健康と青汁タイトル小
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3-1. 心筋梗塞よくなる

    佐賀県 H.Y. 

     「青汁と健康」のおかげで、主人の心臓病が助かり、心から感謝いたしています。昨年9月、主人が心筋梗塞の発作を旅行先でおこしました。さっそく遠藤先生にご相談申しあげましたところ、「手近にある野菜やキャベツ1キロを、毎日、青汁でのますように」とのことでした。一生懸命つくりました。主人も一生懸命のんでくれました。すこし時がたつにつれ、青汁がおろそかになり勝ちでしたので、不足の時の間に合せにと、錠剤の青汁を、毎食後、または酒の後に服用するようにしています。おかげで、あれ以来、なんの心配もなく、元気で毎日農業にいそしんでいます。ありがとうございました。また、ケールの種子をお願いいたします。


3-2. 心筋梗塞と水

     医学博士 遠藤 仁郎 

     心筋梗塞による死亡率は飲料水の硬度と密接な関係があり、軟水域では、硬水域にくらべ心筋梗塞による死亡、ことに急性死が多い。(もっとも動脈硬化の傾向に差はないそうだが)硬水は、カルシウム、マグネシウム、リシウムなどにとんでおり、硬水域の動物の組織内のカルシウム、マグネシウムも軟水域より多い。
     そして、軟水域に死亡率が高いのは、イオン化したカルシウムの乏しいため、神経や筋肉の興奮性がたかまっているため、と説明されている。わが国の水の多くは軟水だし、煮沸するとイオン化がこわされるので、いっそう条件は悪くなる。
     この意味でも、イオン化しているミネラルにとんでいる良質野菜の生食、ことに青汁としての利用が有利なわけだ。


3-3. 心筋梗塞にかかって(1)

     友成 左近 

    はじめに
     このほど私は、思いもかけていなかったことですが心筋梗塞にかかりました。
     が、幸い、発作が起こって間もなく、救急車で倉敷中央病院に入院して、速刻専門医の診療をうけることができたので、さしあたりことなきをえました。そしてその後、精密検査の結果、この再発防止には手術が必要であり、そしてそれは可能であり、有効であるとのことで、その手術をうけ、それがうまく成功して、再発のおそれがひとまずなくなりました。

     ところでさきに、思いもかけていなかったこと、といったのは、こういうしだいです。私のからだには、あれこれと厄介な持病があって、そのうち最も厄介なのは、腹部と腰部に、レントゲン深部治療による火傷があって、そこに絶えず潰瘍が起こって、ひどく痛むことです。そして、この防止や恢復には、医療にまだ有効適切なものがないので、養生とりわけ食養生に精出して、できるだけ体力、治癒力を強化する以外に打つ手がないとのことで、ここ20数年来、遠藤先生にご指導お願いして、青汁食養生につとめてきました。
     そして、この青汁食養生に、それ相当つとめておれば、心筋梗塞などにかかるおそれは、まずあるまいといわれていました。それで私は、なによりもまずレントゲン潰瘍の防止や恢復のため、青汁を毎日4合以上(材料のケールで1kg以上)飲み、そしてその他の食物もあれこれと改めて、自他共に、それ相当につとめていると思っていました。が、それにもかかわらず心筋梗塞にかかったのです。

     そこで私は、あらためてめいめい生きた体と青汁食養生について、素人なりにも、あれこれと考えなおしてみました。が、その結末は、やはりこれまでと同様であって、それは要約つぎの通りです。

     まず第一に、人間ナマミであり、それに生活環境は実情危険いっぱいであるので、養生とりわけ食養生には、平素からめいめい確かと心がけて、健康の保持増進につとめなければならない、ということです。
     が第二に、そう心がけても、ほかならぬ人間のすることであり、まためいめい生きた体は十人十色であるので、そこに不行届や間違はさけがたく、それに生きた体にしても生活環境にしても、養生の及びかねるところがあるので、ときに病気にかかることはまぬがれない、ということです。
     そこで第三に、もし病気にかかった場合は、またかかるおそれがある場合も、いうまでもなく、幸い医療が進歩普及しているので、それを利用することが大切である、ということです。
     と共に、第四に、この医療が首尾よく成功するように、養生とりわけ食養生には、平素とはダンちがいに精出すことが大切である、ということです。
     さらに第五に、予防についても治療についても、医療にまだ有効適切なものが開発されていない病気の場合は、養生とりわけ食養生に、実情能うかぎり精出すことが大切であって、そうすれば、それ相当の効果がある、ということです。
     そして第六に、食養生には当面いろいろな試みがあるが、青汁食養生が実情最も優れている、ということです。

     このたび心筋梗塞にかかって、その療養経験から、めいめい生きた体と青汁食養生について、これまでと同様ながらも、要約前記のように考えなおしてみたのですが、読者になんぞご参考になればと、その療養経験をひとわたり書き記してみたいと思います。
     (なお、遠藤先生は、長年おつとめになっておられた倉敷中央病院の院長を、先年おひきになって、ただいまは名誉院長です。が、毎週一回木曜日に登院されて、初診や再診にあたられ、また希望者には、無料で青汁食養生の指導もなさっておられます)。

     (なおもうひとつ、最近形成外科手術が急速に進歩して、レントゲン潰瘍でも、病状によっては植皮手術がうまく成功するようになったとのことで、このたび発作が起こった4ヶ月ほど前に、腰部の火傷部に潰瘍ができて、ひどく痛んでいたので、倉敷中央病院でその手術をしてもらいました。そして、それがうまく成功していたので、この度の手術後、ラクに上向きになって安静することができました)。

    (57年3月)


3-4. 心筋梗塞にかかって(2)

     友成 左近 

    心筋梗塞というのは
     まず最初に、心筋梗塞というのは、どんな病気かというと、これまで見聞したことや、このたび経験したところでは、概要つぎの通りです。
     まずこれは、心臓の筋肉(略して心筋)に血液を送給している冠状動脈のどこかが塞がって、それからさきの血行がとまって、そこがはたらかなる病気です。従って、塞がった箇所や塞がっていた時間などによって病状や予後がちがいますが、場合によっては、即刻生命にかかわることがあり、また、心筋の一部が死んでしまう(壊死する)という後遺症が起こることがあります。

     私の場合は、比較的もとの方で、太く、従って血液の送給範囲がかなり広いところが塞がったのですが、それが右側であり、そして治療が早かったため、血行がとまっていた時間が短かったので、さしあたりことなきをえたしだいです。(なお、心臓の右側は、静脈を通ってもどってきた血液、すなわち酸素の不足している血液を、肺に送りこむところであり、左側は、肺からもどってきた酸素の充足した血液を、動脈を通して全身に送りだすところです。従って、左側の冠状動脈が塞がり、それも、もとの太いところであり、それに治療がおくれると、即刻生命にかかわるほど重態になるわけです)。

     それでは、冠状動脈が塞がるのは、どういうしだいかというと、ひとつには、この動脈のどこかがひどく硬化して、弾力性が少なくなり、また内経が細くなり、さらに内壁が滑らかでなくなり、そしてある箇所が、なにかがくっついているみたいに、特別狭くなっているからです。
     そしてもうひとつには、血液のなかに大きな血の凝まりができて、これが狭くなっている箇所にひっかかって、血管を塞いでしまうからです。(なお、こういう状態になる原因や、その予防については、あとで詳しくふれることにします)。

     そこで、心筋梗塞が起こると、どんな症状があらわれるかというと、まず初めに、急になんとも耐えがたいほど胸苦しくなり、そして冷や汗が全身に流れるように出てきます。そして間もなく、吐き気がして、実際に吐くようになり、また便意をもよおして、出さねば大小便をもらすようになります。
     そして脈搏が、ひどく乱れて、素人ではとりかねるほどです。そこで、もしこんな症状があらわれたときは、まず寝かせて被服をゆるめて、絶対安静にしたうえ、たとえ深夜であろうと、即刻かかりつけの内科医の往診を求めるか、専門医のいる病院に予め連絡して、救急車をよんで入院することが大切です。もし安静にしなかったり、時間がたったりすると、それだけ病状が悪化して、ことによっては生命にかかわるようになり、そこまでいかなくても、心筋の一部が壊死する、という厄介な障害が残るようになります。

     私の場合、全く同様な症状があらわれたのですが、それは、56年8月6日の夜、就床後ひと眠りした11ごろでした。そしてこれが、これまで度々経験している腸閉塞などと、すっかり様子がちがっているので、最初はひどくトマドいました。が、間もなく、家内ともども、ひょっとしたら、これまで見聞したことのある狭心症か心筋梗塞であるかも知れないと気づいて、家内が早速倉敷中央病院に電話してみました。すると今すぐ消防署の救急車をよんで入院するようにとのことで、そうしたのですが、それが12時を少しすぎたころでした。そして当直医は、この専門医でなかったので、応急の診療をした後、すぐ専門医を呼び出してくれたので、さしあたりことなきをえたしだいです。

     なお、狭心症というのは心筋梗塞によく似た病気ですが、これは、冠状動脈のどこかが、ひどく硬化して狭くなっている(が、心筋梗塞のように、必ずしも血液のなかに大きな凝血ができてはいない)場合に、また、ときに冠状動脈のどこかが、ひどいケイレンを起こしたときに起こる病気です。
     それで狭心症は(心筋梗塞が多くの場合安静にしているときに起こるのとちがって)、平素よりはげしい運動をしたり、急に体を冷やしたりあるいは精神的にひどく興奮したりなどした場合、すなわち全身に血液を多量に送給しなければならなくなった場合に、冠状動脈にひどく狭くなっている箇所があるため、そこからさきに血液が十分送給されなくなったために起こるわけです(心筋梗塞のように血液の送給が全くとまってしまうわけではありません)。
     が、こうした狭心症も、度々くりかえしているうちに、安静にしているときにも起こるようになるのですが、それは、冠状動脈の狭くなっているところが、さらに狭くなってきたからであって、やがては心筋梗塞が起こるようになるおそれがあります。

     いずれにしても、狭心症がおこれば、(心筋梗塞のほどではないが)ひどく胸苦しくなるので、たとえ外出中であっても、即刻その場で被服をゆるめて、ラクな姿勢で安静にすることが大切です。そうすれば、数分後には、おそくも30分以内にはおさまります。
     が、おさまっても、道端その他で、よほどの事情がない限り、そのまま数時間は安静していることが大切です。
     けれども、30分以上たっても発作がおさまらない場合は、心筋梗塞に移行するおそれがあるので、早急に専門医の診察をうけることが大切です。
     また、発作が数分以内におさまった場合でも、ましてやこんな発作でも再度起こった場合はなおさら、日にちをおかず専門医に診てもらって、その指示に従うことが大切です。

    (つづく)


3-5. 心臓神経症

    仙台市 K.O. 

     青汁をのみはじめて8年になりますが、おかげさまで、いぜんから悩んでいた心臓神経症がなおり、一度も発作がおきません。
     この有難い気持は筆ではあらわすことができません。
     先生に長生きをして、世の中の人を助けて下さいますように、毎日、神仏様にお祈りをしております。
     ただ、寒さによわく、10年来の膝の痛みがあり、冬はとくに、青汁が少ないせいもあると思っています。
     膝に灸を二日すえ、一日休みし、痛むときは毎日朝夕二回すえていますが、たいへんらくになります。


3-6. 心筋梗塞にかかって(3)

     友成 左近 

    当初の内科診療
     つぎに、前記のような心筋梗塞には、どんな診療が行なわれるのか、この度私が経験もし見聞もしたところでは、まず当初の内科では概要つぎの通りでした。
     まえにふれたように私は、予め病院に連絡して入院したのですが、それは夜半であったので、ひとまず救急診療室にはいりました。
     そして当直医は、小児科医であったのですが、早速症状をききながら脈搏をみた後、すぐ心電図をとっておおよその診断がついたので、循環器センターの内科系医長を呼び出すと共に、ニトログリセリン錠を口に入れて、かまずに、舌の下でとかして飲むように指示してくれました。
     なお、このニトロは、動脈を拡張して血行をはかるためのものです。そして間もなく、呼び出された心臓系の医長が来られて、心電図をみた後、なおニトロを口に入れると共に、左手の甲から点滴注射を始めました。
     なおこの注射は、冠状動脈を塞いでいる凝血をとかして、血行をはかるためのものです。それから、循環器センター専用のレントゲン診察室に移され、また、あとで私の担当医になった専門医やレントゲン技術者や看護婦が呼び出されて、心臓カテーテル(略して心カテ)で病状を精密に調べてくれました。
     そして、とまっていた血行が再開してきたことを確認した後、前記の点滴注射以外に、なお心カテによる点滴注射を始めて、CCUに移されました。
     そしてここで、なお抗生剤の点滴注射や酸素吸入その他必要な治療を始めて、血行と心臓機能の恢復をはかってくれました。

     × × × 

     なお参考までに、心カテというのは、まずひとつには、主として右ヒジ関節の内側の動脈を切開して、ここからカテーテルをさし入れて、これを冠状動脈までとどかせて、これに造影剤を流し込んで、その流れ具合をレントゲン透視で調べて、冠状動脈のどのあたりが、どの程度塞がっているかを診察すること、また、カテーテルを左心室にさし入れて、そこに造影剤を流し込んで、その心筋の活動状態を診察することです。
     そしていうまでもなく、これはフィルムに残して、あとで再度詳しく調べたり、患者やその家族に病状を説明するのに使います。

     つぎにもうひとつ、これは主として心臓の右側に梗塞が起こった場合ですが、前記ヒジ関節の内側の静脈を切開して、ここからカテーテルをさし入れて、右心房・右心室を通って肺動脈までとどかせて、溶血のための点滴注射をするのですが、それは、右心房・右心室が正常にはたらくようになっているので、それを補なって、溶血剤を血流に早く多量に流し込むためです。

     なおもうひとつ、CCUというのは、詳しくは冠状動脈病集中治療施設のことですが、ここでは、狭心症や心筋梗塞など冠状動脈病の重態患者を一時収容し、従って、手術室に準じた清潔が保たれ、そして、そこに必要な機械器具や薬剤などをすべて常備して、昼夜の別なく専任の看護婦がつききり、また専任の医師が常駐すると共に、担当医が度々見廻って診療にあたるようになっています。
     そして、このCCUはICUに併設され、そしてICUというのは、冠状動脈病に限らず、広く内科外科にわたる重態患者を一時収容して、前記と同様に集中治療をする施設です。


3-7. 心筋梗塞にかかって(4)

     友成 左近 

     こうしたCCUで、7日払暁前から治療をうけて、一応危機を脱したので、8日の午后、普通の病棟に、それも、看護婦詰所の隣りにある観察室に移されて、看護婦が昼夜ほぼつききりで治療を続けてくれました。
     そして10日になって、普通の病室で治療ができるようになったので、そこに移されました。

     (なお、この普通の病室には、患者が入院した時から、その緊急事態に備えて近親者が待機することになっています。
     そしてこの近親者は、患者がCCUやICUにいる間は、日に2回、定時に数分間、患者に面会することができ、それも、施設内の清潔を保つために特別な服装をしたうえです。
     また、観察室にいる間も、やはり特別な服装をして、食事その他の身まわりの世話をするときだけ入室することになっています)。
     こうして、普通の病室に移った後、肺動脈までさしいれてあったカテーテルを、心臓の外まで引き出して普通の点滴注射にしこれに、手甲からの点滴注射を合流しました。
     そしてその後、病状がだんだんと軽快するにつれて、酸素吸入や点滴注射はやめて、クスリだけをあれこれと服用するようになりました。

     × × × 
     ところで、普通の病室に移ってからの療養ですが、まず運動はこうでした。
     普通の病室に移った後、心臓機能がほぼ安定して、点滴注射もやめてから、絶対安静がとかれて運動を始めたのですが、最初は、体をベッドにつけたまま、ベッドの上半分を徐々に起こして直角にたて、それに5分間もたれていた後、ベッドを起こしたときと同様にたおすのであって、これを日に4回しました。
     そして、これを3日間続けた後、つぎに、他人に手助けしてもらい、自分は全く力を入れずに上半身を起こし、5分間ほど自力で坐っていた後、起きたときと同様にねる、という具合に、その後のことは省略しますが、運動の強度は至って徐々にあげていきました。
     そのうえ、運動している間は、必ず看護婦が付き添い、そしてその前後には、血圧と脈搏をはかり、強度を一段あげたときは、担当医が立ち合って、心電図もとってみる、というふうに極めて慎重にすすめていきました。
     つぎに食事は、最初は、心臓の負担を最小限にするため、全くの流動食でしたが、心臓機能が回復するにつれて、だんだんと変わり、やがて普通食になりました。
     といって、心筋梗塞を起こした後ゆえ、比較的消化しやすく、そして動物性脂肪と食塩を制限し、また納豆などのように凝血作用の疑いがあるものは排除していました。
     なお青汁は、これまで長年の食養生から、なんぞ飲食物をとってもよい、ということになれば、まずぜひ飲まねば、というわけで、最初の間は水分制限がきつかったので、粉末を三食毎に一包、流動食でのみました。
     が、10日から水分制限がかなり緩和され、朝の給食に青汁が5勺つくようになったので、青汁仲間の木村さんに、毎日4合とどけてもらいました。
     けれども、水分にまだ少し制限があったので、そのうち3合を、1合につき粉末二包加えて成分を実質倍増して飲みました(なお、残りの1合半は、付添っていた家内用にしました)。
     ところで、その他の療養については省略しますが、入院して3週間ほど経過したとき、RI(ラジオアイソトープ)で心臓機能を調べてくれ、一応順調に回復していることが分かりました。
     そして、入院後5週間ほど経過した9月11日に、再度心カテで精密に検査してくれました。


3-8. 心筋梗塞にかかって(5)

     友成 左近 

    手術適否の診断

     ところで、はじめ急患で入院したときの心カテ検査で、冠状動脈の塞がっていたところには、バイパスをつける手術が必要である、ということがほぼ分かっていたそうです。(そして、これは家内に、レントゲンフィルムをみせて詳しく説明してくれたそうです。が、家内としては、なにぶん全く未知なことであるため、トッサにはお願いする決心がつきかね、そして私には内緒にしたそうです。)従って9月11日に、心カテで心臓機能の恢復状況を調べたのは、退院の可否などを判断するためではなく、実は主として、この手術が本当に必要であり、また技術的に可能であるか、そしてその効果があるか、さらには私の体力がそれに耐えるかどうか、といったことを調べたわけです。

     ところが、この心カテ検査をした日の夜半、急にひどく胸苦しくなったので看護婦を呼んだところ、脈搏をみた後すぐ心電図をとって、これは心筋梗塞の再発ではなかろうかと、とりあえずニトロを口に入れて、担当医に連絡してくれました。そして間もなく、担当医が来られて、前回と同様に点滴注射を始めると共に、観察室に移され、症状がおさまるまで付ききりで治療してくれました。が、こんどは程度がごく軽く、治療も早かったので、さして重態にはならず、12日の夕方には自室にかえることができました。そして療養は、すべて最初からやり直しになりましたが、いずれも速いテンポですすみました。
     ところで、前期の心カテ検査の結果は、心臓血管外科医長とも相談したうえで、14日に前回以上に詳しく説明してくれ、これは家内が、長女をよびよせて、2人できいたのですが、要約つぎの通りでした。

       まず第一に、右側のもとの方で、かなり太いところが一ヶ所、いうなれば99%塞がっており(といって、みる角度によって多少はちがってくるそうですが)、このたび梗塞をおこしたのは、ここが塞がってしまったからであって、ここにはバイパスをつける必要があり、また可能である、ということです。そして、もし手術をしておかないと、この11日のように度々梗塞を起こして、やがては生命にかかわるようになるであろう、ということです。が、今のところ、右側の心筋にはどこにも障害がないので、手術をすれば、それ相当の効果があって、今後もこれまで通り正常に機能するであろう、ということです。また、70歳という、こうした手術には少し高令であるが、それに耐えるだけの体力は備えている、ということです。

       そして第二に、左側のすえの方で、そう太くはないところが2ヶ所、約90%塞がっているので、ここにも手術をする必要があり、また可能であり、そして有効であるということです。

       もうひとつ第三に、左側のすえの方で、細いところが一ヶ所、少し狭くなっているが、ここには手術がむずかしく、またそう必要でもなく、平素養生に心がけておれば、そう重大なことは起こらないだろうということです。


     そこで家内も長女も、その場で、手術をしてもらう決心をして、そうお願いし、そしてそれを私に伝えてきました。それは、まえまえから私は、手術が必要であり有効であれば、してもらう決心をしており、それを家内に話していたからです。また家内も、入院後に手術の必要をきいていたわけであり、そして、幸い隣室の方が知人であったので、手術の模様や効果などを詳しくきき、また、同じ病棟におられて、すでに手術をうけた方や近く手術をうける方たちにもあれこれときいて、手術をお願いする決心がほぼついていたからです。(なお、私の入院していたのは、狭心症や心筋梗塞その他の循環器系病棟でしたが、家内のきいたところでは、ここの患者には、治療のための方だけでなく、主として心カテその他の検査をうけるための方もおられるとのことです。そして、どちらの方にも、検査の結果、すでに心筋に障害が起こっているため、手術をしても効果がない方や、老令もさることながら、体力が手術に耐えきれない方がかなりおられるそうであって、手術をしてくれるのは、いうなれば幸運であるとのことです。)そこで家内は、内科医長の指示に従って、翌15日に、心臓血管外科医長に手術をお願いしたのですが、すでに内科から連絡してあったので、すぐ応諾してくれました。

     そして、手術には輸血用に、新鮮な血液が約5000ml(献血予約者約30人)必要であるので、その準備をするように、そして、予約者がそれだけそろう見込みがついたかどうか、19日までに知らせるように指示されました。それで家内は、近親者や友人知人に助けてもらって、献血して下さる方をあちこちお願いしてまわりました。が、私がAB型であるため、必要数だけそろえるのに、ずいぶん苦労したそうですが、所定の日までに、どうにかそろう見込みがついたので、そのむね心臓外科に知らせました。


     ところで、こうして血液の準備をしていた17日の朝、どうしたわけか7度5分と発熱し、そして夕方には8度5分になったので、とりあえず氷枕をしたうえ、解熱剤で治めてくれました。そしてその後も引き続き、朝夕2回、8度ないし9度と発熱し、そしてその前に、ひどい頭痛が起こり、また寒気もしたので、やはりその都度、氷枕をしたうえ、鎮痛剤や解熱剤で治め、また抗生剤も使ってくれました。そして、いうまでもなく血液検査その他で原因を調べてくれたのですが、いっこうに分からず、そして分からないまま、22日からほぼ平熱になりました。このため心臓外科では、手術の予定日を決めかねたそうですが、21日に、とりあえず10月22日と予定し、そしてその後は無事に経過したので、10月7日に予定通り22日と決定してくれました。そして14日には、内科から心臓外科にうつり、手術前の各種の検査や準備をしてくれました。


3-9. 心筋梗塞にかかって(6)

     友成 左近 

    手術の際のあれこれ
     こうして、10月22日に、冠状動脈に二ヶ所、バイパスをつける手術をしてくれたのですが、この手術に必要な血液は、かねて献血をお願いしていた方々に、手術の前日、所定の時刻に、岡山にある血液センターまで来ていただいて採血しました。(なお、献血をお願いしていた方々30人には、素人判断ながら、最近肝炎を患った方その他不適格と思われる方は除いていたのですが、当日カゼをひいていた方や血液のうすい方などがおられて、実際に採取したのは25人でした。そして採取後の検査で、そのうち一人は、RHマイナスで使えませんでしたが、当人としては、これまで全く知っていなかった重大なことが分かり、また血液センターとしては、AB型でRHマイナスは極めて稀れであるため、もしどこかで必要なときには献血して下さる方として、センターに登録してもらった、という余禄がつきました。)
     そして私は、手術の前日、麻酔科の診察、首から足首手首まで、背と腰以外は前面にわたる毛ぞりと清拭、それから夜9時に潅腸と下剤服用をした後、絶食になって消灯就寝しました。が、これまで大手術をうけた経験は度々あるのですが、そこは凡百、度々目ざめ、そしていつもよりかなり早く目がさめてしまって起床しました。それから手術当日は、朝7時に潅腸、8時に精神安定剤の服用、9時に排尿便をした後、手術衣にきかえて安定剤の注射をして、9時半、近親者や同病棟の方々にはげまされながら手術室にはこばれました。そして、手術台にうつされたころから意識不明になり、そして、手術後、意識が多少とももどってきたのは、翌23日の夕方で、それが多少とも記憶に残るようになったのは、25日の午后でした。(なお、この間のことは、家内がメモしておいたので、それによれば概要こうでした。)

     手術中は、万一に備えて近親者が病室に待機することになっているのですが、待機したのは、家内と長女夫妻と長男の4人でした。そして、手術中の午后7時半ごろ手術室から、新鮮血が、準備していたもの以外に、もう1000mlほど必要になるかも知れないので、至急集めるようにと、看護婦詰所を通じて連絡がありました。それで家内たちは、あちこちあたってみたのですが、時刻の都合もあって、どうにも集めようがありませんでした。それで、その由詰所に知らせたところ、詰所の方で、寄宿舎にいる看護婦さんにお願いしてくれ、そして7名の方が献血してくれました。それから、手術がすんでICUにはこばれ、あれやこれやの治療装置が完了した後、担当医が近親者を臨床によんで、手術の経過や今後の治療予定を説明してくれたのですが、それは夜半すぎの1時でした。
     そして、その説明によれば、手術は予定通りに完了し、また体力もそれ相当にあるので、これから気力と体力をおとさないようにすれば、順調に恢復していく、ということでした。それから、手術に予定以上の時間がかかり、また手術中に血液を集めてもらったのは、老令のため、手術中に心臓壁から出血し始めたので、その処置に予定外の時間と血液を使ったからであるが、この処置で出血がうまくとまったので、血液は予め準備していたのでことたり、手術中に集めたのは使わずにすんだそうです。
     なお参考までに、この度私がしていただいた手術は、担当医が話してくれたところでは(そこは素人で、きき間違いもあるでしょうが)あらましこうでした。まず麻酔は、点滴注射とガス吸入の併用で、その専門医がしてくれました。つぎに手術は、まず胸の首元から胃袋あたりまで切り開いて、肋骨を押し広げて、心臓を外に取り出して、人口心臓を取りつけました。それから、心カテでうつしたフィルムと見合わせながら、冠状動脈のどのあたりに、どんなバイパスをつけたらよいか診断しました。
     そしてそれは、まず右側の太いところが一ヶ所、いうなれば99%塞がっているので、ここにバイパスを1本つける、それから左側の細い血管が枝わかれしたさきの二ヶ所が90%ほど塞がっているので、ここにバイパスを1本つけて、両箇所をカバーする、という診断でした。そこで両モモの内側を、つけねからヒザまで切り開いて、そのあたりを通っている静脈のうちから、バイパスにするのに適切な太さのもの(すなわち、バイパスをつける冠状動脈とほぼ同じ太さのもの)を選んで切りとり、それをバイパスに取りつけました。
     それから、しばらく様子をみて、このバイパスに血液を通してもよいと判断した後、人工心臓を取りはずして、心臓をもとの位置におさめました。そして心臓が、不整状ながらも活動し始めたことを確認した後、肋骨を正常な位置にもどしました。そしてそれから、手術をしたために浸出しだした血液その他の体液を排出するためにカテーテルや、心臓の機能を調整するときに使うワイヤーや、静脈や動脈から点滴注射をするためのカテーテルなどを取りつけた後、胸と両モモを縫い合わせて、手術が一応完了した、というしだいです。


3-10. 心筋梗塞にかかって(7)

     友成 左近 

    ICUにいた間の療養あれこれ
     ところで、ICUというのは、まえにふれたような集中治療施設ですが、このICUにいた間の療養はあれこれつぎの通りでした。

     前記のように、手術がすんでICUにはこばれ、必要な治療装置が完了した後、家内たち近親者が臨床によばれたのですが、そのとき私の有様は外見つぎの通りであったそうです。
     まず、麻酔に使ったときのパイプが口から喉にはいっており、そして鼻と口には酸素吸入のマスクがかかっていました。つぎにベッドのまわりには、背丈ほどのところに、血液や各種の注射液のビンが多数ぶらさがっており、それを点滴注射するカテーテルが、首の右側と左右の腕の静脈と、左手首の動脈の4ヶ所にはいっていました。
     さらに、切開箇所からしみでる血液の排出管が3本、道尿管が1本、ベッドの両側に取りつけてありました。それから、万一の場合に、心臓にショックをあたえるためにワイヤが2本、右胸からさしこまれて、そこをガーゼでカバーしており、また胸と両ももの内側の切開箇所もガーゼでカバーしていました。
     そして私以外に、それそれいろいろな治療装置をした患者が数ベッド並んでいました。ために家内たちは、なんとも異様な感じがしたそうです。

     が、当の私は、最初の間は意識不明で、なんとも感じず、また、意識がだんだんともどってきても、感受性がにぶっていたので、そう強くは異様に感じませんでした。そして童謡が、たえずほどよい音量で放送され、また看護婦さんが、たびたび手当にまわってきて、ほほえみかけてくれるので、しぜん気持がやわらぎ、それに近親者が日に二回面会にきてくれるので、どうにか平静を保つことができました。

     ところで、まえにもふれたように、意識が多少とももどってきたのは、手術の翌23日の夕方ですが、それは、長男が明朝早く出発して帰宅するので、別れにきたときのことです。
     そのとき、まだ口にパイプがはいっていたため、口が全くきけなかったので、手で宙に文字をかいて話をしようとしたそうです。
     が、それでは相手に話が通じにくいので、看護婦さんが文字盤をもってきて、その文字を指でさして話すように言ってくれたのですが、どうもうまくさせないために少々カンシャクをおこして、文字盤を手で払いのけたそうで、それはかすかに記憶に残りました。

     なお、このパイプは、麻酔がさめかけた23日の朝方、いったんはずしたのですが、呼吸が調子よくできなかったので、またさしこんだそうです。そして24日の昼前、ようやくはずすことができたのですが、そのとき私はとっても喜んだそうです。が、なにぶん長時間さしこんでいたために声帯をいためて、かすかにささやくような言葉しか出ないようになりました。(なお、このため、なんとも不自由をし、また、いつになったら自由に話せるようになるのかと、少々イライラしてきました。が、ふつうの病室に帰ったころから、ノドがかわかないように、たえず水を口にふくんだり、黒アメを口に入れてとかしたり、また度々吸入をしたり、あるいは度々口を正しく大きく動かして発声練習をしたりしているうちに、手術後1ヶ月を経過したころから、時折ふつうに近い音声が出るようになりました。そして、さらに1ヶ月経過したころから、まだ至って低音ながらも、普通の音声が出るようになりました。)

     つぎに、切開箇所からの出血がほぼとまって、輸血をやめたのは、24日の午後でした。なお、この輸血について素人なりにも心配があったのですが、それはこういうしだいです。
     この度の手術の6ヶ月ほどまえに、形成外科で腰のレントゲン火傷部の手術をしたとき、少し貧血してきたので輸血しました。ところが、し始めて間もなくフルイや発熱といった異状反応が起こり、また輸血の仕方を変えてみても、やはり異状反応が起こったので、その都度輸血は中止しました。
     それで血液検査をしたところ、白血球に抗体ができていたそうです。そして、こうした抗体ができるのは、主として輸血をしたためであるとのことですが、私に輸血したのは20数年のことで、それ以来一度もしていないので、おそらくそのときできたものであろうか、ということでした。

     そこでこの度、手術に先立って三度も念を入れて検査したのですが、その度毎にマイナスになっていました。それで、この度の輸血では、もしもの場合の措置を準備したうえ、白血球処置はせずに輸血したのですが、別になにも異状反応は起こりませんでした。
     が、その後、原因不明の発熱がつづいたとき、12月4日に念のため検査したところ、また白血球に抗体ができていたそうです。生きた体の変わりよう、まことにもってはかりがたし、ということでしょうか。


3-11. 心筋梗塞にかかって(8)

     友成 左近 

     こうして、手術後の容体がだんだんとよくなり、また意識が多少ともはっきりしてきたので、25日の朝から食事が始まったのですが、それは、重湯とスープと果汁といった全くの流動食でした。
     それで、当日午后2時に家内が面会に来たとき、そこは青汁気狂いで、果汁を飲んでもよいのなら青汁も、と催促したそうです。が、水分摂取に、日に1000mlと制限があったので、とりあえず青汁粉末をとどけてもらい、それを毎度の食事どきに一包ずつ、果汁にまぜて飲ませてもらいました。
     そして、流動食ながらも食物をとり始めたためか、当日の夕方、ガスが沢山出て、オナカの気持がよくなり、それが、多少とも記憶に残るようになりました。
     また当日夕方、家内が面会に来たとき、子どもや孫その他へいそ親しくしていただいている方々への連絡などについてきくようになり、そして、そうしたことが記憶に残るようになってきました。
     そして翌26日には、おまじりや少し形のある副食を食べるようになり、ために、平素飲みなれている晩茶が飲みたいといったり、また、眠っているときと醒めているときの区別がつくようになったので、時計をもってくるように家内に催促したそうです。
     また当日午后、看護婦さんが導尿管をはずしてみたのですが、まだ自力で排尿できなかったので、またさし入れてくれました。
     そしてこうしたことが、だんだんはっきりと記憶に残ってくるようになりました。
     それから27日には、食事におまじりが多くなり、また水分制限も1500mlになり、さらに食欲がかなり出てきたので、青汁粉末を倍増してもらいました。
     そして28日には、脈搏が、まだ少々不整脈ながらも、ほぼ安定してきて、一応危機を脱したので、普通の病棟に、それもその観察室に移してくれました。

    観察室にいた間の療養あれこれ
     ところで、観察室というのは、まえにみたような特別治療施設ですが、この観察室にはいって、ICUと著しく変わったのは食事でした。
     これまでは、ベッドにねたまま、看護婦さんに食べさせてもらっていたのと様変わり、ベッドの上半分を直角に立て、それにもたれて、自分で箸をもってたべるようになりました。
     そして食べ物も、お粥に普通の副食(といって、そうよくかまなくてもよいように柔らかく調理し、食塩と動物性脂肪をかなり制限したもの)であって、もう危機は脱したのだ、という実感が起こりました。
     また、翌29日から水分制限が2000mlになったので、手術前と同様に、青汁を毎日4合とどけてもらい、そのうち3合を、1合につき青汁粉末を2包加えて、実質2合分にして、毎食事前に1合ずつ飲み始め、これでグングンよくなっていくぞ、といった希望がわいてきました。(なお、残りの1合は、付添っている家内がのみました。)

     そしてその後は、人並順調に経過して、体のあちこちに取りつけていた治療装置をだんだんと取りはずして、31日の午后、右首の静脈にさしこんでいる点滴注射用カテーテルと、導尿管と酸素吸入装置だけを残して、普通の病室にもどりました。

     × × × 

     なお、こういうふうに手術後の経過は人並順調であったのですが、観察室に移ったとき、両尻に床ずれができていることに気づきました。
     そして、これは、手術中の麻酔のため、殆んどだれにも、軽重の差こそあれ、できるとのことですが、私のは、手術によけい時間がかかり、またその他にも事情があって、少々重かったようです。
     またこれは、こすると痛く、不潔にすれば化膿するので、毎日手当をしてくれました。
     そしてこれが、一応治ったのは12月なかごろでしたが、その後は、もしこすれて悪化してはと、ガーゼを毎日取りかえてくれ、これは、翌年の1月なかばまでつづきました。

     × × × 

     ところで、話は変わって、こうした体験記についてですが、書き続けながら私ひとり思うのは、私自身には思い出深いことですが、読者の方々には、さして参考にはならず、また読んでみようという関心もそう起こらないのではあるまいか、従って、これからさらに書き続けても、貴重な紙面を汚すだけではなかろうか、ということです。
     が、入院中お見舞いに来られた方々と話し合ったのは、これまで書き続けてきたようなことのあれこれである場合が多く、また退院後に、友人知人にお合いして話し合うことも同様であるので、広く本紙の読者にも、あるいは多少とも関心をよせてくれることではあるまいか、とも思われます。

     また私自身としては、こうしたあれこれを思い起こして、その間お世話になった方々への感謝を怠らないようにしなければと思うので、もう少し書き続けてみることにしましょう。

    普通の病室にもどってからの療養あれこれ
     前記のように、10月31日に普通の病室にもどったのですが、その後の療養は、まず当初はあれこれつぎの通りでした。
     まず食物が、手術前とほぼ同様に、ごはんと普通の副食(といって、普通のより柔らかく調理したものであり、また食塩と動物性脂肪を中等度に制限したもの)に、牛乳200ml1本と青汁90ml1本を加えたものになりました。
     が、ごはんは白米飯であり、また少し固いので、毎食とも、給与の半分ほどを、焼芋その他を入れて炊きなおしたり、おじやにしたり、また煮込みうどんやお雑煮に代えたりしました。
     そして副食には、青野菜の生や煮たものや、煮干いわしその他を適宜調理して加えました。
     また、水分制限が2500mlになったので、青汁はこれまで通り、日に3合に粉末6包を加えて、実質6合分にしたうえ、牛乳を1本加えたものを3回に分けて飲み、それ以外に、好きな抹茶に菓子を少し添えて時折のみ、また、食事時刻の関係で、早朝と夜は少々空腹を感じるので、適宜果物を食べるようにしました。
     (なお、水分制限は11月14日から3000mlになり、手術後1ヶ月を経過した11月22日からは無制限になったので、そのころから抹茶と果物は、一応ほしいだけ安心して飲み食いしました。)
     (なおもうひとつ、食べ物の好みが、手術後少し変わってきました。その主な点は、これまで毎日、朝夕の主食として、好んで食べていたパン、それは懇意な菓子店特製のグラハム・ブロートですが、これが口ざわりも味もまずくなり、ために、毎度の主食が前記のようになったわけです。また副食には、毎朝、そして昼でも夕でも料理によっては、生の青野菜を多量に添えて食べていたのですが、これが口あわなくなり、ために、少しでも多くと、つとめるしだいになりました。が、退院後、体調がだんだん恢復するにつれて、好みも食べ方も以前通りになりました。)

     × × × 

     それから、普通の病室にもどってから間もなく、酸素吸入が取り止めになり、また、尿意をだんだん強く感じるようになったので、3日に導尿管をぬいてもらいました。
     そして、少々長い間さしこんでいたので、排尿時に少し痛みを感じましたが、それも数日後には、そう感じないようになりました。
     また、感染症や発熱を心配してくれたのですが、別にそれらしいものは起こりませんでした。
     そして翌4日には、ただ1本残っていた右首挿入のカテーテルをぬいてくれ、手術以来終日続けていた点滴注射がすべてなくなり、ただ抗生剤だけ、日に3回30分間ほどずつ点滴注射することになりました。
     こうして、出術以来身につけていた治療装置が殆んどすべて取りはずされ、そして、ベッドからおりて、ベッドまわりを歩いてもよい、明日からは便所に行ってもよい、ということになって、なんともいえず自由になった感じがしました。

     × × × 

     そこで、翌5日の朝、向かいの部屋の方が、私と同じ手術をうけるために手術室にはこばれるので、一言はげましに行きました。
     そして序に、その隣室の方に、手術をうける心構えの手本にさせて頂いた謝意を表わしに訪ねました。
     (なおこれは、つぎのような事情からです。おそらくだれでも同様でしょうが、私この度の手術は、なにぶん初めての大手術であるため、家内ともども、なんとも言い知れぬ不安を感じました。が、幸い、同じ病棟におられる同病の方々から、その経験を直接間接にきき、とくに前記の方が、私より年上であるのに、手術後の治療に耐えておられる有様を、観察室におられたときに直接みたので、この不安が多少ともやわらぎ、また、手術をしてもらって丈夫になろうという気力がわいてきました。それで、ようやく歩けるようになったので、フラフラした足どりながら、私自身出向いて、直接謝意を伝えたしだいです。)

     そして、それから間もなく担当医の回診があって、胸の手術箇所のガーゼを取り払ってくれました。
     そして間もなく、看護婦によばれて、自室から約50mある処置室まで歩いて行って体重を測定(手術前より約2kgへって45kg)、引き続き腰掛運搬車ではこばれて、自室の3階から1階に行って、胸部のレントゲン写真と心電図をとってもらいました。
     ために、帰ったときは、なんとも疲れた感じがしましたが、それは、しごく心よいものでした。(なお、これ以後、退院するまで毎月曜日に同所で前記の検査をうけました。)


3-12. 心筋梗塞にかかって(9)

     友成 左近 

    原因不明の発熱が続いて
     これまでみてきたように手術は予定通りにすすみ、手術後も人並順調に経過しているようなので、いつごろ退院できるかなどと、ひとり思いはじめました。
     が、そのやさきの11月5日、当日少々動きすぎたためか、夜になって8度6分と発熱しました。
     これまで夕方には微熱がでることがあり、当日夕方の定時検温では6度6分でした。
     が、そのあと少し頭痛が起こり、寒気もし、やがて全身がほてってきたので、9時ごろ検温したところ、8度6分になっていました。
     それで、三由看護婦に知らせたところ、とりあえず氷枕をすると共に、解熱剤の座薬を入れてくれました。
     すると、やがて少々汗をかいた後、気持よく眠り、翌朝は5度6分になっていました。
     そこで、翌6日の朝方回診した担当医の指示によって、あれこれと検査をすると共に、点滴の抗生剤をかえ、また朝夕、抗生剤の筋肉注射をしてくれました。
     それで、その効果があったのか、6日は終日ほぼ平熱でした。
     ところが7日の早朝、前回と同様に、頭痛、寒気、発熱となったので、今度は鎮痛剤を服用したうえ、前回と同様の手当をしてくれました。
     そして8日は(抗生剤の筋注はやめたのですが)夜、就寝後間もなく前回と同様な始末になりました。そしてその後も、ほぼ同様なことが毎日つづくので、発熱原因がまだはっきりと分からないまま、点滴注射と服用であれこれと治療してくれました。
     それで、その効果があらわれたのか、12日からは終日ほぼ平熱がつづくようになりました。

     × × × 


     他方、こうした発熱が続いていた間、7日には、両ももの手術箇所のガーゼを取り払ってくれたので、残っている処置箇所は、心臓までさしこんであるワイヤーのさしこみ口と、尻の床ずれ箇所だけになりました。
     また、まだ不整脈が少々残っていた脈搏が、ほぼ正常になったので、手術後以来ずっと胸につけていたモニターを取りはずしてくれたので、ベッドにねているときも廊下を歩きまわるときも、少々ジャマになっていたものがなくなりました。
    (なお、よけいなことながら、拙宅は家内と二人だけで、手術後は家内が終日私につきそい、そして長女が帰省して、留守宅の世話をしてきました。
     それで、私はもうすでに少しは自由に動けるようになっており、そして、数日間続いた発熱もおさまったので、14日に長女をかえしました。
     それで家内は、夜間は帰宅して、朝食前に病院に来て、夕食後に帰宅するようにしました。
     そして、だんだん広く自由に動けるようになるにつれて、昼食前に来て夕食後に帰り、そしてその後、昼食前に来て、あれこれ用達した後帰宅するようにしました。)

     × × × 

     前記のように、原因がはっきりとは分からないままながらも、とにかく平熱になったので、おそくもクリスマスまでには退院できるだろうかと、看護婦さんたちと話し合って喜び、足腰ならしに精出し始めました。
     が、それは数日間のことで、16日の夕食後、また頭痛、寒気、発熱がはじまり、9時ごろには8度になったので、まえと同様の手当をしてもらいました。
     そしてその後、こうしたことがほぼ毎日つづくようになり、発熱はだいたい7度5分から8度です。
     そこで再度、とくに発熱時に静脈血だけでなく動脈血までとって、あれこれと検査してくれました。
     が、赤沈が少しはやいことや軽い炎症反応があること、もうひとつ白血球に抗体ができたことなどは分かったものの、決め手になる発熱原因はいっこうに分からない、という有様です。
     そこで、とにもかくにも抗生剤その他をいろいろ取り変えて使ってくれたのですが、いっこうに効果がみえないので、12月2日からは、こうした治療はすべて取りやめて、しばらく様子をみよう、ということになりました。

     × × × 


     ところで、こうした発熱のためもあってか、それはともかく、歩きまわった後に、少しイキがあがるようになり、また、ほぼ正常になっていた脈搏に不整脈が起こり、それが心電図によくあらわれるようになりました。
     それで24日から、再び胸にモニターを取りつけて、脈搏を常時監視するようになりました。
     また、これまで足腰ならしのため、夜間発熱しても、昼間平熱のときは廊下を歩きまわり、約300Mを日に4回以上は歩いていたのですが、それがタイギになって、だんだんと歩きまわらないようになりました。
     そこで、この不整脈がクセになってはと、12月2日に電気ショック治療をしてくれました。
     当日は朝から飲食をたち、昼すぎ観察室にうつって、二度ショックをかけてくれたのですが、なんともビックリ仰天でした。
     が、そのまま安静にしているうちに、脈搏がほぼ正常になったので、おそい夕食をとった後、自室にもどりました。
     そしてその後は、引き続きほぼ正常ではあったのですが、ときどき不整脈が起こるので、16日から、手術時に心臓にさしこんでいたワイヤーを初めて使って、ペースメーターを取りつけて、脈搏を調整するようにしてくれました。
     それで幸い、数日後には自力でほぼ正常な脈搏が続くようになったので、10日間ほどで、これは取りはずし、それから数日後にはモニターも取りはずしてくれて、しごく身軽になりました。


3-13. 心筋梗塞にかかって(10)

     友成 左近 

    内科にもどって発熱の治療を
     前記のようなしだいで、手術後の治療は、心臓外科としてはほぼ終了したのですが、11月の16日、もっとさかのぼれば5日に始まった原因不明の発熱が、相変わらず続いています。そこで、12月17日から、「モチはモチヤで」というわけで、内科にもどって治療を続けてくれるようになりました。(といって、まえに内科から心臓外科に移ってからも、内科の医長がほぼ毎週1回診察してくれたのですが、それと同様に、内科にもどってからも、心臓外科の医長が回診してくれました。)

     ところで、内科にもどってから、念のため重ねて、発熱時の静脈血や動脈血を採って検査し、また超音波やラジオアイソトープなどで調べてくれたのですが、どうにも決定的な発熱原因はつかめませんでした。そして発熱は、7度5分から8度程度であり、それに先立って頭痛が起こり、ときには寒気もする、という具合です。そして日によっては、鎮痛剤(ポンタール)だけで辛抱できることもあれば、朝夕2回も発熱して、その度毎に解熱剤(インダシン)を使うこともある、といった有様です。そのうえ、鎮痛剤の副作用で(初めの間ついうっかり、頭痛がするままに空腹時でも服用したため)胃をいためて、食欲がひどく減退しました。
     ために、なんともやりきれない思いがして、療養姿勢がくずれそうになるときがありました。
     が、それをどうにか立て直して、マトモに療養に心がけたのですが、その手がかり足がかりの第一は、これまで長年のあいだ青汁食養生をご指導下さっている遠藤先生のご教示です。
     先生は、私この度入院して以来、毎週一度木曜日に、診察に登院された序に病室に来られて、あれこれとご教示下さったのですが、こうした原因不明の発熱については、つぎの通りでした。

     こうした発熱は、察するに、今日の医学では検出しかねるビールスやカビなどが、それも、さして病原性のないのが、体内のどこか弱いところに、病巣をつくって繁殖するからであろう。そしてそれは、手術で一時体力が、とりわけビールスなどに対する抵抗力が低下しているからであろう。それで、こうしたビールスが病巣をつくって繁殖しても、もともとさした病原性はないので、低下している体力でも、これに抵抗して、おさえつけることができるので、そう高熱にはならない場合が多く、また、解熱剤を使えば、うまく下熱し、別に使わなくても、やがてはしぜんに下熱するのであろう。
     が、こうしたビールスは、なんともシブトイので、いったんおさえつけられても、おさえつけている体力が弱いため、また繁殖するので、毎日のように週期的に発熱するのであろう。そこで、こうした発熱に対処するには、そこに的確な治療法がないので、症状に応じて適宜、体を温めたり、氷枕をしたり、また鎮痛剤や解熱剤を使うことは大切でしょう。
     が、それと共に、ぜひ心がけねばならないのは体力の強化であり、そしてそれには、なによりもまず食養生に、よりいっそう精出すことが大切であって、そうすればそのうち、毎日発熱するようなことはなくなり、そしてやがては、全く発熱しないようになるだろう。要約こういうご教示です。

     そこで、どんなに食欲のないときでも、まず第一に青汁を、これまでより少し増やして毎日4合、それも青汁粉末で成分を2倍に強化したのを飲み、その他の食物も、これまで以上に改めて、毎度しっかり食べるようにしました。また、そうイキがあがらない程度に、毎日何回か廊下を歩きまわって、適度な運動に心がけ、それから、夜間に十分眠れるように、昼間はつとめて眠らないようにしました。
     そうして、そのうち必ず発熱しないようになるだろうと、とにかく気ながに、そのときの来るの待つことにしました。さて、こう心がけて療養につとめているうちに、その効果があらわれてきたのか、さして頭痛や寒気はせず、そして発熱も7度をそうこえない日が多くなりました。そして大晦日には、夕食後に多少頭痛がしていたのですが、就寝時刻の9時に、7度ちょっとあったので、これ幸いと、鎮痛剤も解熱剤も使わずに就寝しました。
     すると、いつもより早く寝つき、そして夜半に、全身が少しホテリ、汗も少し出て目ざめたのですが、そのとき6度5分に下っていました。そして間もなく、気持よく寝ついて、翌朝5時すぎに目ざめたのですが、そのとき6度1分で、気分がしごく爽快でした。思えば、11月の16日、もっとさかのぼれば5日以来、殆んど毎日、頭痛が起こり、ときには寒気もして発熱していたのであり、そして、きょうは軽いからと、鎮痛剤や解熱剤を使わずに就寝すると、やがては下熱するものの、その間、度々目ざめ、そしてその後の寝つきが悪く、ために朝の目ざめが、なんとも不快であったのです。
     が、大晦日には、頭痛も発熱も軽くはあったものの、鎮痛剤も解熱剤も使わないのに、いつもより早く寝つき、そしてやがて、ほどよくホテって発汗もして目ざめたときは、下熱し始めており、そして間もなく気持よく寝つき、朝方元旦に目ざめたときは平熱になっており、気分も快適であったのであって、いうなれば、なんともありがたいお年玉をいただいたしだいです。


3-14. 心筋梗塞にかかって(11)

     友成 左近 

    原因不明の発熱がなお1ヶ月間断続
     前記のように原因不明の発熱が、かれこれ2ヶ月間続いて、その間、殆んど毎日のように、湯タンポや氷枕を、また鎮痛剤や解熱剤を使いました。が、他方、食養生に精出したので、体力がだんだんと恢復してきたためか、頭痛や寒気や発熱がしだいに軽くなって、大晦日には、なにも手当をせずに、自力で治まって、これまでになく心明るく元日をむかえました。が、まだ体力が十分恢復していないためか、その後数日間、毎日7度前後の発熱があり、そしてそのまえに頭痛が起こりましたが、鎮痛剤も解熱剤も使わずに辛抱しました。そしてその後は、ほぼ平熱が続き、気分もよいので、年賀状の返礼などの書きものが少しはできるようになりました。けれども、まだ発熱の心配があるとのことで、念のため8日に、超音波で胸部や腹部の検査をしてくれましたが、やはりこれといった原因はつかめなかったそうです。
     ところが11日、昼食はこれまで通り気分よく食べ、身廻りの世話に来ていた家内は安心して帰宅したのですが、2時ごろから、急にひどい寒気がして頭痛も起こってきたので、とりあえず湯タンポをいれ、鎮痛剤をのませてもらいました。が、これまでと様子がちがって、サムケにフルイが加わり、それがグングンひどくなって、辛抱するのに歯をかみしめても、なおガツガツするほどになり、つれて発熱して8度を越してきたので、氷枕をして解熱剤を使ってもらいました。
     が、なおフルイがつづき、熱も高くなって、3時すぎには9度6分を越えてきたので、氷のうで頭と両脇下を冷やしてくれました。すると、フルイやサムケや頭痛がだんだんと治まり、やがて熱も下って、5時ごろには8度5分になったので、氷のうで両脇下を冷やすのはやめました。そして、9時の消灯時刻には7度になったので、氷のうや氷枕でアタマを冷やすのをやめました。
     それから、軽く夕食をとって就寝しましたが、翌朝は平熱になってはいたものの、アタマが重く、また歯がういて、うまくものがかめないようになっていました。それで、鎮痛剤をのんで安静にしていたところ、夕方までは、さしてことなくすみましたが、夕食後また頭痛が起こり、7度8分と発熱したので、氷枕をしたうえ、鎮痛剤と解熱剤を使いました。そしてこうしたことが、なお3日間つづきましたが、16日からは、そう頭痛はせず、またほぼ平熱がつづくようになって、氷枕や鎮痛剤や解熱剤などと、どうにか縁がきれそうになりました。

     ところで、まだ発熱が続いている12日に、どうしてこんな発熱が起こるのかと、こんどは骨髄液をとって検査してくれましたが、それでも確かな原因はつかめなかったそうです。が、遠藤先生におききしたところ、それはおそらく、いったんおさえつけられていたビールスが、まだ体力が十分恢復していないので、体のどこか弱いところで、急速に異常繁殖したためであろう、ということで、なお引き続き食養生に、よりいっそう精出さねばというしだいです。
     ところで他方、発熱が軽くなってきた14日に、手術のとき心臓までさしこんでおいたワイヤーを、もう不要であろうと引きぬいてくれました。そして17日には、そのあとをカバーしていたガーゼを取り払い、また、尻の床ずれあとのガーゼも交換不要になったので、手術後、体のあちこちをカバーしていたガーゼがすべて取り除かれました。さらに20日から、手術後ずっと続けていた尿量測定も不要になりました。そうして他方、食欲がかなり出てきたし、気分も明るくなってきたので、退院も近いうちに、と思うようになりました。

     ところで、退院するにはいうまでもなく、病気がそれ相当に治っていなければなりません。が、その診断には、とくにこの度の場合は、すなわち冠状動脈の塞がっていたところにつけたバイパスを、血液がうまく流れているかどうか、という手術成果の診断には、聴打診などはいうまでもなく超短波やラジオ・アイソトープなどによる検査だけでは不十分であって、心カテによる検査が必要です。
     けれども、心カテにはそれ相当の危険が伴なうので、それに耐えるだけの健康状態でなければならないので、発熱その他のトラブルが、もう起る心配はあるまい、という見込みがつくまで待たねばなりません。そこで、平熱が約一週間続いた22日に、なお引き続き平熱であれば、2月5日に心カテを、と一応予定をたててくれました。
     ところが、平熱その他の無事が続いたのは10日間ほどで、27日から、また頭痛や寒気や発熱といったトラブルが起こり、それがどうにか治まったのは31日でした。ために、またいつ発熱するかも知れないというわけで、2月5日予定の心カテは延期することになりました。が、翌2月1日には、ラジオ・アイソトープによる、全身にわたる異状の有無の検査をしてくれました。そしてその後は、平熱の日が続き、また、毎週月曜日の胸部レントゲン検査や心電図検査によっても、引き続き異状はなく、同じく血液検査や尿検査でも、赤沈や炎症反応などがほぼ正常になっているので、2月6日に、なお引き続き平熱であれば、10日に心カテを、という予定をたててくれました。そしてその後は、体力がよりいっそう恢復してきたのか、予定通り10日に心カテをしてくれ、その前日には、ラジオ・アイソトープによる心筋の検査をしてくれました。

    (つづく)


3-15. 心筋梗塞にかかって(12)

     友成 左近 

    心カテによる手術の成果
     前記のようなしだいで、手術成果の心カテ検査を、ふつう人並よりはるかにおくれて、ようやく2月10日にしてくれました。
     そこで、手術の成果についてですが、心カテ終了時に、とりあえず一言、おおむね成功、と知らせてくれました。そして12日の夜、フィルムで詳しく説明してくれ、家内と二人で聞いたのですが、その主要点はつぎの通りでした。

    • 第一に、冠状動脈の右側の、いうなれば99%塞がっているところ、そしてこのたび心筋梗塞を引き起こしたところにつけたバイパスには、血液がうまく流れているとのことで、それは、私たち素人がフィルムをみても、よく分かりました。
    • 第二に、左側に、約90%塞がっているところが2ヶ所あったのですが、そこは、血管が枝わかれしたところであるので、1本のバイパスで2ヶ所をカバーするように手術したそうです。
       そして、初めに縫合したところは、血液がうまく流れているが、つぎに縫合したところは、うまく流れていないとのことです。
       が、その血管は、右側に比べると、かなり細いので、そうしたことは私たちには、右側のように、はっきりとは分かりませんでした。
    • 第三に、右側にある、内径が少し狭くなっているところは、血管がかなり細いので、予定通り手術しなかったのですが、手術前と同様に、血液がうまく流れているとのことですが、その血管はなにぶん細いので、私たちには確かとは分かりませんでした。
    • 第四に、心筋には、右側も左側も、手術前にみた通り、どこにも異状はなく、正常に活動しているとのことで、これは、まえにした超短波やラジオ・アイソトープによる検査でも、ほぼ分かっていたそうです。が、私たち素人には、どこがどうなのか、いっこうに分かりませんでした。そこで、今後のことですが、ここ当分、心筋梗塞を引き起こすようなことはないでしょうが、なお、つぎの点に注意するように、とのことです。

      • まず第一に、左側の、血液がうまく流れるようにならなかった箇所と、右側の、内径が少し狭くなっている箇所から先の血液送給範囲に、付近からの毛細血管がまだ十分のびていないので、心臓に過剰な負担がかかると、血液不足・酸素欠乏をきたして、狭心症を引き起こすおそれがある、ということです。
         そこで当分の間、走ったり、重いものを持ったり、その他ひどくイキのあがるような運動はしないように、また、全身を寒さにさらすようなこと、あるいは精神的にひどく緊張するようなことはさけるように、ということです。
         もうひとつ、毎日の食物に、食塩と動物性脂肪をひかえると共に、肥満しないように、ハラ八分に食べるように、ということです。
      • それから第二に、この度つけたバイパスを、血液が滑らかに流れるようになるには、手術後約一ヶ年はかかるので、その間、血流に凝血ができないように、なお引き続き薬(ワルファリン)を服用するように、ということです。
         また、このことからも、心臓に過剰な負担をかけると、狭心症を引き起こすおそれがあるので、前記と同様に、運動その他に注意し、そしてそのうえ、ニトログリセンリンを常備し、長時間外出するときには持参して、もし胸苦しくなったときには服用するように、ということです。
      • もうひとつ第三に、退院後は、なお当分の間、指示された通りに通院して、必要な診療を続けるように、ということです。


3-16. 心筋梗塞にかかって(13)

     友成 左近 

    退院に備えて運動負荷検査
     心カテその他の検査によれば、手術の成果は前記の通りであり、またその他の病状も、退院しても、日々の生活にそれ相当の注意を払えば、もう差し支えない程度に恢復していました。
     が、退院するには、なおもうひとつ運動負荷検査が必要です。
     それはいうまでもなく、退院すれば日々の運動が、入院中よりはるかに多くもなり強くもなるので、手術後の心臓が、当面どの程度の運動に耐えるか検査して、日々心がけねばならない運動強度を定めておかねばならないからです。
     でないと、つい心臓が耐えきれないような強い運動をして、狭心症などを引き起こすおそれがあるからです。ところで運動強度は、人々めいめいの職業その他によって異なるわけですが、私の場合は、すでに70歳をすぎ、そして全くの引退生活をしているので、ごく軽度の運動だけで、日々の生活にことかぐことはないため、この検査はしごく簡単にすませるわけです。
     それで、2月10日の心カテ後、そのための異状はなにも起こらず、また平熱その他の無事も続いていたので、18日に第1回目の検査をしてくれました。そしてそれは、所定の凸形階段を一定のリズムで1分間昇降して、その前後に血圧をはかり、また心電図をとって、異状発生の有無をしらべる検査でした。
     そして、それでなにも異状は起こらなかったので、20日に2分間行ない、それでも異状は起こらなかったので、22日に3分間行ない、それでも異状が起こらなかったので、この点、もう退院してもよかろう、ということになりました。
     そしてその後も、平熱その他の無事が続き、そして赤沈はほぼ正常であり、また炎症反応もごく軽く、もうひとつ重大なことに、輸血による肝炎のきざしは全くあらわれませんでした。
     そこで27日土曜日に、毎週月曜日に行なっている各種の検査(それは胸部のレントゲン検査や心電図検査、血液や尿や便の検査)を、来週月曜日に行ない、それでなにも異状がなければ、その翌2日に退院してもよかろう、ということになりました。
     そして、そうした検査でなにも異状がなかったので、3月2日に、入院かれこれ7ヶ月で(その間、原因不明の発熱が、手術前に、そして手術後には長期間続いたため、人並順調に経過した場合より3ヶ月近くもおくれて)、ようやく退院することができました。
     (なお、前記の輸血による肝炎についてですが、輸血に使う血液は、手術の前は、公的機関である血液センターで採取して、所定の検査に合格したものです。が、そこには実情まだ不行届な点があり、それに、なにぶん多量に使い、また手術で体力が一時衰弱しているため、輸血後1ヶ月前後に、ときには6ヶ月以上もたって、肝炎が起こる場合が少なくないのであって、これは今のところ、完全に防止することができかねているとのことです。)

     × × × 


     ところで、退院にあたって担当医が、今後当分の間の注意事項を指示して下さったのですが、それは要約つぎの通りでした。

      第一に、  2週間に一度、指定曜日に通院して、血圧測定や血液検査その他の診察をうけて、処方したクスリを服用すること。
      第二に、  まだ3月であるので、早朝戸外に出ること、その他体を急に冷やすようなことはしないこと。
      第三に、  毎日暖いときに戸外を散歩するのは適切であるが、走ったり、また、ひどくイキがあがるほど、速く歩いたり、長時間歩いたりなどしないこと。
      第四に、  家事処理など家庭でコソコソ動きまわることも適切であるが、重い物を持ち上げるなど、大きな力を入れるようなことはしないこと。
      第五に、  毎日の食物で、とくに注意するほどのことはないが、ただ食塩と動物性脂肪は、病院給食のようにひかえること。また青汁と青野菜は、血液の凝固性に深い関係があるので、薬剤(ワルファリン)の処方上、毎日ほぼ一定量にして、急に大量に増減しないこと。
       もうひとつ納豆は、血液の凝固性に強い作用を及ぼすので、入院中と同様に食べないこと。
      第六に、  外出するとき、ワルファリンによる抗凝血療法実施中という、病院発行の治療票を携帯すること。そして外出中であれ在宅中であれ、事故にあった救急時や、出血する治療をうけるとき、これを医師に提示して、必要な処置をしてもらうこと。
      第七に、  外出するとき、もうひとつニトログリセリンを携帯すること。そして外出中であれ在宅中であれ、もし急に胸苦しくなったときは、まず1錠口にふくみ、3分か5分間たっても治まらないときは、もう1錠ふくみ、それでもなお治まらないときは、さらにもう1錠ふくんで、至急病院救急室に連絡して、その指示に従うこと。他方、1錠あるいは2錠で治まったときは、早急に事後通院し、あるいは指定日に通院したとき、担当医にその由を知らせること。

      (つづく)


3-17. 心筋梗塞にかかって(14)

     友成 左近 

    退院後の経過
     これまでながながと、心筋梗塞にかかって療養した経験を、あれやこれやと書き続けてきましたが、読者の方々には、さして興味のないこと、目ざわりなことでもあったのではないかと気にかかります。
     が、乗りかけた舟で、最後にもうひとつ、退院後の経過について、いくつか書き加えて終わりにしたいと思います。

     まず第一に、足腰ならしについてです。
     なにぶん長期の入院で、それもベッドで安静にしていた日数が多かったので、足腰がすっかりなまってしまいました。
     それで、退院前から毎日つとめて度々、院内の廊下や階段を歩きまわって足腰をならしました。
     そして、それはいうまでもなく、ただ足腰をならして、日々ラクに動けるようになるためだけでなく、手術した心臓その他全身の恢復に必要であるからです。
     が、退院して自宅に帰ると、家の内外には段差が多く、また道路には、そのうえ道幅が傾斜しており、それに自動車の往来がはげしいので、日常動作がなんとも心もとなく、足腰すっかりなまっていることを、ひとしお深く感じました。そこでまず、長期入院で乱雑になっていた家の内外を、気のむくままに、あれやこれやと整理し、また、毎日つとめて所用をつくって外出しました。
     が、こう動きまわっても、そのころ幸い、平年よりかなり暖かったので、カゼなどひかずにすみました。

    (なお、ここで幸いといったのは、1月や2月に、退院に備えて一時外泊してみた方々のうち、トタンにカゼをひいて、早々と病院に帰ってきた方が少なくなかったからです。
     そしてそれは、病院では暖房が行き届いて、真冬でも20度以下になることはないのですが、自宅ではそうはいかないからでしょう。)
     ところが3月下旬に、気温が急に平年以下にさがったとき、24日と5日に、つい不用意に外出して、とうとうカゼをひきました。
     が、ただのハナカゼで、発熱はせず、また気管支や心臓その他に異状は起こらなかったのですが、治るのに、以前とちがって、約10日間もかかり、まだ体力が十分恢復していないことがよく分かりました。

     × × × 


     そして、その後は無事に経過していたのですが、やはり体力がまだ十分恢復していないためか、5月8日に、入院中の原因不明の発熱とほぼ同様な発熱が起こりました。
     朝方から少し頭痛がしていたのですが、夕方に軽い寒気もして、7度5分と発熱しました。
     で、夕食後とりあえず鎮痛剤をのんで就寝したところ、翌朝には平熱になっていました。
     ところが、その9日、昼前からひどい頭痛がしてきたので、昼食後に鎮痛剤をのんだのですが、やがてサムケがし始め、そのうえフルイもついて、4時ごろには9度3分と発熱しました。
     そこで、解熱剤の座薬をいれ、アイスノンでアタマを冷やしたところ、だんだんとフルイやサムケが治まり、8時すぎにはほぼ平熱になりました。
     そして、こうしたことが10日(8度5分)11日(8度3分)とつづきましたが、11日が定期の受診日で、抗生剤を処方して下さったので、(入院中とちがって、こんどはその効果があったのか、それはともかく)12日の発熱は軽く、13日からはほぼ平熱になりました。

     × × × 


     そこで、こうした発熱に対処するため、もっと積極的に体力の恢復をはからなければと、まずはもって青汁を2合ふやして、毎日6合(材料のケールで1.5kg)飲むようにしました。
     私には厄介な持病があるので、入院前は青汁を毎日4合のんで、(また毎日の食物全体もあれこれと改めて)体力の強化をはかっていました。
     そして入院中、といって退院前は、青汁3合に、青汁粉末を6包加えて、実質約6合にして飲んでいました。
     が、退院後は、そう深くは考えないまま、入院前と同様に毎日4合のんでいました。
     そこで、この度の発熱に際会して、もっと青汁を増やして、体力の早急な恢復をはからなければと思い直したのです。
     そしてそれは、もうひとつには毎日の食物全体が、病院給食を長期間食べ続けていた惰性が、病気のために嗜好が少々変わっていたためか、入院前通りにはなっていなかったので、当面それだけ青汁を増やさなければ、入院前通りには栄養の調和がはかれないからです。
     それに、治療のため、多少とも有害有毒なクスリをあれこれ沢山のんでいるので、その毒消しのためにも、よりいっそう調和した栄養をはからなければならないからです。
     そこで青汁を、とりあえず2合増やして、毎日6合飲むようにしたわけです。
     と共に、毎日の食物全体も改めて、入院前通りに、いな入院前より、なおよく調和した栄養がはかれるようにつとめました。

    (なお、こうつとめたので、体力がよほど恢復してきたのか、厄介な発熱が、その後、7月5日と13日にありましたが、8度前後と軽く、また翌日には平熱になりました。
     そしてその後、手術後1ヶ年になる10月22日まで、ずっと平熱がつづきました。)

     × × × 


     ところで、すっかり平熱になってから、前記のように足腰ならしにつとめたのですが、5月18日と19日に、足腰がかなりシャンとしてきていたために、つい腰にムリをかけたのか、翌日から腰が痛み始めて、日常の生活行動に、退院時以上に、苦痛や不自由を感じるようになりました。
     それで、素人なりにあれこれと手当をしたのですが、かれこれ3週間たっても、どうもよくなってこないので、整形外科で診てもらいました。
     すると、レントゲン検査などの結果、腰骨にごく軽い骨折があるのかも知れないとのことで、ビタミンDの服用その他の治療をしてくれました。
     そして、この治療を4週間ほど続けたところ、腰痛がほぼ治まり、また足腰もシャンとしてきました。
    (なおこれで、素人なりにも考えたのは、それほどムリはかけていないのに腰骨に故障が起こったのは、老令であるのもさることながら、長期の入院中、病室が北側であり、そしてそれなのに、日光にあたることを、つい全く怠っていたため、骨が少々もろくなっていたのではあるまいか、ということですが、いかがでしょうか。)

     × × × 


     ところで退院後、約6ヶ月の間に、この他、右下腹部の瘻孔という厄介な持病が再発したこと(この説明は、三十数年間にわたる病歴にかかわるので、ここでは省略します)、視力が低下したこと(以前から治療していた白内障などの老人性眼病は進行しなかったが)、入歯に故障が起こったこと、尿が濁ってきたこと、ヒザが痛んだこと、喉頭炎にかかったこと、聴力が低下したこと、その他いろいろな障害が起こりましたが、その都度、病院で治療してもらい、いずれもほぼ順調に治りました。
     そして、退院後6ヶ月をすぎた9月以後は、どこにも故障は起こらず、わけても輸血による肝炎のきざしは全くみえないとのことです。
     そして、足腰はまだもと通りにはシャンとせず、また運動した折、ときに少しイキがあがることはありますが、胸苦しくなって、ニトロを口に入れるようなことは一度も起こらずに、手術後1ヶ年が経過しました。
     そして、カンジンカナメの心臓は、ほぼ順調に恢復しているとのことです。

    (おわり)


3-18. 心臓の発作おさまる

    仙台市 K.O. 

     毎度お世話になりまして有難うございます。
     体の弱い難病をお持ちの方々に大変喜こばれております。これも田辺様のお蔭でございます。皆さんの体験談を、月刊紙を読ませて頂いていますので、皆さまに聞かせ、時にはお見せしております。
     色々の病気の方々も、日々に良くなっております。私も遠藤先生のおしえをまもり長年実行してきましたので心臓のほうは一度も発作が起きていません。9年間青汁を飲み始めて、其の月から一度も起きませんので、命の縄、命の泉と思って皆様にもお話いたしております。
     どうぞ今後共よろしくお願い致します。


3-19. 日本食は心臓病を防ぐ

    健康作りのため米国でブームに
     先日、アメリカ旅行を終えて帰ってきたAさん、

     「洋食に飽きてすし屋さんに入ってみたら、アメリカ人でいっぱいでした。知人宅を訪ねてみたところ、“日本食を食べたいでしょ”と出されたのがマヨネーズをかけた冷ややっこ。アメリカの日本食ブームには驚いた」
     とびっくりしていました。
     アメリカの人たちは、日本食が特別おいしいからと、好んで食べているわけではないのです。
     それよりも、健康作りのために、という観念が強いのです。
     アメリカでは、国家的レベルで心臓病対策を行っています。
     男性の3人に1人、女性の6人に1人は、60歳以前に心筋コウソクや脳卒中で死亡してますので、国もその対策に積極的にならざるをえません。
     そこで、1960年ごろから心疾患協会が、今まで得られた心臓病の疫学的知見を基にし、大規模な栄養改善のキャンペーンを続けています。
     その結果はずばらしく、1963年の値を100とした場合、1975年には、心臓病や脳卒中による死亡率が20%前後も減ったのです。
     食事対策の内容は、動物性の脂を、従来の食事から56.7%減らし、その代わりにサラダ油のような植物性の油を44.1%増やしました。
     また、バター、牛乳、クリーム、卵といったコレステロールの上がるような食品を積極的に減らし、禁煙を勧めています。
     このようなムードの中から、日本食ブームが起こったというわけです。
     さて、日本に目を転じてみましょう。
     日本では、いまやアメリカの悪い食習慣が入りこみ、心臓病や脳卒中といった成人病が増加の一途をたどっています。
     また、その兆候は、すでに子供のうちから見られているのが現状です。
     皮肉なことに、日本ではアメリカの足跡をたどり、今や、病気もアメリカ化しています。
     この対策としては、直ちに今までの日本人の食生活を見直し実行する必要があります。
     ただし、従来の日本食中心の食事にすると、どうしても食塩が多くなり高血圧や脳卒中が増えます。
     そこで、望まれるのは減塩した日本食。
     それをおいしくとるためには、日本食と洋食の折衷食をお勧めします。
     といっても、なかなか難しいと思いますが、これに匹敵するのが中国食です。
     例えば、牛肉とピーマンのいためもの、八宝菜、豆腐の五目あんかけ、焼きそば、焼きめしなど。
     ともに、栄養のバランスがとれ、コレステロールの上がるのを防ぐような魚、大豆およびその加工品、野菜、植物油などの食品がたっぷり使われています。
     それに、どれもが食塩の使用量の少ないのが特徴。
     上手に日常食の中に取り入れてみたら、いかがでしょうか。
    新宿医院院長 新居裕久
    (59・2・28 サンケイ)


3-20. 5年ごしの心臓

    和歌山市 多田俊彦 

     青汁を愛用しています。
     ツリーケールは大変よくありがたく思っています。
     3年前にいただいた種の残りを播きましたら(この10月)少しも芽が出ませず困っています。
     市販のものを買うのはいやですので、申しわけありませんが少しお送り下さいませんか。
     5年ごしの心臓病の主人、ピロサンと生の青汁をまぜ、蜂みつを入れて続けていますが、高令(82才)で、病院から期限をきられたような状態を脱しております。
     有難いことです。

    (59・10)


3-21. 恐ろしい心筋コーソクによる突然死若者にも

    新宿医院院長 H.A. 

    幼少時から気をつけよう 高コレステロール症
     「高校生がサッカーをした後に倒れ、調べてみたら、心筋コウソクが原因だった、という話を聞いたのですが、子供のころからそんな恐ろしい病気があるのですか」と訪ねてきたのはT君のお母さん。
     心筋コウソクという心臓病は、中高年の人に多い病気なのですが、子供たちの中に出てきても決して不思議ではありません。実は、最近このような病気になりやすい状態になっている子供が非常に増えてきているのです。
     心筋コウソクのような心臓病の大きな原因は、動脈硬化です。そしてこの動脈硬化は、いろいろな因子によって促進されます。その因子は、

    1. 高コレステロール血症
    2. 高血圧
    3. 肥満
    4. 糖尿病
    5. 痛風
    6. 喫煙
    7. ストレス・性格(がんばりや)
    8. 運動不足

    ―などが挙げられます。
     このうち、高コレステロール血症と高血圧が動脈硬化に最も大きな影響を与えますが、この両者がこのごろ、子供たちに大変多くなってきていることが分かっています。
     厚生省の調査によると、小中学生では通常9%ぐらいに高コレステロール血症がみられ、これが肥満児童では16%、肥満中学生ではなんと33−38%にもみられた、といいます。
     最近行われた文部省の調査では、とても信じられないような結果が報告されています。それは零歳から20歳の若年者層の血清コレステロール値の増加が顕著で、1972−76年代に測定されたアメリカ人の血清コレステロール値と比較すると、日本人の場合、零歳から9歳まではコレステロール値が20ミリ前後も上回り、10歳代、20歳代前半も、アメリカ人より多かったというのです。
     高血圧については、最近東京女子医大の村田光範教授らが千葉市内の中学生6700人を対象に調査してみたところ、そのうち、8%以上が高血圧の危険区域に入っていたといいます。
     慶応大学医学部病理学教室の研究によると、高血圧、高コレステロールの影響は10代から出始め、血圧が高ければ高いほど、また血液中のコレステロールが多ければ多いほど、動脈硬化が起こりやすく、年とともに悪化しやすいと述べています。
     いいかえれば40代、50代になって、心筋コウソクや脳卒中でぽっくり逝ってしまう例が多くなるということです。その対策としては、小さい時から規則正しい生活習慣を身につけ、この中で、栄養のバランスのとれた食事をとり、一日200から300キロカロリーの消費を促す運動(一日1時間ぐらいは速足で歩く)を行うよう心がけてください。
     そのためには、まず、あなた自身が実行することが大切です。子供は親を見習うものですから。
    (59・12・5 サンケイ)


3-22. 心筋梗塞と網膜症(糖尿病)

     医学博士 遠藤 仁郎 

      「46才の主人、糖尿病があり、心筋梗塞をやりました。
     いま、バイパス手術が問題になっています。
     また、眼は網膜症で視力がだんだん落ち、光凝固をうけましたが、かえって悪くなったようなので、精神的にもまいってしまっています。
     先生のご本をみて、青汁はどうかと、粉末を飲みはじめているのですが・・・・・・」

    心臓の手術
     「心臓の方から申しあげましょう。
     糖尿病があると、傷の治りがよくないのですが、青汁を飲んでいると、経過が大変よろしい。
     ともかく、しっかり飲んで、出来るものなら、やっておもらいなさい。
     大事なのは、その後の再発を防ぐことですが、これにも青汁は絶対です。
     梗塞の原因は心臓冠状動脉の硬化であり、血液コレステロールや中性脂肪がふえている(血のにごり)ためであることはご存じのとおりです。
     糖尿病に多いのは、血糖の高いこと(これも血のにごり)が下地になっているとかんがえられています。
     しかし、それだけではありません。
     というのは、これらの血のにごりは糖分や脂肪の代謝の異常のあらわれですが、それらがおこるにも、さらにさかのぼった原因がなければならないからです。
     そして、それはあまりにも不自然化した、まちがいだらけの日常生活、ことに食生活のあやまり。
     すなわち、うまいものばかりいつも腹いっぱい食べ、野菜類が少ないために、カロリー・蛋白質とその体内代謝になくてはならないミネラル・ビタミンとのバランスがみだれているという、不完全食になっているうえ、しだいに多くなりつつある有害有毒食品(農薬その他生産用薬や添加物などの汚染)の害も加った結果であろうとかんがえられます。
     そこで、ただ糖分や脂肪分に気をつけるだけではなく、もっと根本的に食事全体をなおさなければなりません。
     そのためには、

         
      1. 食べものは、すべて出来るだけ安全な自然食品にすること。
      2.  
      3. とりすぎているカロリー・蛋白食品は必要の最低限におさえ、不足がちなミネラル・ビタミンにとむ野菜類、中でももっとも有力な給源である良質ナッパを十分〜十二分にとることです。

     しかし、それにはかなりの大量が必要ですから、青汁にして飲もうということになります。


    網膜症
     網膜症も同じで、血糖の高いだけが原因ではなく、広い意味での血のにごりが関係しているにそういありません。
     したがって、光凝固で進行をくいとめることは、勿論大切ですが、血のにごりをとり去ること――血糖にたいする注意だけではなく、食べもの全体として完全にし安全にして――が、もっと大切でありましょう。
     さて、この食事の中心になるものはナッパ・青汁ですが、その必要量は少なくとも1日1キロ(青汁にして約4合)以上。
     多いほどよろしい。」

    「粉末ではどれくらいですか?」

    「大阪のピロサン(緑)の1袋、東京の顆粒の1袋が、それぞれ、生の青汁のほぼ5勺に相当するようですから、まず8〜10袋ということになりましょう。
     なお、青汁の効力を強めるためには、他の食べものも、なるべくミネラル・ビタミンにとんだものにすること。
     たとえば、主食の白米よりは玄米、雑穀(玄)。
     さらによいのはイモ類。
     蛋白食品では、肉や魚の切り身よりは、全体食べられる小魚、大豆などにし、それに、ナッパを主とする野・山菜、海藻を十分そえること(イモ・マメ・ナッパ・青汁食)。
     なお、青汁絶食もぜひやってみてほしいと思います。
     他のものは何も食べず、朝から晩まで青汁だけのむのです。
     5〜6合以上でもらくにのめます。
     もっとも徹底した青汁食というわけで、最高の完全食です。
     1日だけでも、2〜3日、あるいはもっと長くてもよろしい。
     思いもよらない、奇蹟のようなことがおこることがあります。
     もし、少しでも効きめらしいものが出ると、この食事の実行にハズミがつくことにもなりましょう。
     要するに、なるべく自然にちかい食事にし、出来るだけ血をきれいにしようというのがネライです。
     しかし、何分、難症のこと。はたしてどれほどの効果があらわれるか、それはわかりませんが、ともかく熱心につづけてみていただきたいと思います。

    (61・2)


3-23. やっぱり野菜の不足だった

    堺市御池台 H.H. 

     病気という病気を知らず定年を間近にした夫(当時56才)が突然倒れたのは61年3月10日、会社から帰る途中のバスの中であった。
     救急病院に運ばれ即入院。
     ここで1ヶ月余り過した。病名は心筋梗塞、専門の病院に移り検査の結果血管が詰まっている箇所がはっきりした。冠状動脈成型術の検査に普通1時間位かかるのが、夫は1時間40分もかかったが結局は通らなかった。手術をしなければだめだと云われた。家族みんな呼ばれ、油断してはならない旨伝えられる。息子も手術を勧めたが当の主人はどうしても手術は嫌だという。

     “青汁は効く”の本と資料を持って池田房子さんが見舞に来てくれた。気持は有難かったが、こんなもので夫の病気が良くなるものかと信じられずお医者さんに頼る他ないと思っていた。
     3週間で無事退院はしたもののこの病気は何時再発するとも限らないしその上7種類もの薬を飲まなければいけない状態である。便秘で悩んでいたら、また青汁を勧められた。
     今度は飲んでみた。便通がよい。青汁の懇談会にも参加した。
     夫に青汁を飲ませてみようという気持になった。

     週に5キロのケールを配達して貰い、せっせと青汁にして夫に飲ませた。
     病気で倒れるまでは、付き合いだと云ってはお酒は飲むし、外食が多く美味しいものばかり食べていたが余程入院生活が苦しかったのか、お酒はやめる、肉食もひかえるようになった。
     そしていかにも美味しくない青汁を真面目に飲み、野菜を好んで食べ始めた。

     青汁を飲んで8ヶ月、定年退職もひかえていたため再び病院で検査をした。
     手術をしていないので、お医者さんは血管が詰まっているものとばかり信じて検査を始めたがいっこうに血管が詰まった箇所が見当らない。不思議そうに何度もやり直すが結果は同じである。血管の詰まった箇所はなくなり血液がきれいに流れているのであった。
     お医者さんは首をかしげながらも再就職のための診断書に太鼓判を押してくれた。

     検査の結果をまず池田さんに報告、そして最初に青汁を勧めていただいた時、どうして素直に実行しなかったのかを詫びた。
     夫も再就職をし、毎日かかさず青汁を飲んでいる。
     入院している時のことを思えば青汁を作ることは、苦にならない。
     ジュースにして冷蔵庫に入れておけば勝手に取り出して飲むし楽なものである。

     妹の旦那が肝臓で入院しなければいけないと云ってきた。
     マイケール固形を持たせ飲んでみるようにと勧めた。
     後日、妹から入院しなくてもよくなったとの連絡を受ける。青汁を飲むようになって始めて食生活がいかに大切かということを痛感している今日此頃である。

    (ケール健人の会会報より)


3-24. 心筋梗塞おさまり今は家内中で

     納豆をよく食べると、脳卒中や心筋コウソクが予防できそう――。
     宮崎医科大生理学教室の須見洋行・助教授が、納豆には、こうした病気の原因になる血栓を溶かす強力な酵素が大量に含まれていることを発見、「ナットキナーゼ(納豆線溶酵素)」と命名した。
     昔から納豆は体にいいと言われてきたが、この酵素とも関係がありそうだ。
     血栓は、血しょう中のフィブリノーゲンがフィブリン(線維素)に変化し、これに赤血球などが付着して固まってできる。
     須見助教授は食品中にも血栓を溶かす酵素がふくまれているのではと考え、日本の伝統食品を中心に170種を調べた。
     ミソなどいろいろな食品中にフィブリンを溶かす作用が多少はあったが、ケタ違いだったのが納豆。
     脳卒中や心筋コウソクに対する血栓溶解療法薬として使われているウロキナーゼなどよりも作用が強かった。
     体内で血栓を溶かす働きをしているプラスミンという酵素と作用がそっくりで、納豆を水で抽出したり、納豆菌を培養したりしても容易に得られるという。

    (63・4・12 読売新聞)


3-25. 納豆やっぱり体にいい!! 心筋コウソク脳卒中に効果

    仙台市 K.O. 

     私、この頃は顔色がつやつやしてきて、ケール顆粒のお蔭様と感謝致しております。私は心臓の発作が、青汁を飲むようになってから14年になりますが、一度もおきておりません。それに風邪をひきやすかったのですが、今では熱も高くでませんので、風邪がはやって来ても苦にならなくなりました。心臓が丈夫になったのと同時に、どこもかしこも丈夫になりまして、71才になりましたが、毎日元気で働いております。一生飲みつづけるつもりです。顆粒があるうちは、私も生きていられるような気がします。皆さまも私のように、元気で働ける年よりになって下さいと、お客様に話しております。ともかくも、こんなすばらしい青汁を研究なさって下さった遠藤先生にいつも感謝しております。本当に有難うございます。


3-26. ジギタリス茶と抗生剤

     知人に心臓弁膜症でジギタリス茶と抗生剤の常用をすすめられているものがあるが、との相談。

    ジギタリス
     ジギタリスは弁膜症の特効薬。
     昔、私どももよくその煎剤をつかった。
     しかし、用法がむつかしい(ともすると中毒することがあり、恐い薬の一つだった)ので、少なからず神経をつかったものだ。しかも、つかうのは弁膜のはたらきの悪い(代償障害)ばあいだけに限られていた。
     もし、今、現に特別な症状もなく、ただ予防のためであれば、そんなものより、青汁の方が無難ではないか。

    抗生剤
     抗生剤もむやみにつかうべきものではないのだが、何のためだろう?
     弁膜症でつかうとすれば、バイキン感染による細菌性内膜炎の合併のばあい。
     いぜんはいのちとりといわれていたほど恐いものだったが、今は抗生剤でおさえることができるようになっている。
     その予防のためだろうか?しかし、それにしても、原因菌がハッキリしているばあいだけ有効なのだから、ただ漫然のみつづけるのは、どうであろうか?
     ながい間には副作用もないではないものだけに、あるいは、過ぎたるはなんとやら、のそしりをうけないでもあるまい。これとて、青汁をしっかりのんで、抵抗力を強くしてさえおけばよいのではないか。と私はかんがえる。

    (63・6)


3-27. ウッ血肝

     医学博士 遠藤 仁郎 

     昭和45年心臓手術(催帽弁狭窄症)。
     輸血による血清肝炎で4月から11月まで入院。
     但し、平成元年1月の血液検査では異常なしといわれました。
     昭和63年5月、2回目の心臓手術。平成元年5月12日、肝臓部が痛み、腫れているといわれました。
     ケールは4月8日から飲んでいますが、心臓の悪いものが、たくさんの水分をとっていいものか、今まではできるだけひかえていましたが・・・・・・。との質問。

     いぜん、手術後、輸血による肝炎があったそうですが、この1月の検査で、異常がなかったのですから、こんどの肝臓の腫れ痛みは、肝炎のためではなくて、心臓弁膜症によるウッ血肝でしょう。(水分を制限されていたのもそのため)。
     しかし、心臓のためにも、また、あるいはまだひそんでいるかも知れない肝炎の予防のためにも青汁中心の正しい食は必要。
     しかも、少なくともケール1キロ(青汁にしてコップ4〜5杯)内外はほしいところです。
     そこでその分量ですが、たしかに多すぎて心臓の負担になることは絶対さけなければなりません。
     この際の目安になるものは毎日の尿量で、その範囲内であれば心臓にさわりませんから安心して飲めます。
     それによって生の青汁の量をきめ、残りは乾燥ものにすればよいでしょう。
     たとえば、尿量が500とすれば、生の青汁は500(ケール600gくらいでしょうか)にし、残りの400gは乾燥ものにする。ケール100gを乾燥粉末にすると12〜3gでしょうから40〜50gということになりましょうか。
     これを、生の青汁で練って食べるようにすれば、水分はかなりへらすことができましょう。そんな工夫もやってみて下さい。
     なお、時々、ほかの食べものは一切とらず、青汁だけをのむ(青汁絶食)といったこともやってみてほしいと思います。

    (平成元・5)


3-28. 旅行ができだした

    宮城支部 M.H. 

     朝夕めっきり寒くなりました。
     先日は「いなごと農薬」につきまして、わざわざ大変御丁寧なる御回答を賜わりまして、御多忙の処、誠に御迷惑をおかけいたしました。
     いなごは食べなくとも、今はそれ以上のケール青汁を毎日3合に紅花油少々、いちごスプーンで山もり5杯位きな粉を入れて、飲んで居ります。
     主食は玄米を自宅でサッとつき、大根葉は今春より3回位にまき、きれない様に栽培して生で食べたり、漬け物、納豆にきざんでまぜたり、沢山いただいて居ります。
     今春、心臓を悪くして以来、旅行の大好きな私も何処にも出かける事が出来ず、100坪位の野菜畑の中に、今年の初夏用、秋用、冬から春にかけてと、ケールを植えてあります。
     その他、小松菜、あぶら菜、大根葉、パセリ等、材料を沢山用意して、近所の方に届けて大変に感謝されて居ります。
     沢山の青汁を飲みましたお陰様で、10月早々に友達と4人で、岩手県に旅行に出られる様になりました。
     旅行用にと、京都青汁スタンド様より、ピロサンを送ってもらい、そのピロサンと、遠藤先生の健康と青汁の会報を持参しました。
     皆さんにも、おあげしようと思いまして。
     旅館の宿に落着いた頃、お友達の一人が、「今朝の新聞の折込みに入って来たんだけど、この青汁とっても体に良いんだって・・・・・・。宿でゆっくり読もうと思って持って来たとの事でした。
     それには、青汁は大変よくきく。法連草+レモン+トマト100%とありました。
     私は悪かったですが、法連草の青汁は良くない事。
     果汁もものによってはビタミンが破壊されます事を話し、健康と青汁の月刊紙もお見せしました。
     そして皆様とピロサンを毎日飲みました所、是非ピロサンを分けて下さいとの事で、京都青汁スタンドに今日注文しました。
     今年の冬は材料が続きますよう何とか工夫しようと思います。
     もう青汁以外は無い、と言う信念でございますので、畑の秋大根の葉も、全部無農薬で作って居りますので、10月15日号むかし話に記されて居られます乾燥末にして、大根葉を今年冬用につくって見たいと思います。

    (平成2・10・14)




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