遠藤語録文字 乾燥青汁ピロサンマーク
青汁を飲んでいたのに

 青汁を飲んでいたのに、肺炎になった、腎盂炎になった。
 青汁を飲んでいたのに、筋炎をやり、中耳炎をやり、虫垂炎(俗にいう盲腸)になって手術をうけた。
 青汁を飲んでいたのに、検診で、冠不全(心臓の冠状動脉の血行不全)があるといわれた。
 青汁を飲んでいたのに、脳溢血で半身不随になったり、亡くなった。
 青汁を飲んでいたのに、腎炎になり、肝炎になった。リウマチが出た。胃潰瘍で血を吐いた。胃癌になった。乳癌になった。等々。………

 青汁を飲んでいても、やはり、いろいろなことがおこる。
 そして、青汁で風邪をひかなくなる、膿まなくなる、高血圧が下がり、中風の治りがよくなる、などといわれているのに、これはまた、なんとしたことだ。とお叱りをうけたり、恨み言をいわれたりもする。
 これは、一つには、病気なり、その下地(素質、素因)なりの程度にもよることだろう。いかにすぐれた薬でも、はげしい病気は防ぎきれないし、素質はどうすることもできない。青汁でも同じこと。それに、青汁の効力は、あるいは「生」という摩訶不思議な力があずかるかも知れないが、おもなことは、なんといっても、栄養の完全化にある。
 私どもの習慣食は、熱量や蛋白質にくらべて、ミネラルやビタミン類が不足した、不完全食になっており、これが体位、体質の劣悪化や、病気の下地をつくるもとになっていると考えられる。緑葉類は、この欠陥を補正するのに必要なミネラルやビタミン類を豊富にもっている唯一の食べ物であり、そのほかにもまだわかっていない大切な成分があると想像され、それら全部がそろって、はじめて完全食となり、はじめてほんとうの健康が約束され、病気の治りもよくなるのであろう。

 けれども、それには、まず材料の質と、とり入れる量が問題。
 青葉、青汁がいかに栄養の欠陥を補うのによいとはいっても、その質がよくなかったり、摂り方があまりに少なすぎては、とても補いきれるものではない。ふつうの平均食の場合、質のよい(ビタミンにとみ、吸収のよいカルシウムにもとんでいる)ナッパを、少なくとも1日400〜500グラム(汁にして、しぼったままの原液で約2合)はのまねば、食全体としてのバランスはとれない。だから、2勺や3勺、せいぜい5勺程度の青汁を飲んでいたのでは、たとえ混ぜ物のない正味の青汁であるとしても、まことに心もとない。
 また、同時に、白米飯や肉、魚、糖分、酒といった、ひどく偏った不完全な食べ物が多かったり、いろいろな薬品や、危険な添加物のはいった有害食品をとっていれば、いよいよもって追っつかない。
 そこで、少々の青汁を飲んでいるだけで、きくの、きかぬのというのは、もともと無理というもの。また、たとえかなりの量は飲んでいても、一方ではなはだしい悪食がつづけられていては、やはりそれも無理。

 ところで、一つ気がかりなのは、青汁を飲んでいることが、かえって、そうした油断のもとになっていないかということ。それは、青汁の効果があまり過大にうけとられて、「青汁を飲んでいるのだから」といった安心感から、わざとではないにしても、つい不養生をしていないとも限らないからだ。
 ナッパをしっかり食べ、青汁を飲んで、ミネラルやビタミンに十分余裕があれば、不完全食でもけっこう埋め合わせがつく。だから「そうしておれば、少々の不養生をしてもさしつかえはない」と、私どもも、つい、そういう口吻を洩らす。すると、つごうのよいことだけ、つまり、「青汁を飲んでさえいれば不養生をしてもよいんだ」ということだけ受けとってしまう、ここに、禍のもとがあるのではないか。

 いつも、「うんとナッパを食っておれば」、「しっかり青汁を飲んでいれば」、そして「ミネラルやビタミンに十分余裕をもたしておけば」という条件はつけているのだが、その肝腎かなめのところが、忘れられている。青汁を飲めば、飲まないよりは確かによい。しかし、それは、あくまで完全食にするという前提のもとであって、ただ青汁さえ飲んでいればよい、それで安心、というものでは断じてない。
 青汁をうんと、たとえば1日3合〜4合(もとの材料ナッパ750〜1000グラム)あるいはそれ以上も飲んでいればともかく、5勺かそこいらだけで、「青汁をやっているから大丈夫」と、いつも大飯を食い、脂こい肉類ばかりたべ、甘味の強い菓子を食い、有害食品をもいとわず、酒やタバコはすごす、といった不養生をあえてすることは、まことに恐ろしいことだ。

 青汁はけっして万能薬でもなければ、特効薬でもない。ただ、野菜を食べる一方便にすぎず、それによって食を完全にし、諸機能を正しくし、抵抗力を増して、病気にかかりにくく、また治りよくしようというもの。
 したがって、ただ青汁だけでよいのではなく、かならず、同時に、食の完全化、合理化をはからねばならない。主食をへらす。それも、ミネラル、ビタミンの乏しい白米よりは、それらにとんでいる玄米や、せめて搗きの悪い米、あるいは麦、豆、芋をあわせて食べる。
 蛋白食品も、ミネラル、ビタミンの多い小魚や内臓、あるいは牛乳、大豆やナッツ類。そして、なるべく質のよい緑葉を多く、しかも、なるべく生で食べるようにつとめる。間食には、菓子はやめて果物にし、酒、タバコはなるべくさける。なお、つとめて安全な純正食品にする。これが青汁を効果あらしめる大切な条件であり、そうしていれば、「少々の不養生はかまわない」のだ、ということを、忘れないようにしたい。
<1979・2 健康と青汁 第270号より>

 もう一つの問題は青汁そのものにある。というのは、私のいう青汁とちがう青汁――私のは純粋のナッパ(草木の葉でもよい)だけのしぼり汁に限られているのにたいし、どんな野菜や果物でもよい。ともかく生のしぼり汁でさえあれば、みな“青汁”とよばれている――。そういうゆがめられた、いわゆる“青汁”なるものが氾濫し、そこに混乱を生じてきているからだ。

いわゆる“青汁”
 青汁がよいことは、よく知られてきたが、どうも、あまりうまいものでない、のみづらい。で、もっと飲みよくしようと、いろいろな人がいろいろなやり方をいい出し、ものの本にも書く、テレビやラジオでも放送する。機械メーカーは、それを大いに宣伝に利用する、といったぐあい。うまく飲むことはたしかに結構なことだと、私も思う。けれども、そのために青汁本来のねらいがくるってしまっては困る。

青汁のねらい
 もともと青汁のねらいは、味ではなくて、栄養の改善、食の完全化。いまの一般食の欠陥であるミネラルやビタミンの不足を補ない、バランスのよくとれた完全食にし、不完全食(欠陥栄養)のために濁っている血をきれいにして、からだ中の細胞・組織・臓器のはたらきをよくし、健康をすすめ、病気のなおりをよくしよう、というもの。
 ところで、この目的に適しているものは、良質――すべてのビタミンおよび吸収しやすいかたちのミネラルにもとんでいる――ナッパの生食しかない。しかも、その大量が必要なので、かんで食べるのはむつかしいから、汁にしてでも飲もう、というのだ。
 しかし、ナッパ類はもともとあまりうまいものでない。それを、汁にすればいっそうまずくなる。そこで、もっとうまい他の野菜にしたり、果物にしよう、とするわけだが、それらは、いずれも、ビタミンやミネラルには乏しいものばかりなので、飲みよくはなっても、とうてい必要なミネラルやビタミンをみたし、栄養のバランスをよくすることはできない。したがって、いわゆる“青汁”(むしろ青汁といわず、ただ生野菜・果物汁というべきだ)は、嗜好飲料としての価値はあろうが、栄養を改善し、健康をすすめ、病気を防ぎ、その治りをよくするためには、あまり効果はのぞめそうもない。いや、そればかりか、時には、かえって、弊害をまねくことにもなりかねない。

その一例
 さいきん、青汁相談室にみえた方にこういうのがあった。先年、奥さんが中風でたおれられたが、そのとき、主治医から青汁をすすめられた。で、自分にもよいだろうと、そのドクターから教えられたとおりに、ニンジン、キャベツ、ピーマン、トマト、リンゴ、メロンなどいろいろな野菜・果物から、牛乳を水代りに入れたミキサーでつくった“青汁”を、毎日、コップ2杯づつのんでいる。また、主食の白米飯をやめ、肉食もひかえるようにしている。そして、もと、肥満体だったのが、かなり痩せ、今では標準体重くらいになっている。ところが、半年ほど前、肋膜が出て、入院、治療をうけている。青汁をのむと、体調がよくなり、いろいろな病気がなおるといわれているのに、なぜ肋膜が出たのだろうか、と、“青汁”なるものに疑問をもつようになっている。とのこと。

私の答え
 ごもっとも千万です。青汁をやっていれば、昔の結核でさえも治ったのですから、肋膜など出る筈はありません。しかし、あなたのやられている、そのドクターから聞かれた“青汁”は、私のとは、まるでちがっています。私のは純粋のナッパ汁、それもミネラル・ビタミンにとんだ良質ナッパの汁。それを十分にのめば、バランスのよくとれた完全食になり、病気にも強くなります。けれども、残念なことに、あなたの“青汁”では、とてもナッパほどの栄養分はありません。そこで、たとえ、毎日2合のまれたとしても、栄養を完全にすることはできず、そのうえ、食をへらされていますから、それだけマイナスの条件がふえています。その結果、栄養失調傾向をまねいて、抵抗力を弱め、肋膜がでるようになったのでしょう。

正しい青汁
 参考書もいろいろありますから、よく研究されて、正しい理解のもとに実行してほしいと思います。やり方さえ正しければ、つまり、良質安全な材料でつくった青汁を、十分の量のめば、必ず効果はあり、けっして、そういうまちがいはおこりません。

    よい材料
     良質材料として、私どもはケール(キャベツの原種)をすすめています。成分がよいうえに、この地方では、年中きらさず利用でき、収量も多いからです。そして、栽培には、化学肥料、農薬は一切つかわず、堆肥を主とし、石灰、鶏糞、油粕などを肥料とする、自然農法が適当です。

    分量
     また分量は、健康なものでも、少なくとも一日1合(もとのナッパ250グラム)、理想的には2合(もとのナッパ500グラム)。どこか具合のよくないときは、それ以上。3〜4合、5〜6合でものみたいものだとかんがえています。なお、この量はキジでの話で、ミキサーでつくるばあいは、水がはいっているだけ分量がふえます。これも忘れないようにして下さい。

(53・10)

<1979・3 健康と青汁 第271号より>



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