遠藤語録文字 乾燥青汁ピロサンマーク
 酒の飲みかた

 酒がいろいろの病気のもとになること、また、よくないことはよく知られています。しかし、あのうまい酒がどうして、それほど悪いものなのでしょうか。
 酒の主な成分はアルコールです。酒の害も、いろいろ混在しているものや、添加物によるところがないではないのですが、主なものは、やはりアルコールです。アルコールは、直接、食道や胃や腸を刺戟し、ながい間には、慢性の炎症をおこし、消化機能をよわめ、ついには潰瘍や癌の原因にもなります。吸収されたアルコールは肝臓におくられ、そこで分解、解毒され、分解産物は主として腎臓や肺から出されるのですが、もちろんその能力には限度があるので、量がすぎれば、十分分解されないものや、アルコールそのままがからだ中をめぐり、急性中毒、泥酔や二日酔、はなはだしくは急死することもあります。
 慢性には、肝臓、腎臓、血管、心臓その他全身いたるところに、大なり小なりの障害をあたえます。
 また酒は、栄養的には熱量源(アルコールと糖分)だけで、それらの体内処理になくてはならぬビタミンやミネラルなどは殆んど含まれていません。つまり、酒は白米(これも熱量源が主で、釣り合うべきビタミンやミネラルも少い)よりも、なお不完全な食品です。そこで、酒がすぎると、白米飯の偏った食べすぎと同じか、あるいはより一層悪いことになります。そのうえ、大酒家では、胃腸や肝臓の機能が衰えており、大切な栄養素の吸収、利用がよくないので、さらに栄養のバランスをみだしやすいわけです。こうしたことがらが重なり合っていろいろの臓器にいろいろの変化をまねき、動脉硬化だの高血圧、肝炎や肝硬変、腎炎、糖尿病、癌などといった厄介な病気のもとにもなります。
 だから、酒は飲まぬのが最上。それにこしたことはありません。しかし、それは少々窮屈すぎるし、まるで飲めぬのもいささか淋しい。とはいっても、うっかり過してからだをこわしてはつまらぬ。どうしても飲むとなれば害のない飲み方、つまり毒消し法の工夫が望ましいわけです。
 それには、まず、酒の質を吟味し、有害な混り物や添加物のない純良酒にすること。また、なるべくアルコール分の少い、弱い酒にするか、強いものは、水やソーダ水で割って飲むこと。グイ飲みせず、ゆっくり味わい、時間をかけて飲むこと。
 次に、アルコールの解毒は肝臓で行われるのであり、肝臓のはたらきさえ十分よければ、その害を減らすこと、さけることも出来るのだから、平素から完全食――良質蛋白質にとみ、ビタミンやミネラルに十分余裕のある、また農薬の汚染や有害添加物のない純正食品ばかりからなる、緑葉食・青汁を中心とした食――をとり、つねに肝臓のはたらきをよくし、巾の広い抵抗力をもたし余力をたくわえておくこと。
 なお、アルコールの分解には、B群ビタミン、ことにB2、B6などが関係するので、とりわけそれらにとむものを、なるべく多くとるよう心懸ける。昔から、そういったものが酒の肴として愛好されているのも、経験かおしえた知恵というものでもありましょう。酒盗といわれるウニ、コノワタ、ウルカ、カツオノシオカラの類は、いずれも内臓で、良質蛋白質のほか、ビタミンことにB群が多い。



 ナッパの酢のものの好まれるのも同様で、栄養バランスをとるため必要な成分がすべて備っています。実際、宴会のときなど、青汁をうんと飲んでおくと少しも酔わぬし、二日酔などといったこともなくなることは、青汁愛好家はたいてい経験されているでしょう。酔さましに抹茶といわれているのも同じ理窟。ともかく、こういう飲み方をすれば少々の酒は差支ないわけです。
 さて、では適量はどれほどか。理窟からいえば、肝臓の解毒能の範囲内にとどめらればよいということですが、それは酒にもより、人にもより、また説もまちまちです。酒好きの説が寛大であり、酒嫌いのが厳格なのは止むを得ぬとして、大体の目安は、昔からいう「酒は微酔にのむ」というところ。日本酒で1合(ビールで1本、ウィスキー40―50cc)までといわれているようです。しかし、まず、5勺までは薬、1合以上は毒とするのが適当ではないか、と私は思います。なお、酒1合の熱量は、およそ白米飯かるく1杯にあたるので、5勺なら飯半杯、1合なら1杯をへらせば、いっそう合理的というわけです。
 これで面白いのはネズミの飲み方。ネズミに、実験的に、アルコールを入れた飲み水をあたえると、やつらは、そのアルコール分に相当するだけ、他のカロリー源をへらして食べるそうです。
 万物の霊長と誇る人間は、しかし、飲みだすと制止がきかず、とかく分量をすごし、しだいに強いものをやり出します。そのうえ、1杯やると食がすすむとて、栄養的にひどく偏った飯を多く食い、同じく不完全な肉や魚や卵やチーズなど、むやみに食いまくる。そして、肝臓や、腎臓や、血管や、心臓を悪くして、いまさらのように天を恨むのだが、けっして、それは酒だけの責任ではありません。
 酒がよくないのは、強い酒をガブ飲みしたり、飲みすぎる点にも、確かにあるが、も一つは酒ばかり飲んで、あるいは、酒と同じく不完全な飯や肉類ばかりを食べすぎて、つまり、蛋白質、脂肪、澱粉、糖などの熱量源ばかりとりすぎて、それらに釣り合わねばならぬビタミンやミネラルなど、毒消し成分がないか、余りに少なすぎるからです。ですから、食全体としてよく調和がとれ、しかも、良質蛋白質だけでなく、ビタミンにもミネラルにも十分余裕のある食べ方で、許される範囲内の酒ならば、毎日のたのしい晩酌まことに結構でしょうし、たまには羽目をはずして痛飲しても、そう大して害はあるまいというものです。また老人にも病人にもよいでしょう。
 しかし、それは、あくまで、それだけの条件のみたされての上での話であって、ただ少々のナッパを食べ青汁を飲んでさえいれば、それで、いくら飲んでもよいというものでは断じてありません。このことは、もとより、ひとり酒だけのことではなく、すべて、よいの、悪いのといっても、要は摂り方しだいです。いかに良いものでも過ぎれば悪い。いかに悪いものでも――毒薬でも、とり方さえ正しければ良薬にもなるたとえの通り。酒とても全くそれと同じ。百薬の長と礼讃されているのも、百毒の長とおそれられるのも、つまりは飲みかたしだいというものです。




天若し酒を愛せずんば酒星天に在らず
地若し酒を愛せずんば地に酒泉なかるべし
天地既に酒を愛す酒を愛するは天に愧ぢず
已に開く清は聖に比すと復道ふ濁は賢の如しと
聖賢既に已に飲む何ぞ必ずしも神仙を求めん
三杯大道に通じ一斗自然に合す
但酒中の趣を得て醒者の為に伝ふこと勿れ
                (李白)



大宰師 大伴卿の酒を讃め給ふ歌
験なき物を思はずは1坏の濁れる酒を飲むべくあらし
酒の名を聖と負せし古の大き聖の言の宜しさ
古の七の賢しき人等も欲りせし物は酒にしあらし
賢しみと物言はむよは酒飲みて酔哭するし益りたるらし
言はむ術為む術知らに極まりて貴き物は酒にしあらし
中々に人とあらずは酒壷に成りてしかも酒に染みなむ
あな醜く賢しらをすと酒飲まぬ人を能く見は猿にかも似む
価無き宝といふとも一坏の濁れる酒に豈益らめや
夜光る玉といふとも酒のみを情を遣るに豈如かめやも
世の中の遊の道に洽きは酔哭するにありぬべからし
今代にし楽しくあらば来ぬ世には虫にも鳥にも吾はならなむ
生るれば遂にも死ぬるものにあれば今生なる間は楽しくあらな
黙然居りて賢しらするは酒飲みて酔哭するになほ如かずけり
                 (万葉集)



飲酒十徳
礼を正し、労をいとひ、憂をわすれ、
鬱をひらき、気をめぐらし、病をさけ、
毒を解し、人と親しみ、縁をむすび、
人寿を延ぶ。
       (柳沢淇園 雲萍雑誌)



六失
酒に六種の失あり。一には財を失ひ、
二には病多く、三には闘諍を好み、
四には悪名流布し、五には恚怒暴力を生じ、
六には智慧日に損ず。
              (長阿含経)

<(1967・1 遠藤)健康と青汁第125号より>




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