遠藤語録文字 乾燥青汁ピロサンマーク
食をへらす

 食欲がよいということはたしかに健康のしるしといってよいでしょう。しかし病気によっては、たとえば、ふとりすぎとか、高血圧、動脉硬化、糖尿病などといった、いわゆる成人病の類では、食欲がよい、ご飯がよく食べられるということは、必ずしもよろこばしいことではありません。いや、むしろ、実はそれが=食欲がよいということが病気そのものだ、ともいえます。
 それは、これらの病気が、まちがった、ご馳走の食べすぎの病気だ、といっても差支えないからです。だから、食をへらすことは、この際、もっとも大切なことです。いや、成人病ばかりではありません。今では、多くの病気(あるいは殆んどすべての病気)の食養生のかなめといえば、その予防にたいしても、治療にたいしても、結局、いかにして食をへらすか、ということにあるといってもよいでしょう。

 では、なぜ食べすぎるのでしょうか。それは、ながい間の習慣(いつも腹一杯たべるくせがついている)からでもありましょう。しかし、また、平素の食が栄養的にかたよった不完全食のためだ、ともいえましょう。栄養が不完全であれば、栄養分の利用がよくありません。そこで、うんと食べなければからだがもたぬからです。つまり、大食するのは、からだからの自然の要求だ、というわけです。
 ですから、食をへらすためには、まず完全食にすることです。そうして栄養分の利用がよくなれば、食にたいする欲求は、おのずとへり、少食ですむ筈です。たとえば、蛋白質は体力維持のために無くてはならぬもので、ふつう、体重1キロあたり1.2〜1.5グラムは必要とされています。しかし、それは、現在のような食構成(ビタミンやミネラルの甚しく不足した食)の場合でのことであって、良質野菜を十分に添え、ビタミン・ミネラルを十分に補給すれば、ずっと少くてよく、キロ当り0.5グラムでも十分だ、といいます。
 熱量また同様。ふつう体重1キロ当り40カロリー必要となっていますが、これまた、ビタミンやミネラルの少い、利用率のよくない食でのことで、野菜が十分でビタミン・ミネラルが豊富だと、キロ当り30カロリー、あるいは、もっと少くてもよい、といいます。

 だから、良質緑葉を主とした野菜類をうんと大量に配し、しかも、なるべく多くを生食し、食全体のバランスをとるようにすれば(緑葉食)、蛋白質も、カロリーも、遥かに少くてすむ、つまり少食ですむわけです。さて、食事の量をへらすにあたって、もっとも困難を感ずるのは、飽食のくせのついたものには、たとえそれが、いかに栄養的に完全であっても、腹ごたえがなく、腹もちが悪くては、気持のよい満腹感がえられないことです。
 そこで、覚悟はもちろん大切ですが、減食になっていながら、しかも十分に満腹感のえられるような食べ方の工夫が必要になります。そのためには、かさの大きい食べ物をなるべく多くすること、腹ごたえのよいものをえらぶこと、そして、よくかむことです。

    主食
     この観点からすると、白米飯は、栄養的に劣っている上に、腹ごたえがなく、軽いものだけに、つい食べすぎます。玄米はよいが、今では農薬(水銀)が心配。せめて半搗米というところですが、これでは、食べすぎの傾向は白米飯と大差がありません。で、米飯は、いっそのことやめるか、精々へらすことです。
     パン、ウドン、麦飯は栄養的にも、また、あまり食べすぎにならぬ点でも、白米飯よりはよろしい。黒パンなど、全粒ものは、なお結構です。さらによいのは、腹ごたえ、腹もちのよい点、また栄養の点でも、ずっとすぐれているソバ・マメ。そして、イモはもっともよろしい。
     そこで、主食としては、せめて雑穀、マメ。出来れば、むしろイモでも、なるべく食べすぎないこと。、なお脂肪を加えると、腹ごたえも腹もちもずっとよくなるので、ゴマ、ダイズあるいは植物油などをつとめて利用すべきです。

    蛋白食
     肉類は脂肪もあり、腹ごたえ腹もちもよろしいが、栄養的には劣っています。しかも、陸棲動物の脂肪は動脉硬化、ことに心臓の冠状動脉の変化をおこしやすい(海棲動物では、その心配はない)そうですから、肉類なら、やせ肉か、新鮮な魚介類とすべきです(もっとも、魚の脂肪は古くなると変質して有毒になるそうです)。
     卵はややよいが、脂肪、コレステロールにとんでいるので注意を要します。成分の点からも、よいのは全体(骨も内臓も)食べられる小魚類と大豆でしょう。

    野菜・果物
     かさばって消化の悪い、したがって腹ごたえがあり、腹もちもよい代表的なものは野菜、山菜、野草、海藻、果物の類です。なかでも良質菜っ葉類、ことに、その生食は、満腹感がえやすいばかりでなく、栄養のバランスをとる上からも、なるべく十分とらなければなりません。

よくかむこと
 また、満腹感は胃の充満度によります。かさの高い食物が好まれるのもそのためですし、脂肪の好まれるのも、胃中の停滞時間がながいからです。よくかむのもその一つ。よくかむと唾液がよく出るし、胃液の出もよろしい。胃の容積は、その人々によって、一定していますから、よくかむことだけでも、相当の満腹感がえられるわけです。

イモ・マメ・ナッパ食
 つまり、減食するには、主食は、米よりは麦、雑穀、ソバ、マメなど。もっとよいのはイモ。蛋白食は、肉、卵。あるいは、むしろ小魚や大豆。そして、良質菜っ葉をうんと。それも、なるべく生で食べ、青汁にして飲み、粉末も利用すること。極端にいえば、イモ、マメ、ナッパを中心にした食が理想的だ、というわけです。
 これをよくかんで食べ、それでもひもじければ、果物、人参、トマトでまぎらす。このようにすれば、十分満腹しても、実際には、そう食べてはいないし、八分目に食べればなお結構。そしてバランスは完全にとれています。

我慢できるか
 けれども、うまいものを腹一杯たべたいのは人情です。そうした、まずいものばかり食べて、はたして満足できるだろうか、という疑問がおきるのも当然です。が、それが何の不思議もなく実行できます。いや実行されているのですから、奇妙といえば奇妙です。それは、緑葉食・青汁に徹してみなければわからぬでしょうが、ともかく、これを続けていると、何を食ってもうまくなります。したがって、白米飯や肉、魚、卵をやめて、イモ、マメ、ナッパばかりにしても、結構おいしい。いや、これほどおいしいものはない、とさえ感じられるほどになるのですから、こうした食べ方に切り換えることも、少しも苦痛ではないし、分量は僅かでも、少しもひもじさを感じません。

 だいたい、空腹感というものは、食べ方(量および質)によっても、大いにちがいます。「食は食うにまさる」といわれる通り、大食のくせがつくと、いよいよ食いたくなります。しかもそれは、そういう習慣(いつも腹一杯たべなければ我慢できぬという)からだけではなく、また、消化力がとくによいからだけでもありません。
 大食するには、どうしても、消化のよい、そして、うまいものになります。そういう食が、不完全で、飽食しなければからだがもたぬからでもあることは、まえに述べた通りです。そしてまた、そうした不完全食では、異常に食欲が旺盛になるようです。
 動物に不完全な食をあたえると、彼らは、不足している成分にたいして異常に強い食欲を生じ、本能的にそれら不足分にとんでいるものを、貪り食べようとします。しかし、人間には、そうした目的にかなった、正しい本能は全くなくなり(もとはあったのでしょうが)、不定の、食不足感(つまり飢餓感)だけしか起きないとみえ、食への際限のない欲求となり、むしょうに食べたがるようになるもののようです。
 このよい例は農繁期の農家の食べ方。白米飯に沢庵や佃煮をそえて、一日5−6回、あるいは、それ以上も、腹一杯、一日5合も1升もの米を食べ、それでもまだ、腹が減ってたまらぬ、といっている、あれです。

 ところが、菜っ葉をしっかり食べると、1日3合たらずの米飯でも、むやみに腹はへらず、少くとも、辛抱できないほどのひどい空腹感はなくなり、しかも、それで、十分活動でき、農繁期の労働にもよく堪えられることは、私自身も経験しています。
 これは、食が完全となり、必要なすべての栄養素が十分みたされるため、からだの方からの、余分の食への要求がなくなる結果だと、解釈してよいのではないでしょうか。それはともかく、イモ・マメ・ナッパといった徹底した完全食はもちろん、少くとも緑葉食・青汁による完全食では、ふつうよりはずっと少量の食でも十分からだがもち(毎回7〜8杯もの飯を食っていたのが、2〜3杯ですむようになる)それで、結構、我慢出来るようになります。いや、我慢できるようになるのではなく、それで、十分、満足できるようになるのです。

<(1967・7 遠藤)健康と青汁第131号より>




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