遠藤語録文字 乾燥青汁ピロサンマーク
 歯みがき

 歯は栄養の門。まさに健康の門であり、治病の門です。
 「身の要用なるは牙歯を以て最となす」(大方広仏華厳経)。
 つとめて大切にすべきです。
 さて、その健康法として何より大切なのは清潔だ、とあって、歯みがきをつかって歯をみがくことの必要が、やかましくいわれ、毎年6月4日の虫歯予防日には、方々の学校で、歯みがき運動の宣伝行事さえも行われている程です。

 ところで、この歯をみがくということですが、ふつう、虫歯を原因するという口内菌をとり去ることが主眼のようです。つまり、不潔だとバイ菌がはびこって虫歯をつくるという考えからです。そのため、歯みがきに殺菌剤が配合されたり、またウガイにも殺菌作用のある薬液をつかい、いろいろの口中錠なども出来ています。さて、口の中や歯についているバイ菌には、なるほど、いろいろのものがウンといます。なんしろ胃腸街道の入口なのですから、そこいらに一杯いるバイ菌で汚染されるのは、至極あたりまえのことです。
 しかし天の配剤の妙というか、そこに歯垢菌が頑張っていて、無暗に他の菌の繁殖を許さないようになっていますし、歯は歯垢の膜におおわれ、ある程度守られている形になっています。いわば、歯は歯垢の中のバイ菌で出来たバリケードで保護されているわけです。
 同じことは、やはり外に開いている産門にもみられることで、ここにも共棲しているバイ菌(恥垢菌)で外敵を防ぐようになっています。赤坊がうまれるとき、最初に出喰わしたバイ菌が口に住みつくのかどうかは知りませんが、ともかく、産門におけると同じ種類のバイ菌がいて口や歯をまもっています。ですから、これを取り除くことが果して是か非か、ちょっと簡単に答えられない問題です。
 また、たとえていねいに洗ったり、薬品をつかって一応はとり去っても、すぐに新しくはいって来て繁殖するのですから、歯みがきでみがくということは、口や歯の保健上からいえば、いかにもおかしなものになるわけです。まして、殺菌剤の添加など、およそ馬鹿げきったことともいいたい所です。問題になるのはむしろバイ菌の培地になる食物の残りで、口の清潔も、要はこれを取り除くことにあります。食後にウガイをすればよろしい。それも、格別殺菌作用のある薬液でなく、ただの水でもお茶でもよろしい。

     「臥すに臨み煎茶に塩を加へ口をすすぐべし。
      口中を清くし、牙歯を緊にす。下茶よし」
    (養生訓)

 冷水なれば鍛錬の意味にもなりましょう。もっとも、これは歯肉のつまっている若いうちのことで、年とともに歯肉が萎縮してすき間が出来たり、虫歯や磨滅でホラ穴が出来たりなどして来ると、はさまった食渣はなかなかとれにくいので、どうしても妻楊枝でよく掃除しなければならないということになります。
 なお、あまりていねいに歯みがきをつかうと、歯の磨滅もさけられません(昔の粗悪なみがき粉ほどのことはないにしても)。いずれにしても、今ふつうに行われている歯みがきの目的は、歯の健康のためというよりは、むしろ美容のためだけのものと考えても大して間違ってないように感じられます。そのもっとも端的な現われは、歯みがきに洗剤(肝臓毒であり、癌の発生をたすけるはたらきもあると恐れられている)さえも配合されている、という事実でしょう。

 それはともかく、歯をみがくのは、要するに歯の清掃のためです。そして今一つには歯や歯肉の鍛錬のためですから、硬いブラシだけでゴシゴシやれば、それでよい筈で、つけるにしても、精々食塩くらいで結構です。この点で、昔、仏家の間で行われた楊枝こそ本来の面目といったものでしょう。

 道元禅師の正法眼蔵中洗面の項に曰く
「つぎに楊枝をかむべし。
………楊枝のながさ、あるひは四指、あるひは八指、
あるひは十二指、あるひは十六指なり。
………ふとさは手小指大なり。しかいへども、
それよりほそき、さまたげなし。
そのかたち手小指形なり。一端ふとく、一端ほそし。
ふときはしを微細にかむなり。
三千威儀経に云ふ、頭を嚼むこと三分を過ぐることを得ざれ。
よくかみて、はのうへ、はのうら、みがくがごとくとぎあらふべし。
たびたびとぎみがき、あらいすすぐべし、
はのもとのししのうへ、よくみがきあらうべしはのあひだ、
よくかきそろへ、きよくあらふべし。
瀬口たびたびすれば、すすぎきよめらる。」


<1963・6 健康と青汁 第82号より>




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