遠藤語録文字 乾燥青汁ピロサンマーク
大きなからだ

 日本人は小さい。みすぼらしい。もっと大きくならねばならぬ。と以前からしきりにいわれ、戦前には、50年このかた少しづつ大きくなったと、よろこばれました。
 それが、戦時中から戦後の栄養不足で、また50年あと戻りした、となげかれたものでした。
 しかし、最近の子供はドンドン大きくなって来ており、当局でもご満悦のようですし、学者の説によればこの調子だともうニ百年もすれば三米にもなるだろうといわれているほどです。
 生物の発達史からみてもこれは恐らく本当のことでしょう。
 もっとも、丈がのびただけで、横幅はこれに釣り合うていないのですから、今の子供の伸び方は、決して必ずしも健康的だとはいわれないようではありますが。
 しかし、たとえ、釣り合いのとれた伸び方だとしても、そうそう大きくなることが、果して、私ども人類にとってしあわせなことでしょうか。
 力技専門のスポーツ選手などにとっては、あるいはそうかも知れません。
 けれども、大体からいって、体格が大きくなりすぎるにしたがって、心身ともに働きは鈍くなるものです。
 イソップ物語には、
「ジュピターが人間をつくり、ヘルメスに智恵を注ぎこまれたとき、ヘルメスは飲物の分量を同じにしたので、身体の小さいものにはよく行きわたって賢くなったが、大きいものには全身に行きわたらず、膝までもとどかなかったので、考えの足らぬものになった」
 とあります。
 いわゆる「大男総身に智恵がまわりかね」というやつです。
 また「八頭身」といえば美人の典型のように羨しがられますが、これも、逆に言えば、体にくらべて頭が小さくなっていることです。
 ウオレス著の「生物の歴史」(赤木春之訳)にみても、
「爬虫類や哺乳類は、ともに初めは小形の動物から起り、体躯が次第に発達して遂に非常な大きさに達し、次に俄然として泯滅したものが甚だ多い」
 ので、むやみに大きくなることは決して好ましいことではないらしいのです。
 少くとも、健全さや優秀さと身体の大きさとは同一義ではありません。
 小さくとも動作敏捷で、精神的に聡明であればよろしい。
 実際そうした智者や偉人には小柄のものが多いといわれています。
 カレルはその著「人間」に
「食物や適当な生活によって、一国民の身長を増減し、同時に素質を変え、また恐らくは精神まで変えることができよう。故にただ見かけを立派にしたり、筋肉の力を増そうとして、体の大きさを無暗に変えたりしてはならない。
 何故なら単に体質を変えるだけで、人間の生理的心理的活動まで深く変えることがあり得るからである。
 概して非常に敏感な鋭い耐久力の強い人間は余り大きくない。
 天才といわれる人々も同様である・・・・・・」。
 また、
「新陳代謝は子供の方が大人よりも余程旺んである。
 小さな動物は大きな動物よりも旺んである。
 こういう訳からいっても、人間の身長をある一定の限度を超えて増進させることはいけないことなのである。」
 と書いています。
 海軍はなやかなりし頃、わが国の軍艦は、同じ屯数でも、欧米にくらべて装備において格段にすぐれているといわれたものです。
 それは、居住性を犠牲にした点もありましたが、もっとも大きい、もっとも根本的の原因は日本人の体格の小さいことでした。
 宇宙時代ともなると、一層これは大きな問題となるわけで、さしづめ、小型の優秀人種である日本人こそ、もっともすぐれた、えらばれた宇宙人ということになりそうです。
 それはともかく、栄養のやり方によって体格は確かに大きくはなります。
 しかし、からだばかり大きくなることは、決して望ましいことではありません。
 少くとも、体格の大きくなることばかりを目的にする、したがって性的に早熟もする、今の栄養指導には、大いに考慮を要するものがあると私は思います。

<1963・8 健康と青汁 第084号より>




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