<1962年2月15日発行 第66号>
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目次
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1.青汁はナマが生命
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医学博士 遠藤 仁郎
青汁の目的とするところは、何といっても、栄養の改善です。周知のように、わが国一般の習慣食の重大な欠陥はミネラルことにカルシウム、ビタミン類の不足のはなはだしいことです。ところで、良質の青ナッパほど、これらのミネラルやビタミン類の給源としてすぐれているものは、ほかには、ちょっと見つかりません。したがって、かような青ナッパの十分な摂取は、邦食改善の最簡便法ということができます。しかし、それが、ただ、ミネラルやビタミン類の補給だけのためであれば、ふつうに調理(加熱)したものでもよいでしょうし、また、別に、あまり好きでもないナッパを食べなくても、強化食、あるいは総合ビタミン、ミネラル剤など、薬剤の服用でも、十分間にあう筈です。
けれども、同じナッパを食べるにしても、調理したものよりは、ナマのままの方が遙かに有効ですし、強化食やビタミン、ミネラル剤でははかばかしくなかったものにも、青汁がしばしば著効を奏します。これらの事実からすれば「ナマ」の青ナッパには、ただ、邦食に不足しているミネラルやビタミン類が豊富にあるだけではなく、何かまだわかっていない、しかも健康上欠くことのできぬ大切な成分があるにちがいないと考えられます(いわゆる未知因子)。この未知因子というのは、はたして、どんなものでしょうか。
- その一つは、おそらく、既知のビタミンやミネラルの活性型のもの、すなわち「酵素」といったものでしょう。この酵素は蛋白質が土台となった複雑な有機体で、生物体のあらゆる代謝に関係する、いわば「生命のもと」ともいうべき大切なもの。そしてビタミンもミネラルも、その一成分として含まれているのですが、熱をあてればこわれてしまいます。(なお、これは、市販のいわゆる「○○酵素」といったものではありません。念の為)。
- また、吸収利用されやすい形のものが、加熱によって変質し、吸収利用されにくくなるものもありましょう。たとえば、良質青ナッパのカルシウムは、ナマのままでは非常に吸収されやすいのです(ケールやダイコン葉、カブの葉などのカルシウムは牛乳のそれと同じくらい吸収しやすい)。しかも、これも、熱を加えると変化して吸収されにくい形になるといわれています。(もっとも、野菜のカルシウムは、みんな利用されにくいようにいう人もありますが、そういう人は、多分、ホウレンソウのことを――これでは蓚酸カルシウムで殆んど吸収されませんから――ほかの野菜にもあてはめていっているのだろうと思います)
- 次に、本当の未知の成分ですが、これらは、おそらく、まだわかっていないビタミンや、余りくわしく研究されていない微量元素などが問題でありましょう。そして、やはり同様に、ナマのほうがより有利なかたちで存在するにちがいありません。
- これらを総合したものが、いわゆる「生きた力」というものでしょうが、まだもう一つ、本当に生きている成分である細菌類。これも関係していないとは絶対、いえぬと思います。いずれにしても、ナマの成分の多くは不安定で、加熱、その他の処理、加工あるいは貯蔵などによって、容易に破壊し変質しやすい性質のものが主体をなしているのでありましょう。そして、それ故にこそ、科学的検索も困難なのであろう、と想像されます。
要するに、私どもの栄養は、ただ既知の栄養素だけが、いかに十分であり、うまくバランスしていても、それだけではまだ、本当に完全とはいえないので、既知の栄養素と、未知の因子とのすべてがそろって、はじめて本当に完全な栄養であり、そうしてはじめて本当の健康が約束されるのだ、と私どもは考えます。そして、私どもが青ナッパ食、青汁に期待しているのは、実に、こうした「本当に完全な食」という意味での栄養の改善なのです。それはともかく、ナマということは青汁の生命であり、「すべて」であるといってもよいので、これなくしては青汁の真価は到底発揮しえないことだけはまちがいないところだ、と私どもは考えています。
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2.青汁に対する受け答えのタイプ(2) ―それがいろいろ異なるのは―
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前文参照 |
友成 左近
青汁をすすめられると、人その人によって、受け答えのタイプが異なるのは、すすめ方にもよるが、やはり、人その人に食習慣があるからだ。もっと厳密にいうと、食習慣に対する態度が異なるからだ。
食習慣は、容易に改めようとしない。
だれでも、日常の生活は、ほとんどすべて、習慣によって営なんでいる。食事も例外ではない。いわば全く習慣に従っている。これまで通りに、食べなれているもの、おいしく食べられるものだけを、食べていこうとする。おいしく食べて楽しむ、という点では、「タデくう虫もすきずき」で、よほどのことがない限り、それで少しも差し支えあるまい。だが、栄養と健康という点からみると、必ずしも常に習慣通りで万事差し支えなし、というわけにはいくまい。
けれども、だれでも容易に改めようとはしない。改めるのは、戦中戦後のように、食料事情の変化という外的な圧力が強力に加わる場合である。改めなければ身がもたないからだ。あるいは、大病して、改めなければ生命が危い、というハメに立ち至った場合である。こんな場合でも、頑固に改めようとしないものがいる。事情がもどれば、再び逆もどりすることも少なくない。
ときには、食料事情の変化とか、健康状態の不調とか、その他なにかのキッカケで、みずから決心して改める場合もある。いずれにしても、習慣を改める場合、とくにみずから決心して改める場合には、人間固有の精神とか理性といわれているものが働らいている。
だが、だれかがいったように、「人間はときに理性的になるだけ」で、だれでも、へいそは、習慣通りにことをはこび、これを容易に改めようとしない。改めるのは、あたかも身の皮をはぐようなツラい思いがするからだ。というのは、こうした食習慣は、ものごころつく以前から身につけてきたものであり、これまでズウッとその通りにやってきたものであり、いわば自分自身の一部であるからだ。それに、食事を少々改めたからといって、トンプクを飲んだ時のように、オイソレと目にみえた効果もあらわれてこないからだ。
しかも、食事は、着物などのように、他から見られることも、他を見ることもあまりない。改めねばテイサイが悪い、といったことが少ない。改めようと考える機会が少ないのだ。まことに食習慣は、個人的な秘事であると共に保守的なものである。
食習慣そのものを大切にしていることがある
だが、よく考えてみると もともと食習慣は、自分の健康を守る手段であるのにこれを、あたかも目的であるかのように、ゴショウダイジにしていることがある。青汁なんか死んでも飲まない、というふうに、からだよりも口先が、健康よりも食習慣が大切であるかのように、これにこだわるのだ。丈夫になれなくてもよい、嫌いなものは一切ごめん、というわけだ。
食習慣には個人差が著しい
こうした食習慣は、地域の食料事情や社会的風習などによって、ある程度、共通しているところもある。が、家庭のしきたりや、当人の生育環境や健康状態などによって、個人差が著しい。とくに食習慣に対する態度、これを改めようとする精神の働らきには、個人差が著しい。それは、もともと人間は個性的であるからであるがとくに食事は、人生で最も重大な生命と健康に係わる最大のものであり、しかも極めて個人的な秘事であるからであろう。また、おいしいものを食べて楽しむことは、人生最大の関心事であるからであろう。そしてめいめい食べなれているものが、一応、最も無難で、おいしいのだ。いずれにしても、食習慣には個人差が著しく、しかも容易に改め難い。これが青汁に対する受け答えにあらわれてくるのだ。
青汁は、ちょっと型破りのもの
それにしても、青汁に対する受け答えの相異は、ちょっとはっきりしすぎているようだ。それは、青汁が少々風変わりのもの、これまでの常識からみれば、ちょっと型破りのものであるからだろう。だいいち青汁は、商品としては不向きである。今日の社会では、商品化されにくいものは容易に普及しない。流行しない。流行しないものをすすめられれば、その受け答えに食習慣の地金が出るわけだ。
もっとも一部の地域では牛乳のように配達しているが、これには限度があろう。というのは、青汁は極めて不安定なもので、作って時間がたてば変質するし、変質しないように安定剤を入れれば効果が低下するからだ。青汁は、もともと、材料は買い入れても、家庭で作り、作りたてを飲まねばならぬ性質のものだ。が、それには少々手数がかかる。ところが、わざわざ手数をかけて作るものとしては青汁は、いささかおいしくない。だいいちアオくさい。季節や材料によっては、ニガ味シブ味も加わる。とくに飲み初めには、これが気にさわる。人によっては、飲んだあと、アオくさいエップが出たり、ムカムカしてあげそうになることもある。とにかく最初は飲みにくい。それも、飲んでみないうちには分からないはずなのだが、すすめるとき、こんな余計な説明がつき易い。この説明で、飲まないうちから、もうすでに、飲みにくい、という観念ができてしまう。これが、事実やはり最初は飲みにくい青汁をさらに飲みにくくする。それに、見た目の色もそうだが、「青汁」という言葉も、いささか、ひっかかるであろう。グリン・ジュースといえばハイカラであるが、青汁というと、少々ヤボッタイ語感がしよう。青バナ、青虫、青大将と、いやな連想がおこることもあろう。(親しんでくればまことに自然な言葉であるが)。
青汁は、だれにも近づきにくいもの
どうみても青汁は、だれにも、ちょっと近づきにくい性質をもっている。(もっとも乳児は別であるが)。丈夫になりますよ、そのうち、わけなく飲めますよ、なんともいえぬ、よい味わいがありますよ、といわれても、オイソレとはいかぬものだ。だから、青汁をすすめられると、受け答えが目立って異なってくるのだ。
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(つづく) |
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3.青汁健康法 講演会の記録 ―熊本市における―
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高橋 N.T.
青汁が特に現代人の健康保持と増進にとって絶大の偉力を有することは、今日すでに常識となって来た。しかし未だ青汁の何たるかを知らない人々もあるかと思われ、又青汁愛用者にとっても更に認識を深めて頂くために、われ等が青汁教の教祖とも称すべき遠藤仁郎博士に御願いして、去る11月18日午后1時より当熊本市公会堂に於て「青汁健康法講演会」が開催せられた。集まる老若男女約300人、プログラムに従って先ず遠藤博士の御講演、つづいて熊本市北水前寺町銀杏堂主人猪之本光雄氏(64才)、高尾繁富氏、田辺弘氏等の迫力に溢れた貴重な御体験談の発表があり、最後に参会者一同より夫々切実なる健康上の問題について質問があり、これに対して遠藤博士から一人一人に対して実に御懇切なる御指導が行われた。
その詳細をここに紹介する紙面がないので、その要旨のみを摘記て読者各位の御参考に供したい。まず遠藤博士の御講演要旨――。
「青汁は余り旨いものではない。しかし不自然不完全な食事習慣を有する現代人にとっては不可欠の栄養補給剤である。但し、緑の濃い野菜、野草を使用すること。白い野菜は余り効果はない。青汁には既知のミネラル、ビタミンの外に未知の生命素がある。青汁の材料については農薬の害に注意すること。ホリドールは法律で野菜果物に使用を禁止しているが、実際には使用されている様に見うけられる。野菜、果物の中に滲透した農薬は全く除く事は出来ない。又、野菜を中性洗剤で洗ったら十二分に水洗いをすることを忘れない様に。最後に青汁をいくら飲んでも、その外の邪食(サトウ、酒、インスタント食品、肉、魚、卵、白米等)を過食すれば余り効果は期待できない。青汁は治病のためには一日2合以上飲む必要がある。青汁飲用者の目標は食卓の緑化から更に一歩を進めて糞便の緑化で完成する」
続いて緒之本氏より多年の腎臓結石が青汁飲用で全快した体験談、高尾繁富氏からは、氏自身は元来病気知らずの健康体であるが、氏の指導に従って青汁を飲用した為に、デング熱、胃潰瘍、胃ガン、皮膚病に著効があった実話。田辺弘氏より東京方面に於ける青汁の普及状態や倉敷市方面の学校給食に青汁を採用したその実況報告があり、最後に、参会者全員から、いろいろな病気について、又は日常の健康法にとって、青汁を如何に利用すべきか等について多数の質問が寄せられ、遠藤博士からいちいち実地に即した御指導御解説があり、参会者全員は全く時間のたつのも忘れて遠藤博士の御話に聞き入っていた。
提出された質問の主なものは慢性腎臓炎、胆石症、高血圧症、記憶力減退、胃腸病、胃下垂、神経痛、慢性中耳炎、足部動脈瘤、低血圧、気管支拡張、便秘、貧血性冷え症、悪性貧血、半身中風、糖尿病、肺結核、更年期障害、狭心症、卵巣炎、前立腺肥大、十二指腸潰瘍等々で、全く病人は多いものだと感嘆する。これ等に対して程度の差はあるが青汁が積極的に体質改善剤として効果し、疾病治療にとっても好ましい結果をもたらすことは疑いない。参会者一同深い満足感を覚えつつ閉会したのは予定の午后5時を大分過ぎていた。(終)
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4.遠藤青汁倉敷教室開設
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倉敷在住の遠藤青汁の会会員有志の間で、青汁教室といったものをつくって、遠藤先生に定期的にご指導願えたら、とよりより相談していたが、この度、塩尻さんのご尽力によって、いよいよ開設のはこびとなり、その第一回集会を、1月20日午后7時より、本町の誓願時で開いた。大寒第一日の寒い日ではあったが、20名集まり、青汁の正しい利用法、正しい食事の仕方、病気の予防法や養生法その他健康増進法について、いろいろ質問して、ご指導頂き、まことに有効な楽しい集会を開くことができた。で、この会を「遠藤青汁倉敷教室」と名づけて、毎月第三土曜日に開くことにした。こうした教室を開設したのは、会員一同、青汁の正しい利用法を、まだ十分に心得ていないからではあるが、青汁がマスコミに乗って普及するにつれて、これがゆがめられてきたので、お互いに、その正しい利用法をとくと心得ると共に、これを広く友人知人に云い伝えて、健康な町づくりに役立ちたいからである。なお、詳細は、1月27日付倉敷新聞に報道されているが、本紙でも後日報道する予定。
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5.驚くべき青汁の効用
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西宮市 Y.T.
飲用しはじめまして、まだ2ヶ月足らずでございますが、血圧の220の63才のご老人が、148に下り、水虫で、足の皮がポロポロめくれていた方が、綺麗になおり、顔にぶつぶつ吹出物のしていた若い婦人が、美しい肌になり、昔、広島で被爆された中年の婦人が、だんだん疲れ易かったのに、疲れなくなった、といわれ、ある方は体重がふえ、また、ひどい便秘で苦しんで居られた方が、一時にどっと、腹中の臓物まで下りたかと驚くほど、大量に排便があって、その後、毎日便通があり、それぞれ非常に著しい効果を現わして来られましたので、私今更のように青汁の効用におどろいて居ります。一日も欠かすことなく、皆様よろこびと感謝をもって飲用して居られ、一日でも欠かすと、体の力がぬけるような気がすると、いつまでも続けたいという方ばかりでございます。(36・10・9)
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6.粘膜の疾患と青汁
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青森市 N.A.
この度の全国学校医大会の資料、「学校医――青森県における研究と実践」の企画に当っても、青汁のエネルギーのお蔭で、私が中心になりまして、本県の学校医の人達の原稿をまとめ、私も本県の学校医会の記録と眼疾と屈折異常の研究の二篇の論文を執筆し、眼疾、近視とも食餌と関係の深いデータを出しておきました。私の結論も、ビタミン群無機質の欠乏した食餌、そして糖分の過剰は、全身粘膜の一部である眼の結膜の抵抗力を弱くし、之に加えて近年のテレビ、読書量の増大による過労によって、近年、軽症化はしているものの、結膜疾患は却ってふえている(耳鼻科でも、扁桃腺肥大などすごくふえている)。近視になりやすい素質も増加しているから、食餌の面も規正しないと、結膜疾患は軽減しないということで、調査の結果を数字で出しています。(36・10・30)
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7.私とあおじる
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寝屋川市西小学校 H,N,
わたしは、4年生の3学期からあおじるをのみはじめました。からだのよわいわたしは母や先生からすすめられ、おくの先生にたのんでみたところもうその日にのみました。はじめてのとき、みんないっぺんにのんでいるのでわたしもひといきにのんでみました。そのとき、おどろいたことは、わたしが、そうぞうしていたよりも、おいしかったことです。その日から、かかさずのんでいます。学校がやすみのときは、家にはいたつしてもらいました。そのうちに同じクラスの子で2〜3人のむようになりました。毎日のアメをたのしみに、いつも、2時間目のあそびじかんにのみにいきます。わたしのむかいのいえもむかいどなりのいえも、あおじるをとっているそうです。
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8.蛋白もなくなる
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名張市 T.H.
一教員の妻です。主人は検診で高血圧と診断され、医薬や売薬に親しむようになりました。それまで元気だったのにだんだんノイローゼになり、2年余りたちましたが一向快方にむかわず、ついに腎性高血圧と診断され、学校も2ヶ月ほど休んで休養いたしました。少し落ちつき、職場にもどりましたが、何かと気分がすぐれず、あちこちと体の障害を訴えておりました。たまたま新聞で青汁の本を知り、さっそく飲用することになりました。はじめは、いくらか期間つづけなければ効果の見えないものと思っていましたのに、目に見えて体の調子がよくなり、便秘もなおり、長い間とれなかった尿の蛋白も、みるみるなくなりました。こんな手近なことで更生させていただくなど、夢にも思いませんでした。今では、私も家族の者も青汁党になり、明かるい日をすごさせていただいています。
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9.病院諷詠
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山口 M.Y.
年用意 カルテ整理に 手間どりて
小使にかゝる 芸あり年忘
四十年 この聴診器 医務始
看護衣は寒し きびきび働けり
廻診や 凍て鳴る廊下 渡らねば
患者らの湯婆 用意婦長
以下
(ホトヽギス雑詠より)
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10.歌謡 酒は赤シグナルだ
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深山 旅愁
酒を飲み過ぎ 赤い顔
おじさん血圧 よいのカイ
動脈硬化と 云う奴が
墓場へ連れて ゆきますゼ
舌はもつれる 手はきかぬ
辛さは一人じゃ すまないヨ
女房や子供が みじめだゼ
やめたがよいゼ その酒は
酒がこの世の 楽しみと
おじさん 気持はわかるがナ
半身ふずいに なりたいか
死ぬのを待つが よいのカイ
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11.質問箱
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問
ニンジン(根)やリンゴを入れるとよい、といわれていますが、入れては絶対いけませんか?
答
絶対いけないことはありません。ニンジン(根)やリンゴにはビタミンCを壊わす成分があり、一緒にすりつぶすと青汁の中のCまでこわれてしまうので嫌うのです。つまり、私どもは欲がふかく、ナッパの成分を、なるべく損わないように、全部利用しようというので、Cを壊わすとわかっているものは入れまいとするのです。Cは犠牲にしてもよい、とお考えでしたらお入れになって結構です。
問
ホウレンソウはナマなら大変よいものとウオーカー博士著には出ていますが青汁には出来ませんか?
答
青汁に出来ぬことはありません。ただ、ビタミンは多いがミネラルの利用が悪いこと、大量にのむと腎臓に石が出来るおそれがあることから、私どもはよくないと考えているだけです。
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コラム紹介
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