健康と青汁タイトル小 <1959年2月15日発行 第30号>
 目次




1.唇の荒れ

     医学博士 遠藤 仁郎 

     寒くなって蒲団をひっ被って寝たあとなど、唇がかさかさに乾き、たびたび舐る。ますます乾く。そしてうっかり大口をあけると裂目ができて痛む。蜂蜜やリスリンを塗って、いつもすぼ口をして、恐る恐る飯を食ったり、ものを言ったりせねばならぬ、といったことの経験のある人は多分少くないと思います。私なども以前はよくありました。今でも癖になっていて、寒くなると、つい蒲団を被ってしまうが、こうしたことは全然なくなりました。
     この唇の荒れにも色々の原因があるようですが、主なものは口角炎(口角がただれたり、切れたりするもの、私の郷里では「アクチ」が切れる」といいます)と同じく、ビタミンBことにB2群の不足のようです。
     毎年の厚生省が発表する国民栄養の実態によると、私どもの日常食では、カルシウムやビタミン類が不足しているのですが、中でも甚しいのはB2ということになっており、実際口角炎が多いと注意されています。それは主食の白米の食べ過ぎがひどく、副食が一般に少い上に、B2の多い乳や肉類のとり方が足らぬからだ、と説明されています。
     けれども、乳こそ少いが肉類は決してそう少いことはないのですから、私は、むしろB2の多い緑葉類の乏しいのが第一の原因ではないかと思います。それは、同時にカルシウムやビタミンAが不足していることからも、よくうなづけることで、それらはすべて質のよい菜っ葉にはそろって多いものです。
     そこで、私は、邦食の改善には、どうしても良質の緑葉類をうんと大量に、少くとも一日400〜500グラム位は食べねばならぬと考えるのですが、実際のわが国平均の摂取量は、野菜全体としても、やっと200グラムそこそこ、しかもその大部分は白いもの、僅の有色菜のうち緑のものとなると極く少いのです。
     唇が乾いたアクチを切らしていた当時の食べ方を思い出してみると、「あの痩せでご飯は四杯五杯食い」という川柳の通り、白いご飯ばかり食べ、添えものは一体に少く、野菜が主でしたが大根の根や玉葱、イモ、マメのことが多く、菜ものも白菜、キャベツといったものばかりで、ニンジン、ネギなどでしたが、これは嫌い。それに菓子類もよくたべていました。
     そして痩せて(これは今も同じですが)蒼白い顔をして、厚着をし蒲団を被って寝てはリスリンのご厄介になっていたわけです。唇が荒れ、口角がただれるような人は、ともかくまず栄養の合理化をはかること、質のよい緑色の濃い菜っ葉をうんと食うことです。
     こうして食全体のバランスに気をつければ、肌は美しくなり、唇の色は澄んでいかにも活々として来ます。そして抵抗力も増して来ますから、少々寒さにあたる位のことで、肌が荒れたり唇が乾き口角がただれるなどということはなくなってしまいます。



2.西洋人養生心得書

    鏡野町 H.W. 

    衛生十五則

    1.  空気について
      1.  居室の換気をよくせよ
      2.  軽く寛かに且粗製なる衣類を着せよ
      3.  戸外の業務及娯楽を求めよ
      4.  出来得れば戸外に眠れよ
      5.  呼吸を深くせよ

    2.  食物について
      1.  過食及重量超過を避けよ
      2.  獣肉及鶏卵を控目に食ふべし
      3.  硬き食物、嵩高の食物、生の食物、各若干を食ふべし
      4.  徐かに食ふべし

    3.  害毒について
      1.  残りなく、定時に且度々排便せよ
      2.  行住座臥姿勢を正しくせよ
      3.  毒素や病毒をして体内に入らしむる勿れ
          (身体は常に清潔に、食事前殊に手を清潔にすべし)
      4.  歯、歯齦及び舌を清潔にせよ

    4.  活動について
      1.  適度に働き、遊び休み、眠れ
      2.  常に沈静なるべし



3.自然と健康

     健康には周知の如く自然的な健康と人工的な健康と二種ある。
     我々が欲し求めるのは、伝染病や退行性の病気に対する組織の抵抗力と、精神系統の平衡からくる自然の健康で、特定の食養生やワクチンや血清や、ホルモンやヴィタミンや、定期の体格検査や、医者、病院、看護婦、高価な保護にたよった人工の健康ではない。
     人間はこんなものを要しないように造らるべきである。医学にしても、我々が病気や疲労と恐怖を知らずにおれるような方法を発見してこそ、最大の捷利を得たことになるだろう。我々は人類に心身の完全な活動から来る自由と喜びを与えなくてはならない。

    (人間、カレル著、桜沢如一訳)



4.上古の寝具

     神代巻の須勢理姫命の御歌にも、「むしぶすま、なごやが下に、たくぶすま、さやぐが下に」ともあってムシの衾が肌に柔かに当る寝具であるに対して、このタクの衾の方はがさがさとした今で言へば糊のこはい木綿夜具、又は更に以上のものであったらしい。
     しかし、之と比べて柔かいなと言はれたムシブスマとても、蕁麻(いらくさ)で製したとすれば、相応にこは張ったものであった。それよりも一層粗いといふのだから、如何に上古の上臈の生活が、軟弱といふことの反対であったかもわかる。是でこそ、我々の遠祖の肌膚が丈夫で、風邪などいふものを知らなかった原因も突止められるのである。

    (柳田国男、木綿以前の事、何を着て居たかより)



5.民芸と青汁 (上) ―その共通した考え方―

     友成 左近 

     民芸と青汁、といっても、一見そう深い関係はなさそうですが、よく考えてみると、その運動の基調には、何か共通した考え方があるように思われます。
     いうまでもなく、民芸運動は日常生活に使う道具に関するもの、青汁運動は日常の食生活に係わるものです。そして、民芸運動は、当地では、倉敷民芸館の外村先生が中心となり、青汁運動は倉敷中央病院の遠藤先生が中心となってすすめられています。両先生の話をきき、また、つとめて民芸品を親しく使い、毎日青汁を作って飲んでいると、この二つの運動には、ものの考え方に、何か非常に似通ったものがあるように思われてなりません。そしてこの考え方は、今日私たちの日常生活に極めて重大なものであると思われます。
     民芸運動の考え方は、だいたい、こうではないでしょうか。
     人間は「道具を使う動物」であるといわれているように、私たちは、毎日ひにち、いろいろな道具を使って生活しています。然も、できるだけ美しい道具を使って暮らしたいと願っています。
     ところが、今日多くの人々の願い求めている美しい道具といえば、とかく高価なもの、有名人の作ったもの、ひま人が時間にあかせて作ったこりもの、きらびやかな見せ物、飾り物、趣味品、数少い逸品の類いです。このため、貧しい人々は、美しい道具は使えないものと考えて、とかく日常使う道具に無関心となり、また日常生活を粗末にすごすようにもなっています。また裕福な人々は、金とひまにあかせて、美しい道具を集めて身辺を埋めています。けれども、そうした道具は、生活の実用にはしっくりと役立ち難いので、かえって日常生活か変にゆがめられています。
     けれども、道具というものは、もともと日々の生活に絶え間なく使いたてるものであって、実生活に本当に役立ち、しかも安くて永保ちするように、使う人の身になって、親切に誠実に作られたものでなければなりません。そして、こうした道具が実は本当に美しいのです。
     ところが、こうした本当に美しい道具は、実は、これまで、名もない民衆の間で、ながらく作られ使われてきている民芸品に決して少くないのです。こうした民芸品は、いうまでもなく自分の利欲のために材料と手間を惜しんで見た目を美しくしたもの、自分の興味や主張に溺れて材料や手間に秘術をこらしたものの類ではありません。
     広く民衆の間に古くから積み重ねられている経験を生かして、土地の材料を吟味し、手法を工夫し、使う人の身になって、ただただ誠実に作られたものです。このため、こうした民芸品には、材料と手法が自ら招いた構造の美しさがあり、生活に役立つ謙虚で健康で簡素で安定した美しさが宿っているのです。
     こうした美しい民芸品を日常つとめて親しく使って暮すのが、実は本当に美しい生活なのです。けれども今日多くの人々は、このことを忘れているので、金とひまのある人々も、多忙で貧しい民衆もつとめて美しい民芸品を使って、本当に美しい、ゆがみのない、良い日常生活を暮すようにしたいというのが民芸運動です。

     これに対して、青汁運動の考え方は、だいたい、こうではないでしょうか。
     私たちは生きものであって、毎日ひにち、いろいろな食物をとっています。しかも、できるだけおいしい御馳走を食べたいと願っています。
     ところが、今日多くの人々が願い求めている御馳走といえば、とかく肉や魚をヤタラに使ったもの、あれこれと加工して見た目が美しく口ざわりのよいもの、ドッテリと味つけしたもの季節はずれの珍しいもの、そして高価なも、有名料理店で作られたものです。このため、貧しい人々は、家庭の料理では御馳走は食べられないものと考えてとかく日常の食事に無関心となり、平素はただ腹さえ一杯になればよいものとなり、栄養と健康がむしばまれ、勤労が妨げられ生命がちぢめられています。また裕福な人々は、金と時間にあかせて、とかく御馳走に飽食し、これまた健康がむしばまれ生命がちぢめられています。
     けれども、食物というものは、もともと生きた体か本当に必要とする栄養素をすべて過不足なく含んだものであり、しかも毎日規則正しくとって、健康を保つものでなければなりません。
     ところで、人間と同様に生命をもっている動物は、本能と経験によって、自然に与えられていものを自然の姿のまま食べています。けれども、知性の高度にすぐれた人間は、火を発見して食物を加工し、また食料を栽培飼育して豊富においしくしています。さらに人知の進歩と共に、食料はだんだん高度に生産され加工され、これに伴って食欲もますます複雑に分化しこれに応ずるように食物もいよいよ複雑に作られ加工されています。今日では、正しい食物とは、いったいどんなものか、しかとは分りにくくなっています。
     いったい、人知というものは、人々の生活を幸福にもするが、また、それは必ずしも常に完全なものではないので、時に不幸を招いていることもあります。すなわち、今日多くの人々が日々食べているもの、御馳走として願い求めているものには、どことも青野菜、とくに生の青野菜がとくに不足しています。しかも、これは、とかく安っぽいもの拙いものとして軽視されています。けれども、これは、人類が古来食べ続けているもので、これなしではとうてい栄養と健康を保つことができないのです。今日の新しい栄養学も、このことを明らかにしています。
     けれども、今日では、生の青野菜をそう沢山食べては、胃腸の負担過重となるので、汁だけとって、栄養素が高率に利用できるように工夫することが有効適切です。もっとも青汁は、人によって、最初の間は、そうおいしいものではないがなれるにつれて、そうでもなくなり、さらに、これによって栄養と健康がよくなるにつれて、だんだん忘れ難い味わいとなり、毎日ほしくなるものです。とくに冬分は本当においしいものです。
     このように、青野菜とくに青汁は、私たちの栄養と健康を保つ正しい食事に欠ぐことのできないもの、しかも誰にも極めて手近かなものです。けれども、今日多くの人々は、これを忘れまたヤボッたいものと軽視しているが、これを毎日必ず食事にとり入れて、この点から食生活の改善を図りたい、というのが青汁運動です。


(以下次号クリック

6.(随想) 生きていた鼓動(8)
前号参照クリック

     K.I. 

     おぼれる者が藁でもつかむ。あの気持ちだった精神状態、あぶない心のありかただった頃です。(この土くさい臭気がなんだ。この緑にこそ薬にひとしい活力素があるのだ。緑の汁、緑の汁。これは野菜葉にある生命力のエキスだ。うたがう処に不安があるのだ。信じる処に救いがあるのだ。私は飲む。続けて飲もう)青汁のはいったコップを右手で持つ、こんな心になりきって、ぐう、ぐう、目をつぶって飲みます。それは日を追うにつれて、それ程苦にはならなくなりました。
       私はここでちょっと書いて置く必要をみとめますので、言葉をはさみます。と申しますのは、K・O・H即ち倉敷中央病院の内科医長で医学博士、遠藤仁郎氏は、昭和十九年頃からすでに緑葉汁を捨てるにはおしい、栄養――生命源のある事を思い付かれ、確くそれを信じての体験的記録を残してこられている事実です。
     一貫した信念の巨歩を知り得て、私はその努力に敬意と讃辞を心から贈りたく思いました。遠藤先生の宅では、屋敷内のせまい空地を有効に活用され、生食に青汁の役立つ緑葉を育てて居られます。実際に、それらの緑葉を食膳に運ばれていると耳にして居ます。ここの一言なのです。―――(現一九五五年三月)
     私は再び、ペンの歩みを軌道にもどしますが、病室の患者に配られていた青汁は、私がこの病室を退院する頃には、詰所わきの炊事場で造られて居るのを、病院の炊事場にうつされて、そこで造られるようになりましたが。私は出来るだけ愛飲しつづけました。そう思うからかもしれないのですが、二度手術をした身体すでにあばら骨の拾本は幾センチかづつを切り取られて居るのですが、気分的にも元気を取りもどしたかに感じます。
     この頃では、病棟の北手のクローバーの野原(空地)にも、朝のひと時を散歩に出たり、夕方のひと時を桜の葉蔭に憩いなどして居ました。特に青いクローバーの敷物に上向いてねころぶ――あの、なんとも云えないくつろぎ、短いタイムですが胸を患う者の心の暗さは、この時には消えているのです。広びろとした蒼い空、その彼方へ運びゆかれて、かけらさえ見えないのです。いま肺を病み、療養している自分であることも忘れています。
     健康な肉体が一日或は半日の労働のあとに求めてやまない憩いのくつろぎに似て、歓喜がみちあふれている様な、そんな錯誤的気分になっているのです。口をついて軽い歌もながれますし、あわきあこがれは、愛のささやきを交わしたくもなります。こんなフンイキに包まれるのも心に不安の影が宿ってないからでしょう。
     精神面でもゆとりが有るからでしょうが、この明るさへの気分の転向がなかったら、私の単純な重苦しい日々の生活は、まったくやりきれなく、死への誘いにひとしいと云い切れます。しかし、雨の降る日などもそうなんですが、病棟を包んでいるあらゆる景物に、落陽の光線が左様ならを告げてから、やがて自然的な総べての明かりを吸いつくしてしまったかに、薄暗さから次第と黒い圏に落ち込んでくると、再び、どうする事も出来ない心の憂が一層頭をもたげてきます。思考から遠のいていた不吉な夢が、白いベットの上を去来し、その幻影は狂人めいた動きを見せ、そのはては、カサブタみたいにかさかさになって、そこから一面を死体でうめてしまうのです。


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7.三年の味

    田辺 弘 

    まずいまずいの青汁も三年のめばうまくなり
    青汁は三年目からが真の味
    のみにくかった青汁はおもいいだして楽しくもなる
    うまくてもまずくてもよし青汁は人のからだの養いのもと
    うまくてもまずくてもよい青汁の味は天からつけて来たもの
    青汁の味のあしきも天地の恵みのつゆと思うてぞのむ
    牛馬は青汁のまずさ舌で見てそのままくらううまさ知りたる



8.衣類とカゼ

     人が近世甚しく風を引きやすくなったことは、金歯以上の大事件であった。カゼは以前には流行病の一つ又は眼に見えぬ悪霊の所為とも想像せられて居たことは、風邪という語からでもよくわかる。つまり今のやうに普通の病ではなかったので、この変遷と衣服とは関係があるらしいのである。
     我々の衣服はどう変わって来たかといふと、是もやはり柔くなり、又糸が細く目がこまかくなって居る(中略)
     麻糸にも精粗の差はあるが、もともと手元の業だから常人の着物は糸が太く布が強くて突張って居た。丸々とした人のからだの表面との間に、小さな三角形の空間か幾らでも出来て居た。日本は欧州とは反対に珍しい夏湿の国で、住民は又恐ろしい汗かきである。汗は放散して冷を取る為に出ると思はれ、扇は又其水蒸気を、着物の下から追出す為に用いられるのである。
     麻や栲(たく)を着て居た時代には、その扇は使はずともすぐに蒸発したのが木綿になってそれを殆ど不可能にしたのである。だから夏分は肌はいつも沾れて居る。(中略)
     この木綿糸の水を含む性質、是と肌膚の抵抗力とはどうも関係がありさうなのである。

    (柳田国男、木綿以前の事女性史学より)



9.青汁飲用成績報告

    TF児(結核児童)
     毎年夏になると食慾不振で困っていたが、グリンジュースの飲用によってか夏季の食慾も普通と変らず喜んでおられる。
    TE児
     1ヶ月以上37度8分位の熱が続き頭痛、全身倦怠を訴える。国立病院にて受診するも異常は認められなかった。丁度その時グリンジュースの飲用をすすめられ1ヶ月つづけた頃から熱も下り頭痛を訴えなくなった。
    FY児
     毎日の如くに頭痛を訴えていた。疲労しやすく、よく風邪をひく子供でしたが最近では頭痛を訴えることもなくなり、体重も昨年は6月頃から減少していたが今年は同時期に1キロ位増加しています。
    TH児
     頭痛、腹痛のたえたことがない。体育、作業等休みがちでしたが、最近活気を生じ頭痛、腹痛を訴えなくなった。

     以上4名の児童について特別に目立つ事項をあげてみました。たいへん飲みにくいものですが、継続して飲用すれば必ず効果があるものと信じますが、経済的に続けて飲用することが出来ないことを残念に思っております。その他の児童につては1ヶ月あまりの飲用であった為特記事項は認められませんでした。



10.しっこい湿疹

    広島市 I.N. 

     私の健康状態は以前から見ますと非常によくなりました。足も殆んど痛みません(リウマチがあった)。母が脳溢血で倒れまして、夜となく昼となく看護に苦労しましても青汁のおかげで足はちっとも腫れませんでした。
     この頃では睡眠もよくとれるようになりましたのでとても好調です。
     それにもう10年位治らぬ湿疹が出来て居りまして、思い出したように痒みを感じてかきむしり、悪化し、またそのうちに殆んど治癒したかと思われるようになり、又かゆくなり、悪化しを繰返して居りましたが、これも殆んど全治という状態になりました。青汁のおかげと毎日感謝の日を送って居ります。(33、8、6)



11.ネフローゼ快癒

    東京都 E.K. 

     愚息のネフローゼにつき発病以来青汁を続けて飲用し、玄米菜食実行により、お陰様にて、不治の難病といわれますのに、殆ど全快と見るに至り、去る13日より、4ヶ月振りにて登校させて居ります。

    (33、1、18、通信より)



12.お腹のはれと胸の病

    大阪市 T.N. 

     2〜3年前より青汁に力を入れまして息子達に飲まして居ります。
     この度長男が患いましてそれも肝臓がはれまして、お腹がはってとても苦しみましたが、青汁を飲ましますと、一ぺんにお腹のはれがひき、ガスが出てスーとした、といって喜びました。
     先日も知人(息子のお友達)のお家へ見舞にゆきました。胸の病気と聞き、きっとやせて居られると思いました。青汁の有難さを知らせてあげようと行ってみました処が、本人が丸々と肥えてこられて、思ったよりも血色も良く、聞きますと丁度お家が山の上にあり山の草を取り、青汁をこしらえて飲んで、こんなに良くなったとの事でした。

    (33、4、19、通信)



13.毎日健康を楽しむ

    西宮市 Y.S. 

     毎日かかさず飲んでおります。
     以前は、冬はカゼを引き易かったり、お腹をこわしやすかったのが、青汁のためにこのようなことがなく毎日健康を楽しんでおります。

    (33、3、24通信より)



14.質問箱

    西宮市 Y.S. 

     わたくしは生まれながら胃腸がよわくて、少し食べすぎるとよく御腹をこわすことがありましたが、青汁をのみはじめてからは胃腸も丈夫になり、体重も増えメキメキ健康体となり、野菜も大好きとなりました。毎日爽快で暮らせるのも青汁の御蔭だと貴会に対し感謝しています。


     ホウレン草は青汁に適しますが蓚酸のために若干害があることを耳にしたのですが、遠藤先生の御説を拝聴させて戴き度く思います。煮れば蓚酸がなくなるのでしょうか。それとも生で青汁でのめばよいのでしょうか。


     ホウレンソウは次の二つの理由から、青汁の材料とすることをさけています。

    1. ビタミン類は多いのですが、カルシウムがだめなこと。ホウレンソウのカルシウムは蓚酸カルシウムの形であるため殆んど吸収されません。
    2. 僅かには吸収されますが、腎臓に結石をつくる恐れがあること。青汁にしますと随分沢山とり入れますから、この危険が大いにあるわけです。煮ても変わりません。尤も普通に食べるくらいの少量では余り問題にする必要はありません。(遠藤)



コラム紹介

    我輩あんまり牛肉を食ひ過ぎるから、
    それで知恵が鈍ったかも知れん。

    (沙翁、十二夜)








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