健康と青汁タイトル小 <1959年3月15日発行 第31号>
 目次




1.なるべく早く赤ちゃんに

     医学博士 遠藤 仁郎 

     青汁が大切であり、必要であることはよくわかっていても、何分にも余りうまいものではないので、その実行となると、なかなか容易ではありません。子供の場合でも、おいしいお菓子の味をおぼえた後では、とてもむつかしい。学校で、先生や友達と一緒にでも飲めば、まあ飲めるというのが、やっとでしょう。
     そこで私は、まだものの味、ことに砂糖の甘い味を知らぬ赤ん坊の時から飲ますことをすすめています。なるべく早い方がよろしい。出来れば生後2週間くらい。おそくとも半年以内に始めるのです。しかし、決して砂糖を入れてはなりません。そのままか、果汁や牛乳などにまぜて、初め少量、茶匙1杯、盃1杯という所から、しだいにならして行く。そうすると半年か1年後には、5勺‐1合あるいはそれ以上でも平気で飲むようになります。
     昨年の夏、これを実行された十数人のお母さん方のご経験談を聞かしていただきましたので、そのあらましを誌して皆さんのご参考に供しましょう。(詳しくは東京医事新誌2月号に発表してあります)。

     まず、発育が大変よろしい。身長、体重、胸囲ともに厚生省の基準をはるかに上廻っています。そして、骨組がふとく、肉はしまっており、いたって元気がよい。知能の発達もすぐれているようです。よくねむり、いつも機嫌がよい。ほとんど泣くことがなく「いじ」もよいのでとても育てよい。また、全然風邪をひかぬという子もあれば、ひいてもかるいし、ね冷してお腹をこわすということもなく殆んど病気することがないので、健康上で心配したことがない、ともいっていられます。が、もう一つ、特に注目せねばならぬことに嗜好上の奇妙な現象があります。
     食欲がよくて何でも食べるのはいうまでもありませんが、野菜を好み、果物も好き。青汁(味のつけてない、いかにもまずい)となると、とてもの大好物。朝起るとすぐにたずね、飲むのを楽しみにしているのや、家人の飲み残しがあると、それを欲しがり、時には知らぬ間に飲んでしまっているとか、菓子、果物、牛乳、青汁と並べると、まず青汁をとり、おいしそうに飲むというぐあいです。
     そして、さらに驚くべきことには、甘味を余り欲しがりません。菓子をすかぬものもあれば、甘味のつよい生菓子は食べてはみても吐き出してしまう、砂糖のはいった青汁をきらうというのもあります。現在の子供たちの不健康のもとが、糖分のとりすぎと、野菜とくに緑菜類の食べ方の少いことにあるのを思うとき、これらの事実は、まことに大きな意味をもつものというべきで、決して、ただ、妙なこともあるものだと、笑ってすまされぬものであると思います。こうしたことがらからも私は、可愛いお子さんにはなるべく早くから青汁を飲ますくせをつけられるようおすすめしたいと思います。



2.保健と体操(1)

     貝原 邦夫 

     去る2月12日の新聞紙上に「ゴルフマニアの赤信号」50人中に15人も肋骨々折があったと、慈恵医大が発表して世人を驚かせた記事がありました。ゴルフを始め野球、相撲、ラグビー、サッカー、バスケット、バレー、レスリング、スキー、スケート等々・・・・・・。沢山のスポーツが年を追って盛んになっていることは、一面非常によろこばしいことかも知れませんが、又決して数少くない弊害を生じている点も見逃すことは出来ません。
     これはその生い立ちから考えた時、興味から考え出された運動であるために、上達すればする程愉快なものではありますが、往々にしてその方法を誤り易いものなのです。ゴルフの件についても、原因は急激な運動と、準備体操の不足があげられています。兎に角方法によっては非常に効果のあるスポーツも余程考えて実施しないと色々の悲劇を生むものであります。その上スポーツは必ずといって良いくらい若さと相手を必要とし、又相当の経費と場所を必要とします。
     この反面体操(徒手体操)について考えて見ることにしましょう。体操はもともと、ずい分昔、財政的にも余り裕福でない北ヨーロッパの国々に於て、強い体をつくるために、又病気を治すために、或は美容の目的のためにと全身の筋肉を動かすよう、生理解剖学から、考え出された最も合理的な運動なのです。その上に年令に関係なく金もかからず、場所もどこでもよく、相手も不要です。
     丁度栄養の面に於ける青汁と同様、余り味はよくありませんが、(面白くはない)毎日続けて行くと健康に非常に効果のあるものであります。私が調べた長寿者の多くの人達も、それぞれ自己流の体操を続けてその効果を推賞されています。そこで私はこの体操について私の研究して参りました背骨を中心とした、最も保健上効果のあると思われる体操を、次号から皆様に御紹介して見たいと考えて居ります。若しも皆様の中に御実行頂ける方がありますならば大変幸と存じます。


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3.民芸と青汁(下)――その共通した考え方――
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     友成 左近 

     さて、こうだとすると、この二つの運動に共通した考え方は、まず第一に、運動の民衆性です。民芸運動も青汁運動も、ともに、金とひまのある人々でなければ出来ないことを考えているのではなく、また、そうした人々が好んでしていることを普及しようとしているわけではありません。古くから広く民衆の間で営まれている暮し方に美しさと正しさを再発見しようとしているのであり、民衆だれでも、金と時間をそうかけなくても出来る美しい正しい暮し方を考えているのであって、二つながら、民衆に深い愛情をよせた、ある種の新生活運動です。
     一方は名もない民衆が、これまた、これを使う名もない民衆の身になって、誠実に作った道具が実は本当に美しいのであり、こうした道具を使って生活するのが本当に良い暮しであるという自覚を。他方は、民衆だれでも古くから食べてきた青野菜が実は大切な栄養に富んだものであり、青野菜を毎日しっかりと食べるのが正しい食生活であるという自覚を喚起しようとしているのです。

     第2は、日常生活の尊重です。今日多くの人々は、道具でも、食物でも、とかく来客本位に、よそゆきに考えているので、自分自身の日常生活が不当にゆがめられ、また粗末にすごされています。けれども、人々の幸福に大切なのは、実は、この日常生活であって、これを尊重するようにしようとしているのです。
     一方は日常使う道具の点から美しい生活を図り、他方は、日常の食物の点から健康の増進を図ろうとしているのです。第3は、自主性の尊重です。今日は大衆社会の時代、機能的文化の時代です。人々が日常生活に使う道具も食物も、殆んどすべて、極度に分化した生産者によって、大衆を相手として大量に生産され販売されています。そして、売らんかなとラジオ、テレビ、新聞、雑誌その他の大衆報道機関によって、猛烈に宣伝しています。
     もっとも、個々の生産者や商人の宣伝する道具や食物は、それだけとしては別に大した間違いはないでしょう。ところが、人々の生活は、各種各様の道具を整え、多種多様の食品を取り合せなければ成り立たないのです。けれども、こうした全体的に統一した暮し方には、個々の生産者や商人はおかまいなく、ただただ自社の製品商品を売り込もうと宣伝しているのです。このため、人々は、こうした宣伝に振りまわされて、生活に自主的な判断と調和と統一を失いかけています。こうした時代に、ことさら「美しい」とは宣伝しない民芸品に、本当の美しさを見出し、つとめてこれを親しく使い、また、人々には御馳走どころかヤボッたいものと軽視されている青野菜に、大切な栄養価を見出し、これを毎日しっかりと食べようというのです。
     見方によれば、現代社会へのレジスタンスであって、その基調は、大衆社会に振りまわされない自主的な生活を尊重し確保しようということです。

     第4が、自然性の尊重です。自主性を尊重するといっても、それは我執の尊重ではなく、そのよりどころは自然の理法です。今日、道具といい食物といい、とかく著しく人工的に加工され、自然に備っている特性が非常にゆがめられています。けれども、民芸運動も青汁運動も、人工的な美しさや栄養素ではなく、原材料に自ら備っている特性が正しく生かされた美しさや栄養素を尊重しているのです。道具の美しさといい食品の栄養素といい、何よりもまず、自然の理法にかなっているかどうかによって判断しようとしているのです。

     この他、この2つの運動に共通した考え方には、いろいろなことがあるでしょうが、最後に、謙虚な態度ということをあげてみましょう。この運動は、ともに現代社会、現代文明の批判から出発しているわけですが、別に決して主義というほどの立場はとっていないのです。道具であれ食品であれ、今日、社会の機能的な分化発展と、科学と生産技術の発達とに伴って、著く大量に安く生産され提供されています。これによって人々の生活は、それだけ便利ともなり幸福ともなっています。この事実を否定し、時代を錯誤して、日常使う道具は、誰でも、あげて民芸品にせよといっているのではなく、また、青汁をのみ青野菜をしっかりと食べておれば、他の食品や薬品はさして重要視しなくてもよいといっているわけではありません。民芸運動は、本当に美しい道具は、自分の名をあげるために、また自分本位の興味に堕して作った、クセのある、見た目の美しいもの、あるいは、儲けんかなと宣伝して売りつけるようなものではないといっているのです。また数少い逸品にも、その美しさは十分認めているのですが、ただそれには社会性が無いといっているのです。
     そして、名もない民衆が、これを使う、これまた名もない民衆の身になって、材料や手法を吟味し、ただただ誠実に作ったもの、そのような道具が実は本当に美しいのであって、こうした民芸品には、民衆だれでも使える社会性があるといっているのです。そして、さらに、こうした民芸品を日常生活につとめて親しく使うのが美しい生活であるといっているのです。また、もてる道具を、生活の飾りにするのではなく見せ物にするのでもなく、すべてを日々の生活に使いこんでいる、そのような生活が本当に良い生活であるといっているのです。すなわち謙虚な道具を使い、謙虚に暮すのが本当に美しい良い生活であるといっているのです。

     青汁運動は、御馳走といって肉や魚をヤタラに使ったもの見た目の美しいもの口ざわりのおいしいもの、料理人の作ったもの、そうしたものが満足のいく、本当においしい食べ物ではないといっているのです。また、人知におごり、カロリー、蛋白質、脂肪とやかましくいう食物だけが必ずしも健康に役立つ正しいものではないといっているのです。そうした既知の栄養素をとくと考慮に入れながら古来人々が常に食事にとり入れていた青野菜をとり入れよう、しかも十分とり入れるために汁にしようといっているのです。
     そして、この青汁は、今日、栄養学的に、とくにミネラルやビタミンなどの点で、ぜひ大切であると解明されているだけでなく、未だ明かにされていない未知の栄養素も含んでいるであろうといっているのです。すなわち、習慣的な、官能的な美食に溺れることなく、人知を信頼しながらも、これにおごることなく、自然の理法と人類多年の経験を尊重して生命と健康のために、ひたすら謙虚に工夫するのが正しい食事であり、そうして初めて食事が本当においしくなるといっているのです。このように、民芸運動も、ともに、常に民衆のことを考え、民衆だれでも、常に日常生活を大切にし、これを自然の理法に従って自主的に営み、しかも、すべてに謙虚であれ、そうすれば自ら本当に美しい健康な生活となるといっているのです。(33、12、25)



4.(随想)生きていた鼓動(9)
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     K.I. 

     手術をする迄の、あのせっぱつまったいやな気持、それを一度、さらに二度目を体験している私です。もう一度手術の予定のようです。とはうすうす聞いて居たのでしたが、三度目の手術を、近い内にすることが確定的になった現在、二度の手術の落付きは持てません。もしかしたら、もしかすると、そう思うと、二度ほどこの目で見た病死の遺体をおそっていた白布が、眼底に密着してはらいのけてものけても、ぼっと浮かぶのです。前にも書いたかと思いますが、私の胸郭からは、肋骨の7本が幾センチかづつ、すでに切り取られています。胸郭はぐんとせばめられているのです。恐怖が絶望の沼へ、私の不安をひこづり込みます。いやなことです。

     一度手術をすると、糸抜き迄の約1週間は絶対安静、ベッドから本当に久しぶりに、板敷の上へ降りるのには長い日月の後のこと、思っただけでうんざりします。そうしたうっとうしい生活が、また近づいているのです。その単調なタイムの流れはマアいいとしても、この度の三度目の手術は、あらゆる面から考慮して気が進みません。一番大きな不安は、肺活量が手術に耐え得られるだろうか?その不安な恐怖だったのです。横になったままではかった肺活量は500でした。・・・・・・(これで手術が出来るだろうか?)・・・・・・担任の先生の話では、400でも出来るのだから、と教えられはしたものの、肺活量――400と言うのは、手術をする程度に於てのことだろうけれど、(どうだろうか?)・・・・・・不安はおおいかくせません。手術日はもう目の前です。この病院の手術日は、火曜日と金曜日になっています。ですから、火曜日や金曜日をあと3、4日程にむかえる頃は、担任の医師からけうは、いやな話を耳にするのじゃないかと、気分が落付かないのです。

     こんどの手術が済めば、もういやな思いをしなくて養生してればいいのだと思い、安心して良いのに、私の心は反対ふさぎ込むのでした。これから手術室へ行きますから、用意をして置て下さい、と前もって通知がありました。私は、こんな事をすると、かえって悪くないかと思えたのですが紙片に万一の時に備えて、必要なアドレス(住所)とネーム(名前)を書いてから、ベッドの西手の壁にピンで押し止めました。しばらくして、“死ぬ運命なら死ぬし、生かされる生命なら再びこのベッド上で再起へのプルスを続けていけるのだ”と自問自答し、心を落ち付けるように、心に言って元気をつけるのです。
     病室の廊下に運搬車が来ていると、誰かの声がします。到々来るものがきた。でも私はためらい勝な脚の床踏みです。と言いたい心の動揺を、傍から見てのことだと思えます。同室のMさんが、ベッドから降りて来られ、「後のことは大丈夫だから、元気で行って来なさい」暖い言葉をよせて下さいました。
     申しませう。私がなぜ、未練らしい心の動揺を現わしたかを――それは、まだ幼い子供である長女のことを思い出せたからで、無邪気な色々な仕草や、あどけない言葉などが、不安な暗い心の波紋のなかであざやかによみがえってはもし私のこれからする手術に於て、不幸が訪づれるような事になったら・・・・・・
     考えれば考える程に子供への愛情がためらったからです。――他人からはげましの言葉を寄せられると、それが逆の効果を見せるのはおかしいでしょうけれど、じっと瞼の裏で支えている涙がその極地に来て、ほろほろと頬を一滴一滴つたいます。こんな時の常で、一度感情がもろくなると涙が次から次とあふれでるものです。見せまいとした涙を、私は見せて男泣きをしました。そこには恥や外見などにこだわって居れない切迫した気持なのです。看護婦さんが迎えに来られる迄には、涙のあとは拭いては居ましたけれど、傍目には、それとわかる泣はれた眼元だったと思います。


(以下次号クリック

5.蓄膿が治った

    埼玉県 S.H. 

     以前から風邪を引き易く蓄膿がひどく困っていました。ところが「受験の数学」(昨年11月号)の「雑草のめぐみ」を読み、早速今年の7月末からグリーンジュースをつくり飲んでみましたところ、半月も続けていると効果があらわれ始め、現在では殆んど鼻が気になりません。高校2年の時蓄膿の手術をしたのですが、直ぐ元通りに返ってしまい、体質だからとあきらめておりました。今さらながら青汁の効果に驚いています。夏の間はハコベや柿、ブドウ、イチジクの葉をスリバチですり、毎日コップ2杯づつ飲みましたが、秋風が吹き、木々の葉が色づき始めますと何か心細くなります。

    (33、10、2附通信)



6.小松菜の一坪菜園

    遠藤 H.E. 

     3月に入って、冬の間寒さでのびの止っていた雑草が、ここかしこにはびこって、春の甦えりを告げる頃から、私の家の青汁菜園も次第に賑やかになって来ます。青汁菜園といっても、わずか5、6坪の庭を、すみからすみまで、生食と青汁専用の青菜っ葉畑にしているにすぎませんが、引越して来た当時は石ころと瓦ばかりの荒地で、京都で充分な畠を持っていた私達を少なからず失望させたものでした。
     余談はさておき、私の家では、終戦前から、小松菜の一坪菜園を庭の一隅に必ずつくることにしています。戦争中の食糧不足を補うために始めたのですけれど、途中からは青汁の材料にもなり、現在では生食用として特に重宝しています。自家菜園のものですから市販の野菜のように不潔ではありませんし、農薬の心配もなく安心していただけます。又新鮮といふ点ではとても市販のものと比較になりません。その上小松菜は成分の上でも大変よい野菜ですし、小さい、やわらかい間は生食に最適です。
     成長してややかたくなれば青汁の材料にしたり、味噌汁に入れたり、漬物にしても大変おいしいです。洋食に使うチシャは成分がよくないので、私の家では、いつの間にか小松菜を使う様になってしまいました。調味料には、マヨネーズ、フレンチソース、或はすみそ等が適当ですが、なれてくると調味料なしでも結構おいしく食べられます。
     先ず、土地を掘かえし、堆肥を充分に入れて、地ごしらえをします、(下肥は絶対にさけます。)堆肥は台所ののこりものや、わら、木の葉、草等を腐熟さしたもので、ほかには石灰、木灰、鶏糞、油粕等を時折施します。種を播くのは大体、春秋2回、彼岸頃ですが、相当厚播に、畑一面にばらまき二葉から次第に大きくなるにつれ、毎日適当に間引いて行き、これを生で食膳に供します。生の青野菜を食べることは健康上大変大切なことですから、この一坪菜園は是非おすすめし度いと思います。僅かな労力と注意で都会地でも充分実行が出来ますから。(34、3月)



7.血壓下り不整脉治る

    須磨 H.U. 

     青汁をはじめて2年になります。はじめは忙しいといっては止め、下痢をしたといっては休み、材料が切れては絶えしていましたが昨年種子をいただきましてより、二百本余りケールを植え、材料は充分になり、忙しければ、少々寝る時間をおくらせても飲む、下痢をすれば尚更バターと共に飲む、という風に、平時は朝夕2合、夏中病人あり忙しい折は疲れて動けなくなると、つとめてつくって1日に3合から4合飲みました。
     お蔭で、2、3年前までは暑い間はごろごろ暮しました者が、老人の看病しつつ夏を終え、いつ疲れが出て寝込むかと覚悟いたしておりましたが、少しも寝ることも無く、2年前180であった血圧が、薬をのむと下り、止めれば上っていましたのに、薬は一切止め青汁だけで150に下りました。その上、いろいろの薬を試みましたが効果なく、絶対性不整脉と名のつきました脉が、大変よくなってまいりました。なお私は蛔虫、十二指腸虫などの本家と申すほどでございましたので、実のところ、青汁で定めし増加いたしおることと観念いたしていましたが、先頃の検便では卵一つも発見せぬ由にて、これには我ながら驚きかつよろこびましたようなことでございました。

    (33、11、13附通信より)



8.痔瘻

    須磨 K.N. 

     Uという26才の青年ですが、昨年神戸市板宿町の某病院で手術後、仝年暮再発。小生のすすめで青汁を服用したのが本年1月初旬でしたが、爾来8ヶ月真剣に飲みつづけましたが、先月末完全に治癒し、今日ではオートバイに乗って活動しております。尚この患者は78年来、晩秋から4月頃まで、毎年霜焼けで困ったそうですが不思議に今年の春は罹患しなかったといっています。

    (33、10、9附通信より)



9.病む児

    田辺 弘 

     青汁をおだてて飲ます親ごころ
     親の飲めぬ青汁なんで子がのもう
     ひとり子に青汁運ぶ若い母
     奥さんも青汁党になったらし 子供のお八つに青汁を出し
     青汁で子供を思う一筋に夫婦は 今日もけんかなどして
     子供にもリヨウマチじんぞう 胃かいよう青汁のます時ぞおそかり



10.質問箱

    放射能汚染 吉備町 O.N.


     新聞紙上にあったのですが、放射能汚染の心配なきや。


     これは野菜に限ったことでなく、私どものすべての食物が汚染されています。降りかかったものは洗い落せましょうが、雨水で土壌にしみ込み、根から吸い上げられるものは防ぎようがありません。まことに困ったことです。が、幸なことに、カルシウムの多い野菜をよく食べると、いく分放射能の害が防げるようです。

    すり鉢でつくるには 和歌山県 T.K.


     家庭ですり鉢を使う場合水は全然加えないのでしょうか?


     材料にもよりますが普通の野菜(水分の多い)では水は入れません。初め少し揉みつぶしておき、スリ鉢の目にすりつける様にすると(手でです。スリコギでは能率が上りません)、割と楽に出来ます。水分の少い材料のときは適宜浄水を入れてしぼり出します。



コラム紹介

    ホウレンソウ青菜のうちでは下々の品







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