健康と青汁タイトル小 <1968年1月15日発行 第137号>
 目次




1. かみ方のよしあし

     医学博士 遠藤 仁郎 

     食べ方で大切なことの一つはかみ方。健康になるために、完全食が必要であり、正しい食構成がやかましくいわれています。しかし、たとえ食構成はうまく組み合わされていても、それが本当に完全な食となるには、食べたもののすべての栄養分が吸収されることが前提です。
     けれども、食物の栄養分は、ただ、それを食べさえすればよいのではなく、その食べものが、よく消化され、吸収されなければなりません。したがって、かみ方のよしあしが、完全食になるか、ならぬかをきめるわけだし、かむかかまぬかが、健康になるか、不健康になるかのわかれ途だ、ともいえるわけです。
     よくかむと、食物は細かくくだかれ、唾液とよく混ざるばかりでなく、胃液や腸の消化液の出もよくなるので、すべての栄養分がよく消化され、よく吸収されます。つまり、食物の利用率がよくなるので、いきおい、食物は少量で足ることになります。それは、よくかむと、食べものの嵩がふえる上に、反射的に分泌される胃液の量が、荒がみの場合に比べ、遙かに多いので、満腹感が得られやすいこと等も手伝い、確かに食量が少くなるものです。
     誰れも彼れも弁当箱をもってあるいていた、戦時中から戦後にかけての汽車の中などでよく見かけたことですが、大きい弁当箱をもっている人は、きまってかみ方が悪いし、小さい弁当箱の人はよくかんで食べていました。
     主食の米についてみると、かみ方がよいのと悪いのとでは、吸収率に5%くらいの差があるらしいが、たとえ、それが3%としても、全国の産額5千万石にすれば150万石の節約。いいかえれば、150万石の増産になる、と戦時中大いに咀嚼運動を力説した人もあったほどです。
     それはともかく、それだけ胃腸のうける負担は軽いし、かたい繊維や、砂や、金属片、ガラス片などの異物、あるいは、刺戟の強いもの、冷たすぎ、熱すぎるものなどの害もさけることが出来るから、胃腸は健康になり、病気から守られるというわけ。
     ところが、荒がみだと、食べものの消化も吸収も不十分で、栄養分のすたりが多いので、どうしても、うんと食べなければ十分の栄養がとれず、また、胃液の出方も十分でなく、腹ごたえが少いため、つい食べすぎにもなります。
     それに、かたい繊維や、異物、刺戟の強いもの、過冷過熱食などの害もうけやすい。それだけに、胃腸をいためる機会も多いわけだし、実際、荒がみの大食いには胃腸病が多いものです。
     いや、それだけではありません。かみ方が悪いと、食べものによっては栄養分の吸収に大きい差が出来る結果、全体として不完全食になりやすい。それは、軟くたいた白米飯や、肉類や卵などだと、さほどかまなくても結構消化するが、粗い繊維の多い野菜や海藻や果物では、よほど丁寧にかみつぶさなければ、その栄養分は吸収されないからです。
     つまり、飯や肉、卵からの糖質・蛋白質・脂肪などは吸収されるが、野菜・海藻・果物に多いミネラルやビタミンは、ともすれば、素通りして、すたってしまうために、もともと完全食になるような食構成であっても、結果としては、熱量・蛋白質ばかりに、ひどく偏った食になってしまいます。その上、荒がみの大食で胃腸の働きが悪くなっているため消化吸収能も衰えているので、栄養分の利用率が下っており、一層、不完全度は甚しくなり、いろいろ全身的の病気を原因することにもなります。

     さて、一体、なぜ荒がみになるのか。仕事が忙しくて落ちついて食べられぬ、という人もあります。けれども、よく注意してみていると、なるほど食事はガツガツやっているが、後で、ゆっくりタバコをすい、駄弁っていることが少くないようです。いかによくかんでも高々30分。大抵は15分か20分。これだけの時間がとれぬほど忙しい人は、そうそうはない筈です。
     それに、食事の時間というものは、決して、そうきちんと決めなくてはならぬものではない。ひまになってから食べればよいのですから、ゆっくり時間をとって、十分かんで食べたいものです。昔の大工や左官など徒第制度の職人の仲間では、親方よりおくれて食べはじめ早く食べ終らねばならぬ、というきびしいオキテがありました。
     そうして、馴されて早飯になっている親方より、早くしかも十分食べるには、どうしても荒がみ、いや、ろくろくかまずに流しこむようになるので、胃や腸の病気が多かったものです。今ではもう、そうした悪習はなくなっているでしょうが、もし、まだ残っているとしても、その許された時間内に、よくかんで食べられるだけの分量を食べておけばよいのです。
     そのようにして、93−4まで、健康で長生きした棟梁を私は知っています。茶漬けや汁かけから、流しこむクセがつくのもあります。そこで、「朝飯の掛汁は親不孝」とか、「朝飯に汁(茶)をかけて食うと出世せぬ」などといわれたのでしょう。
     が、これとても、汁と一緒にはかみにくいが、汁だけ先に飲み、後でかめば決してかみにくいことはありません。ながくかむとまずくなるから、というのもあります。これは、付け味が濃厚すぎるからです。うす味とするか、付け味なしにする。
     すべてのものには、そのもの本来の味があり、かみしめるほどおいしいものです。中には、胃腸を鍛えるために丸呑みするといい、また、それをすすめる人もあるようです。しかし、それが習慣になることは、どうみても感心出来ることではありません。「胃には歯がない」ということを忘れてもらいたくありません。
     さてそれでは、一体、どれくらいかめばよいか。グラッドストーンは、一口32回といっています。人間の歯は普通32本だから、一本一本の歯に一回はかませろ、とでもいうんでしょうか。フレッチャーは、舌にさわるものがなくなり、呑みこむのでなく、自然とのどに流れこむまでかめという。
     私が試してみたところでは、そこまでかむには、少くとも一口80回から100回はかかる。なお、飯やパンやおかずなどの固形食ばかりではない、粥や粥状にした副食物もかまねばなりません。
     大体、胃や腸が悪いから、弱いから、粥にする、ということからして、すでにまちがいだ。それは結局、横着もののいい分で、かむのが嫌だからです。よくかみさえすれば――オモユになる位までかむなら、カタ飯でもコワ飯でも、少しも差支はない筈。オモユでも、乳でも同じだし、いや、水でもやはりよくかんで、唾をよくまぜて飲め、と昔からいいます。
     ただし、水には澱粉があるわけではないから、唾液をまぜて、どれだけの利益があるか、理屈ではちょっとのみこみかねるが、何かまだわかっていない理由があるのかも知れません。毒ウイスキー、毒ブドウ酒だの毒ジュースだのの事件がおきたり、うっかり間違えて有害物を呑むことがないとはいえぬ物騒な世の中のことです。水だとてガブ飲みにするのは考え物。こうした場合でも、一口づつ、かみしめて飲んでいれば、あるいは、何か異常を感じ、うかつにしてやられるようなこともないでしょう。


 
2. ブラウン爺さん

     医学博士 遠藤 仁郎 

     大酒がからだのためによくないことは、よく知られている。
     私の周囲をみわたしてみても、若い時から、大酒をのんでいた連中は、たいてい、早く死んだり、病気したりしている。
     しかし、中には、ずいぶんさかんにやっていながらしかも、いつまでも元気でいるのがある。また、世の中には、一生飲みつづけて、人並以上に長生しているものも少くないようだ。
     いつ、何の本でみたのかすっかり忘れて思い出せないのだが、こんな書きぬきが出て来た。

    「ショッテン、ブラウンの墓銘に曰く。この石の下に、強いビールの力で120才まで生きたブラウンが眠っている。かれは、いつも酔っぱらっており、死神さえもふるい上るほどの凄ましさだった。ある日、いつになく正気でいたとき、死神は、えたりと彼をひっとらえ、比類のないこの大酒呑みにうちかった。」
     ドイツ語だから、ドイツのどこかにあるのだろう。このブラウン爺さんなどおそらく、もともと酒につよい超特製のからだに生れついていたのだろうし、飲み方や酒毒を消す術に、何か秘訣があったのかも知れない。
     いずれにしても、こういうのは、まさに比類少い例外だ。うっかり、いい気になって、鵜の真似をする烏になってはなるまい。



3. 青汁教室 食養生についての断想(7)
前号参照

     食改善は、おいしく食べられる、不必要な手数をはぶく、食費がかさまない、といったことをねらいながら、必ず常に、栄養の向上を的確にねらっていなければならない。ことと次第によっては、一時、栄養の向上だけをねらい、その他はそう深く考えずに、工夫しなければならないことも起こる。
     食改善といい、栄養の向上といえば、やれ熱量を、やれ蛋白質をと、その増量をすすめている向きがある。だが、これは、いささかピンはずれではあるまいか。だれでも、カネさえあれば、米・麦・芋・砂糖・油や大豆・魚・肉・卵などは十分食べ、熱量や蛋白質に不足することはまれであって、これは食改善以前の社会保障の課題である。家計の貧富にかかわらず、おしなべて、その増量をすすめなければならないのは、カルシウムと各種のビタミンであり、牛乳・野菜・果物・とりわけ青野菜である。
     この頃、どことも、熱量や蛋白質に比べて、これが著しく不足しているからであり、青野菜は、数多い食品のうちで、これがダンちがいに豊富であるからだ。にもかかわらず、この青野菜は、意外に軽視され、また食わずぎらいに、きらわれている場合が多いからだ。
     国民栄養の現状を説明するとき、栄養摂取量を栄養基準量とジカに比較している場合があるが、ちょっと合点がいかない。
     これは、あたかも、下駄ばきのまま身長を計っているようなものだ。栄養基準量は、口に入れたときの数値であるのに、栄養摂取量は、調理前の食品に含まれた栄養分の数値であり、栄養分によって著しく損失していくものがあり、これは口に入らないからだ。
     栄養摂取量を栄養基準量と比べてみるとき、調理による損失を考慮に入れねばならない。熱量と蛋白質はあまり損失しないが、カルシウムと各種のビタミンは著しく損失する。その程度は、栄養分により、また食品により調理法により、さらに食べ残し方によって、それぞれちがっているが、おおざっぱにいって、30−50%以上である。
     これを考慮に入れたら、カルシウムと各種のビタミンが著しく不足していることが、よく分かる。
     栄養の向上をねらって食改善をするには、まずはさておき、青野菜を十二分にとって、著しく不足しているカルシウムと各種のビタミンを補ない、栄養摂取に調和をはかることが肝要である。
     これを忘れて、熱量や蛋白質を増量するのは、あたかも、空気窓のふさがった七厘に、ヤタラと炭をつぎこむようなものだ。カルシウムといいビタミンといい、これは、熱量や蛋白質と違ってどんなに沢山とっても別に差し支えはなく、多ければ多いほど栄養の向上に役立つ。
     ただし、これは、栄養剤ではなく、ふつうの食物、とりわけ青野菜でとる場合だ。といって、青野菜も、品種や栽培や食べ方などに、それ相応の注意が必要であること、食べ方としては、生のまま、よくかんで食べること、その方便として、青汁として飲むのが、最も有効適切であることは、いうまでもない。栄養基準量といい食糧構成基準といい、また栄養摂取の現状といい、それは、日本人全体の総平均である。われわれとしては、これを手がかりにして、めいめい、体具合や労働事情に応じて、個別に食改善を工夫するわけだ。とはいっても、実際、どんなものを、どれくらい、どうして食べたらよいか、ということになると、まことは厄介面倒である。けれども、ごくおおざっぱにいって、青野菜を、毎日、体重の1%以上、それも青汁にしてとり、その他は、身についた食習慣に従い、食欲に応じ、腹八分にしたら、大きな間違いはあるまい。
     (付記)この断想は、毎度の青汁教室で、遠藤先生が度々お話しになったこと、それに学んで参会者が自ら体験して話し出したことどもです。


次号参照

4. 麦苗

     麦苗葉、大麦でも小麦でもよい。
     煮て食べてもよし、生のままサラダにし、また、青汁にもする。野菜その他の青汁同様、どんな場合にも応用できるが、古くから、酒毒を消すとか、黄疸や熱病によいし、顔色がよくなる、などといわれている。
     本草綱目に、

     苗汁酒に酔わぬ。酒毒を消すに、擣汁を日毎に飲む。
     温瘧に主效。
     大麦苗 諸種黄病に小便を利す。杵汁を日々服す(類要)。
     小麦苗 あえものを作って食えば甚だ顔色を増す(日華)。
     わが民間療法にも、黄疸に、生の小麦の苗をとり、搗絞り汁を取り、茶碗七八分目づつ、昼夜四度用うべし、三四日にして治す(妙薬手引大成)。
     といったぐあい。
     また、「麦わら黒焼蛔虫を去る」といわれているが、戦後の寄生虫蔓延し、薬品の欠乏していた当時、麦稈煮がつかわれ、相当の効果をあげた。何か特効成分があるのだろう。駆虫効果は一般の菜っ葉にもあるから、そうした意味では麦苗汁は一層有効かも知れない。麦の有難いことは寒さに強いので、冬から春先の、いわゆる冬枯れの間にも利用できることだ。そのためには、少し早まきする。ふつうの麦蒔きは稲刈りの後の11月ごろだが、この目的のためには9月ごろに蒔き、冬の初めまでに出来るたけ大きくしておくことだ。


 
5. もち米

     医学博士 遠藤 仁郎 

     精白したものは、もち米でも、うるち米でも、熱量やカルシウムや燐ともに同じ。
     蛋白質とビタミンは、もち米がやや多いだけで、良質菜っ葉による完全化には、大根葉で3倍は必要だから、栄養的には、うるち米と大差はないわけです。
     但し、成分の縮合の度合いが少いのと、糖質の大部分が、澱粉より少し消化された形のデキストリンなので、もち米自体の消化は、うるち米に比べ、ずっとよろしい。けれども、もち米と小豆を蒸してつくる赤飯は、十分軟化していないので(オコワといわれているように)消化はよくありません。
     餅も同様で、とくに時間がたって堅くなったものは、こなれにくい。その上、餅は嵩が少くなっているため、とかく過食になりがちなので、食滞しやすい。餅腹三日とか七日とかいわれる所以です。
     しかし、オコワにしても餅にしても、十分よくかめば、あるいは、軟く炊いたものは、うるちの飯や餅(ひねりもち)よりは、むしろ消化はよろしい。
     もち米や餅が「中を温める」とか、「気を益す」などといわれているのは、消化のよいためでしょう。そして、力が出る(力餅)というのは、腹ごたえも、腹もちもよいからでしょう。
     本草には、

    「大便を堅からしめ泄を止める」
     とありますが、オコワや餅を食べるとよく便秘しますし、消化のよいため便の分量が少くなること、ビタミンB不足がおき腸管の筋肉の活動が衰えて、腸管内容(つまり便)の運行が悪くなるためです。
     ですから、正月の前後には、よほど気をつけて十分の野菜を食べておかぬと、ひどく結して、さんざん苦労させられることがよくあります。したがって下り(泄)にもよいわけです。
     「久泄を止め、大便をして堅からしむ(大和本草)」。
     また、
     「小便を縮める」として、老人の小便頻数なるもの夜半に食うとよい、と本草書に出ています。
     確かに、餅を食べると尿量がへります。これは、消化のよい糖質が吸収されて組織にはいる場合、水分をひく性質があるためで、餅を食べて顔や手がはれぼったく感じるのもそのためです。
     「自汗を収む」というのも同じ理でしょう。「人をして多く睡らしめる」ともあります。これはビタミンB不足の症候です。オコワでも、餅でも、嵩が低いのでつい食べすぎになり、糖質とビタミンBとのアンバランスから、からだがだるくなり、ねむくなるのです。
     また「久食すれば心悸及び癰疽、瘡節中の痛を発する」とあるが、心悸はビタミン欠乏で、心臓がよわるため。おできの痛は、食べすきによるアシドージスのため、炎症性、滲出性質となり、化膿しやすくなったり痛が強くなったりするため酒と同時に食えば酔って醒め難い」とあるのは、酒が加わればビタミン不足の影響はさらに大きくなるからでしょう。
     なお、「筋を緩にす」とか、「小猫や犬が食えば脚が屈んで歩行し得なくなり馬が食えば足が重くなる」とあるが。これは人間でも同じ。もち米や餅(砂糖でも)を食べすぎて手足が倦くなり、しびれ、ついにはすっかり力がぬけて動けなくなる、という発作がおこることがあります(発作性マヒ)。
     これは、糖質が筋肉にはいり糖原になるとき、血液中のカリウムを奪い、カリウム欠乏によってマヒがおこるのだ、といいます。とすれば、カリウムの多い野菜をしっかり食べれば予防できる筈だし、実際、そういう発作のおこる人には野菜嫌いのものが少くないようだし、菜食して発作のおこらなくなることも少くありません。
             
     熱量蛋白質カルシ
    ウム
    ビタミン
    AB1B2C
    もち米 精白3516.561500.40100400
    同100+大根葉30049822.15762404.69000400940270
    うるち米 精白3516.261500.4090300
    同100+大根葉30049821.85762404.69000390930270
    カロリーグラムミリグラムミリグラムミリグラム国際単位ガンマガンマミリグラム


 
6. 百才の井上さん

     倉敷在住の井上りうお婆さん。慶応3年生れ。昨秋満百才を迎えられた。
     いたって健康で、早起き。ご飯炊きと庭掃除はお婆さんの受持ち。
     耳はやや遠いが、目は丈夫。メガネ不要。食べものに好き嫌いはない。が、いつも少食。たのしみは小コップ一杯の晩酌。
     何事にもクヨクヨせず。ごろりと横になれば、もうねむっている。という毎日の由。(写真と手型は百才記念にいただいたもの)。


 
7. みちのくの青汁先生 随聞日録

    山形支部 K.K. 

    10月11日(晴)
     15時55分着の第一蔵王が20分遅れて山形駅のホームに着く。大変な人込みだったので、見失なわないようにと、階段のところで手を挙げていたら、先生のニッコリした温顔が群集の中から発見、先生も手挙げられる。奥さん。それに田辺弘さんのところの田中八九雄さんが上野から随行されて来る。
     バスで蔵王温泉に向う頃は、夕陽が西の朝日連峯に沈みかけて、バスがすすき野をだんだん高いところに登るにつけ、綺麗に眺められる。娘が勤めている関係で山形銀行の保養所に投宿。ここは案内の僕も初めてなのだが、気分満点。ただ困った事は田中八九雄氏が飛込みなので、入れて貰うのに一談判、夕食だけは3人分で4人食べる事に辛抱してビールの栓を抜く。
     先生のお酒はまあまあと云うところで、八釜しいことがないので、気持よく飲む。病院の院長なんかしていると、奥さんの話では、飲む機会が相当あって時には相当の量になる事もあるとか。お宅では晩酌はなさらないらしい。

     田中さんはすぐ赤くなって、豊富に色色な話が出る。田中さんは32才の好青年。船橋で、お母さんと二人きりで、朝は3時に起きて、青汁つくりに毎日ギリギリの生活らしいが、寸暇を得て、先生に従いて来たもの。親子の様に親しく話している。
     空気の澄んだ静かな秋の夜の山荘談話がつぎつぎと展開される。

     先生の倉敷中央病院は、ベット数が700余、お医者が40数人と云う大病院と云うことを聞く。其処の院長先生は、白米のご飯は一切ぬきで、朝からイモ・マメ・ナッパで、奥さんと二人きりのご生活(註ご長男は京都大学で医学研究、一人娘の紀久子さんはドイツでピアノ研究3年)。余程変っているが、ドエライ先生。
     兎に角、例外はあるが、多くの青汁党員などと云うのは此の部類に入るのだと会長先生自らおっしゃる。京都大学の筆頭名誉教授の95才の矢野仁一先生はまだ元気溌溂として居られるが、人間は長生きするにはこの社会で誰もやらない、自分でなければやれない事をやれと云われると云う。

     生きがいと云うか、ハリのある生活と云うことの精神面も、健康にかなりの影響あることを説かれる。儲かる仕事なら誰でも手を出すが、青汁会の世話などと云うのは「金」には縁が遠いので、支部が出来ても亦つぶれるのもかなりある様である。
     「先生は何でも内ばえに云われるが、青汁を飲んで居ればガンにかからないと云われぬか、党支部会員には二人もガンが治ったと云う人もあり、青汁をしっかり飲んで居れば何だか、かからない様な気がするが、どうでしょうか」と私は突っ込んでこんな質問をした。
     そうしたら、先生はこう答えてくれた。『ガンの発生原因については色々の学説があって、まだハッキリしていない現在、青汁飲んで居ればかからないと断言する事は出来ない。然しまあ飲み方にもあろうが、しっかり飲んで居る人は、心配しなくともよいのではないでしょうかなあ』と。

     次に酒の話。「先生、私は酒の博士から聞いて、酒は主として、ホワイトリカーの様な清純焼酎を炭酸水で薄めて、アルコールを10度以下にしてレモンを入れて飲んで居るが、日本酒は不純物が入っていて、続けて飲めば、有害だと云う人があるが、どうでしょうか」と。
     『問題点はその酒が糖化する時、糀の様なカビを使用するかどうかにあるようだ。カビには悪いのもあって、それが発癌に関係があるのではないかと云う説がある』と云われるのであった。「兎に角、二日酔でもした時、青汁を沢山飲めば直に治るね」と云うのが田中さんの話。昨10日は、倉敷を夜行で立たれた先生ご夫妻あまり長談義させてはと8時近くお部屋に引揚げて貰う。
     硫黄臭い温泉。先生は気に入られたかどうか、一人早く部屋に帰られて居った。蔵王のこの宿の辺は湖の底のように静まり返っていた。

    10月12日(晴)
     漸く明けかかった頃、窓を明けて外る見ると、空は全く晴れ、ブナの林の紅葉が今を盛りと色づいた綺麗さに思わず声を立てる。屏風のように聳えたつ近くの龍山の紅葉も、文字通り錦綾なすと云うところ。こんなによく晴れた日と云うのも滅多にない。
     先生は精進がよかったなどと話する。食堂にある大きい囲炉裏には、もう炭火が入れてあった。日頃は御飯を食べないと云う先生も、芋がないので丼飯を殆ど平げられる。
     8・55発のバスで蔵王ラインからエコウラインに向う。綺麗なすすきが路傍に到る処に見られたが、半分以上紅葉の盛はすぎていた。落葉松の林、ブナの林、トド松林は晴れた秋空に殊の外綺麗に見られた。綺麗な紅葉も処々残っていた。月山・飯豊・朝日・吾妻の連峯も手にとる様に見えた。刈田駐車場に50分で着く。
     ここでリフトに乗る。リフトを降りて徒歩5分。
     噴火口のお釜の壮大な景観が眼前に突如として展開される。
     先生、奥さん、田中さんとカメラのパチパチが続くこと。刈田神社に詣でたり、宮城県営のレストハウスで休んだり、ここで一時間ばかり遊ぶ。刈田からは、馬の背を歩いて熊野の頂上に向う。一時間ばかり。漸く汗ばんで正午に山頂に着く。

     陸奥をふた分けざまに聳えたまう蔵王の山の雲の中に立つ
     と詠んだ斉藤茂吉の碑の前にみんな立て、記念写真を撮る。
     もう道がよくなって、歌のような神秘性はなくなったと云ってもよいが、紺碧の空、溶岩、澄んだ空気など高山の気分は満ちていた。
     ここから地蔵岳の方へ又一時間ばかり歩く。もう駒草などの高山植物は見当らないが、それでも色々の潅木地帯の植物が珍しく、先生と田中さんは、あれやこれやと道からそれて、観賞される。
     この山の名物の五葉松は雪のために、地を這うようにだけのびて、秋空にその濃緑を一段と増し、色づいた小潅木がまた点綴して、何とも云えない美しさであった。
     大きな地蔵尊の前から、ザンゲ坂へ向ったが、時間が足りない為引返し、山頂駅からロープウェーで下る。ここから見下す一帯が、所謂蔵王の樹氷地帯。50人乗れると云うゴンドラの中には、誰も外に居なくて我々一行の四人だけ。紅葉は過ぎても熊笹とトド松地帯の眺めは綺麗だった。
     紅葉も下ると次第に綺麗になって、中間駅に来ると真盛りになり、その壮麗さに、感嘆の声が思わず出る。ロープウェーと云う乗物で、人間も空飛ぶ鳥の様に又仙人の様に空中から眺められることの嬉しさで、胸一杯になる。
     でもこの景観の寿命もほんとうに短い事は、ロープで降る数分毎に、紅葉の色が違うので解る。山の紅葉をほんとうに観賞出来る日と云うのはほんの二三日であると云うこと。筆者は此の時、遠藤先生ご夫妻はほんとうに良い時に来て下さったと思ったのであった。

     蔵王の温泉街で、名物の串コンニャクで一応腹こしらえをして、午飯もとらず2・30のバスで山形駅に向う。40分で駅につき、最近出来上ったと云う東北一の、デラックスの民衆駅で、70円のかけそばをみんなで食べる。16・07の列車で赤湯に向う。駅には宮内支部長80歳の山田二男氏をはじめ、大間栄・山口孝一・今野竹蔵等の諸氏が出迎えて下され、一行は2台のタクシーで宮内町に向う。
     喜多屋旅館で夕食。漸く菜葉らしい二種類の皿が、鯉の甘露煮、さしみ、などと共に出される。講演会は公民館の修道館で、7時から始まる。白米を食べれば完全代謝のために、目方で米の3倍の青葉を副食として摂らねばならぬ事等。大きなグラフを掲げられてのお話。如何に我々の日常の食生活は、ビタミンやミネラルに欠如しているかを反省させられる。
     講演は一時間で、あと9時迄一時間の質問。10人ばかり熱心に質問せられる。聴衆は40数名だが熱心な人ばかりの様に見受けられた。

    10月13日(最後小雨)
     8時半、支部長の山田さんを始め会員の方8−9人旅館喜多屋に来られて、朝食会が催おされた。献立は大間さんのご配慮で、ジャガ芋・枝豆、大根葉の煮付など添えられる。
     イモ・マメ・ナッパの朝食会なんて、前代未聞かも知れない。二日ばかり芋から遠ざかった青汁先生、殊の外ご満足のように見受けられた。
     話は一時間半ばかり賑かに続いて、11時近く赤湯に向う。
     ここでの会場は公民館で川合信男氏等に迎えられ、1時の開講まで、当地出身の結城豊太郎氏寄附の臨雲文庫を見学する。
     米沢からは大泉又吉氏が来られ、慢性腎臓炎の療法について、先生の指導を受けられる。講演一時間、質問一時間ここでも熱心な人ばかり。約40人集まる。赤湯駅を15・26立ち天童温泉に向う。
     5時半紅葉苑に投宿。此宿は農協団体がバックになっているとかで、金目にあかさず建てた様で、入口から玄関までは百米もあり、庭園が広く、池には水中ネオンのつく噴水があり其名の通り紅葉樹が多く、全くのデラックス型。
     お室も一流旅館に見られるすべてがととのっていた。でも入られてすぐ、脳血腫で悩んで居られる山辺町の、後藤弘氏の奥さんが治療のご指導を仰ぐために来られ、一時間ばかり費された。先ず便秘を治すことが先決で、青汁や芋食を根気よくやれと指導される。
     随行の田中氏も、ここで別れて、小宅へ案内し、今夜は初めて、先生、奥さんと水入らずの二人きり。円かな夢を結ばれる様にと祈って辞去する。秋雨がシトシトと降っていた。

    10月14日(雨)
     みちのくの天地は、秋雨に煙って、視界もせまく、天竜から新庄に向う一時間余の汽車(文字通りの汽車)の車窓から、先生の眼は、すでに刈取られた稲が、一面の田圃に、杭にかけられて、兵隊のように列べられて乾されている姿や、枝もたわわに熟っている、林檎畑にそそがれていた。
     大石田あたりからは、最上川が見えつかくれつになる。
     車窓からの眺めも、何となく田舎めいて、如何にも「みちのくのくに」に来たような感じがする。11時22分に新庄駅につく。
     隠明寺先生(歯科医)其他が出迎えられ、駅前の扇屋旅館で少憩。ここらあたりは2月頃の積雪時には、雪が屋根から落されると、軒端近くなる事もあると聞いて驚く。言葉も昨日の赤湯あたりと、又違って来る。
     街で見る服装は何処へ行ってもそう変りなく、言葉でも違わなかったら、「旅」の意識も出ないかも知れない。講演は、1時半、市の公民館で始まる。司会は若い五十嵐先生で、聴衆40人程。奥さん達が多く見掛けられる。ここ新庄の「青汁の種」は、この春に山形から持って来て、播かれたばかりなのに、隠明寺先生ご夫妻の昼夜を分かたぬご奔走で、会員も、40人となり、今日は見えなかったが、秋田県の横手市まで、延びていると云う。
     世智辛いこの世にも、奇特な人が居るもんだと、つくづく思った。こんな、青汁は発芽したばかりと云うてもよい処なのだが、会場の雰囲気は熱心の気が漲っていた。中心的な存在として隠明寺先生と云う人も居るが、実効があがっているから発展したのであるとも思う。
     まだここは支部として独立していない為か、筆者に、支部長として挨拶せよとて、小林先生の名が出ていたのに驚く。私は、一日も早く独立の旗を挙げよと挨拶する。
     商売なら縄張りを縮めることになるのだが、営利でない仕事は一向平気、坦々たるもの。今は山形から毎週ケールの送荷を受けているが、冬になったら中絶するだろう。
    (つづく)


次号参照
 
8. いため抜いたからだ

    高崎市 S.O. 

     当年51才。現在まで、負傷以外は医師の診断をうけたことはない。
     昭和11年、徴集で第二乙種だったが、昭和12年、日支事変が勃発した直後臨時充員召集兵として、軍務に服し、内地聨隊から任官して、朝鮮忠清南道、大田部隊に移り、昭和15年、北支山西省の山岳最前線部隊に加わった。
     戦友は、毎日数人銃弾にたおれ、命を賭けた戦斗がつづき、鬼畜に変心した私は、アルコール度の強い中国の酒をのみ、うっ憤をはらしていた。

     苛酷な掃討戦がつづき、漸く戦火も落付いた頃、次の任地、古県鎮警備隊という、看板がかけられた私は、部隊命令により、大原へ、中国語の教育に派遣された。復隊間もなく、宣撫工作隊編成により、宣撫工作隊班長として、治安維持の任にあたった。
     なお一層の中国酒愛好者となり、中国人との会食が毎夜つづいた。昭和17年、内地帰還。召集解除となり、19年に再度召集をうけ、本土決戦部隊要員として、静岡、栃木、茨城の各所の陣地構築に一ヶ年。階級にものをいわせて酒をのみ、終戦と同時に、師団司令部より復員し、間もなく、自立営業を開店した。

     さいわい、営業も発展し有頂天になった私は、極度の食糧事情にも拘らず、部下の饗応にあまえて、一升瓶をぶら下げて、花柳街へ酒と三味線の享楽に日夜がつづいた。
     罰あたりというか、40才すぎると、だんだんに内臓の調子が悪くなって来た。しかし、酒とタバコはやめられなかった。5年ばかり前から、肝臓、胃腸、胃酸過多の薬を服用しはじめ、最近にいたっては、月約3000円以上の薬を服用して来た。

     しかし、一向に調子が悪く、売薬を不可解な気持だったが、どうする事もできず、薬をのんでは、酒タバコを適量以上にのみ、翌朝は必ず裏の庭園に行っては、家族の者に知られぬよう胃酸をはいていた。
     この頃、町会の役員旅行があって、薬を用意して宴会に加わり、翌朝、ホテルの一室で、青汁の話を初めて聞いた。その日、帰宅後、すぐ電話して遠藤青汁の会に入会し、服用をはじめた。
     まず驚いたことは、胃腸の調子が急変し、全身の気分が爽快となり、服用をつづけているうち、僅か10日位の内に、私の肉体は、20年まえに戻っていた。
     胃酸過多症は全くなくなり、何故、もっと早く服用しなかったかと、後悔しております。
     きっと、私のような症状の方が、大勢いると思いますので、一日も早くケールを服用され、健康をモットーに、楽しく活躍下され、友人、知人にお話し下さいますようお願い申し上げます。


 
9. 血清肝炎

    山形市 T.M. 

     3年前、十二指腸カイヨウで、手術後、血清肝炎をおこしたり、回復もはかばかしくなく困っておりましたが、青汁を飲みはじめてからは、目に見えて丈夫になり、一年半、ずうっと続けております。
     しかし、冬期間の青葉の入手は、さいわい、当地支部長、小林様のお力尽しで助かってはおりますものの、栽培数量に限りがありますこととて、ほしいだけ、いくらでもというわけにもゆきませんので、その補いのつもりで、グリンジュースの素を使ってみようかと思っております。青汁は、毎日、1合〜1合5勺飲んでいます。


 
10. 死ぬまで続ける

    大村市 T.K. 

     何分にも、夫婦共々に虚弱で、持病があり、なんとしても強健な体にならねば、子供の将来も、まして、世間の人達に奉仕することもかなわず、いたずらに酔生夢死するにひとしいと、嘆じておりました折も折です。
     勿論のこと、医師の診断をうけ、手術または内科的療法は遂につくしたのでありますが、仲々思うにまかせず経過しております。青汁を飲むようになりましてから、体の調子は極めて良いので、御説の通り死ぬまでつづける所存であります。


 
11. ブームに乗る流れ舟

    熊本市 T.I. 

     青汁の必要は一般化され、ずい分普及はして来ましたものの、これが調製、さらには継続愛用は、仲々でき難いもので、他人は自覚にまつ他なし、と諦めおるしだいであります。
     青汁にしろ、クコにしろ、一般的には、ブームに乗って流れ舟のような真似事をしている人ばかり多くて、真の健康は望みながら、これに副う健康生活ができず、相も変らず、医者よ、クスリよ、と喘いでいるのが実情のようであります。
     こんな状態でありますので、最近は、健康の会員でも、余りすすめず、まず、自分の健康増進をと心がけ、お蔭をもって、至極健康を持続しております。


 
12. 相撲取も生野菜汁

    東 京 H.O. 

     近頃、相撲取りまでが、生野菜汁がなければ、身体の調子がとれない、というようになったのは嬉しいことです。


 
13. コンフリーで胃石
コンフリーの禁止について

    滋賀県 S。M。 

     私たち、青汁用材料の一部として、さいきん非常に話題になっているコンフリーという葉を使用していたのですが、このコンフリーについてショッキングなニュースを聞きました。
     さきに、名古屋でおこなわれた逓信医学総会で、大阪逓信病院外科の田中敏行、森下智、下山清太、内山節夫、上古代靖治の5人の先生が協同で、コンフリーの根を食べると、胃の中に胃石が出来ることがあるらしい、と報告がなされました。
     38才の男性の患者さんですが、10年来のゼンソクに、家人のすすめで、毎日コンフリーの根を一本づつ、すりおろし、7日間食べたところ、胸やけ、吐気、嘔吐と、みぞおちの痛みを訴えたそうです。
     大阪逓信病院内科で診察、レントゲンで胃角部に陰影欠損が認められ、さらにファイバースコープで検査したところ、黄緑色の腫瘍ようのものが認められ、胃潰瘍をともなった胃石、の診断を下し、外科にうつし、胃切除の手術の結果、胃角部に、0.5×0.05×0.3センチ大の潰瘍があり、重量67グラム。黒褐色の胃石が発見されました。
     この胃石には、微細な植物繊維に、ゼラチンのような物質によって構成され、コンフリーの根をおろし金でおし固めたものと、非常によく似ていたそうです。以上のような記事が、「暮しと健康」誌9月号に載っていたので、心配で心配でなりません。


 
14. 苦痛も晴れて

    倉敷市 S.W. 

     つかれやすい上に、手のしびれ、ふしぶしのいたみ、をおぼえましたのは、十余年も前のこと。この様なことで思うことも半分も出来ず、自分のからだをもてあましながらの日々。
     8、9年前、歯槽膿漏にかかり、医師の方より、歯からでなく、からだからきている様に思われるから、一度精密検査を受ける様に、との事。然し、おそろしさから、そのまま。その後、突然目の底がいたみ、いたみのため光が見られない状態で医者へ。
     又からだからだと言われる始末。
     病院、売薬、その上マッサージも一年半もいたしましたが、その時だけ。
     自分のからだに、ホトホト困っている矢先、知人の方より、遠藤先生の青汁のお話しを聞きました。早速、家族中で始めて一年半程になりましょうか。
     この頃では、つかれが少なく、歯、目、手のしびれなども忘れて、家内中、風邪を引くこともなく、明るい日々を過すことが出来、感謝の毎日でございます。
     これからも、しっかりのみ、前途のある子供を丈夫にしておいてやりたいと、毎日の食事にも心をくばっています。


 
15. 皆すこやかに

    四日市市 M.Y. 

     私ども家族が青汁を何より貴重な飲みものとしていただきかけましてから、はや一年余り。
     知らず知らずの間に、皆すこやかに、子供は胸囲が人並以上に増加いたしました。
     主人も160の血圧が130の普通にもどり、私も疲れを知りませぬ今日このごろ。これも先生が青汁の普及を日本国中にして下さいましたおかげと、大変よろこんでおります。


 
16. 1合づつ飲ませて

    八代市 K.S. 

     昨年11月初めより青汁をしぼり始めましたが、何分精神科病院内のこととて、飲用する人がチョイチョイ変りまして、十分な効果はわかりませんでしたが、それでも、

    • 夜よくねむれるようになったとか、
    • 夜小便に起きる回数が減じたとか、
    • 便秘しなくなり痔の工合がよくなった。

     また年寄で
    • 大分元気になった

     と喜んでいる人がいました。
     大体2合から3合飲んでもらいたかったのですが、ちょうど寒気に向う時節であったため、1合で止めました。


 
17. 質問箱

    岡山県 T. 


     肝炎で吐き気のあるとき青汁はのんでよろしいか。


     よろしい。肝臓の病気には、栄養素のよくそろった完全食が絶対です。また、そういう時に、青汁が奇妙にうまくおさまるものです。少しづつから慣らし、しだいに多くして下さい。飲めれば3合でも5合でも。多いほど結構です。なお、青汁材料はもとより、一般の食べものも、すべて、必ず純正安全(無毒)のものばかりにすることが肝要です。


 
 コラム紹介

    長寿は費し過せる日子の数にあるにあらず。
    人生の大目的をなすべく、
    その日子を充分に活用したるを謂ふ。

    セネカ 



    古代がこの酩酊という不徳を
    さほどに烈しく批難しなかったことは
    確かである。
    多くの哲学者たちの著作さえ、
    これについて語るところ甚だ寛大である。
    ストワ学者までがそうで、
    中には、
    「時々は禁をやぶってうんと飲むがよい。
    酔うて心をゆるめるのがよい。」
    と勧めているものさえある。
    モンテーニュ 



    凡そ酒は少し飲めば、血を和し、
    気を行らし、陽を助け、神を壮にし、寒を禦ぎ、
    愁を消し、言を宣べ意を暢ぶ。故に百薬の長といふ。
    上古には、酒を醸して神を祭り、
    老を養ひ病を除く。
    故に嘉穀を消耗してつくり出せり。
    是を天の美禄と称す。
    故に家語に曰く、酒は老を養ふ所以病を養ふ所以と。
    痛飲すれば、財を費し、徳を敗り、
    行を乱し、家を破り、脾を傷ひ、
    病を生じ、寿を損ず。
    その害あげてかぞふべからず。
    (大和本草) 



    筋肉をよく運動せしめよ。
    されど神経は節用せよ。
    ショペンハウエル 



    過度は却って不足よりも害大なり。
    ピタゴラス 



    何事も度を過せば分に反す
     ヒポクラテス 



    凡そ事は度を過すべからず。
    人道固より然り。
    即ち此れも亦養生なり
    言志耄録 



    多すぎるのは充分でない
    ドイツ俚



    すぎたるは猶は及ばさるがごとし



    少食
     なるべく少食すべし。
     一般の人は過食して、
     自然の消化力以上に胃を虐使するため、
     身体を養ふ代りに却って健康を害す。
    ブース長生七則



     食物については、
     その味の可否を考うることなく、
     ちょうど薬物を用ゆるようであらねばならぬ。
     肉体に必要なる分量以上に食べてはならない。
     過少量の薬物は完全なる効果なく、
     あるいは全く用をなさない。
     過多量では、身体を害するだろう。
     食物に関してもまた同様である。
    ガーンディー聖書



    人生の言葉

       深山 旅愁 

      偉くなっても、
      自分で偉くならない処に
      偉さがあるのだと思います




    欲は縦にすべからず
    楽は極むべからず
    曲礼 








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