健康と青汁タイトル小
食生活




1. 豊作と日本人の食生活

    海の向うでは
     最近アメリカ、ヨーロッパの新聞、雑誌をみていると「カロリーレス」ということばがさかんに出てきます。
     カロリーレスつまり“カロリーのない食べもの”ということですが日本では“栄養豊富”とかくところを、むこうではこのカロリーのない食べものというのが、キャッチフレーズになっているのです。
     これは一つにはスマートになるために体重を減したいという女性の欲求にこたえるためですが、もう一つには中年以上の男性の、長生きしたいという欲求によるもので、50以上の人で太っている人とやせている人と死亡率をくらべてみると、太っている人のほうが5倍もよけい死んでいる。
     だからアメリカの会社の重役さんたちは、できるだけ宴会に出ないように出ても食べないように苦心をしているということです。
     すなわち栄養がよくなりすぎた結果がこういう現象になったわけですが、いずれにしても、女の人はきれいにみえるために、男の人は長生きしてもっと働くために、食べものを制限するというのが、ヨーロッパやアメリカの食生活の今のかたちで、いまだに“栄養豊富”がキャッチフレーズになっている日本と、大変な違いであることが、これだけでもわかります。

    米を副食にしよう
     それでは、日本の現状はどうでしょう?
     厚生省の国民栄養調査をみると、やはりタンパク質やビタミンの不足から、栄養障害をおこしている人が相当あります。
     そこで食糧事情もよくなり戦前以上に豊富な食料品が出まわっているというのに、いったいこれはどういうわけなのか、という疑問が出てきますが、結論からいいましょう。
     その一ばん大きな原因は、日本人が米を主食にたべていることです。
     米に、熱量源以外の栄養がほとんど期待できないことはいうまでもありませんが、にもかかわらず、その米中心という栄養状態、デンプン中心の、つまり前世紀の栄養状態がまだそのまま残っている。
     これが日本人の栄養向上をさまたげている第一の原因とおもわれます。
     そこで、何よりカンジンなことは主食と副食の区別をなくする、いや、むしろ米を副食にしてしまうことです。
     豊作がつづくのは結構ですが、そのために米食偏重の傾向がいよいよ強くなるようでは、いつまでたっても、日本人の栄養向上はのぞめません。

    (大阪女子短期大学長 下田吉人博士)


2. 【青汁教室】 青野菜食・青汁のちえ その三 ―栄養出納ということ

     まず最初に理解して頂きたいことは、栄養出納ということです。

    生きた体は栄養出納を土台にしている
     私たちの生きた体は、これを科学的にみると、一定の、いろいろな物質で構成されています。
     そして、こうした物質が、一定の、いろいろな生理的化学的作用を営なんで、生命の保持その他、発育・成長・運動・労働などの土台となっているのです。
     ところで、こうした生理作用を営めば、当然、それに必要な体の成分が、栄養として消費されるわけです。
     けれども、体の成分は別に無尽蔵ではありません。たえず食物その他、空気・水・日光などで、この栄養を補給しなければならないわけです。
     こうした栄養の消費と補給は、ある意味で、家計その他の金銭出納にたとえてみることができるので、これは栄養出納とよばれています。
     いかにも分かりきったことですが、私たちの生きた体は、こうした栄養出納を土台としているのです。

    栄養出納の良不良が健康病弱の土台
     そこで私たちは、それぞれ、毎日、生命の保持その他に消費される栄養を、必要なだけ十分、食物その他で補給すれば、健康を保っていけるのですが、もし、そうしないと、家計が赤字となるように、健康にいろいろな障害が起こるわけです。
     病気にかかったり、体具合が悪くなったり、その他健康に障害が起こるのは他にもいろいろ原因があるわけですが。
     この栄養出納の不良が、根本的に重大な原因となっているのです。
     従ってまた、病気の治療にも、体力の向上にも、また美容にも、その他およそ健康の保持増進には、他にもいろいろ大切なことがあるわけですが、この栄養出納を良好にすることが、その重要な土台なのです。
     なお、ふつう栄養出納という場合、これは、主として食物について考えているわけです。
     それは、栄養には、確かに空気・水・日光などが必要不可欠ですが、これは、ふつうでは、そう努力し工夫しなくても、十分とれるわけですが、食物は、とうてい、そうはいかないからです。
     といって、最近は、とくに都市や工場地帯では、空気・水・日光などが汚染され、不自由となって、栄養と健康に重大問題を引き起こしていますが、これは、栄養とは別に、衛生の問題として考えることになっています。

    良好な栄養出納には食物の選択と節制が肝要
     そこで「ハラがへってはイクサができぬ」といわれているように、健康の保持増進には、まずもって、食べて栄養を補給しなければなりません。
     けれども、栄養出納は、金銭出納と少々事情がちがって、これを良好にするには、ただなんでも、ジャンジャン食べればよい、というわけにはいかないのです。
     「雀は食べ物を選び、亀は食べ物を節する」といわれているように、真の健康の保持増進には、食物の内容を選択し、さらに過不足のないように、食物に節制をはかることが肝要です。それは、こういうわけです。

    (つづく)
    付記
     この稿は倉敷の月例青汁教室で遠藤先生が繰り返し強調されていることの一端を主題にそってまとめたものです。
    (友成)


3. 食後の休息

     腹の皮がはると目の皮がたるむ。
     赤ん坊は十分に飲むとスヤスヤねむる。
     食後のだるさ、ねむ気はまことに快いし、

       食後の一睡万病円(川柳)
       夕食後にはしばらく坐っておれ(英俚)
     ともある。
     しかし、食事は何のためにするのだろうか。
     本来の食事は、空腹によって警告される栄養素の不足を補うものだ。
     したがって、健康者であるかぎり、そして、食事が正しいかぎり、食事によって、空腹の脱力感、疲労感がなくなり、ハツラツとした元気、旺盛な馬力を回復し、心身ともに活気横溢せねばならぬ筈だ。
     だから、食後、だるさや、眠気を催おすのは、不健康であるか、食べすぎ、ことに偏った不完全食の食べすぎによるものだ。
     食は飢を除き、元気づくほどに食べるのが正しい、といえるし、
       「倦怠をおぼえるまで食するなかれ」(フランクリン)
     ということにもなるわけだ。
    (遠藤)


4. 肉食

     医学博士 遠藤 仁郎 

     緑葉食・青汁だとか、イモ・マメ・ナッパなどというものだから、「肉は絶対にたべてはいけないか」という質問をよくうける。なるほど、私どもは、ナッパを食べることを強調しているが、それは、何を食べるにしても、ナッパ(すべての栄養素のそろった唯一の完全食品)が添えられねば、完全食にはなり得ないからだ。そして、肉を食ってはならぬとは、一度も言ったことも、書いたことも無い。

     肉(獣鳥魚介)食は良質蛋白質をとるためであり、蛋白質が必要欠くべからざる栄養素であることは、今更いうまでもない。けれども、そのよしあしは、それぞれの食品の蛋白質の質によるし、それ以外の栄養素ことにビタミンやミネラルのあり方にもよる。
     また、安全性のいかんにもよる。これらの点からすると、肉よりは大豆や小魚の方が、より有利だというまでのことだ。

     なぜかというと、切り身の肉類は、いかにも蛋白質にとみ、その質もよいが、ビタミン類やミネラル類ことにカルシウムに乏しく、酸性度の大きい不完全食品だ。そして、安全性にも問題がなくもない。
     だから、どんな肉でも、それが安全なものであり、良質ナッパを添えて、ビタミン・ミネラル類を十分補うならば(それには大体2〜3倍重量の良質ナッパが必要だが)、少しも差支はない理窟だ。
     私どもも、なるべく大豆ものや小魚にはしているが、刺身や煮もの・焼ものの肉も、あれば食べる。
     但し、安全性はもとより、釣り合うだけ、あるいはそれ以上のナッパ(青汁その他として)をとるよう(また、主食は穀類をさけ、イモ類にするよう)つとめている。そして、これでよいのだと信じている(ここが、肉食を極端に排斥する、いわゆる菜食論者とちがうところ)。

    肉の安全性
     さて、肉の安全性だが、家畜の肉には、飼料中の農薬やカビ毒、肥肉用の薬剤(抗生剤、ホルモン剤、砒素剤など)、屠殺前後に使用される薬剤(牛や豚には屠殺前抗生剤が注射され、屠殺後、肉に塗る。鯨ではモリにしかけ、また腹腔内に注入するという)、などによる汚染があり、それらが肉に残留している可能性がある。

     このうち、抗生剤はアレルギーを原因したり、耐性菌が出来る、といったことくらいだから、そう問題ではないかも知れないが、BHCやカビ毒、ホルモン剤などには発癌性のものがあり、しかも、それを妊婦がとれば、極微量でも、胎児をおかし(発癌物質にたいしては幼若なものほど影響をうけやすい)、長年月を経て発癌する、といったものもある。

     魚介類には、降下性放射能、農薬、工場・鉱山の廃棄物、養殖魚介には、その他、大量に使用されている予防用薬剤(抗生剤その他)などがとり入れられており、しかも、それらは、かなり濃厚に汚染されているおそれがある。
     貯蔵もの、冷凍ものには抗生剤。塩蔵や乾物には食塩、油脂酸化防止剤のほか亜硝酸塩(肝臓をおかし発癌性の強いナイトロサミンの発生の危険がある)。
     燻製には、さらに燻煙中の発癌物質の付着。
     加工品には、その他各種の添加物(色素、調味料、香料、防腐剤など)。
     これらのうちには、あるいは肝・腎をおかし、貧血をおこすもの、アレルギー。また癌を原因するものも少なくない。
     また、ハム、ソーセージといったものになると、材料そのものにも不安がなくもないといわれ、識者からは危険視されている人造肉(大豆からの加工品)は、殆んどすべてこれら加工食品につかわれているそうだし、なかには石油カスからの製品(発癌性がうたがわれている)さえも、ひそかに混入されているらしいという。なお肉類は調理によって発癌性をおびる可能性もいわれている(焼肉、使いふるした油での揚げものなど)。
     牛豚肉など陸棲獣の脂肪には、血液コレステロールを増し、動脉硬化をうながす傾向につよいこと(鶏、魚介ではその傾向はないか少ないが)は周知の通り。

     このように、肉類は、必ずしも安全な食べものとはいい切れない。したがって、良質ナッパを十分にそえて栄養のバランスさえとれば、いくら食べてもよいというものでは無いようだ。
     ともあれ、肉類は多くの人に愛好されており、子供や妊産婦、虚弱者、病人、あるいは老人にも、推賞されているが、決して、そうすぐれたものでもないし、健康維持のために必要欠くべからざるものでもない。
     そして、また、時には(とくに妊産婦や子供たちにとっては)危険な食べものでもあり得るということは、よく心得ておかねばなるまい。


5. アイヌの食生活

     医学博士 遠藤 仁郎 

     臨床栄養48・4月号に北大の並木正義博士がのせられたアイヌの食生活の概要。

    動物は
  • シカとサケが主。ほかに、クマ、アザラシ、オットセイ、クジラ、その他野生の鳥獣も。
  • 生肉を食べている(シカ、クマ)。
  • 乾燥し、燻製にもし、冬は凍らせて貯えたが、塩蔵はせず。
  • 植物 120種以上の野生植物が食用された。
    農作 ヒエ、アワ、カブ、キビ、ムギ、ソバなど。人肥はつかわず。米は自給できず、?大戦後から食べだした。
    調味料 獣脂(クマ、シカ、アザラシ)、魚油(イワシ、ニシン)が主。
    和人と交通するようになってから。非常な貴重品で、古老によれば、飯茶碗一杯の塩が、5人家族で1年間あったという。
    ミソ、ショウユは殆んど用いず。
    砂糖 大正になってから。しかも黒砂糖か中白。白砂糖は戦後から。
    調理 汁類が主。味はうすく。チャンコ鍋式のもの。
    穀類 はカユ(ヒエ粥、アワ粥、キビ粥)。ギョウジャニンニク、ヒシの実、ウバユリの澱粉からつくった粥。山菜・野草・海藻を入れた雑炊(少量の油脂を入れた)。食事は朝夕二食。
     ヒエ・アワでつくった。非常に酒ずきだが、祝祭日に限られた。大正年間から焼酎。
     つまり、獣魚肉、新鮮な山菜、海藻にめぐまれており、健康にもめぐまれていたが、和人風がはいって、アイヌの体力は明かに低下した。しかし、今でも、胃が強い。癌も潰瘍もない。胃酸がたかい。腸疾患も少ない。結石(胆石・腎石)殆んどない。
     大酒家が多く、粗食だが肝硬変は少ない。高血圧、糖尿病も和人にくらべずっと少ない。中には高血圧があるが脳卒中を来すものは和人より明かに低い。
     多いのは結核(戦後爆発的にふえた。肺結核は和人の3倍、死亡率は4倍。但し腸結核は少ない)と痔。
    ウ歯  歯は丈夫な民族だったが、穀類を食べるようになり、とくに砂糖を用いるようになった大正年間から、ウ歯がみられるようになったという。


6. 食の自然化

     医学博士 遠藤 仁郎 

     現在の慣行食には、

        (1)食品の質的低下と有害有毒化、
     および、
        (2)食構成の不完全、
     という、少なくとも二つの欠陥がある。

    質的低下と有害有毒化
     さいきんの食糧生産は、すべてに利潤追求が優先しており、栄養面や安全性については殆んどかえりみられていない。
     農産では、耕耘の不十分(浅耕)、肥料は化学肥料のみに依存。
     ために、土壌は荒廃し、ミネラル分、ことに痕跡分をうしない、甚しい地力低下をまねいている。
     また、促成・抑制栽培などの不自然農法により、ビタミンその他の点でも品質(栄養価)の低下をまぬかれない。
     同時に、作物自体不健康となり、抵抗力よわく、病・虫害におかされやすくなっており、強力な農薬のささえによって、辛うじて生産をつづけているという有様である。
     畜産、水産(いわゆる栽培漁業)また同様。
     不自然な環境。残留する農薬、魚粉・石油酵母(ともに多分に危険を蔵している)、あるいは肥肉用薬剤(抗生剤、ホルモン剤)などの配合された飼料。
     さらに、防疫、治療用薬剤の濫用。
     また、環境の汚染――PCB、水銀、カドミウム、鉛、その他の産業廃棄物、排気ガス、洗剤等々。
     加工食品(貯蔵・既成食品)ともなれば、おびただしい種類の添加物。
     あるいは加工過程のミスで混入するものなど。
     これらのうちには有害有毒なものも少なくない。
     こうして、今や、あらゆる食品は汚染され、有害有毒化され、また、されつつある。

    食構成の不完全
     一方、食構成は、経済的にゆとりができてくるとともに、しだいに贅沢となり、精製穀(白米飯、白パン)、肉・魚・卵・糖・脂にかたより、野菜ことに良質緑葉菜の乏しいこと。
     また、加工度(精製・調理)のはなはだしいこと、などにより、熱量・蛋白質は十分。
     いや、むしろ多過ぎるくらいだが、これに釣りあうべきビタミンやミネラル類は甚しく乏しいという、不完全栄養になっている。
     そして、この欠陥を、薬剤によって補正しようというのが、現在、一般の風潮である。

    未知成分
     けれども、ここで忘れてならないことは、健康上必要欠くべからざる栄養素には、既知のもののほかに、まだ十分明かにされていない(したがって薬にはなっていない)、しかも大切なものが少なくないこと(未知成分)。
     あるアメリカの研究によると、動物の実験癌で、自然食と、その精製食(精製によって失われたものは薬で補った、栄養的には自然食と同様完全な筈の)とを比べると、癌にたいする抵抗力は、明かに自然食のほうが強い、という。
     私どもの乏しい経験からも、ビタミン、ミネラル剤を十分に用いながら、健康になれなかったものが、青汁をのんで、本当の頑健体になったという例。
     また、青汁を2合(もとの材料緑葉400〜500グラム)をのんでいても(ふつうにはこれで完全食になる)、効果がなくて、4〜5〜6合(もとの緑葉1〜1.5キロ)もの大量で、はじめて、しかも、医者の見放した難病にも、奇蹟といいたいほどの効果がみられる。
     ことがある。
     これらの事例は、ともに、自然食には、なにか、薬では補うことのできない未知の有効分のあることをしめすものだ。
     はたして、それが何ものであるか、もちろんわからないが、おそらく、いわゆる痕跡ミネラル分なども、その一部であろう。

    痕跡ミネラル分
     痕跡ミネラル分というのは、あるかないか(痕跡ほど)の微量にしか存在しないが、それ無しには、本当の健康はえられないというもので、これも、現行食には、やはり、とかく不足がち。
     そして、それは、不自然な農法の結果として土壌に、したがって農作物に欠乏し、ついで、それを飼料とする家畜にも欠乏し(欠陥動物)、加工(精製・調理など)によって、さらに失われるためといわれている。
     もっとも、これら痕跡ミネラル分は、総合ミネラル剤には配合されているようだから、いわゆる未知成分は、なおこれ以外にも、まだまだあるに相違ない。

    健康への影響
     いずれにしても、現行食の欠陥は、多くの食品が、栄養的に劣ってきており、さらに、有害有毒にさえなっているうえに、食全体として不完全、ことにビタミン・ミネラル(痕跡分をふくめて)や未知成分に不足しているところにあり、これらの欠陥が健康上におよぼす影響は、けっして軽々にみのがすべきではない。
     一般の、ことに幼少児や青少年の体力(抵抗力)の低下、妊娠や分娩の異常、身障児・精薄児・アレルギー体質児、高血圧、動脉硬化、癌、糖尿病、痛風、リウマチ、肝・腎疾患、神経症や精神病、その他、難病・奇病の多発していることなど、こうした食の欠陥の複合的影響の結果といっても大過ないであろう。

    自然食
     それはともかく、これら慣行食の欠陥は、結局、食品の生産方法や利用法の不合理・不自然化に由来しているわけで、ちかごろ、自然食がやかましくいわれ出しているのも、それ故であろう。
     さて、自然食の本来の意味は、自然の環境、汚染されていない、自然の恵みのみちみちた山野河海にそだった草木(葉・果・根)、海草、鳥獣魚介、昆虫など、安全良質の食べものを、自然のそのままか、あるいは、少なくとも、あまり手を加えないで、すなおにいただく、いわば、仙人のような食べ方のことであろう。
     とすると、それに近づけるためには、何としても、まず、良質安全な食品の供給・したがって、生産方法の根本的改変が必要であり、環境の汚染も除かれなければならない。
     けれども、その実現は、企業や行政の姿勢が健康優先、人命尊重に切りかえられないかぎり、とても、早急には望めそうもない(さいわい、さいきん、そのきざしがわずかながら見えはじめてはいるが)。
     また、それを、なるべく自然にちかいかたちで利用すること(自然的な食べ方)の実行も、かならずしも、容易ではない。
     たとえ、また、これらが可能であるとしても、従来の習慣食のままでは、自然食によっていく分かはよくなるだろうが、本当に完全な食とすることは不可能である。
     というのは、私どもが多年強調しているように従来の邦食は、十分の良質緑葉なしには、完全にはなりえないからだ。

    緑葉食・青汁
     この意味で、緑葉食・青汁の原則による食べ方。
     すなわち、なるべく安全良質の食品をえらび、良質緑葉を十分に添える食。
     たとえばイモ・マメ・ナッパ・青汁食などは、現在可能な、もっとも理想にちかい自然食といってよいのではなかろうか。
     この食べ方自体、自然食そのものであり、完全食とするために要する緑葉は、いささか量が多いが、青汁とすれば、その摂取は少しも困難ではないし、材料の供給もきわめて容易。
     なるべく深耕し、堆肥、緑肥などの有機質肥料を主体とする自然農法により、土壌の改良、地力の強化をはかれば、安全かつ良質の緑葉(その他の農作物もすべて)を十分に生産することができ(化学肥料や農薬は一切不要)、この安全良質の農作物を飼料とすれば、安全良質の動物食品の供給も可能となるからだ。
     ともあれ、食の自然化は、現行食の根本的改善、合理化(安全化・完全化)にとって絶対条件であり、未知成分をふくめてすべての栄養素をそなえた完全食の、したがって本当の健康をうる、最適法である。
     そして、それを可能とする最簡便法は緑葉食・青汁、良質安全な緑葉菜の活用にあると、私どもは確信している。
    (遠藤)


7. これが古代食 自然食よりさらに原始的

    これが古代食 自然食よりさらに原始的
     いまはやりの自然食よりさらに原始的な“古代食”という独特の食事法を研究、ご主人ともども80キロの巨体を1ヵ月半で54キロにへらした主婦がいる。そのうえ病気の巣のようだった体をカゼひとつひかぬ健康体に変えた。その効果を伝え聞いた人から問い合わせやら講習会の申し込みが殺到している。
     疑問や不安の多い現代の食生活へのいわば警鐘ともとれるこの“古代食”とは、いったいどんな内容のものだろうか。
     その主婦は東京都江戸川区松島1ノ42ノ13、平井小糸さん(55)。
     古代の人間の食生活がそうだったように、食べものはなるべく火を使わず、自然のままの状態で食べる−のが古代食の大きな特徴だ。
     たとえば、カキ、クリ、ウメ、サクラ、モモといった実のなる木(苗木を50センチ以上にならぬようにせっせと土の上の方の芽をつんで育てた若木)の新芽や葉、あるいはナガイモ(自然薯)、サツマイモ、アカメイモ、ショウガなどを鉢植えや水栽培にして、伸びてくる若い芽や柔らかい葉を生のまま食べ、野菜がわりにする。
     主食は、玄米、ハトムギ、オノミを荒びきし、これにキビ、アワ、ソバ粉、ゴマなどまぜ、圧力ガマで3分間火を通し、まるめてハンバーグ風に焼いたもの。
     味つけは少量の酒、うす口じょうゆ、ゴマ油で。食べるとき、大根おろしにいまごろならユズをしぼったものをかける。
     おかずの中心は、豆類(大豆、アズキ、うずら豆、黒豆、インゲン、エンドウ、トラ豆など常時5、6種を砂糖を使わず柔らかに煮たもの)か、自家製のがんもどき(しぼった豆腐にシイタケ、ニンジン、ゴボウ、ゴマなど加えて揚げる)など植物性たんぱく質。
     それに?ジャコやタタミイワシなど丸ごと食べられる小魚類?ヒジキ、ワカメなどの海草類?保存食各種(ユズとシソの実のみそ油あえ、大根、ミョウガ、ニンジンのピクルス、ラッキョウ酢漬、ウメ干し、マツバの焼ちゅう漬。このほかクルミやクリなどの木の実)。
     ざっとこれだけのものが一食の中に組みこまれる。
     平井さんは、1日2食で、主食は前記の材料を直径5センチ、厚さ1センチ程度の平たくまるめたものを2個(夜はキビダンゴにかえ、キナコと青ノリをふりかける)。
     おかずの種類は多いがいずれもせいぜい二口ぐらいで食べきれる分量だ(そのかわり夜はややおかずをへらす)。

     「新芽や若葉は生きたビタミンが豊富でしょ。
     太陽と水だけで育てているから汚染の心配もない。
     カキやクリの葉なら、5、6枚も食べればほかの野菜はいりません。
     食べにくければうす口じょうゆにレモンかユズを絞ったのをつけて頂くと酢のもののような風味でおいしい」
     ともいう。
     ところで平井さんがこの古代食に取り組んだ動機は何か?もともと神戸で長年自動車学校を経営していた平井さん夫妻は、肉のうまい土地柄でありスタミナ保持を兼ねて好んで肉類を食べていた。
     ところが中年すぎてから二人ともどんどん太り始め、ついにどちらも80キロの肥満体となり、とくに小糸さんは高血圧、糖尿病、すい臓、じん臓、肝臓みんないかれてしまった。
     そのころ娘が結婚したのを機に、学校をたたんで夫妻で東京住まいを始めた。
     5年前のこと。
    「まず医者通いでした。でも医者は“努力してみるが、あなたの体が治る保証はしかねる”と見放されまして」
     そんなら自分で治してみようと本屋で病気の治し方の本を買いこみ、必死になって実行してみたが、さっぱり効果なし。
     そんな春のある日、庭に出たときカキの若芽にアリがむらがって夢中で食べているのを目撃。
    「こんなに好んで食べているなら人間にだって・・・」
     思わず手が出た。
     平井さんは丹波の大江山近くの生まれ。
     昔この山国のふるさとでは新芽を食べる郷土料理があったのを思い出したせいもある。
     翌日、異変が起きた。
     いつも便秘がちなのに、この朝は通じの調子がバカにいい。
     味をしめてせっせと食べてみた。
     どうだろう。快便のみかこれまで階段を2、3歩登ってもハアハア息苦しかったのに、さっさと足を運んでいる。
     疲れを忘れ、黄色くにごっていた目がきれいになり、血色がよい。
     いつのまにか体重がへって洋服もダブダブ。
     「医師がふしぎだ、どうして治ったんだってきくんですよ」
     これですっかり自信を得た平井さんが、自分のからだを実験台にしながら本格的につぎつぎ食事と調理法を研究していった。
     しかしご主人の秀次郎さん(65)は「こんなものが食えるか」と強く抵抗を続け、夫婦ゲンカもしばしば。
     が、ついに根負けし食べてみたら、やはり効果てきめん。
     まずカゼをひかなくなり、持病のへんとうせんで高熱を出すこともなく、減量にも成功。
     「頭の毛のうすくなったのが伸びだし、シラガまで黒くなっちゃったんですよ」
     とうれしそうだ。
     魚、肉、卵、牛乳、栽培野菜、それにかん詰め、インスタントもの、冷凍食品と、多彩な材料と調理法、味になれたいまの人々には、この“古代食”はいかにも味気ない感じがしそうだ。
     が、平井さんはこういった。
    「こういう自然な材料を自然な形で食べることになれれば、これこそほんとうの味だとわかるでしょう。第一、安い材料で食費も1日2百円程度。これでからだの血液がシンからきれいになるから、ハダもつやつやし、女性は真の健康美人に生まれ変われますよ」
    (48・10・16 サンケイ)


8. 食物はつとめて家庭の手作りで(1)

     友成 左近 

     ここ20年来、国民経済が高度に成長して、人々の生活は各面にわたって、以前とは比較しがたいほど豊かになり便利になってきました。
     そして、人生で最も深刻な、食に飢える、といったことは殆んど全くなくなっています。
     が、それで果たして以前より仕合わせになっているかといえば、必ずしもそうとはいいかねるところがいろいろあるようです。
     とりわけ、人生なにより大切な健康が蝕ばまれている人々が多くなり、それが若年層ほど著しいようです。
     それにはいろいろ事由があるわけですが、基調に、生活に必要なモノもサービスも、家庭の手作りより市販の方が便利であり有利であり、また優れていると考えてか、とかく市販に依存して、働くというのは、そのカネをかせぐため、といった生活態度があるようです。
     であれば、幸い成長してきた国民経済に対処して、仕合わせに、とりわけ心身ともに健やかに生活していくには、生活に必要なモノもサービスも、その本当の意義と価値を考えて、当座の便不便や損得ばかり考えずに、実状家庭でまかなえる限り、つとめて家族互いに手を労してまかなうことが大切であって、そこを生活の最も重要な根幹であり、そして健康保持の最も重要な土台である食物について考えてみましょう。

    家庭の手作りというのは
     現代社会では、農家もさることながら非農家では、食料品は殆んどすべて市販でまかない、それも、それ相当に加工したものです。
     が、最近は、この加工が以前は専ら家庭でしていた調理段階にまで及んでいる、既製の出来合い食品が目立って多くなっています。
     たとえばウドンは、原材料である小麦を一次加工した小麦粉を買って手打ちで作り、あるいは二次加工した乾メンを買って茹で、ダシも家庭でとって調理していました。
     が、最近は、茹でた玉ウドンを、さらには既製のダシまで買って調理したり、その手も省いて、調理加工までしたインスタントラーメンを買って、家庭ではただ熱湯をかけるだけといった場合が多くなり、また、手っ取り早く出前をとったり、外食したり、自動販売機で買う場合も少なくないようです。
     こうしたことは各種各様の食物についても同様ですが、毎日の食物をこうした既製食品でまかなっていると、その依存度が高ければ高いほど、それだけ健康が心身両面にわたって損なわれ、これが成長期の子どもほど著しいのが実状です。
     そこで大切なことは、毎日の食物は、実状家庭の手にかなう限り、つとめて原材料を(といって前記のウドンについていえば、小麦粉や手打ちウドンのように、家庭で加工するのは設備などの点で至難なものは、一次または二次加工したものを、またダシには煮干イワシ、カツオ節、コンブなどを)買い入れて、調理は家庭ですることです。
     また原材料も、たとえば野菜などのように非農家でも作れるものは、屋敷内外に作る余地があれば最大限に活用して自作することが大切であって、ここで家庭の手作りというのは、こういう意味あいのことです。

    この意義と派生効果
     こういうふうに毎日の食物を、いわば時流に逆行して、つとめて家庭の手作りでまかなうのは、まずもって人生なにより大切な健康の最も重要な土台である栄養を、十分に、それも安全にまかなうためであって、市販の加工食品わけても既製食品に依存すればするほど、それがますます困難になるからです。
     従ってこの手作りは、毎度の主要食であれ菓子その他の嗜好食であれ、市販の既製食品や料飲店などの飲食物にならったものではなく、材料の取り合わせ方も調理法も、従って見た目も味わいも、どこまでも栄養と安全の理にかなうと共に簡素なものであり、そして家庭の手作りならではのものであることが肝要です。
     とはいっても、人々だれしも程度の差こそあれ、とかく安易に市販ですませたり、ふつう世間並のご馳走にならったりするところがあります。
     であれば、それではとうてい健康は保っていけないことをシカと理解して、家庭互いに注意し合って慎まねばならないので、この点つぎに稿をあらためてみることにします。
     ところで、こうつとめるのは、もともと一家の主婦をはじめ家族一人一人に、互いに健康を念願する心情があるからであって、こうした愛情は、健康と共に人生なにより大切なことであり、家庭生活の最も重要な基盤です。
     が、この心情は、そこに必要なことがらを身をもってかなえていく間に、そうした働きと互いに因となり果となって、より深く養なわれるのであって、それを人だのみにばかりしてはなりません。
     であれば、この必要なことがらのうち最も重要なのが毎日の食物であるので、そこをシカと分別して、まずもってこれをつとめてみずから手作りでまかなっていくことが大切です。従ってまた、こうつとめていると、とくに手作りする当人には言い知れぬ喜びが起こって、ある種の生きがいを感じます。というのは、人間生活の最も重要な基源は手を広く自由に使うことであって、人々だれしも心の底から求める生きがいは、この手を存分に使って生活していく間に、しぜんと感じてくるからです。
     とはいっても、人々だれでも、ときにこれを空しく感じて厭い、ほかになにか生きがいを感じることはないかと願い求める場合があります。
     が、それはムリというものであれば、この意義をシカと自覚して、これが習い性とならないように慎まねばならないので、この点も稿をあらためてみることにします。
     なおもうひとつ、生活はモノにしてもサービスにしても多面にわたっていますが、各面相互に関連し合って、めいめい全体的に統一していますが、毎日の食物がその最も重要な根幹です。
     従って、これをつとめて手作りでまかなっておれば、その心がけがしぜんと生活各面に波及してきます。
     であれば、そこは積極的に心がけて、たとえば衣服や調度品その他広く生活用品をつとめて手作りでまかない、また、家庭とりわけ子どもの看護や学習や遊びなどにも、つとめて身をもってあたることが大切です。
     そうすれば、というよりも、そうして初めて、家族一同、心身ともに健やかに生活していけるようになるのであって、万事市販にたより、また人だのみにしていては、とうていそうはいかないので、この点も稿をあらためてみることにします。

    (51・5・1)


9. 食物はつとめて家庭の手作りで(2)

     友成 左近 

    栄養を十分に安全にまかなうために
     前稿でみたように、毎日の食物はつとめて家庭の手作りでまかなうのは、まず第一に、家族一人一人の健康を念願して、その最も重要な土台である栄養を十分に、それも安全にまかなうためであって、市販の加工食品とりわけ既製食品に依存すればするほど、さしづめ安全面でそれがますます困難になり、また栄養面でも同様であるからです。

    安全面について
     加工食品とりわけ最終の調理段階にまで及んでいる既成食品が最近目立って多くなったのは、加工技術が進歩したからですが、そこで重大な問題点は、殺菌剤、カビどめ、酸化防止剤などの保存料をはじめ、着色料、甘味料、香料その他各種各様の食品添加物を新たに開発もして使用するようになったことです。
     というのは、こうした添加物は殆んどすべて化学製品であって、本来の食物ではなく、いずれも程度の差こそあれ健康に有害有毒であるからです。従ってこの使用は、行政当局がそれ相当の調査研究に基づいて、一定の使用規準のもとに許可しているわけです。けれども、この調査研究が不十分であるうえに、その評価に(業者の圧力をうけて)間違いがあって、(この道の専門家や市民の突き上げによって)いったん許可したものをつぎつぎと禁止していることは周知の通りです。

     そしてこの禁止は、その中毒作用によって肝臓、腎臓、神経その他に厄介な病気にかかった人が多数あらわれたからである場合が少なくないのです。従って、現在許可しているもののうちにも、すでに有害有毒と究明されて、外国では禁止しているものが数多く、また今後の研究で、なお数多くのものが有害有毒と究明されると推測しなければならないわけです。
     また、今後新たに開発されるものも同様の経過をたどるかも知れません。ために、加工食品とりわけ既製食品は、たとえ規準通りに使用していても(実状これは信頼しかねる場合が多いのですが)、決して安全なものではなく、程度の差こそあれ危険なものばかりです。そのうえ、加工に使った危険な薬品が多少とも残留あるいは混入している場合や、包装用器中の危険な成分が溶け込んでいる場合もあるので、なおさらです。それに最近の原材料には、殆んどすべて程度の差こそあれ、栽培や飼育や保存に使った農薬その他の危険な薬品が残留しており、また、そのうえ公害物質に汚染している場合もあります。

     従って、とくに既製食品には、危険な薬品がいったいどれだけ含まれているのか、その種類も数量も測り知れないのが実状です。ために、たとえ一つ一つには許容量以下であっても、数多く取り合わせて食べたら、ずいぶんと多量になるわけであって、それはたとえば、ゴミのないような部屋でも、はきよせたら意外と多量のゴミがでるようなものです。しかも、こうした有害有毒物は体内に蓄積して、そのうえ互いに相乗して、より強い中毒作用を及ぼす場合が多いのです。
     そして、この中毒作用をより強くうけるのが成長期の子どもです。といって、この作用は実状ごく慢性であるため、すぐには気づかないのですが(ために、とかく不注意になりやすいのですが)、気づいたときには、かなり進行していて、その快復が容易でないのです。
     そこで毎日の食物は、まずもって安全上、加工食品わけても既製食品は極力さけて、つとめて原材料を買い入れて家庭で安全に調理すること、そして原材料も(それ相当に加工したものは格別)よく吟味して、実状できるだけ安全なものを選択すること、とくに子どもの間食には、とかく既製食品が多くなりやすいので、この点とくと注意することが肝要(以下3月号)


10. 食物はつとめて家庭の手作りで(3)

     友成 左近 

    愛情がより深く培われ生活に喜びが増し加わる
     毎日の食物はつとめて家庭の手作りでまかなうのは前稿でみたように、一家の主婦をはじめ家族一同、互いに健康を念願して、その最も重要な土台である栄養を十分に、それも安全にはかるためです。が、日々こうつとめていくには、それ相当に手数がかかり、ために、それだけ他にしたいことができなくなります。
     けれども、この意義をよく理解して、あえてこうつとめていると、念願通りに家族一同よりいっそう健康になるだけでなく、その派生効果として、この健康と共に人生なにより大切な愛情がより深く培われて、日々の生活に喜びが増し加わってきます。
     とはいっても、ほかならぬ人間のこと、とかく市販の既製食品の便利にかまけて、ついこれを厭い、ために、他になにか愛情が培われもし、生活に喜びが起こりもすることはないかと、あれこれ空しく探し求めることがあるのが実情です。であれば、そこはおよそつぎのように分別して、この厭う心にうちかちたいものです。

    愛情が培われるのは
     人々だれでも家庭生活を営んでいる限り、互いに仕合わせを念願していますが、(この心情は、家族のきずなとして家庭生活の最も重要な基盤であって、身体面の健康と共に人生なにより大切な愛情です。が、この愛情は、ナマミの健康と同様に、常なきヒトのココロであれば、もろいところがあるので、だれしも、ことある毎に強かれ深かれと願い求めています。
     けれども、ただ願い求めるだけでは詮なきことであり、また、愛情とはどんなものか、より深く培うには、どうしたらよいかと、アタマでよく理解しても、ただそれだけではどうにもなりません。そこに肝要なことは、もともと互いに仕合わせを念願する愛情をいだいているので、その仕合わせには真実どんなものごとが必要なのか分別して、みずから実際にかなえていくことであって、そうしていく間に、タマゴとニワトリのように互いに因となり果となって、しだいにより深く培われてくるのです。
     そこで、家族互いに健康を念願して毎日の食物はつとめて家庭の手作りでまかなっていると、他のなにごとにもまして愛情がより深く培われてくるのです。というのは、仕合わせに他のなにごとにもまして重要なのが健康であり、この健康の最も重要な土台である栄養をまかなうのが毎日の食物であるからです。そして前稿でみたように、時流に従って市販の加工食品、とりわけ最終の調理段階にまで及んでいる既製食品に依存すればするほど、この栄養を十分に、それも安全にまかなうことがますます困難になるからです。
     なお、このほか毎日の食物には、栄養もさることながら、味わいなどの好みに個人差が著しく、この好みには格別執着するのが実情であって、この点も、市販の既製食品は画一であるため、これに依存していては、どんなにカネをかけても、とうていうまくみたすことができず、家庭で心をこめた手作りの味、いうなれば「女房の味」「おふくろの味」であることが大切です。
     また、愛情は本来高度に人格的なものであって、たとえば手紙や電話よりも直接会って話し合う方がはるかに深く親愛の情が通じるように、毎日の食物も、市販の既製食品に依存していては、どんなにご馳走でも、家庭で心をこめた手作りのようには親愛の情が通じ合いません。家族のきずなとしては、古来「同じカマのメシを食って」といわれているように、日々家庭の手作りの食物を共にいただくことが肝要なのです。
     というと、あるいは人によっては、栄養はともかく、好みや親愛の点ではと疑義をいだくかも知れません。が、それはあえていえば、日々心をこめて手作りしていないからであり、従ってまた手作りがヘタであるからであって、この手作りを怠って、はたして家族めいめいの好みをみたし、また深く親愛の情が通じ合っているのでしょうか。他にどんなことに心がけたら、これ以上にと、みずから体験しているのでしょうか。

    毎日の生活に喜びが増し加わってくるのは
     もうひとつ、こうつとめていると、実情とくに手作りに精出す主婦には、毎日の生活に喜びと生きがいが増し加わってきますが、それは、家族一同よりいっそう健康になり、より深く愛情が培われてくるので、それが手作りの労にはねかえってくるからです。
     が、もう一面、人間生活の最大基源は手を広く自由に使うことであって、心の底からの喜びと生きがいは、この手を存分に使って初めて起こってくるからであり、そして毎日の食物が生活の根幹であるからです。
     とはいっても、人によっては、とかくこれを束縛と感じ、あるいは空しく感じて厭い、他に人生の喜びと生きがいを求めている場合があります。そして多くの場合、日々の炊事を極度に省略してカネをかせいで、食物は専ら市販の既製食品に依存し、余暇は「レジャー」に使い、また「三種の神器」などを買いこんでいるようです。が、それはいうなれば、ひとつには前記のような手作りの意義をシカと理解もし体験もしていないからであり、もうひとつには食品その他の企業が、販売拡張や労働者募集のために「文化的な生活」とか「消費は美徳」などといって、巧妙に宣伝していることに迷わされているからです。
     従って、それではたして心の底から喜びと生きがいが増し加わっているかというと、そうとはいいかねる場合が多く、とりわけ人生なにより大切な健康が損なわれ、愛情もまた枯渇している場合や、かせいでもかせいでもカネに追われて貧乏をかこっている場合が少なくないようです。
     そこで、心身ともに健やかに生活していくには、まず第一に毎日の食物は、つとめて家庭の手作りで、心をこめてまかなうことが大切なのであって、これは心身ともに成長期の子どもには格別重要です。子どもの心身に新たに厄介な問題がいろいろ起こっているのは、ひとつにはこの手作りがおろそかにされているからです。(51・5・17)


11. 食物はつとめて家庭の手作りで(3)

     友成 左近 

    栄養面について
     つぎに主として栄養面については、すべて食品は、加工前には各種の成分が(すべてよく調和している良質青野菜以外は不調和ながらも)あれこれとそれ相当量に含まれています。
     が、加工後は、高次になればなるほど精製度が高くなって、それが(実状ミネラルとビタミンの方がより多く)消失して、ますます不調和になっています。

     また、とくに既製食品では殆んどすべて、(栄養上実状有害無益な砂糖その他の甘味品をかなり多量に加えているので、ますます不調和になっています。
     そしてこれは、乳幼児の人工乳や離乳食や間食にはとかく著しいのであって、まだ味覚の発達していないうちに、こんな甘いものを与えると、甘味の感覚が鋭敏に発達して、甘いものでなければ食べない間違った好みが身についてきます。(なお乳児食には、もっとも自然な母乳より甘いものも塩からいものも、栄養上からも好みの発達上からも不的確なのです)。

     さらに既製食品では、多くの場合その原材料が分かりにくいので、成分の劣った代用品や増量剤を加えて、成分も味も名目より著しく劣っており、そのうえ増量剤に有害有毒物が含まれている場合があり、ときには発ガン性の強いカビたピーナッツや黄変米などの危険な材料を使っている場合もあります。
     ために、加工食品とりわけ既製食品に依存すればするほど、栄養がよりいっそう不調和になるわけです。
     それに実状とかく、これを補足する食物(とりわけ良質青野菜)を省略するようにもなるので、なおさらです。
     単身生活で自炊している学生などに(インスタントラーメンなどを重宝して)、毎日ハラ一杯食べているのに栄養失調になって(そのうえ有害有毒物も多量に食べこんで)厄介な病気にかかる場合があるのは、このためです。

     そこで毎日の食物は、栄養上からも既製食品は極力さけて、つとめて原材料を(加工品では粗製品を)買い入れて、調理は家庭ですること、それも、各種の食品を(とくに良質青野菜は必ずそれ相当量)取り合わせて栄養がうまく調和するように、そして成分の損失を最少限にとどめるようにすること、
     また、甘味その他の有害無益な調味は極力ひかえ、添加物などはいっさい使わないことが大切なのです。
     が、こうすると、毎日手数のかかるのもさることながら、人によっては食事がまずくなるかも知れませんが、それはひとつには、食事に重要な好みが間違っているからです。で、これは是正しなければならないわけですが、それには、日々こうした手作りの食物を辛抱して食べ続ける以外に打つ手はないのが好みというものです。

    野菜の手作りについて
     なお原材料も、野菜などのように非農家でも作れるものは、屋敷内外の余地を最大限に活用して自作することが大切です。
     そしてそれには、主としてコマツナ、カキバダイコン、シソなどのように成分が最高に優れた良質青野菜で、しかも坪当たり収量の多いものを作ること、そして成分も味も優れるように、有機質肥料を十分施して、石灰以外の化学肥料は極力使わず、ましてや危険な農薬はいっさい使わずに作って、ほどよい食べごろに取って、つとめて生のまま食べることが大切です。

     良質青野菜は栄養上それ相当量に必要不可欠なのですが、市販ではなにほども手に入らず、それも殆んどすべて危険な農薬が多少とも残留しており、また、見た目はよくても成分も味も劣っているからです。
     そして、ふつう広く趣味と実益をかねてと作っているトマト、キウリ、ナス、ピーマン、シュンキク、レタスなどは成分がケタちがいに劣っているうえに収量も少ないので、せっかく作っても、趣味の点はともかく、栄養上なにほども実効がないからです。
     なお、屋敷の美化といってハナを作っている場合も多いようですが、それはほどほどにして、つとめて広く「ハナよりナッパ」と良質青野菜を作ることが大切です。ハナは市販で間に合うが、良質で安全な青野菜は間に合わないからです。

    (51・5・9)


12. 食物はつとめて家庭の手作りで(4)

    手作りの心がけを生活各面におしすすめて
     これまでみてきたように毎日の食物は、時流に従って加工食品とりわけ既製食品に依存するのは極力さけて、つとめて原材料を買い入れて家庭で調理すること、また原材料も、野菜などのように非農家でも作れるものは、屋敷内外の余地を最大限に活用して自作することが大切です。
     というのは、実状こうつとめなければ、栄養を十分に、それも安全にまかなって、人生なにより大切な健康を保持増進することができないからです。
     が、こうつとめていると、所期通りに健康が増進するだけでなく、その派生効果として、この健康と共に人生なにより大切な愛情が家庭の間により深く培われ、また、とくに手作りの当人には、心の底からの喜びと生きがいが増し加わってきます。
     ところで生活は、モノにしてもサービスにしても多面にわたっていますが、めいめい個性的に、各面互いに関連し作用しあって全体的に統一して、実情その最も重要な根幹になっているのが食事です。
     従って、毎日の食物をつとめて家庭の手作りでまかなっていると、その心がけが生活各面に格別強く波及するので、そこは積極的におしすすめていくことが大切です。

     たとえば衣服は、あげて既製品に依存し、そして使い捨てにすることなく、ふつう家庭の手にかなう限り、材料を買い入れて縫製もし補修もし再生利用もするように、食住その他およそ生活に必要なモノは、つとめて家庭の手作りでまかなうわけです。
     また、病気にかかった場合、あげて病院まかせにすることなく、ふつう家庭で可能な限りの看護には身をもってあたるように、教養、娯楽その他およそ生活に必要なサービスは、万事人だのみにすることなく、実状家庭でできることは、つとめて家庭互いに身をもってあたるわけです。
     こうすれば、それだけ家事の手数がふえるので、あるいは多少ともカネがかせげなくなり、また、時流に従って遊び楽しめなくなるかも知れません。が、生計が実質的に安定もし豊かにもなり、そのうえ、カネでは買えない愛情がなおより深く培われ、また日々の生活に喜びが増し加わって、家庭が名実ともに生活の本拠になってきます。

    子どもには手を正しく上手に使うしつけを
     とはいっても、こうしたことは、なにぶん時流に逆行しているので、こうつとめていくには、その心がけと共に、それ相応に手作りの技能が必要であり、その習得には格別努力しなければなりません。
     が、ここではその工夫は省略して、ただひとこと言い添えておきたいのは、とくに子どもには、日常生活で道具が正しく上手に使えるように、シカと家庭でしつけることが実情格別重要であるということです。
     というのは、たとえば

      • 箸や鉛筆の持ち方や使い方が間違っている、
      • 小刀で鉛筆が削れないとか遊び道具が作れない、
      • ヒモがきちんと結べない、
      • 金槌で釘が打ちこめない、
      • ハサミやホウチョウがうまく使えない、

     というふうに、食事や学習が作業その他およそ日常生活に必要不可欠で、しかも、ごく基本的な道具が正しく上手に使いこなせない子どもが目立って多くなっているからです。
     ゆらい人間は「道具を使う動物」であって、手で道具を使うことが人間個有の生活文化の発達基源です。従って、生活に必要な基本的な道具が正しく上手に使えなければ、それだけ日常生活が不自由になります。そしてこれは、運動神経が発達する子どもの間にしつけなければ、あとでは容易に取り返せないだけでなく、心身全面にわたる正常な発達も阻害されます。

     従って、たとえば小刀を、子どもにもたせると危いからといって、学校からも家庭からも取り上げて、代わりに鉛筆削り機を備え付けるといったことは、機械文明と消費経済に禍わいされた、まことに愚かなことです。
     この小刀について大切なことは、子どもが使いこなしやすい性状のものをもたせて、鉛筆削りであれ遊び道具作りであれ、正しく上手に使えるように、そして安全に保管するようにしつけることです。
     そしてその間、小さなケガは何度かするでしょうが、その体験から後々大きなケガをしないコツを学ぶので、そこをシカとしつけることです。

     こうしたことは生活各面にわたって同様であって、およそ日常生活に必要な道具とりわけ基本的な道具は、子どもの間に正しく上手に使いこなせるようにしつけることが肝要なのです。
     そうして初めて、心身ともども正常に発達し、とりわけ自然の理法と対処の仕方を身をもって学習し、また、みずからモノを作る喜びを味わって、明るく生き生きと成長していくのです。
     なお念のため、とくに女の子どもには、実情そのうち一家の主婦になって炊事をあずかるので、年令に応じて炊事を手伝わせること、そしてその間、とくにその基本的な動作と、本当に身につく料理の味わいを体得させることが大切であって、これは女の子の家庭教育で最も重要な課題です。
    −おわり−
     

    (51・5・25)


13. おふくろの味とママの味

     医学博士 遠藤 仁郎 

     いまや、都市も農山漁村もなく、日本国中が不健康となり、成人病をはじめ、難病・奇病になやまされている。
     経済的にはゆとりができ、衛生施設、福祉制度はしだいに完備してきているというのに、これはまた、なんとしたことか。
     その、もっとも大きい原因は、あまりにも不自然不合理な日常生活、はげしい生存競争によるストレスの連続、何もかも便利になって、運動や鍛錬にふそくしていることにもよろう。
     けれども、なかでも重大なのは、まちがいだらけの食であり、それは、わかりやすく、おふくろの味がママの味にかわったため、と表現してもよいのではなかろうか。

      おふくろの味
       おふくろの時代のわが国は貧しかった。
       そして、欧米先進国を目標に、国をあげて懸命に働きつづけ、乏しい質素な、勿体ない精神にあふれた生活にあけくれしていた。
       そのころの食べものは、決して栄養的に完全ではなかったかも知れないが、からだはよく動かした。
       そして、少なくとも、すべて安全な自然食品ばかりだった。
       純白米を食べていた都会はともかく、田舎の主食は搗きの悪い米か、麦をうんと入れた飯だった。
       動物食品はごく少なく、精々小魚か、放し飼いの鶏肉や卵。
       たまに食べる牛肉は、屠殺するまで働かしていた老牛の、かたい肉だった。
       それに、野菜・山菜・海藻をしっかりそえ、季節季節のシュンのものが好まれた。
       砂糖はせいぜい白下か黄ざら。
       塩は天然塩。
       ダシには昆布、椎茸、ダシジャコ、カツオブシ。
       そして、すべて、手づくり。
       おふくろは、これを、里の母から、嫁ぎさきの姑から、それぞれの家のしきたりとして受け継いだ。
       栄養学の知識はなかったろうが、それだからこそ、かえって、ながい経験がおしえた、伝統的な味が守られたのでもあろう。
       また、こどもたちのしつけはきびしく、決して、あまやかしたり、機嫌をとるなどといったことはなく、いちづに、丈夫な、根性のある、たくましい日本人にそだてあげようと心がけた。
       このおふくろの味、ふるさとの味、日本古来の、固有の、心のこもった手づくりの味こそが、健康日本の礎であり、近代日本発展の原動力ともなった。

      ママの味
       それが、いまは、国は富み、庶民のふところもうるおって来、食糧は豊富。世界中の美味珍味が、いつでも、どこでも。しかも、自らの手をわずらわすこともなく楽しめるという、結構な世の中になっている。
       しかし、食品そのものは、姿こそ昔のままでも、質的に劣ってきており、有害有毒にさえなっていることは、農産物がすべて化学肥料・農薬に依存しているばかりか、世界中にエネルギー危機のさけばれているさなか、莫大な石油を消費してまで、時節はずれのトマトやキウリ、スイカやブドウを栽培していること一つをみても明らかであろう。
       畜・水産物また同様。加工食品ともなれば、さらに各種の添加物によって汚染されているなど、危険な食品は巷に氾濫し、安心して食べられるものは何一つない。
       学校や料理教室でのなまじっかな栄養知識と、あくどいマスコミの宣伝のままに、皮相な欧米模倣にはしり、肉類、卵、乳製品、精製穀にかたより、糖、脂、塩、香辛料、化学調味料でコッテリ味つけした、しかし栄養的にははなはだしく不完全な贅美食。
       しかも、料理屋、仕出し屋、給食センターあり、インスタント食ありで、手づくりの料理はしだいに影をひそめてしまった。
       この、金さえあれば間に合う人まかせの、出来あいの、欠陥食を、ママの味と私はあえていいたい。
       そのうえ、こどもの人権は不当に尊重され、きびしいしつけなど思いもよらず、ひたすら機嫌をうかがい、うまいもの、うまい菓子の食い放題を許している。
       こうした栄養のまちがい。運動や、鍛錬の不足とイライラつづきの日常こそが、長足に進歩した医学にもかかわらず、成人病はじめ、難病・奇病の多発している本当の原因ではないだろうか。
       このままでは、やがて、わが国は滅亡の運命をたどるほかなかろう。
       なんとか、このあたりで大反省し、健康的なおふくろの味、手づくりの味にかえられないものか。
      (52・4)


14. 健康と病気の分れ道(1)

    東京都 R.T. 

     健康にとって食生活がどんなに大切であるか。この問題について、私は及ばず乍ら遠藤先生の教えを20年以上守るべく努力してきたつもりであります。
     然し具体的なことは紙上で繰返し拝見していますので、今更ここで触れる必要はありません。
     また、門外漢の私が健康の問題を論議する資格はありませんが、それでも普段考えていることを若干申し述べて見たいと思います。何故なれば、素人の意見にはそれなりに共感が得られるかも知れませんし、これがきっかけとなって、先生永年の御主張に共鳴される人が一人でも多からんことを願うからであります。

     戦前には瘻々人生50年という言葉を聞かされ、これが日本人の平均寿命として一般に通用していました。それでは更にその前の時代には、人は一体何才位まで生きていたものか誰でも気になるところです。
     勿論幕府が統計を取っていた訳ではありませんから、正確なことはあまり解りません。然し或学者が寺の過去帳を調べた報告によりますと、江戸後期百年間の平均寿命は29才足らずになっているそうです。
     明治政府による我国最初の統計表では、これが43才位まで延びています。
     特に前者は乳幼児の死亡率が70パーセント以上という異常に高かったためで、実際に成人した人の平均死亡年齢は60才以上であることが明かにされています。
     また別の記録によれば、江戸時代でも80才以上の高齢者が多かったようですから、元気な人は案外長寿を全うしていたことが解ります。
     医学の進歩が乳幼児の死亡率を驚異的に引下げ、また成人に対する医療技術も著しく向上したことは明白な事実であります。これが現在日本人の平均寿命を男子71才以上、女子77才以上まで押し上げて、世界最高水準にもって来た原因でありましょう。
     これらの点を考え合せますと、恐らく適切な食生活の上で病気さえ克服できれば、大部分の人が容易に天寿を全うできるようになるかも知れません。
     コーカサス地方では75才以上になって初めて老年と呼ばれるそうで、百才を越える人が特に多いことで世界的に有名であります。気候温暖な山間に位置し、空気は澄み、水はきれいで、ピーマン、トマトや生野菜が豊かに育ち、新鮮な葡萄その他の果物に恵まれ、馬肉、羊肉や乳製品に、小麦粉とトウモロコシをイースト菌で発酵させてつくった黒パンを常食にしているそうです。
     全く自然的な食習慣の中で、先生が普段言われている適切な栄養素のバランスが保持されているためであり、また生活環境が味方して、有害物質の影響を受けないために、人間の老化が遅らせられていると考える他ないでしょう。
     これこそ人間にとって理想的な自然生活の姿ではないでしょうか。これに比べて我々が現在享受している文化生活を見ますと、氾濫する加工食品に取り囲まれて、慾望の赴くまま、間違った選択によって、食物の合理的な組合せは少しも考えられていないように思われます。
     言い換えますと人間本来の生活態度を完全に見失っていると言ってもよいでしょう。従ってたとえ平均寿命が延びても、一方では成人病の増加に苦しみ乍ら、すべてを医学の進歩にかけて夢を追い続けているのが現代人の姿であります。
     勿論医学を否定する気持は微塵もありませんが、病気にかからない事前対策こそ先決問題でありまして、予防医学の重要性に目覚め、調和のある食習慣の立ち直しに期待すべきではないでしょうか。

    (電制工業K.K.代表取締役)


15. 健康と病気の分れ道(2)

    東京都 R.T. 

     人間の健康が毎日取入れている食物により支えられている点については、誰も異論はない筈であります。
     生理上必要な栄養素が過不足なく体内に吸収され、またこれが完全に消費されるという循環作用こそ、健康を維持するための基本原則と思われます。
     栄養素が澱粉、蛋白、脂肪の主成分のほかに、ビタミン、カルシウム、燐、鉄等の微量成分から成ることは現代の常識であります。これらがバランスよく吸収されて始めて、調和のある循環作用が維持できる訳であります。
     然し我々素人にとっては、このバランスと言う言葉が曲物で、その実体をつかむことは極めて困難であります。
     人によっても栄養素の種類についても、吸収能力に個人差があるでしょうから、一般の人が食生活の中で、この問題を完全に解決することは至難と言わねばなりません。
     この点からすれば、人間にとって疾病とは宿命的な関係にあるように思われますが、少なくとも間違った食習慣を反省して、胃袋に入って行く物の量よりも寧ろ質には特別注意せねばならないでしょう。
     食物というものは原始時代から、人々の生活環境の中で、経験的に作り出されたものと思われます。最初は空腹解消のために、身近かな植物や小動物を本能的に口にしていた時代があったかも知れません。またその中に含まれている毒に苦しめられたり、死亡するという経験を積重ね乍ら、食べられる種類を見分ける知識を備え、人間相互間の交流範囲が広がるに従って、共通的な可食物の種類が出来上って来たのでしょう。即ち食物というものは、先代の犠牲の上で築かれたものでありますが、人為的に食糧が生産される時代に入ると、環境相異のために、世界の人類ははっきりとした二つの形態で、農耕民族と牧畜民族とに分れて来ました。牧畜の伝統は西欧人の中に定着して、西洋では有名なミレーの羊飼の少女等のような名画が多く、マザーグースの童謡ような牧童の言い伝えが現在も大衆の心に生きています。
     平地が少なく山の多い日本に住みついた我々の先祖は、洪水、台風、冷害、旱魃の気象災害や火山の噴火に悩まされ乍ら、農作物の不足を野草や海草まで利用して生きて来たに違いありません。
     縄文土器の中からは炭化物や化石として四季折々の植物が発見されています。
     また日本人が利用する食品の種類は、他民族に比べて幅広い点が一つの特徴であるとも言われています。
     然も乾燥、塩漬による保存食品の他に、有害成分を除くアク抜きの技術まで考え出しています。
     現在でも地方によって幾らか異なった食習慣が残っているのは、その伝統を引いているためではないでしょうか。
     草食人種である日本人の腸が西洋人に比べて何割か長いという特徴も、長年月の間に体質の中に残された、食物に対する適応の後と見受けられます。
     長い間引継がれて来た食習慣も、現在では科学の進歩や国民経済の充実により、また世界的な交易拡大と相まって、自然災害から容易に免れられるようになったため、急速に失われて来ました。
     そして世界的な食文化の統合という傾向が強くなりつつあります。
     質的にも量的にも食品の選択が自由になったため、かえってその利用方法を誤り、これが現代人の健康を害している原因になっていることを否定できません。
     また環境公害や食品添加物による食品公害は益々これを助長していると言わねばならないでしょう。
     従って今こそ健康維持のための原則に立ち帰って、食品知識を高め、バランスのとれた栄養補給に努めることにより、この問題を解決してゆかねばならないことが痛感されます。


16. 健康と病気の分れ道(3)

    東京都 R.T. 

     人が取り入れる食物は、水分と共に口の中で破砕され、唾液を加えて胃に送られ、更に胃液が追加され、3時間以内には小腸まで送り出されます。
     ここでは膵液、胆汁、腸液から成るビタミンその他の消化液の作用で、澱粉は葡萄糖に、蛋白はアミノ酸に、脂肪はグリセリンと脂肪酸に分解され、水分に伴われて腸壁から吸収されます。
     毎日分泌される消化液は予想外に大きな量で、略々唾液が1リットル、胃液が2乃至3リットル、胆汁並に膵液が1リットルと言われています。
     これ程大量のものを消化吸収するため、小腸内壁には沢山の凹凸があって、これを平面に引延ばすと百畳敷位の面積になるそうです。
     日本人がとる食物の特長は繊維分が多いために、排泄物の量は欧米人の2倍が普通とのことであります。
     元来人の臓器は食物の中から必要な栄養素を吸収し、過剰なものは選択的に排泄処理される機能を備えていますが、その能力にも当然限界がある筈です。
     勿論食品中の有害成分についても、たとえ添加物や人為的に導入された残留農薬等がないとしても、自然食品中の有害成分を選択排除する作用があると思われます。
     最近国立ガンセンターの研究から、自然界の殆んどの植物に可成り多量のフラボン誘導体というフルーツのカビ防止剤と同じ成分が発見されて問題になっています。
     従って食品から有害物質を完全に駆逐することは不可能であります。
     要するにこれらを臓器の選択能力の限界内に止めるために、なるべく混食に心掛けてバランスを取り乍ら、その影響を少なくすることが必要ではないでしょうか。
     根強い自然食信仰は世界的な傾向のようで、米国のスーパーではフランス産の天然ミネラルウォータがブームを呼んでいると聞いています。
     然し天然の地下水でもすべて安全とは言えない訳で、現在九州の地熱発電所で汲上げられている熱水には、最も危険な砒素が発見されて放流することができず、わざわざこれを地中深く返して公害を防ぐ方法を講じています。
     また数億円の工費を見込んだ脱砒素プラントを開発して、熱水の熱量を熱交換器を通じて温泉に移し、これを利用しようとしています。
     このように天然物質でさえ有害成分の選択が必要であるのに様々な添加物が人為的に食品に加えられたり更に洗剤、農薬、殺虫剤等の残留成分が人体に流れ込むことを考えますと疾病の危険はもはや容易に避けられないような気がいたします。
     一度病気にかかれば勿論医療の力を借りて、これを恢復せねばなりませんが、治療に欠かせない投薬がまた副作用という機能障害を伴う危険があります。生体の機能を一方的に食物だけで論ずることは間違いであるかも知れません。
     実際にはその時々の体の状態や、生活環境例えば空気や日光、運動等が大きく生理作用を支配するものと思われます。
     この点で北九州折尾に開設される産業医科大学の教育方針は大いに注目すべきではないでしょうか。
     労働行政の面から新しい産業医の養成を目的にしていますが、臨床医学の上に、労働衛生、生態学、人間工学等を幅広く取り入れて、治療だけに片寄らない福祉対策のための予防医学に重点が置かれています。
     現状では環境公害を完全に取除くことは不可能でありますが、少なくとも環境因子と人間の健康との関係が追求されてゆく中から、予防医学の思想が力強く芽生えて来ることが期待できるからであります。


17. あぶら濃いもの

     医学博士 遠藤 仁郎 

     あぶら濃い料理は、たしかにうまい。いまや、日本国中が、その味に憑かれてしまっている、といってもよかろう。文明の尺度のようにさえいわれている肉食。だが、こいつ、実は、はなはだ不完全な欠陥食品であるうえ、安全性にも問題が多い。
     そして、欧米文明国に多い(わが国にもしだいにふえつつある)、いわゆる文明病――高血圧、動脈硬化(心筋梗塞、脳血栓、おそらくパアキンソン病、パージャー病なども)、糖尿病、痛風、結石症(胆石、腎石)、癌などの原因とされている。

    なぜか
     それは、ただ脂濃いものがすぎるだけではなく、同時に、酒、コーヒー、菓子、タバコや薬品類の乱用。あるいは、運動の不足、精神的ストレスの多い、あまりにも不自然・不合理な日常生活における諸因子によるものであろう。
     けれども、もっとも関係のふかいのは食のみだれ。
     すなわち、脂ぎった肥肉、卵・乳製品を主とし、糖・塩・香辛料・化学調味料でコッテリ味つけされた贅美食の飽食。
     蛋白質・カロリーにとむ酸性食品ばかりが多く、ビタミンやアルカリ・カルシウム等ミネラルも不足がち、というはなはだしく不完全な欠陥栄養になっており、あまつさえ、有害有毒食品も少なくない。
     ために、代謝は不完全となり、血のにごりをまねくことになっているからであろう。

    米女史宅の夕食
     ところで、こういうレストランの洋食しか知らない私どもは、なるほどこれが欧米人の常食か、と思っているわけだが、じっさい、欧米の一般家庭でもああいうものばかり食べているのだろうか。
     たった一度だけの経験だが、結婚して間もない頃、家内のピアノの先生(米女史)宅の夕食に招かれたことがある。
     脂濃い肉や卵・乳製品ももちろんあったが、意外に、そう多くはなく、あとは野菜ばかり。しかも、ナッパが大きな皿に山もり出されたのには(まだ、ナッパの効用を知らない、まえのことではあり)すっかりタマげたものだ。
     この先生、たしか90すぎまで長命された、と聞いているが、これでみると、欧米でも、心ある人は、決して脂濃いものばかり食っているのではなく、かならず野菜、ことにナッパをうんとそえていることを知るべきだし、これは、私どもの緑葉食の理論とも、まったく一致している。

    どうしても食べたければ
     だから、どうしても、脂濃いものが食べたければ、あるいは、それなしにはすまない人は、肥肉をやせ肉にしたり、鳥・魚介にかえ、卵や乳製品をへらし、動物脂肪を植物脂肪にすること、また、砂糖・酒・コーヒーをひかえることも、無駄ではあるまい。
     けれども、同時に、なるべく安全食品をえらぶことと、良質ナッパを主とする野菜・山菜・海藻・果物を十分そえ、贅美食に不足がちなアルカリ・カルシウムその他のミネラルやビタミン類を補い、全体としてのバランスをとることを忘れてはなるまい。

    (52・12)


18. イモ・マメ・ナッパ・青汁食が最適

     医学博士 遠藤 仁郎 

     「青汁のことは、10年も前から知っており、私は4〜5年来、粉末をのんでおりました。
     さいきん、2週間前から夫(カナダ人)がのみはじめました。
     夫は、骨の老化、リウマチ、関節・筋肉炎、交通事故の後遺症があり、さらに肉食主体のためと、甘い菓子、コーヒー・茶への大量の砂糖使用などにより、すっかり、体の自然のシステムを破壊されており、よく肥り、方々の筋肉痛・関節痛、特に肩や首のコリに悩まされておりました。
     それが、この2週間で、大きかったお腹は半分くらいになり、全身の痛みやコリが、すっかりとれてしまいました。
     そして、5年ちかくの間、化学薬品やその他いろいろ療法を試みておりましたが、これほどの効果は、ほかにはなかった、とよろこんでおります。
     今後も続けてのみ、私たちの体験をもとに、カナダの人々にも、これほどよいものはないことを、good newsとしてお知らせしてゆきたいと思っています。」

     この手紙は、バンクーバーのスチンソン夫人からのものです。
     スチンソンさんのこの食べ方は、まさに西欧食の典型。
     そして、野菜・果物、ことにナッパなどは、おそらく、あまり食べてないのだろうと思われます。
     こういう食事――カロリー、蛋白質ばかりが多くて、これに釣り合わねばならぬアルカリ・ミネラル・ビタミンの甚しく不足した――では、血のにごりがつよくて、骨の老化がはやめられ、リウマチや関節炎・筋炎がおこりやすく、コリも来やすいのです。
     また、よく肥えていられるようですから、多分、血液のコレステロールや脂肪がふえており、心筋梗塞の危険も大きい方にちがいないでしょう。
     こういうばあいこそ、野菜とくに良質ナッパが、もっとも必要なので、粉末青汁がよくきいたのも、もっともなことといってよいでしょう。
     そこで、スチンソンさんにおすすめしたいことは、まず、肉食をへらすこと。
     ことに脂肪のつよい牛や豚などの肥肉や乳製品をさけ、せいぜい鶏肉や魚の少量、あるいは、むしろ豆類・ナッツ類にすること。
     穀物はイモ類にかえること。
     そして、アルカリやミネラル・ビタミンにとんだ野菜・果物、とくに、良質ナッパを十分そえ、青汁ものむこと。
     調理は簡単、調味はうすく。
     なるべく自然のままか自然にちかいかたちで食べること。
     菓子をやめ、果物にし、コーヒ・茶の砂糖も極力へらすこと。
     こうして、イモ・マメ・ナッパ・青汁といった、よくバランスがとれ、アルカリ・ミネラル・ビタミンに十分の余裕のある食事に徹底されるならば、体調は好転、いろいろの苦痛も、やがて、しだいにうすらいでゆくにちがいない、と私はかんがえています。
    (53・10)


19. 低カロリー食に免疫学的延命効果

    ヒトでは新生児期からの管理が必要
     ニューヨーク発−Sloan Kettering記念癌センター(ニューヨーク)所長、Dr.Robert A.Goodによると、低カロリー食は免疫を高め、癌や加齢による疾病を防ぎ、寿命を延長するという。
     過去10年間、Dr,Goodらはラッテ、マウス、モルモット、サルでカロリーの問題を広範囲に検討したが、どの実験の結果もすべて同じ答えを示した。
     そこでこれはきわめて一般的なもので、おそらくヒトにも当てはまるだろうという。
     食事中の脂肪とカロリーを少なくすると、高脂肪、高カロリー食を与えられている動物より自己免疫がはるかに低下し、寿命が著しく延長した。

    短命マウスで実験
     これらの実験の多くは、3年から3年半生存する長寿のマウスではなく、生存期間がわずか5〜7か月の短命のマウスを用いて行なった。
     この短命のマウスは糖尿病、心血管系疾患、腎疾患、悪性腫瘍になりやすい。

     「すべての老化による疾患を生じやすい短命のマウスでも、それらの疾患にきわめて抵抗力の強い長命のマウスと同じだけ長く生存させることができる。
     制限食を与えた動物は老化による免疫機能の低下を生じず、免疫系の組織を維持することができた」

     と、DR,Goodは述べている。
     離乳期からカロリーを制限すると寿命が2倍に延び、時には3倍にもなり、通常なら5〜7か月で死亡するのに3年間も生存していた。
     カロリーを増すと、これらのマウスはもっと早く死亡した。
     これらの実験の結果は、現在肥満しているものにも当てはまる、とDr.Goodはいう。
     しかし、離乳期から低カロリー食をとらせたときほど完全にはいかない。
     ヒトですぐれた食事の管理を行なうには、新生児期、つまり母乳を与えている期間中からすぐはじめなければならない。

    悪性腫瘍に対する抵抗力増す
     Dr.Goodの実験では、短命のマウスは悪性腫瘍に対する抵抗力も増すことが明らかにされた。
     「これらのマウスでは腫瘍の発生率を子持ちの雌では90%から、処女では60〜80%から0に低下させ、完全に腫瘍を防ぐことができた。
     カロリーを減らせば、ウイルスによって生じる遺伝性疾患を著しく減少することができる。
     これらのマウスで判明したことは、どれも直接ヒトに当てはまる。
     食事の扱い方ひとつで免疫機能を著しく変えることができる」
     と博士は主張する。
     極度に体重過剰の女性は、正常体重の女性より子宮内膜癌の発生率が8〜10倍高いことはすでに周知の事実だ、と博士は指摘している。
    (メジカル・トリブューン 80・4・10)


20. 正月カゼ

     くれになると、いろいろいただきものがあり、中にはおいしいお菓子もある。
     平素ほとんど食べていないのと、元来、口いやしいたちなので、目のまえに見ると、つい手が出る。
     青汁は毎日3合(もとのナッパ750グラム)のみ、三度の食事にもなるべくナッパを多くしているから、1日およそ1キロくらいは食べているので、かなりの余裕がある筈だと、時にハメをはずすこともあるが、とくに変ったことはおこらない。
     が、正月ちかくなると、しだいにうまいものがふえ、それだけ野菜がへってくる。
     主食も米の飯が多くなりモチも食べる。年があけると年賀の客。孫たちもやってくる。屠蘇だ、雑煮だと、いつも腹いっぱい食べ、やせっぽちの体重も2〜3キロはふえて来た。
     そこへ、5日までは青汁の配達も休み。
     そこで、まずあらわれたのが便通の不調。ついで、歯の根のかるい痛みと、太ももの神経痛様の痛み。この調子だと何かやるぞと気にはしていたが、暖冬のせいか、どうということもなかった。孫たちが帰り、家内と二人きりになったが、お節料理がずいぶん残っており、悪食がちの日がつづく。
     久しぶりの寒波のやって来た5日、所用でカゼのはやっている町へ下りたが、その夜クシャミが出た。
     6日、青汁は来だしたが、朝からしきりにハナ水が出、夕方にはノドが少しヘンになった。
     奥へ入れてしまっては大変と、早く床にはいり、頚に手のひらをあてて寝た。
     翌7日、七草粥から、いつものナッパ主体の食事になるとともにハナもノドももとにもどった。

    (55・1)


21. いい加減な食生活だった

    岡山県 H.N. 

     47才の農家の主婦でございます。
     17年位前に怪我で腎臓が片方になり、その後バセドウ病になりました。
     薬は飲んでいません。
     今はリウマチと慢性肝炎で病院に行っています。
     倉敷にいる姉にすすめられて、12月の末頃から青汁を1合位ずつ飲んでいます。
     痛みもしびれも今はそう感じません。
     筋が痛いという程でもないのですがだるいという感じがし、腕が冷えます。
     今までは栄養のバランスなど考えずに、いい加減な食生活でした。
     これからはイモ・豆・生野菜を沢山食べるように心がけていきます。
     去年まで、冬になると手がしもやけて困っていましたが、この冬はまだ何ともありません。
     青汁を飲みだしたからだろうと嬉しくなり、田舎なので、目を開けて野や山を見れば、栄養になる草などいたる所にころがっているようで、今までなんともったいないことをしていたのだろうと思います。
     頬には赤みが出来てき、今日はどんな顔をしているだろうと、楽しみにして鏡を見ます。
     ストーブなど少しあたってもいつまでも頬がホカホカしています。
     先生の本に体が暖まると書いてありましたが本当です。
     有難うございました。


22. 健康のための食生活

     日本人の食生活は現在すでに満足すべき水準にある―

     昨年10月農政審議会の答申(80年代の農政の基本方向)は、こう宣言した。
     戦後一貫して食生活の改善は、すなわち食生活の洋風化であるとされ、その方向で日本人の食生活は年々豊かさを増してきたが、半面それに伴って成人病も著しくふえてきた。
     日本民族の健康という観点からみて、もうそろそろこの辺で洋風化をストップした方がよいというわけである。
     米国でも上院の栄養問題特別委員会が、1975年から77年まで2年間にわたり、世界中の医学の権威や研究機関の頭脳を動員して食事と健康の関係を徹底的に調べたが、その結果、明らかになったことは、心臓病やガンや糖尿病などの現代の多くの病気がすべて先進国的な食事を原因とするものであって、その意味では現在の米国の食生活が全く不自然で間違ったものになっているという、米国人にとってショッキングな結論であった。
     そしてこの委員会のレポートは、現在の食事から即刻、動物食を減らしてでんぷん質をふやすべきであるとし、脂肪30%(うち動物質10%)、タンパク12%、炭水化物58%を摂取目標(カロリーベース)として国民に訴えた。
     ところがこの目標とされた栄養バランスの状態に、実は米を主食とする現在のわが国の食生活の内容が位置しているのである。
     先の特別委はもちろん日本人の食生活をも研究したものであって、今では日本人の食生活がむしろ欧米人のお手本となるに至っているのである。
     今、米国では日本食ブームが静かに広がっている。
     昨年、共同通信調査センターが米国で行ったアンケート調査によれば、調査した米国人の9割以上が「日本料理は健康にいい」としており、具体的には「太りすぎ防止になる」(78%)という回答が多く、特に女性が美容と健康の両方によいと答えている。
     東京教育大の杉靖三郎名誉教授も最近本紙で次のように警告された。
     「よくいわれている“御飯を少なく、おかず(肉、魚)を多くとれ”というのは、健康に悪く、成人病の発生に手を貸すことにもなりかねない「(日本人の健康増進食事法)」
     私たちは、私たち“日本人”の食生活というものに、もっと自信を持ってよいのである。
     ナウなのはむしろ日本食なのである。(松岡尚一)

    (56・4・17 山陽)


23. 88才の栄養学者 川島博士の食生活

    ◇煮干しやコンブ常備
     東京・代々木。国電の駅から2分のビル内に、川島博士が主宰する食糧産業研究所があります。
     現れた川島博士は、北京原人と同じ背丈と本人がおっしゃる157センチ、小柄ながら引きしまった体つき、ゴマ塩頭、柔和なその目は老眼鏡なしでコンサイス英和辞典を読むというからオドロキです。

     「大学の健康診断で、他の壮年教授が50〜60点。ぼくは98点。あんまり異常ナシだからシラガで2点減点したんだって」
     話しながら川島博士は、そばのボール箱をとって「どうぞ」。
     見れば、上等の煮干し(カタクチイワシ)、デビラカレイ、干し貝柱、トロロコンブや3センチ角のコンブが詰めてあります。
     これは自宅にも学校にも常備してあって、おなかがすくとポリポリかじる。
     夜の食事以外は、食べるものはこれがほとんどだそうです。

    ◇祖先が工夫した食事
     「ぼくがなぜ、こんなにカルシウムの必要性を説くか。
     日本が火山国だからです。
     日本の土は火山灰におおわれて有効なカルシウム分が少ない。
     だからその土で育った食べ物や流れる水には、欧州と違って、やはりカルシウム分が極端に少ないのです。
     それを補うように祖先が工夫した小魚、海草中心の日本独特の食事を捨て去って、カルシウムの多い土地に合わせた欧米式の食事をとり入れている。
     日本人の体が弱くなってしまったのは当然なのです」

    ◇食べ方のポイントは
     では、川島博士は、いったい何をどのように食べているのか−。
     まずその基本方針は、
      1. 血液を微アルカリ性にする栄養をとる
      2. 必要な量と質は必ずとる
      3. 必要以上はとらぬこと
      4. 体の自然なリズムに合わせた生活を送る
     この四つ。

     この方針にそって、川島流の食事と生活習慣が培われたといいます。
     そのポイントをあげると−。

      腹がへるまで食べない
       起床は5時。
       すぐ机に向かって仕事する。
       朝食、昼食はとらず、おなかがすけば前述の小魚や海草を適当に食べて終わり。
       夕食は、麦めし、魚のかん詰め、青い野菜の水煮が基本型。
       食事中はみそ汁、お茶など水気のものは一切とらない。
       よくかんで唾液(消化酵素)と混ぜ合わせて食べることが大切だから。

      青野菜を水煮で食べる
       ほうれん草、小松菜、ニンジンの葉、ダイコンの葉・・・緑の色の濃い野菜を選んで、1回なまの目方で400グラムは食べる。
       ビタミンAやC、カルシウムが多いこの青野菜は、たくさん食べてこそ効果がある。
       あきずにたくさん食べるためには、味つけを濃くしてはダメ。
       軽く水煮したのがいい。
       ごはんを毎日あきずに食べられるのは味がないからで、もしこれを五目めしや焼きめしや何とかライスにして三度三度続けたら3日と続かないはず。
       青野菜も同じこと。
       コメの味がわかる人なら、青野菜の水煮も野菜本来の味としておいしく思うはず。

      つとめて生食する
       なまで食べられる野菜は、つとめてなまで食べる。
       ダイコン、ニンジン、ピーマン、パセリ等々。

      木の実は好んで食べる
       誕生日や祝いには、ギンナンめし。
       ギンナンの手に入る間はつとめて食べる。
       生命力のある強アルカリ食だから。

      副食を先にごはんのあとで食べる
       副食だけで食欲をみたされたらごはんは食べない。
       腹八分めを守り、約30分かけてゆっくり食べ、食べたらすぐ横になる。
       寝て早く消化させるためで、胃が消化活動を行っている間は、血液が胃に集まって頭が十分働かないから。もっとも腹いっぱい食べたら苦しくて寝てなんかいられないはず。

    ◇外食、お酒慎んで
     こうした基本原則のほかに、外食はしないこと、外での飲みものは牛乳に限ること、酒、タバコは慎むこと、便通は必ずつけることなど実行しているといいます。
     そして「私の食べ方」の“結び”には、
    「自分の実践している食物、栄養の摂り方についてえらそうな意見を述べたが、神ならぬ身のことだから、いつなん時、どういう病気が出るやも知れない、と自らを戒めており、この謙虚な気持ちをいつも忘れないようにしている」
     とあります。
     これが“川島イズムの栄養学”と、納得いたしました。
    (56・8・25 サンケイ)


24. 休暇でかえってくると

     医学博士 遠藤 仁郎 

     同じような相談が二つつづいた。

    1. 酒屋の息子A君(20才)。もともと湿疹の出やすい体質で、高校まで家から通っている間は、しじゅう出しており、アトピー性皮膚炎といわれていた。いまは名古屋の大学にいっている。

    2. 同じく20才の娘Bさん。京都の大学にいっている。二人とも夏休みでかえってきたときはきれいな肌をしていた。それが、親のすすめで青汁をはじめたところ、A君は、やがて、からだの方々に、また前のアトピー性のような湿疹がでだした。Bさんは、顔に、とくに鼻のあたりが赤いシミのようなものが出だした。で、青汁が悪いのではないか、やめる方がよいか、という相談。

     ○ 

     青汁は、材料やつくり方にまちがいがなければ、いくら飲んでも差支ない筈だ。もっとも、カブレやすい人だと、初めしばらくジンマシンのようなものが出ることはある。
     A君はアトピー体質だというから、あるいはそうかも知れない。しかし、青汁を熱心につづけていればアトピー体質もなおってしまうほどだから、そのせいでもなかろう。
     Bさんはあまり丈夫ではないが、別にそうカブれやすくはない、とのことなのではっきりしない。

     けれども、なにか他に原因があるのではないかという気がしてならない。
     たとえば、学校にいっている間は、そうそう何でも飲み食いはできまいが、家に帰るとうまいものがいくらでもあり、菓子、ジュース、くだもの、またインスタントものなど、自由に食べ飲みできる。
     そこに原因があるのではなかろうか。
     A君はアルバイトに家業を手伝い配達をやっているそうだが、店に帰って来るたびにジュースなどジャンジャン飲んでいるといっているし、以前、家から学校に通っていた当時、よく出していたというのも、そういうことではなかったか。

     Bさんは、菓子やジュースはあまり食べないそうだが、ちょうど出さかりの桃やブドウは大好きだそうだ。
     果物は菓子やジュースよりはよい筈だが問題は農薬。いまでは、ほとんどその汚染をうけていないものはない。
     私など、このシーズンになると、つい食べすぎて、赤いブツブツがあちこちに出る。
     そういうものではないだろうか。
     いずれにしても青汁にトガはない。初めちょっと出ても、やがて出なくなるし、アトピー体質など青汁食に徹底する以外に治しようもないほどだから、折角のみ出した青汁をやめるのは惜しい。
     青汁、青汁と、青汁ばかり責めずに、他の食べもの飲み物にも十分気をつけ、様子をみながらつづけてみるべきではなかろうか。
    (57・8)


25. “荒れる少年”食生活も原因に


    こどもたちが荒れるのは、乱れた食事にも原因が―
     大沢博岩手大学教授(教育心理学)がこのほど、非行と食生活のつながりについて少年院に入っている中学生を面接調査して、こんな結果をまとめた。朝食抜きで、肉好き、野菜ぎらい、そして清涼飲料をガブ飲み―こんな食生活ではカルシウムやビタミンB1が不足し、精神状態が不安定になるという。非行や校内暴力はこれまで家庭のしつけ、教育面から論じられることが多かったが、ちょっと視点を変えたこの研究に、心あたりのお母さんも多いのでは…。

    岩手大教授が警告
     大沢教授が少年の非行と食生活の問題に関心を持ったのは、少年院の面接委員、鑑別所の技官を延べ11年もした体験から。「少年非行はとかく教育や心の面から論じられがちだが、神経生理学的な問題もあるのでは」と昨年10月、東北地方のある少年院の協力で、男子中学生11人に面接した。暴行、傷害、恐喝、窃盗などの事件で収容された生徒で、いずれも警察庁が先月まとめた少年非行の概要で非行率が最高とされた14歳。

    カルシウムやB1不足
     入院直前の家庭での食生活について詳しく話を聞いたが、その結果、全員にほぼ共通していたのは

    1. 清涼飲料など加糖飲料をガブ飲みし、甘い菓子やチップス好き
    2. 朝食抜き
    3. 間食が多く、菓子パンやインスタントラーメンを多食
    4. 副食では肉、肉加工品好きで、野菜は嫌い―
     などだった。
     例えばA君の場合―。
     朝食はなし。空腹時は学校近くの食堂でハンバーグ定食。炭酸飲料やキャラメルの時も。昼は弁当、夜は肉が好きで、週2回ほどはステーキ3人前。間食に清涼飲料1.5?、キャラメル2‐5箱、チョコアイス3個、アイスクリーム。
     他の10人も似た傾向で、大沢教授は「こんな食生活では、カルシウムが欠乏するだけでなく、やはり神経に影響するビタミンB1が不足する。さらに糖分の取り過ぎはB1を消耗してしまう。これらが不足すると、精神が不安定になり、狂暴になるという動物実験があるが、人間にも当てはまるのでは…。子供の食事を預かる母親や教育関係者は、健やかな心は日ごろの食生活からもはぐくまれることに関心を持ってほしい」と話している。(58・8・20 サンケイ)


26. 乱れた食生活 子供の精神を不安定に

     清涼飲料水など加糖飲料をガブ飲みし、甘い菓子を好む。朝食を抜く。間食が多く菓子パンや即席ラーメンを多食する。副食では肉や肉加工品を好み、野菜を嫌う――。子供たちにこうした食生活の傾向が進行しているという。バランスのとれた食事を、とことあるごとに強調されながら、どうしたことか。親の与える食事内容で、子供の食習慣は決まっていく。親が乱れた食生活の本質を見極め、正すことが先決のようだ。日本人は主として魚肉と野菜の取り合わせで生きてきた。
     これを急に変化させては、精神安定にも影響する。とくにカルシウムの欠乏と糖分の取り過ぎは、精神を不安定にするというし、「乱れた食生活が非行の一因」という調査結果を発表した大学教授もいる。この指摘を真剣に受け止めることだろう。

    義務教育で栄養教育を
     米国ミネソタ大学の実験結果や、岩手大・大沢博教授の研究結果によると、非行と栄養は密接な関係があると指摘している。最近、親や先生に対する子供の暴力が大きな社会問題になっているだけにもっと重視すべきだと思う。
     戦時中、日本陸軍の栄養学の最高指導者だった川島四郎博士は「兵食の内容しだいで兵隊を強くすることも、弱くすることも可能だ」と言明していた。正しい食生活が肉体と精神の健康確保に欠かせない重要課題であることは、もはや議論の余地はない。
     教育、保健、食糧、治安の諸問題を解決するため、栄養のバランスのとれた食生活を実践するよう、栄養教育を普及し、徹底すべきだ。大学の教授クラスの栄養学者を動員して、義務教育で栄養教育を必修科目に採用してはどうだろうか。

    (58・11・16 中日)


27. グルメ禍

     医学博士 遠藤 仁郎 

     昭和19年生れの女性から、「こういう病気もちなんですが」と、差出された診断書を見ておどろいた。
     糖尿病、動脉硬化、変形性膝関節炎、頚椎変形性骨症、骨粗鬆症、等々。
     いずれも、ふつう60〜70になって出るものばかり。
     「からだが弱かったものですから、いつも、おいしく炊いた肉や魚や卵といったものばかり食べ、野菜はあまり食べませんでした。甘いものもよく食べました」
     と申されていたが、そのとおりの贅美食による早老現象にそういない。
     しかも、関節や骨の変化が多く、骨粗鬆症さえあらわれていること。
     まさに、栄養のバランスのみだれ、カロリー、蛋白質(酸性食)の過剰、ミネラル・ビタミンことにカルシウムの不足によるもの。
     そして、グルメ生活にウツツをぬかしている、わが国の将来の姿をしめしているものではないだろうか、という気がした。
     さいきん、先輩国アメリカで、“21世紀の女性には骨粗鬆症時代が来るだろう”と警告されている事実を思いあわせ、その感はとくに深い。

    (63・5)


28. 今こそ食生活を見直そう

    千葉県 H.Y. 

     先日の新聞に、小児成人病(糖尿病、高血圧など)が年々増加していること、行政が近くその対策に本格的に取り組むことを報じていた。
     対象年齢を乳幼児にまで広げるというから、由々しい問題である。
     いまは飽食の時代、人生80年時代。
     だが現実には成人病年齢が低下して成人病は急増しており、働き盛りの突然死、ボケや寝たきり老人の増加など暗いことが多い。
     その元凶は、若い層に特に多い“食生活の欧米化”とみられている。
     戦後、進駐軍とともにアメリカ化が日本全土を覆い、街のハンバーガーやスナック菓子、清涼飲料が飛ぶように売れ、家庭では魚よりも肉料理が増えていった。
     知らずしらずに動物性タンパク質、動物性脂肪や砂糖のとり過ぎになっていたのである。
     先年、アメリカ上院栄養問題特別委員会が衝撃のリポートを発表したことが伝えられた。
     その要旨は「肉食と加工食品中心の文明国の食生活は間違っていた。動物性タンパク質・脂肪と砂糖のとり過ぎ、ビタミンやミネラルの不足が成人病を招いた。今の食生活では早死にする。即刻食事内容を改善しなければならない」といったもの。
     わが国も、このままでは欧米先進国の二の舞いになろう。
     成人病は食事が作り食事が治す”といわれる。1億総グルメだが、もっと体のことを考えた食事にすべきである。
     それにはまず、栄養のバランスを考えることだ。
     食の改善に必死のアメリカでは、健康によい食事を求めて日本食ブームとか。
     その和食をベースに、好みで洋風や中華風の料理をプラスするのが1番ではなかろうか。
     日本の風土が生んだ和食は、日本人の体に合っている。




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