遠藤語録文字 乾燥青汁ピロサンマーク
 油をぬる


 皮膚の働きには脂肪が必要なので、清潔のために余り石鹸をつかいすぎて、脂肪をとってしまうのはよくない。
 いま流行の洗剤はことにひどい。
 皮膚は傷つきやすくなり、細菌侵入を容易にする。抵抗力をよわめ、老化をはやめる。
 だから、入浴や清拭の際に垢をとるのも、主に機械的にやるべきだし、脱脂したあとには適当な油をすりこむべきだ。
 それには酸性軟膏がよいという人もあるが、無刺戟性の脂肪(油でも脂でもワゼリンでも)であれば、何でもよろしい。
 古代のギリシアやローマでは、入浴がさかんだったが、保健、治病の目的で、浴後、香油を塗擦した。
 妙法蓮華経に、「油を以て身に塗り塵穢を漂浴し・・・」とあるのも、それだろう。
 熱帯地方ではヤシ脂を塗るが、蚊を防ぐためだそうだ。

 ところで、脂肪を塗ると、脂肪そのものや、それに溶ける成分(脂溶性ビタミンその他)が、皮膚から吸収される。
 だから、栄養が衰え、皮膚の乾燥したものに油を塗ることは、皮膚を防衛するだけではなく、栄養補給にも役立つ。食欲がないか、その他の理由で食事がとれず、注腸も出来ぬような場合に利用出来るわけだ。
 仏本行集経に、

「是の時、菩薩(ぼさつ)、彼の油酥を以て、身に塗摩するに、各毛孔に随って、悉(ことごと)く、其の体に入ること、譬(たと)へば、土聚に、或は復(また)、疎沙に酥及び油を瀉(そそ)ぐに、悉く皆侵入して、並に復(また)現はれざるが如し。
 是の如く、是の如く、菩薩の身体に塗る所の酥油は、皆悉く入り尽して並に現はれず。」
 とあるが、釈迦が菩提樹の下で断食修行をやった後、その衰弱したからだに酥油(バタのことらしい)をすりこんだところ、まるで土や砂にしみこむようだった、というのだ。
 また、昔は、治療的の油剤の塗擦がかなりさかんに応用されたものらしい。

 10〜12世紀に勃興したサレルノ学派などでは、吐剤を腹に、?痰剤を胸に、麻酔剤を頭部、鼻粘膜などに用いた(田中香涯)。
 溶媒の油には、肝油、バタ、植物油が用いられたが、ラウォールによれば鵞脂が最もよい。
 支那では最もはやくから塗擦剤に用いているが、近代の科学的研究で脂肪のうちで滲透力が最もすぐれているという。
 私どもの医局時代によくやったのは梅毒と結核性腹膜炎とだった。
 梅毒には、必らず水銀軟膏を塗擦した。
 両の腕と大腿にすりつけて油紙でくるみ、口が荒れて、口臭がひどくなるので、始終うがいしている患者をよくみかけた。
 結核性腹膜炎は、若い女性に多く、肺結核ほどたちは悪くないが、治りにくいもので、水がたまって臨月のようになった大きな腹をかかえて、2年も3年も苦しんだ。
 手術して紫外線をあてるといい、などといわれていた以外には、これというよい方法もなく、安静をまもって栄養をとり、腹部に日光をあてたり熱気をあてることと、油剤の塗擦くらいしかなかった。
 で、温めた肝油やバタ、オリーブ油などを30分づつ、気ながにすりこむのが、当時の看護婦の日課だった。
 もと西洋では、この油剤塗擦のとき、看護の尼さんは一定の頌歌や祈祷をくりかえすことになっていたが、それに大凡そ30分かかったので、この時間はそうきまったのだそうだ。
 ともかく、毎日、根気よくすりこんだ。
 腹をさするという機械的の効果。
 あたためた油の温熱的の効果によって、血行をよくしようというのがねらいだったようだが、脂肪やビタミンの吸収効果も与っていただろう。
 さらに、心理的の効果もみのがされぬだろうが、患者も気持がよいといっていたし、われわれも、何だか効くような気がしていた。
 今では、よく効く薬が出来て、こういった病気そのものも無くなったし、何でも注射、注射と、栄養補給の途もひらけたので、こういう間だるっこいことは考えられなくなってしまった。
 それに、看護婦は不足、家族たちも多忙で、おちおち看病もしていられない当節だから、ああした手のかかる、のんびりしたことはとてもやれるものでもない。
 しかし、多勢のものがつめかけ、しかも、何をしようともせず、ただ拱手傍観しているばかり、という光景も間々みうける。
 そういう時、ことにけだるさをまぎらすために、さすったり、もんだりするような時には、多少でも栄養の足しになる油(好きな香油を加えてもよい)の塗擦をやってみるのも、決して無駄でもあるまい。

<1970・4 健康と青汁 第164号より>




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