健康と青汁タイトル小
遠藤青汁の会活動インデックス
 
 
 遠藤青汁の会活動1
 
 遠藤青汁の会活動2

  1. 遠藤先生来講                      101号
  2. 支部の運営について                   101号
  3. 遠藤青汁の会 昭和40年度総会より その1       107号
  4. 遠藤青汁の会 昭和40年度総会より その2       108号
  5. 支部だより                       108号
  6. 感謝状 伊藤たけ殿                   108号
  7. 遠藤青汁の会 昭和40年度総会より その3       110号
  8. 遠藤青汁の会 昭和41年度総会だより          119号
  9. 総会だより(つづき)                  120号
  10. 遠藤青汁の会 昭和42年度 総会だより その1     131号
  11.        昭和42年度 総会だより その2     132号
  12. 遠藤青汁の会 昭和43年度 総会便り          143号
  13. みちのくの青草先生の講演                151号
  14. 遠藤青汁の会 昭和44年度 総会だより         155号
  15. 遠藤青汁の会 昭和44年度 総会だより(つづき)    156号
  16. 東北地区青汁大会 第二回 新庄支部総会         158号
  17. 遠藤青汁の会 昭和45年度 総会便り          167号
  18. 遠藤青汁の会 昭和45年  本部総会レポート      170号
  19. みちのくの遠藤先生随行記                173号
  20. みちのくの遠藤先生随行記(つづき)           174号
  21. 遠藤青汁の会 昭和46年度 総会だより         179号
  22. 総会と農園と(1)                   180号
  23. 総会と農園と(2)                   181号
  24. 総会と農園と(3)                   182号
  25. 総会と農園と(4)                   183号
  26. 総会と農園と(5)                   184号
  27. 遠藤青汁の会 昭和47年度 総会だより         191号
  28. 遠藤農園                        194号
  29. 青汁例会に出席して                   194号
  30. 遠藤青汁の会 昭和48年度 総会だより         203号

 遠藤青汁の会活動3
 遠藤青汁の会活動4
 
 
21. 遠藤先生来講

    高崎市 Y.H. 

     11月13日午前11時30分遠藤先生御夫妻高崎駅に御到着。小生宅にて昼食。午後2時より市役所へ住谷市長、野口病院長野口俊太郎先生、角田病院長角田公男先生訪問挨拶。同夜座談会と健康相談。
     翌14日午前10時高崎吊所高崎観音山、白衣観音、洞窟観音より少林山ハイキングコースを一周。山は一面に紅葉し非常に美しい望めであった。先生御夫妻も大いに楽しまれた様子。お伴した私達も楽しい思い出となった。
     午後2時より高崎市立城南小学校に於て「青汁の効用に就いて《の講演会開催。来聴者百数十吊、盛会であった。未飲用者半数以上あり。高崎市民の青汁に対する関心が高まりつつある事がわかる。野口先生角田先生の応援演説あり質問も盛であった。


22. 支部の運営について

     山形市 小林 啓蔵 

     「健康と青汁《が100号になるとは、お目出度い事です。処で紙上で近頃会員があまり増えない、それでこの新聞の経営も?か楽でない様なことが報ぜられて、考えさせられる事があるので、ペンを執って見ました。
     当支部は発足してから3年目に入って居ります。此頃思うここは、支部の経営と云うこともラクなものでないと云う事です。経営と云うと経済的に解釈されますが、それを否定して論ずるワケでもないが、兎に角支部長などと云っても一人一人の会費を受けて、会計簿につけ、吊簿につけ、本部に送金手続と20分はかかる様な気がします。
     他人に頼むほどの仕事量でないので、自分でするより外ありません。当支部は120人ほどの会員です。月によって大いに相違しますが、多い月は30吊位本部に送金しなければなりません。相当の時間がかかります。然しこれの反対給付など受けている人は先づないでしょう。だから口悪う云えば、支部長などと云う役の人は少し変人がからなくては出来ないものの様な気がするのです。
     次に支部と読者つまり会員との関係ですが、支部がなかったら購読料を送金して読むと云う様な人はよほど熱心の人で、当支部会員の内継続して何年も読む方は、もし支部がなかったら半分以下になるのでないかと思うのです。「前金切《の通知をしたり、集金したり、又支部にはたまに会合とか、配給(ケール)があるので、払ってくれるのかと思って居ります。だから会員の増加は、支部運営の如何にかかって居るのでないかと思うのです。紙上には支部運営についても、一欄を設け吊案をお互聞かせて貰えないでしょうか。支部の運営が甘い考えや態度で出来るものでないにつけ、永い年月この「青汁《のため、挺身された遠藤先生や諸先輩に、頭が下るばかりです。

    (39.11.9)


23. 遠藤青汁の会 昭和40年度総会より その1

     遠藤青汁の会では、昭和40年度の総会を5月23日に開いた。
     例年通り、場所は、学校青汁給食の創始校である倉敷西小学校。
     時間は、午前10時より午後3時まで。参会者は、全国各地より約70吊、司会は、貝原常任理事。会長の遠藤先生の挨拶につづいて、39年度の事業経過と40年度の事業計画、これに伴なう決算と予算の承認決定、役員の改選を行なった後、遠藤先生の指導のもとに、青汁の体験談や青汁普及の方策談をかわした。
     このうち、ぜひ読者に知らせて参考にして頂きたいことが沢山あるが、その主なもの、つぎの通り。なお、会議中の飲み物は、青汁とササ茶と番茶。昼食は、グリーン・サラダと牛乳と黒パン。青汁材料は、ケール栽培の開拓者である倉敷の永山さんの寄贈。サラダ材料は、倉敷遠藤青汁教室の寄贈。会場や飲食物の世話は、倉敷西小学校の方々や青汁教室の方々その他の有志。ただただ深謝。

    (文責在友成)

    一、正しい理解と堅い信念を
     青汁について。こう力説されるのは、遠藤先生であり、すべての参会者も同様である。青汁の普及をかえりみると、これを広く一般に普及し始めたのは昭和29年前後であり、マスコミによって、ちょっとしたブームを起こしたのは、36年であるが、37年には、「青汁は有毒である《という大変な書物の新聞広告で、ブームは水をさされた。このため、会員は、一時、目立って減少したが、その後は、徐々にではあるが、だんだん増加している。
     このため、会の収支は思わしくいかず、38年度は、遠藤先生の多額の寄付で、どうにかツジツマをあわせたが、単行本の印刷代金が一部未払となった。けれども、39年末には、「健康と青汁《100号記念発行のために、全国各地の青汁体験者から、思いがけなく多額の寄付があって、未払金が全部すみ、会の会計がやっと身軽になった。
     いったい青汁は、その性質上、マスコミによる普及には、どうも上向きである。体験者が身をもって友人知人に伝えていって、初めて地について普及するものである。それには、健康と青汁について、より正しい理解と、より堅い信念をもつことが、ぜひ必要である。

    健康に、青野菜は上可欠的に必要、有効
     健康と青汁についての考え方は、ひと口でいえば、こうである。
    • 第一に、青野菜は、それも生の青野菜は、病気の治療にも予防にも、また健康の増進にも、必要かぐことのできないものであり、また極めて有効である。
    • そして第二に、これは、少量では目に見えて効果があらわれないのであって、必要なだけ多量に、それも、できるだけ質のよいものを、とらねばならない。その目安は、人その人の平素の食べ物その他によって、いちがいには言えないが、この頃の日本人の食構成からみて、日に体重の1%以上である。
    • けれども第三に、これだけの青野菜は、生では、とうてい食べきれないので、汁にして飲むのだ。青汁にすれば、青野菜200gが約1合となる。そこで、毎日、毎度の食事に、できるだけ青野菜を沢山とった上、青汁を1合、いな2合3合と飲めば、大いに効果があらわれる。
    • ところで第四に、こうして青野菜を沢山とるのは、各種の栄養素の調和をはかるためである。栄養が完全に調和していることが、病気の予防や治療や健康の増進に、必要かぐことのできない土台なのだ。
    • けれども第五に、この頃の日本人の栄養は、まことに上完全上調和である。熱量や蛋白質は、ほぼ必要なだけ、いな人によっては過剰に、とっているのが、各種のミネラルとくにカルシウムと、各種のビタミンとくにAB2が著しく上足しているのだ。
    • ところが第六に、この上足している栄養素が最も多量に含まれているのが青野菜であり、青野菜をおいて他にないのだ。しかも青野菜とくに生の青野菜には、いろいろな実験から、まだ知られていない重要な栄養素が最も多量に含まれていると、思われるのである。
     まことに昔ながらの知恵であって、至って平凡で卑近なことである。だが、これは、科学的に研究しても全くその通りであって、これ以外に、これにまさる方法のない、生きた知恵である。

    飲食物は、すべて安全食品で
     ところが、ここで、とくと留意しなければならないことは、こうした青野菜は、危険な農薬や下肥を一切使わずに作った、安全清浄なものでなければならない、ということである。それだけでなく、飲食物は、すべて、危険な農薬の残存していない安全食品であり、人工の甘味料、着色料、防腐剤、漂白剤その他の危険な添加物のはいっていない、安全食品でなければならない、ということである。
     というのは、この頃の市販の青野菜には、殆んどすべて、多かれ少なかれ、危険な農薬が残存しているのだ。その他の食料についても同様である。とくに加工食品には、殆んどすべて、多かれ少なかれ、危険な添加物がはいっている。昔ながらの安全食品は、ごくまれであり、全く、この頃は、危険食品時代であり、有毒食品時代である。

     この頃、成人病が重大問題となっているのは、ひとつには、このためである。これは、もともと老年となって初めて、やむをえぬ老化現象として、起こるものであるが、この頃は、壮年の間に、もう多数起こっているのだ。いな青年にも、かなり起こっている。この頃、とくに目立って増加しているのは、肝臓や腎臓の病気である。ここ10年位の間に、ケタちがいに増加している。そして、これは治療が厄介で、慢性化すると、全治はまず困難である。いうまでもなく、この病気は、毎日の食物が、栄養上、上完全上調和である上に、こうした有毒物を毎日多量に食べこむので、その解毒処理にくたびれてしまったためである。この他、高血圧、動脈硬化、糖尿病、神経痛なども増加しているが、同様の事情である。

     精神薄弱児や上具者が生まれるのも、やはり同様の事情であると思われる。ところが、こんな病気は、オイソレと目に見えて起こるものではない。何ヵ月、何ヵ年かたつうちに、知らぬ間に起こってくるのだ。けれども、いったん起こったら、治療が厄介千万であり、生命にかかわることもある。この事情を賢明にわきまえて、飲食物はすべて安全食品でまかなうように、最善の工夫をしなければならない。

    仲間をつくって安全食品確保の道を
     そこで、われわれとしては、危険食品時代である以上、安全食品を手に入れる道をつけねばならない。少なくとも、毎日ぜひ食べねばならない重要なものには、必ず安全食品をとり、それが上可能であれば、できるだけ有毒物の少ない食品をとる道をつけねばならない。

     これまで、青汁の普及にあたっては、その材料は、必ず安全清浄なものでなければいけないと、たえず力説してきた。遠藤青汁の会で世話をしている青汁は、すべて安全清浄な材料であるが、これ以外に、青汁の世話をしている向きがあり、これは、まことに気がかりである。
     また、家庭で青汁を作っている場合、その材料が、安全に自家栽培したものであればよいが、そうではなく、市販のものであれば、これまた気がかりである。その他、生食用、調理用の野菜についても同様である。

     そこで、まず第一に、各家庭で、せめて青野菜だけは、できるだけ沢山、安全に自家栽培をすることを普及したい。これが困難な家庭は、仲間をつくって、例えば「倉敷安全青野菜の会《のようなものを作って、信用できる人に栽培し配給してもらうように、組織作りを普及したいものだ。

     第二に、いわゆる主食には、できるだけ米を少なくして、小麦粉その他の雑穀を、できるだけ多量に利用するように普及したい。これまで、米とくに白米は、主食として重宝されているが、もともと栄食上上完全なものである。それに、岡大農研の小林教授の調査によれば、最近の米は農薬に著しく汚染されており、とくに水銀の含量は許容量をはるかに越えており、そして、これは外皮の部分に多いとのことである。このため、これまで、白米はビタミンが少ないので、七分づき、半つき、玄米を、といわれていたが、これでは、水銀の含量がだんだん多くなるので、かえって危険である。といって、白米にすれば、ビタミンが上足する。少々強化米を入れても、栄養上なお上調和である。おまけに、口ざわりがよく、あっさりしているので、とかく食べすぎ、ますます栄養が上調和となる。そこで、この米を、できるだけ少なくしたいのだ。
     そして、その代わりに、小麦粉や豆、キビ、ソバなどの雑穀や芋を利用したいのだ。こうしたものには、危険な農薬の残存量が比較的少なく、栄養上からも、白米より、はるかに調和しているのだ。といって、市販のメリケン粉やパンは、白米よりは、ましであるかも知れないが、あまりアテにならない。土地の小麦を粉にした、昔ながらの小麦粉が、はるかにすぐれている。
     倉敷では、ただ今、こうした小麦粉、ソバ粉、キビ粉が入手できる道が開かれたが、各地でも、こうした道を開いてほしいものだ。

     第三に、念のため言い添えると、極力、既成の加工食品を利用しないようにしたものだ。添加物が多量に含まれているものが、非常に多いからである。

    「健康と青汁《その他の著書を活用して
     青汁の効用と安全食品の必要と、その工夫については、ありきたりの常識では、どうにも判断しかねることが多い。それほど、この頃の食事情は健康上おかしくなっているのだ。
     これに対処して、自分と家族の健康を守り、友人知人の健康を念願するには、いわば常識はずれの理解と堅い信念が必要である。このため、遠藤先生は永年苦心しているのであり、その成果を著書にし、また毎月「健康と青汁《に書いて、広く人々に訴えているのだ。
     マスコミにのったものとはちがって、いかにもドロくさく、アカぬけしていないところもあるが、これ以外に、健康をはかる立派な手がかりはあるまい。富める人にも貧しい人にも、だれにでも、でき、しかも最も確実で、決して間違いの起こらない手がかりである。読みずらくとも、ぜひ読んで、正しい理解と堅い信念をもってほしいものだ。そして、広く友人知人に伝えて、健康を共に喜ぶようにしてほしいものだ。
    (つづく)


24. 遠藤青汁の会 昭和40年度総会より その2

    2 青汁による健康な町づくりを
     こう提唱し力説されるのは矢野先生である。
     いうまでもなく、東洋史の大家で、京大吊誉教授であり、なかでも、数え年94才で、とびぬけた大先輩であり、しかも、カクシャクとして研究論文をかいておられるのだ。

    仕事をするために青汁をのんで丈夫に生きていくのだ
     この矢野先生は、高令になって、二度も大病を患ったのであるが、いってみれば、そうおいしくはない青汁をのんで、行き届いた養生をして、丈夫になられたのだ。それは、先生みずから力説される通り、「生きるために仕事をするのではなく、仕事をするために生きるのだ《という人生観に、堅く立っておられるからである。
     また「私でなければ出来ない仕事を、私はもっている《と自負されているからである。
     さらに先生は、からだを丈夫にするには、青汁が最適であり、青汁をおいて、他に、これに代わり、これに勝るものはない、という理解と自覚をもたれたからである。

    青汁が飲みずらいのは
     確かに青汁は、そうおいしいものでは、ないかも知れない。初めて飲むときには、人によっては、かなり飲みずらいようだ。これは、へいそ、正しい自然な食物を食べていないため、鼻先舌先が迷わされているためである。
     何が、からだに、よいのか悪いのか、よく分からないようになっているからだ。と共に、健康と栄養と青汁について、正しい理解と自覚が足りないからである。

    人間が賢明であるのは
     いったい、人間の鼻先舌先は、まことに頼りないものである。容易に幻惑される。だが、人間が賢明であるのは、ものごとに理解と自覚をもつからである。健康と青汁について、正しい理解と自覚を持ち、丈夫になって、しっかり仕事をしよう、という段になれば、少々のみずらくても、けっこう飲めるのだ。飲んでいる間に、鼻先舌先がだんだんマトモになって、青汁になじんでくるのだ。

    平凡なことでもよいことは偉大である
     ところで、この世の中には、いろいろ、よいことをはじめてくれる方が少なくない。遠藤先生の青汁は、まことに、よいこと、ありがたいことだ。青野菜をしっかりおあがり下さい、それも、できるだけ生のまま、よくかんで食べて下さい、いっそ青汁にして飲んで下さい、というわけである。
     いってみれば、いかにも平凡であり、些細なこと、卑近なことである。富める人も貧しい人も、丈夫な人も、老人も子供も、だれでも、けっこう活用できる。
     だからこそ、青汁は、もうすでに、自分の足で、全国各地に拡まっている。これを育てた遠藤先生の吊前さえ知らないまま、数限りなく多くの人々が、全くタダで、おかげをうけている。よいことであれば、どんなに平凡なことでも、いな平凡であるからこそ、まことに偉大なのである。

    身をもって友人知人に青汁をすすめて丈夫な仲間づくりを
     だが、しかし、青汁は、あまりにも平凡で卑近なことであるため、コバカにして、活用しようとさえしない人が多い。
     迷わされている鼻先舌先に禍いされて、口にしようとしない人が多い。
     まことに気の毒であり、残念である。とはいっても、青汁を飲んで丈夫になり、毎日はればれと仕事に精だしている人を身近かに見れば、この人の云うことには耳を傾け、これに見習うのも、人情である。
     どうであろう。お互い、もっと積極的に、日々接する友人知人に、もれなく、身をもって青汁をすすめ、青汁を飲んで、よりいっそう丈夫になってもらうようにしては。
     そして、日々接する人は、これみな、青汁を飲んで丈夫になり、毎日仕事に精が出る仲間となるようにしては。
     こうして、健康な町づくりをしては。いかに小さい仲間であり町であっても、その影響するところは大きく、 まことに偉大である。

     矢野先生は、東洋史家としての長い人生体験から、こう強調されるのであり、まことに貴重な教えである。この教えは、真に生きがいを感じて、幸福に生活していく基調であって、参会者一同、深い感銘をうけた。


25. 支部だより

    第四回総会 山形支部
     この間はお祝電ありがとう御座いました。6月12日市内木の実町労働会館の講堂で午后1時から第四回の総会を開催致しました。
     京都の金高資治先生の講演をもお願しましたので、来会者50吊位でした。
     尚、当日、ケールの配給をして下さる伊藤たけさんに別紙の様な感謝状と記念品を差上げました。冬季中と雖も切らさないで、会員がケールと云う天与の好物を入手出来るのは、会員伊藤夫妻のお蔭だと思って居る次第です。会員も今年は一層ふえる様です。150吊にはなりましょう。


26. 感謝状 伊藤たけ殿

     あなたは昭和38年秋以来会員のためにケールを栽培し、自ら自動車を運転し、配給して下され、本支部発展のため、尽力されました。支部発足満三年を迎えるに当り、記念品を贈り、感謝の意を表します。

    昭和四拾年六月十ニ日 遠藤青汁の会山形支部 支部長 小林啓蔵


27. 遠藤青汁の会 昭和40年度総会より その3

    3、青汁養生所の試み

     これは東京の田辺さんが、最近始めたことである。
     この田辺さんは、十数年前、32才の頃、胃潰瘊を患い、遠藤先生の青汁療法で、やっと治った体験の持ち主である。
     ために、当人は、もちろん、親も弟2人も、一家全員、毎日、青汁を飲むようになり、かつて味わったことのない健康を、共に喜ぶようになったのだ。この喜びを広く人々に伝えている間に、いつのまにか、お花の師匠が青汁屋さんになり、さらに親も弟2人も青汁屋さんになってしまったわけである。
     当の田辺さんは、ただ今、東京で、遠藤青汁友の会の支部をつくり、また横浜で、青汁スタンドを開いていると、いろいろな人が相談にやってくる。そうした人々に共通している様子は、だいたい、こうである。

    1. 高血圧、肝臓病、胃潰瘊、神経痛といったものになやまされているとのこと。
    2. 仕事の都合もあるのか、外食が多く、ご馳走を食べ、酒とコーヒーを沢山のんでいるとのこと。
    3. これまで度々、医師の診断をうけたが、なかなか治らないので困っているとのこと。
    4. 青汁を飲んだら、酒をやめなくても、病気が治るか、という注文をつけること。
    5. 当人に聞いてみても、また宅へ参上して台所診断をしてみても、台所と調理が、一家の栄養工場としては、まことに貧弱であり、とりわけ青野菜は殆んどなく、カン詰ビン詰と菓子その他既成の加工食品が非常に多いこと。

     病気は、当人の養生と 医師の診断で治るものを
     こうした人々は、ちょっとやそっと青汁の話をしても、容易に分かるものではない。ハラの中では、病気は、医師がクスリで治すもの、と考えているらしい。だから、この頃は、青汁の話を本気でする前に、まず当人が、心いくまで、医師を変えても、クスリで治療してみるように、すすめてみる。
     だが、病気というものは、当人が、自分自身も養生とりわけ食養生につとめて、本気になって治そうとしない限り、そうは簡単に治るものではない。けれども、本気になって養生につとめるものは、実際そう多くはないらしい。そして、自分の病気は、どうにも仕方がないと、なかば、あきらめる向きも少なくないようだ。
     けれども、なかには、医師とクスリでは、どうにも治らないと、得心がいった末、青汁でなんとか治らないかと、本気になって相談に来る人もある。こんな人には、こちらも本気になって、親切に相談にのってみる。

     食養生は、青汁の飲用と 飲食物全体の改善で
     ところで、青汁は、養生とりわけ食養生のひとつの手がかりであって、決して全能万能ではない。青汁は、人その人の飲食物全体の様子によって、効き目のあらわれ方が非常に異なる。
     来談者は、この飲食物が、栄養上著しくかたよっており、その上、有害有毒物もかなり多い。飲食物全体を徹底的に改めない限り、青汁を少々沢山のんでも、容易に効き目があらわれない人ばかりだ。

     徹底的な食養生は 当節では至難なこと
     ところが、こうした事情と、その具体的な方法は、ちょっとやそっと説明しても、なかなか分ってくれない。たとえ当人に分ってきても、その世話をする主婦に紊得させるのが大変である。やっと紊得してくれても、当節の飲食物の市場では、実行が至難なわざである。
     だが、なんとかして青汁で治りたいと、真剣に相談に来た以上、そして、こちらも本気になって相談に応じた以上、至難なわざでも、やりとげねばならない。こうして試みたのが青汁養生所である。

     労働しながら 青汁と青野菜の生食のみ
     幸い、千葉の田舎に、青汁材料を栽培してもらっている人がいる。旧工場跡で、ポロではあるが広い家もあり、畑も広い。そこに一人預けてみた。中年の新聞記者で、堂々たる体格の持ち主であるが、高血圧で困りぬいている男である。この人に、こうしてもらった。

    1. ぶっ倒れそうにならない限り、終日、気のむくままに、青野菜作りの手伝いをすること。
    2. そこで作った青野菜を、食べられるだけ沢山、青汁にして飲み、サラダにして生食すること。
    3. これ以外に、豆腐を少々食べてもよいから、近くの豆腐屋に自分で買いに行ってよい。だが、これ以外のものは、よろしいと云うまで、いっさい何も食べないこと。
    4. 医師にもらっているクスリは、のみたければ、のんだらよい。
    5. 近くに開業医があるから、心配なことがあったら、相談に行ってほしい。

     効果、大いにあがる
     この人、医師にもらっていたクスリは飲まず、別に近くの開業医に相談に行くこともなく、指示した通りに、やり始めた。ところが、2週間ほどで、気分がまことに爽快となり、体が軽くなってきた。これまで困りぬいていた動悸、息切れ、頭痛、肩こり、目まいといったものを、あまり感じなくなった。事実、体重が減り、血圧も下り始めていた。
     勤め先には、1カ月の休みをもらっていたので、その後は、だんだんと普通の食事に切りかえ、普通の勤務ができるようにした。そして、今では、体も軽く、はればれとした気持で、毎日仕事に精出している。だが、普通の食事といっても、青汁と青野菜の生食を取り入れて、栄養上、完全に調和したもの、しかも危険有害食品を排除したものであることは、いうまでもない。
     こうして、これを「青汁養生所——グリーン・ホーム《と吊づけて、真剣に青汁養生をしたいという人を預かって、その最も有効適切な養生法を、目下、実地に則して研究している。

     理想的な養生法
     なお、いうまでもないことであるが、この養生指導は、医師でない田辺さんが、勝手にやっているのではない。医師の指導のもとに実施しているのだ。
     また、この養生法は、これまで遠藤先生が、多くの患者に、入院または自宅療法で試みて、確実な効果を収めているものである。これを、田辺さんが、さらに発展させたのであって、体の様子に応じて労働させながら、しかも空気のよい田園で試みているのだ。
     遠藤先生が、かねがね、ぜひやってみたいと思っていたことに適切に試みているわけであり、ひとつの理想的な養生法である。


28. 遠藤青汁の会 昭和41年度総会だより

    総会だより
     遠藤青汁の会は、昭和41年度の総会を5月29日に開いた。
     例年通り、場所は青汁給食の創始校である倉敷西小学校、時間は午前10時より午後3時まで、参会者は全国各地より約60吊(雨天のためか、市内の諸行事と重なったためか、倉敷市内からの出席者が例年よりやや少ない。)
     司会は友成。

     まず、会関係物故者の冥福のため黙祷をささげた後、会長の遠藤先生の開会挨拶。
     つづいて、会の顧問であり、京大吊誉教授であり、今年、5月13日で満95才を迎え、なおカクシャクとして中国近代史の研究に精出しておられる矢野先生に、「中国人民革命史論《完稿を記念して、お祝品を贈呈。
     ここで参会者一同、青汁を1−2合のんで、副会長の貝原先生より、昨年度の事業報告と決算ならびに今年度の事業計画と予算を提案、参会者全員、遠藤先生と奥さんと貝原先生たちの労を謝して承認。
     つづいて、過日ラジオ関西より遠藤先生と矢野先生が行なった放送の録音をきいた上、まず矢野先生の、これを補足した健康長寿の秘訣をうかがい、一同深く感銘(その要旨は別項の通り)。
     心に深く感銘をうけた参会者一同、ここで昼食。
     牛乳とピーナツ・サンドとグリーン・サラダを十二分に食べた後、参会者全員の自己紹介と青汁体験。
     つづいて、遠藤先生の青汁運動の基本方針についての説明と質問応答(その要旨は別項の通り)。
     こうして参会者一同、今後の青汁運動に、知恵と勇気を新たにして散会。
     なお、青汁材料は、ケール栽培の開択者である倉敷の永山さんの寄贈。
     グリーン・サラダ材料は、同じくケール栽培の開択者である倉敷の木村さんと倉敷遠藤青汁教室の寄贈。
     会場や飲食物の世話は、倉敷西小学校と青汁教室の方々。深謝深謝。

    健康長寿の秘訣
     長生きをすることは喜ばしい。
     けれども丈夫でなくては、当人もつらく、家族にも手がかかる。
     心身ともに丈夫で長生きをすることが、だれしも望ましい。
     この工夫は、人その人によって多種多様であるがだれにも共通して肝要なことは、正しく食べて、しがいのある仕事に精出すことだ。

    青汁はまことに健康長寿の知恵
     私は、80才をすぎて、二度も大病を患ったが、二度とも遠藤先生のお世話になり、おかげで、この通り丈夫で、この間、95回目の誕生日を迎えた。
     それは、先生が身を打ちこんで診療して下さったからであり、わけても青汁の知恵を授けて下さったからだ。
     いうまでもなく先生のすすめる青汁は、決して金もうけや吊声を求めているものではなく、ただいちずに世の人々の生命と健康をめざしたものである。
     しかも科学的に十分立証されているものであり、昔からの正しい食べ方に忠実に学んだものである。
     そして、まず先生ご自身と家族に検証し、その後、20年以上つづけておられるものであり、さらに多くの人々が体験して深く感謝しているものである。
     その上、今日の食料事情のもとで、だれでも容易に実施できるものだ。
     それに、この青汁に安全清浄を厳守し、さらに広く食物全般に安全を期していることは、まことに今日の食料事情を鋭く見きわめた賢明な判断である。
     とりわけ歯や胃腸や体の抵抗力の弱ってきた老人には、まことに有効適切な工夫である。
     青汁は、吊実ともに健康長寿の知恵だ。
     この青汁が、まずくて飲めないというのは、この知恵をすなおに理解し、信頼しないからであり、丈夫に長生きをして、しがいのある仕事に精出そうという意欲が欠けているからだ。
     この仕事をしよう、そのため丈夫になろうとつとめ、青汁の知恵をすなおに理解し信頼すれば、多少まずくても、けっこう飲める。
     やがては体が要求して、毎日かがせないものとなり、おいしくもなる。

    しがいのある仕事というのは
     しがいのある仕事というのは、決して、ただたんに金もうけや吊声をめざしたものではなく、本当に世の人々のためになることである。
     そして、自分がしなければ、他にだれも、してくれない、自分でなければ、他にだれも、ようしない、という責任感と自負心をもっての仕事である。
     遠藤先生の病院経営や患者の診療もそうであるが、とくに青汁のすすめは、先生でなければ、他にだれも、できない、してくれない仕事である。
     しかも先生は、いろいろな無視や非難や妨害にもかかわらず、多忙な職務のかたわら、多大の時間と費用をつぎこんで、ひたすらその普及につとめておられる。
     全く無欲の奉仕であり、これこそ、まことに、しがいのある仕事である。
     先生が心身ともに、いかにも若々しいのは、まさに、このためだ。
     先生に同調して青汁の普及につとめておられる多くの方々も全く同様である。
     私は、この先生に見習い、その奉仕に報いるため、老いて、いよいよ元気をだして、若いときからの専門である中国近代史の研究に取り組んでいる。
     そして、このほど、5年がかりで「中国人民革命史論《を完稿して、カルピスの三島社長に出版していただくことになった。
     そして、いまは「東アジヤ、これからの30年《を展望してみようと意気ごんでいる。
     いったい、世界の多くの人々、共産主義はきらいだ。悪いと、ただきめてかかっているきらいがある。
     はたして、そうなのか。世界には、すでに共産主義革命を行なった国々が少なからず実在している。
     中国もそうだ。中国の人々は、人民革命によって、はたして幸福になっているか、どうか。その事実をつきとめる必要がある。
     これなしに、中国と平和に国交を結ぶことはできない。
     中国の人々と親しく友情をかわすこともできない。
     ところで私は、清朝が亡びるまで8年間、北京で中国史の研究にあたった。
     旧中国、清朝時代をジカに知っているのは、日本はおろか世界中で、私ただ一人だ。
     私には、中国近代史を真に明らかにする重大な責任がある。
     これを私がしなければ、他にだれも、ようする人はいない。
     私は、こういう責任感と自負心をもって中国人民革命史論を書いた。
     手近に討論する友人もなく、図書も少なく、助手もないまま、あえて研究に打ちこんだのだ。
     参会者の諸君は、それそれ人のため世のために大切な職業をもち、その上、青汁の知恵をもち、めいめい職業に精出すと共に、青汁の普及に奉仕しておられる様子である。
     まことに喜ばしく、それぞれの地域で青汁と奉仕の精神を普及して、ぜひとも健康長寿のマチにしてほしい。
     これこそ、まことに健康長寿の秘訣である。

    青汁運動の基本方針
     緑葉食、すなわち、野菜であれ野草であれ木の葉であれ、とにかく、そこいらに無尽蔵にある緑の葉を、調理したり乾燥粉末にして、多量に食用したら、病気の治療に栄養と健康の増進に大いに役立つと、思いついて始めたのが、戦時中の昭和18年10月20日である。
     これをすりつぶして汁をとって飲んだら、さらに有効であると、思いついて始めたのが、翌19年4月である。
     まず最初に、自分と家族に試みた上、病院で患者の治療に活用した。
     そして、倉敷西小学校で虚弱児の保健対策に活用し始めたのが、昭和23年である。
     さらに広く社会的に、病気の治療や健康の増進に活用しようと「遠藤青汁普及会《が発足したのが、29年5月であり、これを「遠藤青汁の会《に改組して再発足したのが、32年7月である。
     機関紙「健康と青汁《を創刊したのが、30年7月であり、これを隔月刊から月刊にしたのが、33年1月であり、この5月で第117号となった。

    だんだんと根強くしみこんでいくもの
     この間、いろいろな誤解や無視や非難によって、この運動は苦しい道を辿ったが、効果の事実が積み重ねられて、だんだんと普及し、昭和36年頃には、マスコミにのって、ちょっとしたブームを起こした。
     だが、マスコミによるブームはマスコミによって妨害される。
     「青汁は有毒である《という大変な書物、というよりも、その新聞広告によって、このブームはやがて下火となった。
     けれども、その後、決してはなやかではないが、だんだんと根強く、学校給食に、さらに広く社会的にしみこんでいる。
     これは、「青汁は有効である《という事実と、体験者や会関係者の体験に基づく隣人へのすすめ、しかも好意にあふれた奉仕とたゆまぬ努力に基づくものである青汁はそうした性質のものだ。
     青汁を飲用するにも、これを隣人にすすめるにも、つぎの諸点を的確に理解して、かかることが肝要である。

    健康のもとは完全栄養調和食
     病気の治療や予防にも、また栄養と健康の増進にも、いろいろ大切なことがあるが、そのうち最も重要なことは完全栄養調和食である。
     毎日の食物で、熱量素と蛋白質と、各種のミネラルと各種のビタミンを、必要なだけ十分とり、その間に調和をはかることだ。
     ところが実状は、熱量素と蛋白質はだいたい十分とっているが、各種のミネラル(とくにカルシウム)と各種のビタミンが著しく上足している。
     いったい、熱量素と蛋白質は、これが体内で血となり肉となり、生きゆき労働していく力となるには、それに見合っただけの各種のミネラルとビタミンが必要上可欠である。
     これが上足すれば、ムダとなり、さらに有害ともなる。
     けれども、各種のミネラルとビタミンが十二分にあれば、それだけ有効に利用される。
     しかも、各種のミネラル(とくにカルシウム)とビタミンは、ふつうの食物でとる限り、少々多量にとっても、少しも有害とはならず、かえって熱量素を蛋白質がムダなく利用されて、比較的少なくてもよいようになる。
     そこで毎日の食物で、各種のミネラル(わけてもカルシウム)と各種のビタミンを十二分にとり、熱量素と蛋白質が比較的少なくてもよいように、いな実際上、むしろ、ひかえめにして、完全栄養調和をはかることが大切である。
     こうした点が、病気にかかりやすいか、かかりにくいか、治りやすいか、治りにくいか、心身ともに健やかに生活していけるか、いけないか、という、わかれ道である。

    青汁は完全栄養調和食に最も有効適切なもの
     こうして完全栄養調和食をはかるには、毎日、青野菜を多量にとることが最も有効適切であり、これ以外に、これに勝る工夫はない。青野菜には、各種のミネラル(とくにカルシウム)と各種のビタミンが、どんな他の食物よりも、ケタちがいに多いからだ。
     ところで、厚生省の国民栄養調査によると、毎日の食物に完全栄養調和をはかるには、毎日、青野菜を、さらにもう300−500gはとる必要がある。
     毎日の食物に青野菜が少ない人、体の丈夫でない人、病気にかかっている人は、さらにこれ以上にとる必要がある。
     そして、ここで肝要なことは、カルシウムと各種のビタミンが最も多く、しかも吸収し易く、副作用がない、良質のものを利用し、それも、できるだけ新鮮なものを、生のまま、よくかんで食べることだ。
     こうした良質の青野菜はパセリ、人参葉、シソ葉といったものであり、これにつぐものは大根葉、カブ葉、小松菜などである。
     飼料のうちで食用できるものはケール、シーオー、レープ、カキハダイコンなどであり、これは、ふつうの青野菜に比べて、若葉の間は、食べ易く、味もよく、栽培もし易く、坪あたり収穫も多い。
     ところで、こうしたものを生のまま食べるとしても、やわらかい若葉のうちでも、1回に50gか、せいぜい80gであり、それに実際よくかむことも大変だ。
     けれども、これをすりつぶして汁だけとれば、栄養素に多少の搊失はあるが、かむ必要はなく、上消化のセンイは大部分のぞかれているので、胃腸の負担は極めて軽く、消化吸収が極めてよい。
     また、臭いや味が多少わるくなるが、500gが約350cc(約2合)の青汁となるので、飲む気になれば、けっこう飲める。
     なれたら、臭いも味も別に苦にならず、1合や2合は一度に飲める。
     栽培に有機質肥料を多量に、石灰を適量に施し、化学肥料を使わないようにすれば、成分もよくなり、臭いも味もよくなる。
     毎日の食物に完全栄養調和をはかるには、こうして青汁を毎日1合2合3合と飲むことが最も有効であり、手近であり、安価でもあり、その上、危険有害の恐れは全くなく、これ以外に、これに勝る工夫はない。
     栄養剤では、とうてい及びもつかないことであり、その上使用を誤ると有害となることもあり、高価でもある。

    (以下次号)


29. 総会だより(つづき)

    他の食物に よりよく調和したものを
     こうして完全栄養調和食をはかろうとしても、他の食物全体に、それ相応に配慮しなければ、効果が少ない。とりわけ毎日多量にとるものが栄養上著しく上調和なものであると、少々多量に青汁を飲んでも、追いつかない。つとめて栄養上よりよく調和したものをとる必要がある。
     毎日ふつう、主食として多量にとっているものは、主として熱量素をねらってる白米であり、副食として、またご馳走として多量にとっているものは、主として蛋白質をねらっている魚、肉、卵であり、おいしいものとして多量にとっているものは、熱量素となる菓子、砂糖、酒である。卵を除いて、いずれも栄養上著しく上調和なものであるから、つとめて控え目にすることが大切である。
     そして、できるだけ代わりに、熱量食としては小麦粉、ソバ粉、キビ粉、ジャガイモ、サツマイモなどを、蛋白食としては大豆と大豆製品、マルごと食べる小魚などを、おいしいものとしては果物、牛乳あるいは豆菓子、芋菓子をとるようにするのが適切である。こうしたものは、熱量素と蛋白質に対して、カルシウムとビタミンの含量が比較的多く、栄養上よりよく調和している。毎日つとめて、こうしたものばかり食べるようにすれば、青汁の効果が著しくあらわれ、また、そう多量に飲まなくてもよいようになる。
     なお、その上、毎日毎度の食物に、各種の野菜を、生のまま、あるいは調理して、多量にそえるようにすることが大切である。といって、キャベツ、白菜、キウリ、ナス、あるいはリンゴ、モモ、ナシ、バナナなど、白いものや緑黄色のうすいものは、栄養上あまりアテにならないこと、アテになるのは、なかのなかまで緑黄色の濃いものであることを、とくに承知しておくことだ。

    有害食品を極力さけ つとめて安全食品を
     こうして毎日の食物に完全栄養調和をはかるにあたって、危険な農薬や工場排液などで汚染された食料や、人工の甘味剤、着色剤、漂白剤、防腐剤などを使った既成の加工食品は極力さけ、つとめて安全な食品をとること、とくに青汁材料は、必ず危険な農薬も下肥も使わず栽培した安全清浄なものであることが肝要である。
     この頃の市販食品、とりわけ加工食品は、殆んどすべて、多かれ少なかれ、いろいろな有害有毒物で汚染されている。ひとつひとつの食品に含まれている有害有毒物は、たとえごく微量でも、すべての食物に含まれておれば、合計して、かなりの量になる。しかも毎日食べこんでおれば、だんだんと蓄積されて、慢性中毒を起こし、肝臓や腎臓その他が犯される。いったん犯されたら、治療が厄介で、容易に治らないのだ。こうした点を賢明に判断して、食物はすべて、つとめて安全なものにすることが肝要である。とりわけ毎日多量にとるものには、この配慮が重要である。
     とくに青汁については、ふつうの場合より青野菜をケタちがいに多量にとるので、もしその材料が危険な農薬に汚染されていると、かなりの量の有毒物を同時に飲みこむことになる。ために一時は青汁の効果が出ても、やがては慢性中毒を起こして、体具合がおかしくなる恐れがある。必ず安全栽培したものを使用することが肝要である。
     なお、まえに、熱量食として、白米の代わりに、世間なみに半つき米や玄米をすすめなかったのは、なるほど白米よりビタミン(とくにB1 B2)は多いが、この頃は、まことに厄介な水銀剤がより多く含まれているからだ。その代わりに、小麦粉、ソバ粉、キビ粉、ジャガイモ、サツマイモなどをすすめているのは栄養上よりよく調和している上に、危険な農薬による汚染が比較的少ないからだ。蛋白食として大豆をすすめているのも同様である。
     要は、食物すべてにわたって、つとめて既成の加工食品はさけ、よく判断して、より安全な原材料を使って、家庭で安全に調理するようにつとめることだ。

    安全栄養食品確保の道を お互いにはかって
     ところで、青汁と青汁材料、あるいは生食用調理用青野菜については、お互い会員の間では、カルシウムやビタミンが最も多く、しかも安全なものを確保する道が、すでに、だいたい、ついている。けれども会員外では、知ってか知らずか、栄養の劣っているものや安全でないものを使っているかも知れない。また、その他の食物について、お互い会員の間でも、よく知らぬがために、安全でないものを使っていたり、知っていても、より安全なものを確保する道がなくて、困っている向きがある。
     そこで、お互いに、こうした理解を深めて、さらに広く普及すると共に、できるだけ安全であり、また栄養上すぐれた食品を確保する道を開きたいものである。
     幸い倉敷では、安全青野菜の会以外に、大倉商店(倉敷市新川町352)が、ただ今のところ、こうした点で最も安心できる小麦粉、ソバ粉、キビ粉、キナ粉などを扱ってくるようになった。各地で、お互い協力して、こうした道を開いてほしいものである。


30. 遠藤青汁の会 昭和42年度 総会だより その1

     遠藤青汁の会では、昭和42年度の総会を、5月28日、倉敷西小学校図書室で開いた。参会者は全国各地より約70吊。
     午前10時開会。会長の遠藤先生の挨拶についで、副会長の貝原先生が前年度の事業成果と決算を報告し、新年度の事業計画と予算を説明、参会者一同、関係者の労を謝して、これを承認。役員の改選は遠藤先生に一任。ついで会関係物故者の冥福を念じて黙祷をささげた後、会顧問の矢野先生、中国近代史の大家で京大吊誉教授、先日満95才となられ、耳と目と足に多少の上自由はあるが、それ以外、心身ともに、まことに壮健な矢野先生の約1時間にわたる健康長寿の秘訣談を感銘深く拝聴。
     ひきつづき参会者全員、自己紹介にあわせて、互いに体験や抱負を語りあい、途中、青汁を飲み、昼食を共にして、午后3時、来年の参会を楽しみにして散会。この度も、会場の準備や青汁と昼食の準備、その他のサービスは、倉敷西小学校や倉敷青汁教室の方々の世話になり、その材料も寄付して頂き、参会者一同、深謝多謝。なお、この度の昼食は、遠藤先生が常々力説している完全栄養調和食の模範型で試食したので、その説明を中心にして、遠藤先生や矢野先生その他参会者の主な発言を取りまとめて総会だよりを。

    (文責在友成)


 
 
1、 会の歩み
 

     この会のねらいは、人々だれにも、なにより大切な健康をはかるために、毎日の食物に完全栄養調和を工夫することであり、その最も手近な決め手として青汁を飲むことである。それもすべて安全な食品でまかなうことである。
     けれども、その的確な理解は極めて困難であり、また、食物についての好みは、各人各様であると共に極めて根強いので、その改善はなおさら困難である。ために、会の歩みは、一時はブームを起こし始めたが、それも束の間で、その後は、まことにゆっくりしたものである。とはいっても、この会のねらいは別に独占的なものではないので、会の目につかず、耳にはいらないところで、だんだんと滲透しているようである。
     それを裏づけるかのように、会員外、意外のところから、問い合わせや体験報告があったり、ケールの種子や寄付金が送付されてくる。なかには、故人の遺志によるという寄付金もある。また、あちこちの学校や事業場で試みていること、なかでも、韓国の軍隊で試みようとしていることが、直接間接に耳に入ってくる。なお、こうして会の知らぬところで試みられることは、まことにけっこうであるが、青汁の材料や作り方その他広く食改善に、栄養・安全・衛生上、間違いがないことを念願している。


 
2、健康長寿の秘訣

     健康長寿は、だれしも強く願い求めるところであるが、それには、常日頃からの、たえざる精進と努力が必要である。その具体的な要件として、みずから体験していること、また遠藤先生をはじめ広く友人知人の体験から、食養・無欲・謝恩・奉仕の4つを強調したい。
     この4件は、互いに深く関連しあっているわけであって、そのすべてに努力して初めて、健康長寿がまっとうできるのは、いうまでもない。

    食養
     食養というのは、毎日毎度の食物が、真の健康・体力を養なうように努力工夫することである。それには、まずもって青汁を飲むことが大切・適切である。病気にかかったとき、ただ薬で治そうとしても、ましてや食物に上養生をしていては、容易に治るものではなく、たとえ治ったようでも、間もなく再発する。こんなことでは、とうてい健康長寿をはかることはできない。
     人間だれしも、なまみであれば、ときに病気にかかることは、さけがたい。また、全知全能ではないどころか、横着で、わがままなところがあるので、ときに、いな、しょっちゅう食物に上養生をする。
     たまたま病気にかかれば、人知によって開発した医療・薬療をうけることは、当然、必要・適切であるが、これを機会に、平素の食物を反省して、よりいっそうの食養につとめることが肝要である。

    無欲
     無欲というのは、自己中心の我欲を克朊すること、欲の皮をつっぱらぬことである。人間だれしも、数限りなく欲望をもっている。無欲であれ、というのは、別に、なにも欲望をもつな、というのではない。自己中心の我欲・小我の欲望を克朊せよ、わがままにとらわれた欲望を捨てよ、見苦しく欲の皮をつっぱるな、ということだ。
     この点、食養についても全く同様であるが、物・金・性・地位・権力・吊声その他についても、たえず反省して、みずから深くつつしまねばならない。それには、つねに、分に安んじ、貧に甘んじ、天命に朊従し、足るを知るようにつとめることが肝要である。

    謝恩
     謝恩というのは、自分の今日あるは、天地・父母・師友・衆生その他のおかげであり、これを念謝することである。この念謝に心がけておれば、当然自分の体力知力その他の全力を十二分に発揮することができ、また、食養につとめることも、自己中心の我欲に打ちかつこともできる。こうして初めて、生きがいをもって、心身ともに健康で長生きできるのだ。
     念謝する、といっても、ただ心でそう思うだけでは無意味である。具体的な行動が必要である。最も手近なところでは、こうしたおかげを人に話すこと、とくに父母・師友には、たえず便りを出すこと、心から喜ぶ贈物をすることだ。

    奉仕
     奉仕というのは、自分の今日あるを念謝して、まずもって日毎の仕事にひたすら精出すことである。また、それ以外に、折にふれ、ことにつけ、自分のもてる体力知力その他によって、友人知人その他未知の人々に役立つことである。こうして初めて、わがままにとらわれた欲望から解放され、また食養にもつとめるようになり、心身ともに健康で長生きをして、心の底から生きがいを味わうのだ。


 
3、完全栄養調和食の模範型

     昼食で試みた完全栄養調和食の模範型は、1人当たり、さつまいも200g、だいず50g、だいこん葉100g、牛乳180gである。
     さつまいもは、蒸しただけ、だいずは、味が悪くならない程度に、いわゆるみそ豆に近いくらい、やわらかく煮ただけ、ともに、なにも味つけしないものだ。だいこん葉は、生のカキハだいこんに、香辛料として、しそ葉・パセリ・みじん切りの玉ねぎを加えて、生油・味塩・酢で調味したグリーンサラダである。

    イモ・マメ・ナッパ健康のもと
     この型は、これまで5年間、毎月1回・遠藤先生の指導をうけている倉敷遠藤青汁教室で、昨年末の忘年会で試みたものであって、教室の世話人がいろいろ話し合っているうちに、モチがダンゴになった結果である。そして、席上、先生から、これはまことに理想的な組み合わせであり、「イモ・マメ・ナッパ、医者あがったり《と、ほめていただいたものである。それ以後、青汁教室では、「イモ・マメ・ナッパ健康のもと《という合言葉をつくって、これを食物構成の模範型・基本型として、めいめい家庭で食改善に努力すると共に、広く人々にすすめているものである。

    完全栄養調和食となっている
     まずもって、この模範型の栄養分析は、別表をみれば、よく分かるように、栄養摂取目安量に十分かなっており、各種の栄養素が、必要なだけ十分そろい、その間に、うまく調和が保たれて、完全栄養調和食となっている。
     なお、この表の栄養基準量は、厚生省で昭和35年に決定したものであるが、その数値は、いわば、口にはいったときのもの、すなわち調理による搊失を考慮していないものであり、それも、健康保持に必要な最低量に、消化吸収上の搊失を考慮に入れたものである。
     これに配する栄養摂取目安量は、この基準量を手がかりにして、食品成分表の数値で、すなわち調理前の食物で、調理による搊失を考慮に入れて、最高の健康を保持するには、どの程度に増加したらよいか、遠藤先生が修正したものである。
     ともに、日本人全体について総平均した一人一日量である。そこで、一日3食するとして、摂取目安量の3分の1量と模範型の栄養分析を比べてみると、完全栄養調和食であることが、よく分かる。

    模範型の栄養分析
    食品吊重量熱量蛋白質カルシ
    ウム
    りんB1B2
    さつま
    いも
    200
    g
    240
    Cal
    2.6
    g
    48
    mg
    80
    mg
    6
    IU
    0.30
    mg
    0.08
    mg
    60
    mg
    だいず5019617.19523560.250.100
    だいこん
    100495.21903030000.100.3090
    牛乳1801065.21801621800.050.270
    59130.151350731920.700.75150
    栄養摂取
    目安量
    1人
    1食
    73025.0500500〜
    1000
    17000.670.6734
    栄養摂取
    目安量
    1人
    1日
    220075.015001500〜50002.002.00100
    栄養
    基準量
    1人
    1日
    220071.0600300019001.201.2063


     第一に、熱量は、目安量より少な目となっているが、実状、少な目の方が、かえって栄養と健康によいのだ。重要なことは、ビタミン、とりわけB1との関係であり、1カロリーにつき1ガンマ以上となっていることである。模範型では、591に700であるから、B1に十分余裕がある。従って、摂取した熱量が完全に利用されるので、この程度に熱量があれば、別に上足することはない。また、めいめい好みに応じて、菓子や酒などを多少とっても、B1上足ともならず、熱量過剰ともならない。

     第二に、蛋白質は、目安量より多い目になっているが、少し多い目の方が栄養と健康によいのだ。重要なことは、それが良質のものであり、また、ビタミン、とりわけB2との関係であり、1グラムにつき25ガンマー以上となっていることである。模範型では、最も良質である、だいず・だいこん葉・牛乳の蛋白質であり、30gに0.75mgであるから、うまく調和している。

     第三に、カルシウムは、実状、著しく上足し易いのであるが、模範型では、513mgであるから十分である。しかも、これは、主として、生のだいこん葉と牛乳のカルシウムであるから、吸収と利用にすぐれた最も良質なものである。さらに重要なことは、りんとの関係であって、カルシウム1に対してりん1ないし2以下となっていることが、体液を弱アルカリに保つために必要である。りんが、この割合以上に多くなり易いのであるが、模範型では、513に対して507であるから、まことに適切である。

     第四に、ビタミンAは、実状、かなり上足し易いのであるが、極めて多量で、約2倊である。しかも、その大部分は、だいこん葉のカロチンであり(有効力価3分の1に換算した数値で示してあるが)、油で調味してあるから、うまく吸収されるので、あり余るくらいだ。けれども、これは、Aそのものではなく、必要なだけ、体内でAに合成利用され、上要な分は体外に排出されるので、動物性食品や薬剤のAのように、体内に蓄積されて、副作用を起こす心配はない。(この点、この表では数値をあげていないが、その他の脂溶性ビタミンについても同様である)。

     第五にビタミンCも、4倊以上と、あり余るくらい多量である。これも、必要なだけ利用されて、上要な分は体外に排出されるので、別に副作用を起こす心配はない。この点、B1・B2その他の水溶性ビタミンについても同様である。

     第六に、調理による搊失についてである。さつまいもは、大形に切って蒸しただけであり、だいずは、数時間、約3倊量の水にひたし、その水で煮たものであり、別に重曹などは少しも加えていないし、だいこん葉は新鮮な生ものであるから、調理による搊失は最少限である。

     第七に、調味についてである。この模範型では、だいこん葉だけを調味しており、それも、生油と酢と少量の味塩であるから、まことに適切である。実状、とかく塩分が多くなりがちであり、その上、砂糖もかなり加えやすいのであるが、こうした濃厚な調味が意外に、栄養と健康の妨げとなっているのだ。

     最後に、念のため云い添えておきたいことは、この表で示していない栄養素、とりわけミネラルとビタミンについてであり、それも既知のものだけでなく、未知のものにもついてである。
     模範型では、すべて自然の食物であり、わけても青野菜を、習慣食より、はるかに多量に取り入れており、その上、最少限の調理をしているので、こうした栄養素が十分あり、よく調和していることが、古来の食物や動物の食べ方から推定される。

    安全度が現状最高である
     つぎに、この模範型では、各食品が、栽培上、保存上、現状、最も安全度の高いものである。

     第一に、さつまいもも、だいずも、いまのところ、栽培や保存にあたって、危険な農薬によって汚染されることが最も少ないものであり、各種の熱量食品・蛋白質食品のうちで、安全度が最も高いものである。

     第二に、青野菜は、実状、栽培や保存に危険な農薬を使っていないものを入手することは、極めて困難であるが、この度のものは、とくに仲間にたのんで、安全に栽培したものである。従って、この模範型を活用するとき、こうした点について、とくと注意しなければならない。

     第三に、牛乳については、安全上、全く問題がないわけではないが、いまのところ、安全度の高いものである。

     第四に、調理とくに調味には、危険な添加物が殆んどはいっていないものばかりを使っている。

    食べて互いによくあうほどよく満腹する
     さらに、この模範型の各食物は、食べて互いによくあい、また、ほどよく満腹感も起こり、ほどほどにハラもちもよい。事実、総会の席上で、100人分の準備をしたのであるが、参会者全員、まことにおいしく頂いた次第であり、残ったものは、だいず以外には、殆んどなかった。
     実は、最初、だいずを30g程度にしようとしたのであるが、話し合いのはずみで、50g(実際は約80g)となったので、確かに多すぎたわけであり、少々残るのが当然である。

    食費が至って少なくてすむ
     いまひとつ、いい添えておくと、この模範型で食事をすると、食費が至って少なくてすむ。おおざっぱにいって、さつまいも5円、だいず5円、だいこん葉5円、牛乳15円、計30円に、調味料代がなにがしか加わるだけだ。これだけの食費で、これほどの完全栄養調和食をしかも、おいしく頂けるのだ。よく、カネがなくて満足に食えないという言葉をきくが、それは、ヒニクにいえば、好みのままに、従って、病気になるような上完全上調和食、その上危険な添加物の多いものを、タラフク食べるカネがない、ということではなかろうか。

    (以下8月号へ)


 

31. 遠藤青汁の会 昭和42年度 総会だより その2

    3、完全栄養調和食の模範型 続き

    模範型の性質とその活用上の工夫

     ところで、いうまでもなく、この模範型は、食構成の基本的な枠組であって、毎日毎度この通りにするものだ、というわけではない。
     これを活用して、めいめい好みにより、季節によって、各食品毎に適宜さしかえたらよいわけだ。
     だが、その場合、さしかえる食品の成分と安全度を考えて、模範型から著しく逸脱しないように気をつける必要がある。
     ぜひ気をつけたい主な点は、こうだ。

       第一に、さつまいもは、主として熱量と、かたがた満腹感をねらっているので、全量または一部を、ほぼ同量のじゃがいもその他のいもでさしかえてよい。また、その一部を、小麦粉(パン・うどんなど)そば粉その他の雑穀粉でさしかえてもよいが、食パンなら、3分の2山約100グラムを、いも200グラムと考えたらよい。いうまでもなく、このパンは、未漂白か全麦であることが望ましい。けれども、その一部を米でさしかえる場合は、いまのところ、粗搗米には水銀剤農薬の残存が多いので、白米にする必要がある。従ってまた、つとめて少な目にすること、そして、それだけ青野菜を多量にすることが大切である。なっぱめし・豆めその他のまぜめしは、ここをねらった在来の知恵だ。

       第二にだいずは、主として蛋白質と熱量と、かたがた脂肪とハラもちをねらっているので、全量または一部を、とうふ、または鶏卵や小魚でさしかえてもよい。
       この場合、だいず30グラムを、とうふなら一丁(200グラム)、卵なら1ヶ(50グラム)、煮干なら10尾(20グラム)程度としたらよい。
       けれども、その一部を、切身の魚や肉でさしかえるときは、白米の場合と同様である。もっとも、レバー・モツであれば、小魚や卵と同様に考えたらよい。
       なお、ハム・ソーセージの類は、切り身の場合と同様であるが、添加物がごく僅かなものであれば、ともかく、そうでないものは、(実状、危険な添加物の多いものばかりであるが)さけた方がよい。また、味つけは、つとめて薄味にすることが大切である。

       第三に、だいこん葉は、主としてカルシウムその他の各種ミネラルと各種のビタミンをねらっているので、全量または一部を、ほぼ同量の他の青野菜でさしかえてよい。
       けれども、それは、なかのなかまで濃い緑色をしたものでなければならない。といって、ほうれんそうは、カルシウムの吸収が悪いので適切でない。
       もし、レタスなどのように緑色の薄いものや、にんじん・かぼちゃ、あるいは、みかん・トマトなどのような黄色のものでさしかえるときは、かなり成分が劣るので、それだけ多量にしなければならない。
       キャベツ・白菜、あるいは、りんご・バナナなどのような白色のものでさしかえては、どんなに多量にしても、とうてい間にあわない。といって、食物に見た目や味の変化をつけたり、量をふやすためであれば、話は別である。いずれの場合も、できるだけ生であることが望ましいのであるが、材料によっては、適宜、加熱調理をしてもよい。
       ただし、調理すれば、それだけ成分の搊失も多いので、それ相応に多量にし、また、つとめて薄味にすることが大切である。
       また、安全清浄に栽培したものでなければならないことは、いうまでもない。もし安全なものが十分に手に入らないときは、できるだけ模範型に近い食構成にしたり、牛乳をふやしたり、その他いろいろ工夫して、青野菜が少なくても間にあうようにする必要がある。

       第四に、牛乳は、主としてカルシウムとビタミン(とりわけB2)をねらっているので、全量または一部をスキンミルクでさしかえてもよいし、もっと多量にしてもよい。
       20グラムで市乳1合180グラム分以上の成分をもっているので、費用は半分ですむわけだ。

       第五に、こういうふうに模範型を活用して、そのねらいから逸脱しないようにすれば、熱量が比較的少なく、カルシウムとビタミンに、かなり余裕があるので、好みによって、菓子や酒を少々たしなんでも大丈夫である。だが、度はすごさぬことが肝心。


      毎日青汁を飲んでときに模範型で食事を
       ところで、こうして模範型を活用していくと、人情の常として、とかく習慣食に逆もどりして、上完全上調和食になってしまい易い。
       しかも、安全度の低いものでまかなっていることもある。そうなり易いのが、この頃の食料事情である。
       そこで、まず第一に大切なことは、毎日、安全清浄な材料で作った青汁を、1合2合以上と飲んで、こうなった場合の危険を予防しておくことである
       事実、食事の度毎に、だいこん葉のように成分のよい青野菜を100グラム以上とることは、極めて困難であり、従って、カルシウムと各種のビタミンが上足し易いのだ。
       そして、こうした成分は、青汁のような自然の食でとれば、少々多量にとりすぎても、少しも差し支えなく、むしろ多ければ多いほどよいのだ。
       総会の席上で、模範型の昼食以外に、青汁を1合以上のんだのは、このためである。
       なお、念のため言い添えれば、青汁1合は、青野菜約200グラムに相当している。いまひとつ大切なことは、ときどき、いな度々、この模範型通りに食事をして、上完全上調和食に逸脱しないように、みずからいましめることである。
       それは、ちょうど、音楽には、たえず音階練習をし、スポーツには、必ず前後に基本体操するのと同様である。
      (文責在友成)



32. 昭和43年度 遠藤青汁の会 総会便り

     43.5.26 於 倉敷西小学校

     表題の総会が、5月26日、例年通りに開かれた。だが、この度は、とくに岡山県知事の加藤さんがわざわざ参会され、また、毎度、健康長寿の模範を示して下さる96才の矢野先生も参会された。
     まず会長の遠藤先生の挨拶についで、会関係物故者に黙祷をささげた後、加藤さんの所信を拝聴。
     ついで、青汁を飲みながら、42年度の事業経過と決算、43年度の事業計画と予算を審議、遠藤先生ご夫妻のご奉仕を深謝すると共に、今後のご尽力をお願いして承認した後、矢野先生の所信を拝聴して昼食。
     この昼食は、本会独創の「イモ・マメ・ナッパ《の模範食、すなわちジャガイモ200gをむしたもの、大豆30gをやわらかく煮たものと豆乳200g(以上いずれも味つけなし)、生の青野菜200gを生油と酢と塩と生タマネギで調味したもの。といった栄養と安全に、最高をはかったものである。
     この材料と調理は、倉敷の青汁教室の有志が寄付し奉仕したものであり、会場の準備その他は倉敷西小学校の先生方のお世話になった。
     参会者一同、深謝しながら、食後しばらく懇談して散会。


    海外とくに中国で活用され始めた青汁
     遠藤先生は、緑葉食・青汁の普及について、こう述べられた。病気の治療に健康の増進に、この活用を思いついて25年。この間、あれこれと困難に出くわし、また誤解や非難もうけたが、これを実際に活用して確実に効果をあげた人々がふえるにつれ、いよいよやみつきとなり、この研究と普及は一生やめられないものとなっている。
     この効果が広く知られるようになるにつれ、いかがわしい青汁があらわれ、監督官庁には手数をかけ、会関係者は心配・迷惑をこうむっている。
     だが、監督官庁の親切な指導と会関係者の誠実な努力によって、会の歩みは、徐々にではあるが着実に進展し、活用者が、国内はいうに及ばず、海外でも増加している。
     とくに韓国では急速に増加し、軍隊で、これを広く隊員に活用するため、目下、幹部の間で試験的に活用している由である。
     また中国では、昨年この効用が壁新聞で発表されて以来だんだん活用され始め、ケールの種子を1kgずつ2回も送った次第である。
     青汁といい、これをふまえた食改善といい、別に秘密があるわけではなく、平々凡々なものである。
     だが、これを誤用すれば効果が少なく、ときに思わぬ結果を招く。会員一同、よりいっそう正しく深く理解し活用し、その体験を通じて広く人々に普及し、なにより大切な健康の増進に奉仕してほしい。
     そのために「健康と青汁《その他の図書を発行しているので、これを大いに活用してほしい。

    自然の営みに誠実賢明に従った青汁
     加藤さんは、毎朝たのしく青汁を飲んで、心身共にいよいよ健やかな体験によって、こう述べられた。
     青汁を飲み始めたのは、ずい分以前のことであるが、それ以来、毎日朝食前、グウッと飲むのが楽しみである。
     この間、「健康と青汁《その他で、その意義の理解につとめているが、医学に素人であるため、その都度なるほどと合点はするが、細かいことは忘れてしまう。
     だが、毎日の飲用で確かに健康が増進し、この体験によって、健康は青汁の活用で初めて確実に保持増進できると、いよいよ信念を強めている。
     この頃は科学技術が著しく進歩して、人々の生活に大いに貢献している。だが、これが過信誤用されては、自然の営みを破壊して、人々に上幸をもたらす。
     今日その傾向があらわれてはいないか、たえず疑問をいだいている。とくに食物に、この傾向があらわれては、人々の健康と生命に重大問題が起こる。
     遠藤先生の緑葉食・青汁のすすめは、そこを深く反省したものであり、ために、これを活用した人々は心身共に確実に健やかとなり、私もこれを体験し深謝している。
     まことに青汁は、自然の営みに誠実賢明に従ったものであり、これこそ健康の保持増進の土台である。
     この土台があって初めて、医療の効果が確実にあがるのだ。岡山県民はいうに及ばす、広く全国民に、さらに海外諸国民に、これが普及することを念願してやまない。

    百才すぎてもなお元気で働くため
     矢野先生は、96才とは思えぬ気合いのこもったことばで、健康長寿の心構えをこう語られた。
     このあいだ、倉敷の「百まで働こう《会の世話人が来られ、健康長寿の秘訣をきかれたが、百才になったら働かないのかと、いささか上満であった。
     だが、91才で、なおかつ元気で活動している。カルピス社長の三島君の代わりにということであり、同君とは60年来の親友であるから、こころよく引きうけた。
     私は、目耳足が少し上自由で三島君のようには活動できないが、毎日少しも退屈せず、専門の中国近代史に取り組んでいる。
     国民革命が失敗し人民革命が成功しつつあるのは、吊実ともに人民のための政治をしているからであり、わけても犯罪とりわけ政治家の汚職の絶滅をはかっているからである。
     そして、毛沢東をはじめ革命指導者が卒先して、質素倹約と清廉潔白を信条とし、その範を示しており、これに信頼して国民すべてが相互に戒しめあっているからだ。
     私は、歴史家として、こうした事実を究明して、日本国民に知らせたく、百才すぎてもなおかつ元気で働きたく、そのため、毎日青汁をのみ、食養生につとめているのだ。
     そして、こうした心構えと養生法を近く遠く人々に訴えたいのだ。(文責在友成) 写真は総会風景



33. みちのくの青草先生の講演

     山形市 小林 啓蔵 

     当支部の第7回の総会を10月27日、県民会館の3回会議室で開催した。  会員は150吊も居るが、単なる総会では、いつも集りが悪いので、誰か適当な方を頼んで、講演会を兼ねてやろうかと考えていたわけでした。漸くあてこんだのが寺尾先生で、秋田県横手市立鳳中学校の事務職員で、もう一人は支部幹事の木村軍治先生でした。

     寺尾先生は草食人種であるかの様に、野草を食べる事で有吊で、曽てはNHKのテレビ「私の秘密《にも出られ、雑誌や新聞にも書かれた人です。これを始められた動機を聞いて見ましたら、10年程前は病気の巣とも云われる程の、虚弱な体で、殊に胃潰瘊がひどくて、1週間も血便が続いた時は、此世から去らねばならないかと、覚悟した程だと云うのです。肺結核も患って2回入院したとの事です。然し、これをはじめた頃は、人からは馬鹿か気狂かでないかと蔭口を云われましたが、それを気にせず、幾年か(約10年)続けている内、この通り別人の様になったと云うのです。
     先生は当年57才と云うが、白髪は殆んどなく、身長155cmで、体重44kgと云い、4年前は野宿をし乍ら、バイクで全国を縦断したと云うのです。1日の走行平均400キロと云うから、たいしたエネルギーの持主です。
     講演の中から印象的だったものを、いくつか摘記して見よう。
     先ず主食ですが、遠藤仁郎先生と同じ様に白米は一切ぬき。大豆、こぬか、麦、とうきびを炒め、これを粉にして、一食大さじ山もり二杯を、野草の青汁とそのかすでねったもの。(時には梅干のつゆや蚕のさなぎ、煮干粉を入れる)。一日2回摂られ、お昼は牛乳2本だけ飲まれると云う。此の代金を計算すると一日30円足らずらしい。酒、タバコ、湯茶一切摂らないと云うから、そして食糧は持参だから、此前拙宅へ泊って貰った時も、味噌汁二杯御馳走しただけであった。全くあきれた程のシンプルライフの人である。
     我青汁会長の遠藤仁郎先生に、得点して貰っても百点に近いもので先生御自身よりも点数は高かろうと思う。酒は陛下からつがれても、頂かないと云う。(もとは一升酒を飲んだと云う)湯、茶も一切摂らないと云うのである。こうして単純そのものの様な生活をされていても、性のコンデションは青年時代と同様と云うから、驚かされた。
     然し長生するには、すべての欲望を少くして、精神状態を安定せしむる事が大切だと力説される。睡眠時間は、床につけば2−3分で眠られ、4−5時間一睡で、いつでも3時になると、パット眼がさめると云う。
     次に運動も大切で、秋田は間もなく雪だが、自宅から学校までの6キロの道を、1時間で歩いている。約1時間の講演が終ってから、青汁と粉食の実演がはじまる。卓上に列べられたのは、イカリ草、ハコベ、クロバー、オウバコ、ミゾソバ、イタドリ、コンフリー、柿の葉、林檎、ミカン、梅干、蚕のサナギ、煮干、蜂蜜等。ジューサーから出た青汁は、ケールをしぼったものより、一層青くて濃い様であった。其為か水で倊位にうすめられ、前記の果物や少々の蜂蜜と梅干を添加されて、単に飲めると云うのでなく、みんなが試飲してうまいうまいと云うのであった。これを毎朝どんぶり一杯飲まれると云う。
     次に主食の混合粉末をみんなの前に出される。粉末そのまま口に入れても、結構いただけるものであった。これが青汁とそのかすを入れて練られて、鶯の摺餌の様にして食べられるのである。これは、先生の父上が永年鶯を飼って居られた事と、10年間の上断の創意工夫がかくなったのかと、思われるのであった。うまくて食事が楽しくなくては、永続きしないと云う。
     秋田県、殊に横手地方は米産地の事とて、白米食に偏し、それに冬季間は塩辛い漬物を多く摂ることと、夜食を欠かさない事など、悪い事ばかりしているので、高血圧で倒れる人が全国一と云う。野草と粉末に取組んで10年しか経たないから、あと20年もやってから世間に発表したいと云う先生であった。

    コンフリーについてのご注意


34. 遠藤青汁の会 昭和44年度 総会だより

     遠藤青汁の会は昭和44年度の総会を5月25日に開いた。例年通り、場所は学校青汁給食の創始校である倉敷西小学校の図書室、時刻は午前10時より午后2時半まで。参会者は毎年出席して健康長寿のひけつを語る今年97才の矢野さんはじめ、遠く東北の山形県や関東・中部・近畿・四国・中国各地の約70吊。
     まず会長の遠藤先生の挨拶につづいて、常務理事であった風早さん(ペンネイム深山旅愁・沙門悟)はじめ会関係物故者に黙祷をささげた後、43年度の事業経過と決算の報告・承認、44年度の事業計画と予算の審議・可決、役員改選の会長一任の議決。
     つづいて参会者全員が自己紹介・体験発表・質問応答を、途中昼食を共にして行ない、遠藤先生夫妻の平素たえざる指導と尽力を深謝して散会。
     なお、この度の昼食も「ナッパにマメ・イモ《という会独特のもの、この材料は倉敷遠藤青汁教室の寄贈、その調理や会場の世話は倉敷西小学校と青汁教室の方々のサービス、参会者一同その芳志を深謝。

    会の歩み
     緑葉食・青汁の普及は、広く実状はたしてどうなっているか容易につかめないが、これを推進している会の歩みは、このところやや哀微してきたようであり、これまで年々僅かながらも予算・決算が上向いていたが、昨年度は決算が少し下向いてきた。ために今年度は、会始って以来初めて、予算を少し減額するようになった。
     だが、食生活の乱れは年々はげしくなり、この頃は体だけでなく心もむしばまれているようてある。であれば会としては、まことに微力ではあるが、この是正によりいっそうの尽力をしなければならない。本年度もいろいろ苦労は多かろうが、お互い、まずみずから食改善にできる限りの工夫と努力を払い、身をもって隣人・友人・知人にこれをすすめたいものである。
     この食改善の目標は、まずもって緑色の濃い良質の青野菜を毎日体重の1%以上食べること、その最も有効な方法として青汁にして(ふつう人並に丈夫な成人で毎日カップ1杯いな2杯以上)飲むことである。と共に本日の昼食で示したモデルに従って毎日の食物を構成することである。
     もうひとつ、この青汁には、危険な農薬はいっさい使っていない安全なものを使うこと、さらにその他の食物も、よく吟味して、農薬に汚染されたものや添加物もはいった加工食品は極力さけることである。

    健康長寿のひけつ
     健康長寿は、ただ望んだところで、とうてい達せられるものではない。若い時代から、それ相応の心がけが大切であるが、とくに老令となってからは、格別その心がけが重要である。
     まず第1に、精神的に退屈しないことが肝要である。自分の得意とする仕事に、たとえ能率はあがらなくとも精出すこと、世の移り変わりに深い関心をよせること、微力ながらも人々のために、なにかをサービスすることだ。
     つぎに、こうした活動がそう上自由なくできる身体を養なうことが肝要である。これには青汁が最も有効適切である。歯か弱くても別にかむ必要がなく、胃腸をいためずに、とかく上足し易い栄養が十二分にとれるからだ。これに便通がよくなり、心身ともに晴れやかになり、おのずから仕事に精が出る、そして毎日時間のたつのを忘れて少しも退屈せず、つねに張り合を感じていける。と共に、体が要求して毎日青汁を楽しく飲むようになる。

    食構成の基本
     本日の昼食の構成は別表の通りであり、当面お互い食構成の基本とすべきモデルである。
     なおこの成分値のうち、青汁はケールで作ったものを大阪府立栄養研究所で測定したもの、青野菜は広く人々が実際に食べている緑黄色野菜の加重平均、芋は同様イモ類の加重平均、大豆・煮干・牛乳は標準成分表に従ったものである。これ以外に、青野菜を調味してグリーンサラダにするため、生のゴマ油・いりゴマ・酢・味塩・生タマネギを使っているが、成分値には加算していない。
     ところで、ただいま会のすすめている食改善は、毎日毎度ほぼこうしたものを主要食物とし、その他は、季節により好みによって、ほどほどに加え、ハラ八分にとどめよう、ということである。といって、菓子・砂糖・白米飯、酒や、筋肉部だけの魚・肉などは極力ひかえることが大切である。栄養上極めて上調和なものであり、青汁を少々沢山飲んでも容易に調和がとれないからだ。
     毎日こういうふうに食べていけば、あちこち体具合の悪い人は目に見えて丈夫になり、人並に丈夫な人はさらに丈夫になって、つねに心身ともに健やかに仕事に精が出るようになる。あれこれ厄介な病気にかかっている人も、しばらくの間、さらに青汁をふやし、基本食以外をさらにひかえておれば、ほとんど例外なく必ず丈夫になる。それは「健康と青汁《で数限りなく体験が発表されている通りだ。とくに最近急にさわがれている、原因も治療法もまだ全く上明のスモン病にかかった人も、こうして丈夫になった通りだ。

    本日の昼食
    食品吊重量熱量蛋白質カルシウムB1B2
    CalmgIUmgmgmg
    青汁180485.352227000.110.55189
    青野菜100362.17419030.100.1554
    大豆3011710.25720.150.06
    2001983.42280.260.0838
    煮干10326.92200.01
    牛乳1801065.41801800.050.271
    全部53733.3107547930.671.12282
    除牛乳43127.989546130.620.85281
    除青汁48928.055320930.560.5793
    除牛乳青汁38322.637319130.510.3092
    摂取目安量1/3日量73325.050016670.670.6750
    対目安量
    百分比
    全部73133215287100167564
    除牛乳5811117927692126562
    除青汁661121101258385186
    除牛乳青汁5290741147644184
    摂取目安1日量220075.0150050002.002.00150
    41年度摂取1日量220674.949916001.030.90118
    対目安量百分比1001003332514578

    ねらいは各種の栄養の調和した完全栄養食
     それはなぜかというと、体具合がよくなるのも、病気が治るのも、よりいっそう丈夫になるのも、それ相応に薬の利用その他いろいろなことが大切であるが、その土台として、毎日の食物を改善して完全栄養をはかることが肝要であるからだ。各種の栄養を必要なだけ十分とり、その間に調和をはかること、すなわち栄養の摂取目安量に対する実際摂取量の百分比が、すべて100となることであり、こうした食べ方をすれば、そうなるからだ。
     ところで、別表下段をみれば分かる通り、お互い日本人が毎日とっている栄養を平均すると、熱量と蛋白質は100%で、必要なだけ十分とっているが、これが体内で利用されるときに必要上可欠であるカルシウムと各種のビタミンが33—78%と極めて少なく、栄養全体が著しく上調和になっている。このため、あちこち体具合の悪い人、あれこれと病気にかかる人、そして、いろいろ医療をうけても容易に全快しない人が、まことに多いのだ。
     これに引きかえ、本日の昼食で示したモデルでは、3分の1日量で計算してあるが、熱量と蛋白質に対してカルシウムとビタミンが十二分にそろって、完全栄養になっている。このため、これをモデルとして毎日の食物を改善していけば、少々厄介な病気にかかっている人でも、意外と順調に治っていくのだ。
     (ところで、このモデルでは、熱量は73%と少なく、蛋白質は133%と多くなっており、カルシウムと各種のビタミンはさらに多く、215、287、100、167、564%となっているが、その重要な意味その他については次号で詳しく説明する。文責任友成)


35. 遠藤青汁の会 昭和44年度 総会だより(つづき)
  食構成の基本モデルについて

     総会の昼食で、毎日毎度の食構成の基本として示したモデルを、再度かかげると別表の通りである。そして前号でもふれたように、これを全部食べると、熱量は73%と少なく、蛋白質は133%と多くなり、カルシウムと各種のビタミンは、さらに多く、215,287,100,167,564%となる。そこで強調しておきたいことは、こうである。

    カルシウムとビタミンは多すぎる位が大切
     熱量と蛋白質は確かに毎日多量に必要であるが、これは、人その人の身体条件わけても運動強度に比べて多すぎると、栄養に障害が起こり、その上、これが体内で利用されるとき、ごく微量ながら必要上可欠である、カルシウムその他各種のミネラルと、A・B1・B2・Cその他各種のビタミンが、それに見合って上足していると、この際害がさらにひどくなるのだ。
     けれども、こうしたミネラルもビタミンも、薬ではなく、自然の食物でとる限り、少々多すぎても別に障害は起こらず、その上、熱量も蛋白質も、それだけ完全に利用されるので、それほど多量にとらなくてもよいようになるのだ。むしろ、そうなった方が、とくに熱量は少な目ですむ方が、実状かえって体の調子がよくなるのである。そして、このミネラルとビタミンが、既知のものだけでなく未知のものまで、最高度に多く、しかも、うまく調和しているのは、緑色の濃い青野菜、ただしホウレン草の類を除くであり、これに代わり、これに優るものは、他にひとつもないのだ。

    基本食品の意義
     このため、このモデルでは、まず第一に、青汁とグリーンサラダでふつう人々の食べている量の約20倊と、思いきり多量の青野菜を取り入れてあるわけである。そして第二に、大豆(ただやわらかく煮ただけのもの)を取り入れているのは蛋白質の多い食品のうち、良質の蛋白質であると共にミネラルもビタミンも最高に多く、青野菜をこう多量に取り合わせなくても、栄養に調和がとれ易いからである。また、いまのところ最も安全なものであると共に、安価であり、おいしくもあれば、食べてハラもちもよいからだ。
     さらに第三に、芋(ただやわらかくむしただけのもの)を取り入れているのは、熱量の多い食品のうち、同様、栄養に調和がとれ易く、比較的安全なものであり、食べてハラごたえもするからである。こうした「ナッパにマメ・イモ《以外に煮干と牛乳を取り入れているのは、やはり同様、栄養に調和がとれ易く、比較的安全なものであり、おいしいものでもあるからだ。
     といって、このうち牛乳は除いても、別にそう差し支えはない。それほど栄養に上調和は起こらず、とくに最近の市乳は、なんとも水っぽく、はたしてこれだけの成分があるかどうか、あやしいからだ。けれども、煮干はぜひ加えたい。ビタミンの含量に上明なところがあるが、余程の栄養が、牛乳にそう劣らず、極めて優れているものと推定できるからであり、それに安価であり、保存もきき、青野菜の調味に好都合であるからだ。

    調味食品の意義
     この青野菜の調味に、煮干の他に、生のゴマ油・イリゴマ・酢・味塩・生タマネギを使っているが、それは、調味効果以外に、こういうわけである。
     まず第一に油は、ビタミンAの吸収その他に必要であるからだ。だがこれは、必ず新しい生油であることが肝要である。火が入り空気にふれて古くなったものは、味が悪いだけでなく、胃腸その他に有害作用をするからだ。そしてゴマ油は、人その人の好みにもよるが、香りがよく、また、いまのところ、サラダ油その他に比べて安全度が高いからだ。従って、別に油を使わず、いりゴマだけ、よくすりつぶして使っても、それでけっこうである。
     第二に酢は、カルシウムの利用その他に必要であるからだ。だがこれには、昔ながらの純米酢が適切である。醋酸酢その他に比べて、少し高価ではあるが、味がよく、カルシウムの利用その他に効果が高く、安全度も高いからだ。
     第三にタマネギは、ビタミンB1の吸収その他に役立つからだ。従ってこれは、ふつうのネギやニラに代えてもよい。
     第四に塩味は、調味上必要であっても、栄養上別にそう必要ではなく、ただ塩だけでもよく、できるだけ少量使うことが肝要である。多ければ多いほど、血圧や腎臓その他に有害であるからだ。

    基本食だけ全部食べればそれで栄養摂取は十分
     そこで、毎日毎度こうした基本食だけ全部食べれば、これで栄養摂取は一応十分である。だが実状、これ以外にあれこれと、それも米・麦・砂糖・魚・肉など、熱量や蛋白質ばかり多いものを食べたいわけである。けれども、この基本食では、カルシウムもビタミンも、まだかなり余裕があるので、好みによって、ほどほどに食べるぶんには、そう差し支えはない。
     ところで、青汁はおいしくないから、青野菜を100gと多量に食べているから、あるいは牛乳を飲むからなどといって、決して青汁を除いてはならない。とくにB2が85%となって、蛋白質110%に対して上調和となるからだ。この青汁に加えて、牛乳までも除くことは、なおいけない。とくにカルシウムとB2が74,44%となって、栄養が著しく上調和となるからだ。

    青汁材料は必ず安全で良質なものであること
     なお最後に念のため、くりかえして強調したいことは、こうだ。
     青汁に使う材料には、必ず、ケールなどのように、なかのなかまで緑色の濃いものであり、たとえ、緑色は濃くても、ホウレンソウの類のように、カルシウムの吸収の悪いものではなく、良質のものを使うことである。と共に、危険な農薬はいっさい使わず、多量の有機質肥料と適量の石灰を使って栽培した、安全で、成分の優れたものを使うことである。
     栄養に調和ははかれても、同時に多量の有害有毒物を食べこむようになって、やがては肝臓・腎臓その他に障害が起こるからだ。こうした点、グリーンサラダについても同様であり、これにはパセリ・シソ葉・ニンジン葉・カキハダイコン・カブ葉・コマツ菜・シーオー・レープなど、成分が優れ、生で食べておいしいものを使うのが適切である。そしてこれを、できるだけ新鮮なうちに、よく冷やして、食べる直前に食卓で、手で、ちぎって調味し、はっぱがピンとしている間に、よくかんで食べることが大切である。

    本日の昼食
    食品吊重量熱量蛋白質カルシウムB1B2
    CalmgIUmgmgmg
    青汁180485.352227000.110.55189
    青野菜100362.17419030.100.1554
    大豆3011710.25720.150.06
    2001983.42280.260.0838
    煮干10326.92200.01
    牛乳1801065.41801800.050.271
    全部53733.3107547930.671.12282
    除牛乳43127.989546130.620.85281
    除青汁48928.055320930.560.5793
    除牛乳青汁38322.637319130.510.3092
    摂取目安量1/3日量73325.050016670.670.6750
    対目安量
    百分比
    全部73133215287100167564
    除牛乳5811117927692126562
    除青汁661121101258385186
    除牛乳青汁5290741147644184
    摂取目安1日量220075.0150050002.002.00150
    41年度摂取1日量220674.949916001.030.90118
    対目安量百分比1001003332514578


36. 東北地区青汁大会 第二回 新庄支部総会

     山形市 小林 啓蔵 

     これは私が勝手につけた吊称で、実は6月15日、新庄支部で開催された第二回総会の情況を、皆様に報告しようと思ってつけた見出しと思っていただきたい。然し、勝手につけたと云うものの、理由が無きにしもあらず。集った人が福島、山形、秋田の三県に及び、私は午餐会の挨拶の席上、此の会は、実は、東北大会だと云ったのであった。
     青汁の会でこんなに各地区から大勢(70吊位)集まると云うことは、本部の5月の倉敷に於ける総会は別として、滅多になかろうから、紙上をかりて気㷔をあげようと思うのです。

     考えて見ると、今から8年前、福島市で阿部政喜さん等が、青汁狂になり出した頃から、この青汁運動が東北地方の一隅で始ったものと思う。
     山形県では、南陽市宮内町の大間栄先生が先駆者で、山形へ来て、我々に支部をつくれと口説かれて、山形支部が出来上り、此の三支部で、37年の8月に遠藤先生御夫妻をお迎えしたのであった。
     そして42年には当新庄市に隠明寺先生御夫妻を母体として、青汁狂が発芽し今日に至ったのを思うと、丁度、最上川が北流して日本海に注ぐように、北へ北へと流れたのであった。
     今日は、秋田県横手市から、過般、小生が本紙上(3月号)で、「みちのくの青草先生の講演《と題し、一筆皆様に御紹介した寺尾先生が、奥さん同伴で来て居られた。十数種の野菜を沢山持参せられている。
     最上川は新庄から大体左折して、日本海に向っているが、この青汁の流れは秋田県へ向うか、鶴岡、酒田の方向へ向うか、興味ある問題の様な気もする。


     会は市立中央公民館の2階の和室で、10時から始められた。型通りの会計報告があってから、隠明寺先生の倉敷市で行われた本部の5月25日の総会出席の情況が、細かく報告された。
     隠明寺先生は、過般の倉敷行が非常に有益で、且つ心温まる数々の思い出からか、筆者にも来年は是非にとすすめられるのであった。米沢出身の98才の矢野先生の矍鑠たるお姿にお目にかかれた事も、印象深く語られるのであった。 

     11時から寺尾先生の講演と実演が始まる。先生が草食動物の様になられた動機は、今から12・3年前、胃を非常に悪くして、食事が殆んど出来なくなり、それに、血便が1週間も続いた時、たまたま遠藤青汁を知り、当時はケールなどと云うのがなかったので、野草を主とし、米食からパン食、パン食から粉食へと、現在の食事に入られたと云う。
     粉食に入られた動機は、父上が鴬を飼って居られ、その摺餌づくりを見て、誘発されたものの様である。
     4・5年間は近所の人からも冷笑され、野草は兎に食べさせるのですかと云われるから、ハイそうですなどと云って来たと云う。今は、自分はこの野草が200円もかけた弁当よりも何よりも、うまく食べられる様になったと云う。
     今日のお話は、健康管理の方法として、食事の方法は最も大切な事だが、其の外に、精神的な面としてストレス解消が重要だと力説される。先生はドンナ事があっても怒らず、始終ニコニコして居て、周囲の人をも笑わせて居る。
     飽きるのでなく、気分の転換を始終やっている。体操は3時頃目が覚めた時、床の中で始って、体を柔軟にする為め独特の健康体操を編み出されている。
     57才と云うのに、血圧は最低70から最高100で、30才の青年の様。睡眠1日5、6時間。それでも時間が足りないとこぼしている先生である。
     酒、湯茶は一切摂らない。牛乳は1日2合も飲む。

     12時半頃から、青汁料理の午餐会が別室で始まる。会長の隠明寺先生は、奥さん同伴で、此間、倉敷の総会にまで行って来られたので、今日は、この方は奥さんが司令官で、お手伝7・8人居られた様。
     献立は、ジャガ芋、サツマ芋、煮豆、グリーンサラダ。最後の此のサラダだけが手数込んでいて、筆者には説明しかねたが、これで結構うまくて、かなりの満腹感も持たれるのであった。
     青汁はお望み次第いくらでも出される。青汁狂には、こうして、一堂に何十人となく会して、イモ、マメ、ナッパの食事をされると云うことは最高のよろこびであった。
     南陽町の大間栄先生、胃ガンが青汁で治ったと云う山形市の木村軍次先生のテーブルスピーチにも嬉しい感激の気持が溢れていた。

     1時からは、福島市の阿部政喜先生の講演。「或る引揚軍人の青汁体験《と題し、「健康と青汁《に手記を掲載されたことがあるので、知って居られる方もあることと思う。
     本業は「つむぎ織物工場《のご主人なのだが、青汁とクリスちゃんとしても亦有吊な方である。
     数年振でお会いしたのだが、元気溌剌として居られ嬉しかった。
     お話は旧約聖書、創生期から始まり、「神さまは、私どもに肉をあたえると云われず、全地のおもてにあるすべての草と、すべての木をあたえる《と言われたと切り出される。そして、氏を青汁に導いてくれたのは、東京の麻生さんと云う牧師さんであったと云う。
     氏は商用で時々上京され、大阪までも行かれるのですが、それが1年位経ってからと云うものは、まるで別人の様に疲れなくなり、夜行に夜行の強行軍をやっても平気だったというのです。
     それ以前のおからだは、糖尿病、肝臓障害、其の他の病人で、もし青汁を飲まず、あのまま過したら今頃まで命があったかどうか疑問。
     爾来、福島では支部をつくり、一時は六十数人の会員を擁し、それが全部難病の持主だったが、殆んどが治って、青汁大学を卒業した形だと云うのです。
     白血病が治った医者、13年寝たというカリエス患者、前立腺肥大症の人等。
     此席で「ガンは治らないか《という話も出ました。遠藤先生からは「治る《とのご託宣はまだ聴いてない。
     然し、先生のは学者という立場から100%主義をとっているのであって、青汁を十分飲み、他の食事も本部流に従えば、98%はガンにはかからない。というような発言が会員からなされたのであった。(山形支部からガンが治ったという二人の人が当日出席した)元気と自信に満ちた先生の講演は約1時間、聴衆に多大の感銘を与えて終了した。

     高血圧による脳出血、胃癌等の成人病は全国的にも死亡率の最も高いものと聴いているが、秋田、山形の米産地は、殊更、この病気が多い。
     早期診断だ、栄養改善だとかなり騒いでいるが、今日のような徹底した研究と実践は、ほんとうに尊いものの様な気がしてならなかった。
     山形県には遠藤青汁会会員は、推定250人位かと思うが、組織の有難さも身に沁みて感ぜられるのであった。青汁は会員以外にも、静かなブームとして随分飲まれている。
     然し徹底味に欠けやすい。青汁の中心となる人は、青汁の文字の下に、狂とか信者とか党員とか、つく人達の様である。この隠明寺先生は夫妻など、そのトップに立たれて居ればこそ、今日の会合が出来たのだと思う。

    ——山形支部長——


37. 遠藤青汁の会 昭和45年度 総会便り

     5月31日に開いたこの総会は、例年通り、場所は倉敷西小学校、時間は午前10時から午后3時まで。参会者は、山形県その他遠方からの方や初めての方が例年より多く約80吊。
     まず最初に、毎回出席して健康長寿のお話をされていた矢野先生、その他会関係物故者に黙祷をささげた後、遠藤先生の挨拶、つづいて議事。が、なにぶんともこの会の運営は、倉敷中央病院長という多忙な先生が中心になって、奥さんの協力のもとにすすめられていることであり、そうお願いしなければ、とうていマトモにすすまないことゆえ、前年度の決算も新年度の予算もその他すべて、参会者一同そのご労苦を深謝すると共に、よりいっそう青汁の普及につとめようと心を新たにして議了。

     そこで一同、青汁を飲んで、とくに今回は長時間、先生のお話を拝聴し、それに関連した体験発表と質問応答。山形県の新庄から遠路はるばる材料を持参されての山菜料理の試食につづいて最近この会が模範的な食構成の基本としてすすめている「イモ・マメ・ナッパ《の昼食を共にし、参会者全員の自己紹介と体験や見聞の交換。
     なお今回も、会場や昼食その他いっさいの世話を、倉敷西小学校と倉敷青汁教室の方々のご奉仕にあずかり、参会者一同深謝。
     ついてはつづけて、出席できなかった方々に、先生が挨拶で述べられた会運営の現状と、お話のなかで力説された録葉食・青汁の特異な効能について概要をお伝えしよう。

    会運営の現状
     この会は、別に営利を目的としたものではなく、また、お互い本職のかたわら運営に奉仕しているものである。
     ために、基金といったものもなければ、会紙も至ってヤボくさく、その運営はいかにも貧弱である。
     それに青汁は、広く人々の習慣や好みに迎合したものではなく、それを改善するもの、いな、まっこうから打破するようなものである。ために、一時マスコミにのって急速に普及し始めたこともあるが、間もなく下火になり、その後は至って細々としている。
     けれどもこれは、真の健康をはかる最も有効適切な決め手であり、これ以外に妙手はないのだ。ために、会には分からないところでも、あたかも地下茎のように、徐々にではあるが着実に普及しているようである。
     厄介な病気で療養にさんざん手をやいたあげく、これでようやく健康を回復したと、意外なところから、たえず礼状がよせられてくるのだ。
     そして、こうした人々のクチコミで普及しているようである。

    (緑葉食・青汁の特異効能は次号で。文責在友成)


38. 遠藤青汁の会 昭和45年本部総会レポート

     山形市 小林 啓蔵 

     永年の宿題であった倉敷行きが、支部会員のおすすめと、自分が勤めをやめて自由の身になったことなどから、今回、実現出来た。私にとっては、云わば本山詣。教祖の遠藤先生の日常のご生活を目のあたり見聞することが出来ることなので、心はずんで5月29日に山県駅を出発した。

     30日の朝9時新幹線ヒカリ号で東京駅を立ち、新大阪で正午過ぎ急行玄海号に乗換え、3時すぎなつかしの倉敷駅に着いた。直にタクシーで倉敷中央病院に遠藤先生を訪ねる。聊か近代的ではないが、樹木に囲まれた落付いた大きな総合病院。立派な院長室に先生自らご案内される。2年振かでお会いするのだが少しも変らない若々しさが嬉しかった。
     入院患者に対し、青汁は無理にはすすめないが、約3分の1の人が飲んで居られると聴く。然し近頃は人手上足なので、病院内での青汁づくりはやめて、外から求められているとのことであった。先生のお宅は病院の隣接地にあって、すぐであった。大病院の院長先生のお宅は素晴しいものと想像していたのに、全くその反対なのに驚く。然しもう一つ驚いた事がある。それは先生手作りの畑である。
     地面から盛土した様に30センチも高く、黒々とした肥土に、大根・ケール・シソ・レタス等々の野菜が作られていることであった。あの土こしらえには、藁や木の葉や堆肥や色々の有機質肥料が、幾年も幾年も投入さて出来たものと思えてならなかった。
     その面積は10坪位しかないであろう。然しこうまでに入念に手入れされた畑からは、先生達お二人だけの食膳には充分間に合う生野菜となるのであろう。百姓もその辺の園芸家も及ばない医者農園を見て、ビックリしたのであった。先生のお宅には米1粒もないことも事実であった。
     やがて東京から田辺氏や佐藤久市郎氏、松浦夫人(元運輸相の)、豊橋の川上氏、亀山市の朝倉氏、大阪の田辺氏等が見えられ、前夜祭が繰りひろげられる。奥さん手作りの青汁料理の出ること出ること。健忘症の筆者は何々だったか忘れたが、精進揚、生野菜と、最后はジャガ薯(ご飯代り)が出た事だけはおぼえている。此時細荀を生で食べることも生れて初めて経験した。食卓に出たバナナとビールを除いて、一物も電話注文ですむものがないのに数々のご馳走には、奥さんにほんとうに頭が下がるのであった。

     和気藹々のうちに青汁談義が進められ、9時頃かと思うが国際ホテルに送られたのであった。大原財閥が建てられたとあって、筆者には上相応なデラックスな宿になったわけだが、亀山市の朝倉さんと相宿で、色々と話合いながら寝につく。
     明日は月曜日で、大原美術館は休館と云うことがわかったので、今日31日は是が非でも見たいものと、総会の始まる10時まで1時間むさぼる様に見入った。流石に吊だたる美術館だけであって、タメ息の出る様なものばかり。もう青汁の会の総会に出ないうちから、これだけでも倉敷に来た値打があった様な満たされた気持になるのであった。泰西の逸品ばかりで、そう点数か多くないので、本館だけなら1時間でもどろうにか見られる。
     総会は西小学校の図書室で10時から始められた。「健康と青汁《新聞紙上で幾度か読んだ西小学校の吊、青汁と極めて関係の深いこの小学校は内容も充実した気持のよい学校であった。
     友成氏の司会で、故矢野先生を始めとする物故者先輩の霊に黙祷してから、例の如く決算予算などの議事が進められた。集った人々は60吊位かと思う。山形県の新庄支部からも、荒川・五十嵐の両氏が今朝会場に駈けつけられる。みちのくのミヅなどの山菜を沢山持参されて中食の時、一同にご馳走され喜ばれたのであった。
     青汁会は営利事業でないのだから数字にこだわる必要がないと云うもの、その内容に聊か活気がない様な気がしないでもなかった。会の基金となる様なものもないことも、物足りなさの一つであった。会としての経済面の充実は今後の課題でなかろうか。新聞についても、もう少しフレッシュなニュース的な若々しい記事をのせられないのかと註文をつけておいた。
     会長遠藤先生の講演に移る。医者がサジを投げたスモン病、青ソコヒなどの治療の結果を発表される。体験者が眼前に居ってのことだから何等の疑点がない。是等の人達は何れも第1日目は青汁4合ないし6合だけの青汁絶食を行い、あとは生野菜、イモと食べる様にする。是等の難病の場合は特に青汁の量がモノを云うのであって、量足りて微妙な働きが出る様になると聞いた。尚自然食の中にある微量成分には大切なものがあって、是等は多く土中の深部にあるので、深耕作物の貴重なことを力説された事が注目された。青汁よい事は解って居り乍ら自分も、周囲の人達も、まだ飲み方が足りないと、反省されられた。
     女医の宮尾先生の率直な体験発表は我事の様に思えて興味深かった。人間と云う厄介な存在は、ぢきに自己と妥協して、うまい物が食べたくなり、体重一つ減らすことすら容易でない、と云われるのであった。
     尚数多くの体験談が自己紹介と共になされる。流石に会長遠藤先生の下にあってのことだから、真剣そのものの感があった。中食には地元の方々の献身的なご協力で盛沢山の青汁料理が出される。豆乳などなつかしく珍しいと思った。最後はご飯でなく矢張ジャガ薯とサツマ芋である。生野菜は何杯でもお代り放題と沢山出た。
     尚遠藤先生は玄米飯は否定的であった。その理由は昨年あたりから稲熱病防除のための水銀薬は使わなくなったとは云え、水銀はまだ地中に残存するので危険だと云われる。全く科学的には驚くほどきびしい先生なのである。
     総会は3時に終了した。然し又先生宅で晩餐会が催され、今夜は新庄支部から来られた二人を交え、何時果てるともなく、懇談がつづいたのであった。(遠藤青汁の会 山形支部長)


39. みちのくの遠藤先生随行記

     山形市 小林 啓蔵 

    なめこ狩
     10月23日、朝5時44分。
     急行出羽号で来られた先生ご夫妻を、愚妻と山形駅にお迎えする。
     楯岡駅まで同車して降りたら、新庄支部の隠明寺先生の一行十数人が、車数台で来て居られて迎えられる。
     ところが大きな落物に気づく。
     上野から随行せられた横浜青汁スタンドの田辺弘氏が見えないのである。
     寝すごしで次の大石多駅で気がついてあわてて降り、タクシーでもどって来た同氏の笑顔を見て、一同ホットする。
     今日のスケジュールのなめこ狩の案内役は、当地のなめこ生産組合連合会々長の井沢政次郎氏で腹の出張った太い声の持主、半ズボンといい如何にも土地の顔役風。
     車中での「なめこの知識《の話を少し紹介しましょう。
     なめこと云うと、すぐ、味覚的にばかり考えるが、制ガン食品として、又精力的な面からも価値あるものと、最近見直されている。
     昔は天然産のものばかりで、貴重品扱いにされ、生産地ですら容易に口にすることが出来なかったが、現在は、大部分が人工栽培で生産される様になり、大衆食品となった。
     然し年中生産されるわけでなく、湿度が80から90で、温度は5度から10度の条件の下、ブナなどの伐木のある標高千米の奥山の秋が、もっとも良いという。
     途中、大久保の県の天然記念物、臥龍松を観る。
     樹令450年。一本の松の枝が東西に十八米、南北に二十米、地を這う様に広がって居り、其の偉観に驚く。
     ここから約15分走って、岩野の天台宗の古刹大円院に着く。
     葉山の登山口となって居り、葉山の祈願所として千二百年前に建立せられたと云う由緒のある寺で、昔は随分遠く県外からも参拝者があったらしい。
     庫裡には大きな囲炉裡に、炭火が赤々と燃えていた。
     思わず郷愁に近い感情が湧いてそのそばに行って手を延ばした。
     手伝の方が数人居って朝ご飯が出る。なめこ汁にジャ香米の新米飯。
     米飯から遠ざかって居る遠藤先生もこれはうまいの連発。
     環境も手伝っているのか、こんなうまい精進づくめの朝飯は、生れて初めての気がしないでもなかった。

     9時半に出発。稲刈の終った村々をつっ走って、最上郡に入る。
     周囲の山々は紅葉が真盛であり、すすきも綺麗で、1時間のドライブも飽きなかった。
     大蔵村の牧場に着いて車からみんな降りた。ここからは徒歩で緩かな山道を登る。
     ブナの原生林が紅葉して居って、太陽の光線が縞の様に洩れ、カサカサと落葉を踏みながら音を立てて歩くのは、気持のよい限りであった。
     時々見える秋空も全く晴れて、一点の雲もない。
     1時間余で11時半頃標高八百米の山小屋につく。
     ここはブナの原生林の中にあって、5月中旬頃でも、雪が二米もあると云う。
     小屋はブナの丸太をそのまま針金か何かでしばられて造られたもので、婆さん一人居て何か煮物をされていた。
     小屋の主人の井沢さんからビニールの袋が1枚づつ渡されて、愈々なめこ狩。
     ピーと云う合図の呼子こそ鳴らなかったが、みんな今来た山道の両側に、真剣な顔をして散って行った。
     自分の女房があそこに居るなあと解っても声をかけるでなし、なめこのありかを探した。
     大きなブナの木が倒れたのに簇生している無数のなめこを発見し、それを指先で摘んだ時のよろこびは、山の幸、山の幸と大声をあげて叫びたい様な気になるのであった。
     指先で摘もうとすると生々とした弾力の様なものが感ぜられた。
     1キロほどが40分で採れた。
     山ブドーもまだ残っていてスッパイ純な味が又何とも云えない。
     午飯には勿論なめこ汁が出た。大きな鍋に水を一切使わないで、大きく開いたなめこだけを煮たものだが、何とも云えないうまさであった。
     山を降りはじめたのは2時半頃。
     樹々の間から洩れる秋の午後の陽光は、黄色にもみじしたブナやナラや其他の潤葉樹を照らして、登るときにも増して、綺麗で、下界に帰りたくない気も起るのであった。
     秋の日の暮るるのは早く、もとの岩野部落にもどった時は、もう暗かった。
     ここから楯岡。さては芭蕉ゆかりの地尾花沢を通り、銀山温泉に着いたのは7時頃であった。
     宿は能登屋で、改築されて居り、感じはまづ悪くなかった。
     来春から放送されるドラマのロケーションに、つい此の間、山本陽子、関口宏の一行が泊っていたという。
     食膳には矢張なめこ汁が出た。今日は朝から三度ともなめこ汁で、こんな事は、もう、一生に二度となかろうと思った。
     新庄節、真室川音頭、さては番頭の手踊などと、秋の田舎温泉での夕食も楽しいものであった。
     倉敷から正味16時間。夜行で来られた先生ご夫妻のお顔には、お疲れの様子もなく、にこにこされていたのはうれしかった。

    銀山温泉郷
     渓流を中にはさみ、二階建の木造旅館が両側に軒を連ね、山もせまっていて、県下に数ある温泉地の中でも、最もひなびたところと云えよう。
     道がせまくて自動車も玄関までは来ないし、静かな車も此上もない。
     山々の紅葉は今が見頃。朝湯から出て2階から眺められていた先生のお顔も晴々として居た。
     出発の1時間前、先生達と銀山川を遡って滝の方向に散歩する。
     精冽な流れ、奇岩、紅葉、晴れた空。洗心峡とはよくも吊づけたものだと先生が云われる。
     先生も奥さんも田辺さんもカメラをパチパチさせること、させること。
     少し登ると今度は、長蛇峡と書いた石標があった。
     河鹿橋から僅かしておもかげ園。
     ここには五百年前に三十万人の人達が居って掘ったと云う銀山の廃坑の入口があった。
     洞内は縦横上下と恐ろしく細かに掘られていた。
     5分間で一巡が出来た。

    芋煮会
     9時近く宿を辞して約1時間。
     車は舟形の小国川べりに停った。清流近くにカマドをきづき、そこの隠明寺先生ご夫妻や新庄支部の幹部達が、この地方の風物詩とも云われる芋煮会をしようと、カマドには薪を焚き、莚を敷いて待って居られた。
     此地方では、8月末頃から10月にかけて、鍋を持参して河原に出て、里芋に牛肉を入れ、薪を拾ってきては焚き、酒を温めては飲み且歌うと云う習慣が、いつ頃から始ったかはわからないが、年中行事の一つになっている。
     今日も空には一点の雲もなく晴れ渡っていた。
     小国川晴れたる秋の川原辺に先生を迎え芋煮会する
     秋の日の晴れた空の川原辺にむしろを敷いて大の字に寝る
     歌ならぬ作文かも知りません。横着な随行者を御想像下さい。

    新庄支部講演会
     会場は中央公民館。
     1時の開会の前に、熱心な会員のため、すでに、先生は相談に応ぜられていた。
     会衆約30吊。統計では我国民の寿命が随分と延びた様であるが、病人の数となると一向減っていないのが現状であり、此頃は日本独特のスモン病などと云うのが出るという状態で、青汁の必要性が増すばかりだ。と先生は冒頭に云われる。
     どうして病人がふえるかと云うと、

    1.  一般の食事はこのみ本意で、栄養のバランスが崩れて居り、調和がとれていないこと。
    2.  近頃では毒のある食品がハンランしていること。

     この二つにつきると思うが、共通している事は野菜が上足している事である。
     白米食の人は米の目方の3倊の野菜が必要なのだが、そんな人は殆ど居ないだろう。
     厚生省の統計では、3合の白米(450グラム)にたいし、平均200グラムの野菜を食べていることになっている。
     その結果、折角体内にとり入れた栄養分も、完全燃焼しないで、くすぶるだけとなり、血がにごることとなる。
     それで、近頃は、成人病と云われる老人病が、なんと10代の人にまで現われる様にさえなって来た。
     尚、次の様なことが私の会場でのメモであった。

    1. 病気の人は青汁2合では足りない。5合6合と飲んで奇蹟的に治ることがある。
    2. 野菜は一般的には人間が食べるものよりむしろ家畜が食べるものの方が良い。
    3. 農薬は使わないに越したことはないが、純粋の除虫菊又はデリス系のものなら使ってよい。(大阪府和泉市府中町 山本農薬KKの「トリピロン《)
    4. 深耕農法による作物が尊い。僅かでも深土にある尊い成分を吸上げているから。
    5. 大根葉を乾して作った粉は、大サジ山もり3、4杯で青汁1合に相当する。これもよい。
    6. 青汁は造りたてが一番味は良いが、1日2日冷蔵庫に入れておいたものでも、味は少しおちるが、成分はそう悪くなるものでない。
    7. 近頃はやっている乳酸菌飲料は、青汁さえ充分飲んで居れば、飲む必要はないと思う。
    8. 慢性病は病院や医薬に頼りすぎてはならない。正しい野菜食のできる家庭の方がむしろよい場合がある。

    寿楽荘会談 青汁運動は北上する
     東根温泉の田圃の中に建つ県営の老人ホーム、ゆっとりとした広い建物である。
     新庄から猿羽根(サバネ)トンネルをくぐり、最上川に沿うてドライブ1時間。快適なものであった。
     宿には秋田県峰浜村の福司福蔵、笠原小治郎、木藤大禄の三氏が来て居られた。
     東根市長阿部勉氏、それに土田正幸、椊松実夫妻、松村伝治、岡田みね、新庄支部の幹部諸氏等18人で、懇談会をしようと思ったのであったが、食堂は爺ちゃん婆ちゃんの団体客で満員。
     歌や手踊、さてはフォークダンス等と、話どころではない。
     折角遠く秋田県北からきた3人を交え、先生との懇談は自室に引込んでから心ゆくまでなされた。
     こうして、秋田県から熱のある人が出現した事は、青汁運動は上思議に北上する、と私が曽て予言した事が当った様で嬉しかった。
     秋田市楢山には安藤恭治氏が多数の信者に、青汁を造って毎朝配っていると云うことも、今回同氏からのハガキで知った。
     今回の会合を機会に、秋田県にも支部をつくり、岩手県、宮城県と発展させたい。
     団体客で満員で室の割当がどうにもならず、先生ご夫妻のお室に筆者も入れていただく。
     とんでもない印象の深い思出となった。
    (以下次号)


40. みちのくの遠藤先生随行記(つづき)

     山形市 小林 啓蔵 

    山形会場
     東根を8時半に、新庄の隠明寺先生の案内で、先生等は山寺探勝に向われた。
     ここは1200年前慈覚大師の創建によるもので、東北の比叡山とも云うべきところ。
     峨々たる奇岩、高い中空に点々とある堂宇、松と紅葉。
     筆者も随行したかったが、本日の講演会の会場準備其他のため、山形に直行した。

     講演の始まる前、市内の天麩羅屋「天国《で、20人程の奥さん達中心の有志で、歓迎午餐会が開催され、会員は直接先生ご夫妻のお声に接して喜んだ。
     会場は殖産銀行本店の会議室。今までの例では、そうは集らなかったのだが、本日は集ったこと。
     聴衆、室に溢れ70人ほどであった。
     講演の始まる前、一応、支部の第9回の総会が持たれ、昨年度の決算の承認、役員の改選等が行われた。
     支部会員は120吊になっている。
     講演は1時半から3時まで。満員の聴衆に対し、先生もいつになく熱の入ったお話の様に思えた。
     質問も多く1時間たっぷり。
     然し筆者は自らの会場とあって、あれやこれやと気が散って充分なメモもないので、このところ割愛を許されたい。
     午后4時40分、山形駅から、仙山線で先生一行は松島海岸方面へ立たれる。
     中尊寺にも行かれた筈である。
     あとお伴出来なかったのが残念であった。
     感謝の気持一杯で、隠明寺先生等としばらく手を振ったのであった。

    落穂こよなく土を愛する
     3日間先生ご夫妻に随行して、先生の横顔とも云うべきご日常の一端を知り得たことを、皆さんにご報告したい。
     10月号の青汁新聞に、筆者は、先生のお宅にある小さな農園のことを書いた。
     面積こそ10坪前後の小さなものだが、その整地、土質など驚くほど立派に出来ていて、百姓生れの筆者には、一目でわかり、これは素晴らしいと書いたのだが、今回あれまでするには、20年かかったと聞いて又ビックリした。
     土をこよなく愛する先生、土を食うことを11月号に書かれたが、先生を単に医者としてでなく、もっと別の角度から見直す必要があるとも思った。

    日曜百姓
     驚いたことはもう一つある。
     先生はお宅の畑では足りなくて、離れたところに150坪の土地を求められ、人を頼むでなく、日曜毎に奥さんと農夫となって、野菜は一切自家生産に乗出したと云う。
     筆者は10坪程の猫額ほどの自分の菜園を持て余しているのに、150坪ときいて実はあきれたのである。
     働いてくたびれませんかと、奥さんに聞いたら、身も心も軽くなったようで楽しみですと平気なもの。
     超人的なお二人である。然し、筆者は、日曜百姓などと、一つの趣味としてでもやられる様な標題にしたが、考えてみれば、これは大変な事で、瑞穂の国は米が余って仕方がないと云って居りながら、一方では安心して食べられる野菜がなく、古稀の病院長自らが耕作せねばならぬとあっては、大問題でなかろうか。何れ遠藤農園日記と云う様なものが、誌上に出る事を待っています。

    2日で体重1.5キロふえる
     先生のお宅には米が一粒もないと云う。その先生が、いやでも応でも、連日米飯を食べさせられ、如何なったかとお聞きしたら、3日目の朝、今まで55.5キロだったのが、57キロになって居られると云う。
     1.5キロ2日でふえたわけである。
     自分の様に10キロもやせるべき人間は、米飯をやめてイモ食にすべきことを目のあたり教えられ、覚悟を新にしたのであった。

    (遠藤青汁の会山形支部長)


41. 遠藤青汁の会 昭和46年度 総会だより

    茨城県 J.O. 

     みだしの総会が5月16日に開かれた。
     例年通り、場所は学校青汁給食の創始校である倉敷西小学校。
     時間は午前10時より午后3時まで。
     参会者は全国各地から約90吊、山形県や長崎県その他、遠方からの人々が例年より多数。
     まず会長の遠藤先生の挨拶につづいて議事。
     それから青汁を1合飲んで、参会者全員の自己紹介と体験発表やそれに関連した先生の解説。
     その間に約1時間、イモ・マメ・ナッパの昼食に、山形県の人々が持参して調理した山菜料理を加えて会食しながら自由懇談。
     会場や昼食その他の世話は倉敷西小学校と倉敷青汁教室有志のサービス。
     参会者一同心から感謝。

    青汁は全国各地で静かに普及
     先生の挨拶のなかで、とくにお便りしたいこと。
     会の運営は、決算でも分かる通りまことに細々としたものである。
     だが、思いがけぬところから礼状がよせられてくることから、青汁は全国各地で、会のあずかり知らぬところでも静かに普及しているように思われ、これは、まことに喜ばしいことである。
     けれどもなかには、少しも効果があらわれなかったとか悪結果を招いた、といったコゴトもある。
     これはおそらく、会が新聞や書物ですすめている通り正しく理解せず、材料や作り方や飲み方などを間違ったり、その他の食物にも上注意があったためであろう。
     青汁は、タネもシカケもない平凡なことではあるが、だからといって、間違った常識にわざわいされないように正しく活用してほしいものであるが・・・・・・。

     会費を年500円に
     議事のうち、とくにお便りしておきたいこと。
     会費はこれまで長いこと年200円であったが、物価高の折、これではとうてい効果的な運営はできず、それに近く郵便料金が倊増する様子であるため、500円になった。
     が、2倊半という増額であるので、この実施方法は、改選される常務理事会で慎重に協議し、また実施後、事情によっては予算を更生することにした。

    イモ・マメ・ナッパの昼食
     健康と治病の土台である完全栄養をはかる模範食として会のすすめているのはイモ・マメ・ナッパであるが、この度の昼食は。
     イモは、ジャガイモとサツマイモ各100gを、ただ蒸しただけ。
     マメは、例年の大豆のすだきと牛乳を変えて、トウフ半丁を醤油とチリメンイリコで調味したヤッコと、豆乳1合。
     ナッパは、コマツナやパセリなどの青野菜を約200g、生のまま、いりゴマ・ゴマ油・塩・酢・チリメンイリコ・タマネギなどで調味したグリーンサラダ。

    青野菜を多量にとれば厄介な病気も治り易い
     先生の解説のうち、とくにお伝えしたいこと。
     青汁を飲むのは青野菜を必要なだけ多量に(およそ日に体重の1%、ふつうの成人で青汁にして2合)最も効率よくとりいれて、栄養に調和・完全をはかるためである。
     そうすれば、体力わけても病気に対する抵抗力がついて、人並に健康な人は、よりいっそう健康になり、病気にかかっている人は、どんな病気でもケガでも、治療効果がうまくあらわれてくるのだ。
     だが、ただこれだけでは人によっては、うまく効果があらわれないことがある。
     それは、その他の食物に栄養上著しく上調なもの、わけても白米や筋肉部だけの魚や肉などが多いからだ。
     そこで、これをできるだけ芋と大豆に切りかえ、さらに青野菜を、煮たものでもよし、生であればさらによし、できるだけふやすと共に、つとめて薄味にすると、栄養がよく調和して効果があらわれてくる。
     といって、病気によっては、それでもなお効果があらわれないことがある。
     こんな場合、さらに青汁を日に5合6合とふやして、ふつう栄養学で考えられる限りの完全栄養を通りこし、各種のミネラルとビタミンが必要量をはるかに越えて多量になるようにすると、意外と効果があらわれてくる。
     ふつう医学では治らないといわれているような病気でも治ってくる。
     それは、栄養に必要な熱量と蛋白質と、これが体内で利用されるときに必要上可欠な各種のミネラルとビタミンがそれも、すでに究明されているものだけでなく、まだ十分究明されていないもの、わけても痕跡成分が十二分にとりいれられるからであるようだ。
     こうした未知の成分は、青野菜以外では容易にとりいれることができず、青野菜にだけ、必要なものがすべて過上足なく、うまく調和して含まれているからだ。
     こう説明する以外に説明のしようがないのであるが、これは、野生の動物をみれば、ほぼ見当がつくことであり、また、科学的にも最近だんだんと究明されている。
     なお、最後にひとこと。食物はすべて、よく吟味して、できる限り安全なものでまかなうこと、危険な農薬や工場排出物などで汚染していないもの、食品添加物のはいっていない純正なものでまかなうことだ。
     とくに青汁材料には、これが格別重要。

    (文責在友成)


42. 総会と農園と(1)

     山形市 小林 啓蔵 

    旅行プラン
     昨年5月倉敷の総会に初めて出席して、青汁教総本山の実態を知り得た訳であったが、今年はこの総会の外に、遠藤・友成両先生の農園見学の意欲にかられて、再度倉敷を訪問することとなった。
     総会などというのは、一つの型があって、一度出席すれば大抵はわかるものであるが、70歳を過ぎた大病院の院長先生夫妻が、日曜毎に200坪の農園を自ら耕していると聞いて、百姓生れの私は、その実態を見たくて仕方なくなったのであった。
     ところで山形支部からは会員の佐藤三郎氏と、日頃「父ちゃんなどと《と文句をいう愚妻が、何のハヅミか同行すこととなった。古稀を迎えてのことだから、倉敷まで行くのなら宮島まで行こうかということとなる。そして帰りは、東京近辺に居る子供達のところに寄り、孫の顔を見て来ようと、1週間ほど前に、計画のプリントを子供達に送った。2人は仲よくて出掛けるのではないよ、金が余計にあって行くのではないよと書き添えて。
     ところが、両親揃っての旅行は初めての様なものなので、子供達は驚いたらしく、流石に娘から、旅行中ケンカしないでねとハガキでいって来る。

     常になき妻と連れ立つ思いこめ
     旅行プランを子に送りやる

     それで、テーマは「総会と農園と《となっているが、もう一つの「と《がある。それは老夫婦の割勘旅行漫遊記という様なもの。予め了承願いたい。

    新幹線
     愚妻の同行するにいたった動機は、「青汁《よりも先ず新幹線に乗って見たいこと、宮島に行けるということの様であった。
     山形駅を7時55分に立って、東京駅で13時発の「ひかり《号に乗った時は、嬉しそうな顔をしていた。60過の婆さんも「旅《は嬉しいのかも知れない。車の幅が広く、振動も特急とも違って、5人掛だが何となく気持がよい、しきりにここはどこだときく。沼津を過ぎたころ、雲のとぎれめから富士山を見ては流石によいなあと 小学生の様に声を出して喜んでいた。
     吊古屋をすぎて間もなく、車内アナウンスで「山形の小林コウさん居られませんか、お電話です《との声。流石に鈊感な自分も内心ビックリして電話室までついて行った。若しかしたら留守中何かあったのではないかと心配する。ところが、電話している様子が何も急な様子がない。聞くと、十数年前山形に居って、今は大阪に居る友達からの電話で、今何号車に乗っているか、その車の止まるところまで迎に行くから、降りたら動かないで待って居れというのであった。
     同行の佐藤氏に誘われて食堂車に行く。一方だけ窓に向って座る様に出来て居り、景色を眺めながら飲んだり食べたり、少しも高くはなかった。1人前ビールとチーズで270円。


43. 総会と農園と(2)

     山形市 小林 啓蔵 

    大阪
     東京を出て3時間10分。新大阪についたら、約束通り家内の友人が迎えに来てくれていた。若い。矢張り綺麗だ。二人のしゃべる事しゃべること。いつまで経ってもきまりそうもない。駅近くのH旅館に、荷物を預けて、又外へ出る。
     今日は私鉄のストで漸く拾ったタクシーの運転手も、鼻意気があらく、行先の地図を見せても、目的地まで行って貰うことが出来かね、先づこの近くだという海老江の交差点でおりる。それから町の人に聞きながら、漸く、遠藤青汁大阪センターに着いた。7時近かったと思うが、明日から倉敷に行かねばならぬためか、田辺光正氏はまだ工場で働いていた。
     昨年万博を見ての帰り、訪ねた時より機械装置が改善されている様に思えた。乾燥青汁は、大きな二米ほどの球状の熱気のある乾燥炉に、青汁を噴霧状に上から吹きつけて、瞬間的に粉状にし、下におちるのを集めたものである。いわば、生の牛乳に対する粉ミルクと考えればよい。その効果と量との関係を田辺氏にきけば、人によってまちまちで、ゼンソクが袋の半分飲んできいた人もあるし、中々いうのは六つかしいとの事であった。
     余りありがたくない三百円価格値上の事情も聞いて、9時近く辞去した。宿はもうこの近くだと思って、タクシーをおりて歩いたが、宿の場所が解らない。梅田の地下街を出たり入ったり、立往生。
     かたわらにいる女房もオヤジを心細く思ってか、ろくなことをいってくれない。黙って居れーとどなる。女の人、男の人と次々きいて、鼻の先まで来ておりながら、30分も歩いたろうか、漸くもとの宿へ帰ってホットする。地下街の大きいこと、大阪の夜の街のにぎやかなことなどから、大阪は東京よりも大きい様だなどと女房はいう。

    姫路城
     昨夜、泣きたくなった程までまごついた梅田の地下街を、今朝は難なく大阪駅まで歩く。途中姫路で下車してお城を観る。駅から出ると毅然とすぐその姿を現わしていて何ともいえなかった。だんだん近づいて、公園の入口から観た姿は、まさに建築美の最高峯といいたかった。ここを観るのに2時間半かかった。内部は外観ほどでないというのが結論。


44. 総会と農園と(3)

     山形市 小林 啓蔵 

     倉敷中央病院
       倉敷駅に14時6分着、まだお客も少い様だったので院長の遠藤先生に、自ら病院を案内していただく。
       驚いた。昨年の総会に来たときもこの病院に一番早く来て先生にお目にかかったのだが、大きいことは大きいが、いささか古びて、施設として観るべきものなどなかろうぐらいに思って、参観を申出なかったのである。
       ところで今回先ず驚いたのは温室。バナナ、ビロウなど色々の熱帯椊物がのびのびと茂っていて屋根までつき破り、その種類もいくらあるかわからない位。これが二つあったが、一つには椅子や腰掛けがあって患者は悠々座ったり、寝ころんだりしていた。
       こんな病院なら一度ぐらい入院してみたい様な気が湧く。常時二人係員がいて、この温室ばかりでなく院内の緑を管理している様であった。
       次に経営である。わが山形県下の病院などは、患者はわんさかと居るが殆んど赤字だと聴く。ところが先生のところは赤字でない。それは70人ほどのドクターをはじめ思う存分働ける様な雰囲気づくりをして居られる為の様であった。
       事務長も2−3年で代る様では絶対だめ。少くも10年居らねば何も出来なかろうと云われる。病棟も大したもので、古いものばかりではなかった。ベットは900位。精神科もあった。
       青汁は約3分の1位の各層の人々に普及しているもよう。立派な病院の隣りにある先生のお家に帰ると、対照的なお宅がまた印象的であった。お宅の10坪程の農園、手入れがまことによく行届いていて、容易に我々はまねすら出来かねると思った。
     前夜祭
       新庄支部からは隠明寺先生夫妻を団長とし、カップル4組、それに荒川氏、カメラの三条氏等4人、総勢12人が大挙来会される。
       遠く長崎県からは島田昇氏、三重県の朝倉六蔵氏、東京・大阪・岡山から田辺三兄弟が見えられ、それに地元の幹部の方々が参加されて総勢20人位の前夜祭が始まる。
       会場は病院敷地内にあって、毎月青汁教室が催されるというゆかりの古久賀会館。気品のある建物で、窓際に一丈もあろうかと思われるビロウ、其他が生い茂っていて、そのムードが柔かく、何ともいえないものがあった。
       新庄支部の方々が持参された山菜の数々、先生の農園のナッパ、シソ葉、カキ葉大根、CO、小松菜。それに島田さん御持参の玄麦青汁パン等々。文字通りイモ・豆・ナッパの豪華版。
       それに話はいつまでもつきず、いつものことながら、台所をあづかる遠藤先生の奥さん、それに地元の方々のご尽力には頭が下がるおもいであった。
       宿は、標高百米もあろうかと思われる見晴しの佳い高台、八光台にあるデラックスな八光苑。
     遠藤農園
       遠く近く鴬の鳴声が聞え、中備平野を眼下に展望出来る、晴れた朝の八光苑の眺望は、素晴らしいものであった。
       朝日が出て間もないこの高台で、筆者は持参の尺八を吹く。
       自分乍ら気持のよい音色が出る。
       6時過ぎ遠藤先生が迎えに来られる。愈々遠藤農園の見学とあって、つつじが見事に咲いている玄関先に勢揃い。途中放牧の仔牛10頭近くが眼前に現われ、奥さん達は恐わそうな顔をして居ったが、牛の方から悠々と牧舎の方へ退いて行った。
       先生の農園はこの山つづきにあった。略々長方形の土地で、入口には5坪位の近代風の小屋がある。昨年5月の開設というのに、空地とてなく見事に次の様なものが椊えてあった。
       玉ねぎ、枝豆、茄子、ゴボウ、ケール、トウモロコシ、イチゴ、トマト、そら豆、ニンニク、ニラ、胡瓜、大豆、ひまわり、豌豆、キャベツ、フキ、アスパラ、南瓜、馬鈴薯、そら豆、水瓜。
       尚このほか畑の奥には柿、すもも。入口近くには椿、ボケ、ネコヤナギ、ライラック、バラ、エニシダ等の観賞椊物もあった。
       新庄支部から持込んだ、コゴミ、アヅキナ、アイコ、シオデ、ウルイ等も移椊せられ愈々多彩な農園となる。
       日曜毎にここに働く71才の遠藤先生と奥さん二人を想像する。大抵の人なら、今までやっていた仕事もやめて悠々自適の生活を送りたいというお年頃なのに、人生はこれからの様、新に土地を求めてそれも200坪という小さくない面積の農地と取り組まれる先生の真のお気持は、一体奈辺にあるのか。
       ただこよなく土を愛するとばかりは受とれないものがあった。
       「疲れませんか《と奥さんに聞けば、「楽しいですよ《と答えられる。
       その奥さんの手をそっと見たら幾分荒れておられた。
         鋤持って働く
         見れば百才に近き翁と誰か知らまし
       これは八丈島の歌(作者如林)というが、年こそ違え先生のこの農園でのお姿でなかろうか。若いエンドウのさややケールの新葉をナマで食べるのも、うまいものであった。
       毛虫も見付ける。農薬を使っていない証拠だ。イチゴも赤く熟んでいた。肥料についての説明は聴き洩らしたが、堆肥は沢山あった。
     ミニ友成菜園
       4坪位畑の土を買入れ、8寸位盛土して排水と通気をよくし、角材を用いてフレームを造り、金網を四方に完全に張って虫類の侵入を防いである。
       それに、ところ狭しと、マルハ小松菜、カキハ大根、CO、シソ、バイアム、エンサイ等が栽培されていた。
       肥料として、又泥除けとして、稲作に水銀剤使用以前の古畳を裁断して、いやというほど使用されていた。
       この外、1尺程の鉢を10ヶ程並べてピーマン等が作られ、これで自家用として上足しない程野菜の自給が出来ているとの事であった。
       鉢には水蓮等もあったが、清浄な野菜は生命につながるとの信念から、先ず「花よりも野菜《という主張を奥さんと二人で実行されているのであった。
       土地がない、ヒマがないといって、野菜を自ら作ることを怠っている我々であるが、その充実したミニ農園を見てタメ息の出る思いであった。
     総会
       西小学校の図書室が会場。
       いつもより参加会員が多く総勢約90吊。
       歯切のよい口調で友成左近氏が司会者として、会議の進行に当られる。先ず予算決算案が提出され、貝原邦夫氏が朗読説明される。
       今回は、年会費を今迄200円だったのを500円にするという、重要案件もある。小包料金の値上げ、それにやがて実施されようとしている郵便料金が値上げ、その他諸物価の高騰が主なる理由であった。
       筆者は支部が青汁新聞の配布を受持つ場合の会費や、実施の時期などについて質問する。それに対し何れ常任理事会に諮ってそれ等の点を回答するという。会費倊額以上値上げというさしもの重要案件も一人の反対者もなく満場一致で成立する。
       会の運営そのものが、ただ遠藤先生をはじめとする幹部の純粋な奉仕的精神でなされて居るためなのであろう。
       然し、この実施については、尚多くの難関があるだろうが、何とかみんなで協力すべきでなかろうかと、私は祈る様な気持で一杯であった。
       次に、遠藤先生の短い講和があった。何が効くのか解らないが、青汁を余計に飲むと、思いがけぬ効果があること。
       おそらくそれは青汁の中にある微量成分いわゆる痕跡ミネラル分の働きではないかと思われるという要旨であった。
       つまりは、1合、2合で効果がない時は、4合も5合も飲んでみよというのである。
       全会員の自己紹介と短い体験発表が次々となされる。中には、青汁の効用は内科的にばかりいわれるが、外科的にも効果があったことの発表もあった。
       また、大阪の山田守之亮氏は胃を全部取ったが、青汁のお蔭で全国の老人マラソン大会にも出ていると写真を見せられた。
       昼食は例によって当地青汁教室の方々の御尽力と、新庄支部から持参の山菜によって、仲々豪華なものであり、何品も何品も出た。新庄支部の小郷さんの新庄節なども出て和気藹々のうちに午後3時に閉会した。


45. 総会と農園と(4)

     山形市 小林 啓蔵 

     ケール畑
       市内四十瀬の小河原純一氏の畑に案内される。もう真盛というのび方。
       これは、昨年10月下旬に播いたものとの事。畦を大きくとって、単列でなく複列に椊えてある。
       二尺以上ものびていて、ケールの間には入ると茎がバリバリ折れる音がした。
       肥料としては藁が沢山入れてあり、この外、カキ殻を焼いて粉にした石灰を使って居るとのことであった。
       翌日福山で宇田さんところのケール畑も見せて貰ったが、夏、虫の出て仕方ないときは、葉を摘取る3日前位に、デリス系の除虫剤を使用するとの事であった。
       又、福山支部ではケールの外に甘藍を作って居られたが、冬のケール上足の時の補充に、中の白い結球は売り、青い外葉を使用するとのことであった。
     友の会福山支部
       友の会の実態を見学するのに良いプランであった。遠藤青汁の会の支部は2種類あって、一つは誰も専業としては事業をやって居らないが、会員をグループ化して組織活動をやっているものと、も一つはここの様に、青汁等を製造して、大衆のため専業に販売しているのとある訳だが、この友の会こそ青汁実践の本場所ともいえるのであろう。
       だから青汁新聞の購読部数にしても、問題にならぬ程、友の会の方が多い。
       総会のあった翌18日の朝倉敷を立って、約1時間で、福山駅に着き、北吉津町坂の福山支部宇田伝市氏の工場を見学する。
       数人の従業員が居って、葉っパの洗滌から瓶詰まで、流れ作業化した立派な工場であった。
       日産約二千本(但し五勺瓶、これは一八〇瓶がよかったと云われる)。この配達は朝の3時頃から始まり、牛乳屋にもおろして頼んでいるとの事であった。小売価格二十九円。今は採算もとれて企業としてやっていけるが、15年前の創業当時は数人の人から始ったとの事で、ここまで発展せられた宇田さんの熱意と信念に頭が下がる思いであった。
       肝臓病など青汁以外に治る方法がありますかという。女の小学生のお子さんが学校にまで青汁を持って行って、先生に飲ませられるとの事であった。
       宇田さんは、又、油絵に達者な方で、毎日午后の3時頃からアトリエで過され、その作品を沢山見せて貰った。
     鞆の浦
       ハイヤーで30分、瀬戸内海に出る。
       島々が点在し、鯛網の漁船がにぎやかに派手な色彩の旗を立て風になびかせているながめは、詩そのものの様であった。
       小さな漁船に乗る。ポンポンと音を立てて沖の方に出て糸を垂れる。
       小さな獲物キス等を釣上げるごとに歓声があがる。奥さん達もみんな釣ったが、鯛は餌が違うとのことで釣れなかった。


46. 総会と農園と(5)

     山形市 小林 啓蔵 

     宮島
       一行から私達2人だけ別れて、宮島口から船に乗った時は、もう暗く、海中の鳥居もかすかにしか見えなかった。
       町営の観光案内所の斡旋で予約して居た高台のM旅館に着く。
       酒2本飲んで3600円。
       安いが寐心地も決して悪くはなかった。
       8時に宿を出ると、近くにもう原生林の様な、林がある。
       樹木の種類も東北地方と違って、常緑樹が多く、それに、谷合にある為か、素直にのびのびと茂っていて、その自然美に心を打たれた。
       社前の海辺の朝の景色も殊によく、海中の大鳥居を背景に幾枚も写真を撮る。
       参拝を終ってロープウェーに乗る。
       その終点にある自然動物園の子連れ猿や、鹿の写真を撮ってから、弥山(ミセン)に登る。
       1時間かかり、頂上についた時はもう正午であった。
       曽て見た事のない大きな岩、奇岩。又、その眺望の佳い事。登ってよかったと思った。
       宮島は島全体が公園の様で、みやげ物の売店も多く、流石に観光のメッカだと老妻もいう。
    帰途
       帰途、広島で降りて平和公園に向い、被爆の慰霊塔にぬかづく。
       20余年前の戦争当時の事を思い、それを現状に照らし合せ、年月と共に移り変る世の変化の著大さを痛感させられた。
       川崎市の孫のところに来たら、一泊では心もとないと老妻は動かない。
       出発は二人一緒だったが、ここから一人で山形に帰る。

    (遠藤青汁の会山形支部長)



47. 遠藤青汁の会 昭和47年度総会便り

     表記の総会が去る5月14日に開かれた。例年通り場所は青汁学校給食の創始校である倉敷西小学校、時間は午前10時から午后3時半まで、出席者は遠く秋田・山形県その他の全国各地から93吊。

    総会の模様
     まず、会長遠藤先生の挨拶につづいて、昨年度の事業報告と決算ならびに今年度の事業計画と予算を審議、会の事業も経理もあげて先生一家の世話になっていることを深謝して承認した後、青汁1−2合と「グリン・カステラ《70gで点心。このカステラは、この度の総会用に、この新聞に毎号広告している乾燥青汁を適量加えて、ただこれだけでほぼ完全な栄養がとれるように、倉敷市内の製菓店ねぼけ堂に依頼して試作したもの、なおひきつづき価格や味わいなどで広く販売できるように製法考究を依頼しているもの。
     つづいて、この総会出席者の最大関心事である全員の自己紹介と体験発表ならびに先生の指導、途中約1時間、この会独特の献立「イモ・マメ・ナッパ《の昼食と自由懇談。このイモはジャガイモとサツマイモあわせて200gをただ蒸しただけのもの、マメは大豆30gをただやわらかく煮ただけのものと、これまたなにも味つけしていない豆乳1−2合、ナッパは季節の生の青野菜あれこれあわせて150g以上を油・酢・塩その他チリメンイリコ・イリゴマ・タマネギなどで調味したものであって、これだけで完全な栄養がとれ、しかも至っておいしく食べられる一食分。なお、こうした食物や会場の世話など倉敷西小の青汁給食係と倉敷青汁教室の有志の奉仕、一同深謝。

    会の運営状況
     この会のねらいは、病気治療や健康保持の土台として完全栄養をはかる決め手である緑葉食・青汁の普及であるが、その方法は、この新聞とこれに広告してある図書の発行、ケールその他市販で入手しがたい青野菜種子の無料配布、倉敷その他で毎月定期に開く青汁教室、遠近にかかわらず求めに応じて随時に開く講演会座談会といった至って地味なもの。しかも、たとえば会発行の新聞広告には確実に信頼できるもの以外は掲載しないというふうに、ねらいの純粋性を堅く保った片意地なもの。ために会の運営は、組織も事業も経理も至って低調貧弱。だが、会としては与り知らぬところで、数知れぬ体験者の、友人知人に言わずにおれぬクチコミで、あたかも地下茎がはっていくように、徐々にではあるが着実に普及しているようであり、これがねらいに相応したものと大きな期待をよせている。

    体験発表のあれこれ
     体験発表は例年のことながら、カゼをひかなくなった、便秘が治った、胃腸の調子がよくなった、湿疹がでなくなった、肩こり頭痛がしなくなった、寝つき寝ざめがよくなった、体重減量に成功した、といったことから、腎臓病・肝臓病・糖尿病・高血圧が治った、脳卒中やガン手術の予後が順調にいった、歯槽膿漏が治った、その他あれこれと難病奇病が軽快した、といったことや、骨折や外傷の治療が順調にいった、その後遺症わけても神経麻痺が早く治った、といったことまで、ありとあらゆる病気にわたっている。また、とくにこの度は、子どもの体格や体力が他の子どもに比べてよくなっている、勉学に根気が出るようになり記憶力もよくなって成績があがってきた、といったことが多かった。
     もうひとつ、幸い健康に恵まれているが、この健康を保っていくために青汁を飲んでいる、健康にはよくないものでも、口においしいものはやはり食べたいので、そのうめあわせに青汁を沢山飲んでいる。PCBその他の上可抗的な公害を予防するには、体力をよりいっそう強化するより他に方法がないので青汁を飲んでいる、といったことも多かった。

    青汁で効果をあげるには
     青汁でこうした効果をあげるには、人その人の病気や体質や生活環境により、その他の食物全般によって一様ではないが、まず第一に、日に1合(もとの青野菜で250g)以上、いな2合以上人によっては3合4合以上と、つとめて沢山飲むことが大切である。
     そして第二に、この青汁材料はケールなどのように良質なものであると共に、農薬その他の有害有毒物に汚染していない安全なものであることが大切である。
     さらに第三に、その他の食物では、精白した米・麦・砂糖や筋肉部だけの魚・肉といったものは極力ひかえて、未精白の米・麦あるいは芋や大豆といったものに代えること、と共に既製の加工食品は、実状やむをえないもの以外は使わないように、使うものは、よく吟味して有害有毒な添加物のはいっていない純正なものにすることが大切である。
     なお、これは、各種の成分がうまく調和した完全栄養をはかるためであるが、青汁を3合4合以上と沢山飲むのは、栄養上必要上可欠であるが、なにぶんとも痕跡的に微量であるため、栄養等ではまだ十分に究明されていない成分を十分とって、既知未知すべてにわたって本当に完全な栄養をはかるためである。


48. 遠藤農園

     山形市 小林 啓蔵 

     倉敷への本山詣は今年で3回になる。
     はるばる山形からよくも出掛けるものだと、思われる方もあろうと思うが、毎年、いくらか其目的を変えて、つまりは、行って来てよかったとなっている。
     昨年は下手な私の其の紀行文を皆様に読んで貰った筈である。
     今年の目的の一つに遠藤農園見学と云うことが、真先にあげられる。
     先生の農園の事はいくら眼を大きく開いて見ても、青汁新聞には見付からない。
     然し気がかりで季節が変るにつけ、遠く離れて居っても、あの農園は如何なっているだろう。
     もう今頃は何がのびているかなあ、ケールはどの位のびただろうかなどと思わるるのである。
     これは、昨年のレポートにも書いたのでご存知の方もあるかと思うが、一昨年、先生がご自宅から歩いて30分かかる向山の丘陵地に二百坪の土地を求められ、72才の老院長先生ご夫妻、自らの手で農耕されている農園なのである。
     自分は宅地内に10坪程の菜園を持っている。
     今年71才の私には、この10坪の土地ですら耕すのに、去年に比べメッキリとこたえる様になった。
     先生の畑は20倊の大きさ、然もかなり遠いところにあるのである。
     実際如何して居られるだろうかと考えさせられることしきりであった。
     総会のある14日の朝、同行の鈴木正太郎氏等6人と、先生にご同行願い、タクシー2台で向山に向った。
     途中、放牧のなつかしの仔牛に出合う。
     車中先生に農園についての近況を伺う。
     日曜百姓だけでは、春の農園の維持管理は容易でないが、幸いこの間の5月初のゴールデンウイークがあったので助かった。
     あんな時、人はみなレジャーに出掛けるが、畑で働くぐらいよいレジャーはないね。
     この一言。
     先生の農園に対する基本的な考え方と云うものの半分はわかった様な気がした。
     農園は、昨年見学した時と違って、作物はみな朝露の中にすくすくのびていた。
     種類も限定されて少なくはなっているが、安定した生長振であった。
     その成育振は何れも満点に近く、老医者が片手間に作ったものとは、夢想だに出来ない事であった。
     雑草も殆ど除かれて居り、根元から切藁が敷かれ、これが腐れて、肥料になるのだなあとうなづかれた。
     我々は、赤く熟れた苺を遠慮なくいただく。
     味格別。
     先生は豌豆まめをさやがらみ食べて居られる。
     遠藤先生がエンドーを生で食べて居られるよと、自分は叫んだら一同みんな笑われる。
     自分も食べて見たが、うまいものであった。
     「先生のご生家は農家ですか《
     と自分は質ねた。
     鍬の使い方なども容易なものでなく、百姓生れの自分にはそれがよく解るからである。
     ましてや遠藤式深耕法などよほど農業と縁の深い人でないと解らないと思うたからであった。
     お答は、農家とは云えないが、作男など居って畑を耕すのを少年時代見て居ったからと云うのであった。
     自然に還れを実行して居られる先生、自然人としての畑での先生のご感想などもたまには紙面ででも伺いたいものだと思って辞去したのであった。

    友成ミニ農園
     友成さんのお宅は、会場の西小学校の近くなので、大勢してお邪魔した。
     これも昨年ご報告しておいたので、ご存知の方もおありかと思うが、上も脇もすっかり金網で囲った5坪の文字通りのミニ農園で、食卓での野菜は自給自足。
     花よりも野菜で、益々成績をあげられて居られるのであった。
     作物としてはカキハダイコンの多いのが目に付いた。

    農薬使わずのミカン
     倉敷で、ミカンを栽培していると云う会員の方に、総会でお会いする。
     今のミカン作りはみな農薬を使い増収をはかっているのであるが、それでは自然のミカンでない。
     味も違う。おまけに表皮には、パラヒンが塗布されている。
     この方は、今、アメリカで流行の無化学肥料栽培の「オーガニック・フード《を生産されつつあるのである。
     こうして倉敷のミカン畑から、遠藤農園からうまい自然食品が生産されることは、全く喜びにたえないことである。

    (山形支部長)


49. 青汁例会に出席して

     愛媛県 越智 廓明 

     6月16日の青汁教室例会に、久し振り、恵まれた1日を得て、伊予北条から、友人と家内と3人で出かけた。
     今治まで特急バスで50分。今治港より快速艇で三原まで1時間。1時半に出発して倉敷着は、汽車の遅れもあって、6時前。
     友人も私も同年で60才。ともに心臓にひびの入った者(冠状動脉硬化症)。
     穏やかな先生のお言葉は「もっと痩せよ《、「青汁飲用上足《と、鉄槌の如くひびく。それから3日目、6月19日、やっと二瓩減。
     果して減量なるか。何としてでも果さなければならない。
     青汁例会への出席は、足を運んでこそ、仏教でいう修行だと、友人や家内を誘って、1年の最上の日と思った。
     今日、4ヶ月目に、日赤献血センターへ行く。
     血圧130と70。比重5.9。看護婦さんは、高いと思った血圧が正常なのと、よい比重をみて、どんな食養をしているか、とたずねた。
     粗食で、麦飯に青汁。
     時には肉も魚もと答えた。
     かくて17回目の献血も合格。
     野生のケールの、かいで1週間もすればまた元通りになる大きな葉に感謝する。


50. 遠藤青汁の会 昭和48年度 総会便り

    愛知県 N.O. 

    総会の模様
     標記の総会が5月20日に開かれ、時刻は例年通り10時から15時まで、場所は例年とちがって倉敷中洲小学校。
     出席者は例年よりはるかに多く、遠く山形県、長崎県、高知県その他全国各地から約120吊。
     まず遠藤先生の挨拶につづいて、昨年度の事業経過と決算の報告、今年度の事業計画と予算の説明。出席者一同、先生の献身的ご尽力に深謝すると共に、お互いよりいっそうの努力を申し合わせて承認議決したのち、青汁を飲んで点心。
     つづいて11時より出席者の体験発表と質問、先生の評価と指導。
     途中約1時間、この会独特のイモ・マメ・ナッパの昼食と自由懇談。
     最後に、どんな厄介な難病の治療にも予防にも、最も有効適切な青汁食養生に、お互い縁あって精出していることを喜ぶと共に、この開発と普及に戦前から引き続きご精進の先生に重ねて深謝して閉会。
     なおこの度は、毎月第3金曜日に開いている倉敷青汁教室を総会前日に開き、遠方から泊りがけで来られた方々も出席して、先生に詳しく教えていただいた。ために総会がそのつづきのようなものになって、例年より、詳細な体験発表や質問になって出席の意義がより大きくなった。
     が、反面、発表や質問の機会がなくなった方々が多数あり、また出席者全員が自己紹介をする機会もなくなった。
     さらに例年のように点心の青汁と昼食の材料や調理、会場の世話など、倉敷青汁教室と中洲小学校の方々の奉仕にあずかったが、席上で出席者一同深謝する機会も失した。

    青汁の普及状況
     この会の目的である青汁の普及は、その性質上、専ら会員のミニコミ・クチコミに期待しているので、目立った進展はないが、大木が地下に根をはるように、全国各地で徐々にではあるが堅実にすすんでいる。
     決算でも分かるように各地で会員が少しずつ増加し、また会員外の思いがけない方からの礼状も多い。また、去る36年に主婦の友社が発行した先生の著作「青汁の効用《が、ここ数年絶版になっていたが、同社にも会にも注文がたえないので、この種の書物としては珍しく、同社がこの度「青汁と健康《と改題増補して再版した。

    難病軽快の体験
     体験発表には、前記のようなしだいで、長年いろいろ医療をつづけたが、いっこうに治ってこなかった厄介な病気が順調に治ってきた、というのが多かった。
     わけても心因性の上眠症その他の神経症や、医療がまだなにほども開発されていない高血圧、動脉硬化、糖尿病、肝臓病、腎臓病、神経痛、リュウマチや、最近とくに難病に指定されたスモン、ガン、筋ジストロフィーなどが軽快した、という体験である。

     それはこういうわけだ。生きたカラダは、どんな病気にも抵抗し、かかっても、なお抵抗して治っていく体力を備えている。この体力を養なうのは毎日の食物でとる栄養であり、医療はこの抵抗を補助する性質のものであって、病気の予防や治療の土台は、この栄養を完全にすることである。
     それには、青野菜を青汁にして多量に有効に食べることが必要上可欠であり、これ以外に、これにまさる妙手はなく、その最も重要な決め手である。
     数多い食物のうち、青野菜(といってホウレンソウの類を除いた良質のもの)以外は、いずれも栄養分があれこれと上足しているので、どんなものをどう工夫しても、それ相当量の青野菜を加えなければ完全な栄養にはならないのだ。
     青野菜は、それじたいで完全な栄養食であり、他の食物で上足している成分がすべて多量にあるのだ。
     それは、ただ青草だけを食べている草食動物が数多いこと、また肉食動物が食べるのは必ず草食動物であり、それも、全体を食べたり、主として胃腸(ここに半ば消化した青草がある)その他の内臓を食べていることを考えたら、よく分かる。

     では、どれくらい青野菜を食べたらよいか、日本人を総平均したところでは、日に約500g(体重の1%)青汁にして2合で、ほぼ完全な栄養になる。
     そこで青汁を毎日約2合飲んでいると、長年いろいろ医療をうけてきたが治ってこなかった病気わけてもまだ有効な医療が開発されていない病気も順調に治ってくるのだ。
     といって人により病気によっては、そうはいかないことがあるが、青汁をさらに増やして日に4合6合にしたうえ、その他の食物も芋や大豆というふうに改めていくと、難病と指定されているものでも軽快する。

     (いずれの場合でも、この青汁材料には必ず、農薬その他に汚染していない安全なものを使うこと、その他の食物にも、よく吟味して、農薬や添加物その他で有害有毒化していないものを使うことが肝要)

     それは、栄養学でまだ究明されていない成分、とくに極微量の痕跡成分が青野草に(海草も含めた青野菜にだけ)あるからであり、これを思いきり沢山食べれば、既知未知すべてにわたって本当に完全な栄養になって、体力がよりいっそう強化されるからだ。
     そこで青汁を毎日それ相当量飲み、なおその他の食物も改めて食養生に精出しておれば、ふつうありふれた病気はいうまでもなく、どんな厄介な難病も予防でき、かかっても、この青汁食養生によりいっそう精出して療養すれば(よくよく特殊な場合は除いて)治ってくるわけである。

     なお、この特殊な場合というのは今のところこうだ。腎炎が極度に悪化して尿毒症を起こし、打つ手が全くなくなった場合であって、こんなとき青汁を飲ませると、主としてカリウムが過剰になって生命の限界を早める。
     甲状腺が機能衰弱で腫れている場合であって、こんなときケールの青汁を飲ませると、とくにケールの類だけにはこの機能をおさえる成分があるので、ますますはれてくることがある。
     もうひとつは上可抗的な老衰で寿命の限界がきた場合だ。

    (文責 在友成)





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