健康と青汁タイトル小
結核:掲載紙面選択


(随想)生きていた鼓動 23号35号



1. 青汁は絞りたてが一番

    玉島市 匿名 

     青汁は絞りたてが一番効力がある様承って居りますが、配達を受ける私達はそうも云っては居れませんが…。配達方法を迅速にして愛用者の手許に出来るだけ新鮮味のあるのを届けて頂いたら一層効果があるものと確信致します。家まで届けて頂けたらとそれのみ希望します。瓶の外側にレッテルを貼り、それに絞りたる今日の時間を記入して頂きたいと存じます。
     私は病床生活満3年、最近は薬も全然やめて自然療法にまかせていましたが、昨年11月10日より青汁飲用を開始しました。それまでは、体の倦怠感は病気故なおらぬものとあきらめ、折々ビタミンBの注射をしていましたが、青汁を飲んで次の日からケロリとその体のだるさがなおり、気分は爽やかに世の中が晴々として来た感じが致し、それ以来、鬱々とした気分から解放され感謝しています。
     それから、咳と痰の出方が非常に減じた事。これが何よりうれしく思います。朝、4時から3〜4時間ぶっ通して寝る事も出来なかった程のあの苦しい咳と多量の痰が減少したのも確かに青汁の効果と信じます。体中に生気のあふれるを感じます。もう自分でもあきらめていた人生に再び光明の世界が訪れ来るを知り皆様のお力により健康にして頂ける自分を幸せに思います。今後の御発展を祈ります。



    岡山市 匿名 

     何分にも長い療養生活で、身体も全身可成り衰弱しておりますので目下の所、これと云った変化は感じない様です。しかし、愛用しているからこそ現状にあるので、やめてしまったらもっと弱ってしまう様にも思います。今後ともよろしくお願い申上げます。



    岡山市 匿名 

     便通がよくなったこと以外に、どうも格別変化は認められませんが、当病院は、野菜類が少ないのでその補給になる様に思われます。
    要望事項
     現在の製品も良心的に作られて居ることと存じますが、今後も其の点に留意して下さい。





2. 結核と青汁 

    佐世保市 匿名 

     私は療養中の患者でございます。28年発病しまして、29年2月に入院しました。病状は両肺で、左は特に悪く、左肺上葉を切除せねばならぬとの事でした。本年4月九州大学結核研究所の教授の診療を受けましたけど、結果は同じでした。知人の奨めで青汁をはじめましたのは29年6月でした。
     当初は変なことをやるものだと患者連は笑っているのみでした。野菜を入手する事は出来ませんが、幸い病棟の横が山で種々の木も繁り草もありますので今日までどうにか曲りなりに1日1回実施して来ました。本年6月末のレ写真の結果では、直径3糎余りの蔭が消失し、小さい病巣は硬化状態となり、9月4日の診療では、来春は退院してよい、職場復帰も可能との事で、全く夢の様です。
     大きい左病巣は化学療法では消滅不可能との事でしたので、将来の復職という事は考えた事もありませんでした。長崎大、九州大学、名のある医者、教授にも診療をうけましたが、どこでも見立ては同じでした。私が今後やることは、これのみだと今日まで懸命に実施して来ました。職場の課長その他見舞に来ますが、「君は顔色も普通人より大変によい」、といって行く位です。私は将来とも緑葉食グリンジュースは継続してゆくつもりです。今日では3合は飲用しています。(30.9.30通信より)





3. 6人の結核全快

     西川 慶治 

     小生も数年来青汁の効用を提唱し、今日では友人知己数十家族が日夜愛用、もの言わぬ野菜野草の恩恵に感謝いたして居ります。最近一部の学者が青汁を非謗するが如き説をなして居りますが、青汁の真価を身を以て体験しない机上の空論でありまして、憂うべき妄説というの外ありません。すべての薬物は厳密なる動物実験を行い、然る後人体に試ることは勿論でありますが、青汁こそはこの地上に動物が棲息して以来幾億年、幾十億万の動物がこれを食して来たのでありまして、かのマンモスも恐龍もシナントロプス、ペキネンシスも青草の愛用者であった事実を想起しますと、これ程大がかりな動物実験は無いと思います。
     小生の知る限りにおいて青汁の効果が無かったという一人の例外もありません。肺結核の如きは6人が6人全快の喜びを得て居ります。しかもその内の一人は農家の主婦ですが、今年の田植は自分が陣頭に立って働き何の異常も認めて居りません。愚息で本年16才(高校2年在学)の子供は、発育中程度でしたが、約1年半青汁を飲用せしめました処現在では身長5尺5寸5分体重16貫に達し、親爺の畳を摩す状態となって居ります。全日本人が一人でも多く青汁を服用し、心の平和と肉体の健康をかち得て貰うよう日夜念願をいたして居ります。(31、7、1、附音信より)





4. 明るい療養

    大分市 T.Y. 

     回を重ね日を経るに従い、ますます体の調子もよく、明るい気持で療養できますことを只々青汁のお蔭と日夜感謝の外ありません。生涯私の健康の泉として何はさておいてもつづけて行く所存です。
     私は結核療養中ですが、2年以上化学療法(パス、ストマイ、ヒドラジツト)をつづけていますが、相変らず多量の喀痰と体力のおとろえに、医師も首をかしげ、日夜息苦しさと動悸に弱り果てておりました。
     特に昨年1年はひどく、階段の上り降りは勿論のこと、咳をしても寝返りをしても、烈しい動悸と息苦しさに悩まされ、胸はしめつけられる様な苦しさに、毎日慄獄の苦しみでした。
     治るきざしさえ見えぬ日々の苦しい療養に文字通り精魂もつきはてていましたが、青汁を知り、青汁を始めてからは、半月位で前記の症状はなくなり、2ヶ月余りになります。
     昨今では体力もつき、体が軽々としてまいりました。胸もカラリとした感じ、文字通りドライな感じがしてまいりました。そしてあれほど多く、そしてあれ程長く化学療法をしても減らなかった喀痰が最近では幾分少くなってまいりました。
     長い療養生活にはじめて光明を見出し得たことは只々感謝のいたし様もございません。本年こそは明るい希望をもてる年となりそうです。

    (32、1、3、通信より)





5. パスと青汁

    青森県 K.A. 

     副作用まけして、10グラムのパスを、0.3グラム飲んでも、胃が悪く、困っておりましたが、青汁を飲みだし、今は10グラム飲んでも平気です。

    (34・4・22付通信)





6. 青汁禮讃(1)

    尾崎 K.O. 

     私は西宮市のある病院に入院中の安静度1度の患者です。
     昨年6月大喀血後現在でも絶対安静を続けている状態にあります
     私と同じカトリック信者の紹介で尼崎の田路さんに御願いして遠路御配達をして頂き、本年の一月から青汁を飲用し始めました。飲用量は1月7日から3月20日迄1本(90ml)、3月21日から3本に増加して今日に至っております。
     その間3月25日に風邪を一度ひいて37度5分の発熱を見ましたが、ただ一回丈ですみ、その後は風邪をひきません。5月に入ってから一寸暑い夜には蒲団をぬいで眠ってしまい驚いて眼を開いて蒲団をかけて寝たことが何度もありましたが風邪もひきません。
     一言以て簡単に申しますれば風邪をひくことが少くなったいうことです。何故私が風邪のことを最初に申すかと言えば、この肺結核闘病上の悪戦苦闘において病者が一番要心するのは風邪をひかないという事だからであります。
     病状悪化は風邪から起ることが多いのですから病者は寒い冬季は勿論、年中天気予報に耳を傾け、風邪をひかないように衣服調節、その他に注意するのは到底健康人に想像も出来ません。
     青汁飲用5ヶ月にして、これはしまった風邪をひいたかな、発熱するかなと心配する事があってもそれが何事もなしに経過すると、人間は現金なもので漸次気強くなり自信がついて来るのであります。
     病気の場合、一刻も早く病状の良くなるような曲り角をつかみ、それを契機にあとは惰性で押し通してしまうのが一番大事な回復への道だと考えます。その契機をつかむ迄は病気をば誠に有り難い神の啓示と考え、病気に悪いことは少しでもさけ、病気に良いと今迄考えてやっていた事の中でその実悪いことは無かったかと反省をしてみて、残った良い事と考えられるものは「是あるかな」とそれをば一つの信念をもって実行し通すことであります。

     その意味で私も青汁の飲用を続けてきたのであります。次に私の気の付いた点は3月始め頃から喘息の発作が減ってきたことです。2月頃はまだ毎朝4時頃になると発作が起きて咳の外に泡のような痰が多く出て困ったのですが、3月に入ってから三日に一度というように、漸次その頻度が減ってきました。その度に胸への影響を考えメヂコンSを飲むのですが、不快な薬を飲む度数が減った丈でも二重の喜びでありました。
     5月に入ると気候の温暖になったせいもあるが1ヶ月中で3回位になったのには大変助かりました。次に私の気のついた点は皮膚の血色がよくなり艶がよくなった事であります。血色とか艶ということになると同じように青汁を飲んでも胃腸の健全な人とそうでない人とにより個人差はあると考えられますが、私の場合は昨年まで青味がかった艶の悪い皮膚であったのに知らず知らずの間に赤みがさし艶が出ました。
     それはお湯と石鹸で清拭をしたあとなどは特にはっきりと判りました。次に私の気付いた点は食欲が出てきて身体が太ったことです。私は前述の通り絶対安静でねていますので体重を計量器に乗って計ったことはありません。が然し入院当時背骨にくっつくように萎んでいたお腹に脂肪がのり大分太ってまいり先日お腹の周囲を巻尺で計ると73センチ・メートルもありました。足も腕も太くなり体重も相当増加していると思います。
     次に私が是非ここに書かなくてはならないことは今年になって始めて医師からレントゲン所見の良くなったことを伝えられたことです。私の病院では3ヶ月に一回レントゲン写真を撮りますが本年1月末日のレントゲン所見まで依然として変化なしという話で毎回がっかりしていたのです。所が本年4月末日の写真を撮った時始めて所見のよくなったことを告げられたのです。7月末日の写真をたのしみにしている次第です。
     それから血沈の事も序に述べて置きますが、昨年迄私の血沈は半時間で83から90位の値でありました。所が本年1月からの血沈を列記して見ますと30分間で
     1月16日75、
     2月13日62、
     3月13日10,
     4月17日30、
     5月15日28
     ということになっております。その日のコンディションにより右のような値が出ておりますが良くなっていることは一目瞭然であります。

     以上述べたような病態で何か病状の好転を切実に感じてまいっておりますので、あとこのまま青汁の飲用を続けて行きたいと思います。私の病状の好転と云った所で、病院における優秀な医師の指導、献身的な看護婦さんの看護の下における青汁飲用が効を奏したものと考えられるのであって、青汁飲用が好転の有力なファクターであることを飽く迄も申し添えたいのであります。
     終りに田路氏の筆舌に尽せない御親切とサービス精神に対し満腔の謝意を表明してこの稿の筆を擱きたいと思います。あと又数ヶ月の時日を置いてこの中間報告の第2号の筆をとりたいと思います。





7. 結核血沈よくなる

    横浜市 匿名 

     私は去る昭和27年1月発病、両側性空洞肺結核にて入院中のものですが、喀血(32年7月)後は抵抗力減退一時再起を断念したこともありました。
     ところが去る1月11日号週間読売にて青汁の会の記事を拝見、わらをも掴みたき心境のところに感ずる処あり、矢も楯もたまらず、正月早々から今日まで、夢中で時節のあらゆる野菜をとり入れ、1日180cc飲用し続けて居りますうち、去る2月12日の定期検査の成績が、これまで一度も到達することが出来ず、40−70−80台であった赤沈が、5−10と、間違いと思われる程の好成績をしめしましたので、いよいよ自信を得て続けて居りますが、3月の結果を更に朝待して確信を得たいと思っている次第です。

    (34、2、20通信より)





8. 肺結核(血沈値)

    尾崎 K.O. 

     次に赤沈値のことを述べて置きますが、昨年1月青汁飲用を始めてからの血沈値の変化は次の通りであります。

    <血沈値の改善状況>

       年  月     30分     1時間     2時間
     34年 1月      75      96     105
     34年 2月      62      73      87
     34年 3月      10      30      55
     34年 4月      30      67      88
     34年 5月      28      48      76
     34年 6月      28      55      80
     34年 7月      20      39      60
     34年 8月      22      47      78
     34年 9月      23      47      71
     34年10月      11      25      43
     34年11月       4       9      21
     34年12月       2.5    10      45
     35年 1月       5      19      42


     次の通り血沈値が遅延化しつつあることは明白な事実であります。健康人の血沈値のように正常なものでは決してありませんが、それに近づいて行くようであります。前の報告に於ても一寸申上げた通り青汁飲用以前の血沈値は30分で90以下に下がったことは唯の一度もなかったのであります。
     私にはどうしてこのように下がってきたかその因果関係を説明する能力はありません。青汁飲用を契機としてそれ以前と変った特別な療法もやらず、別に変った薬剤(後で述べる病院での化学療法の薬以外に)を使用した覚えもありません。とにかく理論的に判らなくても、私としては良い方向へ向って変化すのであれば、安心しておられるし、又斗病への強い自信が湧いて来るというものであります。
     次にレントゲン像の改善についてであますが、これは血沈値のように急な好転というわけに行かず実に除々たる好転という所であります。本年の1月レントゲン像を見てもまだ右肺にかなりF型陰影が見られる状態であります。昨年9月安静度は二度となり、現在の所ベットの上で依然として絶対安静を守っており、化学療法を極力継続して患部の安定を図って行こうとする医師の治療方針を懸命に遵守致して毎日を送っている次第であります。
     化学療法もマイシン・パス併用、ヒドラ・サルファ剤併用、等と順次変ってきておりますが、同時に私の如きは是迄喀血や血痰の多かった関係上安静には特別意を配っておるわけであります。然し血痰も昨年3月に4日間許り出た後は止まり、その後は昨年8月末から11月へかけて時折痰の中にマッチの棒の頭程の血点が出た位で35年の本年に入ってからは現在に至る迄もうその血点も出ません。血の出ないことは一つの危険信号の減ったことで、これも前記の風邪をひかなくなったことと共に、私にとって誠に有りがたいことだと思っております。
     結核患者にはこの病気に罹り易い素質があるのかも知れませんが、その発病までには食事、その他の生活習慣に、如何に不自然なことをしてきたか今にして思えば実に慄然たるものがあります。私共の身体は或る意味では食物の変形ですから、先づ食物から正しい生活の食事に戻すためこの青汁飲用が如何に大切であるか最早賛言を要しないことと信じます。
     病院の白米、卵、魚、肉と僅かの青野菜という慣行食に何かいつも不満というか捉え所のない一種の飢餓感があったのですが、この青汁を始めてからそれが無くなりました。この飢餓感はこれ迄に不足していた食物への食欲を盲目的に指示してくれていたとしか考えられないのです。成程青汁は牛乳に較べても決して飲みよいものではないが、もう此頃では正月の5日間でもそうでしたように飲まないと快便が出ないし身体の調子が変になるのです。
     肺結核患者としての私の療養生活の前途は尚遠い感がありますが、私は希望を失わずに飽くまで斗い抜く覚悟であります。又数カ月の時日を置いて第3号の筆をとりたいと考えておりますが、青汁の効果を身を以て実験して示したいという自信に燃えています。終りに尼崎支部の田路さんのいつも変らぬ御熱心なサービスと御親切に深甚な謝意を表明してこの稿を終る次第であります。(35、3、24記)





9. 長年結核で療養

    小金井市 M.H. 

     長年結核で療養しているものですが、1ヶ月前より熱心に青汁を飲みはじめました。
     その効果はてきめんで、常に疲れぽかったのが、段々とうすらいでいくようです。
     それに、7年前の肺切のため、併発した気管支潰瘍で、いまだに血痰がとまらず悩みの種でしたが、これも次第にうすくなっていくようで、喜びにたえません。
     また、カリエスおよび淋巴腺で、全身に痛みがありますが、これもだんだんへっていくようです。

    (36・11・8)





10. 結核食

     医学博士 遠藤 仁郎 

     戦時中からの、国をあげての強力な結核対策、さらにはマイシン、パス、ヒドラをはじめとする、有力な特効薬(抗結核剤)の出現によって、さすがの難病「結核」も、ついに征服されようとしています。
     まず青少年の罹患が激減しました。
     そして、たとえ発病しても、早期発見、早期治療の実施によって、多くのものは完全に治癒するようになりました。
     今では、結核は老人病だといわれていますが、実際、どこの病院でも、入院しているのは、治りにくい老人結核ばかりです。
     こうして死亡率も非常に減り、第一位を占めていた死亡順位は、6−7位に下り、療養所はぞくぞく閉鎖されつつある、といった状態です。

     このように、確かに病人はへり、治りやすくもなりました。
     しかし、老人結核のように慢性経過をとっている古い結核の難治なことはもとより、新しいものでも、その治癒は仲々そう簡単にはゆかず、相当ながい期間の療養が必要です。
     もともと結核は、結核菌と生体との戦いですから、たとえ強頑な微菌が侵入しても、身体の抵抗力がよくこれに抵抗し、うち負かすだけに十分強ければ、少しも恐れるにも足らないので、身体の条件がよければ自然にも治る筈のものです。

     また、有力な抗結核剤にしたところが、ただ注射したり飲んでさえいればよいというものではなく、その効力を遺憾なく発揮さすためには、どうしても、一方で身体の方の条件がよくなければなりません。
     なお最近では、特効薬に対しても抵抗し、ビクともせぬようになった結核菌、つまり耐性菌がドンドンふえて来ています。
     こうなると、今のようなよい薬のなかった以前と全く同じ状態になっているわけで、いよいよ頼れるものは体力だけしかないということになります。
     したがって以前ほどではないにしても、やはり、日常諸般の注意、ことに心の安定、適度の運動、そして正しい栄養に心がけて、体力の無用の消耗を防ぎ、抵抗力の増強を図らねばならぬことは、今も昔も変りはないわけです。
     さて結核食については、いまだに高蛋白高熱量食がいわれ、むやみにご馳走を食わせ、ふとりさえすればよいかのように誤解されているようです。
     いかにも、衰弱しているものがふとって来るのは結構でしょう。
     しかし、ふとることは体抵抗力の強加ということは、必ずしも一致しません。
     以前でも余りふとりすぎると却って抵抗力を弱めて病状が悪化するといわれたものです。
     また高蛋白高熱量食がよいというのも、実はそれだけではなく、同時にビタミンもミネラルもそろって多い、つまり、うまく調和のとれた完全食の十分な供給がよい、というので、ただ蛋白質や熱量が豊富であればよいというものではありません。

     ところで、私共の習慣食は周知のように、熱量は十分で、蛋白質もさほど不足はないが、ビタミンやミネラルは甚しく不足しています。
     そして、それをいくらか改めた結核食でも、やはり蛋白質や熱量は多くなっているが、ビタミンやミネラルは不足がちであり、これが十分補給されなければ、決して本当に完全な食とすることは出来ないのです。
     それには、どうしても、良質の菜っ葉をうんと、しかも、なるべく生でとらなければなりません。
     また、そのようにして、ビタミンやミネラルが十分になれば、いわれるほど大量の食をとらなくても栄養をみたすことも出来、体諸機能も改善され、ともすると投薬中止を余義なくされるような特効薬の副作用を防ぐこともできます。

     なお、今日ふつうの結核食では、老化(ことに血管系の)をはやめることとなり、年配者はいうまでもなく、若年者にも、高血圧や動脉硬化、あるいは糖尿病が出るといったことになるのですが、緑葉食・青汁による食の合理化で、未然に防ぐことができます。
     こうした意味で私は、すべての他の病気におけると同様、結核にも緑葉食・青汁を中心とした完全食をすすめています。
     また事実、今日のようなよい薬のなかった時代にも、こうした食養法によってかなりの効果をあげています。
     まして今日では、有力薬剤との併用によって、より一層顕著な効果が期待できるわけです。
     以前、療友間で嘲笑の種であった青汁が、今では療友会の共同事業にとり上げられている療養所の少くないという事実は、その効を裏書するものといってよいのではないでしょうか。

     緑葉食・青汁といえば、朝から晩まで、それこそ菜っ葉ばかり食べさせられ、青汁ばかり飲まされているように誤解され敬遠されている所もあるようですが、私どものいう緑葉食青汁は、決して一部民療家のいうような極端な菜食を強いようというものではありません。
     ただ、今までの食に良質の菜っ葉を多く配して、よく調和のとれた栄養とし、体力、抵抗力をもり上げて、結核との戦いに有利な条件をあたえようというのが本来の目的です。





11. 青汁一年を顧みて

    高崎市 T.Y. 

     終戦と同時に胃潰瘍となり、長年苦しみましたが、其後肺結核となり、此の間に死線をさまようこと4回。奇跡的に命をとりとめましたが、衰弱した体の回復が出来ず困っている時、隣人より青汁を教えられ、早速のみ始めましたのが昨年11月5日でした。
     其の後1週間位で気付いた事は、非常に寝付きが良くなった事。
     寒さが余り感じなくなった事。肩コリが無くなった事。仕事をしても今迄の様に疲れなくなった事等であります。
     霜やけ等は其の後間も無く全部なおりましたので、其の効果に驚きました。
     其の後高崎支部責任者平山氏の指導を仰ぎ、真剣に青汁に就いて、私なりの研究を始めました。
     本年正月は餅を食べるのを止めて、ジャガ芋を主食とし、副食物は生野菜を主とし、牛乳1合、卵1個とし、魚や肉類を一切止めました。
     処が食後の気持は米を主食とするよりも非常によく、益々体力をましてくるのがわかる様な気がいたしました。
     其後2月よりジャガ芋を米にかえて続けましたが、順調に体力が回復し、4月より遠方に仕事に出かけました。
     自転車で悪路片道30分、一日中、立ち通しの仕事ですが、特に疲れを感じません。
     これで私も皆様並の仕事が出来る自信を得ました。
     6月頃からは、知人にあう度に、皆さんが「随分元気そうな顔色をしてるね」といわれるようになりました。
     過日11月14日に遠藤先生御夫妻を御迎えして講演会を開きました時、先生から、直接御親切な御指導いただき、益々確信を得る事が出来ました。
     青汁により19年間の病弱から、再び健康を得て、社会に立つ事が出来ました事を心から感謝して居ります。





12. 肺結核とバセドー

    宇都宮市 H.M. 

     肺結核とバセドー病で入院中のものでございますが、「青汁の効用」の本を婦長さんにいただいたのが動機で、4ヶ月まえから青汁を、ミンチでつくって、夜6時ごろ飲んでおります。
     だいぶだるいのもとれて、大変感謝しております。





13. 7年の療養に終止符

    大阪市 H.K. 

     7年もの長い間、肺結核で入院致しておりました。
     先生からは、もうお薬ではとても癒らない。体力以外には途はない、といわれ、3人の子供の顔を思い浮べては、死ぬにも死に切れない思いでございました。
     その体力も胃が悪くて食事も受けつけず、ご馳走を前に置いて、何度涙をこぼしたことでございましょう。
     その時、何かのご本で先生のケールのお話を聞き、人様にその汁をしぼっていただき、長い間服用させていただきました。
     その結果、好き嫌いも無くなり、十瓧ちかくも太り、それに伴い、大きな空洞もなくなり、7年もの長い療養に終止符をうって、遅まきながら親らしいこともしてやれるようになりました。
     そして、今では、人並に会社つとめも出来、幸せに暮しております。
     私のイトコに、私と同じように苦しんでいる人がいると聞き、私の話を致しましたところ、ぜひにと切望されお願いする次第でございます。
     幸い広い畠のあるお家でございますので、種をお分け頂ければと存じております。





14. ケールをつくりたい

    北海道 T.Z. 

     35才の主婦です。
     先日、先生の「青汁と健康」を見つけ、一気に読みました。
     そして、どうしても実行すべきことと思いました。
     6才で結核になり、21才まで医者の手をはなれませんでした。19才で中学を卒業、職業訓練所を出て、やっと社会に出られ、27才で結婚しました。よい薬があるのに、こんなに長くかかったのは、体が薬をうけつけないとかで、つかえなかったからです。
     肺活量は1300ほどになってしまい、弱い弱いといいながら、無事にすごしてきたのですが、昨年の春ごろから調子が悪くなりました。
     体がだるく、朝起ができない、頭痛がする。また、再発かと思い、みていただきましたが、何ともない。女性としての曲り角でしょう、といわれました。
     好き嫌いはなく、とくに野菜は好きでした。
     野草も、春ともなれば、せっせと食べるので、ウサギとか、青虫といわれ、道の草もあんたを見ると、おそれるんじゃないか、といわれるほどでした。
     なのに、バッタリたおれ、気を失ったのです。
     赤血球が不足だそうです。考えてみると、その原因は食生活にあるようです。
     給料が安かった時は、ハム、コーヒー、ケーキなど、お肉なんかも、そう沢山たべませんでした。
     が、この2〜3年、生活が楽になって、かえってアンバランスな栄養をとっていたようです。
     冬はしかたないとしても夏だけはと、家庭菜園を少しやって、日のあまりあたらない所にはミツバ、セリ、ニラ。
     青菜や青シソ、赤シソなどは窓際に棚をもうけてプランターつくりで回転させています。
     冬は青物が不足しますが、日当りがよいので、窓辺でカイワレ大根やタイナくらいはつくれます。
     ケールもうまくゆくかどうか、やってみたいと思っています。種子をお願いします。





15. 結核の空洞がなくなった

    名古屋市 A.B. 

     私は、昭和16年肺結核(咯血)となり、戦時中はその儘おし通しました。
     勤務いたしました。とうとう23年には大咯血で入院しました。
     右後部下に30ミリくらいの空洞が断層写真で出ておりました。
     手術はやりませんでした。
     人体を切り取ったり、物を入れたりすることは、私は自然に反すると思ったからです。
     薬物、栄養、自然、ということを念願としておりましたが、赤本(三樹園社、築田多吉著)の中に青汁の偉大な効果について述べておられます。
     その青汁を実行いたしました。
     病院から公害の診療所へかわりました。
     青汁は柿の葉が最もビタミンCが多いとかで、それを中心に、すりこぎでどろどろにし、ガーゼでこして飲みました。
     1日1回、3〜5ccくらいか、記憶はありませんが、続けました。
     病院から診療所へかわっても、薬は飲んでおりました。
     大気、安静、栄養。
     半年後にレントゲン写真に空洞が小さくなっております。
     10ヶ月目には断層で空洞がなくなりました。
     先生方も驚いていたようですが、青汁のことは申しませんでした。
     30年経った今、また、青汁を飲んでおります。





16. 咳・痰がとれた

    福岡県 K.T. 

     30才の女性です。昨年12月に粟粒結核にかかりました。
     ストマイ毎日と薬で、1ヶ月程で、レントゲンの方はよくなりましたが、咳・痰がとまらず、毎日3回咳どめを服用していました。7月初めに、友人から青汁をすすめられ、半信半疑でのみはじめましたところ、50日目から咳が少なくなり、今では、咳どめは全然のんでいません。耳鳴りも、天気の悪い日は、時々しておりましたが、青汁をのんでいらい、1回もいたしません。もっと早く知っておればと、悔やまれてなりません。ケールの種子を、よろしくお願いいたします。





17. 20年来の痰

    愛知県 A.B. 

     さきに、結核で空洞もちの私が、薬剤と青汁半年で空洞がなくなったことを書きましたが、54年には、自然気胸で3時間意識不明。
     ICU(集中治療室)に1週間。そして2ヶ月入院しておりました。
     54年10月、毎日ライフの記事をみて、大根葉を主に青汁をつくって飲んでおります。量は茶碗に半分くらい、1日1回。それにアロエ少量食べています。
     快食、快便、快眠。身体の調子は良好。体重46kgが48.5になりました。体重が少しでもふえたことは陸軍病院入院いらいのことです。
     それまでは、朝の痰の切れがわるく、気管支にヒューヒューとひっかかり、横になって静かに出るのを待つ、という状態がつづいていましたが、しだいに痰切れもよくなり、知らぬ間に20年来の痰が出なくなりました。
     この冬の猛寒波にもカゼもひかずでした。
     周囲にも、大金をつかうわけでなし、最低3ヶ月やってみて、効果がないと思えばやめてよし、ともかくまずやってみることですとすすめています。





18. 結核完治

    福岡県 S.A. 

     「青汁の効用」を読ませていただき、青汁をのみ、結核が完治致しました。ほんとうにすばらしい本にめぐり逢えたこと心から感謝申し上げております。





19. 非定型抗酸菌症

     医学博士 遠藤 仁郎 

     九州のある女性の方から「非定型抗酸菌症という薬のない病気にかかっています。青汁はきくでしょうか?」との電話。
     「きくかどうか、今すぐには答えかねますが、多分いいだろうと思います。それは、この病気が、結核に近いもの――原因菌の性質が結核菌(定型的抗酸菌)によく似ているが、毒力が弱く、伝染もしない。じわじわと進行するのが普通だが、自然に治ることも少なくない、といわれており(非定型抗酸菌症と呼ばれているわけ)、本物の結核よりはずっとたちのよいものだからです。
     その菌にも何種類かあり、ものによっては薬のきくものもあるそうですが、あなたのばあい薬がないとのことですから、いまのような有力な特効薬のなかった頃の結核のように、体力をつけ、抵抗力をたかめて行くべきであり、そうするほかないわけです。
     当時の結核では、よい環境(きれいな空気と十分の日光)の中で、安静(適度の運動と十分の休養)をまもり、十分の栄養をとるというのでしたが、中でも栄養に重点がおかれていました。
     推賞された栄養のバランスは

       カロリー  2500
       蛋白質   75g
       カルシウム 1.5g以上
       ビタミンA 5000単位以上
       B1・B2 2.0ミリ以上
           C 100以上

     というのでしたが、これは良質ナッパがうんと(少なくとも400〜500g)そえられなければ、とうていみたすことはできません。
     そこで青汁がすすめられましたが、たしかに、かなりの効果がみられました。
     ですからあなたのばあいも、できるだけ多く(多ければ多いほどよろしい)飲んでごらんになってはいかがでしょう。」
     「わたしはおなかが弱いので、とてもそんなには飲めそうもありません。下痢してしまうでしょう。」
     「いちどにガブ飲みすればそうかも知れませんが、少しづつから始め、しだいにふやして行けばなれてきますよ。急にどうこうという病気ではありませんから、気ながに、持久戦で行くんですよ。それでも下痢するようなら、バター(親指の頭くらい)を一緒に食べてみるのもよいでしょう。また、水分が多すぎて飲みづらければ粉末を併用――青汁に粉末をとかせば分量はあまりふえずに内容を増すことができます。
     もちろん、材料は安全なものでなければなりません。
     農薬のかかったもの。したがって市販の野菜類は絶対ダメです。
     ケールの種子はいつでもさし上げますから、年中切らさないよう、無化肥・無農薬栽培でおつくりなさい。あるいは、信頼できる農家に委托されるとよいでしょう。
     なお、一般の食品についても、なるべく安全良質のものにし、危険な生産用薬剤や添加物に汚染されたものはつとめて避けてください。
     その他、なるべく無理をせず、心身の過労をさけ、よくねむり、便通をよくするなど、つねに体力・抵抗力を消耗しないよう心がけること。」
    (59・4)





20.  排菌とまる

     大阪・羽曳野市の島田病院々長島田永広先生から、次のような朗報をいただきました。(62・12)。

      「私の病院に入院している結核患者のうち、排菌しているものが20名います。その中の5名は、最新の治療にもかかわらず、毎月頑固に排菌をつづけています。そこで、この5名に、1月から、青汁を毎日1合ずつ飲ませました。3名は中途でやめてしまい、依然として排菌していますが、真面目に飲んだ2名は、嬉しいことに、培養ではまだいくらか出ていますが、塗沫標本顕鏡検査では陰性になりました。このままつづけていればやがて完全に陰性化するでしょう。これは、画期的のことで青汁の威力が判然と証明されました。」

     なお、先生の病院では、脊髄小脳変性症や、重症の糖尿病、肝臓病にも青汁を飲ませ卓効をあげられています。(文責在記者)





21. 初期の旧稿から

     医学博士 遠藤 仁郎 

    1. 大阪郊外在住、26才、女。私が大阪在勤当時肺結核と診断した患者。
       約2ヶ年北陸の某療養所に入所していた。終戦後老父母が台湾から引揚げて来たので帰宅した。当時体重僅に35キロ。甚しく衰弱していた。しかし、引揚者のこと少しの貯えもなく、不縁になった病女の結婚支度の売食いという有様で、到底充分の物を食わすわけにも行かぬ、と老父君から聞き、青汁の話をしたのが廿一年の十月だった。
       幸いに、附近に電車路があるので、まいにち野草を採集。熱心に励行したところが大いに奏効し、近所の人たちが「配給だけでよくもそれだけ肥えられる」と感心した位体重は増し、血色もよくなり、3〜4ヶ月で50キロとなり、病前にもました健康状態となり、現に一家の支柱として相当の激職に服し、老父母を扶養している。
       4月の選挙戦に、勤め先の主人公が出馬したため、応援演説に連日活躍したが、すこしも疲労せず、元気でやり通したという。なお、この父君はすでに70才をこえる老齢であるが、病女とともに青汁を服用しているうち、新聞を読むに眼鏡が不要となり、昨年大阪より北海道までいそがしい往復旅行をしたが、少しもくたびれなかったということである。


    2. 25才、医師の妻女。
       戦災のため夫君の郷里である山村に帰って以来、特に病弱というではないが、過労のためか無月経となり、月々月経時に相当して、全身の蕁麻疹に悩まされていた。さらに、近来は関節痛と発熱をみるにいたった。最近2ヶ月来は38度前後の発熱が持続し、屡々関節痛を来す。ロイマチスとして治療しているが無効。食思減じ、次第に衰弱して来るので、と相談をうけた。
       診ると右肋膜に僅かの肥厚があり、肺浸潤の徴候も認められる。食餌は多くの医師の家庭にありがちの肉食に傾いた偏食である。菜食に改め青汁の必要を説いて帰った。同家には柿の木が多いのでその葉をつかったということであったが、漸次快方に向い、解熱剤も用いず速かに解熱。約2ヶ月で起きられるようになり、蕁麻疹も関節痛もなくなった。


    3. 56才、男。食料加工業主。
       約1ヶ年まえ喀血。発熱。爾来病臥。近来38度前後の発熱持続し、食思不振。神経質となり、不機嫌。睡眠不良。睡眠剤を用いてもなお就眠困難で、これが目下の最大の苦痛であるという。栄養はやや衰え少しく貧血している。肺の変化はかなり顕著である。
       食餌は職業がら不自由のないせいもあって、毎食、肉、魚、卵をかがさず、野菜類はほとんど食べていない。そこで、野菜ことに緑葉菜と青汁をすすめ、睡眠剤、解熱剤の使用を禁じた。近縁の者に熱心な青汁党の一人があって、野草の採取をてつだいなどしたためか、我儘者と聞いていたのでおそらくやってはくれまいと思っていたが、存外真面目に飲んだ由で、約1週間で睡眠はよくなり、食欲も漸次振い、発熱漸減。3ヶ月後には庭園を散歩しうるようになった。


    4. 左側肺結核の25才の女子。
       気胸術施行中膿胸となり、肋骨切除により排膿していたが、切創部より絶えず濃厚な黄緑色の膿汁を出し、発熱。呼吸促迫、臭気と湿潤のため睡眠を障碍され、食思不良。日々を贏痩を加え、一般状態悪化の傾向にあった。
       この時青汁100竓と野菜をなるべく多く摂らしめた。服用2〜3日後、排膿量はやや増加したが色調は著しく薄く、さらさらとして来た。2週間の連用により膿汁分泌は止み、肉芽増殖よく、瘻孔も閉塞した。気胸は残っており、心臓は右へ偏移しているが、呼吸促迫、心悸亢進もなく、ただ定期的に多量の喀痰をみるだけで、食思もすすみ、体重も増して来た(出雲市岡崎国恵女史報)。


    5. 肩関節結核で瘻孔を生じて2ヶ年以上一進一退治癒しなかった一例。青汁約1ヶ月で完全に治った。


    6. 肋膜炎兼肋膜周囲膿瘍で、発熱。胸痛、盗汗の著しかった一例。膿瘍切開後青汁を服用したところ、5日後に発熱去り、食欲が出、1週後には盗汗は全く消失。3週間で切開創は完全に治癒した(島根県 森山清子女史報)。





22.  私の青汁歴

    奈良県 Y.N. 

     先生、3月19日の大阪の会で初めて先生のお話しを聞くことが出来まして嬉しうございました。毎月健康と青汁を読ませていただいておりますが、お顔を拝見出来て、お写真よりお若く、とてもお元気なお姿に感動し、感謝しています。
     私は67才の老人で、15年前に脳溢血、5年前に脳血栓をやり、初めは右半身、後は左半身不随になり、リハビリをやりましたが、今だに右手は不自由で、口は全然戻らず、喋れません。只今、娘夫婦と孫二人と同居しています。若い者と意見の合わないのも、私が喋れない為けんかにならず、平和に暮せます。喋れぬことも有難いです。先生が質疑応答で、くどくどと質問なさる皆様に、要は安心して青汁を少しでも多く飲みなさい、と仰っしゃってるようで、法然上人が若い僧達の悩みをお聞きになって、ただ一言、凡ての物に念仏する心になれと仰っしゃったのと同じように感じ、有難く、観音様のように思いました。
     私は、20代の時肺結核で、あと6ヶ月と云われまして、戦後間のない時で食料もなく困っている時、従兄が青汁でも飲んで見たらとすすめてくれ、大阪にいましたので焼跡のはこべや南瓜の葉を摺ってどんぶり1杯ずつ飲みました。搾ったあと勿体無いと云って水を入れて2度目のを母が飲みましたら、私はすっかり元気になり、胃痙れんの持病の母も直りました。その頃ケールは知りませんが、奈良へ来てから先生のお本で知りまして、庭で作っております。大きく育ちますので花の芽は若い内に取ってブロッコリーの代りに、若葉はチンゲン菜の様に使って食べています。声が出なくなってから物を飲み込むのが大変で、青汁は沢山飲めませんが、私は自分の食事は別につくっていますので、畑で作っている野菜が主食の様な食事をしています。お医者さんも糖尿の方大変いいと云ってもらっています。(平成2・3)





23.  知らぬうちに治っていた

    茨城県 K.S. 

     一昨年主人が病院に電話をし、昨日直接先生に会って、くわしく聞いてもらった所、たんも大丈夫だし、ガンでなかったことがわかりましたのでホッと致しました。
     お医者さんの一言は、患者に取って、どれ程神経を使うか、大変な苦痛でした。
     もう一つ、結核のことですが、丸い白いかげは、知らない間に結核にかかり、知らない間に治ったあとということを聞き、今までずっと町の検診を受けていて、一昨年だけ受けなかったので、その間のことだと思います。多分ケール顆粒を飲んでいたので、知らない間に治っていたのでしょう。
     ケールを飲んでいなかったら今頃病院だろうと思うと、唯感謝にたえません。ありがとうございました。これからも家族皆で青汁顆粒を飲みたいと思います。

    (59・3)








ご意見・ご要望はこちらへ
階層リンク 田辺食品 青汁 健康と青汁 上の階層へ
サービスリンク 更新記録 全体構成 商品紹介 注文方法

Copyright 2011 02 田辺食品株式会社