健康と青汁タイトル小 <1964年5月15日発行 第93号>
 目次




1. クスリ狂日本(2)
前号参照クリック

     医学博士 遠藤 仁郎 

    検査法
     また、有害性をきめる目安も問題です。
     いったい薬剤(医薬品、食品添加剤、あるいは農薬にしても)が無害だとか有害だとかいわれているにしても、それは検査法によることなので、現在ふつうにやっている検査法で害が無いというものでも、検査法が変れば、あるいは有害という結果が出るかも知れないからです。
     たとえば、肝臓や腎臓などへの影響を目安にすれば、比較的短期間の実験でも、こと足ります。
     しかし、発癌性の検査などとなると、随分ながい時間(少くとも2年)をかけなければ、確かな結論は出せぬということです。
     ですから、しばらく使って、または、短期間の検査で、害がないからといっても、果して、ながい間に、本当に何もないかどうか即断はできません。
     また、薬にたいする反応性は個体によってもちがいます。そこで、動物実験でも、できるだけ多くの種類のものを使わなければ、確かなことはわかりませんし、勿論年齢によってもちがいます。
     サリドマイド事件以来、胎児への影響が注目されて来ましたが、そうした検査法(胎児への影響を目標にした)によると、これまで無害とされていたものにも、いろいろの悪影響のあることがわかり、今では、そうした方法によって薬品の有害性の再検討がされつつあるくらいです。

     ところで、日本人のこの薬好き、薬狂のもとはどこにあるのでしょうか。
     あるいは、それは、メーカーのたくましい商魂、売らんかな、儲けんかなのあくどい宣伝と、そしてまた、それを少しも疑おうともせず、丸のみするお人好しの国民性によるものでありましょう。
     いや、まったく日本人は薬によわい。やれ人参、やれ何首鳥、やれ熊笹、やれ枸杞と、すぐにブームになります。
     私どものばあいでも、青汁は要するに栄養の改善が目的で、良質の菜っ葉ならば何でもよいのですが、いろいろの点で便利なのでケールをすすめているだけなのです。
     するとそれが、すっかり薬草あつかいされてしまいます。そして、ご丁寧にも、「分析しても薬効作用のあるものは何もない」とケチをつけて下さるご人もある、といった塩梅です。
     抱朴子には、

      「籬陌(まがきとみち)の間顧眄すれは皆薬なり」

     とありますが、これは「そこら辺りを見渡せば薬ならぬはない」というのです。
     実際、使い方しだいでは、どんな草でも木でも、何がしかの効はあります。これぞと思うものがあったら、もっともらしい勿体をつけてブームを巻きおこしてみることです。大当りは必定でしょう。
     ある薬屋の裏話を聞いたことがあります。ともかく薬は1年売れればよろしい。1年たつと、本当にその薬がきくかきかないか、害があるかないかもわかるし、競争相手の他社から類似のものも出て来ます。しかし、1年たって効かぬとわかったり、害があるとわかって、売れなくなっても、また他社からもっとよい、もっと安いものが出て来ても、1年売れれば十分儲っているから、それでよい、というのです。
     そして、その通り、新しい薬はどんどん現われ、どんどん消えてゆき、薬の流行はどんどん変って行っています。

     それはそれとして、もともとの原因は結局、わが国一般が不健康であり、健康上の欠陥なり不安なりにたいし、救いをこの薬品にもとめ、これにすがりつこうとする気持が大きいこと、にあるのも争えないところでしょう。
     また、誇大宣伝にたいする当局の取締りの生ぬるさ、薬禍についての権威筋からの啓蒙、警告といったものの不徹底や無力さにもあるといえましょう。
     食品添加物や農薬(あるいは洗剤にしても)の害の重大さについては当局はよく知っています。
     しかし、いたずらに言を左右にして、責任の転嫁、または一時しのぎの胡麻化しに終始して、何ら積極的の手をうとうとはしません。
     報道関係の態度もまた極めて冷淡かつ消極的です。

     先年、ある有力誌の記者に、農薬の恐ろしさについて献身されている五条市の梁瀬氏を紹介し、材料を提供していただいたが、ついに陽の目をみることなく、握りつぶされてしまいました。
     かくて、知らぬは、あるいは知らされぬは一般大衆ばかりなり、一般国民こそいい面の皮、というのが、いつわらぬ現実の姿なのです。
     こうしたことは、誰れが考えても、とても正気の沙汰とは思えないのですが、その不合理がまかり通っているのですから、全く奇態というほかありません。
     この世の中は、たしかに何か間違っており、どこかが狂っています。
     ともかく、こうした薬禍からのがれるためには、日本国中のみんなが本当に健康になり、医薬のいらぬからだとなることです。
     また、薬は必ず医師の指導によって用うべきものであり、たとえ無難なものでも、決していつまでも用うべきものではないことをよく心得ておくことです。
     そして、一致協力して、危険な食品添加剤、農薬、洗剤などの使用の禁止について、一大国民運動を展開して、当事者の自粛と当局の英断をもとめ、食品の安全確保につとめ、薬好き、薬狂の汚名を返上するようつとめたいものです。



2. 青汁教室 お互いノイローゼにならないのは

     友成 左近 

     この頃、ノイローゼになっている人が多いそうですね。軽いのも含めると、10人に1人とか。お互い青汁仲間には、ノイローゼになっているような方は、一人もいないようですが。胃腸薬とか鎮静剤を持ち歩いているような方は、多分あるまいと思われますが。

    別に異常はないのに病気だと訴える
     ひと口にノイローゼといっても、いろいろありますが、俗に病気ノイローゼというのは、こんな場合です。
     どう診察してみても、別に、たいした異常はないのに、胃腸の具合が悪いとか、心臓がドキドキするとか、肩がこるとか、頭が重いとか、いろいろな症状を強く訴えるのです。いわば自分で病気だと思いこんで、病人になっているのです。で、ノイローゼになった人は、病人として、どんなに治療しても、容易に治りません。病人扱いをすると、かえって、ますます重病人となることがあります。
     なかには、外科手術で胃をとってしまっていても、まだ胃の具合が悪いと訴える人さえあります。
     精神治療をするか、なにかのキッカケで、本人の気の持ちようが変わらなければ、治りません。

    だれにもある体の変調をなにかのキッカケで病気と思いこむ
     では、なぜ病気ノイローゼになるのか、というと、こういうわけです。
     だれでも、時に、胃腸の具合が悪いことがあります。だれでも、走ったり、びっくりしたりすれば、心臓がドキドキするものです。疲れたり、寝不足をしたりすれば、だれでも肩がこったり、頭が重くなります。ノイローゼになる人は、多くの場合、生来、心配性、神経質な方ですが、こうした、だれにでもある体の変調を、なにかのキッカケで、病気ではないかと思い、それを気にしている間に、とうとう病気だと、ひとり思いこんでしまうのです。

    この頃の社会は人々に体の変調を起こし易い病気だと思いこませる
     ところで、この頃の社会は、交通関係といい、商売といい、勤めといい、娯楽といい、交際といい、食物といい、その他いろいろな面で、だれでも度々、体に変調を引き起こし易いようになっています。
     それに、クスリの広告は、毎日、あなたは体具合が悪いでしょうと、呼びかけています。だれでも、病気ではなかろうかと、心配するようになっています。心配性の人には、なおさらです。
     また、病気になれば、勤めを休み易いし、人々が同情してくれる場合があります。
     で、つい、たいしたことではなく、ほっておいてもよいような変調でも、病気にしてしまうわけです。

    自律神経が高ぶって異常を引き起こす
     ノイローゼになる人は、多くの場合、神経が鋭敏な方ですが、ノイローゼになると、ますます自律神経が高ぶってきます。
     こうなると、こんどは、胃とか心臓とか血管とか、神経の作用を強くうけているところに、どうしても、少しは異常が起こってきます。
     ここまでくると、ノイローゼも本格的で、診断も治療も厄介です。

    薬剤治療だけでは容易に治らない
     ところが、これまでの医学は、とかく人間を、全く身体的、生理的、物質的に扱う傾向が強いのです。
     それも、予防より治療に重点がおかれています。クスリで治療する、というわけです。
     で、ノイローゼの治療も、とかく精神神経鎮静剤です。一時はおさえますが、もともと気の持ちようから病気になっているのですから、気の持ちようが変わらない限り、容易に治らないわけです。
     気の持ちようまで変えてしまうクスリは、まだないので、ノイローゼの治療は厄介千万です。

    完全栄養をはかってノイローゼを防ぐ
     ところで、ノイローゼの予防ですが、これも、これまでの医学では、精神神経が高ぶらないように、と考えるわけです。
     が、これは、クスリだけでは、ほんの一時的なことで、体の栄養を完全にする以外に方法がないのです。
     これも、クスリだけでは、どうしようもないのです。
     生活全般にわたって、いろいろ大切なことがありますが、完全栄養食をとるようにつとめることが、最も大切です。
     クスリというものは、応急的な補助手段にすぎないのです。
     完全栄養食をはかるには、お互いがしている通り、毎日、青汁を1合いな2合以上のみ、その上、青野菜を沢山、それも、つとめて生のまま食べる以外に、妙手はないのです。
     お互いがノイローゼにならないのは、こうした生理的な理由があるわけです。

    青汁は健康生活に信念をもたせる
     が、さらに、青野菜食・青汁には、ノイローゼにならない心理的な理由があります。この方が、より重要であるかも知れません。
     いったい、ちょっとした体の変調を、病気ではないかと思いこむのは、健康生活に、心のよりどころがないからです。
     こうしておれば、病気にはかからない、かかっても、そう心配する必要はない、という健康法を心得ていないからです。
     心得ていても、それに信念をもっていないからです。ところが、青野菜食・青汁を毎日しっかりとっていると、ちょっとやそっとでは病気にかからない、少々変調を感じても、そう気にする必要はない、たとえ病気になっても、早く治る、という信念が生じてきます。

    この信念は体験に基づく科学的にも確かなもの
     この信念と健康法は、決して「イワシのアタマ」みたいなものではなく、お互いの体験に基づいたものです。
     そして、科学的にも、確かなものです。といって、これも複雑多岐な健康法の一面です。
     決して、過信して他の面の健康法を怠ってはなりません。

    青汁はおいしくないので信念を強くする
     ところが、青汁は、そうおいしいものではありません。栄養と健康に大切であると、よく心得ていても、これで健康になるのだ、という信念が生じてこないと、ながつづきがしないようです。
     が、いったん飲みつづけるようになると、そうおいしいものでないだけに、かえって信念が強くなってくるようです。


    付記 倉敷では、毎月第3金曜日午后7時から2時間、倉敷中央病院構内の古久賀会舘で、公開の青汁教室を開いています。この記事は、ここで遠藤先生その他の出席者が発言したことの一端です。



3. 老人と蛋白食

     従来一般に、老人には高蛋白食はよくないということになっている。
     蛋白質は、若い発育ざかりのものには、体成分の構成上大いに必要であるが、成人しきったものには左程でないし、まして衰境にある老人には、むしろ害があるというのである。

     古い所で朱子の、

       「年来の衰病多く飲食過度に因て以て致す、近ろ覚ふ肉多きは害をなす尤も甚しと、丁己正且(朱子68才)以往早晩の飯各一肉を過すことを得ず、如し肉羹あれば更に肉盛を設ることを得ず、晩食尤も減少すべし、肉あらずして更に佳し、生を全ふし年を尽すに庶幾しと」
      (大和本草)。

     しかし一方、「孔子家語」には

       「3年の喪に於ても・・・・・・病めるときは則ち酒を飲み肉を食ふべし」

     とあり、「ねぬ夜の夢」には、

       「老人精液衰少して腸中常に結す、肉をかくべからず、七十の者肉にあらざればあかずと孟子ものたまへり」。

     「杏林内省録」には、

       「膏梁飽食は宜しからず、淡薄蔬菜少食の宜しきことは蘇東坡の論あれども、貴人老人は一概に言ひ難き故に、内経に曰く精不足せる者之を養ふに味を以てす、孟子曰く五十肉を食すと、この両説を以て観れば君子養老の道は美食を用ふるにあり。」

     とあって、病人や老人には肉食が必要だと説かれている。
     今度の戦争で経験した栄養失調症も老人に多かったし、老人の病人はとかく栄養障碍に陥りやすい。
     これは、すべての機能が衰えているからであり、それだけに細胞機能に賦活的に(活気づける)作用する必須アミノ酸は、無機分やビタミン類とともに、より充分に必要であり、またなるべく消化されやすい形で与えられねばならぬ理窟である。

     アメリカ、セントルイスのワシントン大学医学部のアッカーマン博士等によると、老人患者に蛋白質にとむ食餌を与えると、多くのものは臨床上著しい好転をしめし自覚的に軽快になり活溌になったという。
     ただしここで注意せねばならぬことはただ蛋白質が多ければよい、肉食さえすればよいと早合点してはならぬことである。
     植物性蛋白質は、質的には決して動物性に劣るものではないが、消化吸収が悪い。そこで老人だから菜食と、一概に凝り固ってしまうとなると、栄養失調に陥ることにもなるおそれがあるから、動物性蛋白の方がよいにはよいが。しかし蛋白質の補給は、つねに充分のカルシウムおよびビタミン類を伴っていなければならない。
     つまり良質蛋白質にとむと同時に他の栄養素ともよく調和した完全食という意味であることを忘れてはならぬ。

       「然れども頓に多く食すべからず、曽子曰く飲食を以て之を忠養すと、この忠養の字義最も切なり」
      (杏林内省録)

     とあり、同じく曽子に、

       「喪に疾あれば肉を食ひ酒を飲み必ず草木の滋あり」、

     といってある。この草木の滋というのはさらに切なるところで、老人に菜食といわれる所以は実にここにあるのである。
    (24・11)



4. 青汁教室の生徒となって

    倉敷市 H.O. 

     四十余年間の教育職の生活に終止符をうって、一家庭婦人としての生活をする様になりました私には、多くの方々から、「長い間ご苦労様でした」、「ようご辛抱して下さいました」のねぎらいの言葉と共に、申し合せた様に、「健康には格別ご留意を」と仰言って下さったものです。
     生活が変ると身体に変調を来たす、よっぽど気をつけないと、大病か、ひょっとすると・・・・・・・。私も心の中では気にしていました。

     幼児の保健については、本はもとより、テレビ、ラジオに新聞にと、関心をもっていた私も、今度は、その方向を老人保健にむけて見ました。
     第一に頭に浮んだのが、遠藤先生の青汁教室でした。友成先生にお願いして、お仲間入りをしてから、毎月の第3金曜日を楽しみて待ち、出席させて頂いて居ります。
     そしてその度に、感激感謝いたして帰ります。

    • その第一は、時間の正確なこと。
    • 第二は、夜7時から9時までの勉強時間中は、正しい健康のあり方、特に青汁の効用についてのみの、熱心な話し合いの場であること。
    • 第三は、遠藤先生のご講話を中心としての勉強であり話し合いですから、すべてが学問的で、正しい理解が出来ること。
    • 第四は、私共の質問に対し、他の場所では、遠藤先生から、この様なご回答を頂ける時間は絶対にむつかしいこと。
    • 第五は、お集まりの方々は、紹介を待つまでもなく、家族の様な親しみを感ぜられる方ばかりであること。

     こんなふん囲気の教室に編入して半ヶ年。
     お勉強による理解と、鴨井さん直輸入の青野菜の生食、青汁服用のおかげで、心配した身体の変調もなく、むしろ、胸を張って歩こう、手を振って、思いきりふんばって歩き度い様な、そんな元気さえ加わって居る昨今であります。

     風邪引きの孫と一室にねても、私だけはピンピンです。
     青汁は、病気になってからではなく、日常の実行が先づ第一だなあと、つくづく感じました。
     ご懇意な方から「あなた少し顔にふくらみが出来たワヨ」とか「色つやがよくなった」とか、ほめて頂ける様になりました。
     これは、他人のおせじばかりでもなさそうだと、うぬぼれ、喜んで居ります。
    (38・12・31)(前倉敷幼稚園長)



5. 効き目に驚く

    久留米市 H.Y. 

     半月ほど前から、果物、野菜を、毎朝、朝食代りにジューサーにて汁にして、コップ1杯か2杯づつ位飲んでいますが、飲み始めたその日から効き目のあるのが、よくわかりました。
     第一疲れを覚えなくなりました。働く時きついのが、きつくないようになりました。
     お腹が空くようになりました。今まで胃病で、腹が空くようなことは殆んどなかったのですが、青汁をのみ出して、お腹が空くようになって効き目に驚いています。
     これからも続けたく思っています。
     ただ注意すべきことは、無性に腹がへって食べすぎないことでしょう。



6. 根気のいること

    石川県 S.K. 

     私も青汁をはじめて8ヶ月。
     ますます自信をつよめて努力しております。
     最近変ったことと申せば青汁をはじめる前(36・11月)は、毎月2、3日狭心症でたおれたのが一度もたおれません。
     脉も95前後でしたが、グングンよくなり、今は75−80位に安定して来ました。
     血圧も悪い時は(36・10月)95−70でしたが、最近115−75くらいになり、脳貧血のようになることがなくなりました。
     今ではほとんど医者にかかることもなく喜んで居ります。
     だが根気のいることです。1日2、3回のことながら、毎日ですから。
     それにもまして、ケールの虫とり。全く根気のいることです。
     毎朝5時起床、雨さえ降っていないと、二百米ほどある畑まで散歩をかねて虫取りに行って居ります。



7. 胃痙攣

    三重県 S.W. 

     若い頃から胃痙攣の持病があり、2年前肝臓もわずらいまして、三月ほど入院いたしました。
     その後青汁を愛用しましてから、すっかり胃の方もよくなり、十一貫位だった身がメキメキふとりだし、只今50キロあります。
     スカートは10センチも広くしてまだきつい位です。
     孫の守りから菜園作りと張り切って働いております。



8. ぜんそくよくなる

    高崎市 S.S. 

     私は、高校2年の男の子と二人で、毎日青汁を飲んでおります。
     私はぜんそくで、年中悩んでおりますので、いろいろいいということをしたり、いろいろの本を読んでいますが、去年、会に入らせていただいてから、大変たすかりました。
     おかげ様で、今年は注射も、薬も用いずにくらせそうで、うれしく思っております。



9. 7才の時からの病気

    川崎市 F.M. 

     私はいま24才ですが、結核性の病気(カリエス)のため、7才の時から約2年前まで入院生活を続けました。入院中に青汁のことを知り、早速試し、大変具合のよいことを感じ(病院では青汁飲用を許されておりませんでしたので内緒で)、ぜひ青汁をつづけたいと思い、無理に退院しました。
     その後ケールが手に入らなかったり、薬が効かなかったりで、再度入院しなくてはならないかと思う時がつづきましたが、幸に横浜に青汁スタンドが出来、ご親切に、途中下車して届けて下さいますこと、早や1年近くなりました。
     お蔭で、今では、お腹にできた瘻孔もふさがり、足の痺れもとれ、脊椎の痛みもうすらぎ、ほとんど苦痛がなくなりました。
     そしてこの頃は、週に一度の生花やお茶のお点前にも励めるようになり、しみじみと、こうした楽しみを与えられたよろこびを感じて居ります。
     また、あるいは、来年からは学校(中学、義務教育をおえていませんので)へ行けるかしらなどと、かすかな希望ではありますが、そのようなことまで不可能ではなくなりつつあることも、重ねての喜びでございます。
     青汁というすばらしいものを見つけ出して下さいました先生に、この喜びとともに、あらためて感謝を申しあげます。
     また、青汁にあわせて食事の方も、先生のご指示にしたがい、一生懸命がんばっています。
     田辺さんや田中さんにもいろいろとお世話いただき、私の現在おります家は、川崎駅からだいぶ離れておりますのに、いやな顔もせず、毎日お届け下さっておりますことも、本当に感謝にたえません。


10. 2年も悩んだ腎臓炎

    千葉県 R.O. 

     ケールも定植し、だんだん大きくなり、私の腎臓炎も日ましによくなり、2、3日前に検尿してもらうと、蛋白「±」と、もう一歩で全快と、2年近くもなやんだ病から、今や、光が目の前に来たようで、本当に青汁のよさが現われた結果と思うと、一生つづけて行く覚悟です。



11. 質問箱:間食の時がよいか、食前後の時がよいか

    東京 J.M. 


     青汁や野菜食は、間食の時がよいか、食前後の時がよいかどちらでしょうか。


     食間でも、食前でも、食後でも、食事どきでもそのいずれでもよろしい「青汁」と汁にはしてありますが、要するに、日常余り食べない生ナッパをしっかり食べる方便にすぎません。
     薬であるかのようにむつかしくお考えにならないようお願いします。



 コラム紹介

    薬物は腹の足しになるためにあるにあらず

    (英俚)



    善く薬を服するは善く保養するに如かず
    病気もなきに養生薬を服する人は雷が落ちやうか
    とて晴天に蚊帳つるに等しきなり。
    東門随筆   



    人間の一部面のみに視野を限られている医学者や
    衛生学者の説に盲従することは軽率である。
    たとえそれに従えば体重が増え長生きできるとしても、
    人類の真の進歩は決してそんな体格上の皮相の改善から
    得られるものではないであろう。
    (人間 カレル著 梅沢如一訳)   



    童謡
    心に種子(たね)を蒔(ま)きましょう
    深山旅愁   
    この世が明かるく なるように
    小さい種子(たね)の 親切を
    僕たち私ら 蒔きましょう
    それは忘れた やさしさの
    お口をひらく 花になる

    みんなはいつでも 気にかけて
    小さい種子の 親切を
    町にも村にも 蒔きましょう
    それはかくれた あたたかい
    手のひら開(ひら)く 花になる

    この世を明かるく するために
    小さい種子の 親切を
    今日(きょう)また明日(あす)も 蒔きましょう
    それはなくした ほほえみの
    おめめをひらく 花になる

    (1963・12・30)



    愚中の最大愚は
    ある利益のために
    健康を犠牲にすることなり
    ショペンハウエル   



    和仁半治郎

    新緑の山の裳に藤の花
    樹に宿る鳥の残せし梔子の花
    農繁の猫の手の役目は長し
    電柱の午陽(すぐひ)の影は間(けん)にして
    ぐみも亦果物なりしか甘く 酸ぱし








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