遠藤語録文字 乾燥青汁ピロサンマーク
 かみ方のよしあし

 食べ方で大切なことの一つはかみ方。健康になるために、完全食が必要であり、正しい食構成がやかましくいわれています。しかし、たとえ食構成はうまく組み合わされていても、それが本当に完全な食となるには、食べたもののすべての栄養分が吸収されることが前提です。
 けれども、食物の栄養分は、ただ、それを食べさえすればよいのではなく、その食べものが、よく消化され、吸収されなければなりません。したがって、かみ方のよしあしが、完全食になるか、ならぬかをきめるわけだし、かむかかまぬかが、健康になるか、不健康になるかのわかれ途だ、ともいえるわけです。
 よくかむと、食物は細かくくだかれ、唾液とよく混ざるばかりでなく、胃液や腸の消化液の出もよくなるので、すべての栄養分がよく消化され、よく吸収されます。つまり、食物の利用率がよくなるので、いきおい、食物は少量で足ることになります。それは、よくかむと、食べものの嵩がふえる上に、反射的に分泌される胃液の量が、荒がみの場合に比べ、遙かに多いので、満腹感が得られやすいこと等も手伝い、確かに食量が少くなるものです。
 誰れも彼れも弁当箱をもってあるいていた、戦時中から戦後にかけての汽車の中などでよく見かけたことですが、大きい弁当箱をもっている人は、きまってかみ方が悪いし、小さい弁当箱の人はよくかんで食べていました。
 主食の米についてみると、かみ方がよいのと悪いのとでは、吸収率に5%くらいの差があるらしいが、たとえ、それが3%としても、全国の産額5千万石にすれば150万石の節約。いいかえれば、150万石の増産になる、と戦時中大いに咀嚼運動を力説した人もあったほどです。
 それはともかく、それだけ胃腸のうける負担は軽いし、かたい繊維や、砂や、金属片、ガラス片などの異物、あるいは、刺戟の強いもの、冷たすぎ、熱すぎるものなどの害もさけることが出来るから、胃腸は健康になり、病気から守られるというわけ。
 ところが、荒がみだと、食べものの消化も吸収も不十分で、栄養分のすたりが多いので、どうしても、うんと食べなければ十分の栄養がとれず、また、胃液の出方も十分でなく、腹ごたえが少いため、つい食べすぎにもなります。
 それに、かたい繊維や、異物、刺戟の強いもの、過冷過熱食などの害もうけやすい。それだけに、胃腸をいためる機会も多いわけだし、実際、荒がみの大食いには胃腸病が多いものです。
 いや、それだけではありません。かみ方が悪いと、食べものによっては栄養分の吸収に大きい差が出来る結果、全体として不完全食になりやすい。それは、軟くたいた白米飯や、肉類や卵などだと、さほどかまなくても結構消化するが、粗い繊維の多い野菜や海藻や果物では、よほど丁寧にかみつぶさなければ、その栄養分は吸収されないからです。
 つまり、飯や肉、卵からの糖質・蛋白質・脂肪などは吸収されるが、野菜・海藻・果物に多いミネラルやビタミンは、ともすれば、素通りして、すたってしまうために、もともと完全食になるような食構成であっても、結果としては、熱量・蛋白質ばかりに、ひどく偏った食になってしまいます。その上、荒がみの大食で胃腸の働きが悪くなっているため消化吸収能も衰えているので、栄養分の利用率が下っており、一層、不完全度は甚しくなり、いろいろ全身的の病気を原因することにもなります。

 さて、一体、なぜ荒がみになるのか。仕事が忙しくて落ちついて食べられぬ、という人もあります。けれども、よく注意してみていると、なるほど食事はガツガツやっているが、後で、ゆっくりタバコをすい、駄弁っていることが少くないようです。いかによくかんでも高々30分。大抵は15分か20分。これだけの時間がとれぬほど忙しい人は、そうそうはない筈です。
 それに、食事の時間というものは、決して、そうきちんと決めなくてはならぬものではない。ひまになってから食べればよいのですから、ゆっくり時間をとって、十分かんで食べたいものです。昔の大工や左官など徒第制度の職人の仲間では、親方よりおくれて食べはじめ早く食べ終らねばならぬ、というきびしいオキテがありました。
 そうして、馴されて早飯になっている親方より、早くしかも十分食べるには、どうしても荒がみ、いや、ろくろくかまずに流しこむようになるので、胃や腸の病気が多かったものです。今ではもう、そうした悪習はなくなっているでしょうが、もし、まだ残っているとしても、その許された時間内に、よくかんで食べられるだけの分量を食べておけばよいのです。
 そのようにして、93−4まで、健康で長生きした棟梁を私は知っています。茶漬けや汁かけから、流しこむクセがつくのもあります。そこで、「朝飯の掛汁は親不孝」とか、「朝飯に汁(茶)をかけて食うと出世せぬ」などといわれたのでしょう。
 が、これとても、汁と一緒にはかみにくいが、汁だけ先に飲み、後でかめば決してかみにくいことはありません。ながくかむとまずくなるから、というのもあります。これは、付け味が濃厚すぎるからです。うす味とするか、付け味なしにする。
 すべてのものには、そのもの本来の味があり、かみしめるほどおいしいものです。中には、胃腸を鍛えるために丸呑みするといい、また、それをすすめる人もあるようです。しかし、それが習慣になることは、どうみても感心出来ることではありません。「胃には歯がない」ということを忘れてもらいたくありません。
 さてそれでは、一体、どれくらいかめばよいか。グラッドストーンは、一口32回といっています。人間の歯は普通32本だから、一本一本の歯に一回はかませろ、とでもいうんでしょうか。フレッチャーは、舌にさわるものがなくなり、呑みこむのでなく、自然とのどに流れこむまでかめという。
 私が試してみたところでは、そこまでかむには、少くとも一口80回から100回はかかる。なお、飯やパンやおかずなどの固形食ばかりではない、粥や粥状にした副食物もかまねばなりません。
 大体、胃や腸が悪いから、弱いから、粥にする、ということからして、すでにまちがいだ。それは結局、横着もののいい分で、かむのが嫌だからです。よくかみさえすれば――オモユになる位までかむなら、カタ飯でもコワ飯でも、少しも差支はない筈。オモユでも、乳でも同じだし、いや、水でもやはりよくかんで、唾をよくまぜて飲め、と昔からいいます。
 ただし、水には澱粉があるわけではないから、唾液をまぜて、どれだけの利益があるか、理屈ではちょっとのみこみかねるが、何かまだわかっていない理由があるのかも知れません。毒ウイスキー、毒ブドウ酒だの毒ジュースだのの事件がおきたり、うっかり間違えて有害物を呑むことがないとはいえぬ物騒な世の中のことです。水だとてガブ飲みにするのは考え物。こうした場合でも、一口づつ、かみしめて飲んでいれば、あるいは、何か異常を感じ、うかつにしてやられるようなこともないでしょう。
<1968・1 健康と青汁 第137号より>




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