遠藤語録文字 乾燥青汁ピロサンマーク
運動

 人間も動物。
 動物の本性は運動。
 「人生は運動なり」(アリストートル)。

 体を構成する多数の筋肉は、関節、骨格とともに、つねに偏端なく活動されなければならぬ。
 原始時代、自然生活の人類は活動的で筋運動は十分に行われたし、筋発達の不十分なものはその生存をすら許されなかった。文明開化の進歩は、生活様式の変化とともに、筋肉活動の必要が減り、かつ、甚しく不均斉となり、筋運動は不十分、不合理となって来た。
 そのうえ、栄養は穀・肉・糖・酒に偏った過食となり、運動と栄養との間に甚しいアンバランスを生じ、これが、確かに、現代病である文明病、いわゆる成人病(高血圧、動脈硬化、癌、糖尿病、結石病、通風など)や肝、腎疾、リウマチ、アレルギー病などの重大原因となっているように思われる。
 「疾病の原因たる多液質は、食物と体操との不調和から来る。即ち、食物が体操に勝つばあいに来る」(ヒポクラテス)。古の君子が礼楽を学び、射御を習い、労働し、詠歌舞踏して、血脉を養うことをつとめたのも、そのためであろう。また、古代ギリシャ医学では、当時、体育がさかんであった関係からでもあろうが、多くの病気の治療法として運動が応用された。
 しかも、その運動量は、ふつう10〜120スタデイオンの歩行や疾走だったという。1スタデイオンは、177米余だから、1・8キロ近くから20キロ以上もを、歩かせたり走らせたわけだ。また、角力(レスリングだろうが)や水泳なども処方され、病勢がすすむにつれて、ますます筋肉を使い、身体の衰弱にうち克とうとした。
 漢方でも、運動の必要は強調され、「逸を好んで労を悪(にく)む、四の難なり」(郭玉療病四難)といましめられている。神仏へのお百度まいり、順礼などといったことが行われたのも、つまりは、運動の効をもとめたものだ。現在では、病気とさえいえば、ともかく安静と、安静第一が常識になっているようだが、これも病気によりけり。
 熱病やその他、体力消耗性の病気では、もちろん安静は大切だ。しかし、成人病や、それに傾く壮実体質。ことに肥満型のもの。糖尿病、結石症など代謝不全にもとづく病気。また、虚弱質、無力質、ノイローゼ、便秘、胃弱、内臓下垂症など、運動不足、鍛練不足による病気。
 病後の衰弱、貧血、運動器の障碍、神経麻痺など。いずれも、適度の運動はきわめて大切。というよりは、むしろ、それらの治癒は、適度の運動によってのみはじめて可能、といってもよい。

 このように、運動が保健上また治療上大切なことはいうまでもない。
 けれども、運動は強い刺戟であり、健康者でも、過度は有害で、全身倦怠、食欲不振、不眠をまねき、抵抗力を減ずる。しかも、この反応は、体力、抵抗力の弱いものほど、その影響が甚しい。だから、その適応、適用量には十分慎重でなければならぬ。
 が、だいたいからいえば、
 運動は苦痛を伴わず、
 運動後、爽快を覚え、
 疲労を感ぜず、
 あるいは一夜の睡眠によって完全に回復し、疲労を残さぬ程度にすべきだ。

     人、少労を欲す。但し、大疲することなかれ(千金方)
     甚しく疲れるを欲せず(抱朴子)

 さて、運動の種類は何でもよい。ブラブラ歩く(1時間3〜4キロ)、サッサと歩く(5キロ)、急いで歩く(6キロ)。万歩運動は、歩幅50センチとして、1日5キロは歩けというわけだ。水泳、その他のスポーツも結構。
 但し、いわゆるスポーツは競技本位となり、過激になりやすい。ために、しばしば、かえって弊害を伴う。スポーツマンに往々中途で健康を害するものがあるのは、そのためだ。外に出るのが憶怯なら、昔、イギリスの名医が、王妃の肥満症にすすめたという妙薬「豆ひろい」はどうだろう。部屋中に豆をまき散らし、一つ一つそれを拾い、またぶちまけては拾う、というのだ。

 また、昔、ある支那の大官は、隠棲後、体力の衰えを防ぐために、庭の一隅に、瓦や石を積み重ねておき、毎日、その置き場所をかえたという。これも面白かろう。そういう無駄なことは意味がない、というなら、家の内外の取り片付けや掃除をやる。廊下の拭掃除など、まことによろしい。
 中学校の寄宿舎で、冬の朝、冷い雑巾をおして、長い廊下を四ん這いになって(つまり動物の姿にかえって)走ったことが思い出されるが、あれは実によい運動だ。女性が男性よりも長生きすることには、他にも原因はあろうが、こうした家事にセッセと立ち働いていることが、相当あずかっているのではなかろうか。
 畑仕事、山仕事はさらに結構というもの。終戦後のあの食糧難のとき、日曜毎に郷里にかえり、朝早くから日が暮れるまで、汗水たらして畑仕事に精を出したものだが、実によい運動だったし、本当に楽しくもあった。今は、農山村の若いものは、みな、町に働きに出てしまって、畑も山も荒れ放題になっている。町に出ているものも、休日祭日には、郷里に帰って汗を流したらどうだろう。どんなリクリエーションにもましたリクリエーションだし、産業面にも少からず貢献することだろう。

 体操
 運動の理想は、偏端なく全身の筋肉をくまなく動かすことだ。坐業者で運動といえば、僅かに手足を動かすだけに限られているし、筋肉労働者でも、その運動の多くは、一部の筋肉に限られ、また、散歩、水泳、その他のスポーツにしても、決して、からだ全体を動かしているわけではない。中でも、頚や躯幹は、多くの場合殆んど動いていない。また、ここには、内臓からの反射的の影響による筋緊張の異常、つまり「コリ」もおきやすい。腹筋もまた、とかく運動が不足し、弛緩しがち。多くの健康体操は、これらの筋肉を動かすのが目的になっている。要は、型にとらわれることなく、動かし得るすべての方向に動かせばよい。

 
 屈む、伸す、左右へまわす、後をふりかえる、傾ける。両手をついて空を見あげる(蛙運動)。

 躯幹
 前屈、後伸、ひねる、左右へ傾ける、蛇行運動、魚泳運動。

 腹部
 力を入れて凹ます、気張る、大声を出す、膨陥運動(腹筋疾走)、よじる(ヨガ)。仰臥で下肢を上げる、上体をおこす、等々。

 昔の人も、このように自ら躯幹、四肢を摩擦伸縮することを「導引」とよんで健康法とした。
 支那の古医華佗は、
 「我に一術あり、五?の戯れと名づく。一に曰く虎、二に曰く鹿、三に曰く熊、四に曰く猿、五に曰く鳥。体不快ならば、起って一の戯れをなす。怜として汗出づ。またもって疾を除く。かねて股足を利し、もって導引にあつ。」
 「以て老い難きをもとめ」とか、「長生久視をとる」としている。
 ともかく、自分の体質、体力に適した運動を、出来れば毎日、規則的にやるのが理想だが、せめて1週1日だけでも汗をかきたいものだ。

<(1969・7 遠藤)健康と青汁第155号より>




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