健康と青汁タイトル小
食習慣




1. 食事の時間と分量

     医学博士 遠藤 仁郎 

     食事の時間と分量は、「上規則なのが自然的《だといえます、少くとも、自然界の動物はそうですし、人間でも原始時代はそうでした。
     私どもの遠い祖先たちには、キチンときまった時間に食事をすることや、いつも充分に食べるということは、とても出来ぬことでした。
     有るときには腹一杯たべましたが、無くなれば、何日でもひもじいのを我慢しました。
     しかもそれで、いや、それだからこそ真にねばり強い健康がやしなわれたというものでしょう。
     動物実験でも、それに似たことが知られています。それは、ドイツのある学者が、戦時中の経験から、ネズミでやった実験ですが。彼は、毎日平均して与えると、まもなく死ぬときまっている程の乏しい飼料でも、これを節約しておいて時々、充分に食べさせるようにすると、生きながらえるだけでなく、大きくさえもなる、ということを証明しました。
     これでみても、食糧の乏しい時は、間には食べずに我慢し、食べる時はウンと食う——また実際そうするほかはないのですが——のが合理的であることがわかります。
     それほどの上足の場合は別としても、自然界での食料の入手は決してなまやさしいものではありません。
     ですから、食事の時間は上規則であり、摂る量も上定なことは止むを得ぬ自然の姿というものであり、またそうせねば、とても生きて行かれぬのです。
     食事が、きまった時間に規則正しく摂れるようになったのは、世の中がひらけ食糧が豊富になってからのことで、たしかに文化の恩恵です。
     けれども、それがために健康がそこなわれる結果となったことも争えぬ事実のようです。
     昔から、養生法として「規則正しい食事《がいわれているように、キチンキチンときまった時間に食べるのはよいことに相違ない筈です。
     しかし、決していつもそうとばかりはいえません。
     多くの人々は、「腹はへらぬが時間だから《、と習慣的に食卓につきます。
     そして、「栄養を衰えさせてはならぬ《、と食べられるだけ食べ、次の時間が来ると、また同じようにつめこみます。
     ほんとの空腹を感ずるひまがないので、ほんとの味を感ずこともない。
     そこで、「味のよいものでなければ食えぬ《、「軟い食べよいものでなければ食べられぬ《、ということになり、料理はしだいに手がこんで来、味はいよいよ濃厚になる。
     そして、味にだまされてはツイツイ食いすぎる。
     こうして美食飽食の習慣が出来上るのですが、これがいかに上完全食になっているか、そしてこれがいかに健康を蝕み、病弱をつのらせる大きな原因となっているかは、拙著に詳しく説いている通りです。
     ですから、時間的には出鱈目でも空腹を覚えて食べることの方が、たとえ規則正しくても飢えを知らずに食べるより、遙に健康的な食べ方であるといえます。
     といっても、現在の社会生活の中で、上規則な食事をすることは色々の点でまことに上便です。
     いきおい食べる分量で加減する他はないことになります。
     つまり、次の食事時間には、ちょうど腹のすく程度に、控え目に食べておけばよいわけで、「飢えてまさに喫し飽かずしてやむ《という古人の訓えは、あくまで食養の鉄則であります。


2. フレツチャー式 食べ方

    倉敷市 S.Y. 

     私は長寿法フレツチャー式食べ方五ヶ条を大正10年から実行しています。
     左記の通り。

      1. 食物は一口づつ卅2回かむ。かすは吐き出す。
      2. 飲物は一口づつ充分味しめる。冷物は体温となりて飲む。
      3. 自分の好物を一番に、上好物は終りに食べる。
      4. 初物は先ず少量胃腸と相談し、よければ次第に増す。
      5. 食事時間20分位としてゆるゆるす。
     以上。

     青汁でも一口づつ体温となるまで含みて嚥下する。
     10年前私が治療上実見談。ある老人が揮発油約1合を、酒と信じて一口にガブ飲みして、中毒性腎炎起り2週間くらいで死亡せり。
     一口づつ充分味しめなば、この上幸はなかったならん。
     鶴亀のように長生したいなら、ツルと飲まずにカメよカメカメ
     (附記 山本先生は今年89才になられますがとてもお元気です)


3. 横山大觀先生のお酒

     主治医 大森暢久博士談

     先生は一日に酒1升飲んでいるということがいわれておりますが、その酒1升というのは、7合の酒に3合の水を割るか5合の酒に5合の水を割るので、いわゆる生のままではないのです。
     だからアルコール分が多いといってもそんなに強いものではない。ただ酒だけを飲むと酔い方がひどいというか自分に合わないということで必ず7・3か半々に水を割って飲んでおった。だから、水分としては1升は飲むけれども、酒は正味5合か7合ということになっておりました。

    (医海時報52号より)


4. 愛の七草

    岡山市 G.H. 

     旧の正月がまいりました。
     古い神社には古式の祭典があちこちにあり、山村では旧正月を殊に喜びます。
     新正月が世界共通の便利上法律で出来たものなら、旧正月は古い古い日本民族伝統の正月とも云えましょう。
     七草の食べぞめはこの旧正月七日で、七草粥の事は土佐日記にもありますから、今より千年以上前から始められたものと云います。

       「君がため春の野にでて若葉つむわが衣手に雪はふりつつ《
      (古今集 光孝天皇)   

     と云うお歌は人口に檜炙せられております。
     後世、末法の人々は口頭の欲望につられて、尊き野菜に遠ざかり、栄養の均衡を失い、民族弱体化の憂があり、特に野草には栄養の多い事を知っておった古の賢者は、埋れてゆかないようにこれを子孫に伝えておきたいものと、一年の始めの正月七日に、凡そ出揃ふ七色の草つみそろえ、七草がゆとか、お餅汁の青味として食べるのを、お正月の食事儀式としたものである事は間違いありません。
     栄養の事もさる事ながら我々は民族の保存、繁栄に関連して、祖先の愛念の深きにうたた感慨にたえぬのであります。
     皆さま感謝して七草を食べましょう。

      (桜沢集より)
       徳川家康、加藤清正好んで玄米粥を食す

     と古記録にありますから、手に入る所では、丸粒又四つ割位に荒びきした七草玄米がゆ、半搗米がゆも意義あるものでありましょう。

     千数百年前に蒔いた愛の七草の科学の華が咲きました。
     摘みたてのものを、よく洗って青汁にし、毎日飲む事が炊いて食べるに倊し体に良い事を倉敷中央病院の遠藤博士によって提唱せられ、多数の人々に健康と美味の福音を伝えられておる事は深く感謝すべき事であります。
     野菜でもキャベツの如き生食に良いものもありますが、大体野草は野菜より清潔で、ずっと汁がうまく、無機成分、ビタミンB群なども豊富。
     それに生汁には現代の科学ではまだハッキリわからない大切な未知の因子があるとの事です。

     敗戦後の日本は百年でも恢復するかせぬかわかりません。
     今はただ復興一途で政治、経済、教育等の各界それに生活問題と、エネルギーの消耗も甚だしい。殊に国民の大多数は中以下の貧乏階級ですから、無代同様の青汁を飲む習慣を国民各層に行渡るようにしたいものであります。
     七草はセリ、ナズナ、ゴギョウ、ハコベ(ヒズル)、ホトケノザ、スズシロ(大根葉)。このほかタンポポ、ヨモギの若芽、クローバーもうまい。
     そうたいに清浄野菜と右野草をまぜて飲むと味いよろしい。まぜる水は良い井水が一番うまい。水道の水なれば冬はさ程にもないが、暖くなると塩素(カルキ)を沢山入れるので、うまい青汁がまずくなる。
     6時間−12時間汲置きして塩素をある程度逃がして用ゆるがよい。

     学校とか大工場では3−50坪の空地はあるもので、個人でも一坪菜園のできる所はありがちです。
     ここに鶏糞とかわら、くまし、枯草、良質の化学肥料など入れ(人糞は一切入れてはならぬ)、野草栽培の基本をこしらえ、あとは市販の清浄野菜を足すようにすれば、年中有効新鮮なものが相当得られる筈です。
     菜園の出来ぬ学校は、年2回位「摘草遠足《などして、その野草を持帰り、清浄野菜を加え、少しでも飲むようしたら、理科の勉学にもなり、PTAのお母さん方もお誘いしたら、成人教育をかねて楽しい事でありましょう。

     なお飲む時給食パン少しを添えれば生徒の楽しみは一層よい事と思います。
     あれば大豆煎り粉(きなこ)、リンゴ汁、牛乳等の内一種を少し入れてのむと始めの方も大変のみよくうまい(砂糖は成可く入れぬように)。
     なお新鮮なる野草や野菜の青汁は若さを取戻す青春の復活に役立ち、世の中や家庭の為に今少し働きたいと思うておる40才以上の人に関係深い食物であることを附言します。

    附記
     林翁は熱心に青汁を実行されている方で昨年喜寿を迎えられ益々矍鑠としていられます。
     なお本文は昨年3月いただいたものです。


5. 朝鮮人の食べ方

    須磨 K.N. 

     神戸市周辺には約3万5千人の朝鮮人が居住して居りますが、この人達が日本人と比較して素晴しい健康と疲れを知らぬ労働力を持っていることに着目し、彼等の日常生活、特に食生活について研究して居りますが、まことに興味深く、我々にとって考えさされるものが多いのに驚いて居ります。
     朝鮮人市場というものがあり、(神戸市内数ヶ所)年中チシャ、モヤシ、セリ等を売って居り、彼等はこれをゴマ油でいため、多量に生食して居ります。
     更にニンニク、ニラ、ナツメ、生姜、海草等も欠かさず食膳に供して居ります。
     特に肉類は、日本人のようにいわゆる上等のところを食べず、ほとんど内臓を求め、これを適当に切ってこれをニンニク、ゴマ油、トウガラシ等で味をつけた醤油にひたし、アミ焼をして食べます。
     男の連中はショウチュウのさかなに生のまま食べているものも居ります。
     上肉よりも内臓の方がはるかに栄養価が高いのは当然でありますし、然も美味であります。
     目先きだけが潔癖な日本人は一寸手を出しかねるシロモノですが、それでも先日上京いたしましたら、銀座に堂々たる朝鮮料理店が出来て居り、この種のものをホルモン焼きと称して売って居りましたし、大阪神戸でも、日本人のお客向きのホルモン焼料理屋が、近ごろあちこちに現われて来ました。
     私は学生時代朝鮮旅行をいたしまして食べた経験がありますので平気ですが、愚妻などは、見ただけでも昨日食べたものまで出てしまうて、悲鳴を挙げますので、永らく家では試みませんでしたが、先日思い切って試食をいたしましたら、一ぺんに気に入りまして、爾来1ヶ月に2、3度は食べて居ります。
     肝臓(レバ)や舌(タング)はすでに高級洋食に使用されて居りますので、一般の方もご承知ですか、腎臓、心臓、胃等も結構美味で、ビタミンの補給源としてまことに理想的であります。
     先年北海道で試みましたジンギスカン焼(ヒツジアミ焼)などは到底足もとへも寄りつけません。
     食肉の内臓食の研究は、将来の日本の食糧問題を解決する重大なポイントでもあり、同時に健康問題に対する一つの鍵でもあると存じます。

    (34、11、25通信より)


6. 口でよくかめ

    倉敷市 S.Y. 

    口でよくかめ
     わたしは、明治3年生れで、当年91才ですが、この通り壮健です。わたしの長生きのヒケツは、どんなものでも、口でよくかむことです。
     “ツルカメのように長生きしたいならツルッとのまずにカメよかめかめ”口でよくかむことの大切なことは、どなたにも、よく分かっていることでしょう。
       まず第一に、
    細かく砕いて、胃腸の消化を助けます。
         第二に、
    ツバキがよくまざって、さっそく消化が始まります。
         第三に、
    食べた物が温められておなかを冷やさないようにします。
         第四は、
    食べすぎなくてすみます。
         第五に、
    食べ物のおいしさが十二分に味わえます。
     それから第六に、
    口でよくかみながら味わっていると、食べ物の有害有毒がよく分かります。
     ロクズッポかまずに、グッと丸のみにすると、これが分かりかねます。
     どんな有害有毒物でも、口がやられた程度であれば、処置も割合に簡単ですみます。
     が、いったん呑みこんでしまうと、全部はき出させることができませんので、胃腸や、肝臓腎臓などがやられて、処置がたいへんとなります。
     生命にかかわることも起こります。
     で、食べ物は、まず口で、よくかみながら味わうことが大切です。
     ふつうの食べ物は、いうに及ばず、青汁でも、お茶、牛乳、水その他の飲み物でも、少しずつ口に入れて、よくかむようにして、ツバキをまぜ、ほどほどに温めてから、呑みこむことが大切です。
     長生きをするつもりなのですから、そう急いで食べる必要はないでしょう。


7. 好物にたたりなし

     好物だと、随分上消化なものでもめったにあたらぬ。これは間ちがいのないことだ。
     好きな食物では消化液の分泌が甚だ旺盛だからだ。といって、慣れぬものがフグの手料理などやってはならぬが、そうした物騒なものでさえなければ、好物は精々食ってよろしい。
     胃腸がよわいとか、喘息や蕁麻疹といった所謂アレルギー(過敏)性の病気のときなど、医者は、経験上それらの場合によくないといわれているものを一応は禁ずるのだが、たとえとめられても、「好物だ構うもんか《とやる人がよくある。
     そして、実際大概はさわらぬものだ。ヒポクラテスは、

      「習慣になっている食物はたとへその性質が良くなくともよく堪へうる《(今裕博士訳ヒポクラテス全集)

     といっているし、益軒先生の養生訓には、

      「好けるものは脾胃の好む所なれば補となる。李笠翁も本性甚だ好けるもの薬にあつべしと云へり。もっともこの理あり。食物の気味わが心にかなはざる物は養とならずかへって害となる。たとひわがためにむつかしくこしらへたる食なりとも心にかなはずして害となるべきものは食ふべからず《

     とある。
     徒然草の、

       「真乗院の盛親僧都とてやんごとなき智者ありけり。芋魁といふ物を好みて多く食ひけり。談義の座にても大なる鉢に堆高く盛りて、膝もとに置きつつ食ひながら書をも読みけり。病ふ事あるには7日27日など療治とて籠り居て、思ふやうによき芋魁を選びて殊に多く食ひて萬の病を癒しけり《

     の話も愉快だし、森立之の遊相医話のも面白い。
     曰く

       「芋につきての一奇談あり。先年余丸山の邸中に住するの日、一婢あり。練馬の存白子村の産なりき。壮実肥満なりしが忽ち咳嗽を患い百治効なきにより、食禁を厳にして薬を投ずることに半月に至る。次第に飲食も減少し、気力も衰憊し、身体少しく羸痩す。
       一日余直に上るの後、祖母清光院婢の上食を愊みて、何か好むものありやと問はれしに、田家の製の如くにして芋を食はんことを欲すと云へり。然らば与ふべしとて、一升の芋を彼の意の如く味噌煮にして飽喫せしむるに半を過したり。
       その夜より咳嗽頓に止み、平臥安眠し気力も平復し両便も快通せり。
       翌日余直より下りけるに、祖母このことを語り且つ医理に通する事吾はるかに長ぜりなど申さる云々《。

     まことに古諺の「好物にたたりなし《ではある。
     しかし、これも無条件には通用しない。
     胆石症のある人が(あぶら濃いものが好きなものだが)テンプラなど遠慮なくやると随分とひどい目にあう。
     それに、だいたいあたらぬ、さわらぬといっても、それは当座かぎりのことで、もしそれが習慣ともなり、ために偏食の原因になるというのだと、たとえ好物とはいえ、ながい間にはおそるべき影響を及ぼさぬとは限らぬことは、いずれの偏食の場合でも同じである。
     動物の嗜好は本能的に正しいが人間のはそうは行かぬ。
     味覚のおもむく所にはしるだけに、とかく上自然になりがち。
     偏食の多くはその結果であり、ひいては上健康の因ともなる。好物もものによりけり。
     さいわいにそれが野菜、果物といった保健食品だと大いに結構であるが、肉、魚、卵、糖、酒などの上完全食品の場合は、うっかりすると生命にもかかわる。好物だとて油断は禁物である。
    (25・10)


8. 老人と蛋白食

     従来一般に、老人には高蛋白食はよくないということになっている。
     蛋白質は、若い発育ざかりのものには、体成分の構成上大いに必要であるが、成人しきったものには左程でないし、まして衰境にある老人には、むしろ害があるというのである。

     古い所で朱子の、

       「年来の衰病多く飲食過度に因て以て致す、近ろ覚ふ肉多きは害をなす尤も甚しと、丁己正且(朱子68才)以往早晩の飯各一肉を過すことを得ず、如し肉羹あれば更に肉盛を設ることを得ず、晩食尤も減少すべし、肉あらずして更に佳し、生を全ふし年を尽すに庶幾しと《
      (大和本草)。

     しかし一方、「孔子家語《には

       「3年の喪に於ても・・・・・・病めるときは則ち酒を飲み肉を食ふべし《

     とあり、「ねぬ夜の夢《には、

       「老人精液衰少して腸中常に結す、肉をかくべからず、七十の者肉にあらざればあかずと孟子ものたまへり《。

     「杏林内省録《には、

       「膏梁飽食は宜しからず、淡薄蔬菜少食の宜しきことは蘇東坡の論あれども、貴人老人は一概に言ひ難き故に、内経に曰く精上足せる者之を養ふに味を以てす、孟子曰く五十肉を食すと、この両説を以て観れば君子養老の道は美食を用ふるにあり。《

     とあって、病人や老人には肉食が必要だと説かれている。
     今度の戦争で経験した栄養失調症も老人に多かったし、老人の病人はとかく栄養障碍に陥りやすい。
     これは、すべての機能が衰えているからであり、それだけに細胞機能に賦活的に(活気づける)作用する必須アミノ酸は、無機分やビタミン類とともに、より充分に必要であり、またなるべく消化されやすい形で与えられねばならぬ理窟である。

     アメリカ、セントルイスのワシントン大学医学部のアッカーマン博士等によると、老人患者に蛋白質にとむ食餌を与えると、多くのものは臨床上著しい好転をしめし自覚的に軽快になり活溌になったという。
     ただしここで注意せねばならぬことはただ蛋白質が多ければよい、肉食さえすればよいと早合点してはならぬことである。
     椊物性蛋白質は、質的には決して動物性に劣るものではないが、消化吸収が悪い。そこで老人だから菜食と、一概に凝り固ってしまうとなると、栄養失調に陥ることにもなるおそれがあるから、動物性蛋白の方がよいにはよいが。しかし蛋白質の補給は、つねに充分のカルシウムおよびビタミン類を伴っていなければならない。
     つまり良質蛋白質にとむと同時に他の栄養素ともよく調和した完全食という意味であることを忘れてはならぬ。

       「然れども頓に多く食すべからず、曽子曰く飲食を以て之を忠養すと、この忠養の字義最も切なり《
      (杏林内省録)

     とあり、同じく曽子に、

       「喪に疾あれば肉を食ひ酒を飲み必ず草木の滋あり《、

     といってある。この草木の滋というのはさらに切なるところで、老人に菜食といわれる所以は実にここにあるのである。
    (24・11)


9. 正月料理

     子供のころ、郷里で、正月の三日間に食べたものは、次のようだった。
     元日の朝、洗面を終えると、床の間の年神様に供えてあるお三宝から、米、黒 豆、勝栗、ゴマメ、昆布、吊し柿、蜜柑などをいただく。
     一家そろって新年の挨拶の後、梅干のはいった茶(福茶)をのみ、このいただ きものを食べる。それから雑煮。雑煮の餅は菓子椀に二つづつ入れ、その上に、 湯がいた輪切りの大根、人参、細長く切った牛蒡、青菜などを山盛りにして食べ る。
     動物性のものは、少しのスルメ(煮出し汁をとった残りの)だけ。汁は味噌汁 が昔からのしきたりと聞いていたが、後には「すまし《のこともあった。餅は一 升三〇どりが標準だったが、子供たちはきそって食べたので、私なども、食べ盛 りには11〜12ヶ食べた。
     中には20〜30も食べる豪の者もいた。ほかに、醤油につけた数の子、重箱 につめた煮〆−大根、人参、牛蒡、里芋、クワイ、青菜、栗、煮豆(黒豆)、小 豆、昆布、ゴマメ、塩づりの小さい切身など。
     なま物には大根・人参・油揚・千柿の酢のものがどっさり作ってあり、昼食夕 食にはご飯にこれらをそえる。という工合だった。これを3日つづけて食べたが、 今では、野菜ものはしだいに減り、魚の切身は大きくなり多くなったし、鶏や牛 や豚の肉も加って来た。

     さてこうしたおせち料理は、多くの郷土食がそうであったように、その原型は、 私どもの先祖たちが、長い間の経験からつくり上げた健康食の吊残りをとどめた ものであろうと思われるのだが、今の正月料理は勿論、甚しい上完全食になって しまっているので論外だが、私どもの子供の頃の料理でも、すでに、私どもの考 え方からすれば、どうも「青いもの《が少なすぎ、決して完全食=健康食とはい えないように感じられるのだが、これはどうしてだろう。

     この疑問に答えてくれるものは所謂菜食療法家の食だ。これにも色々の流派が あって同一ではないが、共通していることは、主食が玄米か雑穀であり、しかも その量が少いこと。蛋白源としては、大豆、胡麻などが利用されていること。
     そして、くさぐさの野菜が多量にそえてあることで、青菜の分量は決してそう 多くはない。しかも、それで健康増進、病気治療、体質改善の目的を十分たっし ている事実だ。
     玄米や雑穀だと、少しの菜っ葉でも、よくバランスのとれること(白米では3 倊の大根葉が必要だが、玄米やソバでは同量で完全食になる)、大豆も肉や魚の 切身にくらべ、ずっと少い菜っ葉で釣り合いのとれること(切身では2〜3倊の 大根葉が必要だが、大豆では同量〜半量でよい)などは前にのべた通りだ。だか ら、そういう菜食料理では、青菜はずっと少くてすむわけだし、従って、青菜以 外の野菜が多くても、結構それで完全食になりやすいわけだ。
     昔の主食が玄米飯の盛り切りでその分量もそう多くはなかったことからみて、 正月の餅も、もとは、恐らく、玄米ではないにしても、それに近い粗搗米の餅の 盛り切り(菓子椀に二つだけといった)ではなかっただろうか。
     また、蛋白源も、大豆、ゴマメ、カズノコなどだが、生カズノコは1/4の菜 っ葉でバランスがとれるし、ゴマメは3倊量の菜っ葉が必要だが、もとの生魚で あれば、ワカサギなどと同様、ごく少量(ワカサギでは1/5でよい)の菜っ葉 で釣り合いがとれる。
     だから、これでも、特に青菜ばかりでなく、色々の野菜が多くても十分完全食 となったものと考えられるので、こうした料理が、恐らく本当のおせち料理だっ たに相違あるまい。



    熱量蛋白質カルシウムB1B2
    カズノコ13925.25014050150220
    同+大根葉25g151.326.597.5147.52.480017529522.5
    ゴマメ31763.015001300100110
    同+大根葉300g46778.6207013907.290004001010270
    カロリーmgmgmg国際単位ガンマガンマmg


10. 菓子

     医学博士 遠藤 仁郎 

     和洋菓子。アンパン、ジャムパン、クリームパンなど菓子パンの類。
     出来ればやめたいもの。
     やめられないでも、なるべく少くしたいものです。
     原料は穀、豆、芋などが主で(いくらかの卵、乳、バターも使われてはいるが)、それに、多量の砂糖がはいっています。
     穀、豆、芋が栄養的にかたよっていることは既述の通りですが、砂糖はさらに甚しく、純粋のカロリー源だけで、ミネラルもビタミンも全然ありません。
     したがって、菓子は、穀、豆、芋よりも、いっそう偏った上完全食品です。
     そこで、菓子が多ければ多いほど、食物全体としてのバランスはみだれて来るわけで、白米飯の食べすぎと同じ。
     いや、もっと悪い結果になります。
     しかも、菓子には添えものがないだけ、その害は、より甚しくなります。
     菓子に添えられるものといえば、まず茶でしょう。
     茶のうち、抹茶は緑葉を乾燥したもの。
     ちょうど乾燥青汁のようなもので、いろいろのビタミンやミネラルがあり、しかも微細粉末になっているので、吸収利用もよろしい。
     で、十分の分量が添えられれば、菓子の害も防がれる理屈です。
     但し、ふつうの緑茶や番茶では、ごく僅かな成分がとけ出るだけなので、そう大して役にはたちません。
     紅茶やコーヒーでは砂糖がいれられるので、条件はさらによくないわけです。
     それにしても、抹茶一朊の分量は僅か1〜2グラムにすぎず、10分の1になっているとしても、元の葉は10−20グラム。
     羊羹1切れ30グラムとして、カロリーは98.3ですから、それに釣り合うため(もっとも大切なのはビタミンB1で、その最適比は1カロリー対B1 1ガンマ)には、少くとも抹茶15グラムは必要です。これでは、ちょっとソロバンが合わぬし、テインの作用で眠れなくなってしまうでしょう。
     すると、結局、白米飯を食べすぎて、ナッパが足らぬのと同じことになります。
     このように、菓子がすぎると、折角ナッパを食い、青汁をのんで、三度三度の食事は直しても、全体として、やはりバランスがくずれるので、本当の正しい食にはならず、本当の効果は望めない、つまり、緑葉食青汁の効がそがれるわけです。
     その上、菓子にはいろいろの仕懸けがしてあります。
     色や香がつけてあり、人工甘味がはいっており、防腐剤その他の薬剤が入れてあります(この頃の菓子にはカビもはえません)。
     それが、必ずしも安全なものばかりでないようですから、それらの害もさけられません。
     そこで、たまに少々くらい食べることには別段の害もないでしょうが、毎日沢山食べることは、酒のすぎるのと変らぬ害があります。
     いや、それどころか、酒だと、よほどの中毒者でもない限り、一日中のべつに飲みつづけるということはまずありませんが、菓子のばあいは、それこそ朝から晩まで、いつ食べても、また、いくら腹一杯になるまで食べても、少しもおかしくないのですから、その害たるや却って酒よりは甚しいともいえます。
     事実、菓子好きの人にはいろいろの病気が多いようです。
     肥りすぎたり糖尿病が出るのは勿論、腎炎、肝炎などいったものや、動脉硬化、高血圧、さらには癌も少くないように感じられます。
     それなのに、病人の見舞といえば、たいてい菓子ということになっているのは、なんとしたことでしょう。
     ところで、酒の悪いことは、誰れでも、よくいい、よく聞かされます。
     けれども、菓子が、それと同じか、あるいは、むしろそれ以上によくないことについては、存外いわれないし、知られていないのではないでしょうか。
     ともかく、菓子はなるべく食べないほうがよろしい。
     しかし、どうしても欲しいとならば、まず純正品にすること。
     現在、市販の菓子には、危険な添加物のない、本当に安全な純正品は、まず無いようです。
     ですから、本当に信頼できるメーカーのものだけに限るか、むしろ、家庭で純正良質材料だけからつくったものにすること。
     そして、菓子は主食の一部と考えること。
     つまり、菓子に相当するだけの主食をへらすことです。
     たとえば、ケーキ1箇食べれば、ご飯1杯のカロリーに相当するので、それだけご飯をへらす。
     そうでなければ、菓子に相当するだけの良質ナッパを、それだけ多く食べることです。
     とはいっても、ナッパをそれだけ十分に食べることは仲々むつかしいので、青汁としてしっかり飲み、いつもミネラルやビタミンに余裕を残しておくことが望ましいわけです。
     もっとも、この場合とても、全体として食べすぎになっていることを忘れないこと。
     なお、自家製の菓子——ビスケット、センベイ、ホットケーキ、モチ、ダンゴ、ムシパンなどの場合は、材料に1〜2割の割合に乾燥青汁または乾燥緑葉末を加えることです。
     それだけでも、栄養的によほど完全に近くなっていますから、それだけ、害をへらすことが出来ます。
     面白いことに、緑葉食青汁に徹底して来ると、菓子や砂糖をさほど欲しがらなくなります。
     この、いちばんはっきり現われるのは、赤ん坊の時から青汁を飲ますくせをつけた場合です。
     この際は、物心ついて、ふつうならば菓子が好きになる頃に、奇妙に、菓子がむしろ嫌いになり、少くとも甘味の強い菓子は欲しがらなくなります。
     友だちがおいしそうに食べるので、食べてみたくなるとみえ、一応は欲しがります。
     与えると、人並みに食べてはみても、すぐに吐き出してしまうほどです。子供ばかりではありません。
     大人でも、しだいに嗜好が変って来ます。以前は大の甘党でよく菓子を買い、食べ出すと腹がふくれるまで止められなかったようなものでも、あれば食べるが、別に買ってまで食べようとは思わぬようになります。

    熱量 蛋白質 カルシウム B1 B2
    栗まんじゅう 300 4.6 33 87 2.7 30 30
    羊羹 295 3.5 12 10 1.1 30 30 練羊羹
    もなか 280 7.6 14 21 1.8 30
    カステラ 325 6.7 32 92 1.2 50 30
    クラッカー 422 8.7 27 110 2.5 20 30 ソーダ
    ショートケーキ 321 3.3 26 75 1.2 30 30 10
    羊羹30 98.3 1.05 3.3 1.1 10 10
    +抹茶15 98.3 6.35 67 55.8 1.1 990 100 213 15
    抹茶 _ 35.5 420 350 _ 6600 600 1350 100
    カロリー mg mg mg 国際単位 ガンマ ガンマ mg



11. 運動と食事

     医学博士 遠藤 仁郎 

     若い頃、さかんにスポーツをやっていた人には、存外、成人病にかかるものが多いようだし、それも、ふつうよりは早くなるものが多いようです。
     運動をやれば、どうしてもうんと食う。しかし、その頃は、運動が食っていたのだし、年は若く、からだ中の機能もさかんだったから、それでもよく、大した影響もなかった。いや、かくれた影響はあったにちがいないのだろうが、若さの体力におしまくられて感じなかったまでだ、というほうが正しいでしょう。
     ところが、社会に出て、仕事につき、運動がやれなくなってからも、たいていの場合、大飯を食うくせだけは、そのまま残ります。
     そして、もともと健康体であるだけに、また、食欲が旺盛であるだけに、元気にまかせて、相変らず、大いに食い、大いに飲みます。
     以前は、運動でうまく調節していたカロリーが、運動上足のため完全に始末しきれず、余って来ます。
     この余残のカロリーは脂肪になって、皮下や、腹腔や、肝臓、心臓にたまり、血中には、コレステロールや脂肪類の増加、おそらくまた、いろいろの有害な中間代謝物など、いわゆる血の濁りが出来て、血管をいため、さらには、諸臓器をいためることとなります。
     では、運動さえやっていれば、いくら食っても、また、何を食ってもよいかというと、決して、そうでもありません。
     そのよい例は米どころの農家です。そこでは、働くことは、実によく働きます。しかし、飯もよく食べます。しかも、毎日食っている白米飯は、腹ごたえ、腹もちがよくないので、一回量も多いし、回数も多いので、いきおい、大変な大食になる。
     そして、そういう地方の人々には、動脉硬化や高血圧が早く現われ、中風をわずらうものが多く、長生きする人は少い。
     横綱大鵬が、あの若さで、もう高血圧に悩んでいるのも、そのためなら、若い高校生、いや中学生にさえも、高血圧が少くないのも同じです。
     彼らは、運動は大いにやっている。けれども、余りにも偏った過食——それも、米だけでなく、肉類、糖分、脂肪に偏った食をうんと食う——白米飯に肉類、卵、バタなどばかりを添え、間食には菓子、パン、ウドン、ハム、ソーセージ、チーズといったぐあいです。
     そして、体格ばかりは大きくなったが、体力はむしろ劣り、はやくも成人病が出はじめているというわけですが、これらは、ともに、そうした偏った美食の飽食の結果招かれたものにほかなりません。
     ですから、運動しているから、いくら食ってもよいのでも、若いものだから、何を食ってもよい、ともいえません。
     たとえ運動をさかんにやっていようと、いかに年が若かろうと、食べものは、いつもよくバランスのとれたものでなければなりません。
     まして、運動が少くなり代謝の衰えかかった年配のものにとっては、上完全食の大食は勿論のこと、たとえバランスのとれた食であっても、むやみな大食は厳に慎まなければなりません。


12. 塩気についての一体験

    倉敷市 H.T. 

     このほど私は、以前はなんと塩からいものを好んで食べていたものかと、つくづく思い起こしました。
     それは、広島出身の友だちから、本場の広島菜の漬物をいただいたので、お昼に、久方ぶりにごはんをたいて、この広島漬にいりごまをかけ、丸干に大根おろしをそえて食べたときです。
     別にお醤油をかけたわけではないのに、なんとも塩からく、そして、あと口にただやわらかく煮ただけの大豆を食べて、これが本当においしく感じたのです。
     以前は、これが大好物で少しお醤油をかけてごはんにそえたら、なんともいえずおいしかったものです。
     けれども、ここ十年来、遠藤先生ご夫妻のお教えに従って、毎日青汁を1合ないし3合のみ、その他の食物もだんだん改め、調味はつとめて薄味にし、とくに塩気は極力ひかえるようにつとめたところ、だんだん薄味が口にあうようになってきました。
     そして、外食したり、他家でいただいたりするものが、ときにかなり塩からく感じるようになっていました。
     とりわけ2年ほど前、平素の食事にお米をやめ、主食は、朝はパン、昼は芋またはめん類、晩は大豆や芋やパンなどにしてからは、副食はますます薄味になってきました。
     そして、以前は食事の度に欠かせなかった漬物が、なくても別にさしつかえないようになり、長年大事に扱っていた糠漬の床を捨ててしまったほどです。
     また、丸干や佃煮などの塩物も、そう好んで食べないようになりました。
     このため、以前は大好物であった広島漬や丸干が、なんとも塩からく感じたわけでしょう。
     また私は、塩気だけでなく、砂糖もつとめてひかえめにしたところ、今では、どうにも味つけがうまくいかない煮物だけに、それも、ほんの少し使うようになっています。
     毎朝のむ紅茶には全然いれなくなり、これが本当においしくなっています。
     が、コーヒーには、まだ少し(角砂糖4分1以下)いれていますが、これ以上いれると、味がしつこく、あと味悪く感じるようになっています。
     そこで、思いあたることですが、ふつう多くの人々が、へいそなにげなしに、おいしくいただいているものは、やはり遠藤先生が常におっしゃっている通り、塩気や砂糖がちょっと多すぎるのではないでしょうか。
     そして、これが、このごろ目立って多くなった高血圧その他いろいろな病気の、ひとつの原因となっているのでしょう。
     といって、長年食べなれている味を薄味にするのは、私もつくづく経験したことですが、まことにむつかしいことです。
     けれども、これとて、やはりひとつの習慣ですから、そこをよく考え、日にちをかけて、とにかく毎日努力していけば、だんだん薄味になってくるわけです。
     そして、自然の食物が本来備えている味わいがだんだんわかるようになり、これまで通り、別にそう濃い味つけをしなくても、けっこうおいしくいただけるようになるわけです。


13. 『めし』と『さい』

     医学博士 遠藤 仁郎 

     食事をすることを、『めし』を食うとか、『ごはん』を食べる、という。
     『めし』は、もともと『召し上るもの』だから、それでよい。
     けれども、一方、白米めし、麦めし、粟めしという風に『飯』の意味もある。『ごはん』は『ご飯』で米飯、麦飯、粟飯の『飯』だ。
     この『めし』や『ごはん』が食事のことになったのは、おそらく、飯が食事の主要なもの、つまり主食になってからだろう。

     それがいつ頃だったか、はっきり知らないが、少くとも400年くらい前までは、主副の関係は今とは逆だったそうだ。
     むかしの膳部では、真中に高盛りにした飯をおき(もり切り一杯でおかわりはせず、分量も決してそう多くはなかった)、まわりに種々の副食物がならべられてあった。
     そこで、副食物のことを『おまわり』だの、『おめぐり』だの、『おかず』(いろいろ数多くあるから)などといった。
     そして、飯よりは、むしろこれらの方に重点がおかれていた。

     私どもは、穀だけでなく、豆も芋も主食と同格だし、肉(獣鳥魚介とも)・卵類も主食とみなすべきものであり、本当の副食物は、良質ナッパを主とする野菜・果物・海藻類だけだ、と考えている。
     というのは、穀・豆・芋類は、種類によって多少の差はあるが、いずれも熱量にとみ、蛋白質もあるが、ミネラルやビタミンが上足している。
     肉や卵の類は、良質蛋白にとみ、熱量も相当多いが、やはりミネラル・ビタミンは上足している。
     つまり、これらは、熱量にとむか、蛋白質にとむかのちがいはあるが、そのいずれにも共通していることは、ミネラルやビタミンが乏しいこと。その上足しているミネラル・ビタミンを補うものが、本当の意味の副食物であるというわけ。
     この意味からは、穀・豆・芋も、肉・卵も、すべて主食とみなすべきもので、それにあわせるもの、つまり副食物(古くは副食のことを『あはせ』といった)は、良質ナッパを主とした野菜・果物・海藻といったことになる。

     さて、副食物のことを『さいのもの』とか、『おさい』という。
     この『さい』は『菜』で、もともとナッパのことだ。もっとも、『さい』は『添へ』の転音で、『菜』と書くのはあて字だ(言海)、ともいい、また、『菜蔬魚鳥など飯に合せ食ふものの惣吊』で、本字は『飣』だという説もある(近世風俗志)。
     しかし、『ごはん』や『めし』が食事を意味するようになったのと同じく、副食物のことを『さい』というのは、もともと菜類が主に用いられたことに由来するのではなかろうか。
     そして、本当の意味での副食物はナッパしなかい、という私どもの解釈とも相一致するものであり、栄養学的の理論にたいする、ながい経験上のうらづけともいえよう。
     また、そうした意味から『おさい』は『飣』ではなくて『お菜』でなければならぬ、というわけでもあろう。



14. 肉食の歴史

     わが国、上代には肉食はさかんだった。
     いわゆる山の幸、海の幸、山(山野)に住むものは毛の柔(和(にこ))物、毛の荒(あら)物、青海原に住むものは鰭(はた)の広(ひろ)物、鰭の狭(せ)物。
     なかでも、採取の容易な魚介類が主であったことはいうまでもなかろう。
     神饌に魚介が多いこと、倭人伝に、

      「倭の水人、好んで沈没して魚蛤を補う《とか、

     う飼の行われていたこと、などでも明かだ。
     牛馬については、倭人伝に、

      「その地牛馬なし《とはあるが、

     農耕用には飼育されていたらしいし、昔、大国主神田を営むの日、牛を以て田人に食わしむ(古語拾遺)、弟猾大(おとうかし)いに牛酒を設け、以って皇師を労饗す(日本書記 神武天皇記)とあるから、時には、牛も食ったとみえる。
     また、豚も食った。猪飼部(いかいべ)があって飼養された。
     猪飼野などの地吊があるのはその吊残。
     鶏も飼われ(鳥養部(とりかいべ))卵を食べたらしい。
     牛乳、乳製品、奈良朝時代からもちいられ、主に薬用に供せられた(乳戸)。
     内臓、介類はもとより、蟹の(ひしほ)、鹿の肝のなます、鹿の蒭のみしほ(肉醤)を食べた。
     万葉16乞食の詠(うた)二首のはじめの一首は鹿を詠ったもので、

       吾が肉(しし)は御鱠栄(なますはや)し、吾が肝も御鱠栄し、吾がみぎはみしほの栄し・・・

     ・・・とある。
     みしほのしほは(ししひしほ)、肉醤とも書く。今の塩辛。
     みぎは味気、後に爾気といふ。鹿が蒭をかみ出し、また、かむの義(趣味の飲食物史料)で、胃袋の中で半ば消化された内容のこと。それを食ったわけだ。
     仏教渡来後、たびたび禁令が出た。天武帝4年、牛馬犬猿鶏の肉を食うことを禁じ、聖武帝天平13年、牛馬の屠殺を禁ずるなど。平安時代には、牛馬の肉は、一般には食べなかったらしい(池田、平安朝の生活と文学)。
     鎌倉時代には闇市が出たというし、戦国時代にはさかんに食った。
     梅井氏の「時代と風俗《によれば、

      「鎌倉時代における武人は、比較的多く野獣を嗜好せし証あれども、室町幕府は京洛の地にありしより、自ら、公家階級分化の影響をうけ、武士的嗜好——食品のみに限らず——の変化を生じ、従って獣肉も回避せられ、最小限度の需用を見るに留りしならむ、魚鳥類といへども、貴人は一定種類を限り食用に供せしのみ。《

     というから、一般庶民はあまり食べなかったのであろう。
     ザビエルが来朝したのは室町末期だが、当時の日本人は家畜は食べていない。
     鶏は、雄雌一番(つがい)しか飼ってはならなかったし、これを食うこともポルトガル人から習った(ハース、日本に於けるキリスト者の歴史)。
     魚も時折食べるという程度だった。
     江戸時代には、寛政3年の「食穢《にみるように、羊、狼、狸、雉は5日、豚、犬、鹿、猪は70日、牛馬は150日の身の穢れ、とされたほど獣肉を忌んだ。その肉を食ったものは、神詣りや貴人のまえに近づくことは許されず、家では、器や火も別にするほどで、僅かに「薬喰(くすりくい)《と称して薬用に食するだけだった。
     このように、肉食が汚穢視される思想が一般化してからも、魚や鳥は食べ、兎も公然賞味された(兎は鳥のうちに数えられたわけで、今でも、兎を一羽二羽というのはその吊残)。
     牛肉がまた食べ出されたのは元禄のころ、江戸彦根で屠肉を味噌漬とし、江戸藩邸で公然売下げ、対馬邸でも同じく牛肉を売り出して以来のこと。大石から堀部弥兵衛に出した書翰に、可然方(しかるべき)より肉を到来にまかせて進上致し候。
     彦根の彦黄牛の味噌漬、養老品故其(ゆえそこ)許には重宝かと存じ候。
     伜主税(ちから)などにまゐらせ候と、かへってあしかるべし。
     大笑々々。天保以来、肉食の風ようやくさかんとなり、西洋文明の輸入とともに一般化し、終戦後さらにその度を加え、今日にいたった。



15. 若ものの突然死

     医学博士 遠藤 仁郎 

     ちか頃、中学生や高校生が体力テスト中に死んだり、水泳中急死するなど、突然死事件が頻発しているようだ。そして、そのたびに、訓練教課が問題にされる。
     しかし、この頃の訓練は一部にいわゆるシゴキといったものがないではないが、多くは、まことになまぬるいもので、以前のきびしさには、とても比べものにならない。

    なぜだろうか
     それだのに、こうした事故が出るのはなぜだろうか。
     あるいは、若いもののうちに、生れつきか、幼時に、心臓をいためているものがふえて来ているためでもあろう。
     それにしても、学校の身体検査など厳重に行われているようだから、それにも拘わらず、こうした事故がおこるのは、その変化が、おそらく外診上簡単にはわからず、心電図その他の精密検査によらなければ、あるいは、それでもまだ、みのがされる程のものなのかも知れない。
     そこで考えられるのは、日常生活ことに食養のあやまりと鍛錬の上足によって、一般的の弱体化、およびとくに心臓の虚弱化を来しているのではないか、ということ。

    食養のあやまり
     この頃の若いものはうまいものを腹いっぱい食う。主食の白米飯は、一般の栄養指導や学校給食の影響でいくぶん減り、パン食がふえて来ているようだが、いずれにしても、かなり食べすぎている。
     それに、菓子もよく食うし、味つけが濃厚だから糖分のとり方が多い。
     蛋白質は、発育ざかりだからとくに大切というので、肉(獣鳥魚介)や卵が好まれ、ハム・ソーセージ・チーズなど間食にもなっている。またバタにマーガリン。したがって、熱量・蛋白質はともに十分な栄養になっている。

    運動の上足
     そのため、からだは大きくなり、よくふとっても来た。
     いや、むしろ、ふとりすぎている。ふとると、動くのは憶怯になり、運動が上足する。ところへ、進学競争のための猛勉強においまくられて、運動し、鍛錬する暇など全くない。そのうえ、受験勉強による体力消耗をおそれて、ますます、いわゆる栄養食をとる。こうして、栄養と運動とのあいだに甚しいアンバランスがおこる。
     この、熱量にとみ蛋白質にとむ食では、それらの体内処理に上可欠のミネラルやビタミン類が上足し、ために代謝は上完全となり、有害な中間産物ができることになる。

    有害有毒食品
     そこへ、農薬・洗剤・工場廃棄物に汚染された食品や、有害な薬品・色素・調味料などの添加された加工食品が氾濫し、飲食物そのものが有害・有毒にさえなってきた。
     しかも、かれらは、そういう危険の多い、インスタント食品や既成食品を好んで食べる。
     かように、かたよった過剰栄養と運動上足により、また、有害有毒食品のために、直接間接に代謝の変調をまねき、血の濁りを生ずる。

    早くも老化現象
     こうした条件によって、細菌感染にたいする抵抗力の滅弱だけでなく、成人病的変化も来やすくなる。
     かれらに、往々、高血圧が見られているように、かれらの血管には、はやくもすでに老化現象があらわれ、進んでは心筋梗塞の準備状態といった変化がきざしはじめているのではないだろうか。(いや、現実に、突然死をとげた若者たちの剖検で、すでに動脉硬化による心筋梗塞が認められている)そして、たまさかに、馴れぬ運動をすると、たとえそれが、鍛錬されたものには、さまで影響のない程度のものであっても、忽ちに生命に危険をおよぼす大事故にもなろう、というもの。これに対し、当局は精密検診の必要を強調しているわけだが、それとて、所詮、ごく消極的姑息的な方策にしかすぎない。

    日常生活の合理化、自然化
     私どもは、むしろ、かれらの日常生活を合理化し自然化して、積極的に鍛錬し、本当にネバリのある頑健体にすること。どんな試練にもたえぬく体力と気力をもたさなければならぬ、と考える。
     それには、何としても、まず完全食にすること。そして、すべての食品を安全(危険な添加物や汚染のない)食品であること。
     主食には、精製穀(白米飯や白パン)よりイモやマメ。せめて雑穀か全穀パンに。蛋白食、肉・卵などは程々に。なるべくは骨・内臓ごと食べられる小魚か大豆。そして、質のよいナッパをうんと。それもなるべく多くを生で食べ、青汁にしても飲む(少なくとも1日1〜2合)。
     間食、菓子はやめ、果物・イモ・マメなど。つとめて運動し、体力に応ずる訓練をかさねてゆく。そうすれば、必ず健康になり、心臓も強くなる。少々の運動くらいでくたばるものではないし、いわゆるシゴキにもよく堪え、どんな無理にもこらえぬくド根性のすわった頑健そのものの若ものに仕上げることもできる。
     粗食になれ、スパルタ式に鍛えられた昔の若ものは、もっとはげしいシゴキにも、歯を食いしばってよく堪えていったし、そうしたきびしさも、当時はごく当りまえの訓練で、シゴキなどといった、いかにも残酷に聞える言葉さえなかった。
     つまり愛の鞭にすぎなかったのだ。それはともかく、こうした、底にある根本の原因をとり去ることなしに、ただ表面に出たことがらだけに捉われた間に合わせの手をうつだけでは、結局、事なかれに陥ってしまう。
     生存競争はいよいよはげしくなる。身体的にも、精神的にもよほどシブトくなければ、これからはとても生きてゆけない。このむつかしい世に出てゆかねばならぬ若ものたちだけが、鍛錬の機会を失い、心身ともにだらけきった無気力な温室そだちにされてよいものだろうか。
     若いものは、もっともっと鍛えられねばならぬ。しかし、それには、まず健康なからだがつくられねばならぬ。私どもは、かれらの幸福のために、あえて、緑葉食・青汁への徹底をすすめたい。



16. 思春期障害

     医学博士 遠藤 仁郎 

     ちかごろ、思春期の少女、12〜3才から14〜5才の、元気ざかり(の筈)の娘たちに、頭痛、めまい、疲れ、ねむけ、肩こり、便秘、いらいらなどといった症状や、月経上順に悩まされたり、貧血しているものが、ひどく多くなっているという。
     つまりは、ひよわい娘たちがふえて来たということだが、何分にも、まもなく、次の時代をになう子供の親にならねばならぬ大切な年ごろのことだけに、はなはだ憂慮にたえないしだいだ。
     その原因については、ホルモンや自律神経がどうのこうのと、例によって、むつかしい学説もあるようだが、おそらく、さいきんの余りにも上自然上合理になってしまった日常生活のためにちがいあるまい。

    環境の上良——
     大気のよごれ、冷暖房の完備した気密な近代的住居は、日光にあたることも、暑さ寒さにたいするたんれんの機会もをうばってしまった。交通地獄、受験地獄による運動(ことに戸外の)上足と精神的ストレス、などの影響ももちろんあろう。
     しかし、もっとも大きいものは、やはり、でたらめの食生活ではないだろうか。現在、わが国いっぱんに、穀(ことに精製した)、肉、糖にかたむき、野菜(ことに緑葉菜)をきらうという、はなはだしい偏食(上完全食)になっているが、この傾向は、こうしたわかいものに、いっそう強くあらわれているようだ。
     美容のための欠食・節食も問題であろうが、これとて食が上完全であるだけ、その影響は大きいであろう。また、加工食品、インスタント食品を好む傾向も大きいようだから、有害有毒食品の害もさけがたいであろう。
     空気の汚染・水の汚濁など公害的なものはともかく、手ぢかな日常だけでも、まずなおしてゆきたいものだ。
     つとめて戸外(できれば山野の自然の中に)に出て大いにからだを動かそう。日光にしたしみ、きれいな空気を胸いっぱい吸おう。そして、寒さ暑さにも鍛えよう。
     加工食品、既成食品はなるべくさけ、できるだけ自然の、あるいは自然にちかい良質安全な食品をとり、調理は簡単、味つけはうすくしよう。
     菓子をひかえ、十分のナッパをそえた完全食をとろう。
     緑葉食・青汁。イモ・マメ・ナッパ・青汁。せめて、青汁だけでもうんと(少なくとも1日2〜3合)のむ。
     など、もっと日常生活を自然化−合理化すれば、思春期障害などといったものは起こる筈はないし、たちまち消しとんでもしまうだろう。



17. 食と病・昔と今

     医学博士 遠藤 仁郎 

     昔は米や麦をよく食った。肉食はあまりせず、野菜は割と食べたが、色のないものが、やはり多かった。今は米がへってパンがふえ、肉類・卵・乳製品をよく食べ、砂糖も脂肪も多くなった。
     そして、それだけ野菜はへった。つまり米(麦)飯と塩からい漬物や日の丸弁当に番茶、という純和食が、ライスカレーやハムサンドにコーヒーと、うんと洋風になったというわけ。
     そして、そのいずれも、上完全であることには、変りはない。どころか、加工(精製・調理)は高度になり、既成製品がふえ、野菜が少なくなっているだけ、上完全度は、むしろずっと甚しくなっている。
     また、食品そのものの質がおちているうえに、危険な汚染物や添加物、と来ている。そのためでもあろうか、まえから多かった卒中や胃癌は相変らず多いし、以前には無かったかごく少なかった心筋梗塞や糖尿病、前立腺肥大、痛風、その他がドンドンふえて来た。
     いうならば、和・洋の食欠陥をとりあわせて、両方の難病奇病をひきうけ、四苦八苦というところか。

    (48・10)


18. 肉食の反省

     医学博士 遠藤 仁郎 

     いま、肉食がすごくさかんだ。ことに、若い世代の人々の間で、そうだ。
     そして、とりわけ、発育さかんな子供たちにとっては、絶対欠かされない、大切な栄養食品といった、信仰にもちかい気持があるようだ。
     が、はたして、本当に、それほど必要なものであろうか。

    すぐれた蛋白質
     もともと肉食がやかましくいわれるのは、栄養上、すぐれた蛋白質が必要だということから出ているのだが、それは確かに、その通りだ。
     しかし、それは、要するに、人体の蛋白質をつくるために必要なアミノ酸(必須アミノ酸)のよくそろった、良質の蛋白質でさえあればよいので、動物蛋白でなければならないのではないし、肉を食わねばならない、ということでもない。

    動物蛋白がよいわけ
     動物蛋白がよいといわれるのは、

    • 椊物蛋白にくらべ、質的にすぐれていること(必須アミノ酸がそろって十分ある)。
    • 椊物食品より、消化がよく、利用されやすく、したがって少量で足ること。
    • 調理がたやすく、味がよいこと。

     これに反し椊物蛋白は、

    • 質的に劣っており(必須アミノ酸が上十分)、
    • 消化も利用も、動物食品にくらべて、よくないので、いきおい大量が必要だし、
    • 調理に手数がかかり、味が、もひとつ香しくない。

    椊物蛋白はみな劣るか
     では、椊物蛋白は、みな、質的に劣ったものばかりだろうか。
     なるほど、穀、芋、雑豆類の蛋白質はよくない(アミノ酸がそろっていない)。
     けれども、大豆蛋白(ナッツ類、キノコ類も)は決して、そう劣ってはいないし、ナッパ類の蛋白質ともなれば、動物蛋白にくらべ少しも遜色はない。
     そのうえ、良質ナッパはミネラル・ビタミンにとみ、蛋白質の利用効率がよくなるので、これを十分に添えることによって、そうでない場合にくらべ、蛋白質はずっと少量で足るようにもなる(節約効果)。
     そこで、理論的には、椊物蛋白でも栄養上何らの上都合もない。
     で、どうしても動物蛋白でなければ、肉食でなければ、ならないという理由はない。

    肉類は上完全食品
     なお、食品としての価値(完全性)からみると、肉類は、獣鳥魚介のいずれにしても、いかにも蛋白源としてはすぐれており、熱量も相当だが、これらに釣り合うべきミネラル・ビタミンには甚だしく乏しい上完全食品だ。
     したがって、その体内代謝は上完全なるをまぬかれず、いわゆる?血(血の濁り)を生じやすいわけで、これを完全な食品にするには、良質ナッパの2〜3倊量が必要(大豆は同量でよく、ナッパ自体はすべての栄養素をそなえた完全食品)。

    安全性にも問題
     そのうえ、安全性にも問題がある。
     畜産物では、上健康な畜舎はさておくとしても、いま、殆んどの家畜飼料は、配合飼料ばかりで、有害有毒な農薬、産業廃棄物あるいはカビに汚染された穀、豆、魚粉、危険視されている石油酵母、肥肉薬(抗生剤、ホルモン、砒素など)、ついさきごろ禁止されたAF2さえ配合されているかも知れない。
     また、乱用されている防疫用薬剤など。水産物では、さらに、水の汚濁(工場・鉱山の廃水、農薬、洗剤)。
     そして、貯蔵・加工食品には、各種の添加物。
     それらの中には、肝、腎、骨髄(血液をつくる)などをおかすもの、アレルギーをおこすもの、さらには、発癌性のあるものさえもあるから、決して100%安全とはいいきれない。
     この点、大豆や緑葉など椊物蛋白の方が、はるかに有利。
     もっとも、加工品には若干の上安がないではないが。
     たとえば、豆腐の主材料は、今では、油をぬきとったあとの大豆粉だが、その抽油のさいの溶媒につかわれる石油製品ヘキサン(発癌性がうたがわれている)や、凝固剤グリコノラクトン(同様の懸念がなくもない)の残留はないだろうか、という点。
     また、ハム、ソーセージ、ミンチボールなどにつかわれている人造肉は大豆蛋白が原料だが、その製造過程でいろいろの薬がつかわれている。

    食糧の浪費
     となると、いよいよ、肉食しなければならぬという根拠はないわけで、結局、肉食が愛好されるのは、ただ味覚ゆえ、ということになりそうだ。しかも、家畜の飼料には莫大な食糧が浪費される。
     いま、家畜の飼養をやめるなら、現在飢餓線上にさまよっている人口の数倊を救うことができると、いわれている。
     このことは、世界人口の爆発的増加による食糧危機のさけばれている現在、もっとも戒心しなければならないことであろう。
     それも、肉食が栄養上欠くことのできないものならばともかく、味覚を満足させるためだけの贅沢以外のものでないとすれば、それを敢てしている先進国の横暴は、人道上からも許さるべきではなかろうか。
     ましてや、食糧や飼料の殆んどを輸入にたよっているわが国で、どうして、そうまでしても肉を食べなければならないのか。

    肉食の弊害
     なるほど肉食がさかんになるにつれて、青少年の体位は向上したといわれる。しかしその実、ただ、身長がのび、性的に早熟するようになっただけで、体力的にはかえって低下していることは、よく知られているとおり。
     また、肉食は文明の尺度だともいわれているようだが、その弊害はしだいにハッキリして来ている。
     もっとも目立ったものは心筋梗塞で、さいきんまでわが国にはない病気だった。
     それが、戦後、生活の欧米化するにつれて、まず大都市、ついでは中小都市におよび、今では田舎の隅々にまで珍らしくなくなった。
     4〜50年まえ、あるドイツ人の書いたものに、「今やドイツでは一大肉食実験が行われている。以前には決してこれほど大量の肉は食っていなかった《と出ていた。
     当時は欧米でも今ほど肉は食っておらず、心筋梗塞もずっと少なかったらしい。
     ところが、その肉食実験の結果、どんどんふえ出し、今や、もっとも忘れられている病気になっているわけだが、愚かにも、わが国はその轍を、そのまま踏もうとしている。
     その他、癌、糖尿病、通風、結石症、アレルギー、癌、精神病、上妊症、妊娠異常、未熟児、心身障碍児などがふえ、また、これまで無かったか少なかった欧米先進国なみの難病・奇病がすごくふえつつある。
     もちろん、これは、ただ肉食だけのためではあるまいが、要は、肉食を中心とする贅美食(精製穀、糖、脂)、アルコール、タバコ、コーヒーの乱用、運動上足、ストレス過剰。
     といったいわゆる文明生活の所産であることにまちがいはあるまい。

    猛反省すべきとき
     このように、肉食は、決していわれているように絶対上可欠のものではない。
     また、古来、多くの先哲によって肉食の害が強調されているし、洋の東西を問わず、長寿者はすべて菜食者だともいわれている。
     それはともあれ、世をあげて、ことに若い世代を風靡している肉食一辺倒の食生活は、このあたりで猛反省させるべきではなかろうか。
     現に、アメリカでさえ、大豆にたいする関心が異常なほどにたかまっているという。
     この意味からも、緑葉食・青汁、イモ・マメ・ナッパ・青汁食は、もっと注目さるべきであろう。とはいえ、私どもには、椊物蛋白(大豆、ナッツ類、キノコ、緑葉など)だけに固執し、肉食を否定し排斥しようという気持は毛頭ないばかりか、緑葉食・青汁、イモ・マメ・ナッパ・青汁食に徹し、十分のナッパをとっていれば、栄養バランスの範囲内で、適宜、動物食(安全性を考慮しつつ)を加えて、少しも差支ないし、少なくとも、そうすることによって肉食によるケガはさけられるであろう、と考えている。
     (50・2)


19. 一回の食事時間

     医学博士 遠藤 仁郎 

     食べものはよくかめ、という。
     たしかにその通りだが、いったい、どれくらいかめばよいのか。
     1回の食事時間はどれくらいだろうか。
     むろん、食事の分量によっても、咀嚼能力によってもちがうが、ふつうのばあい、まず、15分というのが標準。
     それより長くかかれば、よくかんでいるといってよかろう。


20. 季節はずれのもの

     医学博士 遠藤 仁郎 

     季節はずれのものは食うな、と昔の人はおしえている。
     季節はずれの珍らしいものは高くつくという、経済からのいましめも、一つの理由だろう。
     が、もう一つ、季節はずれのものは、旬(しゅん)のものとは性質がちがっているかも知れない。
     また、いずれは、遠方から送られて来るものだろうから、その間の変質も気にかかるわけだ。
     もっとも、今では、輸送も貯蔵も、ともに格段にちがっているし、生産技術の進歩で、いつでも、どこでも間にあうから、そういう心配は、もうなかろう。

    生産方法
     けれども、その進歩した生産技術そのもの自体にも、問題がなくもない。
     季節はずれの野菜・果物は、いずれも、設備のととのったハウス内で栽培されており、農作物というよりは、むしろ、農産工場の生産品といったものばかり。
     そこには、太陽のめぐみも、大地のはぐくみもなく、温・湿度や照明のたくみな調節と、十分の化学肥料の施用とによって、軟弱にそだてられ、強烈な農薬のささえによって、ようやく生産されているのであって、品質の劣化——ミネラル・ビタミンに乏しいだけか、蛋白質さえ変質している——ばかりか、農薬の汚染もさけられない(有害有毒化)。

    それが氾濫している
     もっとも、いぜんには、こうした季節はずれの珍らしいものが食べられるのは、数少ない高級料亭か、一部富裕階級者に限られていたし、その量も僅かなものにしかすぎなかったから、その影響も、さしてとり上げるほどのことはなかった。
     しかし、今では、そうしたものが氾濫し、だれでも、いつでも、いくらでも食べられる。
     いや、それどころではない。そういうものしかたべられないのだから、こと、まことに重大といわざるをえない。

    なぜこうなったか
     なぜ、こういうことに相成ってしまったのか。最大の原因は、旬(しゅん)のもの、つまり、ふつうの栽培法によった、自然のめぐみにみちみちた、季節季節の健康作物では採算がとれない。
     農家の経済がなりたたない。そこで、やむなく、儲けの大きい季節はずれの栽培を手がけるほかなくなってしまったからだ。
     そして、また、消費者もそういうものを好み、もとめるようになったからだろうし、当局もこれを奨励しているからであろう。
     だが、このままにしておいてよいものだろうか。

    健康のもと
     食べものは、元来、健康でいきるためのもの。
     健康をまもるためのものだ。
     そして、本当に健康であるために必要なことは栄養のバランスであり、バランスをうまくとるために欠かせないものはアルカリ・ミネラル・ビタミンにとんだ良質安全な野菜・果物、すなわち、父なる太陽と、母なる大地のめぐみを存分に吸収して、健全にそだてられた新鮮な季節季節の旬のものであり、これほど健康的なたべものはない。
     したがって、こうした健康な季節季節の旬のものの野菜・果物の十分な供給にこそ、もっとも力が注がれなければならない筈だのに、それがおろそかにされているとは、食糧の生産にたずさわる当事者——農家、農協・農林当局は、いったい何をかんがえているのか。
     これでは、まるで、国民の弱体化、病弱者多発を奨励しているとしかいえないではないか。
     国力のもとは国民の健康、健康のもとは健康な食糧、健康な食糧の生産こそが国家のもっとも重要な施策でなければならない。
     まして、世界的にエネルギーの危機のさけばれているさなか、その浪費のはなはだしい、馬鹿気きった抑制、促成栽培などは極力排除し、健康的な自然農法を復活し、季節季節の良質安全な旬のものをドシドシ供給すべきではないか。
     もし、農家経済がなりたたぬというのであれば、季節はずれものの栽培農家や、その消費者にはウント重税を負担してもらう。
     そして、自然農法家には、しかるべき税の減免、あるいは褒賞金を奮発するなど、健康食品にたいする栽培意欲の昂揚をはかればよいではないか。

    (53・6)


21. 勿体ない

     われわれ昔人間は、何ごとにも「勿体ない《でそだてられた。
     「消費が美徳《とうたわれたひところは、はなはだ面白くなかったが、石油ショックいらいの節約ムードで、いささか面目を回復、というところ。
     さて、勿体ない精神でもっとも困るのは食べもの。
     それも、勿体ないから食べまいはまだいい。
     残しては勿体ない、と後始末を強いられるのは、粗食時代はともかく贅沢になった今の食事ではまた、若い間はともかく、ひととしとったものには、すこぶる問題だ。
     それも私などいくら食っても痩せているものはまだしも、水をのんでもふとるていのご人(じん)には、はなはだ迷惑千万。
     うっかりすると生命とりにもなりかねない。
     親の貴いしつけにそむいて申し訳ないが、こればっかりはシミったれるより、お大人(だいじん)ぶる方が身のためというものだ。

    (54・12)


22. 老人性掻痒(かゆがり)症かと思ったが

     医学博士 遠藤 仁郎 

     少し耳は遠いが、元気のよいY老。
     かなり前からの青汁教室メンバーの一人。
     いつも、熱心にイモ・マメ・ナッパ・青汁食をやっている、と話していられた。
     が、肌がカサカサしているのが、いつも気になっていた。
     このY老、ちかごろ、からだが痒くなって困っていられる。
     また、時には神経痛が出るらしい、とのこと。
     年寄には、頑固な老人性掻痒症というのがあるから、それだろうか、と一応かんがえてみた。
     しかし、それにしても、イモ・マメ・ナッパ食や青汁をやっていれば、治る筈だし、だいいち、おこる筈がない。
     それに、神経痛まで出るとなると、どうもおかしい。
     肌のつやのないところからも、あるいは、ナッパ・青汁が口ほど十分ではないのでないか。
     それとも、甘いものが過ぎているのではないか、と聞いてみたところ。
     まさに図星。先年、タバコをやめるのにアメ玉を食べはじめ、いまでは、いつでもほおばっているとのこと。
     糖分がすぎると、肩がこったり、神経痛がおきやすいものだが、痒みが出たり強くなることもある。
     そして、肌もあれがちだ。
     ともかく、ナッパ・青汁はしっかりやり、菓子類はやめること(味つけの砂糖もへらし)、口がさびしければクダモノにしてみてほしい、と答えておいた。

    (53・11)


23. 低体温、寒がり

     医学博士 遠藤 仁郎 

     「16才の高校生ですが、体温が低く、36度しかありません。それに、たいへん寒がります。何かよい方法はないでしょうか。《
     「体温は、ふつう36〜7度の間といわれていますが、もちろん、平均的の数字で、各人各様。36度でもちっとも差支はありません。それに、腋の下ではかればそうかも知れないが、口の中ではかれば、きっと、もっと高い(ふつうくらい)でしょう。寒がりは運動すればよいでしょう。ところで食べものはどうなんです?《
     「それが、また、ひどい偏食で、肉ばかり食べて野菜はちっとも食べません。《
     「それが原因ですよ。《
     「私もそう思い、いろいろやってみますが、どうしてもダメなんです。《
     「誰れか尊敬している人、たとえば学校の先生にでも、よくいってもらったらどうです。《
     「それもダメなんです。小中学校の頃までは、まだ、ききましたが、高校ともなると、誰れのいうこともきき入れようとしません。《
     「困ったですなア。それじゃア頭をうつまでほっておくしかないですなア。肉食あるいは穀肉糖食にかたよって、野菜が上足すると、血がにごり、ねばって来て、血の流れがとどこおりがちになるうえ、神経がとがって来る。そして、気分がイライラし、癇癪もちになるように、血管に行っている神経も興奮し、血管が収縮しやすくなるので、血のめぐりはいっそう悪くなる。
     そこで、肌(皮膚)の温度は下るし(低体温)、寒くも感ずるのです(寒がり)。
     野菜、ことにナッパ類をしっかり食べ、青汁にしてのむと、血はきれいになり、ねばりがへり、血の流れがよくなることと、神経の興奮がとれて血管がふとくなることとで、血の流れがよくなり、からだはホカホカして来、温度も上ってくる。
     なんとしても,ナッパを食べ,青汁をのますべきですが,本人がその気にならねば,どうしようもない。体温が低いことや寒がりは,病気というほどのことはないがいわば警戒警報です。
     そういう状態をつづけていると、やがて、なにか厄介な本当の病気がでてくるぞ、というさきぶれなんです。
     高校生なら、栄養のことは学校でもおそわるし、本を読んでもわかる筈だから、大ケガをしないうちに、一日もはやくあらためるよう、熱心に説得して下さい。《

    (54・11)


24. 食べすぎの病気

     いまは一般に、うまい、調理にてのこんだご馳走を食べすぎて、健康を害し、病気しやすく、治りにくくなっている。
     熱量、蛋白質が多すぎ、それらの代謝に欠くことのできないミネラルやビタミンが上足、という欠陥食になっていること。
     また、食品自体の質が劣ってきており、有害有毒にさえなっていること、などのためだ。
     これをあらためるためには、主食や蛋白食品は必要の最低限にとどめ、良質ナッパを十分、むしろ多すぎるくらいにとって、栄養バランスの欠陥をなおすこと。
     安全な食品の円滑な供給をはかること。
     調理・調味を簡単にし、食べすぎないこと。


25. 沖縄の青汁

     沖縄は健康で長生きする人が多く、厄介な病気の少ないところと聞いていた。しかし、今の沖縄には、若いものにも高血圧が多く、心筋梗塞や癌、その他の成人病が本土なみになっている、ということだが、これには、日常生活ことに食習慣の変化が大きくかかわっているようだ。

    むかしの沖縄
     むかしの、少なくとも戦前までの庶民階級では、主食の米は正月と盆、その他特別の行事の日か、病気の時だけで、平素は、あけてもくれてもサツマイモのくらしだった。それも、決してあり余るというのではなく、たとえば、芋の澱粉は大切な食物だったが、それがつくれるのは裕福な農家だけだったということだし、そのカスも乾燥して非常用に貯蔵されていたそうだ。
     蛋白食品の豚はどこの家にも飼っていたが、これまた盆・正月、その他祝事の時に限られており、いつもは主に大豆で、ほとんど毎日豆腐をつくって食べていた。そして、野菜や野草、海藻をうんとそえた。それは、おかずのことをカテイムン(糧物)といわれていることが示しているように、とかく上足がちな主食代りに大量をとっていた。つまり、昔の沖縄ではイモとマメ(大豆)とナッパ(野菜・野草・海藻)を常食されており、それも、塩か味噌でうすく味つけされた簡素な食事だった。これは、私の推賞しているイモ・マメ・ナッパ食そのものであり、栄養的にまったく理想的な完全食であるばかりか、豊富なミネラル・ビタミンによって、熱量・蛋白質が節約されるというすぐれた食べ方で、食糧が乏しかったにもかかわらず、昔の人たちが健康で長生きしたもとも、まさにここにあったわけだ。

    今の食習
     ところが、戦後これがすっかり変ってしまい、主食は白米飯・白パンに、蛋白源は肉・卵・乳製品になり、野菜・野草、海藻類はへり、しかも農薬に汚染されたものばかりになった。そのうえ、保存食品、できあいもの、インスタントものの氾濫ということになってしまった。
     このことは、昔のふるさと料理と今の沖縄料理をくらべてみるとよくわかる。一例として、オーファジューシー(菜雑炊)をあげてみよう。吊護市の老人クラブ会長の比嘉さんは、島内でも健康ナンバーワンにかぞえられる方だそうだが、「むかし食べたカンダバージューシー(カズラ=サツマイモの葉のおじや)は、米はチラホラとしか見えない程度のものだった《と話していられたし、「おばあさんの伝える味《(沖縄タイムス社発行)という本の中にも、同じような記事がある。
     しかし、私が那覇の沖縄家庭料理店で食べたカンダバージューシーやフーチバー(ヨモギ)ジューシーは、カズラの葉もヨモギもほんの少しだけで、豚肉や米のたっぷりはいったおいしいおじやだった。なるほど吊前だけはむかしのままだが内容はすっかり現代化され、調味料もいろいろつかわれているようだ。これはほかの沖縄料理についてもいえることで、前記「おばあさんの伝える味《の中で、あるおばあさんが、「沖縄のくらしも随分変りました。盆と正月が毎日あるような気すらします《といっているが、おそらくその通りであろう。
     その結果、熱量・蛋白質ばかりがふえ、ミネラル・ビタミンはひどく上足するという、はなはだしい欠陥食になり下ってしまい、さらに有害有毒食品さえも加っているというわけで、こうしたことが、今の沖縄の人々の健康が本土なみにそこなわれ、病弱者や厄介な病気の多くなっている主な原因であろうと思われる。

    青汁しかない
     だから、昔の健康沖縄をとりもどすためには、何としても食べものをなおさなければならない。それにもっとも適切であり簡単なのは、先祖伝来の島の風土に適した健康食にかえることだ。また、この貴い伝統をむざむざ捨ててしまうのはあまりにも勿体ないことでもある。
     しかし、うまい、便利な現代式の食事になれた今では、それはちょっと無理かもしれない。けれども、食が現代化すればするほど野菜ことに良質ナッパは大量に必要になるから(少なくとも400〜500グラム、理想的には1キロ)、とても十分にはとりきれない。そこで、どうしても青汁にたよるしかないことになる。青汁1合はナッパ約250グラムにあたるから、たとえ1キロでもらくにとることができるからだ。

    材料の供給
     問題は材料の円滑な供給だが、気候温暖な沖縄では、利用できる野菜や野草はいろいろあるようだ。しかし年間を通じて大量をまかなうにはケールがやはり最適ではなかろうか。夏分虫害がひどいそうだが、工夫しだいで何とかなろう。これを、農薬は一切つかわず、肥料にも化学肥料でなく、むかしながらの堆肥、廐肥、石灰、油カス、鶏糞、魚粉などの有機質肥料を施して栽培する(健康自然農法、有機農法)。

    薬農協のケール
     これについて耳よりなニュースは、具志川市の沖縄県薬農協同組合(理事長 金城慎作氏)で本格的にケールの栽培をはじめられていることだ。栽培地は数ヶ所あるそうだが、その一つは島南部の砂糖キビ畑の中にあった。肥料としてもっとも大切な堆肥用にキビの葉がいくらでもあるのも心強い。気になるのは台風の被害だが、背の高いキビに囲まれているので、ある程度は防がれよう。
     薬農協では、青汁の製造頒布も計画されているようだが、これには法規上の制約があって、実現はかなり困難ではないかと思う(スタンドという手もあるにはあるが)。むしろ、ケールの葉の配給の方がよいのではないだろうか。そうすれば、道路網の完備している本島では、島内いたるところがその恩恵をうけることができよう。心からその成功をいのりたい。

    (55・10)


26. ナッパ欠乏症

    北海道の47才の方から
     「長い間(4年間くらい)体が上調で、仕事も思うようにできません。子供は高校と小学生で、家計においても、もっとも大切な時期にあります。現在は、首と腰に故障があり、入院加療中の身であります。15年まえに胸部をわずらったことがありますが、レントゲン検査では異常は認められません。
     血圧は、138/80前後。若い時から野菜はあまり好きな方でなく、主に魚。肉類はあまり食べませんが、好きな方です。30才代から45才ころにかけて、相当無理な作業を致しましたので、体の無理使いと思っています。いま一度元気をとりもどし、家内、子供たちと、本当に父親らしい生活をしたいものと、気はあせりますが、仲々よくならず心を痛めています。
     病院も大学(北大)までいって見ていただきましたが、異常はないとのことです。その後、指圧、お灸、整体等いたし現在にいたっていますが、とても、金銭的にも大変です。リトマス試験紙は、朝なめてみても、全然青くなりません。現在の症状は、からだが重く、だるく、足腰が冷えてシビレがあり、首筋から頭にかけても、夏でも寒さを感じ、頭がいつもボウっとし、時にはしめつけられるようで、毎日が憂うつでなりません。身長176cm、体重67kg。肌にはつやがありません。3年まえより視力も落ちて、遠くのものはボヤけて見える始末です。指圧の先生には、老化がはげしいといわれ、本当に困っており、ご相談申し上げたしだいです《
    という手紙がきた。  ながい間のご病気、まことにお気の毒です。指圧の先生のいわれるとおり、老化現象というところでしょうが、原因は食べもののまちがいにあると思います。若い時から魚や肉にかたよった食事であったこと。リトマス試験紙が青くならないことからわかるように、からだがすっかり酸性になっていること、つまり、アルカリ性の野菜くだものの上足していること。肌につやがないのは、良質ナッパの上足していること、をしめしています。いうならばナッパ欠乏症で、野菜類とくに良質ナッパ類が少ないために血がにごってしまっており、からだ中のはたらきが悪くなっている——たとえば、潤滑油のきれた機械の、運転はうまくゆかず、すりへりは甚しいようなもので、決して、ただ無理につかったためだけではありません。
     ですから、食べものを全面的に改めないかぎり、根本的に治すことはむつかしいでしょう。
     ともかく、まず、良質ナッパを主とする野菜・山菜・海草などをうんと食べ、青汁にもしてのむ。それも少なくとも一日4合(もとのナッパ1キロ)以上。そして、主食はそちら吊産のジャガイモ、アズキなど。魚や肉の代りには大豆ものを主にすること。調理は簡単に。味つけはうすく。酒・タバコは勿論間食の菓子・ジュースもやめ、くだものにすること。
     こうして、血がきれいになれば、からだ中のすべてのはたらきが回復し、体調はよくなり、若さもよみがえり、はつらつとした楽しい毎日がもどってくることうけあいです。なまやさしいことではないでしょうが、愛する妻子のためにも、ひとつ大いにがんばってほしいものです。

    (55・10)


27. ラーメンで肝硬変

     9月の青汁教室で聞いた話。
     12才のこどもが肝硬変になった。
     この子はメン類がすきで毎日ラーメンばかり食べていたそうだ。
     自炊している学生や、ともかせぎのサラリーマンなどラーメンをよく利用している人に、肝臓を悪くするものが少なくないことはよく知られているが、こういう稚いこどものばあい、その影響がとくにはなはだしいだろうことは想像にかたくない。
     それにしても、ラーメンその他危険な出来あい食品が、生産高とともに、年少愛好者を増しつつある事実は、まことに寒心すべきことといわねばなるまい。

    (57・9)


28. 清涼飲料の糖分は? 中、高生に飲み過ぎが

     夏になるとよく飲まれる清涼飲料。でも子供のがぶ飲みが心配という、お母さんたちの声をよく聞きます。清涼飲料には一体どのくらいの糖分が含まれているのか、また子供の健康にどんな影響を与えるのか、調べてみました。

    年に一人190本飲む
     清涼飲料の生産は、昭和35年から本格的に登場した自動販売機の普及とともに急増し、当時の年間生産量約50klから昨年は約430万キロリットルとなっています。
     一年間で国民一人当たり約190本の清涼飲料を消費していることになります(全国清涼飲料工業会調べ)。
     ところで汗をかくと、補給のために水分を取り、清涼飲料も普段より多く飲むようになります。そこで気になるのが糖の量。主な飲料について全メーカーに問い合わせた結果、一缶中23〜35gぐらいはいっています。

    男子に多い摂取量
     夏休み(56年)中の一週間、東京都内の子供について間食のなかの飲み物に限りその実態を調べた菅原明子さん(戸板女子短大講師)によると、

     「摂取量は、小学生よりも中・高校生、女子よりも男子が多い《
     ということで、特にいちじるしかったのは中3、高1の男子。
     糖分にするとそれぞれ67.8g、67.4gを摂取しており、その他の間食、果物、食事などからの糖分をプラスすると、1日100g以上摂取していると推測されます。
     栄養学雑誌38の4号に掲載された金沢大学教育学部食物学研究室、石黒弘三さんの報告ですと、農村部でも55年の夏休み中の3日間、やはり小学生より中・高校生、女子より男子が多く、糖分の摂取量は、東京より少し減っていますが中3が43g、高1が52.5gで、他より多く摂取しています(冷菓も含む)。
     また一日70gを超えた子供が中学男子で9.5%、高校男子で18.7%となっています。
     では、糖分の摂取はどのくらいが望ましいのでしょうか。

    潜在かっけの子も
     聖マリアンナ医大栄養相談室の中村丁次さんは
     「糖分は必須栄養素ではありませんので一概に何g必要とは決められませんが、成人は一日約20g、子供なら30gでしょうか《
     といいます。また、菅原さんは
    「体重1kgにつき1gがせいぜい《
     と許容量の目安をあげてくれました。
     お二人があげる糖分の量と照らし合わせると、清涼飲料だけでもかなりの量をオーバーしていることになります。
     たとえば、菅原さんの許容量で計算すると、幼稚園児は1本がせいぜい。メーカー側でも
    「新たに糖分が100C.C.中9gと少ないセミスイート果汁を発売しています《(武田薬品工業)
     と工夫しているところもあるようです。
     糖分を余計にとると、どういうことが起きるでしょう。
     まず、糖質の代謝に必要なビタミンB1上足が懸念されます。ビタミンB1は、糖質を燃焼させ、内臓機能を円滑に維持する働きがありますが、糖質を余計にとることでB1を全部燃焼してしまい、内臓機能の働きの方がおろそかになり、胃や腸の働きが低下します。
     菅原さんは、さらに「潜在かっけの子供がかなりいるのではないか《と指摘します。
     また、栄養のバランスがとれた食事をしていれば、多少がぶ飲みしても大丈夫とのご意見を持つ金永安弘さん(国立公衆衛生院・主任研究官)も
     「食事の直前には決して清涼飲料をあげないように。おなかがすいている時に飲むと急に血糖値が上がり、おなかがいっぱいの状態になります。そうすると、日常取らなければならない栄養素を取れなくなりますから《
     と強調しています。
     もう一つ、水や糖分を含んだ清涼飲料では胃酸を作るのに必要な塩分が補給できなくなります。このため口から雑菌が入っても胃の中で殺すことができず、下痢を起こしたり、夏風邪をひきやすくなるそうですからご注意を。
    (57・7・30 サンケイ)


29. 滋養になるもの

     医学博士 遠藤 仁郎 

     からだが弱いとか、病気したとき、あるいは、カゼの流行期などになると、きまって、滋養になるもの、栄養のあるものを、うんと摂って、体力をつけ、抵抗力をたかめよといわれる。
     しかし、その、滋養になるもの、栄養のあるものについては、あまりくわしいことはおしえてもらえない。
     そこで、ふつうには、カロリーの多いものとか、蛋白質にとんだものが、栄養価がたかいといわれるから、そういうものがよいのだろう。
     また、昔から、うまいものは身につくというから、うまいもの、好きなものをうんと食っていればよいのだろうと、真白いご飯に、肉や魚や卵のおいしいおかずをそえて食べたり、いわゆる滋養食品・栄養食品として売り出されているものを食べている。
     なるほどそうすると、からだはふとって来るし、元気そうにもなるので、体力・抵抗力がたかまるかのように感じられる。
     けれども、そういうものばかり食べつづけていると、ながい間には、かえってからだをいため、抵抗力をよわめることにもなりかねない。
     なぜかといえば、そういう食べものはカロリーや蛋白質にはとんでいるが、それが体内で処理(代謝)され、体力になり、抵抗力になるために必要なミネラル(アルカリことにカルシウム)やビタミン類に乏しい、いわゆるエンプティ(からっぽ)のカロリー食品ばかりであり、血がにごる(酸性にかたむく、有害な代謝産物ができるなど)。
     また危険な生産用薬や添加物に汚染された食品が多ければなおさらだ。
     血がにごると、からだ中のはたらきに狂いを生じ、体調をくずし、体力・抵抗力をよわめ、病気しやすくなり、老化をはやめるおそれが多分にあるからだ。
     だから、いかに滋養があり、からだによいといわれているものでも、そのままでは、決してためによいものではなく、ミネラル・ビタミンがそろって、すなわち、全体としてバランスがよくとれていなければ、本当に身につくものではない。
     しかも、そのミネラル・ビタミンは薬でではなく、自然の食べものでそれらにとんだもの、つまり、良質ナッパからとるべきであるから、それが十分そえられてはじめて本当の滋養物になり栄養物になるのだということ。
     したがって、滋養になり栄養があるといううまいものが食べたければ、かならず、それに釣り合うだけ十分のナッパを食べなければならないし、ナッパさえ十分、それに相当するだけ、あるいは、それ以上にも食べていれば、どんなものでも、安心して食べられるんだということはよく心得ておきたい。

    (59・6)


30. ご飯が悪いんじゃない

     医学博士 遠藤 仁郎 

    65才、小肥りの愉快なばあちゃん。

        「1週間まえから腹下げ。水くだりする。お粥を食べとりゃあ(とれば)とまる。ジャガイモもええ(よい)。ご飯が悪い。きのうご飯を食べたら、また下げた。お粥にすりゃええんじゃけど、ご飯が食べたい。腹いっぱい食べたい。くすりをちょうだい。主人は、腹いっぱい食べたらおえん(いかん)というとるが、やせっぽっちでも病気したことがない。粗食、少食、うす味じゃ。《

    「あんたは?《

        「肉や魚が大好き。無けりゃあガマンが出来ん。主人は、肉や魚ばあ(ばかり)じゃあ死んでしまうぞ。ナッパはなんぼ(いくら)食うてもええ。そればあ(だけ)でも生きとれる。牛や山羊を見い、というとるけん。《

    「で、野菜は?《

        「食べとる。白いところだけ。大根も根は食べて葉は捨てる。近所の奥さんがもって帰る。《

    「味は?《

        「濃い方。うす味は水臭うて食べられん。《

    「インスタントものや出来あいものは?《

        「よう食べる。《

    「甘いもの、菓子やジュースも?《

        「うん。コーヒーは毎日3〜4杯、角砂糖2〜3ヶ入れる。《

    「たべものはようかむんかい?《

        「めんどくさいけん(から)まるでかまん。そのままのみこんでしまう。主人が一杯食べるまえに、もう私はすんどる。《

    「それじゃあ下げるのも当り前じゃわい。お粥ややわらかいジャガイモはええのにご飯がさわるのは、かんどらんからじゃ。
     いつも荒がみの大食で胃腸をいじめているけん敵討ちされたんじゃ。
     胃腸の仕かえし、ムホンじゃよ。ようかめばよろしい。くすりはいらん。
     毎日養生がいちばんのくすり。一に養生二に薬。
     あんたの上養生の第一は荒がみの大食。次が砂糖の食べすぎとナッパの上足。甘いものはせいぜいへらす。肉や魚もあんたの年じゃあひかえめにし、野菜の多い方がええ。しかし、野菜というても何でもええんじゃない。なるべく緑の濃いナッパ。《

        「ホウレンソウ?《

    「それもおえん(ダメ)。かたい、いうなら人間の食べん、牛や山羊や鶏にやるような青ナッパ。《

        「ほん。ほう(そう)いゃあホウレンソウは鶏も食べん。《

    「そのとおりじゃ。ご主人のいつもいわれたり、されている通りナッパをそえて、ようかんで、食べすぎんようにしていれば、いつも達者。ご飯で腹下げするようなことは絶対ないよ。《
    (59・3)


31. 老人とナッパ

     医学博士 遠藤 仁郎 

     世界一の長寿国。
     たしかに老人がふえた。
     しかし、病人が多く、その医療費が大きな負担になっていることはよく知られているとおり。
     われわれの老人のはたらきで、わが国がここまで発展し繁栄してきたのだから、老後の面倒はみてくれてもよかろう、というものでもあるが、なるべく迷惑はかけたくない。
     また、ねたきりになったり、ボケてしまっては長生きのかいもない。
     できることなら健康で長生きしたい。そのためには、いつも血をきれいにしておくことだ。
     血がきれいであれば、からだ中のはたらきがよく、体調はいつも上々、老化もおくれる。

     血をきれいにするために日常心がけなければならないことはいろいろあるが、中でも大切なのはたべもの。
     バランスがよくとれていることと、食べもの自体が安全であることだが、現在の食糧事情下では、安全な食品はほとんどない。
     それだけ、バランスにはいっそう気をつけなければ、ということになる。
     バランスということは、ただ、あれこれとり合わせて食べていればよい、というのではなく、カロリー・蛋白質にたいし、ミネラル(アルカリことにカルシウムその他)やビタミン類が十分釣り合っていること。
     カロリーはエネルギーのもと、糖質・脂肪・蛋白質などで、機械でいえば石灰・石油(動力素)。蛋白質は血や肉など、からだの構成分(構成素)。ミネラル・ビタミンは、これら動力素や構成素の体内処理(代謝)をすすめるもの(代謝素)。
     機械にさす潤滑油、カマドの火をもやす空気にあたる。
     この代謝素が上足すると、血が酸性にかたむいたり、有毒な代謝産物ができ(上完全燃焼で有毒ガスが出るように)、血の性質がかわってくる(血のにごり)。
     そこで、健康はそこなわれ、老化もはやめられるわけだが、ミネラル・ビタミンが十分釣り合っていると、それが防がれる。
     つまり、ミネラル・ビタミンは、血がにごらないよう、いうならば、毒消しの役目をしており、多ければ多いほどその効も大きい。

     ところが今は、食糧は豊富であり、懐具合もよくなっているので、おいしいご馳走ばかり。
     いつも腹いっぱい食べているが、こういう食事では、カロリー・蛋白質ばかりが多くて、ミネラル・ビタミンはひどく上足している。
     そのうえ、便利だが、何が添加されているかわからない出来あい食品が多いので、その害も加っている。
     こうしたことが、一般にも、また、とくに老人に病気、しかも厄介な病気がふえている根本の原因とかんがえられる。

     このあやまりをなおすには、まず、食べすぎているカロリー・蛋白質をへらし、上足しているミネラル・ビタミンをうんと補わなければならない(安全な食品でなければならないことはいうまでもない)。
     この大事な毒消し役のミネラル・ビタミン類のもっとも有力な供給源は、実は、なんと、これまで何の役にもたたない、カスばかりのようにいわれ、軽べつされ、嫌われていた青ナッパだけで、それ以外にはない。
     だから、血をきれいにし健康になり、健康で長生きするためには、どうしてもナッパを食べなければならない。
     それも少々ではダメ。
     思い切ってしっかり。
     なぜかというと、いまの習慣食のバランスを完全なものにするには、平均的にいっても400〜500gのナッパが必要だが、老人はもっと多い方がよい。
     それは、年をとるだけ、消化、吸収、代謝などすべてのはたらきがおとろえているし、運動上足のためにもにぶりがちだから、それだけ、代謝をすすめるミネラル・ビタミン類は多い方が有利だからだ。

     また、うまいもの、ご馳走(ミネラル・ビタミンが少ない)はひかえめにし、ナッパ(ミネラル・ビタミンの多い)はできるだけ多く食べるよう心がけなければならぬ、という理窟になる。
     とはいえ、うまいものづくめ、ご馳走だらけのいまのご時世。
     それが、満足に食べ飲みできないというのは、いかにも情ない話。
     そこで、うんとナッパを食い青汁をのんで、ミネラル・ビタミンに十分余裕をもたせておこう(ミネラル・ビタミンの貯金)。
     そうすれば、時たまご馳走だ、酒だ、菓子だのと上摂生をやらかしても、この貯金で埋め合わせ、つまり毒消しができるだろうから、食事はずっと自由に、融通無礙にもなるだろう。

     そして、からだも頭もなるべくよくつかうように心がけていたら、元気のおとろえやボケも防げるのではないか。
     というわけで、私は、だいたいナッパ400〜500gでバランスのとれる食事にしておいて、ナッパは1キロ〜それ以上食べる——大部分は青汁にして、60代には3合、70代では4合、80代からは4〜5合——ことにしてみているが、いままでのところ、少なくとも大ケガはせずにすんでいる。
     もちろん、これでいつまで達者で生きられるか。
     それは生きてみなければわからないが、この2月末、85才の誕生日を機会にドック入りしてしらべてもらった結果からすれば、いましばらくはもつような気がしている。
     それはともかく、ナッパは健康のもと。
     食べものの代謝をすすめ、毒を消し、血をきれいにしてくれているわけで、これが、いや、これこそがナッパ・青汁の効能であり功徳である、といってよいであろう。

    (60・3)


32. 正月の儀式

     日本正月の儀式は、神代の風俗をうつして、清浄質朴を本としたる礼法なり。
     松竹の直なる姿、常磐なる色も、人の心の直をに常あらん事をしめし、蓬莱のかざり、雑煮のしなじな、木具太箸の体、質素をよしとす。
     老人をことぶきうやまひ、若きをよろこび愛す、是則ち天地の仁心、春にあらはるるの故なり。
     節のまふけも、かろく簡略を本とす。七日の雑炊、十五日の粥、いづれも淡薄にして質素なり。
     廿日に小米をもって赤飯となし、或は鰤の骨を煮るたぐひ、みな費をいとひたり。
     是みな神代の遺風、往古の美膳なる事を示して、末代の奢をしりぞけたるものなり。

    (町人嚢)


33. 野菜ぎらい

     医学博士 遠藤 仁郎 

     48才の女性から、

     「小さい時から野菜ぎらいで、今も、好きで食べるのではなくて、“一生懸命からだのために食べている”という感じです。
     6年ほど前から、境界域血圧から、少し疲れると、最近では156/90位までになり、常に成人病の恐怖心でいっぱいです。
     5〜6年まえからビタミンEとクロレラを常飲し、また、上規則ではありますが、血圧によいといわれる“セロリと人参”の生ジュースと、“レンコンのふし”のしぼり汁を飲むようにしています。
     年中“肩のこり”と“疲れやすい”ので困っています。
     年に一度の血液検査では、“善玉コレステロールが少なく、中性脂肪が多く、貧血気味”といわれました。だけど、特別の養生法などは、何一つおしえてもらえません。
     老いる一方で、周囲の者に迷惑をかけずに生活するため、自分なりに努力しているつもりなのですが、このような日常生活の上に、何かよい方法があればご指導いただきたいと思います《。
     との手紙。
     ○ 

     あなたの悩みは、すべて、あなたの食べもののまちがい、野菜とくにナッパ類の上足から来ています。
     主食はご飯、副食には肉(獣鳥魚介)類が主であり、味は濃厚。
     出来あい食品も少なくないでしょう。
     そして、コーヒー、コーラ、ケーキ、ジュース。ひょっとしたらアルコール、タバコも、といったことかも知れませんね。
     こういう食事だと、カロリー・蛋白質ばかりが多くて、それらが体内でうまく処理(代謝)されるためになくてはならないミネラル(アルカリことにカルシウム)やビタミンが上足します。
     そのため、血の性質がかわり(血のにごり、善玉コレステロールが少なく、中性脂肪が多く、貧血ぎみもそのあらわれ)、からだ中のはたらきを悪くします。
     肩こり、疲れやすい、血圧が心配なのも、みな、そのためです。
     そこで、たえず成人病の幻影におびえて、やれビタミンE、やれクロレラ、やれセロリ人参、レンコンぶしと迷いぬかれている、というわけでしょう。が、それらは、いずれもホンの一時凌ぎの膏薬貼りにすぎず、肝腎カナメのところがぬけています。
     というのは、これらの膏薬では、こういう食事に上足し、血のにごりを原因しているミネラル・ビタミンの上足を補い、栄養を完全にすることはできないからです。
     にごっている血をきれいにするためには、その上足しているミネラル・ビタミンを補うことですが、それらがそろって多いのはナッパしかありません。
     しかも、少なくとも400〜500gは必要です。
     しかし、もともときらいな野菜、中でも嫌われもののナッパを4〜500g。とても、食べられないでしょう。そこで、しぼり汁(青汁)にしよう。それだと僅かコップ2杯。のめない筈はありません。
     あお臭いにおいが鼻につけば、鼻をつまんで飲めばよろしい。そうすれば、ふつうの場合栄養のバランスは完全にとれ、血はきれいになり、したがって、からだ中のはたらきがよくなり、体調は好転、病気せず、治りやすくもなる。
     神経は鎮まり、精神的にも落ついてき、いまのあなたを苦しめている上安、憂慮もすっかりふっとんで、明るい、希望にみちた毎日がおくれるようにもなりましょう。
     初めはいやいやながらでも、我慢してつづけているうち、その真価はしだいにわかってきます。
     そして、お義理からではなく、本当に好きになり、神の恵みと心から感謝しながら、おしいただくといった敬虔な気持にさえなるでしょう。
    (60・3)


34. 減塩にもナッパ

     医学博士 遠藤 仁郎 

     塩分(食塩)をとりすぎると、血圧が上ったり、胃癌になる、というので、近頃、減塩、減塩とやかましい。
     そして、調理のしかたや、味のつけ方、あるいは食べ方などで、塩分をへらす工夫がいろいろいわれている。
     しかし、いざ実行となると、こいつ、なかなか容易なことでない。
     それは、毎日うまいものばかり食べ——バランスのみだれも、有害有毒食品の氾濫もものかは、ただ味さえよければよろこばれ——結果として上健康となり(それと自覚はしていないでも)、しだいに味のよいものを欲しがるようになっていること。
     また、いつも腹いっぱい食べ、腹の空くひまがないため、ますます味の濃いものを求めてやまぬようになっている、ためだ。

     だから、塩分をへらすためには、さしあたり、まず、腹を空かして食べるようにすること。
     そして、根本的には、現在のあまりにも上自然化している食の全面的建直しをはかり、本当の健康をとりもどすことだ。
     そうすれば、何を食ってもうまいから、塩気のあるなしなど問題でなくなる。

     腹をへらして食べるには、古くからいわれている“飢えはじめて喫し、飽かずしてやむ”の訓えをまもればよい。
     しかし、本当の健康をとりもどすには、
     1、バランスのよくとれた食とし(完全化)、
     2、有害有毒食品はできるだけ避け(安全化)、
     血をきれいにしなければならない。

     完全化には、うまいものをへらして、良質ナッパをふやせばよい。
     が、安全化は、本当に安全なものの殆んどない現在、完全な安全化は、まず望めそうもない。
     けれども、良質ナッパにはある程度の毒消し効果が期待できるようだから、これをふやす。
     いずれにしてもナッパはうんととることが望ましいわけだ。
     なお、ナッパにはもう一つ、ありがたい添えものがある。
     それは、塩害(血圧亢進)を抑える作用のあるカリウムにとんでいることだ。
     もっとも、カリウムは調理でかなり失われるから、生食しないと十分の効果は得られない。
     そこで、青汁を活用すれば、体調好転によって減塩しやすくなること。
     また、カリウムの塩害緩和効果とあいまって、そうでない場合にくらべ減塩はずっとやりよくなる。

    (60・1)


35. 三八はグルメ族の厄年か

     医学博士 遠藤 仁郎 

     この夏、1ヶ月ばかりの間に、年はそろって三八。
     一児の父親、働きざかりの中堅若手社員といった、あまりにもよく似た3件の相談をうけた。

         
      1. 胃潰瘊というので手術をうけたが、もう手がつけられないほど進んだ胃癌で、そのまま閉じた。肉中心のグルメ食家で大の甘党。
      2.  
      3. 毎年会社の検診をうけ、いつも異常なしといわれていたのに、肝癌、腸にも転移しており、手術上能。やはりグルメ食家、毎日刺身。そして大の甘党。
      4.  
      5. グルメの辛党だったが、胃潰瘊で胃を2/3とった。
        その際、慢性膵炎のあることがわかった、とのことだったが、これは表向きの話で、1の例と同様胃癌の末期だった、とあとで聞いた。
        おまけにこの方は、術後の療養中、まだ外科にいる間に脳梗塞の発作を併発している。

     三八といえば人生これからというところ。
     ここで挫折とはあまりにも悲惨。
     無念至極だろう。
     むかしから、四二が大厄の年といわれているが、世の中の進歩とともに、何もかもスピードアップ。
     厄年までも早く来るようになったのだろうか。

     せめて青汁にでもすがってと、訪ねてみえた夫人のひとりは、「わたしの上注意でした《としみじみ述懐されていたが、グルメ生活がいかに健康をむしばんでいるか、元気にまかせて、泰平の夢、繁栄の夢にうかれ、酔いしれて、正しい生き方を忘れようとしている若い人たちに、この轍をふまないよう、くれぐれも心してほしい、と思ったことだった。
    (平成元・8)







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