慎んで申し上げます
故遠藤仁郎医博の脇仏と称せられた貝原邦夫先生が
去る3月某日、享年85歳にて永眠されました。
今はなき遠藤青汁の真意を果たすべく
心血を注がれました生前の数々の御業績に
多大なる敬意を表しますとともに
慎んで御冥福をお祈り申し上げます。
平成12年3月11日 田辺秀正
編集人 貝原邦夫
いつか、この日が来るであろうことは心に言い聞かせ、一号、一号と積み重ねて参りましたが、ついに四百二十一号が終着駅となりました。 八月号、先生の「急告」に対し、是非青汁の歩みをまとめてほしいとの要望も多少ありますので、淋しいとも、悲しいとも言葉に表すことの出来ない複雑な想いを抱きながら、長かった足跡をふり返ってみたいと思います。
青汁のおいたち
遠藤先生は、京都御在住の昭和十八年(一九四三)十月二十日朝、トイレの中で青汁開眼。そして、十九年春、中学生の息子さんの肺炎、奥さんの腎臓炎治療に素晴らしい成果をあげ、昭和二十年三月、内科医長として倉敷中央病院に転勤。着任して日尚浅く、五月初旬に三回目の応召、新任地は熊本県の人吉市。
当時我が国は戦況とみに厳しく、応召の老兵部隊の健康管理に、また航空兵の疲労予防、回復のため、山中の草や木の葉を集め、民家の餅搗臼を借用して青汁をつくり、土地の人からは“薬草を食う兵隊”と評判される程徹底的な飲用によって、緑葉食青汁の効果に確信をもつにいたったとのお話。
そして、二十年九月下旬復員、帰還後はこれから貴重な体験をもとに、倉敷中央病院において、当時我国病気死亡の首位を占め、施す術もないと言われた恐怖の難病結核患者を対象に、我が国で初めて臨床にとり入れられた由。
その頃、生きて行く職場は全く別の、教育界における児童生徒の健康管理に呻吟していた私は、昭和二三年春、奇縁、この先生と出会いの機会に恵まれ、爾来四十数年、或僧籍の人からあなたは遠藤先生の脇仏と言われる程行動を共にし、ご指導を頂いて参りました。
今、歩んだ半世紀を振り返って見れば、二人が弱音を吐いた事は一度もありませんでしたが、世の為、人の為と信じて行った善意が世人の非難、中傷、妨害、中には脅迫までもと、毀誉褒貶(きよほうへん)の過去が脳裡によみがえって参ります。
しかし、このけわしい道のり、月日の経過とともに次々と臨床面にも、教育現場にも予想以上の成果が現れ、ささやかな研究発表や口こみのため、市内は勿論、近隣の市町村から、県内、県外へと波紋の輪が拡がり、かつての反対論者をも交え、各地から青汁に関する質問、要望が寄せられるよう予想外の展開となりました。
昭和二九年五月一四日、各方面からの要望に応えるため、元厚生省公衆衛生局長で当時岡山県知事の三木行治氏、倉レ社長大原総一郎氏他諸名士のお力添えを得て、「遠藤青汁普及会」を結成し機関紙“健康と青汁”の発行が決議され、昭和三十年七月、現大阪在住の田辺光正氏の編集で創刊の運びとなりました。その後昭和三二年五月、一三号より私が田辺氏の後を引き継いで今日を迎えました。
忘られぬ発刊当時の苦労
戦後の荒廃のこる苦しい時代、会員に配布する機関紙、何とかして安価に届ける方法はないものかと捜索して、ようやく第三種郵便物認可の方法があることを知りました。
早速、先生と二人で広島の郵政局へ出向いて認可の陳情をいたしました。担当者からこまごまと必要条件の説明を聞き、このような法的手続きの知識皆無の二人は驚き入ったことも思いだします。結局、二人の担当者の話は、あなたがたのお考え、とても継続は不可能。今までもそのような企画三号と続いたためしがない。また若し認可されても、一回でも欠号したら取り消しだとの冷たい結論いや絶対に条件を満たして永続しますと粘り抜いた末、申請手続き、内容遵守を約して帰倉しました。
そして、いつの年申請したか、どれくらい待ったかは忘れてしまいましたが、昭和三四年四月十日、遂に待望の第三種郵便物の認可がくだりました。
悲願達成!この慶びは四十年の歳月を超えて現在でも鮮烈な想い出となってよみがえって参ります。今、発行部数二万数千、国内は勿論海外までもー。発送が少しでも遅れれば、まだかまだかの催促まで受ける始末。今更のように歳月の重みに感慨を覚えずにいられません。
青汁普及会のゴタゴタ
昭和二九年「青汁普及会」結成にあたっては、当時の社会情勢を勘案して、普及啓蒙とともに青汁の製造頒布の事業を進めて参りました。しかし、時勢の推移、運営の複雑さ等もろもろの問題が生じ、一部には初心どこへやら、不良品を出し、営利のみに走るもの、遂には一部告訴事件にまで及び、昭和三二年五月の総会において、結成わずか数年を待たずして普及会を解散。新らたに、先生の悲願!一切の営利をかえりみず、社会への奉仕のみを考えた「遠藤青汁の会」を結成。生産部門は関係者で別組織をつくることに決定しました。
以下、「遠藤青汁の会」の事業活動の主なものを各略記しますと
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