健康と青汁タイトル小
注意と意見



1. 本会に寄せられた 注意と意見

    倉敷市 浅野

    • 青汁を呑むとき臭いにおいが厭で呑みにくいと云う人が多いらしいで何とかして臭みの除去法を考えてもらいたい。
    • 甘味はもっと少なくてもよい。甘たるいのは反って呑みにくい。
    • 服用時間を紙片に印刷してほしい。これから夏になると腐敗し易いのではないかしら?
    • 1本を1度に呑んでしまわねば効果ないのか、それとも1日1本を3回に分けて呑んでも良いか。
    • 青汁の効果なり服用法を具体的に印刷したものをつけて欲しい。
    • 水か何かで薄めた様ですが値段の点は同一でも構わぬが瓶の半分位の量の濃い目のものにしては如何ですか。



    玉島市 大島 峯子

     私は健康と食生活については考えていますものの、ときに疼痛をおぼえるようになりました。自分で野菜不足と思っていますものの、どうしても酸性食になります。ながい間のこととて、まだ皆様にどうと申されませんが、自分で緑葉食にて健康になり世の皆様におすすめしたいと研究致しています。不健康な人には普及していますが、すり鉢でするのもなかなかです。早く安くて便利な道具が出来たらと思っています。
     毎日青汁を楽しみに待っています。日曜日はなんだか淋しいです。はっきりしたものをつかみましたら、クラブ会で発表しようと思います。味と臭いが悪いので一般むきではありません。

    ◎お答え
      悪い味や臭いを消すため好き好きに応じた矯味料を入れてください。案外のみよくなります。



    玉島市 高橋 澤太郎 医師

     初めの内は甘味がすぎたり、時々石油の香りがしたり、配達が遅れたりして不都合が多いかったが、漸次改良されつゝあるのは結構と思う。なるべく早朝配達が一番希望者が多いと思う。生臭いと云うのが、一番飲みにくい理由だがこれには甘味の代わりに蜂蜜を入れるか、叉は単に少量の塩だけ入れるか、叉は今時冷水で稀めて飲むかの方法が良い。其の他好き好きで、牛乳、コーヒーなども差支えない。一番飲み心地の良いのは空腹時、口渇時が良しい。

    ◎追記
      申すまでも無く御注意されとる事と存ずるが、インテリ階級の恐怖心には野菜に寄生虫卵の絶対ない事、製造過程に完全消毒の行われて居る事を宣伝の要あり。



    倉敷市 守 安

     私は1ヶ月程前から飲み始めましたので、まだ其の効果はどれ程と申すほどでは御座いません。最少し多くのんで見なければ分かりませんが、多少よい様に思えます。此頃は野菜のよくにた物はなんだか惜しい様に思え出しました。それ丈よいのかも知れません。
     毎日の青汁が今日うすかったり今日少しこいかったりしますので何だかたよりない様に思える事が御座います。牛乳より高い青汁です。どうぞよろしく御願いいたします。



    玉島市役所

    • 効果について
       1月4日より飲んで居りますが前より胃の調子が悪かったのが少々よくなったように感じます。
    • 製品について
       (イ)製造過程において機械油が入るのか時々くさい時がありますから注意してください。
       (ロ)容器を清潔にして尚滅菌を厳重にすることには特に御留意下さい。
       (ハ)容量は少なくても水を混ぜないようにして下さい。
    ◎御注意ありがとう存じます。出来るだけ注意いたします。



    真金町 三宅 美代

     青汁を飲用してから日が浅いので意見とか批評などを申述べる処までに至りませんが、総て物を使用する時には適量を適度に用いますことが、最も効果的ではないかと考えられます。この青汁については適量と云うものがないので(例えばどんな病気には何々の植物をどの程度)飲用する人によってそれぞれ量を異にしているように思います。人間の体質が一様でないと同様に飲用する量もまちまちでよいのではないかと考えられますが、青汁の効果を一層顕著なものにする為適量な飲用法の指導を頂きたいと思います。
     次に病害虫防除するために最近特に人体にも大なる影響を及ぼすほどの農薬が使用せられるようになりました。この農薬散布期間中は摘草は危険なので一時青汁使用中止しなければなりません。その間の措置について御指導を御願い申します。
    青汁の効果については、日頃難儀しておりました常習便秘も、青汁飲用によって通常に復しました。便秘でお困りの方におすすめしたいと思います。

    ◎お答え
     青汁の主な効果は食餌の完全化にあるのですから、量は日常の食餌の中の野菜の量で決まります。完全に近い食餌にするほど青汁の効果は顕著になります。
     次に農薬の使用は困ったことです。野草も野菜も木の葉も危険です。安全なところに出来た或いは作った材料にたよる他ありません。



    高梁市 三上 重雄 保健所細菌課

     青野菜が含む成分が人間生活にあらゆる方面から重要欠く事の出来ない事は申すまでもない事である。しかし、生活状況により人間生活に充分でない事がしばしば発見されるのである。遠藤青汁普及会が「エッキス」として青汁を売出された事は有難い事である。私は高梁に普及されだして最初から現在まで愛飲している。薬用としてではなく栄養剤としてであることは勿論である。
     心配なことは生野菜であるが故に寄生虫及び細菌の病原と云うことが最初に考えられる事である。私は幸にして衛生の仕事に従事するものであり、試験検査係である為、しばしば検査して見た。民衆一般の為でもあり愛飲する私自身の為でもある。
     しかし一度だって私に不安をもたした事がなかった。それ故現在もまだ続けて愛飲しているのである。これに使用する野菜は特別栽培されて居ると聞くが、此の材料を野草に或いは木の葉等によって得るように考案されて、今すこし価格を安くして誰でもまた手軽に沢山戴ける様になれば此上ない事と考える。この上とも充分衛生に気をつけられて安心して飲める様に切望いたします。


2. 体力の變遷

    柳田 K.Y. 

     日本人の体質、是が現在はまだ多くの民族と比べて見劣りがする様に我も人も感じて居る。
     其事実は果して昔からのものであり、即ち日本人の一つの特徴であるのか。
     但しは近世に入って斯うなったのか、是れが一つの目前の問題である。
     古い記録には偉人の身長が折々書いてあり、小男といふこともよく記されて居るが、普通といふのはどの位であったか、確かには知れない。中世の武人の用いたといふすばらしい大きい兜だの引きずる様な長い鎧を見ると、どうやら今よりもずっと体格のすぐれた人が彼等の中には多かったらしく思はれる。
     とにかく腕力と膂力とだけは十分な記録があり、又記録外の証跡も残って居る。村の青年たちが、休日の慰みに担いで力を試した力石、北陸地方でバンブチとも番持ち石ともいふのには、驚くほど大きなものがあって、今ではさし上げ得る者が次第に少なくなって居る。

     是等は近い頃の事だから多分すぐに分る。即ち以前の方が力の強い者が多かったのである。老人たちが二言目にはよく言ふ昔の人の元気と勇気、それは多くの場合にはこの腕力の自信であった。(中略)
     それから眼力と謂って遠目の利くこと、ぢっと物を見つめて相手をへこませる力、斯ういふ点にも元は傑出した人が多かったが、細かな書物の字を読む様になって、其力は忽ち衰へて、都会の青年が半分は眼鏡を掛けて居る。
     早足と食溜めなども昔の人の長所であった。一度にうんと食べて2日も3日も食べずに働けるのは体力で、単なる痩我慢では出来ない芸当である。

     今でも少しはまだ残って居ると思ふが、前夜自分の勝手で寝なかった者が、次の日は平気で働いて疲れた様子も見せぬこと、それから病気や怪我をしても少しも弱らずに直ぐに治ってしまふ自癒力ともいふべきもの、是等は何れも近世に入ってひどく退歩した。
     それと今日の日常生活の変化とは恐らく密接な関係があるであろう。生理学の方から之を考へて居る人は有るやら無いやら、第一に先づ私などの思って居るほど、大きな退歩があり変化があったことを気づかぬ人も多いのである。

    (木綿以前の事、女性史学より)


3. 質問箱 青汁は危いか?

     広島 飲みたい生


     青汁にはバイ菌がいるから飲んではいけない、という人がありますが、ほんとうでしょうか。


     なま物ですから雑菌は沢山います。
     それは、ほかの「なま」で食べるもの(刺身、くだもの、生野菜)すべて同じです。
     この雑菌は、病気をおこすバイ菌(病原菌)とはちがって、どこにもいますし、また、むしろ、からだの為になるものです。
     私どもの腸の中には無数のバイ菌がいて、はいって来る病原菌の繁殖を防いだり、ビタミンをつくってくれたりしています。
     なま物ばかり食べている野生の動物や人が、たいたものばかり食べている人や家畜に比べて、めだって強いのも、一つには、こういう所に原因しているのではないでしょうか。
     それはともかく、雑菌のいることは、少しも恐るべきことでないということだけは断言してよいと、私どもは考えています。


4. 青汁に毒はない

     医学博士 遠藤 仁郎 

     銀座クッキングスクールの校長清水桂一氏が、「青汁は有毒である」という著書を出され、その新聞広告には、

      「厚生省は青汁の市販を禁止・・・・・・
       有名デパートはケールの販売を中止・・・・・・
       青汁はなぜ有毒か・・・・・・・・・
       青汁をのむと危険な人・・・・・・」
     などとあるので、青汁愛好者の中で、相当のショックをうけた人もあったようです。かた田舎の一草医にすぎぬ私には、カンがよく、直感につよいといわれる、東京の大先生を相手に、まじめに議論しようなどという気持はさらさらないが、あるいは迷わされておいでるかも知れぬ方々のために、気づいたことを少ししるして、ご参考に供したいと思います。

    1、厚生省と青汁

     生野菜は自由に販売できるのですが、これをしぼって汁にすると、法規上からは、清涼飲料の扱いをうけるので、加熱滅菌しなければならなくなります。しかし、それでは青汁の生命を奪うことになるのでそれもできません。そこで厚生省では、生のままの汁である青汁の市販は、取締り上こまるからやめてくれ、というのです。決して、青汁が有毒だからいけない、というのではありません。それどころか、厚生当局でも、青汁そのものは、大変結構なものだ。国民栄養の改善の上からも、大いに奨励したい、といっているほどなのです。

    2、デパートのケール

     これも、ケールが有毒だから販売を止めたのではありません。清水氏があの著を書かれたのはこの真夏のことのようですが、そのころは、ちょうどケールが一年中でいちばん少い時です。青汁用のケールは年中なければならず、そのように計画栽培するのですが、真夏は天候の関係上とかく不足がち。わけても今年は、あのひどい旱天で、いっそう材料難が甚しかったため、デパートには姿をみせなくなったまでのことです。そして、事実はまるで反対で、今や全国的に、青汁用ケールを扱っているデパートは、しだいにその数を増しつつあります。

    3、ケールのこと

     清水氏は「ケールは有毒」と直感されたそうですが、決して有毒菜ではありません。ケールはキャベツの原種で、これからキャベツもカリフラワー(花椰菜)もブロッコリーもハボタンもできたのです。南欧の原産で、古くから広く知られており、すぐれた食用および飼料用野菜として愛用されているもの。その成分のよいことは欧米の栄養学書をみれば、はっきりわかります。

    4、青汁のこと

     青汁の材料には毒のあるものは一切使用しません。そして、ケールその他の材料野菜の栽培にあたっては、堆肥・緑肥を主とし、下肥も農薬も使わないのですから、市販の一般野菜よりもはるかに安全ですし、成分的にもすぐれています。野草や木の葉も同じで、無毒性であることの確かなもの以外は用いません。その上、危険な洗剤類もつかわないのですから、どう考えてみても、そのしぼり汁が有毒である筈がありません。
     清水氏は、小松菜の青汁を金魚鉢に入れると金魚が死ぬ、という実験をあげ、青汁の有毒な根拠とされています。しかし、それは、材料に農薬がかかっていたか、あるいは洗剤をつかって洗ったものの汁であったかも知れません。もし、そうでないとしても、金魚は毒にあたって死んだのではなくて、窒息したのかも知れません(すりつぶした菜っ葉も、生きている細胞が沢山あって、呼吸していますから、しだいに水の中の酸素が欠乏して来ます)。
     なお私どもの経験では、瀕死の金魚が青汁で蘇きかえっています。また清水氏は、青汁にはアクがあるから、味がまずいから、においが悪いから、分量が多すぎるから、いちどにガブ飲みするから有毒だ、ともいわれていますが、これも理解しかねます。しかしたとえ有毒としても、それは飲み方の工夫で解決することです。

    5、十年も飲んだら

     青汁は有毒だから、一時的には病気にもきく。しかしながくつづけてはいけない。「十年もつづけたら、その効果は、そのとき、はっきりあらわれる」として、「きっと、どこか悪くなるし、老化する」ともいわれていますが、論よりは証拠です。私の周囲には、もう十年以上愛用している方もずい分ありますが(私や家内はかれこれ二十年ちかくなる)、みんないたって健康、老化の進行はとまり、あるいは若返り、元気ハツラツとして、疲れ知らぬ日々を楽しんでいます。また、幼児からのんでいる若者たちは、人なみ以上立派な体格と健康と頭脳を享受しています。もちろん、青汁だけのために健康を害したり、ふけこんだりしたものは一人もありません。

    6、青汁の危険な人

     また、「青汁をのむと危険な人」として27頁目があげてありますが、私どもの経験からすれば、それらの人々こそ、とくに青汁の必要な人たちです。

     もちろん、この私どもの主張と清水氏の説の、いずれを信じられるかは、みなさんのご自由ですし、はたして、そのいずれが本当に正しいかは、ただ神さまだけしかご存じないことです。けれども、この点に関する一つの示唆として「青草を生で食べている動物と、何でも調理して食べている人間と、どちらが真に健康であるか」ということについて篤とお考えねがいたいと思います。
     清水氏のネライがどこにあるかは、あの著を通読すればすぐにうなづけることですが、要するに、私どもがすすめているような、良質で安全(清浄無毒)な菜っ葉を生で食べることや、そのしぼり汁をのむことには、少しも懸念すべきところはないと、私は断言して少しも憚りません。そして、だれに何といわれようと、私どもは、私どもの信念にしたがって、今まで通りつづけて行きますし、人々にもすすめて行くつもりです。


5. 青汁は有毒でない(1)

    医学博士 K.O. 

     私は青汁党である。もう今年で7年位になる。毎日300cc位1日も欠かさず飲んでいる。都会の真ん中に住んで居るので材料には苦心する。とてもケールなど常用というわけには行かないから、いろいろなもの(例えばレタースの外側や大根の葉)で間に合せている。
     始め大浦氏の「人間医学」を読んで青汁のことを知りそのもとは倉敷の遠藤仁郎博士から称道し始められたと聞き遠藤さんなら同学の後輩でこの人の云うことなら間違いなかろうし、何よりも自験例というか、自分自身の体験、夫人その他周囲の多数の人の経験に基いてたしかに良いということから出発した所説という根拠が私を動かして私を実行に赴かしめたのであった。
     ところが良いことには共鳴者が共鳴者を生んで近ごろは青汁ブームとか云われる傾向にまで発展して来た。
     嬉しいことでもあり、自然そうあるべきであるが、また一方批判的な言説を公にする人も出て来た。
     われわれはあらゆる説に一応は耳を籍すべきである。賛成説は聴くが、反対説には耳を掩うではよろしくない。理の在るところは反対説といえども虚心坦懐に採り入れべきであるが、どうも近ごろの諸大家のお説というものは、一番大切な実験、経験、乃至体験という根拠なしに物を言ってること、これが何より欠点で、折角のお説も空理空論机上論、極言すれば犬の遠吠式に終りそうで、まことに惜しいことである。

     私は7年の体験から青汁に結構と礼讃する一人である。自験例即ち自体経験済みから申すのです。唯私と雖、何かもっとよい方法があれば、それを私が納得し得ればその良方法というを採用するに吝かではない肚を持ってはいるのである。
     今、2、3、その所謂世間の批判というものの中から私の知人、友人などにつき拾って見るのですが、その人達の言説はいずれも一応の理窟は通っているのではあるが、何より大切な経験が今申した通り皆無なのである。
     何年も青汁を飲みつづけるという経験を持った人(人間ですよ。動物ではない)についてその観察による説でなければ、云うことがすべて架空と申してよいということになるのである。

    清水佳一氏
     この人は私の知人でもあるので決していがみ合うなどとの考を私は持っていないが、真理の前には意見の違う点のあることを明かにしておくのが学者としての義務でもあると思うので述べるまでである。
     近頃「青汁は有毒である」という書物を発行され、しかも大分よく売れるそうである。
     「毒」ということばは毒物の意味であって、よほど科学的にはっきりしたデータを示されないと諾えないほど重大な表現である。
     もし所謂「アク」に毒物が含まれているというのであれば、委しく「アク」の科学的成分を示されなければならぬ。
     しかし、たとい、アクに毒があるとしても(もし仮りにですよ)そのアクを他のいろいろな食べ物と一緒に食べた場合その毒は無毒に変ずることもあり得る。すべて厳密な実験を行ってこそ、事は、真理は明かにされる筈である。

     料理する場合アクを捨てる。何故捨てるかその理由はアクが有毒であるからと云われるのであるが、もっと外に理由があるのではなかろうか。
     たとえば味覚のためというごとき。そこで、青汁有毒説の一番の根拠となる実験すなわち小松菜の青汁を金魚鉢に入れると金魚が死んだ。だから青汁は毒だという結論。
     金魚鉢に大さじ1杯のタマネギの汁を入れてみたら30分後に金魚は死んだ。だから青汁は毒だという結論。
     これはどう考えても変な話で、清水先生ともあろう方がどうしてこんな阿呆らしい実験をして馬鹿げた結論を出されたかと不思議で不思議でたまらないのである。

     そもそも人体に関する事実の裏付けのために行う動物実験ならば、その解剖的生理的条件がなるべく人間に近い動物を使わなければその実験から生れる結論の価値は乏しいことは申までもないことである。
     であるから、青汁に関する実験にしても、せめて哺乳動物を使っての実験であれば一寸位耳を傾けてもよいが、淡水魚の金魚では実験材料そのことだけでもはや落第みたいに感じられる。
     金魚鉢に青汁やタマネギ汁を入れて金魚が死んだから、青汁やタマネギ汁は人体に有毒であるという飛躍的論法が生れるものなら金魚鉢に一握の食塩を投じたら金魚は死んだ、だから食塩は人体に有毒である。ということになる。
     もっと極端に曰うと、金魚を金魚鉢から出して空気中に曝したら1時間にして金魚は死んだ。それゆえに空気は人間に有毒である。
     空気吸うべからずという結論にもなる。とんでもない話である。

     と申して私(竹内)は青汁飲用に無注意でよい。青葉をしぼって青汁を作りそれをガブガブ飲めばよいと思ってはいけないとは思う。
     極めて常識的ではあるが、毒草に注意し、農薬、寄生虫に注意し、また量に注意する。
     こういう点を指摘されてもっと注意されてもっと注意せよと云われるのであれば全くお説の通りと頭を下げる。
     しかし清水さんは、青汁を無毒にし、しかも味をよくする薬を知って居られてこれを添えて飲めば青汁大丈夫とのことであるからそのうち伺って頂戴したいと思う。
     しかし私は青汁有害を信じる者ではないが、味のよくなるのは嬉しいから。

    (以下次号)


6. 本を売るため・・・

    松阪市 Y.W. 

     私は最近まで小学校および聾学校に奉職、在職約50年になります。
     現在無職ですが、仏教哲学、生命論に興味をもち、貴会(青汁の会)の高遠な理論、研究、体験発表など拝読、心から礼讃してる者ですが、数年実験いたし、大いに健康の恢復 (血圧230の時がありました)。
     毎日の仕事が楽で、現に72才ですが、1日4、5里の歩行は何ともありませぬ。若い時には自転車にのりましたが、今は徒歩です。近隣に多くの青汁会員をもっています。ケールの畑も、クコの畑も自作しています。
     2、3日前、同封のような新聞切抜き(中日新聞)をおくって来ました。私はこれを見て一笑に付しました。
     自体の経験から論じた結果、「青汁は有毒である、厚生省は青汁の市販禁止、ケールの販売中止」など読者の注意をひきつけて、自分の著書を売らんがための意と解釈して、私は青汁を実行いたし、人にもすすめております。間違いはないと思っていますが、先生方のご意見承りたく・・・・・・。


7. 本を売るため・・・

    大阪 E.K. 

     問
     私こと主婦の友を通して先生の青汁を毎日いただいて、約1ヶ年になります。4年前の8月に糖尿病を発見していただきました。毎年夏になると足が五分程うきがまわりまして、重たく、足のうめぼしが痛みますのが、青汁をのみ治りました。
     いつも下痢便でこまっておりましたのが形のある便が出るようになり、これも青汁のおかげとよろこんでおります。
     糖尿病の病友にすすめ、種をあげたりして27名もお連れが出来、まだほかに、種子ができればあげると約束した方が5、6人もいられます。
     さて10日程まえの読売新聞に「青汁は有毒で厚生省は、青汁販売を禁止した外に、有名デパートはケール販売を中止したとの記事が出まして病友たちを驚かせ、ぞろぞろおきき合せがあり、まことに心配しております。どのような次第にてや、あの記事は如何なるものやお教え下さい。

     答
     解答は本紙(健康と青汁078号)関係記事でご諒承下さい。

    (編集者)


8. 青汁は有毒でない(2)

    医学博士 K.T. 

    ○井沢凡人氏 青汁の登場を心から喜ぶ一人である。
     そもそも青汁飲用者が今日のごとく盛になったのは、現代の食品が、自然というものに反抗している傾向すなわち食品の反自然化に反対して起こっていると見るべきで、つまり現代人は欠陥食と偏食とに陥っているから、この欠陥と偏(かたより)を現代食生活中から感じとった人々が青汁という自然の中に何かを求めたので至極当然の成り行きと見るべきである。
     と述べて井沢氏は30余年来青汁飲用者の70余才の老人の例を挙げた。
     つまり井沢氏は人間の文化というものは自然を破壊することであるから、その人間に自然に対する郷愁を覚える心が湧く。
     青汁愛用もその一つの現れであると云われるのである。
     かように青汁愛用の心理的過程を説明されることに私(竹内)は頷くものである。
     実は私の青汁愛用の理由の一に『生(なま)のものを飲食することのよさ』がある。
     これらが氏と相通ずるからでもある。
     また井沢さんは青汁の商品化を嫌って居られるが、この点は私も至極同感である。
     商人の手を経る商品となると、いろいろな点で自然の青汁から遠ざかって行くに相違ないからである。
    (井沢氏は医学博士・薬事日報第3058号・青汁の功罪)
    ○渡辺正義氏 ジュースならなんでも結構で、青野菜にかぎらず、リンゴ、ニンジン何でも高血圧や胃腸病の患者にも奨励して好結果を得ている。
     「青汁有毒」などという「毒」という言葉は重大だと思う。
    (渡辺氏は医学博士・東京報徳診療所長)
    ○斎藤文雄氏 青汁をとくに毒とは思わないが生野菜が必要なら、ふつうにたくさん食べればよい。
     歯があるのだから、つぶして飲まなくてもよい。と云われるのであるが、私(竹内)はいう青汁として飲むだけの量に匹敵する生野菜の量を噛むというのは大した努力だが、それよりも人間の胃の容積から見て到底この生野菜量を入れ切れるものではない。
    (斎藤氏は聖路加病院小児科部長・医博)
    ○鴨谷亮一氏 高血圧によく効いたというのがその通りであろう。
     生野菜はからだによいし、その汁がよいのも当然、とくに高血圧の病人はミネラルの中に含まれているカリウムが欠乏している場合が多く、そのため野菜や果物を多くとるのは非常によい。
     ただ腎臓病から尿毒症を起こすおそれのある患者にはカリウム中毒ということもあるから注意なさいと云われる。
    (鴨谷氏は国立東京第一病院高血圧センター主任・医博)
    ○岩尾裕之氏 青汁がきいたと思う、そのムードが大事で、心配しながら飲んでは身にならない。
     このムードは非科学的なことではない。
     蓚酸でさわがれたホウレン草にしてもふつう食べいるていどならどうと云うことはない。
     アクが毒というけれどその程度ならよい。
     要するに心理的な要素が非常に影響すると述べていられる。
     私(竹内)は思うに、ムードは必要ではあるがそれに重きをおきすぎてはいけない。
     おいしいと思って食べたときに栄養になるということは嘘ではないが、おいしくないと思って食べたときにも栄養になることは医学的には立派に証明されている。
     それだから、青汁はおいしくない。だから栄養にならないと云う理論は成り立たない。
     事実がこれを許さないのである。
     もしおいしいと思って食べないと栄養にならないなら、偏食者の取扱いはできないであろう。
     あれは好きこれはきらいと食物に好ききらいの多い人は身体も痩せ病気にもかかりやすい。
     こういう偏食者に、いろいろな方法で、いやだきらいだという飲食物を食べさせると、結構立派に栄養がついて、偏食も治るという実例は沢山有る。
    (岩尾氏は国立栄養研究所応用食品部長)
    ○杉靖三郎氏  ジュース類が好きでよく飲んでいる。
     なにもジュースでなくてはならないわけではない。
     野菜六分の肉四分という割合が人間に適した食べ方である。
     ジュースには料理に向かないクズも使えるのが便利である。
     栄養というものは、食べて消化してからだの中でどうなるかが大切なので、それ自体をいちいち分析して毒性があると心配していたのでは何も食べられない。
     という杉氏の説には私は同感である。
     食べて見てどうなったかが必要なので、食べたらどうなるだろうは机上論である。
     所詮空論にしか過ぎない。
    (杉氏は東大教養学部教授・生理学・医博)
     この外にもいろいろの説を発表している方が多いと思うが青汁綜説を書くつもりはないから擱筆するが、ほんとうに批判しようと思うなら(無理にコジつけて青汁をけなし自家の何かを売り込もうというような商人根性のないかぎり)真面目な学術的論拠をもって物を云うべきであることを操り返えし述べたいのである。


9. からだが黄色くなった

    新居浜市 S.N. 

     半ヶ年前より、1日3回1合づつ3合の青汁食を4ヶ月。
     その後は、自家栽培でケールが得られるようになりましたので、新鮮な物を1日3回、生食して居ります。
     1回に200〜300グラムです。
     2ヶ月になります。
     その他に、自己流で、大豆を毎日200グラム、玄米に混ぜて、主食としています。
     これも半ヶ年になります。効果は非常なもので、体質改善が、この最近、感じられます。目的は、55才の体調を若返えらせたいことです。
     中程度の糖尿病は、問題ではない程によくなりました。
     ただ一つ困っていることは、青汁、大豆食を始めまして2ヶ月位より、手足の指が黄色を呈し、最近では次第に濃く、手全体の黄色は、他人から不審がられる程になりました。
     体全体が黄色です。これはケール生食量の過剰か、大豆量の問題か、ご教え願いたいと思います。


     ケールのためです。
     柑皮症といってミカンや南瓜やナッパ類など、ビタミンA(カロチン)の多いものを食べるときおこるものです。
     心配はありません。少しケールの分量をへらしてみて下さい。


10. 自然のみち

     医学博士 遠藤 仁郎 

     文化のすすむにつれて、なにもかも便利になる。
     いかにも、それは、人類のみにあたえられた権利であり、幸福そのものであるかのようにも見える。けれども、実は、ただ人々をあまやかし、だましているだけのものではないだろうか。食べもの一つについてみても、もう自然のそのままのものは殆んどない。何もかも、ひどく人工が加えられる。  食品加工の本来は、食べにくいものを食べよくする、消化しにくいものを消化しやすくし、また、保存しにくいものを保存しやすくしようとする、人間の貴い知恵だった。  しかし、今のそれはどうだろう。安くて、美しくて、おいしくさえあれば、そして、売れさえすれば、儲かりさえすれば、たとえ、それが毒になってもよい。主婦は、それによって手間が省け、怠けて遊ぶ時間が出来れば、それでよい。たとえ、それが、健康を損うことにつながっており、恐ろしい病気になり、莫大な費用がかかろうとも、あるいは、それで生命をあやうくしようとも、それは先のこと。ともかく、目先が便利でさえあれば、それでよいのだ。

     薬屋はどんどん新しい薬をつくり出し、まるで、それさえ服んでいれば、どんな病気も治り、人類は病気から開放されるかと思いこませられるほどに宣伝する。たとえ、効目はなくても、いや、却って害をなすものであっても、それは、お構いなし。  世界一の売れ行きというビタミン剤。あれは、もともと食べもの。つまり、食品の加工でなくしたり、乏しくなったもの。それが、薬に化けて、また金をまきあげる。しかも、決して、失われたすべてを完全に補うことはできない。ただ、その中のなにがしかを、服みよいかたちに仕立てなおして、あたかも、それでよいかのように胡麻化しているだけのもの。食べ方さえ正しければ、もとより無用。また、よく効くなら服むものはいなくなる筈のもの。ああいう薬がよく売れるのは効目がないからだ、ともいえるわけだ。

     文明は人類を破滅に導く。文明――科学文明とは自然にそむくことと覚えたり。自然を知るための科学は、実は、自然にさからい、自然を冒涜することだが、これも、要は欲のため。胡麻化すこと、だますことによって儲けをより大きくするためだ。まこと、人類は欲のために亡ぼうとしている。利益のために健康を犠牲にすることほど馬鹿気たことはない。無欲なれ、恬淡たれ、この古人の訓えは、決して、処世術だけではない。

    自然にかえれ。
     ともかく、もっと自然にかえるんだ。何もかも神のお思し召しのままに。もっともっと自然のおきてに順おになろう。自然の恵みにみちあふれた、自然のままの食べものを食べ、飲みものを飲み、もっとからだを動かし、暑さ寒さにきたえよう。
     少くとも、ことからだに関するかぎり、もっともっと動物的でありたい。人間の小賢しさにまどわされず、文化という麻薬におぼれず、真に正しい自然の道に進みたい。 それは健康のもとだから、いや、そうした生活こそ健康そのものなのだから。


11. 反対のいろいろ

     医学博士 遠藤 仁郎 

     緑葉食・青汁をはじめて30年。かなり認識されて来たようにもみえるが、まだまだ反対も少なくない。

    毛嫌い
     なかには、ただの毛嫌いといった無邪気なのもある。

    アクがあるから
     銀座のクッキングスクールの校長さんのように、アクがあるから、味が悪いから、一度に沢山のむから、よくないといった他愛のないものもある。
     ふつうそのまま食べている、栄養価が高くて香りのよいシソの葉でも、すりつぶして青汁にすると、いわゆるアクが出て、ドス黒い色になり、味も匂いも悪くなる。しかし、あのアクをもこめてのシソの葉だ。つまり、アクも栄養の一部。よいものの一部が、決して、悪いものであろう筈がない。アクは「悪」ではなく、「善」だというわけだ。
     それに、アクなるものの本体も、も一つハッキリしてはいない。どうも、そのまま食べれば何のことはないのに、いろいろ手を加えているうちに、色が悪くなったり、味や匂いがヘンになると、アクだといって嫌うだけのようだ。

    陰性体質
     主に民療家のいわれることだが、青汁は陰性の強いものだから、陽性の人にはよかろうが、陰性のものにはよくない、という反対。漢方では、体質に陽性と陰性の二つがあるとされている。陽性というのは、よく肥って頑丈な体格で、血色も元気もよいもの(いわゆる実証)。そういう人には陰性(冷性)の食べ物、つまり菜食がよい。
     しかし、反対の陰性のものは、細長い体格で、一般にひ弱く、胃腸下垂、胃弱、便秘、低血圧、貧血などのあるもの(虚証)で、これには肉・魚や卵など陽性(熱性)の食べものがよく、陰性(冷性)の野菜や果物はさらに陰性をつのらせるからよろしくない。むしろ禁忌だ。だから、ナッパからつくった青汁など、もってのほかだというわけ。
     いかにもスジが通っているように、一応はきこえる。しかし、私どもの考えでは、陰性の体質も、決して陰性の食べものだけに原因されるのではない。要は、栄養のあやまり、不完全食の結果だ。つまり、そのために招かれた代謝変調(血の濁り)によって、もともと弱かった素質がハッキリ出ただけのことだ。だから、そのひ弱さを治すためには、何としてもまず正しい食、すなわち完全な栄養の補給が根本だ。そして青汁は、この不完全な習慣食に不足している良質ナッパを補うもっとも適切な方便なのだ。だから、青汁を飲んで悪かろう筈は少しもない。事実、また、それまでどうしても健康になれなかったのが、青汁によって、はじめて本当に元気になったという例はいくらでもある。

    胃下垂
     胃下垂によくないというのも同じ。胃下垂には水がいけないといわれるので、青汁もよくないと考えられているためだ。青汁はなるほど水だ。しかし、これはただの水ではない。もともとナッパのなかにあった水分で、もしナッパとしてであれば全然問題にされない筈のものだ。栄養を完全にするために食べる野菜には問題はないのに、それからとった汁はいけない、という道理はどこにもあり得ないではないか。もし、胃がダブつくのがいけないなら、一度に沢山でなく、少しづつ飲めばよろしい。

    緑内障
     緑内障にも水分を多くとることが禁じられているので、青汁もよくないといわれる。が、私は、むしろ大いに飲んでみるべきではないか、と考えている。緑内障は、眼球の内圧がたかまっておこるもので、いろいろの原因があるようだし、なぜ眼圧が上るかについてもまだ十分には解明されていない、ということだ。水分がきらわれるのは、おそらく、水分がからだにたまることも、その原因条件の一つと考えられているからであろう。とすると、水分のたまるのをさけるよう、なるべく利尿のつくことが望ましいわけだ。したがって、ふつうのように、精製穀食(白米飯、白パンなど)や糖分(味つけの砂糖や菓子)などを過食していて(これらはいずれも水分をからだに滞留するようにはたらく)、大量の水分をとることは慎しまなければなるまい。ただし青汁は別だ。なぜかというと、青汁は水には相違ないが、ただの水ではなく、野菜ことにビタミン・ミネラルにとんだ良質緑葉菜の汁であり、ただの水よりは、ずっと強く利尿的にはたらく水だ。だから、どんな場合でも飲んで悪い筈はないし、まして、同時に精製穀や糖分をへらし、野菜・果物を十分に配した完全食(たとえばイモ・マメ・ナッパ食)のばあいは、少しも差支えないばかりか、大いに有利な条件をあたえるものといえよう。また、徹底した完全食と青汁一日6合で、奇蹟にちかい卓効をみることがある。

    無酸症
     胃酸の高すぎるのにはよかろうが、低酸や無酸症にはよくない、という反対説もある。しかし、胃酸が高すぎるのも低すぎるのも、結局は、平素の食べ方の間ちがいに原因しているのだから、同じく青汁で食を正しくすればよろしい。

    低血圧
     高血圧にはよいが、低血圧にはよくないというのも同じ。
     
    栄養不足
     緑葉食・青汁、イモマメ・ナッパ・青汁といった食べ方では、栄養が不足する。ことに蛋白質が不足して栄養失調になり、体力・抵抗力をよわめる。もっと肉や魚や卵といった、いわゆる「滋養」のあるものを食べなければいけない、というもので、折角のみはじめ、調子が出だしているのに、惜しいことに、中止してしまう多くの原因はこれだ。いかにも科学的の反論で、理路まことに整然としているようにみえる。けれども、実は大きなヌカリがこれにもある。いわば、気はきいているが間のぬけた妄説だ。緑葉食・青汁だの、イモ・マメ・ナッパ・青汁食だのといっているので、野菜ばかり食べるのだと勘ちがいされるのももっとものことだ。しかし、これまでの習慣食にナッパ・青汁を添える緑葉食・青汁のばあいはもとより、とくに栄養の不足しやすいと考えられるイモ・マメ・ナッパ食にしても、熱量や蛋白質の絶対量は決して不足はしていない。
     それに、良質緑葉菜には、含量こそ少ないが熱量も蛋白質もあり、しかも、その蛋白質は動物蛋白に匹敵する優秀なものだ。そのことは、象、犀、キリン、馬、牛などの草食獣の食料が、自然の状態ではただ草木の緑葉にかぎられていることからもわかろう。また、化学分析からもその優秀性は証明されている。そのうえ、緑葉には熱量や蛋白質を節約する能力がある(豊富なミネラル・ビタミンのため、栄養素の利用効率がよいので)。つまり、ふつうの習慣食のように、ミネラル・ビタミンの不足の甚しい不完全栄養のばあいよりは、ずっと必要量は少なくてすむ。そこで、栄養不足のようにみえても、決してそうではなく、むしろ十分に余裕のある食べ方になっている。
     なお、安全性の点でも有利(農薬汚染さえなければ)。実際、徹底した純イモ・マメ・ナッパ・青汁食だけをつづけても、栄養失調性の変化がみられることはないし、若干の動物食品が配伍されるならば、いっそう蛋白不足に陥るおそれはない。(この食養法は、要するに、ナッパを十分に補給して栄養を完全にするのが目的であって、決して動物食品の摂取を排斥するものでも、否定するものでもない)また、ナッパ食・青汁をやりだすと動物食にたいする欲求の減る事実も、蛋白質が十分に補給されていることを裏書するものでもあろう。
     なお、安全な蛋白源の確保の困難な、そして、世界的食糧不足のさけばれている今日、良質安全な緑葉の利用はもっともっと注目されてよいのではないだろうか。

    その他の反対
     そのほか商売の邪魔になるからというのもあるそうだが、これは、もちろん論外だ。


12. 伝不習乎―青汁の伝聞伝達にあたって―

     友成 左近 

     遠藤先生に教えて頂きながら青汁食養生につとめ、また、その効果をだんだんと体験するにつれて人にもこれをすすめていますが、そこで改めて意義深くかみしめていることばは「伝不習乎」(論語学而編第四節中の一句)です。(貝塚茂樹著・講談社現代新書「論語」、下村湖人訳・角川文庫「現代訳論語」、武内義雄訳注・岩波文庫「論語」その他を参照)

    両様の読解
     これは、曽子が「吾日三省吾身」(吾日に三たび吾が身を省みる――私は毎日その日の自分の行動を、つぎの三箇条に照らして自己反省してみることにしています)といっている第三の箇条であって、この読解は古注新注によって少し異なっています。

       古注によれば、「習わざるを伝えしか」と読んで、「かつて先生に教えて頂いたことを、十分納得するまで実践復習せずに、弟子たちに教えてしまったのではないか」と解し、
       新注によれば、「伝えて習わざるか」と読んで、「先生に教えて頂いたことを、十分納得するまで実践復習していないのではないか」と解しています。

     なお論語は、孔子とその弟子たちのことばを、孫弟子あたりが収録したもので、曽子は孔子の弟子です。が、師より46も年下という最年少の弟子で、親しく教えを受けたのは5年たらずでした。が、孔子を最高至尊の師として忠実に仕え、また非常に謙遜で誠実な努力家であって、孔子の没後、その祖国にとどまって、師の学園の正統を継いだ人物です。
     そこで、曽子の「三省」を、孔子に師事している弟子として語ったことば、という観点にたてば、「伝えて習わざるか」という新注の読解になり、曽子がその弟子たちに、孔子の学園の継承者として語ったことば、という観点にたてば、「習わざるを伝えしか」という古注の読解になるわけです。が、そうした考案はともかく、青汁食養生を先生に教えて頂き、またこれを人にすすめているうちに、このことばを両様に読解して、改めて意義深くかみしめ、及ばずながらもみずからそう心がけ、また、口はばったいことながら、人にもそうすすめるようになったのですが、それは蛇足ながらこういうしだいです。

    教えて頂く立場から
     まず、教えて頂くのは、なによりもまず自分の健康をはかるためですが、それには、いかにも分かりきったことながら、教えて頂いたことをみずから実行しなければ、およそ無意味なことであり、その意義もとうていよくは分かりません。たとえ多少は分かっても、ただたんにモノ知りになっただけで、それもやがては忘れ去ってしまいます。
     ところで、人生なにごとについてもそうですが、とくに食事については、生来身につけてきた常識や習慣や好み通りにしたく、とかくそれに執着するのが実情です。が、青汁食養生は人々ふつうのそれとは少々かけはなれています。そこで実行には、その意義がよく分かってこなければ、とうていふみきれず、たとえよく分かってきても、なお習慣や好みにひかれて容易にふみきれないのが実情です。それに、習慣や好みの筋にそっていないことには、とかくケギライの感情が先立って心を閉ざし、その意義をマトモに分かろうともしないのが、これまた実情です。
     けれども青汁食養生は、人間の生理・栄養という自然の厳然とした法則に忠実に従ったものです。そこで、その意義がよく分からなくても、またケギライの風情があっても、とにかく教えて頂いた通りに実行していけば、事実だんだんと効果があらわれてきます。そしてそうなると、しだいにケギライの感情が消えて心が開き、その意義もよく分かってきます。そして人々だれでも、この、とにかく実行していく、ということはできます。
     実行は主として意思に基づくものであって、知識や感情だけに左右されるものではないからです。そして健康をはかろうという意思は、人々だれでも備わっており、だからこそ教えて頂いているわけです。そしてこの実行には、その意義が(新たな知識としては)よく分からなくても、それが健康に役立ち、少なくとも有害ではない、という判断がつけば、とにかくふみきることができますが、青汁食養生は、中学校や高校で学んだ知識からでも、よく考えれば、そう判断することができます。たとえ判断がつきかねても、教えて頂く先生に接すれば(また書物を通して間接に接しても)、その人柄や業績から、そう信頼することができ、信頼するからこそ教えて頂くわけです。そこで、幸い縁あって先生に教えて頂いているからには、「伝えて習わざるか」と反省して、教えて頂いた通りに、とにかくひとつずつ実行して、その効果を体験すると共に、素人なりにもその意義を筋道たてて理解していかねばならないわけです。

    人にすすめる立場から
     ところで、先生に教えて頂いて、青汁食養生の効果を体験すると、しぜん人にも伝えてすすめるようになります。が、それには「習わざるを伝えしか」と反省して、さらに深く体験すると共に、素人なりにも(というよりも素人らしく)その意義・方法をさらに広く筋道たてて理解してからにしなければなりません。
     ましてや人に伝えるために新たに教えて頂いて、まだみずから体験していないことは、なおさらです。それはいうまでもなく、その意義・方法が正確に通じるように伝えると共に、自信をもって心の底からすすめるためです。でないと、なにぶん青汁食養生には、人々ふつうの常識や習慣や好みとはかけはなれているところが多いため、とかく無縁なことと聞き流されときには、そんなバカなことと笑われ、余計なオセッカイと嫌われるからです。
     また、幸い縁あって聞きいれてくれても、つい誤解誤用して、それほど効果があらわれなかったり、ときには思わぬ逆効果さえあらわれることがあるからです。が、せっかくすすめるからには、聞きいれてほしく、その効果を共に喜びたいのが実情であり、さらに重大なことは、かけがえのない生命にかかわることであれば、決して逆効果があらわれるようなことがあってはなりません。
     ところが青汁食養生は、的確に活用すれば、その効果が意外とすばらしいので、その効果を体験すると、その喜びのあまりか、つい無造作に人にすすめることがあり、ために、相手によっては、ことをあやまる場合があります。そこで、人にすすめる以上は、「習わざるを伝えしか」と反省して、よく注意して伝えなければなりません。
     また、ときに人によっては、ご親切心からか、知ったかぶりをするためか、この効果を人から伝え聞いただけで、みずからは体験もせず、その意義・方法もよく分からないままにすすめたり、あるいは、あれこれと指図がましいことをいったりしますが、これは堅くつつしまなければならないことです。従って、人からすすめられたことには、「習わざるを伝えしか」と、そこはよく見定めて、少なくとも当人みずからシカと体験していかないことは、テイよく聞き流すことが大切です。
     なお、こうしたことは青汁食養生に限らず、人々だれでも平素、生活各面について互いにあれこれと教えられもし教えもしている以上、そこでも「伝不習乎」を両様に読解して座右の銘にしたいものです。


13. 青汁を飲んでいたのに

     医学博士 遠藤 仁郎 

     青汁を飲んでいたのに、肺炎になった、腎盂炎になった。
     青汁を飲んでいたのに、筋炎をやり、中耳炎をやり、虫垂炎(俗にいう盲腸)になって手術をうけた。
     青汁を飲んでいたのに、検診で、冠不全(心臓の冠状動脉の血行不全)があるといわれた。
     青汁を飲んでいたのに、脳溢血で半身不随になったり、亡くなった。
     青汁を飲んでいたのに、腎炎になり、肝炎になった。リウマチが出た。胃潰瘍で血を吐いた。胃癌になった。乳癌になった。等々。………

     青汁を飲んでいても、やはり、いろいろなことがおこる。
     そして、青汁で風邪をひかなくなる、膿まなくなる、高血圧が下がり、中風の治りがよくなる、などといわれているのに、これはまた、なんとしたことだ。とお叱りをうけたり、恨み言をいわれたりもする。
     これは、一つには、病気なり、その下地(素質、素因)なりの程度にもよることだろう。いかにすぐれた薬でも、はげしい病気は防ぎきれないし、素質はどうすることもできない。青汁でも同じこと。それに、青汁の効力は、あるいは「生」という摩訶不思議な力があずかるかも知れないが、おもなことは、なんといっても、栄養の完全化にある。
     私どもの習慣食は、熱量や蛋白質にくらべて、ミネラルやビタミン類が不足した、不完全食になっており、これが体位、体質の劣悪化や、病気の下地をつくるもとになっていると考えられる。緑葉類は、この欠陥を補正するのに必要なミネラルやビタミン類を豊富にもっている唯一の食べ物であり、そのほかにもまだわかっていない大切な成分があると想像され、それら全部がそろって、はじめて完全食となり、はじめてほんとうの健康が約束され、病気の治りもよくなるのであろう。

     けれども、それには、まず材料の質と、とり入れる量が問題。
     青葉、青汁がいかに栄養の欠陥を補うのによいとはいっても、その質がよくなかったり、摂り方があまりに少なすぎては、とても補いきれるものではない。ふつうの平均食の場合、質のよい(ビタミンにとみ、吸収のよいカルシウムにもとんでいる)ナッパを、少なくとも1日400〜500グラム(汁にして、しぼったままの原液で約2合)はのまねば、食全体としてのバランスはとれない。だから、2勺や3勺、せいぜい5勺程度の青汁を飲んでいたのでは、たとえ混ぜ物のない正味の青汁であるとしても、まことに心もとない。
     また、同時に、白米飯や肉、魚、糖分、酒といった、ひどく偏った不完全な食べ物が多かったり、いろいろな薬品や、危険な添加物のはいった有害食品をとっていれば、いよいよもって追っつかない。
     そこで、少々の青汁を飲んでいるだけで、きくの、きかぬのというのは、もともと無理というもの。また、たとえかなりの量は飲んでいても、一方ではなはだしい悪食がつづけられていては、やはりそれも無理。

     ところで、一つ気がかりなのは、青汁を飲んでいることが、かえって、そうした油断のもとになっていないかということ。それは、青汁の効果があまり過大にうけとられて、「青汁を飲んでいるのだから」といった安心感から、わざとではないにしても、つい不養生をしていないとも限らないからだ。
     ナッパをしっかり食べ、青汁を飲んで、ミネラルやビタミンに十分余裕があれば、不完全食でもけっこう埋め合わせがつく。だから「そうしておれば、少々の不養生をしてもさしつかえはない」と、私どもも、つい、そういう口吻を洩らす。すると、つごうのよいことだけ、つまり、「青汁を飲んでさえいれば不養生をしてもよいんだ」ということだけ受けとってしまう、ここに、禍のもとがあるのではないか。

     いつも、「うんとナッパを食っておれば」、「しっかり青汁を飲んでいれば」、そして「ミネラルやビタミンに十分余裕をもたしておけば」という条件はつけているのだが、その肝腎かなめのところが、忘れられている。青汁を飲めば、飲まないよりは確かによい。しかし、それは、あくまで完全食にするという前提のもとであって、ただ青汁さえ飲んでいればよい、それで安心、というものでは断じてない。
     青汁をうんと、たとえば1日3合〜4合(もとの材料ナッパ750〜1000グラム)あるいはそれ以上も飲んでいればともかく、5勺かそこいらだけで、「青汁をやっているから大丈夫」と、いつも大飯を食い、脂こい肉類ばかりたべ、甘味の強い菓子を食い、有害食品をもいとわず、酒やタバコはすごす、といった不養生をあえてすることは、まことに恐ろしいことだ。

     青汁はけっして万能薬でもなければ、特効薬でもない。ただ、野菜を食べる一方便にすぎず、それによって食を完全にし、諸機能を正しくし、抵抗力を増して、病気にかかりにくく、また治りよくしようというもの。
     したがって、ただ青汁だけでよいのではなく、かならず、同時に、食の完全化、合理化をはからねばならない。主食をへらす。それも、ミネラル、ビタミンの乏しい白米よりは、それらにとんでいる玄米や、せめて搗きの悪い米、あるいは麦、豆、芋をあわせて食べる。
     蛋白食品も、ミネラル、ビタミンの多い小魚や内臓、あるいは牛乳、大豆やナッツ類。そして、なるべく質のよい緑葉を多く、しかも、なるべく生で食べるようにつとめる。間食には、菓子はやめて果物にし、酒、タバコはなるべくさける。なお、つとめて安全な純正食品にする。これが青汁を効果あらしめる大切な条件であり、そうしていれば、「少々の不養生はかまわない」のだ、ということを、忘れないようにしたい。


14. また出たデタラメ本

     医学博士 遠藤 仁郎 

     さいきん(58・1月)出版された「体を悪くするメニュー」という本の青汁の項(知らないと恐い青汁健康法の意外な大敵)に、またしても、あまりにも「意外」なことが出ている。

      その一  「ジューサーやミキサーを使うため、せっかくの栄養素がたちまち失われてしまいます」と、まるで青汁にすることで栄養分がすっかりなくなってしまうように書いてある。
       なるほど、ミキサーに5分間もかければビタミンCはなくなってしまう。
       しかし、2分間では半分くらいは残っているし、ジューサーではほとんど変りはない。しかも、この際なくなるのはビタミンCだけで、あとのものは残っているから、決して栄養分のすべてがすっかりなくなってしまうわけではない。
      そのニ  「繊維もほとんど除かれています」ともあるが、これまた同様。あらい繊維は除かれるが、細いものはかなりあるし、ジューサーだととくに多い。
      その三  「老人の場合、青汁に含まれるカリウムによって心臓の機能が低下する恐れがある」とか、「青汁は老人にとって大敵」とまで書かれているが、とんでもない。
       カリウムは年をとるだけへって行くので、それだけ必要なもの。日本人に脳卒中が多いのはカリウムのとり方が少ないからだといわれているほどで、カリウムにとんでいる野菜や果物がすすめられているのはそのためだ。
       青汁が心臓のはたらきを悪くするなんてまったくのナンセンス。大敵なんてものでは断じてない。
       そして、「どうしても(青汁をのみたい)という場合はリンゴ、パイナップル、メロン、パパイア、レモンといったものを加えよ」というにいたっては矛盾もはなはだしい(果物を加えることは結局さらにカリウムをふやすことになるのだから)、デタラメもよいところではないか。
    (58・3)


15. ブツブツが出る

     医学博士 遠藤 仁郎 

    「53才の主婦です。今年の3月頃から、すすめられてケールを毎日1合よりやや多くのみつづけています。前々から胃がわるく(ポリープがあります)、胃こりや疲れがひどくて困っていましたが、いまでは大分元気になり、大変よろこんでおります。
     しかし、ケールをのみ始めてから3〜4ヶ月は顔にブツブツが出ましたが、自然に治っていました。ところが、最近になってまた、毎日顔のどこかに赤いブツブツができだして、なかなか治りにくい状態ですが、これはケールをのんでいるからでしょうか
    (57・12)
     かぶれやすい(アレルギー性)体質のばあい、のみはじめに一時でることがあります。しかし、これは、つづけているうちやがて治ります――はじめの3〜4月に出たのは、おそらくこれでしょう。
     しかし、その後は、材料やつくり方に問題のないかぎり、まず、そういうことはかんがえられません。(何年も十何年もの吹出物でさえ治っているくらいです)
     材料ケールは安全・良質でしょうか。つまり、農薬がかかっていたり、化学肥料はつかわれていないでしょうか。次に、洗剤はどうでしょうか。いずれも、ないとすれば、同時に農薬のかかっている果物や野菜、あるいは、菓子類をはじめインスタントものや出来あい食品は?
     なかでも時節がら果物が気になりますが、どうでしょうか。私は果物が好きで、つい食べすぎがちなのですが、毎年桃の時期には必ずブツブツが出ます。
    (57・12)


16. 青汁の葉緑素は大丈夫か

     豊橋市 Y.I.

     青汁1日約150cc〜200cc続けること丸9年余り。
     お蔭様で毎日健康で暮させていただいています。
     私は今年の誕生日で丸72才の男性です。
     養鶏業を営んで28年になります。
     青汁を始めたキッカケは、昭和51年の春突然胃潰瘍になって(黒色便が出た)、38日間豊橋の国立病院に入院。
     その後ズーット飲用しております。
     他に漢方薬も併用しております。
     昭和60・4・24日付中日新聞の健康食品の欄に、別切抜の通りバランスとれた食事が一番と題して、文中にクロレラにはフェオホルバイト(葉緑素が変化してできる有害成分)云々と記してありますが、青汁の葉緑素は大丈夫でしょうか。
     この点お聞きしたいのです。
     前記のように少量ですがもう9年間も続けており、顔色もよく、人様から血色がよいといわれています。
     なお青汁の材料は、夏はさつま芋のつる、冬向はケールを使っております。
     勿論殺虫剤など毒薬は使わず栽培しています。
    (60・4)

     大丈夫です。ナッパ、青汁の中の葉緑素は自然なままのものであり、有毒なものはありません。
     それは、野生の草食動物が生涯食っていることだけでもわかりましょう。


17. 便が出にくくなった

     医学博士 遠藤 仁郎 

     「血圧が少し高いので薬をのんでいます。すすめられて4〜5日まえから青汁をはじめましたところ、便が出にくくなりました。胃腸がよわいので、薬をもらって、毎日やわらかいのが出ていたのですが、それが十分に出ないようになりました。」
     「ふつう青汁をのむと通じはよくなるものですが、なかには出にくくなることもあります。大腸のはたらきには二通りあって、一つは、水分を吸収して便をかためるはたらき。も一つは、その便を排出するはたらき、とです。この両方がそろってよくなれば、やわらかからずかたからずの、ちょうど頃あいの便が出るのですが、一の方のはたらきだけがよくなると、便がかたくなりすぎ、出にくくなります。食べものが、こなれのよいものばかりだと、便の分量が少なくなるので、よけい出にくくなります。あなたのばあい、かねがね胃腸がよわいそうですから、そういう食事で、野菜が少ないのではありませんか?」
     「そうなんです。リンゴがよいというので、食べますが、これも、すりおろして汁だけ飲んでいます。」
     「それが原因だろう、と思います。カス(繊維)の多いものをつとめて食べるようにしてみてください。ごはんも白米よりは、玄米か麦飯。もっとよいのはマメやイモ飯にし、野菜とくにナッパやくだものをうんと添えること。青汁もうんと大量ならともかく、1合そこいらでしたら、しぼらずにカスごと全部のんでしまう。そうしていると、便はあまりかたくならず、薬なしでも、自然に気もちよく出るようになります。
     もひとつ大切なことは砂糖。お菓子や甘いジュース、味つけの砂糖が多いと、腸の運動がよわって、結しやすくなりますから十分気をつけてください。そして、様子をみながら、しだいに青汁の分量をふやしてください。
     「どれくらい?」
     「少なくとも3〜4合、(もとのナッパ1キロ)くらい。それを根気よくつづけていれば、体調はしだいによくなり、胃腸の薬も血圧の薬もやがていらなくなるでしょう。

    (60・7)


18. もっと良心的であれ

     突然、こんな投書がまいこんできました。
     身に覚えのないこと、まことに迷惑千万ですが、真面目な会の名をかたって、いかがわしいものを商うことには限無き腹立ちをおぼえます。
     こと、青汁といった、天地自然の神のめぐみを扱うものは、もっと良心的であってほしいものです。

    (平成3・4)(遠藤)


     今年は長雨が続き、とりわけ気候不順で、何も彼も、世の中までおかしいことばかりです。
     私は、去年まで知人の無農薬野菜をつくっている人に、私の分だけケールを作って頂いて、青汁をつくって飲んでおりまして、お蔭様で、冷え性と腎臓病が殆んど恢復致しまして、すっかり元気になりました。
     今年になって、勤めに出るようになり、時間がなく、自分で作れなくなりましたので、困っておりましたところ、折込み広告に青汁を届けて下さるという、大々的な量を全国的に配達しているということで、遠藤先生のやられている青汁なら大丈夫で、九州に工場まで作って量産し始めたのか−と、愛飲者が随分多くなったものと驚きました。
     早速届けて貰ったところ、なんと冷凍の固りで、解凍してみたら、まるで水へ色ずけした様な、子供の2、30円のジュースみたいなもので、呆れてしまいました。
     青汁の味はなんにもなく、これは水ジュースというべきで、遠藤先生、どうか、病むものはどんなにしても丈夫になりたいのです。
     効くというならお医者様のなさる青汁ですから信用して飲みたいと思います。
     遠藤先生がこんな青汁を御自分で飲んでいるのでしょうか。
     病人や健康になりたい一心の人を相手に儲け商売をしてるのでしょうか。
     世の中、こんな信頼していたお医者様まで、お金のために変ってしまうのでしょうか。
     (静岡市 T.H.)







ご意見・ご要望はこちらへクリック
階層リンク 田辺食品 青汁 健康と青汁 上の階層へ
サービスリンク 更新記録 全体構成 商品紹介 注文方法

Copyright 2011 11 田辺食品株式会社