<1969年5月15日発行 第153号> | ||||||||||
目次 | ||||||||||
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1. サラダの油 | ||||||||||
医学博士 遠藤 仁郎
生野菜を食べるのに、慣れれば、何もいりません。 | ||||||||||
2. 食養生についての断想(21)―主として食事の自主性について | ||||||||||
前回参照 | ||||||||||
この頃は、極めて高度に分業化した時代であり、貨幣経済の社会である。 いかにも、人々の栄養と健康に役立つように、うまいことをいっていても、まんざらうそばかりではあるまいが、まずもっと売るため、いな買わせて儲けるための方便である。 よっぽどマユにツバつけて、自主的に対処しないと、それを消費して生活する一人一人の栄養と健康には、全責任をもたない業者にふりまわされてしまい、その利潤のギセイとなる。 ために、栄養価の劣ったものばかりが出まわり、また、その本来の味も低下し、さらに、多かれ少なかれ有害有毒化さえしている。 けれども動物は、栄養成分に優れたものや有害有毒物を、うまく判別する強力な本能・好みを備えており、少々飼いならしても、これは、そうは容易に無力化もせず、変わりもしない。 だが、あわれなことに人間は、この本能が極めて微力であり、その好みは飼育によって容易に変わってくるので、巧みに業者に飼いならされる。 けれども、人体の生理と栄養は、自然の事実であって、そうはうまく変わってこないので、必然的に病弱を招く。 だが、一個の人間が健康に生きていくためには、各種各様の食料が必要であり、どんなものを、どう取り合わせて食べるかは、当人が自主的に、全体的綜合的に判断し対処しなければならないのだ。 業者としては、そこまで責任はもっていない。料理店とりわけ定食業者にしても、そうなのだ。やはり売らんがために、人々の栄養よりも好みに重点をおいている。 なかには、業者の無知か不注意か、なにかの事故で、ときに著しく有害有毒化しているものもある。 だが、人々はめいめい、各種各様の食料を取り合わせて食べるので、一つ一つの食料に、一応は安全である程度に、ごく微量ふくまれている有害有毒物が集積してくるため、毎日食べこむ総量は相当な量となり、その上、これが相乗的に作用して、健康を損なうようになるのだ。 であれば、自分の生命を健康に保っていくには、一つ一つの食料の安全度を確かめ、全体的綜合的に判断して、できるだけの安全食につとめなければならない。 だが、これは極めて消極的なものだ。とくに安全性については、安全であるという証拠がなければ許可しない、というのではなく、危険であるという明確な証拠がなければ禁止しない、といったいかにもへっぴり腰である。 そして、国民一人一人のかけがえのない生命と健康に重大問題が起こり、社会的にはげしい突き上げがなければ、まともな取り締まりもせず、規準の改正も行なわないのだ。 われわれ一人一人がしゃんとして、自分の生命と健康に全責任をもち、自主的に判断し対処しなければならないのだ。 こうした生活態度に突き動かされて初めて、政治も姿勢が正され、業者も誠実となるのだ。 この頃は、とみに狂っており、こと食事についても全くそうだ。 だが、狂った世間に調子を合わせていては、とうてい健康は保てない。 であれば、狂った世間にさおさして流されることなく、流れに抗して生きている魚に学んで、この世間に抗して生きていかねばならないのだ。 社会的に提供される食料、それも盛んに宜伝して売りこまれているものは格別、よく吟味して取捨選択することが肝要である。 また、これまで飼いならされた好み・習慣のままに食べていくことなく、「食は命なり」と心得て、これに打ちかち、生命と健康に本当に必要で安全なものを食べていくことが肝要である。 であれば、たとえ世の人々から、へそまがり・ものずきといわれようとも、自分自身、自主的に、まともな食事をしていくように、正しい知識を学んで賢明に工夫し、堅い信念をもって、たゆまず努力しなければならない。 そうして初めて、世の人々の味わい知らぬ真の健康を喜ぶことができ、へそまがりの食事が、この上もなくたのしく、またおいしくなるのだ。 | ||||||||||
3. 六年来のファン | ||||||||||
阿南市 H.M.
もう六年来青汁の大ファンです。 | ||||||||||
4. ノゲシ | ||||||||||
苦菜。一名ケシアザミ。
水に浸し苦味を淘去り、 油塩に調へ食ふ。 生にて揉みても、亦食ふべし」 (救荒本草) 本草書には、いろいろの効能があげてあるが、一般的なものとして、
聰察にし、臥すことを少くし、 身を軽くし、老に耐へる」 (本経)
などとあるから、なかなか大したものだ。 なお、南方全集には、次のような愉快な話がのっている。
露国の伝説に、魔が上帝に、何かくれ、と望むと、麦も稷もやれぬ。烏麦をやらう、と云った。大悦びで、烏麦、烏麦と呼びながら去った。 上帝、烏麦を惜しくなり取返したいといふに、ポール尊者、承知の助、と駆け抜て、橋の下で待つと、烏麦と唱へ続けてやって来た。ポール尊者、突然、ワッと驚かすと、何だお前か。上帝がよい物を呉れた。その名を、今のびっくりで忘れたといふ。 ライで無かったか、大麦でなかったか、と問ふに、否々と答ふ。ノゲシで有たか、と問ふと、其だ、其だ、ノゲシ、ノゲシ、と大切に覚えて行った。以来、魔は後生大事と、この雑草を守っておるといふ」。 (南方熊楠全集七)
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5. 本当に有難い | ||||||||||
千葉県 K.N.
ケール、自宅の庭でやっておりましたところ、一向に、うまくゆきませんでした。 | ||||||||||
6. 散歩も出来る | ||||||||||
群馬県 Y.O.
肝臓病で、2年6ヶ月入院していても、一向によくならず、先生も、快くなって働けることは出来ない、というし、死のことばかり考える毎日でした。 | ||||||||||
7. 台湾へ紹介したい | ||||||||||
長崎県 S.S.
あれから、久保農場を引揚げ、帰郷いたしました。
次に、私の弟二の郷土台湾に渡航し、青汁と緑粉問題を同志達と研究懇談し、緑粉産業を示唆し、同時に、台湾政府の要人達に、先生の青汁論と、その実績を紹介し、青汁ならびに緑粉の研究を進言したい、と予定しています。 その研究成果にもとづく計画を、全面的に受入れ実践する用意のあることを申してまいりました。 私としては、このさき、先生の青汁論と緑粉問題を紹介し、この後、あくまで自分達で、実践を通してその価値を確認しつつ、自分達で、直接、先生のご指導を受け、その透徹した理論と、忍耐強き実践を結びつけ、その実践にもとづき官庁当局にも、自分達で積極的に働きかけ、官民協力して正しい緑粉産業の進路を開拓するよう助言したい、と予定しています。 | ||||||||||
8. 九死に一生 | ||||||||||
柳川市 H.E.
青汁愛用してより満3ヶ年余。青汁のおかげで、九死に一生を得まして、今では、自分自身の身のまわりだけは、自由に出来るようになりました。主治医も驚いています。 | ||||||||||
9. ますます快調 | ||||||||||
愛媛県 N.K.
青汁実践以来、1年を経過し、今さらながら、その効力に驚くとともに、感謝しております。胃潰瘍全治。ますます快調。 | ||||||||||
10. 水道水の鉛 | ||||||||||
水道の引込み管には鉛管がつかわれているが、その中にながく停滞している水には、かなり溶けこんでいる。 | ||||||||||
11. 夏バテの予防 | ||||||||||
夏バテ、夏まけは不完全食のためだ。栄養全体のバランスがうまくとれない限り、土用の丑の日にウナギを食う位では、とても防げるものではない。今年は一つ、せめて今から青汁だけでも、うんと飲んでみてほしい。おそらく6月が来ても、7月になっても、食欲は少しも衰えず、よく眠れ、三伏の酷暑にも昼寝する必要もなく、いつも気持よく働きつづけて、少しも疲れないようになるだろう。 | ||||||||||
12. 真夏の材料 | ||||||||||
三伏の猛暑を克服するために、真夏こそ青葉のもっとも必要な時なのだが、ちょうど、いわゆる夏枯れで、青物が少くなる。これにそなえるには、今から暑さにつよい、シソ(アオでもアカでも)、サツマイモ、エンサイ(アサガオナ)、バイアム、赤地利ソバなどを用意しておくことだ。 | ||||||||||
13. 有益な新聞 | ||||||||||
香川県 Y.S.
毎日のんで、健康でありたいと思います。有益な新聞ですので、心より感謝いたしております。 | ||||||||||
14. 青汁いろはガルタ | ||||||||||
岡山市 H.N.
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15. 質問箱 | ||||||||||
山梨県 H.
問 | ||||||||||
コラム紹介 | ||||||||||
精神活動の統一は、 (カレル 人間)
何事もあまり善くせんとして急げば必ずあしくなる。 病を治するも亦しかり。 病を早く治せんとしていそげば 却ってあやまって病をます。 保養をおこたりなくつとめて 癒ゆることはいそがず その自然にまかすべし。 養生訓
人生の言葉 目標をきめ、計画を立(たて)て、 黙々と歩いて行きましょう 深山旅愁
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