健康と青汁タイトル小
食糧難と緑葉の優秀性



1. 青草のまじない

     岡山県知事 三木 行治

     支那では古くから正月7日には7種の菜を以て羹を作り、立春の日には春餅、生菜をくい、3月3日には鼠麹汁に粉を和して龍舌拌とし、2月2日、3月3日、5月5日などには踏青といって人々は野山に出て草を摘んだという(荊楚歳時記)。実際今でも野草類はかなりひろく利用されているらしい。
     だいぶ以前のこと、後藤朝太郎氏だったかの著書で、病人があると戸板で野外にかつぎ出し、下ろした所にある青草をたべると治る、という習わしがあり、これを「青草のまじない」というといったことを読んだことがある。
     抱朴子には「籬陌(まがきとみち)の間顧眄すれば皆薬なり」とあるから、いかにもさもあり相な話であるが、こんなことも青葉青汁の効能を知ってみると少しも不思議でも何でもない。ばかりか彼らの民族性の底知れぬ根強さも、たしかにこうした所に培われているに相違ないとつくづく感じさせられる。(25、2)


2. 鶏の緑餌と青汁

    藤沢市 T.N. 

     私こと、生物と親しみ居る生活(動植物の飼育栽培を大正末期より致し居り、自然に親しみ、それを愛し居ります)それ故に私は緑色を最も好みと致し、植物の持つ緑葉の効用に就て飼育動物を通して、彼等の生存の上に不可欠のものであることを、充分知り得て居りますが、畜産上わが国の自然に生い立つ緑草が、遺憾ながら、その質が不良なるが故に、我々の求める乳・肉・卵の生産に及ぼす影響が面白くない結果を示しているようです。
     日本本土の火山灰質土の多い地、酸度の強い土地には荳科植物の生育が不良のため、勢い優良な牧草たる荳科のものに期待し得ず。禾本科のものか、莎草科に属するものに依らざるを得ぬ始末。
     それ等を喰い居る動物の血液はますます酸度が高まる結果が、発育上にも繁殖上にも悪結果をもたらし来って居ります。
     私は、この点に留意し、努めてわが家の庭や畑地に土質の改良とともに、餌料作物となるべき木や草に荳科植物をとり入れて、その緑葉を多分に給与しております結果かどうか存じませんが、私が今日餌育致して居ります鶏は、年令九才にして、私の求め居ります高い産卵数値を記録(飼育全数総てトラップネストによる産卵調査を毎日実施され記帳し、年間通して夫々の成結を印して「勤務評定」されて居りますので、如何に餌育管理の上に、その栄養が重大にはたらき居るかの一面も明確につかんで居ります。
     その飼料の中において、緑葉のもてる特殊な作用には、従来科学された既知の物質だけによる理由のみでなく、我々が未だ掘り進めておらぬ未知要素が生命に及ぼす微妙なものの存在があずかって力あるもののように感ぜられ、大いに研究調査せねばならぬ問題と存ぜられます。
     理窟はともかくとして、事実は、緑餌を給与する結果は、鶏をしてより健康にし、従って産卵はより多くしかして長命で、長期にわたり若々しく、健在することをまざまざ見つつ、私は毎日を過して居りますような生活を続けて居りますもので、従って先生のご説の一つ一つが理の当然たるを味読させていただきました。

    (36、5、13)


3. 緑葉の栄養分

     医学博士 遠藤 仁郎 

     私どもの考えでは、現在の慣行食を完全にするためには、どうしても、緑葉をうんと摂らねばならぬ。しかし、その供給は、従来から十分でなかったし、現在とても同様だ。けれども、家庭菜園を活用して、せめて生食用の緑葉だけでも供給し、栽培物のみでなく野草・樹葉など一般緑葉の食用化をはかれば、この問題は簡単に解決する。
     次の表は、少々古いが、斎藤道雄著の飼料学(昭23年)から拝借したもので、邦産牧草を利用するだけでも、ミネラル、ビタミンは十分に補給出来ることをしめしている。もっとも、これは、一人一日当りの所要量、蛋白質75グラム、脂肪25グラム、糖質400グラム、カルシウム1グラム、ビタミンA 3ミリグラム、B1 1ミリグラム、B2 2ミリグラム、C 50ミリグラムとして計算した。当時の人口8000万人の年間所要量であるが、たとえ1億としても(備考欄)、ミネラル、ビタミンには十分余猶のあることがわかろう。

    牧 草年間所要量備 考
    総産量(生草)  6956万トン  
    蛋白質     236.52万トン219万トン274万トン
    脂肪      57.97万トン73万トン91万トン
    含水炭素   1177.75万トン1168万トン1460万トン
    石灰      26.20万トン2.92万トン3.65万トン
    A        9970トン87.60トン109.5トン
    B1        460トン29.20トン36.5トン
    B2        2090トン58.40トン73.0トン
    C        7190トン1460トン1825トン
     8000万人の
    年所要量
    1億人の
    年間所要量



4. 蛋白源をどうする

     医学博士 遠藤 仁郎 

    魚介類の汚染
     数年前から、魚の奇形や腫瘍(癌)が目立って多くなった。水の汚れが原因であろうことは、誰れしも、すぐに考えおよぶことだ。そして、水俣病の水銀、イタイイタイ病のカドミウム。農薬、洗剤、PCBの汚染がいわれ、第2第3の水俣病と、騒ぎは全国各地に波及。深刻な社会問題となっていることは周知のとおり。近海ものの魚介類はもとより、遠洋ものまでもが汚染されているとなると、わが国民の重要な蛋白源であるだけに、事態はまことに重大。当局は安全宣言に大わらわだが、水の汚れは、決してこれだけにとどまるものではない。調べるにつれて、どんどんその数はふえるだろうし、まだいくら、また、どんな有害物があらわれて来るかも知れない。よほど思い切った、根本的な手がうたれないかぎり、ほんとうに安心して食べられる魚介類は、当分のぞめそうもない。

    家畜の奇形
     そこへ、こんどは家畜の奇形。これも、2〜3年このかたの現象だそうだが、この原因また飼料にちがいあるまい。牛も豚も鶏も(養魚も)、いまは、みな、飼料会社の供給する配合飼料にたよっている。その材料、穀豆類には農薬がまかれ、汚染した水が潅漑されている。危険なカビつきも混っているかも知れない。さらに気がかりなのは、蛋白源の魚粉と酵母、そして、発育促進用の薬品類の配合。

      魚粉  材料の安全性はどうか。
      酵母  出所に問題はなかろうか。ついさきごろ、永年、人造肉の開発に、莫大な経費をつぎこんでいたメーカーが、世論のきびしい反対にあって、製造の中止を発表した。それは、石油の廃物に培養される原料酵母の安全性に疑問がもたれたからであった。その酵母が、家畜(や養魚)の飼料に配合されているとすると、どうなるか。当局は、家畜の飼料ならよかろうとの見解らしいが、結果として、かえって、うたがわれている有害分の濃縮された食品を供給することになりはしないか。
      発育促進剤  おもに抗生剤やホルモン剤だが、中には、スチルベストロール(合成卵巣ホルモン)のように、ごく微量でも、胎児に影響して、生後20年も経ってから発癌する、といった物騒なものもつかわれている。これらの何が奇形の原因か、その詮索はさておき、そういう飼料で飼われている家畜の肉や卵や乳が、はたして安全といえるだろうか。

    ほんとうに危険か
     もちろん、それら有害分の含量は、とるに足らぬ微量にすぎず、それらの食品の少量を、または、たまに少々過しても、問題ではあるまい。だから、一般のものにとっては、マスコミが騒ぎ立てるほど神経質になるには及ばないだろう。けれども、その他にも、危険な食品がいっぱいの時世だけに油断は禁物。毎日多量に、しかも長年月にわたって食べつづけることは差控えるべきであろう。中でも、妊婦や授乳婦(胎児・乳児への影響)・幼少児(抵抗力が十分でないうえ、危険にさらされる期間がながい)には、よほど慎重でなければなるまい。

    どう対処するか
     さて、では、どうすればよいだろうか。それには、まず、なるべく安全な蛋白源を確保すること、そして、その効率のよい(無駄のない)利用法を講ずること、しかあるまい。

      安全な動物食品の供給
       なるべく汚染の少ないものをえらぶという手もあろうが、根本的には、すべての公害をなくし、食品の安全化をはかるべきだ。しかし、それとて、企業や当局の努力にまつほかないわけで、到底、早急な実現はのぞめまい(これだけやかましくなれば、いままでのように、いつまでも頬かむりはしていられないだろうが)。比較的可能性があるのは昔ながらの自然的養鶏法(ミンチした野菜野草を主飼料とする)による、いわゆる草卵や鶏肉。あるいは汚染のない川・谷・池での、安全飼料による魚介類の養殖(コイ・フナ・ドジョウ・タニシなど)などでもあろうか。また、昆虫類もすぐれた蛋白源だ。

      植物蛋白の利用
       つぎに、農薬汚染のない植物蛋白の利用。雑豆類の蛋白質は、質的にはあまり良質とはいえないが、含有量が大きい点、たしかに有利。大豆の蛋白質は、量・質ともにすぐれており、ゴマ・ナンキンマメ、その他のナッツ類も、これに近い。

      緑葉の蛋白質
       さらに優秀なのは緑葉の蛋白質。量こそさほど多くはないが、質的には動物蛋白に匹敵する(ゾウ・サイ・キリンといった大動物の唯一の食品であることからも、それはうなづけよう)。そのうえ、緑葉には栄養素の節約脳があり、蛋白質の必要量もずっと少なくてすむ(栄養が完全となり、利用がよくなるため)。
       そこで、緑葉食・青汁、イモ・マメ・ナッパ・青汁といった食では、それだけでも蛋白質の不足することはないし、若干の動物食品があれば、その補給はいっそう容易となる。また、大筋、このようにやってゆけば、多少の汚染食品を加えても、一向さしつかえはないし、なるべく安全なものをえらぶよう心がければ、さらに安心というものでもあり、蛋白源の不足に悩まされるおそれはなくなってしまうわけだ。
       
      (48・7)



5. 食糧危機が来たら

     医学博士 遠藤 仁郎 

     世界の経済大国にのしあがり、尨大な外貨準備をかかえこんでいるわが国。
     唯一の自給食品である米さえ生産調整をしなければならぬというときに、こういうことをかんがえるのは、いささかおかしいかも知れない。
     けれども、ともすれば天候異変におびやかされ、中国、ソ連、アメリカなどの超大国でさえ、かならずしも、つねに豊作ばかりは期待できないこと。
     世界人口の爆発的増加による食糧危機の到来は必至の状勢にあること。
     また、世界のにくまれ子として、いつ、世界中からソッポをむかれ、食糧のしめ出しを食うかも知れないわが国。
     しかも、国内の食糧生産能力は極度にひくくなっており、また、なりつつあるいま、本当に、いつまでも安閑としていてよいものだろうか。
     少なくとも、イザというときマゴつかないために――そのとき、どんなパニック状態になるかは、洗剤やトイレットペーパーでさえ、あの騒ぎだったことからも、おおよそ想像されよう――急場をしのぐてだてだけでも心得ておくのは、あながち無駄とばかりはいえまい。

    何でもつくる
     国としての施策が何より大切であることはわかりきっているが、われわれひとりひとりも、出来るだけの努力はせねばなるまい。
     それには、まず、食べられるほどのものは、ともかく、何でもつくるべきであるが、なかでも、なるべく早く出来、しかも利用価値の大きいものに重点をおくべきであり、それを、できるだけムダなく利用することだ。

    主食品
     米・麦・雑穀・豆・芋類のどれでもよいわけだが、やはり芋類が最適だろう。
     それは、早くでき、収量が多いだけでなく、栄養的にもすぐれている。すなわち、白米や麦類は2〜3倍(玄米やソバ粉は同量)のナッパをそえなければ完全食にならないが、芋類では半量のナッパですむこと。
     また、調理が簡単で、栄養分のロスが少ないことなど、有利な点が多いからだ。
     もちろん米麦の栽培にも大いに力を入れなければならない。但し、搗精や、不完全咀嚼によるロスをさけるためには、全粒(玄米・麦)の粉食を励行する。
     ソバ・キビ・アワ・ヒユなどの雑穀類や豆類、また同じ。

    蛋白食品
     質的にすぐれた蛋白質の給源としては動物食品がのぞましい。
     しかし、穀・豆・芋・魚・肉など貴重な食糧を飼料にする家畜の肉・卵・乳や、養殖魚などは、はなはだしい食糧の浪費(利用されるカロリーは、飼料のもつそれの、僅か7〜8分の1にしかずぎない)となるので、なるべく避け、野生動物(野獣・禽・魚介)あるいは天然飼料による家畜の肉・卵・乳や、昆虫(イナゴ、コオロギ、バッタ、ハチの子その他)などに限るべきだし、ミミズも大いに利用すべきだ。
     また、質的にはやや劣るが、大豆・落花生・胡麻・南瓜・西瓜・ヒマワリなどの子実、胡桃その他のナッツ類、酵母やキノコなど植物蛋白質の利用をはかる。

    副食品
     副食としては、食用されるあらゆる、野菜・野草・山菜・海藻・果物など、できるだけ利用し、とくに緑葉の活用をはかること。
     すなわち、良質ナッパはもとより、栽培あるいは山野の草木葉の多くは、いずれも、主食品、蛋白食品に不足がちなビタミン・ミネラルにとんでおり(また、すぐれた蛋白源でもある)、これを十分にそえることによって、すべての食品を完全にすることができる。

    完全食
     このように、緑葉を十分にそえて、全体としてバランスのよくとれた完全食にすれば、不完全のばあいにくらべ、栄養分の利用効率がよくなり、熱量も蛋白質も節約されるから、それだけ少量ですむようになる。
     したがって、食糧不足のばあいは、とくに良質ナッパや緑葉の利用が肝要なわけだ。
     なお、白米や麦、肉・魚の切身には2〜3倍のナッパが必要だが(乾燥物は2〜3割)、玄米・麦やソバ、大豆や卵には同量の、芋類には半量のナッパで足るから、主食を芋に、蛋白食を大豆にすれば(イモ・マメ・ナッパ食)、白米や麦、肉・魚のばあいにくらべ半分のナッパでよいから、さらに完全食は得やすい。
     したがって、イモ・マメ・ナッパ食は食糧不足のさいには、もっとも合理的な食べ方といえよう。

    緑葉の食べ方
     さて、ナッパ・緑葉の理想的な食べ方としては、できれば生食。そのためには、清浄なものでなければならないことはいうまでもないが、やわらかいものは、そのままサラダとして(グリーンサラダ)、食べにくいものは、ミキサー粥にしたり、青汁にする。
     また、ヒタシモノ、アエモノにし、アゲモノ(かたいものも食べよくなる)にして、あるいは、乾燥葉・粉末として利用する。

    乾燥緑葉
     ふつう、80度以上の熱湯に30秒〜1分間浸けたのち、かげ干し、粉末して、乾燥剤を入れ密封貯蔵。
     または、植物油をしみこませておくもよい(緑葉末油煉り)。
     また、急ぐばあいは、乾し草製造の要領による天日乾燥でもよい。
     水藻・海藻類も同様、生あるいは乾燥物として利用する。

    調理上の工夫
     加工による栄養分のロスは、できるだけ避くべきだから、調理はなるべく簡単にし、つとめて全体食すること。また、食べよくするとともに、満腹感をうめるための工夫も大切。
     これらの条件をみたすのに最適なものは雑炊だろう。熱量源の穀・豆・芋、蛋白源の雑魚介・豆腐・キノコなどに、ナッパを主とする野菜・野草・山菜・海藻、さらにはオカラ、コンニャク、その他およそ食べられるほどのものは何でも、ウンと入れた雑炊。
     こうすれば、食糧不足のときにおきがちな伝染病や寄生虫の感染を防ぐにも、消化のよいこと、腹ごたえのある点でもぐあいがよいので、乏しい食糧を食いのばすには、全くうってつけというもの。
     なお、ミキサー粥や青汁も雑炊に入れれば、ずっと食べよくなるので、どんな葉でも利用できる利点もある。これらは、だいたい、昔の飢饉の時などの救餓法だが、栄養学的にも合理的だから、体力を維持するだけでなく、病気のばあいにも、けっこう役にたつ。

    まとめて食べる
     いまひとつ、これは?大戦のドイツで経験され、のちの実験でも確認されたことだが、毎日に分けて食べては、やがて餓死をまぬかれないというギリギリの食量でも、それを数〜10日毎に、まとめて食べると、十分生きながらえることができる。
     つまり、1日にしても、3回に分けて、少しづつ食べるよりは1回に、また、毎日少しづつ食べるよりは、数日分をまとめて一度に食べる方がよい、というのだ。
     これは、おそらく、食糧の得にくかった大昔の人もやったことであろう――獲物がとれたらウント食ったであろうが、それまでは食わずに我慢するしかなかったであろうから。
     もちろん、ほかにも、いろいろやり方はあろうが、さし当っての急場をしのぐためには、巧遅よりは拙速。ともかく、やれそうなことから手をつけて、時を稼ぐべきであろう。

    (52・12)



6. 緑葉末油煉

     医学博士 遠藤 仁郎 

     国民の健康増進を悲願として「健康と青汁」が創刊されたのが昭和30年7月。
     その後読者の負担軽減を考えて、何とかして三種郵便にと、昭和33年先生と二人で広島郵便局にお願いに行きました。その時担当者の言った言葉、
     「とても毎月継続発行は至難の業、やめた方がいいですよ」
     「いやどんな事があろうとも絶対続けます」
     等々のやりとり、昨日の出来事のように鮮烈な思い出が瞼に浮びます。あれから本年8月で300号。本当によくぞ続いたもの。そして発行部数1万数千部。日本全国は勿論遠くアメリカ、韓国、台湾にと・・・・・・。
     ここに創刊300号記念として、敗戦の色とみに濃くなった昭和20年1月、当時大阪の病院にお勤めの先生の論文をご披露いたします。

    (貝原)

     戦後は36年
     青汁は38年!!「健康と青汁」創刊300号記念に贈る
     当時の遠藤先生の論文(その1)

       近来都市ノ野菜不足ハ甚ダ深刻デ、ソノ影響ハ決シテ軽々ニ看過スベキデナイ。
       野菜殊ニ葉菜類ノ重要性ハ今更説クマデモナイガ、現今ノ如キ食糧事情下ニ於テコソ特ニソノ必要ナル所以ハ大ニ強調サレネバナラヌ。
       即チ植物緑葉ハ肉類或ハ種子・果実・塊茎根等ト異リソレ自体ガ栄養学的ニ完全ナル食品デアリ、タダニ主食糧タル穀・菽・薯類ニ欠如マタハ不足スル「ビタミン」並ニ無機質ノ良キ給源デアルバカリデナク、ソノ蛋白質ハ量的ニハ取ルニ足ラヌ微々タルモノニ過ギナイガ、質的ニハ動物性蛋白質ニ比敵スル優秀性ヲ有スルコト、マタソノ豊富ナル「ビタミン」及ビ「アルカリ」ニヨル諸栄養素ノ体内利用促進ノタメ、熱量並ニ蛋白質要求量ノ著シク節約軽減サレル事実ハ共ニ注目スベキ点デアッテ、食糧不足ノ今日程新鮮葉菜類ノ必要ナ時ハ無イノデアル。

       既ニ都市居住者凍傷・感染特ニ化膿並ニ結核性疾患多発ノ傾向ガ認メラレ、一部ニハ或ハ戦争浮腫或ハ食餌性浮腫ト称セラレル栄養障碍性疾患ガ報ゼラレテヰルガ何レモ野菜不足ノ与ル所ト考ヘラレル。
       コノ状態ノ今ニシテ速ニ改善サレナケレバソノ及ボス所マコトニ憂慮ニ堪ヘナイモノガアルノデアルガ、世ノ栄養ヲ論ズルモノ多クハ徒ニ「カロリー」不足ヲ言ヒ動物性食品ノ欠乏ヲ説イテ能事了レリトシ、コノ時ニ於テコソ最モ重視サルベキ野菜類ノ如キニ就テハ殆ド無関心ナルカニ感ゼラレルノハ遺憾至極デアル。

       ナホ近年国民体位低下ノ声漸ク高ク、コレ亦動物食不足ニ帰セラレテヰルガ、恐ラク同様野菜類利用ノ不全ニヨル不完全栄養ニ因スルモノトスベキデアラウ。
       即チ一方ニハ白米ノ過食、動物食偏重、砂糖濫用ガアリ、他方ニハ野菜ガ栄養価貧弱且ツ不味ナル不消化物ニシテ徒ニ胃腸ヲ負担スルニ過ギザルモノトシテ、コレガ獲得マタハ供給ニ関シテ主食品或ハ動物性食品ニ対スル如キ熱意ヲ欠クコト、或ハ栄養上不完全ナル果・茎・根菜類ヲ賞用シ、優秀完全食タル緑葉部ハ却テ無用物トシテ棄テ去ッテ顧ミナイトイフガ如キ誤リタル栄養観念アルコト、加之調理ノ不合理(生鮮緑葉ヲソノ儘或ハ可及的コレニ近キ状態ニテ脂肪トトモニ摂取スルノガ理想的デアル)咀嚼不完全等ニヨッテ招来サレル栄養素ノ不調和不均衡ノ結果ト理解サレル。

       コレ実ニ国家将来ノタメニモ由々シキ重大事デアッテ、野菜類ノ円滑潤沢ナル供給トトモニ栄養観念ノ是正特ニ葉菜(生鮮緑葉)類ノ栄養的優秀性及ビソノ合理的利用法ニ関スル啓蒙運動ハ刻下ノ急務ト言フベキデアル。

       目下ノ都市野菜不足ノ原因ハ主トシテ作面積減少、労力不足ニヨル生産減及ビ輸送難ニアリ、シカモコレ等ニ関スル限リ到底急速ナル解決ハ望ミ難イ。
       茲ニ窮余ノ策トシテ一般緑葉ノ食用化ヲ企図シ本法ヲ提唱セントスル所以デアル。
       原料ハ生鮮緑葉デ、蔬菜類ハ勿論山野路傍ノ雑木、雑草ニイタルマデ凡ソ無毒ナレバスベテコレヲ用フ。
       尤モ利用スベキ緑葉・撰択並ニ採取時期ハ有効成分含量、ソノ季節的関係ノ調査ニヨッテ決スルヲ可トスベキモ、少クトモ家畜飼料トシテ、コノ優良ナル緑葉ハ大凡利用価値大ナルベク、嫩葉乃至繁茂期ハ最モ適当ナル採取時期デアラウ。
       製法ハ番茶製法ニ準ゼルモノデ、枯葉、黄葉ヲ除キ清洗、沸騰シツ、アル熱湯中デ二・三分間煮沸シ、乾燥(煮汁ヲ撒布シトモニ乾燥セシメル)後製粉細末トシ、軽ク焙ジテ(香味ヲ増ス目的デアルカラ省略スルモ可)食用油デ煉ッ(滲ミ込マシ)テ置ク(緑葉末油煉)。
       加熱処理ハ「ビタミン」C保存ヲ目的トスルモノデ、液中移行ニヨル損失無キ急蒸法ガ最適デアラウガ、一般ニハ実行シ難イ憾ガアルノデ煮沸法トシタ。
       C保有量ハ試作品ニ就テ大阪市立生活科学研究所デ検査サレタ所デハ表示セル如クデ余リ好成績トハイヘナイ。詳細ハ目下検討中デアル。(業務繁忙中ニ拘ラズ検査ヲ快諾サレタ同所長下田博士、環境課長庄司博士ニ対シ茲ニ記シテ謹テ深甚ノ感謝ヲ捧ゲタイ)。
       製粉ハ葉質堅厚デ普通食用ニ供シ得ナイ緑葉ヲモヨク利用センガタメ、油煉ハ空気ヲ遮断シ引湿黴発生等ニヨル変質ヲ防ギ併セテ「ビタミン」Aノ吸収ヲ佳良ナラシメントスルモノデアル。

        ビタミンC保有量(mg%)
        品名還元型総量
        大根葉9.016.8
        甘藷葉4.717.6
        3.717.0
        里芋葉15.021.0
        茄子葉16.120.3
        蕗葉1.34.8
        隠元葉13.217.6
        牛蒡葉8.812.0
        樫葉1.43.9
        備 考 概ネ製造後一カ月ヲ経タルモノ
        検査法 藤田氏インドフェノール法
        検 査 大阪市立生活科学研究所
         用途一、代用野菜トシテ。
         「ビタミン」C量ヨリ観ルモ コレヲ以テ全面的ニ新鮮野菜ヲ代用シ得トハナシ難イデアラウガ、調理ニヨル破壊咀嚼不完全ニヨル損失ヲ除外シ得、カナリ多量ニ摂取シ得ルカラ少クトモ野菜不足ノ現況ノ緩和ニハ充分役立ツモノト考ヘル。
         飯ニマブシテヨク、惣菜ニ加ヘテモヨイ。
         一種ノ風味ガアッテ味ヨク食ベラレ野菜嫌ヒノ幼児モ好ンデ食ベル。マタ病者・老人・歯牙不良者ニモ安心シテ与ヘラレル。
         肝油煉トスレバ不快臭ヲ減ジ甚ダ摂取シ易クナリ肝油投与法トシテモ調法デアル。


         二、補助主食トシテ。
         穀粉ニ混ジ用フレバ良キ蛋白給源トナリ「ビタミン」・無機質・脂肪ノ存在ト相俟ッテ栄養価高キ極メテ優秀ナル補助食糧トナリ。
         炒穀粉ト混和適宜調味シ圧搾口糧トスレバ携帯食トシテ好適デアル。
         原料ハ無尽蔵デアリ、燃料豊富ナ地方デ製造スレバ経費ハ殆ドカカラズ。
         製法ハ簡単デ学童ノ手ニヨッテモヨク製シ得、輸送ハ軽便デアルカラ、労力不足輸送難ノ現在ニ於テモ容易ニ大量ニ生産供給スルコトガ出来ル。
         マコトニ戦時下食糧問題並ニ国民体力解決ノ鍵ハココニアリト言フモ決シテ過言デナイト信ズルモノデアル。切ニ一般ノ活用ヲ望ンデ止マナイ。

      (20・1・2)



7. ナッパ・青汁の効

     医学博士 遠藤 仁郎 

     ナッパの生のしぼり汁である青汁は、たしかに、健康のためによいし、病気をなおすのにも役立つ。薬効成分があるのでもない、ただの青ナッパにすぎないのに、なぜだろうか。
     もっとも、緑の葉には、血色素(ヘモグロビン)と化学構造が全く同じで、ただ中心になっているミネラルが鉄とマグネシウムのちがいだけという葉緑素(クロロフィル)がある。
     そして、その製品にはいろいろの薬効があることがわかっている。
     そこで、青汁の効はその葉緑素のためだろう、としている人が少なくない。
     けれども、葉っぱや青汁の中の自然の葉緑素は全然吸収されないから、その効果とはかんがえにくい。
     ただし、口から肛門にいたる消化管の中では、直接の効果、たとえば傷の治癒促進とか、脱臭効果といったことはもちろんある。
     さて、草食獣は草木の葉っぱを食べてそだち、肉食獣はそれを食って生きているし、われわれは植物のすべてと、それでそだった動物の肉・卵・乳を食べて生きているのだから、草木の葉っぱは、大地のミネラルと太陽のエネルギーとによって、これらの生命のもとを創造しているわけだ。

     そして、その緑の葉が草食獣の唯一の食べものであることからわかるように、葉っぱ、したがってナッパにはかれらが生きるために必要な栄養分(カロリー・蛋白質・ミネラル・ビタミンその他)が完全にそなわっている。
     しかも、とりわけ注目すべきことは、とくにミネラル(アルカリ・カルシウム・鉄、その他痕跡成分など)とビタミン(A・B1・B2・ニコチン酸・葉酸その他のB群ビタミン、C・E・K・Pなど)にとんでおり、とかく不足がちなわれわれの日常食のそれら(ミネラル・ビタミン)を補って十分余りがあることだ。
     いいかえるなら、ナッパなしにはわれわれの栄養を完全にすることはできないのであって、十分のナッパをとることによってのみ、はじめてわれわれの食のあやまりを正すことができ、食のあやまりによって招かれている血のにごりをとり除き、からだ中のすべての細胞・組織・臓器のはたらきを完全にして、体力・健康力・生命力をもりあげることができる。
     このことこそがナッパ・青汁にいわれている効能のもとであり、そこにこそナッパ・青汁の重要性があるといってよかろう。

    (58・8)


8. 緑葉食と栄養

     菜食といえば誰でもすぐに、なるほど痩せるにはよろしかろうと考える。ところが仲々どうして反対に肥えるにも馬鹿にできない効果がある。食欲がすすみ、代謝が完全となり、栄養素の利用がよくなる結果でもあろうか、中には、多くは骨組の太い体型の人のようだが、緑葉食にしてから肥って困るという人がある。
     48才の商人。元来肉食を好んでいた。先年発疹熱に罹って入院し、緑葉食・青汁の効を体験。退院後もつづけていたが、体重は漸増。やく1年後には「肥りすぎて心配になりだした」というので健康診断をもとめて来た。異常のない由をつげると、「ご馳走を食って肥らず、草でふとるなんで妙なもんだ」とひどく感心して帰った。
     近くの町で開業しているI女史は、数年来胃潰瘍症状があり、毎年胃痛・胸やけ・き水などに悩まされ、今年こそ病院へ行こう、今度こそレントゲンにかかろうと思い思いしていられた相であるが、専門医会で私のはなしを聞き緑葉食を始めたところ、いつしか胃の苦痛は全然なくなり、それとともに肥り出し、今では少々肥りすぎの傾向であるとのことである。
     牛の飼育にながい経験のある一老人は、「牛には青草さえやっておれば丈夫であるし一番よくふとる」と語っていた。おそらくなにか栄養上有効な成分があるに相違ない。(24・7)


9. 緑葉による合理的完全食

     この食養法は合理的完全で、栄養学の要求するすべての条件を具備するのみならず、原料豊富、しかも主食の節約と相俟ち、経済的にも極めて有利であり、まこと「有用なるものにすべて安価なり」の好事論である。合理的完全食により、諸機能はその本然の状態に復し、食思増進、便通整調、尿利増加、精神・神経機能鎮静・強化され、睡眠佳良となる。なお性機能は強靭となり、月経整調、乳汁分泌を増し、生殖能旺盛、所謂貧乏の子沢山の譬えの如くである。

    妊婦の栄養
     婦人の栄養は原則的に男子と異る所はない。ただ体質的に稍少量(概ね男子の80%で足る)の差あるのみである。妊婦に於ては、胎児の発育のために充分なる栄養を必要とするは言うまでもないが、特に多量の熱量及び蛋白質を要するものではあるまい。胎児の発育如何に旺盛なりとはいえ、少なくとも初期に於ては極めて微々たるものに過ぎず、一方経血停止による体液余剰傾向の存在もあり、さほど多量の熱量・蛋白質を要するとは考えられない。事実、また食欲を減じ、殊に動物性食品その他濃厚食を嫌悪し、むしろ淡白食を嗜好するもので、これは、無機質・ビタミンを欲する、正しい自然の要求の発露に他ならない。
     また、往々認められる異嗜症の如きも、多くは無機質に富むものに向っている事実も同様に理解される。かく、妊婦の合理的完全食は、特に無機質・ビタミンに富む食品が適しており、菜食殊に緑葉菜を充分に利用すべきである。
     現に悪阻の如きも緑葉汁によって容易に治し得る。古来、妊娠食として海藻類の賞用されているのはまことに当を得たものというべきで、妊婦用として動物食品の特配が考慮され、新聞紙上に麗々しく報道されるが如きは、近来の蛋白質偏重栄養学の齎らす余弊の一表現に過ぎず、無意味なるのみならず、却って有官であって、胎児にとってはまことに迷惑至極といわねばならぬ。
     妊娠後期の胎児成長旺盛なるに及んでは、食思また自然亢進するものにて、この際には特にその配合の合理性に注意し、誤りたる栄養観念に基づく偏食(穀肉食)は厳に避けねばならぬ。

    乳児の栄養

      母乳栄養
       母乳。しかも生母の乳汁が最も適当していることは、その成分が生児の成長とともに一定の変化を示すことからも想像される。
       勿論、母乳の成分の完全なることが条件であって、母乳の完璧は母体の健康ならびに食養の合理的なることを前提とする。多くの研究の示す如く、乳汁の成分は、体内にその貯蔵物の存する限り、可及的正しき割合を維持するが如く調節されるものであるが、長期に亘る不完全栄養は必然的に乳汁成分の不完全化を招来する。
       従って、母体の栄養は常に質的・量的に完全でなければならぬ。就中、充分の熱量・優良蛋白質・無機質、殊に石灰ならびにビタミンの補給が必要である。ために、多量の蔬菜類殊に緑葉を用うべきであるが、事実は全くこれと相反し、ここにも蛋白質に富む濃厚食偏重の傾向があり、一層石灰・ビタミンの欠乏の因をなしている。妊産婦用として動物食品を特配するなど、凡そ愚にもつかぬ考えと申さねばならぬ。もっとも、一つには現下の食糧事情下止むを得ぬ点も無いではないが、根本は、誤りたる栄養観念から発した指導に基づくものに他ならない。かかる不完全食の是正に緑葉殊にその生鮮汁が適当なることは屡説せる如くである。

      人工栄養
       家畜乳はその成分が量的に不自然であり、また、飼料による所は勿論であるが、山羊あるいは羊乳の如く、無菌的で生乳のまま用い得るものの他は、加熱処理のため、ビタミンCの喪失、石灰の溶解性低下等のため、甚だしく不完全となるを免れない。
       これまた緑葉汁添加により容易に補い得る。貯蔵乳特に粉乳は殊に然りである。なお煉乳は、偏酸性の強い蔗糖を多量に含有するため、これが影響が少なくない。充分なる緑葉汁を加えねばならぬ。元来、乳児の食品に甘味殊に蔗糖を加えることは、甚だ不自然なことで、百害あって一利無きものである。
       凡そ、乳児用の砂糖特配ほど馬鹿気切ったことはあるまい。乳児の味覚はいまだ発達し(正しくは歪曲され)ておらず、空腹を覚えれば味は無くとも飲むものである。甘味を加えねば飲まぬのは、まだ欲しくない、飢えていない証拠である。授乳時間が来たから与えるといった機械的な栄養法は決して合理的とはいえない。成人の歪められた感覚から乳児の舌を推し測るが如きは誤まれるも甚しいものである。
       面湯・穀粉乳・甘酒・飴湯等、含水炭素を主とする食品は一層不完全であって、熱量に乏しく、蛋白質は質的に劣悪なるため、大量を用うるに非ざれば不完全なるを免れず、脂肪また不足し、無機質は乏しく、ビタミンは殆んど存在しない。特に多量の緑葉汁及び含脂性食品(豆乳の如き)の添加を要する。生鮮葉の欠乏する際は乾燥葉未を利用すべきで、粉粒さえ充分微細ならば消化は極めて良好。乳児にも支障なく与えることが出来る。

    幼児の栄養
     発育旺盛。食思また漸次増大するが、消化能いまだ幼稚であり、しかも味覚の自然尚お失われず、各種食品を自由選択せしむるも、その組合せは完全に合理的であったという実験がある程の時期である。
     従って、この間に於ける正しい指導は極めて重要である。迅速なる発育は充分の栄養、殊に熱量・蛋白質を要することは勿論であるが、現在、考えられているが如く、動物蛋白の偏重の誤まれるは、上述の理論的根拠からも容易に理解される所であり、常に、同時に無機質(塩基・石灰・苦土・燐酸その他)ならびにビタミンの関係を考慮しなければならぬ。
     ことに石灰対燐酸の正しい比率確保は絶対に必要である。優良蛋白質の要は言を俟たず、動物食品また大いに利用すべきであるが、常に、これと調和せしむべき充分なる果物・蔬菜類、殊に緑葉菜を配伍せねばならぬ。もっとも、咀嚼ならびに消化力いまだ不十分なるため、調理上慎重の考慮を払うとともに、生鮮汁の活用によりビタミン・酵素等の効用を十二分に発揮せしむべきである。
     歯牙発生の状は概ね摂取物の種類を示唆するものであるが、最も早く発生する門歯は、成熟せる果実を噛み破りその汁を吸うに適するもの。次で生ずる小臼歯は、果実・蔬菜・穀類の咀嚼の可能を物語る。而して動物食摂取用と考えられる犬歯の発生の遅れる事実は、幼児に肉食の必ずしも必要でないことを物語るものとも考えられよう。
     調味は可及的淡白を旨とし、特に甘味・鹹味等の附け味を減じ、食品本来の持味を賞味するに慣れしむる如く指導すべきである。一旦濃厚なる附け味に習慣するときは淡白食への復帰は相当困難である。甘味品に対する嗜好は、味覚の自然の如く考えられ、あるいは幼児には必需品なるがの如く誤解され勝であるが、これまた習慣及び美味を求める慾望の結果に過ぎず、栄養上決して必要不可欠の食品ではない。
     すなわち、その栄養価としては単に熱量源としての意義に止り、偏酸性強く、塩基・石灰に乏しく、ビタミンを欠き、その分解にはビタミンBを要する等、甚だ不完全なる食品であって、これが過食は体液の酸性度をたかめ、石灰喪失を増大し、体質悪化・抵抗力減弱を原因する。故に、これが濫用は最も慎むべきである。
     この意味に於て糖類摂取の主因となる間食に関しては、特に留意すべきである。間食の多くは穀粉・豆類に加うるに甘味を以てせる菓子類であって、何れも糖類附加により一層不完全となるものである。故に、常に同時に緑葉を配し、これが害毒に軽減を図るべきである。芋類は比較的無難であるが、これとても完全食ではなく、過食の不可なるはいうまでもない。古来、育幼の原則として「三分の飢と寒さ」と訓えられている。いまだ消化能の強固でないこの時期、過食は厳に戒めねばならぬ。

    少壮年の栄養
     原則的には幼児に於ると同様であるが、発育の最も迅速なる時であり、食欲は益々旺盛、味覚の赴くままに穀肉の過食に傾き易く、ために無機質殊に石灰ならびにビタミン不足に陥り易い。しかも、この期は、これらの欠乏の影響の最も大なる時である。故に常にその補給源たる蔬菜殊に緑葉類を充分に摂取せしめ、穀肉類との間の調和に顧慮を払わねばならぬ。
     食べ方としては、所謂「飢えて方に喫し飽かずして巳む」で、常に若干の余力を残すを厳とするが、余りに消極的なるもまた不可。消化能の発達とともに鍛錬を加うべく、時には大いに満腹飽食せしめ、また、食品の種類も可及的広汎に亘らしめ、中毒し易き食品は少量を反復摂取(所謂脱感作食法)せしめ、凡ゆる食品に馴れしめ、咀嚼の習慣とともに、如何なる質的・量的不摂生に対してもビクともせざる底の強靭なる消化力を涵養せねばならぬ。

    老齢者の栄養
     消化力は漸次減退し、代謝沈衰、排泄能また低下する。ために易消化性で、有害代謝産物の少ない、所謂無刺戟性食が適当とされる。たヾし、食品はなるべく広範囲多種類ならしむべく、動物食品また決して禁止するの要はなく、飲酒・喫煙また無下に排するには及ばない。
     要は、合理的完全食の原則に則する如く調和せしめ、殊に塩基・ビタミンに富み、石灰対苦士・燐酸比の正しき割合の確保に留意し、量的には消化・代謝・排泄能に順応せしめ、以て、過重なる負担は厳に慎まねばならぬが、徒らに厳に失し余生をして余りに無味乾燥ならしめることは当を得たものとは為し難い。(20・12)


10. むかし話(初期の旧稿から) 化膿に緑葉汁

     医学博士 遠藤 仁郎 

     近頃といっても戦争最中からであるが、傷の治療が悪く、化膿し易いこと、また、一般に、化膿性疾患が多発する傾向があることは誰もが経験していることである。
     病者も、良い薬は無いんだし、栄養も碌々とれんのだし、と半ば諦めているようであるが、僅かの傷やひょう疽くらいで2〜3ヶ月も医者通いをしていては、家庭的はいうに及ばず、国家的にも大きな損失であろうと思う。
     医者は医者で、いたずらにズルファミッドは無いか、ペニシリンはまだかと、むつかしい薬ばかりを求めて長嘆息している有様であるかに見受けられる。
     なる程、よい薬があればそれに越した幸はない。
     しかし、ズルファミッドは当分出来ぬ相だし、ペニシリンとても漸く緒についたばかりの所で、そう早急に大量生産は望めぬだろう。所で、考えねばならぬことは、すべての疾患治療に於てであるが、出て来た現象のみに捉われた末梢的療法に終始することなく、もっと根本に突込んだ治療を施すべきことである。
     傷が治り難い、化膿が多いことは事実であるが、その根本は個体の抵抗力の減弱であり、これは、申すまでもなく、主として、今日の不完全栄養の結果に他ならぬ。
     しかも多くの病者の語る所によれば、お医者さんは栄養が足らぬ、もっとご馳走を食べと言われるので、米だ、肉だ、卵だと無理してみるが、一向よくならぬという。これでは、一体、いままでの学問は何を教えていた?ということになる。
     蛋白質・脂肪・含水炭素に富む濃厚食の過偏食が傷の治りを悪くし、化膿を誘致することは、経験上からもよく知られたことであり、実験的にも証明されている。
     また、幸いに、野菜不足と指摘された場合も、その種類と食べ方の指導に欠ける所があるため、効果をあげ得ぬことも尠なくないように感ぜられる。
     野菜も青物でなければ効は少ないし、折角、青物を処方しても食い方が不完全では何の甲斐もない。
     例の栄養失調症も、私は、青物の不足と確信しているのであるが、すすめてみても無効なのは、大概、咀嚼不充分にあることを屡経験している。
     しかし、いくらよく咀めと言っても、早喰いに慣れたものは、同時に過食に陥り易いため、化膿にも傾くのであるが、仲々咀んではくれるものでない。
     そこで、私は食養合理化の重点を生鮮緑葉汁に置いている。すなわち、飯及び肉類と略同量の蔬菜殊に緑葉菜を摂るとともに、一日少なくとも100g以上の緑葉を搾り汁として服用せしめている。
     傷の治癒は目立って促進され、化膿は速かに消退する。敗血症を思わしめた例にも著効が認められた。各種化膿症・丹毒・創傷・骨折・手術後療法等に推奨したい。用量は多い程よく少しも害はない。

    (21・1)


11. むかし話(初期の旧稿から) 緑葉の薬効に就て

     医学博士 遠藤 仁郎 

     薬草に就て話せとのことですが、実は余り知識がありません。
     しかし、近頃、緑葉の栄養価値に興味を覚え、これに就て調べているうちに、その治療効果の驚くべきもののあることを知りました。で、今日は、青葉は何んでも薬になるということに就てお話いたしたいと思います。

     薬というものは随分多いもので、大げさに言えばこの世の中にありとあるもの、薬ならぬは無いとも言えます。
     動物・その分泌物・排泄物・病的産物・体液、各種の植物、鉱物、近頃では種々の精製薬品、さらに各種の合成薬品など、限無くあります。が、現在のように諸物質欠乏の際には、精製薬や合成薬品には多くの期待をかけるわけに参らなくなりました。
     従って、生薬の類に目をむけねばなりません。その最もありふれたものが薬草類。所謂草根木皮で、民間薬の大部分を占めております。
     さて、斯様に薬は種々のものがありますが、その作用の仕方もまた極めて多様です。
     薬の正しい応用のためには、その作用の模様を心得ておかねばなりません。
     大体に、薬は所謂偏した作用のあるもので、ともすれば害にもなります(副作用)。が、民間薬の多くは概ね無害でありまして、同時に食べられるものも少なくありません。
     そして、その作用の主なものは、発汗・利尿・潟下等の排泄機能の促進であります。
     しかも、その効果は往々極めて著しいものがあり、下手くその医者の薬よりはよく利く場合が少なくありません。
     これは何故でしょうか。そこで考えねばならぬことは、何故病気するかということです。

    何故病気するのか
     自然界に自然の正しい生活を営んでいる動物には病気は無い。不慮の災害を被らぬ限り、天寿を全うしており、老年性変化さえも少ないと言われています。
     同じ動物でも人に飼われると病気する。
     牛・馬・豚・羊・犬・猫ともに病が絶えない。獣医の必要なことは彼等が不健康であることを示す証拠に他なりません。
     人間も同様で、自然生活を営んでいる原始人には比較的少なく、文化生活が始まると病弱者がふえることは、皮肉でありますが争えぬ事実であります。
     吾々の如き医者が偉ら相な顔をしていられるのは、病気が多い。人々が常に病気におびやかされているからでありまして、まことに情無いことであります。
     この意味から、数多くの医学校が出来、病院がたち、医者はいよいよ繁昌するということは少しも誇りではない。
     日本の医学は進歩した。世界一だと威張る人もあるようですが、偉い学者が出た、よい研究が出来ただけでは決して真の進歩とはいえない。病気が減り、病人が無くなって、医業がなり立たなくなり、病院はつぶれ、医者は夜逃げをするようになって、はじめて医学は進んだというべきで、如何に学問は進んでも病人が絶えぬでは断じて医学の進歩ではありません。

    血の濁り
     それは兎も角、文化が進むと病弱者のふえるのは何故か。
     原始的な生活環境では当然淘汰さるべきものが、文明のお蔭で生存を許されることも確かに一因でしょう。
     が、主なる原因は、文化人の不自然生活にあります。無理な日常、特に運動と食物との不均衡による所謂血の濁りのため、抵抗力減弱を招来したことに原因したと考えねばなりません。

    運動の不足
     人間も所詮は動物。動物の本質は動くこと、運動であります。
     適当な運動によって代謝は促進し、消化吸収は佳良となり、分解・酸化は完全に行われ、有害な中間産物の産生を減じ、呼吸強盛は炭酸の排出を増し、発汗は老廃物の排泄を増す。
     また通利を整調促進することによって排泄機能は完全となる。
     かようにして、血液状態の正常化が出来るのですが、文化人にはこれが不充分。
     便利になり、身体を動かすことが少なくなった。動かすにしても偏った運動で、兎角代謝は沈衰し、老廃物の体内蓄積を原因し、所謂血の濁りを生ずる。
     血が濁れば、この血によって養われる体内の諸組織・諸臓器の機能は必然的に衰える。
     細胞機能が衰えれば、代謝はいよいよ低下し、益々血の濁りを増すという結果となる。

    排泄療法
     民間療法に多い発汗・利尿・潟下剤の応用は、これに対するもので、せめて、排泄機能を促進して、老廃不要物を除き、いくらかでも血の濁りを減らそうとするものであります。
     血の濁りが減れば、それだけ諸組織・諸臓器の機能はよくなり、ひいては抵抗力を増し、病は治癒に赴く道理であります。
     これは旧医学(和方・漢方のみならず西洋流、すなわち蘭方でも)の治療法の根本原理をなすもので、また、事実、各種の疾患で有効であります。
     如何にも迂遠な方法のように考えられるこの民間療法が、医者の薬よりも優れていることがあり、仲々馬鹿に出来ないのは、この療法が、単に外に現われた症候だけに対するもので無く、その根本をなしている血の濁りに対するもので、いわば余程原因的に近いためであります。
     しかし、この排泄療法は対症療法に比べればずっと合理的なのですが、血の濁りの根本的除去には、その根源を断つ以外にはありません。

    血の濁りの源
     血の濁りの源は、摂り入れるものとその始末すなわち代謝(消化・吸収・分解)の不自然。主として飲食物の不合理に基づいております。
     有毒物の摂取はいうまでもない。無毒の飲食物も、その不調和から体内機能に悪影響ひいて有害作用を及ぼします。

    正しい栄養
     食物は、体内に入り、消化・吸収されますが、すでに腸の中でも、場合によっては有毒なものが出来ます。
     また、吸収された養分(含水炭素・脂肪・蛋白質などカロリー源)が燃焼し活動力の源となるのですが、この際も、分解の仕方によっては、色々有毒な物が出来ます。
     代謝能力以上に多量に摂れば、その度は一層甚しくなり、解毒能・排泄能が悪ければ更に血の濁りを強めます。
     この体内燃焼をたすけ、諸機能を促進するものはビタミンと無機質(特に塩基・石灰等)で、これらが不足すれば、分解・解毒・排泄ともに不完全となり、有毒分の出来方が多くなります。
     しかも、これらビタミンや無機質は何れも食物として摂り入れらるべきものであります。
     つまり、吾々の食物には主栄養素とともに、これを利用するために欠くことの出来ない諸要素を充分に具備せねばならないのです。
     われわれが普通の仕事をするために、熱量として2000〜2400カロリーが必要とされており、

      蛋白質50〜60g、
       脂肪   20g。
     これらを完全に利用するために
      ビタミンA 4000〜5000国際単位、
         B1  1.0〜1.5mg、
         B2  1.0〜2.0mg。
          C   40〜50mg。

      無機質では酸基(PS)と塩基(Na、K、Mg、Ca)の調和がとれ、
      稍後者の優越すること。
      石灰の吸収利用のため、石灰:燐酸の比率の保たれること(石灰の吸収は石灰:燐酸比1:1〜2なるとき最も良好。通常吸収能を考慮し石灰1日量1.0g、燐酸1.5gを適当とされている)。
     また、石灰作用のためには石灰と苦土(マグネシウム)との間に一定の比率の存在が必要であるが、
     この比に就ては明確な数字があげられておりません。
     しかし、乳児の唯一最良の食品である乳汁中には石灰は苦土の8〜9倍あり、
     血液中には3倍ある所から、少なくとも苦土は石灰の数分の一であることがよいようです。
     この条件をみたす栄養によって、はじめて諸機能(代謝)は完全に行われ、体液状態も正調を維持し得るのでありますが、吾々が平素食べているものは如何でしょうか。

    食の実際はどうか
     米は330g配給されておりますが、熱量は足らない。
     蛋白質・脂肪も不足していますが、その代謝遂行上必要欠くべからざるビタミン・無機質に就てみると、ビタミンA・Cは全然欠如し、Bも白米には甚しく欠乏しております。
     無機質では塩基が少なく、石灰対燐酸・苦土の比率は逆転しているため、石灰の利用・作用ともに妨げられるということになっております。
     熱量を補い、優良なる蛋白質・脂肪を供給するには動物食品がよいのですが、これもビタミン・無機質の関係は米と殆んど同様です。
     そこで、吾々が最高の栄養食と考えている穀肉食は、意外にも甚だ不完全だったのであります。
     熱量は多い。蛋白質は優れている。脂肪もある。しかし、これらを利用するためには必要なビタミン・無機質の不足は、折角の栄養分の分解を妨げ、却って有害分の生成を増す。
     更に塩基の欠乏は栄養素を浪費し、熱量・蛋白質の必要量を増大することとなり、また石灰の損失を増すのみならず、その作用を妨げる。といった具合で、甚だしい不健康食ということになるのであります。

    無機質・ビタミンの給源
     無機質殊に塩基に富むものとして果物・蔬菜類がありますが、これらは葉菜類を除いて、何れも石灰に乏しく、ビタミンも充分でない。所が、例えば大根・人参を食べるとしても、多くは根だけ食べて葉はすてる。
     トマト・胡瓜と菜っ葉が供えられると、トマト・胡瓜は食うが、菜っ葉は残すというのが普通の食べ方、あるいは嗜好で、これでは、どうしてもビタミン・石灰が不足します。
     調理に不合理な点があれば尚更で、真に健康であり得る筈がない。
     達者の如く見えても、強靭性に乏しい。僅かの外邪(寒・暑・乾・湿あるいは病原体)の感作をも受けやすいわけであります。

    緑葉菜
     ところが、葉菜ことに緑葉菜の成分をみると、熱量源としての価値には乏しく、塩基源としても果物・根・茎・果菜類と大差はないが、石灰に富むこと。
     石灰対燐酸・苦土比が石灰に有利なこと。ビタミンA・B・Cともに豊富で、上述の諸食品に不足乃至欠如する要素をすべて補うて余りがある。従って、緑葉を利用することによって吾々の栄養ははじめて完全となり、血はきれいになる。したがって真の健康が約束されるわけであります。
     肉食よりは穀食。穀食よりは芋食。芋食よりは菜食するものが強い。経験上、美食家は弱く短命、粗食家は強く長寿であることが知られていますが、それには斯様に確実な科学的根拠があるのであります。

    治療効果
     また、青葉は健康上有利なばかりでなく、これが応用によってあらゆる病気を治すことが出来ます。化膿・感冒・肺炎・チフス・麻疹等の急性感染の予防に、また治療に、創傷の治療、結核性疾患、動脉硬化・高血圧・リウマチ・神経痛等の老人性・?性疾患、胃・腸・肝・腎疾患、ビタミン欠乏症患等々、何れにも有効です。
     葉は何でもよろしい。有毒でさえなければ皆つかえます。
     すなわちすべての青葉はくすりなのであります。
     かく、緑葉の効は極めて顕著なものがありますが、それというのも、根本は吾々の食物が不完全であることを示すものであります。
     あるいは、肉食で、あるいは穀物の飽食で、健康を害しているので、糖類・酒類の濫用・喫煙の習慣は一層その度を強めます。
     しかし、美味しいものを食べたい飲みたいは人情。
     いかに養生によいからとはいえ、余り味気ない人生にしてしまうのは感心なことではないし、また辛抱し難いことです。所謂菜食論者の説く如く、極端に肉食・飲食を禁ずるのも考えものであり、甘味・喫煙を止める要もないので、要は、これらによって来る害がビタミン・無機質の不足乃至不均衡にあること。
     これを補給是正するためには緑葉、ことにその生鮮汁が最も適当していることを心得、常にこれを活用し、栄養素の釣合を保つようにすればよいので、かくすることによって、はじめて真の健康は期して待つべきであります。
     医薬品欠乏の今日、健康であることだけがすでに大なるご奉公であります。
     不養生をして病気したら薬にたよるという考え方をやめて、病にならぬことを考えねばならない。
     それには先ず緑葉であります。また、たとえ病気しても、まず緑葉であります。今は医者も病人も、病気といえばすぐ薬、丈夫になるにも薬と、余りに薬にたより過ぎている。
     昔の医者は薬の少ないため、不完全な薬方しかなかったためでもありましょうが、病人は食物で治せ。それで治らねば薬せよ、と言ったものです。味うべき言葉であります。切に生鮮緑葉汁の活用をおすすめします。

    生鮮緑葉汁
     生で用うるのですから、細菌や寄生虫感染の危険を充分考慮すべきです。
     その恐れのない材料の供給が望ましいものです。
     自家栽培の蔬菜類、糞尿・咯痰等で汚染されておらぬ山野自生の草木緑葉等が適当です。
     清洗し、摺り又は搗きつぶして、搾り、少許の油脂を加え、適宜調味し用うるので、乳汁・甘酒・飴湯等を混入するのもまた妙でありましょう。
     もっとも、時間を経るだけ効力を減じますからなるべく早くのむこと。
     用量には制限はありません。多量なるほど有効ですが、保健用には1日1回50〜100竓でよく、治療用には2〜3〜数回与えます。
    (20・5 人吉、東問校にて)


12. 不老食緑葉

     おまえのいうように緑葉食をやれば必ず長生き出来るか?
     と開き直られると、ただ、理論的に正しい食べ方では、健康でいられ、従って長生きもできる筈だ、とにげる他はない。子供のときから弱く、辛うじて今まで生きのびたに過ぎぬといってよい、しかも、まだやっと50年しか生きていない私に、どうして不老長生法だなんて口幅ったいことがいえるものか。
     しかし、これまでにあったことについては少しも遠慮なくほざいてもよかろう。学生時代から、私はふけて見えていたようだ。宴会などでも、友人はみんな若く見られるのに、私だけは言い当てられるか、時にはひどく年寄にみられた。あるとき、女学校へ通っていた妹と町に出て、その友達に出会うたことがあったが、翌日、「昨日のお父さん?」といったそうだ。まだ独り者の頃だったので、大いにガッカリしたものだ。これでも、まあ当時の私の「ふけさ加減」はほぼ想像出来よう。頭はしだいに禿け上り、40にもならぬのに60くらいかといわれたこともあった程で、病院つとめにはいかにも大先生とも見られて都合のよいこともあり、応召した時も、老見習士官(たしかにその通りではあったが)と敬称(?)されなどして、いく分いい気になったりもしたが、内心たんと嬉しくはなかった。

     ところが、この頃は違う。終戦の翌年だったか、事変当初軍病院で知り合った旧友を訪ねたとき、その夫人が「10年まえとちっとも変っていられません。」と感心してくれられた。
     まず10年若がえった。それから4年たった今年の春、ある席で年が問題になったが、「おつむの加滅は相当のもののようだがお顔は若い。45・6かな?」と値踏まれた。
     その後まもない頃、もといた学校の同窓会に出ると、14〜5年まえの卒業生が、「先生は学校当時よりお若くなられた」といったから、少なくとも34・5の頃の私よりは若く見えるということになる。しかし、その頃すでにおそらく少なくとも10年はふけて見えていただろうから、差引き今は年相応より4〜5年は若く見えるという勘定になるわけである。ともかくこの2つの評価が丁度一致するから、まずこのあたりが私の今の顔付というものであろう。

     体力気力にしてもその当時のままだ。この夏、プール開きには若い連中にまじって対抗リレー競泳に1コース(といってただの20米だが)泳いだ。一番ビリであったことは申すまでもないが、練習もせずにやったんだから少しは威張ってもよかろう。山登りや遠足なら決しておくれはとらぬ(当り前のことだろうが)。言いにくいことだがあの方も少しも衰えはみえぬ。多くの老人にすすめて色々な点で若がえり効果はうたがいのないところであり、私の今までの体験(それも僅か4〜5年の内に起った変化である)からしても、長生きはともかくとして不老という点だけはまちがいないといってよいように思う。(25・10)


13. 緑葉の利用

    高梁保健所長 H.K. 

     戦局の深刻なる推移とともに窮迫を加えつゝあった食糧事情は、戦後帰還邦人による人口増加と相俟ち、一層その度を加えるであろう。これに対処する方策としては、消費の合理化により、極力食糧の節約を図るとともに、たヾ一図に増産に邁進することあるのみであり、目下国をあげて主食米麦はもとより、雑穀・豆・芋類等代用食品の増産に懸命の努力が捧げられている。が、不幸にして、本年度米作は甚だ不良であり、甘藷の成績も余り香しくないと聞いている。併合国側の理解ある措置により、若干の外来の輸入が許可された由であるが、もとより取るに足らぬもので、これで安心するが如きは禁物である。のみならず、これ等禾穀類・豆・芋類等は、栄養的には不完全なる食品であって、これにのみによっては真の健康は、これを保持し得るものでない。主食米麦並に代用食品に欠乏する優良蛋白質及び脂肪の給源としては、動物性食品に勝るものはないが、食料と同一の飼料を要する食肉用家畜の飼育は不経済極まる食糧の浪費であることは、先人の既に指摘せる所で、現下の如き食糧事情下にては厳に禁ずべく、専ら河海の魚介類・山野の鳥獣・昆虫類に依存すべきである。しかも、動物食はその全体(内臓・骨骼ともに)を用い得るもの及び乳汁の他は、何れも栄養的に完全なる食品ではない。

     果物・蔬菜(果・花・茎・根・葉菜)類は、主食または動物性食品に不足する成分(アルカリ・石灰・ビタミン等)の良供給源で、主食・動物食に劣らず重要な食品であり、これが充分なる補給によって、はじめて真の健康は約束される。しかも、その豊富なる摂取は主食の需要量を節減する能力があり、また、緑葉類はそれ自体完全なる食品で、必要なるすべての栄養素を有し、主食・動物食に不足する成分を補うのみならず、その蛋白質は肉類に匹敵する優秀性をしめし、これが摂取により動物食の必要はこれ無きこととなる等、現下の食糧事情下最も重要なる食品なのであるが、葉菜類はもとより一般蔬菜類も、耕作面積の減少、労力の不足、輸送難等のため、現在の如く極めて窮屈な状態にあるのはまことに憂慮にたえない。
     かかる主食の不足、蔬菜類の欠乏の解決に残された唯一の途は一般緑葉の利用である。蔬菜類の緑葉は勿論、栽培植物、山野自生草木を問わず、凡そ無毒なる緑葉はすべてこれを用い、軟きは惣菜に、堅きは生鮮汁または乾燥末として食用に供する。生鮮汁(緑葉汁・青汁)糞便汚染なき清潔なる緑葉を摺り鉢で摺り、搾り汁とし(汁少なき際は適宜清水を加う)、少量の油脂を加え、適宜調味し、そのまま、あるいは羹汁・乳汁等に加え用う。

     なお、この生鮮汁には極めて有力な治病効能があり、すべての疾患に応用される。乾燥末(緑葉末)生鮮緑葉を沸騰している熱湯に1〜2分間浸すか、あるいは急蒸ししたる後、乾燥し(製茶法に準ずる)、製粉(微細なる程可)。能うれば少量の油脂をしみこませておく(緑葉末油煉)。粉末にするから如何なる緑葉をも用い得られるし、乾燥してあるからよく長期間の貯蔵にたえる。製法は簡易で学童によってもよく製し得られる。飯に入れ穀粉に混じて主食の補助となし、また、惣菜に加え、あるいは適宜調味「ふりかけ」となし、蔬菜代用とする等、その用途は甚だ広い。

     本県の如く比較的一般食糧に恵まれた地方と雖も、やがて深刻なる食糧難に直面すべきは火を睹るよりも明であり、これが準備は一日も忽には出来ない。冬近い今日ではあるが、幸い殆んど無尽蔵とも称すべき甘藷葉があり、桑葉・里芋葉・茄子葉・大豆葉・南京豆その他雑木雑草類葉等、利用すべき緑葉はまだまだいくらでもある。この秋晴れの好期を逸せず乾燥緑葉の大量生産を図り、来るべき食糧難及び冬季の野菜不足にそなえ、以て戦後の食糧対策に万全を期さなければならぬ。(20・10)







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