アシタバ |
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アシタクサ、明旦草。此草、日暮に子を蒔く時は、晨に芽を生ず。故にアシタ草という。(大言海) 牧野博士によれば、「明日葉にて、今日、其葉を切り採るも、其株強壮にして、明日直ちに萌出するの意」だという。伊豆、八丈島、その他暖地に産する撒形科植物。 このアシタバの種子を、伊豆大島の服部一郎氏からいただいたのは、もうかれこれ10年以上も前の秋のこと。指示どおり、すぐ播いてみたが、一向に芽の出る様子もない。気候のちがう私どもの所では無理なのだろう、となかばあきらめていたが、翌春になって、ミツバに似て大型の、見なれぬ草が数本生えているのに気づいた。春から夏にかけてグングンそだち、つややかな大きな葉が逞しくのび出し、草たけは約1米にもなった。 秋には沢山の花穂がついたが、十分実ののらぬうちに、寒くなって、枯れてしまった。それでも、ともかくと、ふりまいておくと、翌春には、そこここに芽を出しているから、やはりみのったものもあると見える。こういうことを繰返していまだに、毎年、5‐6本づつは、庭のどこかに生えている。暖地では多年生らしく、「三年にして花あり」(両国本草)ということだから、よほど様子がちがうようだ。 食べ方としては同書に、「葉は米麦を交えて煮食す」とあるように、嫩葉を米麦にまぜてアシタバ飯にするのが普通で、米麦の節約のためのいわゆるカテモノだ。ところで、このアシタバについて面白い話が、中山太郎氏の日本民俗学辞典に出ている。
疫病神がこの草を恐れてにげ出したというのだが、これは、決していわれのないことではなさそうだ。今はどうなっているか知らぬが、昔の八丈島では、魚介類を多く食い、飯といえば、米麦はチラホラとしか見えぬ程度のアシタバ飯が常食だった。味つけには、魚の臓物の塩漬け(エンバイ)や、橙、九年母などの柑橘類が用いられた。魚介にしても、米麦にしても、ともに蛋白質や熱量は多いが、ビタミンやミネラルは乏しい。多少の内臓や柑橘類がそえられるにしても、とても十分のバランスはとれっこない。そこへビタミン・ミネラルに富むアシタバがしこたま加えられるとなると、全く完全な栄養食ができ上る。そして疫病神も寄せつけぬ健康体が出来上るわけ。疫病神がこのアシタバに恐れをなして退散したのももっとも至極といったものだ。まことに興味津々たる話ではないか。 伊豆大島では、この佃煮が名物になっているそうだが、炒り菜にしても仲々うまい。生でサラダに入れても一種の芳香があって、よい風味をそえてくれる。「根は三年にして食う」「炊いて外皮を去て心を食用とす」(両国本草)るのだそうだが、私どものところでは、秋には枯れてしまうので、まだ試食の機会にめぐまれない。それはともかく、私どもの所でも結構そだつのだし少くとも夏の緑菜不足(いわゆる夏枯れ)時のナッパの補いには甚だ好適している。青汁の材料にもなりそうだし(まだ試みていないが)、見た眼にも立派で観賞価値もあるから、大いに試作をすすめたいところだ。もっとも、私どもの所では種子を差し上げることはできないが。 <1966年 9月 健康と青汁第121号より>
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