遠藤語録文字 乾燥青汁ピロサンマーク
ふとりたい人に
 青汁をやるとふとる、というので、のみづらいのを我慢してつづけてみたが、一向にふとらぬ。どうしたらふとるだろうか、という質問をよくうけます。自分のみすぼらしいからだをみ、ふとった人の堂々とした姿をみるにつけ、ヤセの唯一の願望は、ふとることだ、といってもよいかも知れません。
 私も、実は、そうでした。私は、もともと、やせすぎで、身長は170センチちかくあるのに、体重は、ふつう、わずか52−53キロ、という貧弱さです。どんなにか、ふとりたいと、思いつづけたことでしょうか。そして、実際、ずいぶんいろいろのことをやってもみました。

 それでも、高校時代、スペイン風をやったあと、ながく熱がとれず、入院したことがありますが、その恢復期に、食欲はすこぶる旺盛で、ねていて、食ってばかりいたので、退院時には裕に60キロになっていました。
 また、戦時中、陸軍病院に勤務していたとき、兵隊ボケに頭はボケてくるし、食物は十分というわけか、このときも60キロ以上にもなりました。ですから、ヤセだちのものでも、なまけて、大いに食っていれば、ふとることだけは確かにふとります。
 しかし、こうしてふとることが、はたしてよいことかどうか、となると、話はおのずから別です。

 ウンと食うとなると、どうしてもご馳走になります。主食は白米飯か白パン、砂糖をしっかりつかって、濃い味をつけた、うまい添えもの。酒ものめば、菓子も食う、という塩梅になりがち。こうなると、栄養のバランスはひどく乱れてくるので、決して、それが、本当に健康的なふとり方であろう筈がありません。

 そのよい例は結核食です。結核には栄養食と、以前から相場がきまっています。今では、よほど合理化されましたが、それでもやはり高蛋白、高熱量食が行われ、ふとりさえすればよいかのように誤解されています。
 それも、若い人には、まだよいかも知れません。けれども、この節のように、老人結核が多くなってくると、兎も角食え、ともかくふとれと、所謂栄養食という不完全な高熱量・高蛋白食を、遠慮なくとっていると、とんでもないことになりかねません。
 恰幅はよくなり、いかにも元気そうにみえて来、結核も確かによくなるでしょうが、血管は容赦なく変性の速度をはやめます。そして、結核はよくなったが、心臓がどうも、ということになったり、結核は治って退院したが、まもなく卒中でやられた、などということは、決して、そう珍らしいことでないのです。

 ですから、スポーツマンや昔の軍隊のように、大いに食いもするが、同時に大いに運動する、そして筋肉をふとらせた、ほんとのカタブトリであればともかく、ただ脂肪だけをつけるふとり方の場合は、むしろ弊害を伴うおそれが多分にあるわけです。
 こうした意味あいから、昔からいう通り、ヤセにはやせが自然なので、ふとるのは不自然だということ。
 また、やせているから不健康なのでもなし、ふとっているから健康なのでもない。
 つまり、からだの太さと健康とは並行するものではないということ。やせていても、働らけさえすれば、それでよいのだし、まけ惜しみではないが、ふとっているものよりも、やせている方が長生きする率が多く、高血圧、動脉硬化、糖尿病などといった、所謂成人病についても「分」がよいんだということ。
 したがって、もって生れた素質にすなおに従うのがもっとも賢明だ、ということをよく理解しておきたいものです。

 しかし、それでもなおふとりたいならば、ナッパを十分添えた完全食を多い目に食べ、青汁をのみ、適度の運動と十分の休養、そして、いらぬ取越し苦労をせず、いつも心ゆたかにおだやかに暮すことです。
 なお、原因になっている病気があれば、これに対する治療を怠ってならぬことはいうまでもありません。
 また、たとえ調子よくふとり出しても、理想体重に近づけば、こんどは、それ以上ふとりすぎて、折角、神さまからいただいているよい素質をなくさないように、うまくコントロールすることを忘れてはなりません。
<1963・2 健康と青汁 第78号より>




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