遠藤語録文字 乾燥青汁ピロサンマーク
野菜のきらいな子

 野菜のきらいな子は、金持ちのひとり子とか、末っ子、またはお婆さん子といったものに多く、たいがいからだが弱いようです。
 おかずは美味しくたいた肉や魚か佃煮のようなものばかり。菓子をよく食べ、果物も余り好かぬ、というあんばいです。なんとか、この偏食を直そうとしても、もともと、あまやかされ、わがままに育っているので、親のいうことなど一向にきこうとしません。その上、親そのものも、余り野菜は好きでなかったりするので。
 医者のすすめや、マスコミの宣伝のままに、綜合ビタミンだ、ビタミン・ミネラル剤だと、あらゆる薬を試みます。わが国ほど、この種製薬業の盛んなところは、世界中どこにもないようですが全く、あびる程のんだり打ったりします。それでも、どうも、本当に丈夫にならぬばかりか、しだいに元気はなくなり、いつも蒼い顔をしており、疳癪ばかりが強くなります。
 ほとほと困じはてていた子供が、さいわい青汁給食をやっている学校に行きます。そして、いやいやながらでも青汁を飲み出します。そうすると、世にも不思議な現象が次々にあらわれて来ます。
 食欲がよくなります。好き嫌いがなくなり、菜っ葉でも果物でもよろこんで食べ出し、味もうすいものを好むようになり、肉や魚や菓子を、そう大して欲しがらなくなります。
 顔色はよくなり、体重がふえ、胸囲の発達したガッシリしたからだつきになります。性格は明朗となり、元気よくあばれ出しますが、ケガすることが却ってなくなります。落ちついて勉強するようになるので、学業の成績も上がります。
 子供の偏食ということには、もとより、生れだの、育ちだの、しつけだのが原因し、いろいろむつかしい児童心理学的の理窟もあるのでしょうが、これでみると、どうも、結局は不健康故ではないか、つまり、食欲がなくて、食べようにも食べられないためではないかと考えたくなります。ですから、原因が何であろうと、また、理窟はどうであろうと、ともかく、まず、からだの調子をよくしてやることが先決だという風に感じられます。
 ところで、このからだの調子も、生れつきということもないではないでしょうが、多くの場合、食べ方がまちがっているからです。
 白米飯に肉や魚をそえ、砂糖や菓子がすぎると、熱量や蛋白質は十分ですが、それがうまく始末されるために必要なビタミンやミネラルなどが不足し、代謝がうまく行きません。そこで調子は悪くなり、食欲もおちて来ます。「これではもっと弱くなり、病気するかも知れぬ」と、親たちは心配の余り、「食べないよりはマシだろう」と、味をよくした珍しい料理で気嫌をとり、好むままには、甘味の強い菓子を食べさせます。
 こうして、栄養はいよいよ偏り、からだの調子はますます悪くなるという悪循環をくりかえすことになります。「それでは、不足するというビタミンやミネラルを補えばよいことだ」と、むやみに薬を飲んだり注射してみるわけですが、それでも、やはり、まだダメなのです。
 それは、薬だけでは本当に完全な栄養にはなりにくい――薬の中に、まだ何か足らぬものがある――からです。自然の動物が自然のままに生活し健康であるように私ども人間も、自然から与えられたままを食うべき筈なのです。
 それを、いろいろと手を加え術を施して変質させたものばかり食い、そこに生じた欠陥を、やはり人間の手でつくった薬で埋め合そうとする――そこに無理があり、まちがいのもとがあるのです。何もかも自然のままであればもっとも理想的でしょうが、それは、とても出来ぬこととしても、せめて質のよい野菜だけでも、そのまま食べるべきです。そうすることによって、未知の、しかも大切な成分も、そろってとり入れられるので、本当に完全か、完全にちかい栄養とすることができるわけです。
 そして、事実、ほかのどんな方法でも得られなかった本当の健康が、それによってはじめてあたえられるのです。野菜のきらいな子供にも大人にも、本当の健康への途をきりひらくために、ともかく菜っ葉食を、またその一方便として、青汁をぜひすすめたいものです。
 初めは鼻をつままねば飲めぬかも知れません。また多少の口直しもあってよろしい。つづけているうちに次第になれ、らくに飲めるようになり、ついには、飲まずにはいられなくなります。そして、新鮮な「いき」のよい生菜っ葉のもつ、得もいわれぬ「うまさ」も、しだいにわかって来ます。そうしたら、もう、占めたものです。
 <(1963・4 遠藤)健康と青汁第80号より>




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