健康と青汁タイトル小
精製・精白




1. くろい米と青野菜(1)―食改善とその手がかり―

     友成 左近 

     「アホウの一つおぼえ」という言葉があります。広辞苑によれば「馬鹿は、一つ聞き覚えたことを何かというとすぐもち出すこと」という意味ですが、私は、日毎の暮しで、この言葉にどこか親しみを感じるのですが。食事について、とくにそうです。
     誰でも、健康でありたいと願っています。ジタジタした病気にかかれば、とくにそうです。ところが、病気を治すに当っても、まだもっと丈夫になり、さらに長生きをしようとするときにも、食事の仕方を正しく適切に工夫することを、案外なおざりにしている場合が多いようです。
     いつか書物でみたことですが、先年亡くなられた岡山大学の清水学長も、長年高血圧で悩まされて、いろいろ治療されたが、いっこうによくならなかったそうです。最後に食事療法をして意外によくなり「食事がこんなに健康と関係深いとは、いままで考えなかった」と述懐されたそうです。生化学や栄養学の大家にして、こうなのです。
     それほど大切な食事が案外なおざりにされ易いのはおそらく、誰でも、毎日毎度、いわぱ全く習慣に従って食事をしているので、食事というものが、あまりにも卑近なことであるからでしょう。そして、病気にかかれば、平素しいることとは異る何か特別のこと、自分では出来そうにない何か専門的なこと、旧式では加持祈祷、新式では科学的医術とくに薬によって治そうとするわけです。
     けれども、病気が治るとか、丈夫になるということは毎日毎度食事をして生きているからだが、自力ですることです。加持祈祷はさておき、医術とくに薬でもいわば、それも補助し促進するものです。このため、からたが丈夫で、病気も簡単なものであればともかく、ややこしい病気となれば、薬だけで、とうてい治るものではありまん。食事その他、生活全体の摂生を図って、からだに自力をつけねばなりません。

     ところが、この食事が問題です。食事の仕方は、いわぱ全く習慣です。そしてこれは、いわば人類と共に長い間つみ重ねられてきているものであり、それは尊い知恵です。社会的に、ある程度共通していると共に個人的に、かなり異っており、小さい時から身につけてきたものです。至極便利なものであり、離れ難いものです。これに従っておれば、まずまず間違いは起らないわけです。また、これに従わなければ、社会的に非難されるような気がしたり、ふうが悪いと感じたりするわけです。
     けれども、この習慣には社会的にも個人的にも、その間に、人間のこざかしさ、わがままも加わっています。経済的事情とくに貧しさという点にも深い関係があるわけですが、おしなべて口ざわりのよいもの、おいしいものを食べたいとか、炊事を手軽にすましたい、といったことから、かなりゆがめられ、間違ってきている点も少なくありません。
     それで、習慣通りに食事をしておれば、万事間違いなし、というわけにはいきません。
     ところが、たとえ間違った点があると分かっていても、この習慣を改めるということは、決して容易なことではありません。よほどの深い理解と強い決心と忍耐が必要です。そして、多くの場合、あさましいことながら、食事を改めねばどうにもならないというほど、何か思い知らされるようなことが起らなければ、容易に改め難いものです。また改めても、いつの間にか逆もどりすることもしばしばです。

     けれども、毎日毎度の食事は、健康を保っていく上からも、病気を予防するためにも、病気を治療する場合にも、根本的に重要であることは事実です。このことを、とくと理解して、平素から、食習慣を少しでも改めるように、ぜひつとめたいものです。
     ところが、さてどんな点から改めるか、ということになると、専門家や経験者は、全くいろいろなことを説いています。すべて、もっともなことのようですが、一度にどれもこれも、というわけには、とうてい、いきそうにありません。
     そこで「アホウのひとつおぼえ」というわけですが、これだけ改めたら、確かに効果があり、また決して間違いが起るようなことはない、というテはないものか、少くとも、まずもって、これだけは改め、その他は当分これまで通り、そのうちぼつぼつ、というようなことはないか、というわけです。遠藤先生にいろいろおききしていること「くろい米と青野菜」ということです。
     ごはんには、七分づきか半つきか、とにかく、できるだけくろい米を使い、おかずには、青野菜を、できるだけ沢山に、できるだけ新鮮なうちに、つとめて生のまま取り入れ、そして、よくかんで食べる、ということです。至極簡単なことで、しようと思えば、誰でも、すぐできることである。別にお金もそう余分にかかりません。
     とはいっても、それじゃおいしくないだろうとか、ふうが悪いと、ためらう気持が起るかも知れません。けれども、からだは自分もちです。からだに大切なことであれば、少々のことはガマンしなければなりません。そのうち馴れてくるものです。また、ひとさまが何とみようと、別に迷惑をかけるわけではありません。
     口ざわりと人前ばかり考えていては、とうてい、からだは丈夫になりません。私は、そう考え、そうつとめています。それで、家族一同だいたい丈夫です。それは、いったい、なぜでしょうか。



2. くろい米と青野菜(2)―食改善とその手がかり―

     友成 左近 

     私たちのからだと食物の栄養成分を、かりに自動車にたとえていえば、だいたい、こうでしょう。エンジンやボデイの部品のように、からだをつくりあげている細胞の栄養素は、主として蛋白質と各種のミネラルです。ガソリンのように、からだを活動させる熱量となる栄養素は、主として炭水化物と脂肪です。バツテリやオイルのように、熱量発生や細胞の生理活動に作用する栄養素は、主として各種のビタミンと各種のミネラルです。
     自動車は、エンジンやボデイの部品が、一つ残らずガツチリとそろい、ガソリンが十分あり、その上、バツテリやオイルが十分にととのっていなければ、とうてい調子よく走りません。たえず故障を起します。それと同様に、私たちのからだも炭水化物、脂肪、蛋白質、各種のミネラル、各種のビタミン、といった各種各様の栄養素が、一つ残らずすべて、必要量だけ十分ととのひ、その間に過不足がなく、よく調和しており、また、そうなるように食事をしていなければ、うまく活動できず、また、いろいろな故障も起ってくるわけです。

     ところが、ラジオや新聞などで度々報道されているように、栄養白書によれば日本人の4分の1近くが、脚気、口角炎、浮腫、貧血その他、栄養不良に基づく症状をもっているようです。このため、医学や社会保償制度の発達に伴って、日本人の平均寿命はだんだんのびてきているにもかかわらず、病気にかかる人は、いっこうに少なくなってこないわけです。また、毎日さわやかに元気いっぱい働けない人も少なくないわけです。
     こうした栄養不良の主な特長は、栄養白書によれば、各種のミネラル(とくにカルシウム)と各種のビタミン(とくにA、B1、B2)の不足となっています。そうした栄養素があまり含まれていない白米めしを沢山食べていることとそうした栄養素が沢山含まれている緑黄色野菜をあまり食べていないことです。
     事実、配給米は白米です。強化米を入れてあるといっても、少量であり、それはB1だけです。ヤオヤの店先をみても、緑黄色野菜は、そう多くはありません。また、毎度の食膳をみても、全く同様です。白米めしが主食という名の示すように大部分を占め、副食には、緑黄色野菜は、色どり程度の場合が少なくないようです。

     このため、からだに故障が起るのは、いわば当り前です。ところが、からだに故障が起ると、とかく、食事を改めることを忘れて、すぐ薬をのむわけです。ラジオや新聞の広告が、まさしく、このことを物語っています。けれども、これにはお金がかかるので、長つづきがしません。また、薬は、もともと、自然が与えてくれている食物から見つけ出したものの一部です。とうてい食物の成分のことごとくを盛りこめるものではありません。さらに、自然が与えてくれる食物には、未知の栄養素も数限りなくあるわけです。そこで、からだに故障が起った場合には、せっかく薬を研究し製造してくれてあるのですから、とりあえず、故障に応じた薬をのむのは、確かに賢明なことです。
     けれども、それと共に、食事を改めることを忘れてはなりません。いな、そうした故障が起らないように平素から食事の仕方を正しく適切に工夫する方が、はるかに賢明です。からだ具合が悪くて、不愉快な思いをすることも少なく、仕事を休んだり、余計なお金を使わなくてすみます。それには、なにはさておき、ごはんには、できるだけくろい米を使うことが肝要です。というのは、この頃の食事で不足し易くなっている栄養素、とくにB1・B2などは、米の表皮と胚芽に含まれているので、精白すればするほど消失してしまうからです。それから、おかずには、緑黄色野菜を、できるだけ沢山とりいれることが肝要です。というのは、これには各種のミネラルやビタミンが極めて多量に、しかも調和よく含まれているからです。そして、新鮮であり生であればあるほど、それだけ沢山含まれているのです。その上、これは、体内で最も利用され易い形になっているのです。
     ところが、くろい米と緑黄色野菜とくに青野菜には固いセンイが沢山含まれており、そうしたセンイで出来ている細胞膜の内に、大部分の栄養素が包まれているのです。それで、調理の仕方もよく工夫して、よくかんで食べなければ、胃膓の負担を大きくするだけでなく、大切な栄養素の消化吸収が妨げられます。昔の人は、みな、その通りにしていたようです。そして丈夫であったようです。いかにも「アホウのひとつおぼえ」のようですが、まずもって、これだけ実行すれば、その他はまあまあこれまで通りにしていても、確かに、だんだんと効果があらわれてきます。そして、決して間違いが起るようなことはありません。また、これ以外に、これといった、簡単ですばらしいテもなさそうです。それはいったい、どんなわけでしょうか。



3. くろい米と青野菜(3)―必要な米のくろさ―

     友成 左近 

     くろい米について考えてみましょう。
     わが国では、昔から、米は主食として大切なもの、重宝なものです。
     この頃では、どことも、かなり白く精米したのを使っているようですが、昔は玄米のまま使っていたのです。
     いつ頃から精白するようになったのか、よく知りませんが、徳川時代では、江戸の上流社会で、白米めしがかなり流行していたようです。そして、当時としては全くエタイの知れない「江戸患い」というものにかかるものがあらわれたようです。また、参勤交替で江戸へ往復する高級武士にもこの病気にかかって苦労したものがあったようです。

     その後、だんだん広く、白米めしが流行し始めたようですが、明治時代になって、脚気その他の病気でなやまされ、いろいろ工夫したのが海軍です。けれども当時は、まだビタミンが発見されていなかったので、脚気の原因が、主として白米めしによるビタミン不足であるとは、気がつかなかったのです。
     そこで、欧米海軍の食事を参考として、肉食をとり入れたわけです。そして、いく分効果はあげたのですが、白米めしを主食としていた以上、少々的はずれであったわけです。とはいっても、明治15年頃で、病気の原因を食物に関係づけて考えたこと(高木兼寛)は、確かに卓見であったわけです。
     けれども、精米機がまだ発達していなかったので、精白度もひくく、また広く人々が、そう白い米めしばかり常食していたわけではありません。ところが、大正時代にはいって、動力による精米機が発達し普及するにつれて、精白度は高くなり、広く人々は、好んで白米めしを常食するようになったのです。そして、それに伴って、脚気その他の病気でなやまされるものも多くなってきたわけです。

     ところで、わが国では、大正10年、鈴木梅太郎がヌカから脚気に有効なオリザニン(B1)を発見抽出して、脚気の治療法や予防法がみつかったのです。そこで、おいしくて消化のよい白米めしを食べて、オリザニンで脚気を予防すればよい、というハイカラが現われてきたわけです。また、白米はやめて、7分づきか半つきか、それとも胚芽米か、いっそ玄米にせねば、というもの、あるいは、麦飯にせねばというものがあらわれてきたわけです。
     けれども、その後、数多くのビタミンが続々と発見され、また栄養学全体も発達してくるにつれ、この頃では、はたして、白米めしを、しかも主食として沢山食べ、そこに不足しているものをビタミン剤で補ってこと足りるのか。ということが問題となってきているわけです。

     すなわち、自然が与えてくれているものをただおいしくなるからといって、ひどく加工し、加工によって消失したものを、これまた加工した薬剤で補うということで、ことはすまされないのではないか、昔の人の知恵に学んで、もっと自然に近いすがたで食べることが必要なのではないか、ということです。
     それなら、いったい、米は、昔のように玄米にせねばならないのか、それともどの程度に白くしたらよいのか、というわけです。これから生れて育ってくるものはさておき、私たちの胃腸にとっては、玄米めしでは、炊き方を工夫してみても、どうも負担が重くかえって消化も良くないようです。それに、炊事にも手数がかかり、口ざわりも悪く、どうもおいしく食べられないようです。
     そこでビタミンその他の栄養素の消失防止、消化の促進、口ざわり、炊事の手軽さ、といった諸点をかねそなえるには、どうしたらよいか、というわけです。

     まず第一、ごはんを食べる主たる目的は、熱量素となる炭水化物をとることです。もっとも、米には蛋白質その他もかなり含まれているので、沢山とれば、それ相応に、そうしたものも沢山とれるわけです。
     けれども、米の蛋白質は性質がそうよくはないので、米を沢山食べて多量の蛋白質まで期待することは、あまり適切ではないのです。このため、最近の栄養審議会の答申では、米一人一日当り330グラム(31年度摂取量は363グラム)が目標となっています。そうすれば、米から1,118カロリーとれるので、基準量2,180カロリーに足りない分は麦、芋、油その他からとるようにするわけです。

     ところで、空気がなければ石炭は燃えないように、炭水化物が燃えて熱量となるには、ビタミンB1B2その他がぜひ必要です。B1についていえば、その最低必要量は1,000カロリー当り0.3ミリグラムとなっています。ところが、こうしたビタミンは、米を重要な熱量給源とする以上、米以外に求めることは、かなりむつかしく、どうしても米と共にとり入れねばなりません。けれども、こうしたビタミンは、固い表皮や胚芽に含まれているので、消化がよくないわけです。そこで、こうした点を考慮に入れれば、1,000カロリー当り1ミリグラムとらねばならない、ともみられています。
     そこで、米330グラムは約790グラムのめしとなるのですが、標準食品成分表をみると、精白米めし700グラム(サッと6杯)で980カロリーB1、0.14ミリグラム、7分づきめし700グラムで987カロリーB1、0.35ミリグラムです。それで、7分づきであれば、一応B1は不足しないことになるわけです。
     それで、どんなに白くしても、7分までというわけですが、消化吸収上の損失その他を考えれば、もっとくろくというわけです。そして、どの程度くろくしたらよいかということは、その他の食品の取り合わせ方や、めいめいの歯や胃腸の強さ、炊き方、かみ方などによって定めればよいわけです。



4. くろい米と青野菜(4)―青野菜の必要量―

     友成 左近 

     青野菜について考えてみましょう。栄養白書も力説しているように、栄養不良に陥ることなく、シンから丈夫となるために、ぜひ毎日食べねばならないものに、緑黄色野菜があります。
     白色野菜あるいは緑や黄色の少ない野菜だけでは不十分なのであって、緑や黄色の濃い野菜がぜひ必要なのです。
     緑黄色野菜のうち、青野菜は、種類が多く、北国を除いては、年中いつでも多量に栽培され、また比較的安価に供給されています。それで、ニンジンやカボチャなど黄色野菜が出まわる時には、これも食べねばなりませんが、平素は、まずもって青野菜を沢山食べればよいわけです。
     なお果物は野菜に準じるわけですが、このうち、ミカンやトマトやカキなど黄色の濃いものは、黄色野菜に準じて考えればよいわけです。
     さて、青野菜といえば、この頃では、食膳の色どりとしては大切にしているがとかくヤボッたいものと考え、なにほども食べていない場合が多いようです。せいぜいホウレンソウあたりを比較的沢山食べている程度でしょう。
     そして、野菜といえば、キャベツ、白菜、タマネギ、大根というふうに、とかく白いものとなっています。
     しかも、これさえも、そう好んで沢山は食べていないようです。

     ところで、白野菜の方を沢山食べるようになったのは、ごく最近のようです。それは、青野菜より、やわらかくてアクが少ないからでしょう。また貯蔵や輸送に比較的便利であるからでしょう。しかも、この白野菜も、そう好んで沢山食べなくなったのは、肉、魚、卵その他が、野菜よりおいしいと思われているからでしょう。また調理が手軽にすむからでしょう。
     さらに栄養学の発達に伴って、「(からだの筋)肉は(獣鳥魚介の)肉より」というわけで、動物性蛋白質が重要視されるようになったからでしょう。

     けれども、昔の人の知恵からも、最近の栄養学からも、他にどんなに栄養価の高いものを食べても、それと同時に、それ相応に沢山、野菜を食べねばならないのです。そして、それには必ず青野菜を沢山含めなければならないのです。
     それは、「肉は肉より」といっても、ごはんを腹いっぱいといっても、そうしたものが消化吸収して、からだの細胞組織をつくりあげ、また働くための熱量を出すには、各種のビタミンとミネラルがぜひ必要であるからです。釘には金槌、錠前には鍵がなければ、釘も錠前も用をさなないのと同様です。
     ところが、肉、魚、卵、あるいは豆類には、細胞組織の素になる蛋白質が多量に含まれています。米、麦、芋、砂糖、油脂類には、熱量素が多量に含まれています。けれども、それに必要な各種のビタミンとミネラルは、十分に含まれていないのです。そして、これが、最も多量に、しかも調和して、その上体内で利用され易い形で含まれているのが青野菜なのです。

     そこで、食物にはぜひ青野菜を沢山含めなければならないのですが、その主たるネライはビタミンAをとるためです。そして、さらに、B、Cその他各種のビタミンや、カルシウム、鉄その他各種のミネラルや、葉緑素その他未知の栄養素も併せてとるためです。
     そうして、食物を栄養上よく調和した完全なものにするためです。
     もっとも、ビタミンAはバターその他の動物性油脂類からもかなり多量にとれます。
     けれども、わが国では、生産量も少なく高価でもあることに少々難点があります。また各種のビタミンとミネラルの調和という点では、青野菜に遠く及びません。

     ところで、最近の栄養白書によれば、ビタミンAは、基準量3,700単位に対して摂取量1,783となっています。このため、かなり多くの人々が栄養不良に陥っており、また病気にかかり易くなっているわけです。
     さて、ビタミンAがこのように不足しているのは、青野菜の不足に重大な原因があるわけですが、いったい、どれくらい青野菜をとったらよいものでしょうか。最近の栄養審議会の答申では、1人1日当り80gが目標となっています。もっとも、22年の答申では、さしあたり105g、10年後には140gを目標としていたのですが、31年度の摂取量は50gにすぎなかったのです。
     ところで、青野菜を80gとれば、ビタミンAは4,650単位(実効力価に換算して約2300)とれることになります。けれども、調理や消化吸収上の損失を考え、完全に調和した栄養食にするには、基準量3,700では少なすぎるのであって、10,000以上とることが望ましく少くとも5,000は必要とみられています。

    (つづく)



5. サラダの油

     医学博士 遠藤 仁郎 

     生野菜を食べるのに、慣れれば、何もいりません。
     私など、庭の畑からとって来て、水道で洗い、そのままバリバリ食っていますが、それで、結構おいしいと思います。
     食塩や味噌(純正な手製)を、ほんの少し添えても、それは、確かにずっとうまくなります。酢味噌はさらによいが、面倒なので、来客の時以外、めったにつくりません。

     マヨネーズは、いっそう好まれるようですが、市販のものは、果して純正、安全かどうか、気がかりで食べる気がしません。
     さりとて、手製はとても手がかかるし、仲々うまくもゆかぬので、つくろうともしません。都合のよいのは、サラダ油をたっぷりかけ、少しの食塩、そして、酢を適宜に加える、いわゆるフレンチ・ドレッシング。
     これが、いちばん美味しく、また食べよいようです。
     安全性からみて、食塩はもとより無難。酢には多少問題があるようですが(いま、市販されている酢の多くは合成品で、味も、色も人工的。純粋の醸造酢は殆んどない。)果物(ダイダイ、柚、スダチ、レモンなど)なら、まず安全でしょう(農薬の心配さえなければ)。

     が、肝腎のサラダ油はどうでしょうか。原料はオリーブ油、大豆油、ゴマ油などですから、これもよい筈。ただし、市販のサラダ油は、余りにきれいすぎます。
     色もよし変な臭もありません。どういう製法でしょうか。そして、どのようにしてあれだけ美しくされるのでしょうか。そこに、なにがしかの問題があるように思えてならんのです。
     なんでも、今では、昔のように圧力をかけて絞りとるという製法でなく、科学的に抽出するのだということです。
     揮発油のような油をとかす溶媒をつかって抜き出し、揮発させて、油だけを残すという製法です。
     だとすると、溶媒に何かつかわれているか、そして、それが、完全にとり除かれているかどうか。もちろん、もともと無害安全なものであれば問題はありませんが、果してどうでしょうか。
     その際、当然、溶け込むであろうと思われる不純物や色や臭は、どのようにして除かれているでしょうか。
     あつかわれている脱色剤や漂白剤、脱臭剤その他に危険な有毒物はないでしょうか。

     またどんな方法がとられているでしょうか。(昨年おきた米糠油事件を思い出して下さい)私どもには何もわかりません。
     こういう意味で、市販のきれいな油は、必ずしも100%信頼してよいかどうか、いささか不安にならざるを得ません。そこで、これらの油の原料そのものを利用するほうが、むしろ、より無難というものでしょう。
     またそうすれば、ただ脂肪だけでなく、同時にある他の栄養分(蛋白質、ビタミン、ミネラルなど)も利用することも出来ます。
     ゴマ、大豆、落花生、クルミ、松の実、その他のナッツ類。そのままか、炒って、よくすりつぶし、これをたっぷりふりかけ、酢、食塩をかきまぜる。
     つまり、昔ながらの和えものですが、やはり、それがいちばん安全ではないでしょうか。



6. こどもの骨折

     医学博士 遠藤 仁郎 

     いぜんの子供たちは、今とは比べものにならぬほどの乱暴な遊びをやっていたし、怪我することも決して少なくはなかった。しかし、骨折するなどということは、そうむやみにはなかった。
     それが、最近は、そう大した怪我でもないのに骨折をおこす子供がめっきりふえて来ているそうだ。なぜか。答はきわめて簡単。食べもののまちがいと日常生活の不自然化(運動、ことに戸外運動・鍛錬の不足)による骨の発育の不完全化・脆弱化。
     このごろの子供たちの食べものは、精製穀(白パン・白米飯)、ことに肉、卵、糖、脂にかたより、野菜、とくに良質ナッパのとり方が少ない。で、熱量、蛋白質(ことに動物性蛋白)は十分か、むしろ十二分。動物蛋白が多いと、からだは大きくなろうとする。しかし、それを支える丈夫な骨格をつくるのに必要なミネラル、ことにカルシウムははなはだ少ない。
     それは、穀類はもともとミネラル、ことにカルシウムに乏しいが、精白・精製によって、さらに乏しくなる。肉類も同じく、総じてミネラルに乏しい(卵にはやや多く、乳、乳製品はカルシウムにとんでいるが、とり方はそう多くない)。
     そして、もっともミネラルにとむ良質ナッパのとり方は、さらに少ないからだ。しかも、穀・肉・卵・糖などの酸性食品が多いと、その酸の中和のためにカルシウムが奪われる。そのうえ、カルシウムの利用には、カルシウム:燐の比が1:1〜2が最適とされているが、このような食事では、燐の方が多すぎるので、カルシウムの利用にはさらに不利となる。
     なお、日光にあたることが少なくてビタミンDが十分でなければ、吸収はいっそうわるくなる。そこで骨は、どうしても細くのび(脊丈はたかくなる)、うすくなるほかないわけで、戸外運動・鍛錬の不足とあいまって軟弱な骨格となってしまう。

     もっとも、骨の形成はそう簡単なものではなく、いろいろのミネラル(弗素、亜鉛その他の痕跡成分をふくめて)、ビタミン類が複雑に関係しているが、それらミネラルやビタミン類は、食品の生産方法の不自然化、すなわち、農産では、土壌の荒廃、化学肥料・農薬の乱用。畜産では、飼料の不合理(不自然、不完全)化、水産では、水質汚濁のうえに薬剤の乱用などによっても、乏しくなって来ている。

     また、食品の加工(精製・調理)によって、ミネラル・ビタミンの損耗はさらに甚しくなっているし、乱用ははなはだしい雑多な食品添加物の影響も、全然ないとはいえないのではないか。それはともかく、こうして子供たちの食は、熱量・蛋白質は十分〜十二分でも、ミネラルやビタミンとの間には甚しい不均衡を生じ、それが、健康状態の劣悪化と、骨格の劣弱化をもたらし、骨折しやすくなっているにちがいあるまい。
     いや子供だけではない。若ものたちにも、スキーシーズンには骨折事故が頻発しているし(無理な装具のためといわれてはいるようだが)、老人ともなれば(年とともに骨はうすくもろくなるものであるが)、ちょっと転んだり、尻もちをついただけも骨折するのが、ぐんとふえているのも、全く同じ原因からであろう。
     ところで、イギリスのエリス博士の調査によると、菜食者では、普通食(精製穀・肉・糖・脂などの酸性食にかたむいた)者にくらべ、骨のレントゲン陰影はずっと濃く(骨質がよくしまって堅いことをしめす)、年令の影響も少ない。
     たとえば、70代(70〜79才)の菜食者の骨の平均の濃さは、普通(酸性)食者の50代(50〜59才)の平均よりも濃いし、菜食者では、69才以後の骨の変化が少ないが、普通(酸性)食者では年とともに変化がどんどん進行する。という(Br.m.J.1972.12.30号)。
     つまり、才食者では、もともと骨が緻密であり、年が寄っても変化(うすくなったりもろくなること)が少ない。したがって少々のことでは骨折することもない、というわけだ。これは、青汁が骨折の治癒に著効を奏する、という事実と一致するデータで、骨折の治療や予防にとって、いかに正しい食(完全化・自然化)が大切であり、日常生活の合理化(戸外運動・鍛錬など)が必要であるかをしめすものといってよかろう。

    (48・2)




7. 自然民族の創傷

     医学博士 遠藤 仁郎 

     自然民族の創傷は、文化民族のそれより早く治癒する。
     また、自然民族には、創傷による細菌感染が少い、と云ふのは、昔から、よく噂されたことであった。
     特に、自然民族が、創傷感染時に於て大なる抵抗を有せることを強調したのはバルテル氏であった。
     氏は曰く(Bartel Die Medizin der Naturvoelker)、

    「自然民族の大手術の報告を読むと、吾人は少からず驚かされる。
    此の自然民族の大手術なるものは、文化国民に於てすら、熟練したる医師のみが稀にしか行はざる所であり、之を行ふ場合にも、消毒方法の施行に拘らず、創傷感染、化膿等、創傷の経過に於て、多大の危惧を感ぜらるる所のものである。
     此消毒なるものは自然民族は知らない。汚れた病人が、汚れた手術者の手によりて、汚れた器械を使用して、穿顱手術、開腹手術、卵巣切除術、睾丸剔出術の如き危険なる手術を行ふのである。
     それにも拘らず、彼等の手術によって死せざるのみならず、完備した病院に於て行った程の生存をなして居る。
     此現象を説明するのは、創傷感染の病原体に対して、自然民族は文化民族よりも遙に抵抗力に富んで居るといふより致し方がないのだ。」
     そして、バルテル氏は、自然民族の産褥の手当が不良なるに拘らず、産褥感染の少い事を指摘して居る。
     創傷感染以外にも、マラリア、黄熱等の感染が、自然民族に於て比較的軽傷の場合多きは疑へない。之に就いては幾多の報告がある。」
    (清野謙次著 インドネシアの民族医学より)

    インヂアン
     インヂアンは非常に創傷治癒が迅速。不治と看做さざるを得ない様な負傷、例へば銃創、熊の襲撃による負傷等にも、よく耐へる。(F.Speiser Ciba Jiho 1934)

    アラビア人
     チュニスやトリポリのアラビア人は、一見、気の毒な程見すぼらしい暮しをしているが、驚く程丈夫である。
     その食物は、粉、無花果、バナナが主。アラビア人は病気に対して頑丈なこと、抵抗力の強いことは、想像も及ばない程である。腹部の傷から腸が出たのを、元にもどして縫っておけば、消毒法などは行はなくとも、癒ってしまふ。
     欧羅巴人ばかり見て居た外科医は、ただ魂消てしまふ。チフスにも罹らぬ。消化器病は殆ど知られず、胃潰瘍は甚だ稀。癌もまた同様。盲腸炎甚だ稀。植物食の民族には殆んど知られない病気である。
    (ヒントへーデ、宮入慶之助 食べ方問題より)
     露土戦争で、トルコ兵の傷は非常に治りがよかった。トルコ兵はアラビア人同様、粗食で半菜食(ラーマン)。われわれの祖先も、また同様だった。明治の初年、わが国に来たベルツは、日本人の傷のよくなおることに驚いている。
     そして、われわれは、戦時中、北方あるいは南方の土着人の傷のなおりについて、ベルツと同じ驚きを経験した。という風に、自然民族で創傷のなおりのよいことはよく知られているが、おそらく、これは、かれらがながい間の経験からみちびき出した食が、自然的に正しい、完全あるいは完全にちかい食であったからであり、それによって、かれらは自然の猛威にうちかつ旺盛な生命力、生活力を得ていたからであろう。
     なお、さいきん痕跡成分ことに亜鉛と創傷との関係(不足で治りが悪くなり、補給でよくなる)があきらかになり、その不足の由来が、食品の生産上や加工(精製・調理)上の欠陥にあるとされていることからすれば、自然民族のこの力は、その食が、ただに栄養学的(ふつうの意味での)に完全であるというだけではなく、もともと、その食品や食べ方が自然のままか、あるいは自然にちかいというところ――これが本当に完全な食というべきだが――にあるとみるべきであろう。
     また、緑葉食・青汁の効も、ビタミンとともにミネラル(痕跡成分をくるめて)にとむ緑葉によって、本当の意味での完全食になるか、少なくとも、それにちかづいて来るからであろう。




8. 鶏に学ぶ

     順正短期大学講師 大崎蓮三郎

     昨秋より、肉卵兼用種の鶏、雄2羽、めす13羽を、昔ながらの土を踏ませる方法で飼育してみました。
     餌はケール(原生キャベツ)・だいこん葉・ブロッコリーなどの緑葉をきざみ、裸麦の糠と魚粉をまぶしたものを主にして、昨年5月に収穫して束のまま田圃に積んでいた裸麦や小麦秋とり入れた玄米の小米、砂まじりのもち米、籾、古々米の白米、みそを搗いた残りの丸麦、古い大豆などをかき集めてかたずけるようにした。
     配合飼料も一俵買って、他のもののきれた時や、寒中で、菜をきざんだり、手のきれるような水をかけてぬかをねるのがおっくうな時に与えて見たが、2、30種の化学薬品類が入れてあるらしいのと「ケン・コン」とのとのつまりそうな「せき」をしながらでも、ものすごく食べるので、おそろしくなって、なるべくやらないようにつとめた。

     また、朝晩2回位、わたしが、畠仕事をしている時、田圃へ放して草や野菜、虫、みみずなどを自由に食べさせた。一番好きなものは、俗に「いも虫」といわれる土の中にいる虫の幼虫や「おけら」の類らしく、うばいあってのみこむ。次がみみずや蛙などをふり回して土を落してから食べる。
     10羽余りは田圃の隅の鶏舎からあまり離れず、2、30メートル位の範囲にかたまって、草や麦のわか葉、キャベツや草花の青葉、青葱などを食べているが、中に、2、3羽、鶏舎から5、60メートル離れた所でも、わたしが耕していると、そばまできて邪魔をするのがいる。
     掘り返した土の中からみみずや蛙などを探しだして食べ、黄色い「いも虫」でもいようものなら眼の色を変え、とびつくようにして飲みこむのだが、鍬をうちおろす下までやってくるので危なくて仕方がない。

     穀類では、丸のままか、ひき割り程度の玄米や玄麦が好きらしい。
     白く搗いた米や麦は食べないことはないが腹一杯には食べぬ。
     糠だけでも同様。こく類や、糠をまぶした菜葉が沢山残っていても、動く虫の類を見つけたらうばい合いをして食べる。
     このような、好きなものをなるべく食べさせるようにしている時は、4・5日に1回は全部が卵を産む。
     13羽のめす鶏が13この卵を産む。
     10こより少ない日はないという好成績が続く。(産卵の数をメモしたカレンダー)ケールやブロッコリーなどの菜っ葉を食べるだけ自由に食べさせていると、少し赤みを帯びたまっ黄色な卵黄の卵を産む。
     自然食をさせている鶏の産みたての有精卵は、まったく気持がよい位に弾力のある感じだ。殻も丈夫だが、殻の下側にあるうすい膜が丈夫なのに驚く。貝殻が不足するのか、時にうす皮だけの卵を産むことがある。それも巣箱の外にころがしていても安泰で、軟かいのをそのまま持ち帰ることができる位に丈夫である。
     生命のある卵は、ちょっとやそっとで生命が失われないようにという自然の摂理でもあろうか。

     山吹隆寛先生も

    「わたくし達は生命を長らえてゆくためには生命のあるものか、生命のあったものを全部食べるようにしなければならない」
     と書いて居られたが、鶏の自然な食べ方を観察しているとまったくそのとおりで、生命のあるものを丸のまま食べるのが一番好きだということを今更のように教えられた。
     最後に、わたしが25年前広島県の田舎にいた頃かわいいがって頂いた開業医の先生が、今年下さった年賀状の句をご紹介する。

       年還る、病める羊は野にかえせ

     飲み友達でよくご迷惑をおかけした先生も60才になられたのか、一層の御健勝をお祈りする次第。




9. 骨ぬきの話

     医学博士 遠藤 仁郎 

     わが国で、ビタミン類やカルシウムにも恵まれた動物食品といえば、内臓(カルシウムは少ないが)か全体食のできる小動物(小魚類)である。これらが自然界の多くの動物の食物であることからもわかるように、これを生きたままで食べれば申分のない完全食である。

     しかし一般にはあまり好まれない。終戦後の食糧事情は田舎町のここ(倉敷)でも決してよくはなかった。牛肉はとても手が出ぬし、魚もめったに配給にならぬ。たまに合図の振鈴がなり出すと、主婦連先を争うてかけつけ、眼に角をたてて少しでも大きい魚をとせり合い、プンと来るようなものにでも随喜の涙を流したものだ。

     私の家では、子供たちもあまり欲しがらぬので、たいがい棄権していたが、時には近所の奥さんが売れ残っていたらしい雑魚を買って来て下さった。
     その方がこちらも嬉しいのだが、文字どおり鼻むけならぬ代物にはまいった。
     そのころよく買ったものは魚や介の臓物だった。買手がなく、いずれ犬にでもくれる筈のものとみえて楽に手にはいるし、だいいち値がやすい。栄養価はもとより、味もよい。野菜をうんと切込んだごった煮にすると、子供たちも喜んで食べてくれるので、薄給の私の家にはもって来いだった。

     また、どこの小川や溝にもいる泥鰌は、家でもながく生かしておくことも出来、生きたままの料理が手軽にできる。まず理想的にちかい栄養食品であるが、これまた一般向ではないらしい。
     廿一年の2月、方々で発疹チフスが猖獗をきわめていたころ、私は所用で、大阪仕立の満員列車で九州へ出かけたが、帰ってまもなく、どうやらそれらしい重症の熱病をやり、かなり衰弱した。

     その恢復期のある日家内は泥鰌を見つけて来てくれた。生きたままあげ物にし煮つけにし、あるいは叩きつぶして団子にしてくれなどしたが、あぶらぎった寒泥鰌のこと、実にうまい。
     めきめき元気づくように感じられたが、まもなくばったり絶えてしまった。

     わけをきくと、買ってくれるのはお宅くらいのもんだから、と店ではとり寄せるのをやめたといっていたそうだ。
     「動物食なら内臓か、骨も臓物も食べられる小魚類に限るのだが、このあたりの人は高い金を出して牛肉や腐りかけた鯛、マグロは欲しがっても、安くてうまく栄養にもすぐれている臓物やいきのよい泥鰌などはお嫌いらしい」
     と、いつか、小学校の母の会で話したことがある。

     それからずい分たってからであったが、母の会の幹事の一人の宅から呼ばれた。ご主人が結核でながく臥ていられる。いろいろ食物の話をしているうち、泥鰌のことが出た。
     「学校で、先生のお話をうかがいましたので」
     と奥さん。
     「それは結構。うまいでしょう。」
     「大変おいしい」
     まではよかった。
     「けれどもどうもグシグシしますので骨だけは出します」
     では。
     さてさて、何のための泥鰌やら。これこそ全く骨抜きの話というものだ。

    (24・6)




10. 季節にできた物を食べよう

    広島県 N.N. 

     金をかけた美食やグルメを追うのが今はやりだが、尼崎の料理研究家、中川みよ子さんは「粗食でなく素食を」ということをモットーにしておられるということが8月31日付の産経抄に書かれていました。
     私なりの考えなのですが「素食」とは自然に逆らわず、その季節季節にできた物を食べるということではないでしょうか。
     無理に白く漂白した野菜、違う季節に顔を出したハウス育ちの野菜や果物。食べるのにめんどうだからと作られた種のないブドウ。
     必要以上に鮮やかな色のジュース。こんな物が多過ぎます。また、島々のミカンの木々が、ピンポン球ぐらいの大きさに結実したところ、店頭では早くもみかんが並んでいた。ハウス物です。
     11月の収穫時と比べて10倍以上の値です。トマトやキュウリなどは、品質改良、ハウス使用で年中出まわっているので、子供も、大人も、季節感という大事な物を失いつつある。
     夏の太陽をいっぱいに浴びたトマトやウリ類は体によい。これは自然界がくれた大きなプレゼントでしょう。
     どこまでできるか分かりませんが、私も「素食」をモットーにして、季節の物をふんだんにとり入れた食卓を、毎日家族と囲みたいと思っています。








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