遠藤語録文字 乾燥青汁ピロサンマーク
調理

 自然界の動物の食べ物は、すべて自然のままですが、私ども人間は調理して食べます。
 それは、食べよくし、消化しやすくするためであり、細菌や寄生虫の害を防ぐためでもあります。
 まだ火食を知らなかった原始人は、動物と同様、すべて生食したでしょうが、それでも、食べよくするためには、大きいものは細く切り、堅いものは皮をむき、叩きつぶし、あるいは、水につけて軟くするなどのことはやったでしょう。そうした簡単な手を加えることでも、もう、いく分か栄養分は失われます。
 たとえば、細く切ったりすり下ろしたり、マッシュすると、組織が破壊されて、空気にふれる面が大きくなり、酸化酵素の活動がさかんになって、ビタミンをこわします。(ビタミンCや葉酸など)。また、穀や豆を水に浸すだけでも、水にとけ出る成分(ビタミン、ミネラル)はいくらか浸し水に抜けて行きます。

 しかし、もっとも大きい影響をあたえるのは、何といっても熱処理です(火食)。
 今では、調理といえば、煮炊きすることと、殆んど同じ意味になってしまっているほどに、よく火がつかわれます。火を使うことで、多くのものは軟くなり食べよく、消化しやすくなり(もっとも肉類のように、却って堅くなり消化しにくくなるものもありますが)、味もよくなれば、細菌や寄生虫の危険もなくなります。
 しかし、火によって変質し、利用しにくくなるものもあり(食品中のカルシウムは有機複合塩となっており、消化吸収されやすいのですが、熱処理で分解し、不溶性となり、吸収利用されにくくなります)、破壊されるのもあります(ビタミンC・葉酸など)。また、脂肪は、変質して腸管を刺戟するようになり、甚しい高熱では発癌性にもなるといいます。なお、煮汁の中にとけ出るものも少くありません(水溶性のミネラル、ビタミン)。その他、まだわかっていない、しかも大切な成分、いわゆる未知の因子の破壊、ということも考えられますし、軟化をはやめるため重曹を加えると、ビタミンの破壊はさらに甚しくなります(ビタミンBやC)。

 ともかく、火の発見とともに、調理法は異常の進歩をとげたけれども、それに伴って食の不自然化、不合理化はますます甚しくなり、多くの弊害を招く結果となりました。そしてその弊は、すでに夙く、古代に於ても認められました。

 ローマの哲学者セネカは、「今日、吾人はその料理の数だけ病を有す。その料理番の多いだけ疾患もまた多し。料理人は胃の役をつとめあはせて、また、歯の代用をなすものといふべし。これを以て、その作れる食物は、あらかじめすでに咀嚼せられたるものの如く見ゆ。これ百味の贅沢物を一皿に凝せるものにして、調理せるものといはんよりは、むしろ吐物に髣髴たり。」

 といっていますが、それは、そのまま今日にも適用します。
 また、近代にいたって細菌学、伝染病学の影響により、細菌、寄生虫感染が極度におそれられ、無菌的ということが、必須の条件のように考えられ、火食の傾向はいよいよ甚しく、生食などといった非衛生的な食べ方は、危険極まる野蛮行為として、排斥され、しだいにすたれて行きました。
 がしかし、その結果、はたして、旧時代に比べ、より健康となり、より長寿となったでしょうか。

 皮肉な一例としてラコルスキーは、
 「細菌学の大本山たるパストール研究所の学者達は、信仰的ともいうべき熱心さで、殺菌した食べ物のみをとり、かくすることによって、おそらく長寿を得、百才以上にも生きられるだろう、と考えていた。ところか、案に相違してかれらはすべて40〜60代でたおれてしまった」といっています。

 ギリシャ神話に、
 「人類の祖先であるプロメチウスは、ミネルバ神の助けで天にのぼり、禁制の太陽の火を炬火にうつし、下界の人間にもたらした。神はその罰としてパンドラをつかわし、「開かずの箱」をあたえたのだが、パンドラがそれを開いたので、もろもろの禍や病気が人間界に潜入した。」
 とあるのも、わが国の神話で、イザナミ神が火の神を産んで崩御されたことから、上代は火食を「ケガレ」としたこと、神饌にはすべて生ま物に限られていることも、おそらく、上代人が火食の害を知っており、神のおきとしていましめたものでもありましょうか。

 最近になって、ビタミンや酵素に関する知見のすすむにつれ、ようやく、自然食の重要性が認識されて来、ふたたび生食、しかもなるべく新鮮なものの生食、が強調さるようになったのも、けだし当然のことでしょう。いずれにしても、調理することによって、栄養分は大なり小なり失われ、食品は不完全化され、しかも、火を用い、手のこんだ調理ほど、その影響は大きく、味は落ち、健康上に及ぼすところは甚しくなります。したがって、料理は、大切な栄養分の失われないよう、なるべく簡単に。余計な手を加えず、出来れば自然のまま生食するか、せめて、なるべく自然に近いかたちで食べることが望ましいわけです。
 穀や豆類も、昔は、水に浸して軟らげ生食したようですが、歯の悪くなった現代人には、ちょっとむつかしいでしょう。またこれらは、たとえ煮炊きしても、栄養分の損失はそう大したものでないので、強いて生食する必要はありません。肉、魚、介、卵なども、新鮮なものは生食されています。ことに魚介類の刺身は、古くから、情熱的といってよいほどに愛好されています。

 ドイツでも、燃料節約をかねて、炊事に火をつかうのは1日わずか1回だけで、牛肉さえも生食用のが市販されているそうです。しかし、これらは寄生虫の心配がないではないし、火をあてることで失われるところは問題にするほどのことはないので、これらもまた、強いて生食するにはあたりません。

 大切なのは、とかく不足がちのミネラル・ビタミンの良給源である野菜・果物、ことに青ナッパの料理です。ビタミンCその他、加熱しただけでもこわれるものは、火力の強いほど、火にあてる時間のながいほど、その損失は甚しいので、なるべく軽く加熱すべきです。古人が、「ついえたる(にえばなを失った)を食わず」(論語)といっている通りです。
 また、煮汁へのロスを防ぐため、「いり菜」、「油いため」といった料理法、あるいは「汁の実」とし、汁も実も全部食べる、などの注意が肝要です。
 なお、もっとも大切なことは、なるべく多くを自然のまま、生で食べること。
 もちろんそのためには、良質で、安全、下肥も農薬も心配のない材料の円滑な供給が前提であることはいうまでもありません。
 <(1968・4 遠藤)健康と青汁第140号より>




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