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脊椎カリエス・脊髄炎:掲載紙面選択
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1. 少しは恢復に近づく希望も
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玉島市 匿名
飲む前、毎年10月頃から風邪を引き始め、次第に引き加えて春まで引きつづけて、せきがはげしく、丁度百日咳の様になり、食事も度々もどし、食欲がなくなり、衰弱がはげしく寝返りも出来なくなる口中があれ、息まで臭く唇に湿疹が出来て薬でも注射でもなおらず春まで食事をするのに非常に不便でした。
青汁を4ヶ月半飲んだ所ですが、風邪を引いても2日程でなおってしまう。血色がとても良くなり、偏食が全然なくなり(特に卵は体質に合わぬのが、生まれてから丸1個と卵黄がおさまった事がなく、おいしく食べても全部もどしてしまう様なのが、今ではいくつでも喜んで食べ、叉おさまる。)声も張りがあって非常に元気です。
毎日便通があり、便も適当な硬さです。毎年冬中の衰弱を、夏中にとりもどし、叉冬の間に衰弱と、くりかえして来ましたが、このままで今年の冬を乗り切ると、少しは恢復に近づく希望も出てくるわけで、青汁のお陰という言葉も自然に出て感謝して居ります。
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香川県 匿名
菜汁お聞きして早速11月から始めましたらよく寝られ、体の調子も非常に快調になりずっと続けて居ります。
私は肺とカリエスで膿が3月に破れ出て居りましたが、6月末からヒドラジツトを飲み始めたが、胸の方には効果を現わしたが、膿の方は一向止らず、11月はじめも毎日局部はずるずるぬれていました。
菜汁をのみ始め10日目位から乾くようになり、1ヶ月位で急によくなり、交換も4日も5日もしないようになり、もう完全に治ったと申して居ります。それは菜汁かヒドラジツトか、私にはわかりませんが、好転したのは事実で、血沈も新薬をのみ始め50日後も8〜90、いつもは100以上だったのが12月には14〜34という、私にとっては好成績でした。
(昭和28年1月8日付け通信より)
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2. 脊椎カリエス
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因島市 S.M.
三つになります長女が、此の1月ごろから脊椎カリエスにかかり心配いたしましたところ、東京の叔父からずばらしいグリーンジュースの効果を教えてくれましたので、早速いろいろこころみました。
小さい子供のことゆえ、はじめはいやがっていましたが、次第にならしてまいりました。
お蔭さまで顔色もすっかりよくなり、よく肥えて、6月にはギブスもはずせるといって下さっています。
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3. 7才の時からの病気
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川崎市 F.M.
私はいま24才ですが、結核性の病気(カリエス)のため、7才の時から約2年前まで入院生活を続けました。入院中に青汁のことを知り、早速試し、大変具合のよいことを感じ(病院では青汁飲用を許されておりませんでしたので内緒で)、ぜひ青汁をつづけたいと思い、無理に退院しました。
その後ケールが手に入らなかったり、薬が効かなかったりで、再度入院しなくてはならないかと思う時がつづきましたが、幸に横浜に青汁スタンドが出来、ご親切に、途中下車して届けて下さいますこと、早や1年近くなりました。
お蔭で、今では、お腹にできた瘻孔もふさがり、足の痺れもとれ、脊椎の痛みもうすらぎ、ほとんど苦痛がなくなりました。
そしてこの頃は、週に一度の生花やお茶のお点前にも励めるようになり、しみじみと、こうした楽しみを与えられたよろこびを感じて居ります。
また、あるいは、来年からは学校(中学、義務教育をおえていませんので)へ行けるかしらなどと、かすかな希望ではありますが、そのようなことまで不可能ではなくなりつつあることも、重ねての喜びでございます。
青汁というすばらしいものを見つけ出して下さいました先生に、この喜びとともに、あらためて感謝を申しあげます。
また、青汁にあわせて食事の方も、先生のご指示にしたがい、一生懸命がんばっています。
田辺さんや田中さんにもいろいろとお世話いただき、私の現在おります家は、川崎駅からだいぶ離れておりますのに、いやな顔もせず、毎日お届け下さっておりますことも、本当に感謝にたえません。
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4. 「苦闘17年」肺結核とカリエス
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神奈川県 M.H.
私は17年間結核をわずらって、4年前青汁を知り、それを実行したかいあって、当時熱も有り、起きていると脊椎は痛むし、歩けば腰が痛むしで、暗い毎日でしたが、青汁スタンドの田辺さん達の温いご協力のもとに毎日青汁をとどけて頂いたかいも見事に、日に日に快方に向いました。
無論、化学療法も併用し、又遠藤先生ご指導の食事療養も懸命にやりましたけれど、あまり熱が高く、気分の勝れぬ日など、食事もとらず
青汁だけ1日に1升も飲んだことは、すでに有名になってしまいましたが、そうこうしている内に、次第に、症状もとれ、今迄、人がゆうゆうと外出してゆく後姿を見ていては、自分も、早くあの方のように自由にあるきたいなど、寂しい思いをしたものでしたが、自分の足で、痛みもなく、地面をしっかりと歩けるようになった時の喜びは、昨日のことのように思い出されます。
そして現在、私は12も年下の姉妹達と高校生活を明るく過しております。
十何年という空白の元に、昨年の春、おそるおそる高校の門をたたき、早や1年、無事に通過してまいりました。
早朝、自転車に乗って学舎へ向うペダルも快やかに、再び返った健康感をかみしめながら、夢のような今日。
こうして、ある幸せを心から感謝しつつ、新たに青汁のすばらしさや、実行力の尊さを、深く感じ、今なお同じ病に、苦しんでいる皆様に、ご参考にして頂けましたらとペンを取らせて頂きました。
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5. 4年ごしの脊椎カリエス
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鳥取県 K.M.
私の旧知。昭和22〜3年ごろでしたか、4年ごしの脊椎カリエスで、骨盤の横から3ヶ所、毎日毎日、大量の膿汁が出ていました。
食糧事情も悪く、もう、一生立てないのじゃないか、と思っていました。
が、妹たちにたのみ、土手の青草をスリ鉢ですって飲みつづけていました。
そのうち、だんだん膿汁も少なくなり、とうとう立ち上り、杖で歩きだしたのは、本当に感激でした。
失った青春をとりもどすと、相当ムチャな遊びをつづけても平気となり、いまは町の人気歯科医として大活躍をされています。
集りがあると、いつも、当時の話が出て、青汁の効用をとくとくと話されています。
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6. 脊髄炎(原因不明)に著効
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大阪市 T.S.
36才男子。1年まえ(昭和62年)6月23日ごろからカゼ気味で発熱。近医の治療をうけていましたが、解熱せず。
7月3日、左上下肢がマヒし歩行ができなくなり、右半身には知覚の異常(シビレ)があらわれましたので、同4日、市民病院へ入院しました。
検査の結果、原因不明の脊髄炎で、治療法もない。おそらく絶望。よくても一生車椅子の生活になるだろう、といわれ、悲嘆にくれていました。
そのとき、関目の浜口先生(ケール養生医学社)から青汁をおしえていただきました。
そして、ピロサン(緑)を1週に2箱(50袋)を目安にのみつづけましたところ、めきめき快方にむかい、3ヶ月の10月初めには、左半身のマヒは完全に回復、退院の運びになり、右半身のシビレはまだありますが、正常の日常生活にもどれ、何の不自由もなく過させていただいています。
これからもケールをつづけ、体質を改善し、完全治癒をめざし、また、出来ると確信しております。
(63・11)
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