遠藤語録文字 乾燥青汁ピロサンマーク
農村の不健康化

 埃り、煤煙、排気ガス、たちこめるスモッグのうずまく都会。
 そこには、太陽の恵みも、空気の恵みもない。
 家はたちこみ、路は鋪装され、恵みの土の一かけらもない。
 まこと、すべての自然の恵みから見放された都会。
 食べものは、すべて、遠方からはこばれて来た、時間のたったもの、加工したもの、貯蔵したものばかり。
 街は車の洪水、危険この上ない交通戦争のルツボのまっただ中。騒音とはげしい生存競争に、神経はいやが上にもいらだち、身も心もくたくたに疲れ、すりへらされてゆく日々の連続。まこと人生の墓場。

 それにひきかえ、田舎には、澄みきった空、かがやく太陽。きれいな空気と水。緑の大地。新鮮な食物。
 自然の、太陽・大気・大地の恵みがいっぱい。
 都会でくたびれきった人々の、本当の憩いのふるさとであり、健康そのものの郷土です――少くとも、いぜんの田舎はそうでした。

 それが、はたして今はどうでしょうか。

 私の郷里は山の中の小さい村です。
 道路がよくなり、車の往来は確かにふえ、いくぶん騒がしくはなっていますが、山も野もあくまで緑。太陽はあかるいし、空気も水も澄んでいます。しかし、農薬は容赦なく散布されます。
 それも、手撒きのころには、汚染区域はごく限られた範囲に止っていましたが、ポンプになり、ついにはヘリコプターにもなった今では、あたり一面、所きらわず毒ガスの洗礼をうけます。
 この農薬は、水にとけて溝にはいり、井戸にしみ出し、川に流れこみます。
 また、何もかも洗剤で洗うようになってしまっていますが、その流し水また同様、溝にはいり、井戸にしみ出し、川に流れます。
 そして、セミの声は相変らずのようですが、秋の野の虫の音は確かに少くなっています。
 水に育つトンボの姿ともなれば、本当にたまにしか見かけないし、ホタルはすっかり減ってしまいました。  川の魚も減り、アユやコイは殆んど獲れなくなったし、田甫には、あれほど沢山いたイナゴは全然見あたらず、田ニシもいません。
 畑の土は、化学肥料でかたく痩せてしまってしまい、ミミズ一つ見かけられません。

 私どもが子供のころの農家は、朝まだ暗いうちから山に出かけてシバを刈り、牛や馬に踏ませて、よく肥えた堆肥にし、これを、水田にも畑にもうんと入れました。田甫には、フナやドジョウや田ニシがいっぱいいたし、畑には、指のようによく肥ったミミズが沢山いました。そして、危険な農薬一つつかわず、米も、麦も、野菜も十分にとれ、おいしい、しかも、本当に健康な田舎の食べものでした。
 そのころ村の食料品店といえば、塩、醤油、酢、揚げ物用の種油、海藻や魚の塩物、乾物を売る店が1軒と、豆腐屋が1軒あっただけでした。

 それが今では、魚屋が出来、菓子屋や食料品店が2、3軒あり、醤油、ソウス、マヨネーズ、ケチャップなどはもとより、ミソや漬物といった、昔なら当然自分の家でつくったものまで。いやいやどうして、いくらでも作れる筈の野菜類までもが、店さきに並んでいます。そして、もとの野菜畑は、養鶏場になったり、ブドウやモモ畑、あるいは花作りか、荒れ放題に雑草が繁っています。家はこざっぱりして来ていますし、ラジオ、テレビ(カラーさえも)、ミシンはいわずもがな、電気洗濯器、電気冷蔵器、自家用車のないうちはないといったぐあいです。

 いかにも生活は豊かになり、都会風になっており、私ども給料くらしよりは、ずっと裕福そうです。
 食べ物には動物食品がふえています。
 魚屋の繁昌していること、養鶏のさかんになっていること、食料品店に肉や魚の缶詰やチーズ・ハム・ソーセージの多いことからも、それは想像できます。これは、当局が動物食をすすめている結果で、まことに結構というものでもありましょう。けれども、もともと動物食は主食の米をへらすためなのですが、はたして、米はどうなっているか。調べてみたわけではないが、私には、どうも、むしろ逆にふえているのではなかろうかと感じられます。それは、精白米飯を十分たべているし、餅も、昔ほどではないにしても、おそらく、ことある毎に搗いているだろうと思われるからです。そして、それだけに野菜ことに良質菜っ葉が少くなっています。野菜や漬物までもが、食料品店にたよっていること、野菜畑が少くなり、荒れていることからも、これはまず間違いないでしょう。

 また間食でも、私どもが子供のころには、山野の木の実・草の実、葉・根をかじったし、家でつくるものも、イモ、マメ、麦、屑米からつくったもの、あるいはコンブ。菓子屋のものも、ケシ板という麦菓子や、黒砂糖の塊や鉄砲玉。飲みものはラムネ、ミカン水がせいぜいで、サイダーは余ほどの贅沢品でした。
 今ではみんな菓子。キャラメル、キャンデー、チョコレート、カステラ、ケーキとなり、豊作の柿は枝のまま残っており、子供たちは見向きもしません。飲みものは、サイダー、ジュース類。コーラ、アイスクリン、アイスキャンデーといったぐあい。

 当局は、これを、わが食生活の欧米化だの、向上だと歓迎しているようです。
 しかし、こうした食が熱量、蛋白質にのみ富んで、ミネラル、ビタミン類の甚しく不足した不完全食であることは免れませんし、日常食品にしても、間食品にしても、大部分が既成食品であり、有害有毒な添加物の危険があるかも知れないものであることも、注目されねばなりせん。
 そしてまた、高血圧、動脈硬化、糖尿病、癌などの成人病。肝疾、腎疾、胃潰瘍と、名のつく病人が都会なみ、いや、むしろ都会以上に多くないている事実をみのがしてはなりません。

 若いものはドンドン町に出る、人口はへり、主人も働きに出かけ、留守をまもるのは主婦と老人と子供。農耕の機械化、肥料の化学化は止むを得ず、それでも労働の過重はさけられません。その手不足はインスタント食の利用を増し、食はますます不完全化し、不安全化します。それは、まるで、潤沢油の切れた様械を無理矢理に動かしているようなもの。農民病があらわれ、成人病が多いのも、農薬・洗剤・加工食品の乱用で肝や腎の悪くなるのも、癌がふえて来たのも、少しも不思議ではないでしょう。

 これが、今の農村が不健康化している根本の原因ではないか、と私は考えます。
 室鳩巣(江戸中期の儒学者)は、「つらつら古今を考るに、上代は格別にて候。後世に至っては、郡県の風市朝に移るはよく、市朝の風郡県に移るはあしし」といっていますが、今の日本が、そして将来の日本が、私には本当に案じられてなりません。

<(1968・4 遠藤)健康と青汁第140号より>




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