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筋ジストロフィー
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1. 筋ジストロとピロサン
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北海道 K.M.
56年1月、9年勤めた会社を退職。
現在、ひと月に1回、北海道大学病院神経内科に通院し自宅療養中です。
28才。
54年11月(26才)筋無力症の疑いで入院。
2ヶ月間の検査の結果、筋ジストロフィーと判明しました。
それまでの経過
ちいさい頃からカゼひとつひいたことがなく、病院に行った記憶もまったくありません。
学生時代はスポーツをやり、野球、体操、卓球、陸上、スキーとなんでもやりました。
学校を卒業して、47年に生コンクリートの会社に事務員として1年半勤務。
その後販売の方にかわり(砂利トラック、生コン車の配車、原材料の管理、お客様からのオーダー及び苦情処理)、社宅に入り、自炊の生活が始まる。
春から秋は、朝5時の起床、そのまま会社。
夜は7時か8時くらいまで。
忙がしくなれば朝は4時夜は11時、12時になることもあり、朝食は8時頃ゆっくりとるが、昼はとれないこともあり、とれても5分か10分くらいで、飯に卵をかけてかきこむことが多く、夜はドライブインか、自炊でパック入りを買ってドンブリに2杯くらい食べ、11時か12時に床につく。
野菜はほとんどとらず、ドライブインでたまに食べるくらい。
日中は椅子にすわりっぱなしで、電話が100本くらい。
無線が砂利トラック10台、生コン車10台から常時入り、6〜7時間もトイレに行く余猶さえないくらいでした。
そして、土曜日の夜は、ストレス解消に飲みに行き、一晩中踊りあかし、日曜日はフォークグループをつくって歌っていました。
20才の時に計画をたて、25才までに車の免許をとり、車を買い、家を建て、30才までに工場長になり、結婚する予定でしたから、この仕事も苦労とは思いませんでした。
4年目に転勤になり(21才)、家を建てるところまでは順調にきましたが、23才くらいからカゼ(扁桃炎)をひくようになり、夏でも、ちょっと運動して汗をかくと39〜40度ちかい熱が出、3〜4日も休むようになりました。
注射をうっても薬をのんでもよくならず、病院で点滴をしてもらったこともあり、カゼをひくたびに体重が落ち、運動して疲れるようになり、そのうち、電話をつづけて3本くらいとると、疲れてだんだんロレツがまわらなくなり、大学病院に入院となりました。
体重は20才の頃は64キロでしたが、現在は48キロになっています。
退職してから、いろいろなものを試しましたが一向によくならず、言語障害、のみこみがよくなく、外眼筋ネオパチー。
精神的にもおちこんで、外に出ると緊張し、尿意をもよおしたりしていました。
1ヶ月まえからピロサン赤を牛乳と蜂蜜をまぜてのみ始めました。
すると、なんとなく調子がよく、精神的にも少し落つき、食欲も以前よりでてきて、カゼをひいても食欲がおちず、すぐになおりました。
いまは緑にかえています。
病院の先生も、最近の健康食品は、病人の弱みにつけこんでいる、といってあまり賛成してくれませんが、ピロサンについては賛成してくれています。
経済的に続くかぎりやって行こうと思っています。
青汁の本を読んで、いまさらながらに痛感しています。
大学の先生から、この病気はビタミンの不足で来ることもあると聞かされたこともあり、自炊の8年間、外食以外はほとんど野菜をとらず、運動不足、ストレス、生活の不規則、これでは病気にならないのが不思議なくらいですね。
おそまきながら、今は母親と二人くらしで、アルカリ性中心の食生活にし、生命力をつけて病気が完治するのがたのしみなくらいです。
なお病名は、症状がかるいため、おもてむきはカーンセイル症候群となっています。
(57・2)
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2. 目をうたがうほど
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北海道 K.M.
当時は、おかゆをやっと食べ、ひとこと話をすれば疲れ、5分もあるくと立ってられなくなる。
体重は48キロをわり、ストレスで精神的にも落ちこんでいましたが、ピロサン一日に3〜4袋のんで、おかゆから麦ご飯、豆ご飯。キャベツの千切りに肉も少しづつ食べるようになり、現在、体重51キロになり、日常会話もできるようになりました。
夜ねむれるようにと、運動に散歩と、ツボと呼吸法の導引術を行い、9時になれば床につき、10分くらいで眠りにつきます。
精神的にはいまだしですが、薬はなるべくのまないようにし、心を広くもつために中国の女性と文通をしています。1ヶ月でこんなに回復し、びくびく体重計にのり、3キロもふえて、自分の目をうたがうほどです。
筋ジストロの方で、いぜんの病状は本紙309(57・5月)号にくわしく出ています。
編集係
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