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結節性紅斑(ベーチェット病):掲載紙面選択
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1.失明寸前の眼と青汁
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倉敷市 M.I.
人間の幸不幸は紙一重の隣り合わせで住んでいるといわれますが、私はK会社に勤めて15年病気一つせず、家族5人幸福な毎日を過ごしておりました。
病魔が暗い影を落し初めたのは昨年の1月15日充血を人に知らされて気付き疲れ目だ位に思っていたら日々赤さを増し、白くかすみ三米先の人の顔がボンヤリとしか見えなくなった。
あわてて眼科医へ行ったところ葡萄膜炎と診断され、すぐ入院。副腎皮質ホルモン(ステロイド剤)服用1ヶ月位でよく見える様になり喜んで退院したが、それもつかの間の喜びで、副腎皮質ホルモンの服用を止めて3日目には二度目の発作。
全く発病時と同じ状態に戻った。
その当時人のすすめもあって、東京や岡山の各大学病院へ受診に行き、ベーチェットとも云われ葡萄膜炎とも云われ、初めて自分の病気が原因不明の病気で、決定的な療法もなくその大半が失明すると云う恐しい病気であることを知らされた。
幸福であった一家は瞬時にして絶望のドン底に突き落とされた。
でも、そのままにしておくわけには行かず再度入院、又副腎皮質ホルモン療法をはじめた。
又見えなくなった眼が見えるようになった。
これもヌカ喜び、毎夜人知れずベッドで声もたてず一人よく泣いたものだった。
絶望し自殺も何度か考える日々が続いた。
こうした状態が10ヶ月に6回ほど繰返えされた。
或る日眼と顔が痛くなった。眼圧が高くなったのだ。副腎皮質ホルモンの長期連用で緑内障を併発してしまった。
進行すると眼球を摘出しなければならない。
それかと云って副腎皮質ホルモンを止めると葡萄膜炎が進行する。
もう只一つの手がかりだったステロイド剤も使えない。どちらにしても失明することは明白だ。
もう絶望してばかりいられないので、灸や指圧はおろか信仰にまですがった。全て何の効もなく、ついに長い間お世話になった会社も止めなければならなくなり失業した。
こんなときに御近所で熱心な青汁教室のメンバーである友成さんに何度もすすめられていたことを思い出し今まで耳も貸さなかったのにあつかましくどうか治す方法を教えて下さいとすがりました。
やがて友成さんの紹介で遠藤先生御指導のもとに、中央病院へ三度目の入院をし、青汁絶食3日と三度の米を絶ち、青汁とナッパの入院生活2ヶ月。
ステロイド剤を病めれば3日で発作が出ていたのが3ヶ月全然出ず、眼圧も正常で、充血、痛みはほとんどなく、視力も快復し、炎症も落着いて、この春には就職出来る様な状態まで、こぎつけました。
本当に友成さん遠藤先生に何と云うお礼を云ったらいいかと思っています。
只今悔するのは何故もっと早く青汁療法をしなかったか、又健康なとき何故青汁を呑まなかったかと云うことです。
現在家族5人皆青汁のファンです。
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2.べーチェット病
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医学博士 遠藤 仁郎
トルコ、イスタンブール大学のベーチェット教授が1937年に初めて報告した。
温帯地方、ことに黄色人種に多いとされているが、わが国では、戦後多くなり、さいきん急増してきているという。
皮膚・粘膜・眼症状
皮膚・粘膜・眼症候群が主症状。
皮膚には、結節性紅斑様やニキビ様発疹。
粘膜には、口腔や外陰部のアフタ性の潰瘍。
眼には、再発性の前房蓄膿性虹彩炎(失明するものが少なくない。40%以上にも及ぶという)
そのほか、関節、消化器、血管、神経系にもいろいろの症状が出、神経は極めて慢性であり、中枢神経系や血管系の傷害のためには、生命にかかわるものもある。
といった厄介な病気。
原因は不明。
アレルギー疾患とか、膠原病といわれており、まだこれという適確な予防法も治療法もない。
しかも、働きざかりの人に多いものだけに、大きな社会問題ともなっている。
これにも青汁がよいのではないか
これにも、私どもは、食べものを中心とする日常生活の改善・合理化によって、代謝の正常化をはかり、いわゆる「血の濁り」をとり去ることが根本ではないかと考えている。
もっとも、実のところ、私は、まだベーチェット病には出会っていない。
けれども、先年、「失明寸前の眼病」として本紙129(昭42・5月)号、(および食の危機と青汁274ページ)に体験を発表されている市田氏は、その手記にもあるように、どこかの大学でベーチェット病と診断されたことがあったほどで、本当のベーチェット病ではなかったにしても、非常によく似た眼病だったようだ(私どもの病院での診断は葡萄膜炎。のち治療薬の副作用として緑内障を合併した)。
それが、徹底した緑葉食(イモ・マメ・ナッパ・青汁食)で完全に、しかも、かなり短期間に、治っている。
この事実からすれば、同じ食事があるいはベーチェット病にもよいのではないだろうか。
漢方薬と正しい食と運動による効果
ところで、眼科臨床医報の47年2月号に、木更津市の小倉重成氏は、この難病の数例に、漢方薬と正しい食(玄米菜食の少量)と運動とで、めざましい効果をあげた、という興味ふかい報告をのせられている。
これは、つまり、本病の治療に、体液の正常化がいかに大切であるかを示すものであろう。
なお、同氏は、その論文の末尾に、
「ベーチェット病に限らず、病人は安静をとりがちである。
鍛錬や筋肉労働の不足の時は、少々の仕事で疲労や過労に陥りやすい。
逆に鍛錬は順応性と抵抗力をたかめ、疲れ難く、病み難く、老い難くする。
したがって、病の契機、病の一因としての平生の鍛錬不足を解消すべきであろう。」
と、とくに運動の必要性を力説されているが、たしかに、その通りであろう。
また、秋田大学の九嶋教授が、本病にたいし絶食療法 をすすめられている(医人薬人昭47・2月号)のも同じ考え方からのように思われる。
(47・4)
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3.ベーチェット病にきくようだ
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奈良市 H.M.
ベーチェット病と診断されたのは47年1月、名古屋杉田眼科病院においてです。
たちのいい方だとはその頃から云われておりますが、青汁がきいているような気がしてたまりません。
この頃では、次第によくなるのではないかと自分自身思うようになりました。
母の話によると子供の頃からよく唇があれていたということである。
小学5年から2〜3年トラコーマで通院する。
19才の頃から口内炎(アフタ性)が出はじめ、同時に陰部カイヨウがみられる。
以後くり返しでる。
27才の頃、両脚のすねに結節性紅斑がみられる。
しばしばくり返したが、多量の飲酒の後とか、ひどく疲労した時に出たような気がする。
中学2年の頃からずっと胃の調子が悪く、胃アトニーと診断され、しばしば胃の薬を用いた。
関節炎は今までみられない。
発病後の眼の状態
左眼 | 46.11 | 急性葡萄膜炎。眼底出血、視力0 入院。
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同.12 | 視力0.3に回復、退院。
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| 以後、次第に視力は回復し、視力最高0.7になる。しかし物がゆがんで見え、また視野の上半を欠く。
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47.04 | 視力0.1に落ちる(硝子体混濁)。
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右眼 | 46.11 | 虹彩毛様体炎(視力0.6)。
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同.11 | 視力1.5に回復
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47.08 | 硝子体の混濁がひどくなり、中心部分が黄色くなって見えにくくなる(視力0.1)。
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同.09 | 視力1.2に回復する。
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| 47.09 | 頃から愛知県小牧市船橋医院が調合してくれる漢方薬をのんでいる。
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| 47.10 | 以来、左眼視力0.1。
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| 48.01 | 以来。右眼視力0.6。
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| 48.08 | 頃から横浜寺田氏の紹介で青汁をのみ始める。朝、夜、日2回。
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| 48.08 | 以来左眼視力は0.3だが、
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右目視力は | 48.08 | 0.6、
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48.10 | 0.8、
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49.03 | 1.0となる。
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漢方薬がきいているのか、青汁がきいているのか不明だが、とにかく青汁をのみ始めてから硝子体混濁の程度が軽くなったことは確かなようである。
なお、薬は、普通の時は消炎下熱剤(主としてタンデリール)、発作時には副じん皮質ホルモンを服用する。
発作はおよそ2週間でおさまる。
なお青汁をのみ始めてから、このおさまる期間も短かくなったようだ。
現在(49、4月)右眼の視力、1.2、
左眼は……、0.7。
両眼とも硝子体混濁が少しある。
視野は左眼上半欠、右眼正常。
仕事は、地質調査業(物理探査が専門)であるが、業務には差支えなく、物理探査課長として勤めている。
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4.ピロサンでよくなる
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広島市 I.N.
ずっとピロサンを服用しております。足に発生する結節性紅斑があまり出なくなり、眼の充血発作も以前のようにはおこらなくなりました。孫に一人、アレルギー、肥満体質の男の子がいますが、ピロサンをのむと体がかるくなると申していますし、ゼンソク発作もおこらなくなりました。
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