遠藤語録文字 乾燥青汁ピロサンマーク
 暑さあたり

 これまで、夏になっても別にどうということもなく、暑いは暑いが、それなりに結構たのしい日々をすごしていた。
 が、ことしの残暑にはすっかりやられてしまった。
 なんとしても89才。
 九〇路の中ほどをゆく夏。
 それも、前半はなんのこともなかった。
 もっとも、ことしは、夏になっても脚腰の痛みがあった。
 この痛み、これまでは寒い間だけだったのが、ことしは真夏になっても時折痛み、やはり年は争えぬと、感じてはいた。
 ただ、痛みの場所がいくらかかわり、これまでは主に腰、臀部だったのが、大腿のつけ根あたりに感ずることが多くなっていた。
 ほかには変ったことはなく、食事はふつうだし、といって、これも気がついてみると、これまで見むきもしなかった梅干を食べるようになっていた。
 庭に梅の木があり、毎年塩漬けにしていたのが、ずい分たまっているが、これまで大して食べたことはなかった。
 それが、この夏は梅干茶を飲んだり、梅干茶漬にするなどといったことも多くなっていた。
 やはり食欲が落ちていたんだろう。
 しかし、何を食ってもまずくはないし、食量も大してかわらず、体重はずっと50キロがつづいている。
 ねむりもよい。昼寝1〜2時間。夜もいつも通り。夕食がすめばもう寝ているんだからむしろ寝すぎかも知れない。
 折角息子たちがつけてくれた冷房もほとんどつかわなかったが、ことしは暑い最中、冷房した家内の部屋に寝るようにはなっている。
 それだけ体力がおとろえて来ていたんだろうが、苦しいとも、しんどいとも感じない。
 ところが、立秋(8月6日)後になって毎日きびしい残暑がつづいた。
 1週間もたった頃だったろうか、よくねむった朝。いつもなら、夜明けとともにとび起きるのに、目は醒めたが起き上がれない。手も足も動く。だからマヒしているのではないし、痛むためでもない。
 がどうにも力がはいらないのだ。
 手で両足をひき寄せ、腕を立て、やおら起きようとしても、なかなかうまくゆかぬ。
 ようやく立ち上がっても脚はフラフラ。ヨタヨタと数歩あるいてようやく調子が出る、といったぐあい。また、すわるのも、ねるのも同じ。
 まるで、なげ出すように尻もちをつき、フトンの上にコロゲる、という始末。
 なんとも情ない。
 いよいよ年貢の納め時が来たのか、とフト思う。といってズッというのではない。
 動きはじめはいかにもタドタドしい足どりだが、しばらくすると、やがてふつうに歩けだす。
 暑くなってから、あまり歩かなかったので、あるいは運動不足のためかと、手足の体操をやってみたが、簡単な動作でもピクピク痛む。
 が、がまんしてくりかえすと間もなくこれもなくなる(これは以前からあること)。
 少し青汁をなまけていたためかも、と分量をふやし、夜中にも目がさめるたびに(たいてい2時間おきに排尿で目がさめる)、2本(1合)づつ飲んでもみたが、大して変らない。
 食べものの影響も別にない。
 但し、好物の甘いものがすぎると、やはり、どうもよくないようだ。
 せがれが杖をさがして来てくれた。なるほど、これはぐあいがいい。凸凹みちや石段など安心してあるける。
 そこで、ともかく食べものに気をつけ、つとめて運動し、寝床はベットにし、仕事はテーブルにしてみた。
 そのうち9月になると、さすがの残暑もおとろえ、秋風の快い時節の到来とともに、寝おき、立ち座わりの動作もしだいに楽になり、やがて杖も邪魔になりだし、山の上り下りも、もとの通りになった。
 やはり暑さのせいだったのだろう。
 県北にいる妹に話したら、農家の老人にチョイチョイあることらしい、と笑っていた。

<1990年 8月 健康と青汁第408号より>




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