遠藤語録文字 乾燥青汁ピロサンマーク
 ね小便
 ね小便(夜尿症)というやつは、まことに情けないものだ。それも、三つ四つの頃までは、まだよい。五つになっても、六つになっても、いや、学校に上りだしても、上級生になっても、中学校に行っても、まだ洩らすとなると、はたのものもだろうが、本人の悩みたるや、なみ大抵のことではない。

 かく申す私自身、じつはその類いで、中学に上って寄宿舎にはいっても、時折やらかした。だまって、ぬれた布団を、そのまま押入れにしまいこむ。なんとか乾くには乾くが、においはとれない。まったく恥しいかぎり。そこで、気のよわいものなら、家へにげかえってしまうところだろうが、あつかましいのか、もう慣れっこになって無神経になってしまっていたのか、平気でそのまま、学校を休むこともなく(このあたり今では思い出せないが)、やがて、ね小便の方もやまって、無事卒業できた。

 お灸はよくすえられた。しくじると、あばれる私を、おやじが馬乗りになっておさえつけ、おふくろが背中と腰にうんとすえた。もがいて、もぐさが転げおちると余計あついし、おやじにはブンなぐられる。さんざんな責め苦だった。土蔵にとじこめられたり、庭の木にしばりつけられて折檻されたこともあったが、ちっともやまない。枕もとにお札をおいたりお守りをつけたり、目がさめるようにとマジナイをしたり、神仏に祈ったり願ったりもした。となり村に霊験あらたかな地蔵さんがあるというので、往復三里の道を、夏の暑い日に、何度もつれて行かれた。そのたびに川向うの山から雷雲がわき出てゴロゴロ鳴り出した。いまはバスがこの地蔵さんの傍を通っているが、思わず頭を下げているし、雷雲のわき出た山をみると、恐ろしかった当時が、いつも思い出される。

 おやじが金比羅さんを信仰していたので、ここにも連れて行かれた。岡山から小舟で川口まで下り、沖で蒸気船にのりかえたが、そのあいだ中、泣きとおしていたことも覚えている。四つ五つの頃だったろう。お腹を冷やすからだと、いつも厚い腹巻きをさせられたし、水遊びもやかましかったので、こっそり、かくれて泳いだ。イロリやカマドでたきぎを燃やすのは面白いものだが、火なぶりするとね小便するとて、叱られた。

 どういう関係があるのかアリストテレスもそんなことをいっているし、ヨーロッパでも、火なぶりと、羽のはえたタンポポの実をなぶるのを嫌うところがあるそうだ。夜間の尿量をへらすために、午すぎからは水気の多いものは食べさせてもらえず、果物、ことにカキやスイカは食べてはならなんだ。塩分が多いと水をのむので、これもいけなかった。夜中には必ずおこされたが、それでも仲々とまらぬ。そのつらさは骨身にしみていたからであろう。いい年になってからも、放尿する夢をみて、ハッとして、布団をなでまわすことも、近い頃まであった。

 夢といえば、モンテーニュの随想録に、「ローマでは四辻ごとに通行人が放尿するための便器や小桶が備えてあった。屡々少年は、その夢の中に、自ら衣をかかげて、この用に備えられたる容器に放尿すると見る」との、ルクレシウスの記載をのせてあるが、全くその通り。「たしかに目はさめているナ」、「便所に来ているナ」、あるいは「田甫だナ」、「「野原だナ」、そして、「大丈夫だナ」と念に念をおして放尿するのだが、それが全部、夢の中で、しくじってから、はじめて目がさめる。で、ね床をさぐって、やっと安心する、といったことになるわけだ。

 医者の方でも、いろいろの注射や薬もやるが、結局マジナイ同然。きくこともあり、きかぬこともあり。きいても、一時的のことが多く、いまだに、これこそというきめてはない。しかし、なにかかくれた原因があるかも知れないから、ともかく、信頼できる病院でくわしくしらべてもらうこと。そして、施すべき方法があれば、やってもらうこと。但し、これという原因らしいものもないのに、アレコレと近頃の薬をのむのは、多くのばあいムダだ。
 だいたいに夜尿児はからだが弱い。くたびれすぎて、グッスリ寝こみ、膀胱がいっぱいになっても目がさめないのが一つの原因だ。だから、なんとしても、まず、からだを丈夫にしてやらねばならぬ。私も、牛を飼って乳をのましてくれたり、赤蛙やイナゴ、ガンビの虫(ガンビはノブドウのこと。その幹に喰いこんでいる虫)、カマキリの幼虫などを焼いて食べたり、ウナギの生肝、マムシの黒焼ものまされた。民間薬に「ネヅミの肉あぶり食うもよし」(経験千方)、「鼠ももを焼き飲むなり」(秘方録)とあり、私もたしか食べさされた。

 プリニウスによれば、古代ローマでも、煮たネズミを食べさせた、という。西洋の民間でも特効薬とされ、生きたネズミを搗いて、皮毛とともに、バタ饅頭その他の焼物に入れ、砂糖と肉桂をつけて食べさせたり、粉にして、スープや焼きものその他に入れ、あるいは、丸裸の仔ネズミを焼いて食べるところもある。赤犬の肉、鹿の肉もよい。また、ウサギの頭を煮て、あるいは、豚の性器(男児は牝、女児は牡の)を焼いて食べるとか、粉にしたキツネの陰茎がよい(ことに女児に)、焼いたネコのがよい、などともいわれている、という。いずれも、栄養をよくするのがねらいであろう。脂肪にとむカヤ、クルミ、ゴマがいわれているのも同様。象牙の焼末(諸家妙薬集)、鹿角の焼末(懐中妙薬集)、カキ、イカの甲、山羊の蹄を焼いて粉にして、などとあるのは、カルシウムの補給ということか。こうした意味で、私は、やはり緑葉食・青汁を中心とした完全食がよいと思う。
 
 しかし、野菜や青汁はなるべく朝・昼食にとり、夕方には濃厚食を主とし、水分や野菜を少なくし、ねがけには、むしろモチ少々を食べる、といったぐあいにしてみる。なお青汁には、むかしから、小豆の葉がよい、といわれている。たいていの青汁に利尿作用があるのに、アズキだけが、どうしてこれをおさえるのか、ちょっと理解しかねるのだが、実は、まだ、ためしたことがないので、なんとも保証の限りではない。そして、運動その他、適度の鍛錬を加えてゆく。

 一方、しくじりに対して十分の準備をし、たとえ洩らしても大丈夫と、安心してねむらせ、はたからは、必ず治ると力づけ、自らも必ず治る、いや治してみせると自分にいいきかせ、また努力もする。そして、とやかく、やかましくさわぎ立てないこと。なお、夜尿児の多くは、膀胱容量が小さく、排尿回数が多いのが原因だから、昼間、水などのんで、ギリギリまで排尿を辛抱する練習をするとよい、ともいわれている。これも、やってみるべきだろう。

<1973・10 健康と青汁 第206号より>



 夜尿症
 神経質でよわい児に多いもの。
 一つには、そういう児は、丈夫な児とちがって、昼間よりも夜間の尿量が多い(ふつうには昼間の方が多い)。
 どうやら、起きている時よりも、臥ている時の方が、腎臓の血行がスムースに行われるという体質的の特長によるらしい。
 また、も一つには、からだがよわくて疲れやすく、グッスリ寝こんでしまって、膀胱がいっぱいになっても目が醒めず、つい粗相をしてしまうのだ。
 で、ともかく、からだを丈夫にしてやる。
 そのためには、食べもののまちがいを直すことと、適度の運動や鍛錬が大切ということになる。
 食べものでは、間食の菓子類をひかえ、果物にし、三度の食事は、良質ナッパをそえた完全(安全)食(せめて青汁だけでも十分のます)にする。
 ところが、その中心になっているナッパ・青汁(果物も)は、いずれも小便をよく出すものばかり。
 そこで、これらは、なるべく朝のうちか、おそくとも昼食までに食べたり飲むようにし、午後からは、水分はもとより、ナッパ・青汁、果物もひかえるかやめ、夕食や夜食には、米飯やモチを食べるようにしむけてみる。
 そうすると、たいていの場合、夜間の尿量が少なくなるから、しくじりの危険はずっとへってくる。
 そのうち、しだいに体力がつき、元気になって来ると、そうひどくは疲れなくなり、はずんで来れば目がさめるようにもなり、だんだん自信ができて来る。
 なお、当人は身にしみて情なく思っているのだから、周囲からやかましく責めたてられたり、ののしられるといよいよ神経をとがらせ卑屈になり、却って悪くしてしまう。
 だから、たとえしくじっても、こうしていれば必ず治ると、やさしく慰め力つけてやってほしい。
(50・10)

<1978・3 健康と青汁 第259号より>



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