先生の青汁論と、その実績を紹介し、青汁ならびに緑粉の研究を進言したい、と予定しています。

     実は、私の第三期生活の計画を台湾に通知し、自分1年1回づつ渡湾予定のことを連絡しましたところ、折返し、私の終戦以来の研究を強く期待し待望しておる。
     その研究成果にもとづく計画を、全面的に受入れ実践する用意のあることを申してまいりました。

     私としては、このさき、先生の青汁論と緑粉問題を紹介し、この後、あくまで自分達で、実践を通してその価値を確認しつつ、自分達で、直接、先生のご指導を受け、その透徹した理論と、忍耐強き実践を結びつけ、その実践にもとづき官庁当局にも、自分達で積極的に働きかけ、官民協力して正しい緑粉産業の進路を開拓するよう助言したい、と予定しています。


8. 九死に一生

    柳川市 H.E. 

     青汁愛用してより満3ヶ年余。青汁のおかげで、九死に一生を得まして、今では、自分自身の身のまわりだけは、自由に出来るようになりました。主治医も驚いています。



9. ますます快調

    愛媛県 N.K. 

    青汁実践以来、1年を経過し、今さらながら、その効力に驚くとともに、感謝しております。胃潰瘍全治。ますます快調。



10. 水道水の鉛

     水道の引込み管には鉛管がつかわれているが、その中にながく停滞している水には、かなり溶けこんでいる。
     たとえば、夜をこした水の中には0.3PPMになっていることも稀でないそうだ。
     だから、朝の最初の水は捨てるか、ものを洗うのにつかい、炊事用や飲用にはしない方が安全だ。


11. 夏バテの予防

     夏バテ、夏まけは不完全食のためだ。栄養全体のバランスがうまくとれない限り、土用の丑の日にウナギを食う位では、とても防げるものではない。今年は一つ、せめて今から青汁だけでも、うんと飲んでみてほしい。おそらく6月が来ても、7月になっても、食欲は少しも衰えず、よく眠れ、三伏の酷暑にも昼寝する必要もなく、いつも気持よく働きつづけて、少しも疲れないようになるだろう。


12. 真夏の材料

     三伏の猛暑を克服するために、真夏こそ青葉のもっとも必要な時なのだが、ちょうど、いわゆる夏枯れで、青物が少くなる。これにそなえるには、今から暑さにつよい、シソ(アオでもアカでも)、サツマイモ、エンサイ(アサガオナ)、バイアム、赤地利ソバなどを用意しておくことだ。


13. 有益な新聞

    香川県 Y.S. 

     毎日のんで、健康でありたいと思います。有益な新聞ですので、心より感謝いたしております。


14. 青汁いろはガルタ

    岡山市 H.N. 

    • (ア)青汁が人に知らせる神の恩
    • (イ)いつの代も一に養生二に薬
    • (ウ)訴える真理は深し生野菜
    • (エ)栄達も栄養誤まり今は墓
    • (オ)幼子(おさなご)の心と体親の責(せめ)任
    • (カ)慣行食体力低下劣悪化
    • (キ)教養が涙を流す子の病気(やまい)
    • (ク)弘誓(ぐせい)なり神の子どもに神の青汁
    • (ケ)健康を感謝で暮す青汁の友
    • (コ)心まで食習慣が支配する


15. 質問箱

    山梨県 H. 


     「刺戟のない青汁」とよく書いてありますが、どういうことですか。


     ダイコン葉やカラシ葉、あるいはネギやニラなどのように、舌を刺す味や、鼻をつく匂いのないもの、という意味と理解してください。


コラム紹介

    精神活動の統一は、
    内臓や神経機能の、
    より以上の調和をもたらすものである。
    道徳感と知識が同時に発達している社会にあっては、
    栄養的および神経的病気、犯罪および精神の異状は甚だ稀である。
    人はこういう世界に於ては大変幸福である。
    しかし、それが益々密集したり、分業化したりすると
    精神の機能と健康を失ふようになる。

    (カレル 人間)



    何事もあまり善くせんとして急げば必ずあしくなる。
    病を治するも亦しかり。
    病を早く治せんとしていそげば
    却ってあやまって病をます。
    保養をおこたりなくつとめて
    癒ゆることはいそがず
    その自然にまかすべし。
    養生訓



    人生の言葉
    目標をきめ、計画を立(たて)て、
    黙々と歩いて行きましょう
    深山旅愁








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