遠藤語録文字 乾燥青汁ピロサンマーク
健康灸・灸


 
1.  健康灸

 いぜんは健康のために、よく灸をすえた。医学が幼稚だった当時としては、そうでもして、自分の健康は自分でまもるほかなかったからだ。
 まずチリゲ。身柱といって、胸椎の突起のところにある点の灸。2才ではじめ、その後は2日灸といって、毎年、2月2日と8月2日にすえることになっていた。

 2月2日はうそのつきぞめ。
 見世に出る年までちりげすえてやり (川柳)

で、年頃になるまでつづけた。

 それから三里の灸。
 これは、ツボが膝の下なので、てきぎ自分でやった。つれつれ草に、「40以後の人、身に灸を加へて三里を焼かざれば上気の事あり。必ず灸すべし。」とあるとおり。天保15年、永代橋渡りぞめをつとめた、三河国の百姓満平の長寿法は、「腹八分目、井戸水をのむこと。そして、三里の灸」だったという。
 また、慶長2年、幕府から出た奨励の触れ書にあるのも三里だ。曰く、
 「春秋に灸をすえ、患ひせぬやうに心懸くべし。なるほど作業に精を入れたく存じ候へども、患ひ所より、其の年の作を外し、身上つぶし申すべく候間、その心得第一なり。女房子供も同然の事」。

 灸の効果は、火熱そのものの刺戟作用、破壊された組織から出る、いわゆる組織ホルモン、あるいは、いくぶんか吸収される艾の成分、などによる。全身にたいする刺戟(非特異刺戟)で、神経系、内分泌系をはじめ、すべての臓器、組織の機能がたかめられる。
 そして、一般抵抗をつよめ、細菌の感染や、今でいう成人病の予防に役立てようとしたわけだが、灸の効には、その他、あの熱さを、歯を喰いしばってガマンすることの、精神的のものも無視はできまい。
 私など、子供のころ、からだがよわい上に、癇がつよかったのと、寝小便ぐせがあったので、チリゲや腰に、ずいぶん「お灸」をいただいた。高校から大学にかけてはノイローゼ気味だったのと、その後もながく健康に自信がなかったので、よく三里を焼いたが、健康上の効果はもとより、我慢つよさの訓練には大いになったように思う。
 チリゲは、場所がら、手軽に自分でやるわけにゆかぬし、洋装の女性では灸痕が気になろうが、三里はさほど目立たないし、1人でらくにやれるところだから、これくらいはやってもよいのではないか。

 この節の子供たちは、あらゆる点で、あまりにもあまやかされすぎ、身体的にも精神的にも「灸」の味を知らずにそだてられているが、はたして、ながい人生にとってしあわせであろうかと、ふと、灸にたいする郷愁のようなものが感じられる。

(1974・2:遠藤仁郎)<健康と青汁210号より>

 
2. 灸

 灸の効果には、局所的のもの、反射的のもの、全身的のもの、とがある。

 局所的の効果
 熱作用と、破壊分解産物(組織ホルモン)の作用とで、局所の血管が拡張し、血行がよくなり、物質代謝がさかんになって、老廃物を除き、疲労を恢復し、炎症を緩和する。
 コリや痛みによいのはそのため。
 外傷や化膿症などにも応用される。
 平家物語に、宇治川の合戦で負傷した筒井浄妙が、平等院に入って、手負したところを灸治した、と出ている。

 反射的の効果
 内臓に病変があると、反射的に、皮膚が過敏になったり、筋肉がこり、あるいは痛む(反射点)。
 この反射点を焼くと、逆に内臓へ影響する。
 たとえば、胃癌ではミゾオチに、胆石痛では背中に灸して、その痛みがやわらげられたり、なくなる。
 それぞれの臓器に特有の反射点(ツボ、灸穴)があるので、そこへすえるわけだ。
 しかし、「身の内、何れの処にても、灸穴にかかはらず、おしてみるに、つよく痛む所あり。是、その灸すべき穴なり。是を阿是の穴といふ」(養生訓)。
 おさえてみて快痛をおぼえる、つまり、反射的にコリとしてあらわれているところへ灸すれば、そのもとの病気にきく、というわけだ。

 全身的の効果
 火熱そのものの刺戟、組織ホルモン、あるいは、艾の成分(漆灸、味噌灸、蒜灸、枇杷葉灸などではそれらの成分も)の作用、および灸瘡からの膿(分泌物)とりの浄血作用などによる全身的の効果。つまり、非特異刺戟作用で、神経系、内分泌系をはじめ、すべての臓器、組織に、複雑な影響をあたえる。
 そして、刺戟が適度であれば、気分爽快、食欲すすみ、元気を増し、抵抗力をたかめ、病気の治りをたすける。
 しかし、度がすぎると、全身の倦怠、あるいは発熱、食欲不振、下痢など、いわゆる「動じ」反応がおこり、病気の治りにたいし、かえって不利にはたらく。
 そこで、体質、体力、年令、病状に応ずる灸火の大小、灸数(壮数という)の加減が大切。
 だいたいからいって、体力・気力の旺盛なもの、栄養・血色のよい、いわゆる血の濁りのつよい、漢方の「実証」のものに適しており、少々出鱈目にやってもよい。
 けれども、「虚証」者、衰弱していたり、虚弱なもの、ことに、神経質なものには、むやみにやるべきではないし、刺戟の強さ(灸火の大小、壮数の多少)にも十分慎重でなければならない。
 「病の軽重によって多少の差あり、其の度に適するを要す。
 又、元気弱き者には、仮令、五六十壮とあるも、七八壮にて然るべし。
 或は、急病ならば、七八壮とありても、五六十壮も可なり。
 凡そ、灸書に記する壮数は壮者に行ふべき大法を示すのみ。定まる法に非ず」(一抱子)。
 といったぐあいだ。

(1974・2:遠藤仁郎)<健康と青汁210号より>




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