遠藤語録文字 乾燥青汁ピロサンマーク
 食べすぎ

 何といっても食欲の秋。つい食べすぎます。食べすぎの漫談一席。たべすぎのよくないことはよく知られていますが、それは一つには食べる分量の多いための負担加重による直接の害。二つにはとかく白米飯に肉や魚や卵、糖分やアルコールに偏るための不完全食の害。だから代謝機能の衰えたもの、ことに老人にとって特にその影響ははなはだしいわけです。

老人の減食
 老人の死因の主なものといえば血管の病気(高血圧や脳溢血や心臓の血管の硬化)と癌とですが、これらは戦時中にはどの国でも少くなっていました。第一次大戦の時にも食糧が少くなって最も減ったものは老人の死亡だったといわれています。
 スペインのVallejoという人は、75才以上の老人120名を二群にわけ、一群は対照として毎日2300カロリー、蛋白質50グラム、脂肪40グラムの食餌を与え、他の群には、それと隔日に、牛乳1リットル(5合5勺)、生果物500グラムだけの食餌を与えて、3年の間観察してみたそうです。その結果、対照群の心臓血管疾患や心臓衰弱、あるいは癌やそれらによる死亡数は、減食群に比べて2倍も多かった。
 そして隔日の減食は大変快く感じられ、健康上よく、寿命を延ばすということがわかりました。昔から粗食少食ということがいわれていますが、このことは老人に特に大切なようです。
 どこかの国の諺に、「年寄の夕食を失敬するのはよいことだ」といったものがあったようですがこの意味で仲々面白いと思います。
 しかし元気ざかりの若いものでも、またたとえ完全食になっていても、余りに多すぎればやはりよくありません。その例は次のアメリカの兵隊の話。

食いすぎ米兵に減食令
 兵隊が食いすぎて太って病気していかんというので米陸軍はこのほど減食令を出した。この新しい食事はふつうの兵隊食3600カロリー、余りはげしくない勤務のもの3000カロリーに比べて、一日平均2308カロリーとなっており、これを実施すると、その兵隊は、気分も快くなり、顔付もよくなり、元気で仕事をはげむようになるという。
(メヂカルダイジェスト1958年3号より)

 そこで諺に、「食多ければ病多し」とか、「多食は健康と同行せず」とかいい川柳には、「大食家早く一生の定量食べて死ぬ」などとあるわけですが、食えるのどうのといって、一体どれ位食えるものでしょうか。ちょっと古い話で恐縮ですが、関口以雄氏の衛生史譚には次のような大食会の記事が出ています。
 「文化14年3月23日両国柳橋の万八といふ料亭で江戸八百八町の大酒大食家の牛飲馬食会が催された。その中の健啖驚くべき抜群のものは次のやうであったと兎園小説に掲載されている。

酒の部
  三升入大盃で三盃、   堺屋忠八、68才。
      同六盃半、  鯉屋利兵衛、30才。
 五升入大丼で一杯半、天堀屋七右衛門、72才。
 五合入大盃で十一盃、 美濃屋儀兵衛、51才。
 三合入盃で二十七盃、 伊勢屋伝兵衛、47才。
   一升入盃で四盃、  山の手武士、63才。

菓子その他の部
 饅頭50、洋館7棹、薄皮餅30、茶19杯、丸屋勘右衛門、56才
   饅頭50、鴬餅80、松風煎餅沢庵5本、伊勢屋清兵衛、65才
     米饅頭50、鹿子餅100、茶5杯、佐野屋彦四郎、28才
 饅頭30、小落雁2升、羊羹3棹、茶17杯、 伊達屋新八、45才
        酢を茶碗で50杯、茶漬3杯、  亀屋佐吉、47才

飯の部
 万年味噌、茶漬香の物で飯54杯、唐辛58、   和泉屋吉蔵、73才
                同上47杯、   上総屋茂蔵、47才
           同上68杯、醤油2合、三河島の三右衛門、41才

麦の部
             57杯、 桐屋惣左衛門、42才
             49杯、   鍵屋長介、45才
             63杯、  山口屋吉蔵、38才
             48杯、   肴屋新八、28才
  八寸重箱にて9杯、豆腐汁3杯、小松川吉右衛門、77才 云々。


 その真偽のほどはともかくとして、これで後の祟りがどうであったか、それは記されてないのですが、菅茶山の「筆のすさび」には
「備後中条村に三蔵といふ人あり、其家僕に酒を好むものあり、或日三蔵其ものをみて、汝酒いかほど飲みなば飽くべきか、と問ひしに、其もの生来貧しければ心のままにたうべしことなし大抵一升にてはたりなんといふ。さらばとて一升飲ましめければ忽にのみつくしぬ。こはめづらしき上戸なりなほ飲めやといへば、いよいよ悦ぶを見て又一升をあたへける。これも苦もなく飲みてやがて臥したりけるが、其夜半に死にてけるとかや。外にもかかる事三、四度も聞きたり。是は三蔵に聞きしままなり。」
とあります。
 同じ備後の福山に大食会のあったことも有名ですが、これについて同書に
 「いつのころか備後福山に大食会といふことをはじめしものあり、其社の人皆夭折せり、ひとり陶三秀といふ医者ありしがこれははやくさとりて其社を辞して六十余までいきたり。予が若き頃三秀が甚だ小食なるを見て其よしを問ひしに、其社中皆異病にて死しおのれ減食してまぬかれしといふ。その後近村平野村にまたこの事はやり人多く異病をやみぬ。」
 と書かれています。味覚の秋とは申しますが精々口はつつしみましょう。

<(1958・11 遠藤)健康と青汁第27号より>




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