遠藤語録文字 乾燥青汁ピロサンマーク
 ねむり 目次



1. よくねむるには

 医学博士 遠藤 仁郎

 いつでも、どこでも、すぐにねむれる程しあわせなことはありありません。
 もともと神経質な私など学生時代からねむれぬことがよくありました。
 ことに旅に出たりすると、はじめの1、2日はどうにもねつかれず、いつも閉口したものです。
 それが、今ではよくねむる。むしろねすぎるくらいにさえなりました。年のせいで暢気になったためでもありましょうが、どうやら菜っ葉をよく食い青汁を飲んでいるからのようです。
 ながい冬の夜、ねむられぬままに夜通し悩みつづけていられる方もあることでしょう。
 そういう方々におすすめしたいことは、

  1. ねむれぬことを気にせぬこと
  2. 生の緑の菜っ葉を主とした完全食にすること
  3. 睡眠薬はなるべくのまぬようにすること
です。

まずねむれぬことを苦にせぬこと
 ねつきが悪い、夜通しうつらうつらして殆ど眠れぬ、といったことがあっても、食事が出来るようなら大丈夫です。
 物の本など読むと、不眠の害がいろいろ書きたててあるので、大変気になるものです。
 私などもそうでした。そして何とかしてねよう、ねなけりゃあ、と気が気でなくなり、無暗にあせり出す。
 あせればあせるだけいよいよ頭はさえ眼はさめてしまう。
 だが考えてみてごらんなさい。戦争などはもとより、平素でも、切端つまった仕事がある時など、いわゆる不眠不休の活動を何日も続けてやり、少しも弱らぬ人もあります。もっともそういう人は元来頑健なからだの持主であるからでもありましょう。

 けれども、少くとも一晩や二晩ねずとも少しも障るものでない証拠にはなります。たとえその時は眠れなくても、後でぐっすりねむり、疲れを恢復しさえすれば、結構とり返しはつきます。
 また少しも眠れぬように感じてはいても、案外「しん」はねているものですから、大抵の場合心配はいりません。
 「眠れにゃあ、いつかまたねむれる時にねるさ」、とたかをくくって、ねた振りをして横になっておれば、しだいに気持も落付いて来て、いつか眠れもするし、ねむらなくても大してそうからだにこたえるものでもありません。
 ともかく、あんまり気にせぬことです。

次に食物は生の菜葉を主にした完全食にすること
 ねつきが悪かったり熟睡できぬのは、神経が興奮しやすくなっているからであり、この興奮性の高まりは神経の栄養の不適当なことに原因します。
 そこで、なるべく完全食をとって血液状態を正常にし、また興奮性の飲食物をへらして神経を鎮めるようつとめます。
 米や糖分を多く食えばねむくなります。眠れるからよいようなものの、これでは長い間にはからだを悪くします。肉や魚や卵がすぎると刺戟になり、茶やコーヒーではいよいよ眠れなくなってしまいます。
 ところで、それらの害毒を消してくれるのは質のよい緑の菜っ葉類です。ことにそれらを生で食い、青汁にしてのむと、神経はずっと落ついて来ます。
 疲れすぎると眠れぬものですが、緑葉食、青汁で疲れなくなり、その恢復は早くなりますから、いつでも楽によく眠れます。
 「青汁をはじめてから夢を見ぬ」とよくいわれます。それほどに熟睡もします。また眠る時間は少くて済みますから、いつでも快く目醒めるようにもなります。
 チシャに睡眠作用のある成分のあることはよく知られていますが、これは何もチシャに限ったことではなく、どんな青菜っ葉にも同じ効能があるもののようです。

最後に睡眠薬はなるべくのまぬこと
 睡眠薬は「くせ」になりやすいし、薬の害もないわけではありません。
 なるべく薬にたよる悪いくせはつけたくないものです。
 この意味からも私は青菜っ葉を生で食べ青汁をのむことをおすすめします。


<1958・11 健康と青汁 第028号より>

2. ねむり

 年をとって来ると、ねむりはしだいに短く、浅くなり、とかく夜中に目がさめがちになります。

 老の眠は早くさめて夏の夜を残す(和漢朗詠集)
 血圧が高かったり、動脈硬化でもあると、ね不足になって、からだに障るのではないかと、これが、ひどく気にかかるようです。
 たしかに、夜は、よく眠る方がよろしい。
  • 安眠熟睡は健康の徴
  • ねむれる病人は治る
  •  などというように、ねむりは疲れをとる最良法。休養の第一法には相違ありません。そして、ね不足が長く続けば、ついには生命をおびやかす、とさえいわれていることです。

     ところで、睡眠時間は、ふつう7時間がよいとか、8時間がよいとかいわれますが、これは、もちろん、人々によってまちまちで、もともと別にきまったものはありません。
  • 老若を問わず七時間で足る(古諺)
  • 六時間より短くてはならぬ(サレルノ衛生養生書)
  • ねむりの浅い人は10〜12時間もの長時間のねむりが必要だし、死んだように熟睡する人は2〜3時間の短いねむりでも十分だ、
  •  といいます。
     昔から、「総じて眠を欲するものは虚候」といわれているように、大体に、強壮者は短時間でよく、虚弱者は長い。病人もそうです。
     男女では、女の方がながいし、赤坊は殆んど一日中ねており、幼児は10〜12〜14時間もねます。
     要するに、ねむりは疲れが回復するに必要なだけねむればよいので、時間の長短は問題でないわけです。
     だから、たとえ夜中に目がさめてねむれなくても、ともかく気持よく目ざめることが出来、一日中、気持よく働くことが出来れば、それでよいので、少しも心配ありません。

     また、夜おそくまでねつかれず、朝方になってようやくねつく、という人があります。これも、ただ、時間がずれているだけですから、少しも心配なしです。夜、ほかの人たちの安らかなね息を耳にすると、むやみに、ねむれぬことが気になるものですが、これは、折角、他のもののねた、静かな時間を神様がつくって下さったのだと感謝すればよろしい。
     なお、そういう人は、余り早くね床にはいるから、ねむれぬことが気になるのです。ねむれる時間まで起きていればよろしい。

     健康で長生きするような人には、大体、早ねの習慣の人が多いようにいわれます。しかし、そういう人は同時に早おきです。夜は8時にはもうねている代り、朝は4時か5時、いや3時にはもう起きるというぐあいで、実際ねむった時間は7〜8時間です。すると、夜半の1時か2時にねついても、朝の8時9時までねていれば、結局同じだけねているわけで、決してね不足してはいません。
     よく、夜半まえの1時間は、その後の2時にまさるとか、3時間にあたる、などといい、早い方がよいにはよいようですが、余りこれにこだわるには及びません。つまりは疲れが十分とれ、快く起きられれば、それでよいので、ね床にはいる時間も、その人その人の習慣できめればよろしい。

     また、実際には大いびきでぐっすりねていながら、朝になって、「ちっとも眠れなんだ」などという人もありますが、これも心配無用です。ねむりという状態は、ずっと連続しているのが普通ですが、ときには、途切れ途切れになって、その間に目がさめている間隔のある型もあります。
     この場合、本人は、目のさめた時だけ覚えているので(ねむっている時は無論知らない)、ずっと醒めていたかのように感ずるのです。これでも、別段気持が悪くもないし、食事が出来るようであれば、途切れ途切れながら結局、十分ねむっていたので、少しも気にかける必要はありません。

     これら、いずれの場合でも、ね不足そのものの害ということより、むしろ、ねむれぬことを気にする精神的の影響の方が、はるかに大きく、それが高じて、ついには睡眠ノイローゼといったことにもなってしまいます。
     それに、緑葉食に徹し、青汁をしっかり飲むと、ねむりの時間はずっと少くて済むようにもなるので、ともかくまず食べものを正しくして、ねむりは自然にまかせ、余計な心配はせぬことです。


    <1968・11 健康と青汁 第147号より>



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