遠藤語録文字 乾燥青汁ピロサンマーク
 進行性筋萎縮症(ジストロフィー)

 四肢や躯幹の筋肉が、進行性によわり、ほそってゆく。幼若型、成人型などの型がある。原因については諸説があるが、まだかいもくわかっていない。適確な治療法もない。いろいろ試みられていはいるが、大した効果は期待されていない。感染症にかかったり病臥すると、症状が急速に悪化するので、感染を防ぐこと、無理をせず、しかも適度の刺戟を加えて、筋の荒廃を防ぐことが大切とされている。

 これにも私どもは、緑葉食・青汁、イモ・マメ・ナッパ・青汁といった食をすすめたい。それは、すべて、ほかの原因不明の病気と同様、本症でも、食べものを中心とした不自然・不合理な日常生活や環境汚染(公害)とのかかわりあいが無視できない、と思われるからだ。すなわち、こうした病気には、かならず、生れつきか、その後の日常生活や環境の影響からか、病気におかされやすい素質(罹病素因=抵抗力のよわい筋肉なり神経系なりの)ができ上っているにちがいない。そして、不良の条件によって、ついには発病するようになるのだろうが、その際かなり(あるいはもっとも)大きい意味をもっているものは、古方でいう悪血、いわゆる「血の濁り」であろう。しかも、この「血の濁り」のもとは、おそらく、広い意味での代謝の異常であり、それは、栄養のあやまり=食の不合理化、すなわち、食の不完全化、不自然化(加工・貯蔵食品、有害有毒食品の氾濫)や、不良の環境の影響の結果にそういあるまい。とすれば、これをなおし、代謝を正常化して、「血の濁り」をとり除くべきだし、そのためには、何としても、まず、正しい食(完全食・自然食)を中心とした日常生活や環境の合理化(自然化)が根本、と考えられる。というきわめて素朴な発想からだ。なお、緑葉食・青汁によって感染(重大な悪化因子である)にたいする抵抗力のつよめられることも有利であろうと考えられるからだ。


経験例
 もっとも、私はまだ三例しか経験していない。

    第一例
     戦時中、召集され、隊付軍医として、九州の山奥に駐屯していたときのこと。20才前後の青年が、杖にすがって、ようやく歩けるという状態だった。ともかくやってみろと、白米飯をへらしうんと青汁をのむことをすすめた。当時は、一般に粗食していたし、砂糖も菓子も無ければ、危険な食品は一つもなかった。環境もよかった。友人は、みなお国のために戦場でたたかっているさなかのこと、かれは、すなおに、熱心に実行した。そして、3〜4ヶ月後、終戦で帰還するころには、杖なしでらくに歩けるまでになった。とよろこんで挨拶に来てくれた。

    第二例
     農家の若嫁。娘時代から多少の気配はあったらしいが、24で第二子の産後から、やや進行気味で、筋肉のやせ、筋力の低下がめだって来て、針ももてなくなった。某大病院で本症と診断されたというので、相談をうけた。病気の本質や、第一例の経験をはなし、徹底した完全食・自然食をすすめた。農家のこととて、市販の危険な食品は一切さけ、自家生産のイモ・マメ・ナッパ食に熱心にとりくみ、青汁は毎日少なくとも6〜7合飲んだ。初めのうちは、さほどとは思えなかったが、2年、3年とたつうちに、しだいに効果があらわれ、7年たった今では、進行は全くとまり、日常の仕事にさしつかえないようになっている。

    第三例
     62才の主婦。筋萎縮はかなり進んでおり、歩行はなはだ困難。杖にすがってトイレに行くのがやっとという状態で入院。いろいろ治療しても効果はない。で、せめて青汁だけでもとすすめてみた。五勺からはじめ、1合、2合とふやし、ついには毎日3〜4合ものんだ。しだいに筋力がつき、やがて杖なしに歩けるようになり、1年たらずに退院できるまでに回復した。

 この三例は、いずれも比較的軽症型の青年〜老人で、いわゆる成人型ではあったが、かなりの効果がみられたことはまぎれもない事実だ。だからといって、どんな型のものにも、ことに幼時に発病する重症型にも、よいかどうか、断言するだけの勇気も気持も私にはない。けれども、ともかくやってみるだけのことはあると思うし、やるほどならば、思い切って徹底した食(自然食・完全食)とし、期間も1年〜2年といわず、生涯やりとおす覚悟をもってがんばりつづけてほしいと思う。(48・1)

付記 さる5月の総会で発表されたKさんが、この第二例の方です。

<1973・10 健康と青汁 第206号より>




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